千々石

2022年11月 4日 (金)

第50回 千々石町文化祭作品展示~すこし淋しい(-_-)

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千々石文化祭、今年が50回なので、盛大に50回記念文化祭を挙行して良かったのでしょうが、コロナの影響かヒッソリと開会。11月6日までの展示です。なお、演芸の部は今年も中止です。

以前は、押し花、絵手紙、瓢箪、写真クラブ、郷土史研究会等々、結構あったのですがほとんど無くなりました。また、コロナで2年ほど中止になっていたのが影響をしたのか出品作品もかなり減っていました。

デイサービス、皆さんボケ防止でイロイロな作品を作っています、ワタシも近々・・・・


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先生が熱心なので、書道はいつも沢山の出品。

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お孫さんが沖縄にでもいるのか?

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陶磁器は90歳くらいの方の作品です。

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小中学生の部。右は中学生の作品で、何やら不気味ですが迫力はありました。先生が替わると、作風がガラッと変わることがあります。

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小学生の作品ですが、なかなかに活気があって良いですね。

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ということで、来年はワタシも「裸の自画像」でも・・・・・
 
 

2022年10月23日 (日)

2022「千々石温泉神社」秋季大祭

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昨日22日がお下り、今日23日がお上りでした。千々石は7名(地区)あり順番に祭りの当番があります。今年は「下峰名」の当番。

コロナ以前は3日間の開催で、初日がお下り、二日目が演芸大会、三日目がお上り。コロナが流行った年に中止、それから一日予定でお下り、お上りのみの実施。今年は二日日程で、宴会大会は無しでした。


以前、御神輿は担いでいきましたが、現在は台車に乗せ引っ張っていきます。若者が少ないところではトラックに乗せて行くところもありました。


「御花」。以前は沢山付けている子を見かけましたが・・・


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伝説の「チンつり石のカッパ」さん、見事な鯛が釣れていました。

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お下りの道にはしめ縄が張ってあります。

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小さい子でもチャンと参加。今年の当番長は「下峰」で、奉納踊りが「鍬踊り」。鍬(作り物)を持って踊ります。

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お下りの道々、数カ所で踊りを披露。子供と大人の分がありますが、子供さん以外と多いようでした。

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女性の道踊り。結構暑かったので、歩いて踊りを披露するのは大変です。

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神輿を台車から下ろして、そのまま御旅所に入れようとしたら、古老の方から「回せ~」という声が掛けられ、担ぎましたが「回る」のはありませんでした。

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御旅所でも踊りの奉納。「鍬踊り」。左が子供組、右が大人組。やはり迫力が違いますが、次の当番の時には負けないように踊れると思います。

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女性の道踊り。

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「猿田彦」さん、子供がお好きなようで・・・
右が以前の「御旅所」。事情があって、今の福石公園に変わりましたが、なんとなく寂しげな風景でした。

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今日はルートを変えて、午前中お上りでした。




2022年9月26日 (月)

千々石天満宮神送り★千々石ミゲル墓所調査

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先日、例年の通り「神送り」の神事が行われました。

以前にも紹介したとおり、この神社に祀られているのは菅原道真公、千々石ミゲルの父千々石大和守と家臣2名です。


この神社の上に釜蓋城があり、佐賀の龍造寺に攻められ千々石大和守は討ち死にをしますが、その間、千々石ミゲルは城を逃れる、という話になります。昨年、千々石ミゲル墓所発掘調査が行なわれ、テレビ、新聞等で報道をされました。


島原藩主松平忠房公は、島原半島の多くの社寺に寄付をしていますが、千々石では2カ所、天満宮に「壹石八斗四升」、四面宮(現千々石温泉神社)に「三石貳斗五升六合」。


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千々石ミゲル墓所発調査プロジェクトに多少寄付をしていたので、先日、お礼状と共に、調査の模様と解説が収録されたDVD、絵葉書、お菓子のクルスが届きました。報告の概要パンフレットは以前入手をしていました。

今回はクラウドファンディングで600万円の目標額を超えること10,400,000円が集まったそうで、興味を持たれている方が多いことが分かります。


今後の予定はプロジェクトチームの浅田代表によると「文化財保護法に定められた正式報告書作成に入り、今秋には発刊の予定です。」と言うことですが、多分、来年にずれ込むような感じです。


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2022年9月21日 (水)

台風疲れ、などなど。

台風14号について

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台風14号については、事前にいまだ経験のない台風だとか伊勢湾台風並みとか言われ、又、予想では雲仙市直撃、逸れても10~20㎞ということで、ビビりました。

ベニヤ板等で窓などを塞ぎ、飲み水を用意し、家庭用のカセットコンロとボンベ、懐中電灯が壊れていたので買ってきて、スマホ用の充電器を充電し、小屋は板を打ち付け、いざというときの荷物を準備し・・・


で、防災無線で避難を呼びかけていたので、オクサマに「非難しようか?」・・・「行かない」との一言でした。一人で非難しようとも思ったのですが、愛するオクサマを残すわけにも行かず、ということで・・・


夜10時くらいまでは風、雨がドンドン強くなりましたが、昼の台風の準備で疲れて寝落ちしてしまい、0時頃目が覚めたら、風、雨の音もなく、ヒョッとしたら台風の目かと思い、台風の目の中なら星空が見えるので外へ出ましたが、空は曇って、風はほとんどなく、雨はボチボチ。


レーダ図を見ると確かに台風には入っているようなのですが。台風の目の中なら吹き返しが来るなと思いつつ、又、寝落ち。


今度は3時近くに目が覚めましたが、雨音も無く、風の音もほとんどなく、外へ出たら0時頃と一緒。レーダーを見ても確かに台風のところなのですが、次の日の朝も状況は同じで、台風はどこへ行ったんでしょう、という感じでした。赤の矢印は雲仙市。


他の地方では大きな被害も出ているようですが、なんともキツネにつままれたような台風でした。とはいっても、どのような台風が来るかも知れず、台風、と聞いたら万全の準備が肝要かと。


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本当の話~「もち吉」の住所

話は聞いていたのですが、信じられないので買ってきてみました。


もち吉の住所・・・


〒822ー8585

福岡県直方市下境2400番地
字餅米もちだんご村餅乃神社前

なお詳しくは→こちらをクリック



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ブタさんの車

買い物に行っているとき、前のトラックにステッカーが貼ってあり、なにかと思ったら(^0^)。これ見たら、あおり運転なんてできませんよネ。


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2022年8月11日 (木)

令和4年橘神社「湯立祭」~雲仙市千々石町

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今日は橘神社で昼の3時から「湯立祭」。「湯立祭」については、橘神社のFacebookに下記のように説明がしてありました。

湯立祭とは、古来より受け継がる神楽の一つで、釜で湯をたぎらせ、その湯を用いて神事を執り行い心身を祓い清めて皆様の無業息災とコロナウイルス退散を祈ります。社殿を前に斎場が設けられ、大釜に湯を沸かし、神職と巫女が神楽を奉奏し、束ねた笹の葉で釜の湯を勢いよく参拝者に振りかけます。この湯滴を浴びると無病息災に過ごすことができ、また笹の葉を持ち帰れば幸運に恵まれると言われています。


例によって、宮司さんのパフォーマー。なかなかシャッターチャンスが掴めないので、「モッテコーイ」のアンコールをしたら、「お湯が熱いから、イヤだ」と断られました。


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右の写真、笹でお湯を振り回すので湯滴が飛んできてかかり、これが無病息災に良いのだそうです。

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湯立祭の後は「肥前千々石鉄炮隊」による奉納演舞。もちろん、空砲ですが凄い音がします。警察のお達しにより、近くにはよれません。

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湯立祭につかった笹をお守りにいただきました。

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神社も最近は工夫を凝らしているようで、ヒマワリの「花手水」。花を揃えるのが大変だそうです。「夏詣」のお休み処。

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イロイロと工夫した「御朱印」も作っていて、確か「小濱神社」「御館山稲荷神社」「久山年神社」「橘神社」で御朱印巡りをしているようです。なお、小濱神社でも先日湯立祭を行ったとのことです。


2022年6月24日 (金)

雲仙「温泉神社二の鳥居」について①

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    (左はGoogleEarthより)

仙の温泉神社には三つの鳥居があります。

一ノ鳥居は明治33年、温泉神社1200年祭の時建立されたもの。


一つ飛んで、三ノ鳥居は昭和60年に建立。


問題の二ノ鳥居です。最後に「温泉山」と書いてあります。昔は雲仙を温泉山ともいっていました。


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左の柱、「元禄八乙亥年九月吉日」と書いてあります。元禄八年は1695年。

柱の横をヒョイとみると、文字が彫ってあるので見ると「嘉永四年辛亥八月再建」。嘉永四年は1851年。

「再建」とあるので、一度倒れて再び建てたと言うことになります。何故倒れたかですが、天正8年、有馬晴信により領内の寺社が破壊されています。ただ、天正8年というと1580年なので建立の1695年とは時代的に関係なし。

ということで考えると、雲仙の江戸時代には寛永4年の(1792)の大噴火がありました。

1695年建立→1792年倒壊→1851年再建と考えればピッタリな感じがします。あくまで私見ですが。


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二ノ鳥居には額がありません。ということで探してみたら、入口の所にありました。かなり破損しているので、多分、落ちたものだと思われます。

「四面社」(一般的には「四面宮」)と書いてあります。多少、自信がありません(^^ )。


温泉神社は最初「四面宮」、明治2年の神社改正により「筑紫國魂神社」、大正4年に「温泉神社」。


なお、一の鳥居が建立された元禄八年が気になったので、湯けむりの記憶(雲仙国立公園年表・雲仙国立センター運営協議会刊)を調べて見たら元禄六年(1693)の所に「島原藩主松平忠房・・・一乗院満妙寺、四面宮を改築し以後藩主松平家の親祭となる。」とあるので、多分この折り、二の鳥居が建立されたものだと思われます。


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下は雲仙の札の原バス停近くにある片足鳥居。こちらが昔の一の鳥居だと説明したものもありますが、柱には文政10年(1827)とあるので温泉神社の二ノ鳥居より新しいものです。額は「四面社」。「四」は異体字。

現在、最初の鳥居が一ノ鳥居といっているので、一ノ鳥でかまわないか・・・・。

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下は千々石の温泉神社にある昔の額。左は最初の字が欠けていますが、普通に「四面宮」。右は同じですが、「四」の字が異体字で、雲仙の片足鳥居の字と一緒です。

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調べると、まだ面白い所があるのですが、また後日。


参考文献
「修験道とキリシタン」根井浄箸

「嶽南風土記 有家史談第4号」有家史談会
「山岳修験 第30号」日本山岳修験学会刊
「湯けむりの記憶 雲仙国立公園年表」雲仙公園ビジターセンター運営委員会
「おばま 史跡巡りガイド」小浜町・小浜町教育委員会



2022年6月14日 (火)

「肥前國南高来郡三拾三箇村之図」~えんがわ・一畳のきまぐれ資料館

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ゆで野菜の「マルニ」さんの野菜加工場の母屋(名称:えんがわ)の一畳ばかりを借りて、何気に始めた資料館も今回で11回を迎えました。

今回は「肥前國南高来郡三拾三箇村之圖」の展示です。いつもと違って、今回は床の間をお借りしました。


島原藩の島原藩領は佐賀藩の神代、伊古、古部をのぞき、松平忠房公により、33の村に定められました。この時代の島原藩の絵図になります。詳しくは、チラシをクリックすると拡大するのでご覧下さい。


本物は旧家にありますが、展示品はこの複製になります。複製なので、字がボケて読みにくいのですが、当時の姿が楽しめるかと思います。


いつもの所には「肥前長崎之圖」を展示しています。


右はマルニさんで作っている「梅の甘露煮」。梅を一つ、氷を入れて無糖の炭酸を加えましたが、ほんのりとした甘さで夏にピッタリです。

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なお、大家さんのマルニさんが営業などで留守の時はご容赦をm(_ _)m。


2022年6月 6日 (月)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行②

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先日の昭和11年の雲仙案内の続きです。

バスガイドさんの案内の中で「すぐに真正面の上のルネッサンス式石造りの大建築は・・・長崎県庁で御座います。」の長崎県庁が上の写真です。原爆の被害に遭い作り替えられましたが、昔の方がご立派。残っていたなら国宝級。


下の左は愛野無線局の昔の風景で、確か鉄塔が建っていた記憶があります。愛野無線局が無くなった後「日本赤外線工業株式会社長崎事業所」になって、その後、敷地内に老人保健施設ができています。右の赤丸が門ですが、会社名の表札は会社の名前がそのままにしてあります。

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右の海が橘湾、向こうの山が釜山、遠くに霞んでいるのが雲仙岳。場所は愛野の展望所みたいなのです。バスは雲仙小浜自動車(株)。

右は一時「日本で一番で小さい」と言われた発電所。確か、バスガイドさんも説明をしていました。千々石の第3発電所。島原半島では千々石に一番初めての発電所ができました。お年寄りのなかには、あかりがついた電球にタバコを押しつけた、という笑い話も残っているそうです。


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左は駕籠立て場の展望所。駕籠立て場には無駄に広い駐車スペースがありますが、この場所は、お殿様が風景を楽しんだ、といわれる場所だと思うのですが、現在は立木で見えなくなっています。

右は「島原道」とあるので、島原からの道路です。昭和11年にはこのような道です。いまは立派な道ですが。


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2022年5月 2日 (月)

"千々石川の鯉のぼり"&”千々石でイタリアン”

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連休になり、急に天気が良くなり、車がドット増えました。

千々石川に鯉のぼりがはためいて、2年ぶりだったかな?青空に鯉のぼりって良いですね。例年、上塩浜の自治会の皆さんの手になるものです。「自治会は必要か?」などという意見もありますが、これを見ると絶対に必要なことが感じられます。

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さて、千々石にも本格イタリアンレストランが開店しました。ご夫婦で経営ですが、お二人ともイタリアで修行をされたそうです。

場所が分かりにくいので、ネットなどで検索されると良いかと思います。場所は少し高台で眺めが良いところです。最後の肉料理はジビエ料理で子イノシシのグリル。獣肉臭さがあるかと思ったら、まったくありませんでした。仄聞したところによると、お客さんが多いので予約をした方が良いそうです。


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千々石にイタリアンレストランができ、100円ショップも開店し、千々石も少し都会らしくなってきました。これで、ネオンサインが灯れば最高なのですが・・・(^0^)。

連休は雲仙へ向かう車が多く、千々石は素通りですが鯉のぼりは国道横なので見物を。なお、よそ見運転はしないように。




2022年4月27日 (水)

千々石ミゲル清左衛門供養碑建立~雲仙市千々石町天満宮

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長崎県の方はTV、新聞等で報じられご存じだと思います。昨年夏、千々石ミゲルの墓所の最終の4次発掘調査が実施されました。

先日、千々石ミゲルの子孫、発掘調査に携わった方などが参集し、千々石の天満宮において、千々石ミゲル清左衛門供養碑建立式が行われました。
発案、発起人は第1次~4次発掘まで尽力された町田義博氏。

供養碑の一番上の文字、「千々石・ドン・ミゲル」は千々石ミゲルの自筆を彫ったものだそうです。


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建立場所は千々石ミゲルの父千々石大和守直員が祀られている天満宮拝殿の横。

右は、千々石ミゲルの墓発見に最初から尽力された大石一久先生。宮司は橘神社の橘宮司。橘中佐の子孫です。


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右の写真は千々石ミゲルの子孫の浅田昌彦氏。

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千々石ミゲルの碑が建立された意義。天満宮の歴史などを貼っておきます。

供養碑の土台はコンクリートで固められていますが、土台のなかに、墓が発掘された折発見された千々石ミゲルの遺骨の一部が納骨されています。


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千々石ミゲルの父、千々石大和守直員が龍造寺に討たれた後、数百年の時空を越え、父が祀られた神社に、千々石ミゲルの供養碑が建立され、遺骨の一部が納骨されたという事は、非常に意義が深いことだと思います。

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オマケです。龍造寺に攻め落とされた釜蓋城の抜け穴?といわれているものです。



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