雲仙

2021年1月 8日 (金)

「雲仙ゴルフ場」への道~長崎県雲仙市雲仙

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絵はがきの説明は「長崎縣温泉(注:うんぜん)公園ゴルフ塲(じょう)通路」。ゴルフ場に行く道ですね。英文で「Unzenpark,nagasakiken」。写っている人の背丈からみると、意外と広い道に思えます。各写真はクリックするとはっきり見えます。

雲仙のゴルフ場は、「大正2年〇『県営ゴルフ場』〇『県営テニスコート』開設」となっています。


下の左の写真は「昭和7年頃、ゴルフ場に集まるタクシー」となっています。右の写真は時代が分かりませんが、背景の風景を見るとゴルフ場。
思ったよりというより、こんなに雲仙のゴルフ場にタクシーが集まるものかと?

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   (「2005 小浜町80周年記念誌」より)           (「雲仙お山の情報館」提供)

雲仙への自動車道路の写真はあちらこちら見られるのですが、ゴルフ場への道を撮したものは少なく、下は以前にも紹介したゴルフ場付近の道が写っている写真。

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 (「雲仙」昭和2年・雲仙岳後援会発行)             (「雲仙お山の情報館」提供)

下はGoogleEarthの写真で、赤の丸が「ゴルフ場」、緑の丸が「温泉街」、「A」が温泉街からゴルフ場にいたる道、「B」は島原にいたる道。「C」は国見町にいたる道。

「B]と「C」の付近には旅館はありません。ということで、一番上の写真は「A」の道のどこかと思われます。


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現在の「A]の道。片側が崖、もう片側が川、多分「加持川」か?こちらはゴルフ場に向かうところの写真です。一番上の写真とは逆になっていますから、ゴルフ場に向かうのを向こう側から撮ったものですが、写真には裏表逆に焼いたものや、この間紹介した「長崎福田の千本松原」が千々石の松原だったりで、昔の写真は良く見ないと、というところもあるのですが・・・

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上の写真、いつ頃撮られたかですが、考えてみるとゴルフ場横を通って、温泉街に行くには、島原~雲仙の道路が完成していないと通れないわけで・・・

「湯煙の記憶・雲仙国立公園年表」(国立公園ビジターセンター運営協議会)には「1922(大正11年)〇温泉(雲仙)~島原間に自動車道路完成」となっていますが、「雲仙の歴史・長崎県発行(昭和59年3月)」には「雲仙ー島原間自動車道路は、大正12年に完成しており・・・」という記述があります。少し違いがあります。


ところがですね、同書をよく読んでみると、「4)公園の管理と道路、公園事業の推進」の「二、自動車道路、その他の道路整備」の所に「・・・大正元年にはゴルフ場まで、大正5年までには普賢への登山道路が改修された・・・」と書いてありました。「改修」がどのようなものであったのか、気にはなるのですが。


ゴルフ場の開設が「大正2年」で、道路が「大正元年」なら、道路が先にできたことになりますが、考えれば工事の時は、現場までの工事用の取り付け道路が必要なので、ヒョッとしたら、とも考えられます。いずれにしても、上の絵はがきの道路は、作られたか改修された道路かはハッキリしませんが、広さからみると、少なくとも大正5年には作られた道路だと思われます。

大正13年、杉村廣太郞氏の「温泉嶽を繞りて」に温泉街からゴルフ場に至る風景が書いてあり・・・

「・・・昨夜見た古湯の町を、出外れて右に折れ(注:多分、旧東洋館あたりか)自動車の通ふ廣い道路を行くと、やがて一方が山で、一方に谷深く樹立を透かして、清らかな水が巌間を流れている加持川が見える。この川も又温泉(うんぜん)名所の一つで幽邃閑雅な仙境である。・・・」


多分、上の写真が撮られた年月は分かりませんが、杉村氏の書かれたような情景であったのでしょう。いまは、単なる道路になりましたが。この写真、どこで撮られたか、いずれ調べて見ようとは思っています。


2020年11月26日 (木)

「雲仙ゴルフ場」の池

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先日、雲仙の紅葉状況を紹介したとき、最後に絵葉書にあるゴルフ場の池を紹介しました。→こちらをクリック

実は、このゴルフ場の横を通り通勤すること4年。この池には気づかず、アレ、ここに池があったけと思い、気になったので、手持ちの絵葉書を見ると、結構池が写り込んでいるんですね。なにか書き込んだ様子のもあるのですが。


下の絵葉書の〇印、これならなんとなく納得。右の絵葉書はモロ写真ですから、修正のしようがなく、意外と小さく写っていますが、周囲をよく見ると水が溜まったあとがあり、雨上がりの後などもう少し水が溜まったと思われます。


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極めつけがこれで、多分ゴルフ場が作ったと思われる絵葉書、チャンと1コースの横に池が書いてあり、しかもコースの半分くらいの大きさ、ということは一番上の絵葉書に写り込んだ池も、まんざら嘘では無いなと。

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ゴルフ場には、わざと池などを作って人を困らせるコースがあるとか。私、ゴルフはしたことがありませんが「風の大地」などを読み、意外と知識だけはあるのです。沖田圭介、34歳と9ヶ月、現在、セント・アンドリュースで土砂降りの雨の中健闘をしております。ということで、こんな所に池があるのは、ゴルフには関係ない。ということくらいは私にも分かります。

考えると家からゴルフ場まで30分程度なので、見に行って確認した方が早いなと。で、行ってみるとゴルフ場の端っこの方にありました。ゴルフ塲には入れないので、外から写真を撮りましたが意外と奥行きが深い池でした。矢印は仁田峠に行く道路の昔の料金徴収所だったところ。


見た所、水が流れ入る所はなく、多分雨水が溜まったところかな?と思わせる感じでした。ですから、雨が降らないときは水が干上がって「空池」?


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なお、池の所を見ていくと写真のような溝があり、ゴルフコースから見ると、多分、池がここらまで来るので排水のためかな、という感じでした。

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以上のようなことから、絵葉書の池は、昔はまんざら嘘では無かったような。



2020年11月 6日 (金)

②「一切経の滝」と「稚児落しの滝」~雲仙二つの滝★稚児落しの滝編

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左の絵はがきは以前ブログに載せた写真。例によって、いつの頃の絵葉書かは分からなかったのですが、横浜に「絵葉書写真館」という所があり、そこをあせくっていたら(ネットで)、たまたま同じ絵葉書があって、幸いなことに上の方にスタンプが押してあり、「雲仙公園」「15.5.22(?)」「登(?)山記念」とあり絵葉書の説明は「長崎縣温泉公園稚児落の滝」とあるので、この絵葉書は明治44年~昭和9年の間に撮された写真です。

なお、この滝の歴史については以前書いているので、それを参考に→こちらをクリック


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写真の下の方の石に注意をすると、全部の写真にこの石が共通して見られます。

上の左の写真は「(雲仙の名勝)傳説に悲しき稚児落の滝」(英文の説明も有り)の説明あり。右の写真は「(雲仙)稚児落しの滝」の説明。あとは英文の説明。この2点については年代不明。


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左の写真は「(雲仙公園の名勝)傳説悲しき稚児落の瀧」、下の方に「(日本八景)C」の説明有り。日本八景に選ばれたのが昭和2年ですから、この後だということは分かりますが・・・

右の写真は「國立公園 雲仙 稚児落しの瀧の美観」。ありがたいことに裏に「昭和26年6月9日 雲仙岳登山記念」とあります。ただ、国立公園に制定されたのが昭和9年、写真の説明が、左から右書きと、「国」が「國」ということを考えれば戦前に作られた絵葉書だとも考えられます。


私がここを訪れたのは20年くらい前だったと思います。千々石から雲仙にいたる道の途中、「稚児落しの滝」という小さな案内版があったので、そこから入っていきましたが、あまり良い道ではなく、滝かな?と思う所はありましたが、写真のように水が流れ落ちるという風景ではありませんでした。


考えて見れば、ここは雲仙の別所に「加持川」(別所には700の僧房があり修行をしていた所で「加持祈祷」の「加持」と関係があります、多分)を堰き止めて「別所ダム」が作られています。竣工が1968年(昭和42)ですから、それ以降は満水時以外はあまり水が流れていなかったのだと思います、ですがね、近年、ここの写真が何枚かネットで見られ、あまり年月日は分からないのですが、その中に2010年の写真があり、これ結構水が流れ落ちています。→こちらをクリック

滝は雨の状態、放流等によって流れ落ちる風景が変りますが、こんなに流れているとは思いませんでした。

なお、上の写真を見ると女性の方、子供まで普通の服装で写っています。足元を見ても、ごく普通の靴。だということは、この頃は誰でも気軽に入れた所だと思われます。


このあたり、近年、道が拡張され、そのとき通りかかったら「立ち入り禁止」の札がありましたが、現在は案内表示、立ち入り禁止の札も無く、ガードレールに塞がれているようでした。歴史がある滝なので、整備をしたらどうなのかとは思いますが、以前のような滝があるのかどうかは不明です・・・危険な状態みたいなので、皆さんは立ち入らないように。


【追加】

この滝については「白雀」という謡曲があり、今まで埋もれていたのですが、平成27年島原城天守閣50周年記念の時、謡が復曲され披露されています。

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2020年11月 4日 (水)

①「一切経の滝」と「稚児落としの滝」~雲仙二つの滝★一切経の滝編

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雲仙には二つの滝があります。「一切経の滝」と「稚児落としの滝」。


この滝の事を書こうかと思っていたら、二つとも以前紹介したことがあるんですね。歳取ると、忘れることが多くて。で、やめようかと思ったのですが、古い絵葉書が手に入り、紹介方々。なお以前の記事は→こちらをクリック。詳しくは、こちらに書いているので参照してください。

上が雲仙の旅館街と付近の地図になります。大正13年に発行された、「温泉を繞(めぐ)りて★杉村廣太郞著」なので大正13年の雲仙の様子がよく分かります。クリックするとキレイに大きく見えます。

左の矢印が「稚児落としの滝」、右の矢印が「一切経の滝」、真ん中の大きな円が地獄と旅館がある所。


今回入手した絵葉書が下の2点。左は「大日本国立公園」の文字があるので、国立公園に制定されたのが昭和9年ですからそれ以降の風景。右は「長崎温泉(うんぜん)公園の瀧」とあり、長崎県立温泉公園は、明治44年に開設で昭和9年から国立公園ですから、この間の風景。


左の写真を見ると、いかにも「立派な滝!」と思いがちですが、右の写真、赤丸印の所に人が写っているので、滝の大きさが分かると思います。特に滝の右側の岩。特徴があるので一緒の滝だということが分かります。


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左の絵葉書、右が「稚児落としの滝」。左が今回紹介している「一切経の滝」。二つ並べているのは、なんとも珍しい。右の写真は前にも紹介しましたが、外人さんが滝の所を締め切ってプールにして遊んでいるところ(「雲仙お山の情報館」提供)。

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一切経の滝、稚児落としの滝は本、ネットなどで紹介され有名なのですが、千々石の方と話していると「稚児落としの滝はナンね」とか、「行ったことはナか」などと言われる方が多いみたいです。稚児落としの滝は、古い絵葉書が意外と多く残されています。残念ながら現在行くことができないので、次回、絵葉書でお楽しみを。



2020年10月27日 (火)

2020/10/26「雲仙の紅葉」

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天気快晴、気温もちょうど良く、紅葉もほど良く、景色も良く、悪いのは私の体調ばかり。

休日は車が混むので、昨日、朝から出かけてみました。


左がゴルフ場の駐車場の紅葉ですが、なんとなくイヤですね、色づいてなく不安。ところが、仁田峠までの循環道路まで行くと右の写真。なんとなくホッとします。しかし、この「100円」ですね。本当は無料道路になったのでいらないんですが、以前の料金徴収所の所にはチャンと人がいるので、なんとなく「100円」払わないと悪い気がして、皆さんも見ていると払っていきますネ。「ご協力」ですから、払わなくてもいいのですが・・・


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平成新山の火砕流跡。平成2年に噴火活動が起こり、平成3年に火砕流が流れ落ちました。29年前になります。ちょうど私が車を運転していた時、空が真っ黒になり、まわりに灰が降ってきて、昼にもかかわらず前が見えなくなりヘッドライトをつけた覚えがあります。

アップで撮して見ると、まだまだ爪痕が残っています。確か草の種など蒔いたと言うことですが、この急斜面。雨が降ったら流されてしまうでしょう。


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雲仙は春がツツジ、秋は紅葉ということになります。本来ロープウェイに乗るか、歩いて登って谷を見るのがキレイなのですが、体調が悪いので駐車場から 眺めるだけにしました。

11月中旬まで見ごろだそうです。土、日曜日は多いと思うので朝早めにお出かけを。この道、一方通行なので、どんなに混んでいてもUターンはできません。


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下の左の絵葉書は霧氷が見えますから、冬の風景。裏に「昭和26年6月9日雲仙登山記念」とあり絵葉書ですから、それ以前に撮られたものでしょう。仁田峠の展望所で、今はまだ広くなっていますが、この人なんでしょう?皆さんは真似をしないように。

右はロープウェイ乗り場の上から見た絵葉書、年代は分かりません。。黄色がロープウェイ車と発着場。赤丸が仁田峠の駐車場ですが大型バスが多いのに気づきます。多分、修学旅行のバスだと思われます。赤線は駐車場へ入る車がズラリと並んでいます。こんなに賑わった時代もありました。


赤の矢印が「ゴルフ場」。ただ、上の矢印。池みたいなのが見えます。ゴルフ場の中には、以前書きましたが「空池(からいけ・そらいけ)」という所があります。現在、水は溜まっていませんが、ひどい雨の後にはこんなになるのかどうか、地元の方に聞かないと分からないので、またの機会に。


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このあと、ここ数年、紅葉で有名になった「三十路苑」に寄りましたが、進入禁止のロープが張られ、まだまだのようでした。



2020年10月21日 (水)

「給湯管」かな?~雲仙

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どうでも良いといえば、どうでも良いことなのですが・・・

上の絵葉書を見ていると、下の方に管のような物がみえます。

(各写真は、クリックするとハッキリと見えます)

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2012年11月10日に「ガイド養成研修」の様子をブログに書きましたが、その時、地元のガイドさんから、昔の温泉の給湯管(というのかどうかはよく分かりませんが)は、杉をくり抜いて、源泉からお湯を引いていたという話しを思い出し、行ってみたら、まだありました。中心の所、穴が見えます。

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今は、下のような管でお湯を引いています。左は湯気が出て、管が数本あるところを見ると源泉の一つかと思われます。

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もう一つ思い出したのが、下のガラスの乾版で。

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ポジに直したら下の写真。矢印の所、特に黄色の矢印、なにか流れているのが見えます。

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ここも源泉らしく、といえばお湯しかないのですが・・・最初は竹かと思ったら、意外と分厚い感じで、多分木を利用した管みたいな感じです。

一番上の写真は「日本八景雲仙岳」と書いてあり、「日本八景」に選ばれたのが昭和2年ですから、それ以降の事になります。


ガラス乾版の写真は、小浜の写真屋さんが撮った写真で、他にも20枚ほどあり、調べてみると明治後期~大正期の写真のようです。


ですから、ガラス乾写真が一番古く、絵葉書が次に古いと思われます。
給湯管は最初、上側からくりぬき、その後、中心をくり抜いたものだと思われます。

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ついでに、地獄の中を歩いてみましたが、昔は温泉卵を売る人も沢山いたのですが、今、一軒だけみたいでした。記念写真屋さんもいて、団体、新婚さんなどを撮って後で郵送していたのですが、今や写真屋さんは一人も見受けられませんでした。スマホで皆さん自撮りなどしていました。

右の写真は、雲仙お山の情報館別館に飾ってあった写真です。見るとおりバスと観光客で一杯です。バスはボンネットバスではないので、そんなに昔ではないと思われます。思えば長崎の小学校の修学旅行は雲仙でした。私もでした。


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このお山の情報館別館、貴重な写真が沢山展示してあるのですが、お客さん(ロハです)が少ないので残念です。ここを見ずして、雲仙を語るなかれなのですが・・・

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2020年8月20日 (木)

長崎県「小浜~雲仙」の登山道路~古写真より

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雲仙に車で登る道路は増えましたが、主な道路は島原、千々石(以前は狭い道でしたが、拡張して使う人も多くなりました)、そして、小浜から登る道路があります。

一応、小浜道路の関係あるところを書けば、


・慶応 3年(1867)4月29日イギリス人二人、茂木・小浜を経て雲仙登山、小地獄にて逮捕され長崎へ護送。

・明治22年(1895)小浜~温泉(うんぜん・雲仙)間登山車道建設が始まる。
・明治43年(1910)千々石水力発電所が発電を開始。小浜の町の夜に美観を添える。
・明治44年(1911)温泉、日本初「県立温泉(うんぜん)公園」として発足。
             温泉・小浜に電灯がともる。
             英国人ジョン・フィンドレー氏、スチュードベイカー(車名)にて温泉(雲仙)にくる。
             乗合自動車(5人乗り)も小浜~温泉(雲仙)間を走る。運賃一人20銭。
・大正11年(1922)小浜~温泉(雲仙)間にバス運行。
・大正15年(1026)小浜~温泉(雲仙)間の自動車道路が完成。
・昭和 9年(1934)雲仙が国立公園に指定。「温泉(うんぜん)公園」を「雲仙公園」に統一変更。

読んでみると、自動車道路が完成する前に、車は通っていたことが分かります。


上と下の絵葉書、似ているようで多少違いがあります。電柱の数、標識の内容。


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上の写真より、電柱が増えています。家の形、ガードレールは一緒かな、という感じ。

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標識を拡大したら、左は「Road to Unzen」のみ、右は「温泉公園」の文字が入っているので、明治44年以降だと分かります。 道路工事は明治22年に始まるので、一番上の写真は明治22年から、「県立温泉公園」に指定された明治44年の間かな、という気もするのですが・・・

右の写真、標柱の小さな看板の文字が全然分からす残念なのですが、縦に書かれた文字、多分「二十歳(才)以下の人は酒を飲んではなりません?????をお通り下さい」と読めるのですが、小浜は飲み屋さんが多かったので「二十歳以下の人は・・・」と書いたのかな?「????をお通り下さい」は、どこを通るのか気になるのですが・


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下の写真は、明治2年発行の「雲仙」(雲仙岳後援會発行)からの写真で、小浜~雲仙間の道路です。今は立派な道路になっていますが、昭和の初めの姿は舗装もなかったということですね。

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「雲仙お山の情報館」から提供していただいた写真です。時代は分かりませんが、戦後ですね。こんな洒落たバスもあったんですね。左はゴルフ場横。中の写真、真ん中の少し上に白っぽい所が見えますが、ゴルフ場と思われます。ということは、バスが走っているところは温泉街から仁田峠までの循環道路。右の写真は完全に循環道路。おっかない所を走っていたんですね。

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このバス、もったいないですね。今、レトロ時代、このバス復活させたら、絶対に評判になると思うのですが。

以上、「雲仙お山の情報館」写真。「湯けむりの記憶(西暦2000年・平成12年記念)」(雲仙市ビジターセンター協議会発行)。「小浜史談」(小浜町史談編集委員会刊)を参考にしました。




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