古絵葉書・写真

2022年6月10日 (金)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行③

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いよいよ、雲仙小濱自動車(株)の雲仙案内も最終回です。

各種案内書には旅館等の宣伝が載せてあります。雲仙、小浜については旅館の変遷が多いのですが、場所、開業していた時期など不明なところが多いといえます。


場所については、旅館のパンフレットには当時の略図がも載せてあり、これと照合すると旅館についての情報が得られます。ほとんど、マニアの世界になりますが(^_^)。


この案内について、非常に面白い所があるのですが、個々についてはいずれ紹介をします.


略図は昭和13年当時のもの、雲仙案内は昭和11年で、ほぼ同じ時期になります。

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2022年6月 6日 (月)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行②

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先日の昭和11年の雲仙案内の続きです。

バスガイドさんの案内の中で「すぐに真正面の上のルネッサンス式石造りの大建築は・・・長崎県庁で御座います。」の長崎県庁が上の写真です。原爆の被害に遭い作り替えられましたが、昔の方がご立派。残っていたなら国宝級。


下の左は愛野無線局の昔の風景で、確か鉄塔が建っていた記憶があります。愛野無線局が無くなった後「日本赤外線工業株式会社長崎事業所」になって、その後、敷地内に老人保健施設ができています。右の赤丸が門ですが、会社名の表札は会社の名前がそのままにしてあります。

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右の海が橘湾、向こうの山が釜山、遠くに霞んでいるのが雲仙岳。場所は愛野の展望所みたいなのです。バスは雲仙小浜自動車(株)。

右は一時「日本で一番で小さい」と言われた発電所。確か、バスガイドさんも説明をしていました。千々石の第3発電所。島原半島では千々石に一番初めての発電所ができました。お年寄りのなかには、あかりがついた電球にタバコを押しつけた、という笑い話も残っているそうです。


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左は駕籠立て場の展望所。駕籠立て場には無駄に広い駐車スペースがありますが、この場所は、お殿様が風景を楽しんだ、といわれる場所だと思うのですが、現在は立木で見えなくなっています。

右は「島原道」とあるので、島原からの道路です。昭和11年にはこのような道です。いまは立派な道ですが。


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2022年5月30日 (月)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行①

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この案内書の発行が昭和11年9月30日。雲仙が国立公園に指定されたのが昭和9年3月15日なので、この案内書は国立公園に指定された直後のものです。なお、案内書は元来バスガールの車内案内用の文なのですが、それを纏めて冊子にし、数十枚の写真を添えたものだそうです。

読んで見ると「皆さま、すぐに真正面の上に見えますルネッサンス式石造りの大建築は、・・・長崎県庁で御座います。」のように案内口調で書いてあります。写真が多いので2回くらいに分けて主なものを紹介をします。


雲仙小濱自動車會社は、明治45年6月25日に端を発したそうですが、下のように書いてあります。


明治45年の初夏、その頃珍しい自動車を以て雲仙に登山した外人が、車台に故障を生じ乗捨てたのを利用して、九州でも最初と言っても好い乗り合いバスの営業にかかったのが、我が雲仙小濱自動車ある。


なお、昭和11年頃に大型バス41台、タクシー15台というので、当時としてはかなり大きな会社。


左が小浜町の本社、右が雲仙出張所、良い建物です。


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左は小浜~雲仙の登山口。右は「深江供用林道起点」とあるので島原からの道路。どちらも未舗装。

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雲仙国立公園の入り口だと思いますが、場所は不明。

右は長崎市内、諏訪神社の入口。バスの左後方が鳥居。昭和11年頃の風景です。写っているバスも雲仙小濱自動車のものだと思うのですが。


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2022年5月22日 (日)

雲仙の原生沼の名称について

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南高来郡長金井俊行氏の「温泉案内記」(明治26年)に「原生沼」について次のように書いてありました。

釈迦堂前二杜若草ノ繁茂セル沼アリ深クシテ其底量ルへカラスト蓋シ往古噴火ノ跡ナルへシ其杜若草ハ葉短ク色濃ニシテ見事ナリ


「原生沼」の名称は書かれてなく、「釈迦堂」「杜若」というと「原生沼」しかないのですが・・・杉村廣太郞氏「温泉嶽を繞りて」(大正13年)には・・・

・・・そして其丘陵の外れに沼澤池があり、數百株の杜若が植ゑこまれてあって・・・


「杜若」「沼澤池」というと「原生沼」しかありません。上の絵葉書には「杜若満花ノ景」とあります。


原生沼の横にはテニスコートがあり、上の写真の赤丸の建物、下の写真のテニスコートの建物で、上の写真は「原生沼」に間違いはありません。


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下の写真に至り「原生沼」の名称が出てきます。スタンプに「国立公園」の文字が見え、国立公園に指定されたのは昭和9年なので、「14.10.29」は昭和14年のスタンプになります。

調べて見ると雲仙が国立公園に指定される前、昭和3年3月1日に原生沼は「原生沼沼野植物群落(げんせいぬましょうやしょくぶつぶんらく)」として「史跡名勝天然記念物」の国の指定を受けています。


ということを考えれば、国の指定を受ける前は原生沼の名称は無く、指定後に「原生沼」の名称になったのではないかと考えるのですが。


なお、金井郡長の「南高来郡町村要覧」(明治26年)には上記と同じような文章で「釈迦堂池」としてありましたが、「釈迦堂池」の名称は他の史料などには見当たらず詳細は不明です。



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2022年5月13日 (金)

チャーカゴ~雲仙市

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上の写真は「小浜町80周年記念誌」より。

車が通っていない時代、小浜~雲仙に行くのには徒歩、普通のカゴ、そしてチャーカゴがありました。で、これ小浜~雲仙の独自のものだと思ったら、他の地方にもありました。


左の絵葉書は裏にスタンプが押してあり、「1906」とあるので、明治39年以前の絵葉書。


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左は「宮ノ下箱根富士屋ホテル庭」との説明。

右の写真には「(チャ)チェヤーの変化せし言葉 外人好みて用う・・・」とあります。


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雲仙の場合は「チャーカゴ」言いますが、椅子の「チェアー」が訛ったものと思われます。

真似たのか、誰かが作って販売していたのか等考えられますがどうなんでしょう?


下は小浜~雲仙の途中、駕籠立場の駐車場に置かれたレプリカですが、椅子を丸太に括り付けただけで、上の写真とは違います。国立公園なので、キチンとした物を設置したらどうかと思うのですが。


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2022年5月 5日 (木)

OBAMA HOTELの謎

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以前から書いているように、小浜は埋め立てによって姿が昔と変わっています。旅館等の記録もないため不明なところが多いといえます。

上のような写真がありました。見ると「OBAMA HOTEL」、「小浜ホテル」ですね。で、はじめて聞いた名前なので、小浜の方に聞いたら誰も知りませんでした。特徴は赤丸の3つの窓です。

よく見ると、お隣にも同じような感じの洋風の建物があり、多分「一角楼」(現浜観ホテル、以前の小浜観光ホテル)という感じがしたので、他の写真、下の左側と比べると、真ん中の建物の屋根に「IKKAKURO」と書いてあって間違いないわけです。左の写真の左の矢印、窓の特徴が最初の写真と同じです。


ただ、最初の写真の「OBAMA HOTEL」の文字がなんとなく写真の上から書いてあるみたいなので、気になってもう一枚の写真を見たら、右の写真です、上向きの矢印、「TEL」という文字が読めて「HOTEL」の最後の3文字なので、小浜ホテルですね。


真ん中の下向き矢印が一角楼、一番右の矢印がこの間紹介した「共同風呂」、今のローソンです。


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と思っていたら、下の写真があり、一番左が「OBAMA HOTEL」、真ん中が一角楼、左がローソンのはずなのですが、ホテルの名前がありません。建物の状態はこちらが良いようなのですが。

なお、明治42年発行「小濱案内記」には右のような宣伝が載っていて、一角楼は2棟のホテルなんです。


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ということで、一角楼が最初「OBAMA HOTEL」を名乗っていたのか、「OBAMA HOTEL」が一角楼に吸収されたのか、別館であったのかとも考えられますが、全くの謎でありました。

なお、この「OBAMA HOTEL」についてご存じの方、コメントをお待ちしています。


2022年4月18日 (月)

千々石の写真今昔、その他。

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九州写真グラフの(昭和)33年判。「切支丹特集」とあるので、読んで見ると千々石の写真がありました。

黒い塀に「ヤマト醤油」とあり、大きな煙突が写っています。道は矢印の方に行くと小浜方面。道路はまだ舗装がされてありません。

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現在の風景で、大体同じような地点で撮影。煙突は無くなりましたが、大きな看板が立ててあります。道路を隔てたところが千々石第一小学校。

ヤマト醤油さんの前方、以前は確か農協のAコープで、その後セブンイレブンとJA雲仙の”一億人のいぶくろ”。左の建物は島原雲仙農協の千々石支店。こうしてみると、随分違ってきました。


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橘神社。橘中佐の像が今より低い所に建てられています。

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いまは、高い台座にありますが、後ろの木は一緒ですね。

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左が小浜~雲仙の道路。この頃はまだ有料道路でした。右が島原~雲仙。小浜からの道が立派なようですが。

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加津佐の”列車バンガロー”は面白そうですね。南有馬の駅も面白そうです。下車徒歩5分で行けましたっけ?

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2022年4月11日 (月)

今日の「諌早の眼鏡橋」と「島原城の古絵はがき」

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諫早の眼鏡橋のツツジ、土曜日はもう少しかな?だったのですが、病院の帰りがけ、今日寄ってみたらほぼ満開でした。本来ならイベントも行われていたのですが、コロナで中止。来年こそはと期待をしています・・・

先日、島原城の紹介をしましたが、探していたら、まだ、城が復興する前の絵葉書が出て来ました。


左は使用済みの葉書で、”2.10.27”の消印があるので昭和2年以前の姿かと思われます。右は堀の中に木が見えるので、二の丸から本丸の間と思われます。


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左は堀の中に建物が見えます。このようなところがあるのは、前と同じく、二の丸から本丸の間の掘かと思われます。

右は、お城に入る通路が写っていますが、本来はありませんでした。


なお、解説文には笑いました。


春高楼の花の宴・・・松平重政の築城にかゝり、三十三箇の櫓、七箇の城門を有したという大城であったが、島原の乱で炎上して今は濠趾のみ昔の名残をとゞめている。


間違いもここまでくれば、笑うしか無い、というところですが、誰が説明を書いたんでしょう?絵葉書に書いてあるので、知らない人が読んだら本気にしますよ。


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先日諫早にできたお店です。なにやら、東京でも有名なお店らしいのですが、前から気になっていたので寄ってみたら、ズラリと並んで入れませんでした。なお、テイクアウトのパンは売り切れ、次の商品ができるのが1時とあったので、帰って来ました。平日の昼、皆さん傘までさして、平和ですね。

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2022年3月18日 (金)

小浜の埋立て風景~雲仙市小浜町

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(各写真はクリックすると、拡大します。)

以前にも書きましたが、小浜は埋立てで風景がすっかり変わり、また、記録もほとんど無いため、旅館の移り変わり等、分かりにくいことが多いようです。先日小浜の方と話をしていたら、同様なことを話していました。

上の写真、〇印は一角楼(現浜觀ホテル)。一角楼の所まで工事が済んでいます。この2点の写真を比べれば、埋立ての段階が分かるかと思います。


埋め立ては、第1期が明治29年、第2期が明治38年に始まり、完成が43年。


大体の所で、上の写真は明治38年以前、下の写真は明治38年以降になりますが、第1期工事の完成がいつなのか不明なので、正確な年が分らないのが残念です。


2022年2月28日 (月)

「豊後湯」なのですが・・・雲仙市小浜町

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左の写真の説明「上等湯脇噴湯ノ景」。右の写真の説明「肥前小濱大正湯噴出ノ景」。

左は「小髙商店」のスタンプが押してあるので、多分、湯煎餅を考案した小髙商店だと思われます。


左の写真「上等湯脇噴湯」だから、右の建物が「上等湯」。
「上等湯」については、以前「追込湯」での説明の「貮銭湯・壹銭湯」ではないかと思います→こちらをクリック。

右は使用してある絵葉書で「6.7.25」のスタンプが押してあり、写真の説明に「大正湯」と書いてあるので大正6年だと推定されます。「大正湯噴出」なので、湯けむりが出ているところが「噴出」、右の建物が「大正湯」。


左右比べてみると、右の絵葉書、階段の所が工事してありますから、左の絵葉書が古いといえます。


両方とも右の建物は、現ローソン、以前葬儀社、その前が小濱会館で間違いないと思います。たしか、建物の左に「入徳湯」の標柱と看板があったような記憶があります。


下が、現在の姿。矢印の所に「豊後湯」の説明版があります。絵葉書の湯けむりが上がっている場所。現在、階段は無くなり坂になっています。階段の上が「小濱歴史資料館」(旧本多湯太夫邸)。


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下が、小浜歴史資料館に展示してある「小濱温泉」の絵図。明治26年に出版されたものです。

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右は左の全景の温泉湯の所を拡大したものです。
左から入トユ、ブンゴユ、明治ユ、天トクユ、シンユ、湯本(多分、本湯)。

先日「追込湯」で紹介した、金井俊行氏著(明治26年刊)「温泉案内記」には、本湯、新湯、天徳湯、明治湯、常磐湯、入徳湯の6ヵ所。

で、違っているのが、「豊後湯」と「常磐湯」。「豊後湯」が「常磐湯」とは考えにくいのですが。旅館の変遷等については、小浜には資料等がほとんど無く、写真と絵図を眺めながら頭を抱えています。

「大正湯」は絵葉書屋さんが、大正時代に適当につけたのか、とも。左の絵葉書、文面に「小濱柳川屋にて」と書いてあるので、斎藤茂吉が泊まった旅館。



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