古絵葉書・写真

2020年11月19日 (木)

どちらが本当・・・とネコちゃん

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先日より本の整理をしていたら、左の写真が本の間に入っていました。

古本で買った本の中に入っていた写真で、品行方正な私が買った覚えも無く、多分古本屋さんに本を売った方の写真かと・・・(^^;)


この写真は「7年目の浮気」の一場面で、地下鉄の通気口の上にマリリン・モンローが立ち、地下鉄の電車が通ったとき、風が通風口から吹き上がり、スカートがめくれ上がった場面です。


この写真には多くのパターンがあり、後ろにカメラマンがいるので映画の撮影では無く、スチール写真を撮っているところですね。


で、イロイロと調べてみると、下のようなレーコードのジャケットがありました。多分、輸入盤みたいで、アメリカで発売された物と思われます。明らかに左右が逆ですが、上の左の写真はブロマイド、下の写真はレコードのジャケットなので、ブロマイドは逆に焼き込んだな、とは思っものの、よく見ると後ろのカメラマン。左手でカメラを持っています。ということは、右手でシャッターを切っているということになります。もう一人のカメラマンも右手でシャッターを切っているのが分かります。ということは、右利きの人が多いのでブロマイドの方が正解で、レコードのジャケットが逆版。


古い絵葉書を集めていると、時々逆版のものを見ることがありますが、レコードのジャケットに左右反対のものを載せるとは、アメリカ人はザッとしているというか、おおらかというか・・・


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今日、お伺いした家のネコちゃんです。お歳は17歳で人間でいえば80歳くらいだそうです。見事なヒゲ、元首相村山富市さんを思わせる眉毛。鼻から口にかけての白いところ、逆ハートです。逆さまに見ればハート印が分かります。眼光鋭く、貫禄さえ漂っていました。

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2020年11月 6日 (金)

②「一切経の滝」と「稚児落しの滝」~雲仙二つの滝★稚児落しの滝編

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左の絵はがきは以前ブログに載せた写真。例によって、いつの頃の絵葉書かは分からなかったのですが、横浜に「絵葉書写真館」という所があり、そこをあせくっていたら(ネットで)、たまたま同じ絵葉書があって、幸いなことに上の方にスタンプが押してあり、「雲仙公園」「15.5.22(?)」「登(?)山記念」とあり絵葉書の説明は「長崎縣温泉公園稚児落の滝」とあるので、この絵葉書は明治44年~昭和9年の間に撮された写真です。

なお、この滝の歴史については以前書いているので、それを参考に→こちらをクリック


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写真の下の方の石に注意をすると、全部の写真にこの石が共通して見られます。

上の左の写真は「(雲仙の名勝)傳説に悲しき稚児落の滝」(英文の説明も有り)の説明あり。右の写真は「(雲仙)稚児落しの滝」の説明。あとは英文の説明。この2点については年代不明。


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左の写真は「(雲仙公園の名勝)傳説悲しき稚児落の瀧」、下の方に「(日本八景)C」の説明有り。日本八景に選ばれたのが昭和2年ですから、この後だということは分かりますが・・・

右の写真は「國立公園 雲仙 稚児落しの瀧の美観」。ありがたいことに裏に「昭和26年6月9日 雲仙岳登山記念」とあります。ただ、国立公園に制定されたのが昭和9年、写真の説明が、左から右書きと、「国」が「國」ということを考えれば戦前に作られた絵葉書だとも考えられます。


私がここを訪れたのは20年くらい前だったと思います。千々石から雲仙にいたる道の途中、「稚児落しの滝」という小さな案内版があったので、そこから入っていきましたが、あまり良い道ではなく、滝かな?と思う所はありましたが、写真のように水が流れ落ちるという風景ではありませんでした。


考えて見れば、ここは雲仙の別所に「加持川」(別所には700の僧房があり修行をしていた所で「加持祈祷」の「加持」と関係があります、多分)を堰き止めて「別所ダム」が作られています。竣工が1968年(昭和42)ですから、それ以降は満水時以外はあまり水が流れていなかったのだと思います、ですがね、近年、ここの写真が何枚かネットで見られ、あまり年月日は分からないのですが、その中に2010年の写真があり、これ結構水が流れ落ちています。→こちらをクリック

滝は雨の状態、放流等によって流れ落ちる風景が変りますが、こんなに流れているとは思いませんでした。

なお、上の写真を見ると女性の方、子供まで普通の服装で写っています。足元を見ても、ごく普通の靴。だということは、この頃は誰でも気軽に入れた所だと思われます。


このあたり、近年、道が拡張され、そのとき通りかかったら「立ち入り禁止」の札がありましたが、現在は案内表示、立ち入り禁止の札も無く、ガードレールに塞がれているようでした。歴史がある滝なので、整備をしたらどうなのかとは思いますが、以前のような滝があるのかどうかは不明です・・・危険な状態みたいなので、皆さんは立ち入らないように。


【追加】

この滝については「白雀」という謡曲があり、今まで埋もれていたのですが、平成27年島原城天守閣50周年記念の時、謡が復曲され披露されています。

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2020年11月 4日 (水)

①「一切経の滝」と「稚児落としの滝」~雲仙二つの滝★一切経の滝編

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雲仙には二つの滝があります。「一切経の滝」と「稚児落としの滝」。


この滝の事を書こうかと思っていたら、二つとも以前紹介したことがあるんですね。歳取ると、忘れることが多くて。で、やめようかと思ったのですが、古い絵葉書が手に入り、紹介方々。なお以前の記事は→こちらをクリック。詳しくは、こちらに書いているので参照してください。

上が雲仙の旅館街と付近の地図になります。大正13年に発行された、「温泉を繞(めぐ)りて★杉村廣太郞著」なので大正13年の雲仙の様子がよく分かります。クリックするとキレイに大きく見えます。

左の矢印が「稚児落としの滝」、右の矢印が「一切経の滝」、真ん中の大きな円が地獄と旅館がある所。


今回入手した絵葉書が下の2点。左は「大日本国立公園」の文字があるので、国立公園に制定されたのが昭和9年ですからそれ以降の風景。右は「長崎温泉(うんぜん)公園の瀧」とあり、長崎県立温泉公園は、明治44年に開設で昭和9年から国立公園ですから、この間の風景。


左の写真を見ると、いかにも「立派な滝!」と思いがちですが、右の写真、赤丸印の所に人が写っているので、滝の大きさが分かると思います。特に滝の右側の岩。特徴があるので一緒の滝だということが分かります。


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左の絵葉書、右が「稚児落としの滝」。左が今回紹介している「一切経の滝」。二つ並べているのは、なんとも珍しい。右の写真は前にも紹介しましたが、外人さんが滝の所を締め切ってプールにして遊んでいるところ(「雲仙お山の情報館」提供)。

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一切経の滝、稚児落としの滝は本、ネットなどで紹介され有名なのですが、千々石の方と話していると「稚児落としの滝はナンね」とか、「行ったことはナか」などと言われる方が多いみたいです。稚児落としの滝は、古い絵葉書が意外と多く残されています。残念ながら現在行くことができないので、次回、絵葉書でお楽しみを。



2020年11月 2日 (月)

「鼠島(海水浴場)」~鼠島の思い出など&西郷四郎

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上の絵葉書を入手した頃、ご縁があったのか、田栗奎氏が書かれた「長崎遊泳協会六十五年誌ー鼠島年代記ー」(長崎遊泳協会記念誌編纂委員会)という本を読むことができました。出版が昭和四十三年になっているので、50年近く前の本になります。下の3点の写真は、この本より転写したものです。

上の写真は長崎港から汽船に引かれて鼠島に着いた「団平船」。思いもかけず、この絵葉書を手に入れましたが「8.7.28」の消印があるので、多分昭和8年の事かと思われます。私たちの時は確かポンポン船だった気がするのですが。


長崎で年配の方は覚えているかと思います。といっても、私は小学校の4年~5年生の時に行ったばかりですが。なにせ、半世紀ばかり昔のことで、おぼろげな記憶ですが・・・

学校の生徒は木札(定期券)を買って通っていました。鼠島には2ヵ所泳ぐところがあって、片方は一般客、もう片方が長崎遊泳協会が子供たちに水泳を教えていました。

上の写真の水着をつけている子供がかぶっている水泳帽子、各々違っています。確か段級があって、帽子で区別をしていました。木札を持った子供は長崎遊泳協会の場所で水泳を習わなければならなかったのですが・・・教え方が厳しく、私は悪い子なので、一般客のところで遊んでいました。時々、見回りが来るので、水泳帽子は海水パンツの中に隠していました。


ウチのオヤジもここで水泳を習って、メチャ高段でした。戦時中、ビルマに派遣され上陸寸前、乗っている船が魚雷に当たり沈没して一晩海の中を漂っていたそうですが、無事だったのは、ここで習った水泳が役にたったのだと思います。


で、私は遊んでばかりいたので未だもって、まったく泳げません。大人になってスイミングスクールに通ったのですが、顛末は以前書いたので→こちらをクリック。もっとも、あのスイミングスクールも潰れていました。


鼠島の一番の思い出は、この本にも書いてある”ハジキ豆”のことで、布の袋の中にハジキ豆を入れて泳いでいると、豆がだんだんふやけて柔らかくなり、ちょうど良い塩加減になり美味しくいただけました。あと、イベントがあって、大名行列、御神輿かつぎ、兜を着けての泳ぎ、立ち泳ぎをしながら大きな板に書を書いたり、沖の小舟に棹を立て、その上に日の丸の扇を付け立ち泳ぎをしながら矢で射貫く。那須与一ですね。那須与一のようには当たりませんでしたが・・・


下の写真が鼠島。現在は埋め立てられているそうですが、一部浜辺が残っているそうです。


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下の写真は明治42年の写真。真ん中の髪の長い方が主任師範の町野晋吉氏だそうですが、すごいオーラ。回りの青年達のバキバキした体、羨ましい~。

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下の写真の矢印が「西郷四郎」。小柄(身長153㎝~158㎝の説)だとは聞いていたのですが、こうしてみると確かに小柄。この体で、講道館の四天王とは信じられません。最近は「西郷四郎って知ってる?」と聞いても「誰よそれ」などと言う方が多く、悲しい思いをしていますが「姿三四郎のモデル!」を言うと「あ~」となんとなく、分かったような・・・

西郷四郎は長崎遊泳協会の設立に関わっていたとは知っていたのですが、柔道家がなんでと?とは思っていたのですが、本を読んで分かりました。


明治35年7月15日の東洋日の出新聞に「鼠島も一昨日は日曜のこととて百四、五十人は集まりたれども一度も水には入らず、ウロつきいるハイカラ多く、何のために拾銭投げ出して小蒸気の煤煙をかぶりながらやって来のか更に判らず、もっとも設備の皆無のためもあるべく、端舟一隻だに用意なきは危急の場合にドーする量見にゃー」と載ったそうです。


明治38年に「瓊浦遊泳協会(後の長崎遊泳協会)設立趣意」が出され、主唱者は、東洋日の出新聞社長の鈴木天眼。役員の主だった人が発起人として名を連ねたそうですが、顧問が長崎県知事荒川義太郞。理事として、東洋日の出新聞社西郷四郎の名前も入っています。なお、庶務を同新聞社員4名が担当をしています。


ということで、長崎遊泳協会設立には”東洋日の出新聞”が大きく関わって、西郷四郎は社員ですから一翼をになっていたことが判ります。なお、社員の中でも理事は西郷四郎だけですから、新聞社の中でも重鎮だっと思われます。


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鼠島の海水浴場は昭和47年に閉鎖になりました。

西郷四郎については、私のブログでも書いていますのでご覧下さい。なお、鼠島、長崎遊泳協会の詳しい歴史については「長崎遊泳協会」のホームページをご覧下さい。→こちらをクリック

3枚の写真は「長崎遊泳協会六十五年誌」より。


 

2020年10月27日 (火)

2020/10/26「雲仙の紅葉」

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天気快晴、気温もちょうど良く、紅葉もほど良く、景色も良く、悪いのは私の体調ばかり。

休日は車が混むので、昨日、朝から出かけてみました。


左がゴルフ場の駐車場の紅葉ですが、なんとなくイヤですね、色づいてなく不安。ところが、仁田峠までの循環道路まで行くと右の写真。なんとなくホッとします。しかし、この「100円」ですね。本当は無料道路になったのでいらないんですが、以前の料金徴収所の所にはチャンと人がいるので、なんとなく「100円」払わないと悪い気がして、皆さんも見ていると払っていきますネ。「ご協力」ですから、払わなくてもいいのですが・・・


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平成新山の火砕流跡。平成2年に噴火活動が起こり、平成3年に火砕流が流れ落ちました。29年前になります。ちょうど私が車を運転していた時、空が真っ黒になり、まわりに灰が降ってきて、昼にもかかわらず前が見えなくなりヘッドライトをつけた覚えがあります。

アップで撮して見ると、まだまだ爪痕が残っています。確か草の種など蒔いたと言うことですが、この急斜面。雨が降ったら流されてしまうでしょう。


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雲仙は春がツツジ、秋は紅葉ということになります。本来ロープウェイに乗るか、歩いて登って谷を見るのがキレイなのですが、体調が悪いので駐車場から 眺めるだけにしました。

11月中旬まで見ごろだそうです。土、日曜日は多いと思うので朝早めにお出かけを。この道、一方通行なので、どんなに混んでいてもUターンはできません。


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下の左の絵葉書は霧氷が見えますから、冬の風景。裏に「昭和26年6月9日雲仙登山記念」とあり絵葉書ですから、それ以前に撮られたものでしょう。仁田峠の展望所で、今はまだ広くなっていますが、この人なんでしょう?皆さんは真似をしないように。

右はロープウェイ乗り場の上から見た絵葉書、年代は分かりません。。黄色がロープウェイ車と発着場。赤丸が仁田峠の駐車場ですが大型バスが多いのに気づきます。多分、修学旅行のバスだと思われます。赤線は駐車場へ入る車がズラリと並んでいます。こんなに賑わった時代もありました。


赤の矢印が「ゴルフ場」。ただ、上の矢印。池みたいなのが見えます。ゴルフ場の中には、以前書きましたが「空池(からいけ・そらいけ)」という所があります。現在、水は溜まっていませんが、ひどい雨の後にはこんなになるのかどうか、地元の方に聞かないと分からないので、またの機会に。


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このあと、ここ数年、紅葉で有名になった「三十路苑」に寄りましたが、進入禁止のロープが張られ、まだまだのようでした。



2020年10月21日 (水)

「給湯管」かな?~雲仙

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どうでも良いといえば、どうでも良いことなのですが・・・

上の絵葉書を見ていると、下の方に管のような物がみえます。

(各写真は、クリックするとハッキリと見えます)

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2012年11月10日に「ガイド養成研修」の様子をブログに書きましたが、その時、地元のガイドさんから、昔の温泉の給湯管(というのかどうかはよく分かりませんが)は、杉をくり抜いて、源泉からお湯を引いていたという話しを思い出し、行ってみたら、まだありました。中心の所、穴が見えます。

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今は、下のような管でお湯を引いています。左は湯気が出て、管が数本あるところを見ると源泉の一つかと思われます。

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もう一つ思い出したのが、下のガラスの乾版で。

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ポジに直したら下の写真。矢印の所、特に黄色の矢印、なにか流れているのが見えます。

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ここも源泉らしく、といえばお湯しかないのですが・・・最初は竹かと思ったら、意外と分厚い感じで、多分木を利用した管みたいな感じです。

一番上の写真は「日本八景雲仙岳」と書いてあり、「日本八景」に選ばれたのが昭和2年ですから、それ以降の事になります。


ガラス乾版の写真は、小浜の写真屋さんが撮った写真で、他にも20枚ほどあり、調べてみると明治後期~大正期の写真のようです。


ですから、ガラス乾写真が一番古く、絵葉書が次に古いと思われます。
給湯管は最初、上側からくりぬき、その後、中心をくり抜いたものだと思われます。

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ついでに、地獄の中を歩いてみましたが、昔は温泉卵を売る人も沢山いたのですが、今、一軒だけみたいでした。記念写真屋さんもいて、団体、新婚さんなどを撮って後で郵送していたのですが、今や写真屋さんは一人も見受けられませんでした。スマホで皆さん自撮りなどしていました。

右の写真は、雲仙お山の情報館別館に飾ってあった写真です。見るとおりバスと観光客で一杯です。バスはボンネットバスではないので、そんなに昔ではないと思われます。思えば長崎の小学校の修学旅行は雲仙でした。私もでした。


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このお山の情報館別館、貴重な写真が沢山展示してあるのですが、お客さん(ロハです)が少ないので残念です。ここを見ずして、雲仙を語るなかれなのですが・・・

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2020年10月13日 (火)

小浜温泉「塩田」について

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最近、季節の変わり目で体調が悪く(歳だから)古絵はがきの整理をしています。

さて、小浜町の塩田については以前紹介をした気がするのですが、新しい絵葉書を入手したので、紹介がてら。


上の写真は、塩田風景です。この絵葉書はよく目にすることがあります。「小浜町史談」によると、「温泉熱利用として昭和16年の第二次世界大戦勃発から製塩事業が行われた。温泉の豊富な湧出量と百度という高温を利用し、特殊・東芝・元湯など四十余の工場が湯町海岸一帯に建ち並び、年間10,797t余りの生産量を上げるようになり、温泉場というより製塩工場地帯の盛況であった。」ということですが、「国の製塩事業にたいする施策の変更と昭和三十四年十四号台風高潮発生により全工場廃業となった。」そうです。


塩を作るには、天日の利用、塩釜を使うなどの方法がありますが、小浜では温泉のお湯を利用して作ったようです。現在、この方法で塩づくりをしている方がいて「塩の宝石」ということで販売をしています→こちらをクリック


絵葉書ですが、風景だけで(; ;)ホロホロ(済みません、変換したら変なのが出ました「ふうけいだけでなく」=「風景だけで無く」が正解。「無く」と「泣く・(; ;)ホロホロ」のオヤジギャグ。今のPCはギャグまでやるとは!)実際に人が働いている姿を写しているのは珍しいですね。見れば大量の塩ができています。


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絵葉書の裏に「高温の温泉を利用して大規模な製塩所が街の至る所にあり白煙をあげている」と書いてあります。後ろの海は橘湾です。


2020年10月11日 (日)

「雲仙鉄道廃線跡(千々石)」~一枚の絵葉書より

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千々石というと、この風景の写真、絵葉書がよく見られます。もちろん、雲仙が国立公園に制定されたこともあるでしょうが。

白黒の絵葉書を4枚ばかり手に入れましたが、雲仙鉄道の線路が左側に見えます。同じような風景でも、よく見ると撮影の場所、アングルなど違っています。雲仙岳の風景を見ると、少しづつ違うことが分かると思います。

雲仙鉄道と関係があることをざっと書くと、大正12年5月5日、愛野~千々石間、温泉軽便鉄道開通。昭和2年3月10日、千々石~’肥前小浜(小浜)間、小浜鉄道開業。昭和13年8月15日全線廃業。この間、昭和9年に雲仙が国立公園に。

ということで、一番上の写真「12.8.11」の日付があり、大正12年でしょうか、廃線前年の昭和12年でしょうか?悩む所です。

下の絵葉書は「7.1.10」の消印があるので、昭和7年。

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下は外人さんが使ったものですが、切手が剥がされ日付が分かりません。

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こちらは「4.12.?」ですから、昭和4年。珍しく、汽車が煙を吐きながら走っているのが見えます。この絵葉書は以前にも出しました。

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下が今回入手した絵葉書。

ネットで、雲仙鉄道の木津~富津の緑のトンネルなどはよく紹介されます。ただ、鉄道が廃止になったから、すぐに道路が舗装されたわけでもなく、富津付近の婆様を捕まえて聞いたら、鉄道が廃止になった後、線路が外され、その下の砂利はそのままで、その上をバスが走り「ガタガタして走っておった」ということでした。


赤い線が線路があった所。右の写真、同じ所を見ると草に覆われていることが分かります。今から40年ほど前だったか、千々石に赴任してきた頃、雲仙鉄道の事も知らずこの道を車で通ろうとしたら、とてもじゃなく引き返した記憶があります。


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昨日、撮ってきた写真ですが、赤い線の所、舗装されています。この道は千々石~愛野へ通じている道ですが、断層の下にあるので現在でも大雨、台風が来ると崖崩れがあり通行不可能になることもあります。

この道が舗装されるにあたり、千々石にはメリットがあるものの、愛野にはなんのメリットも無いということで揉めたという話しを聞いたことがありますが、私のごとき下っ端には詳しいことは分かりませんが・・・写真の部分は一度拡張をした覚えもあります。
       
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この道が草に覆われていたということは、若い方は知らないことだと思いますが、一枚の絵はがきが微かながら記録をしていました。チョットした事ですが、一枚の絵はがきに留められた歴史だと思います。廃線が昭和13年ですから、長い間そのままになっていたと推察できます。

さて、最近お土産屋さんに、無いんですね。「絵葉書」。考えれば今やスマホをほとんどの人が持っていて、絵葉書は売れない時代になりました。残念な事ですが。あ~、そういえばお土産の「木刀」もありませんでした。両方とも修学旅行の時買って来たんですが。

★各写真はクリックすると拡大します。


2020年9月15日 (火)

歴史を語る「絵葉書」~雲仙市千々石川

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最近、又、千々石川の写真を入手しました。集まりかかれば集まるもんですが。

下から二段目の絵葉書は下流から撮ったものですが、上の写真は上流から撮ったものです。 飛び石が上流(手前)と下流(向こう側)に見えます。


現在、上流の飛び石は大きいものの、途中から切れてしまっています。下流側の飛び石は、見えはするものの、よく見ないと分からない感じです(以前紹介したかな?)。


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一番上の写真の飛び石と飛び石の間が近いので、現場に行ってみたら意外と近い事が分かります。上が上流の、下が下流の飛び石。

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一番上の写真、家の屋根が瓦なので近い時代ではないかと思われます。

現在、古文書研究会に入って勉強をしていますが、南串山の庄屋さんの文書(もんじょ)に、山が串のよう見えるから、「串山」という名前が付けられたなど書いてあります。もし、この文書がなかったら「串山」の名前の謂われが分かったかどうか、2~300年前の文書です。


以前書いたとおり、下の一番右の葉書は明治41年の年賀状に使われたものですから、それ以前の風景ものだとおもわれます。左の2枚の写真も明治時代だと推察されます。


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明治45年が109年前。人生100年時代、100年はあっという間です。

この絵葉書が残っていなかったら、このような橋が架かっていたことは分からなかったと思います。昔を知り、今を伝えていくことが必要だと思うのです。絵葉書に歴史ありです。


【追記】


忘れていました。上流の飛び石の写真を撮っていたら、婆様がいたので話しを聞いたら、この飛び石を渡ったところに祭りの御旅所があり、祭りの行列はこの飛び石を渡って行ったそうです。


ホンマかいなと思って、カミサンにきいたら「渡ったよ」と、で、もう一人50年配の女性に聞いたら「私も渡ったよ、小さいとき渡りきれなくて、川に落ちたけど」と言う話しでした。


祭りの参加人数は昔に比べれば、少なくなったそうですが、下のように沢山のひとがいますが、本当に渡ったんですかね。


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いつ頃まで渡っていたのか詳しくは分かりませんでした。

当然、他人が知っていると思っても、話しをしてくれないと分かりません。今の子どもは、この飛び石の事も知らないと思います。


昔を知る方も段々と亡くなっています。今の時代、記憶より、何らかの形で記録を残す、話しを伝えていく事が必要だとつくづく感じました。


2020年8月31日 (月)

千々石海岸の外人さん~絵葉書をよく見れば

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以前、千々石にあった「千々石ホテル」の事をかきました→こちらをクリック。

上は「千々石ホテル」発行の絵葉書集ですが、右は千々石ホテルの裏側みたいで、下に写っている石垣は現在もあります。


このホテルは上の表紙に見るように、外国人向けだということが分かります。千々石は海岸と松原が美しく、また、雲仙、小浜に行くにも便利で、外人が遊びに来ていたと言われています。


雲仙の絵葉書には外国人が写ったものが多く残されていますが、千々石の絵葉書などには外国人の姿が写されたものがありません。ただ、長崎歴史博物館にロシア人の雲仙、小浜等の旅行案内書があり、この中の千々石海岸風景に外国人(旅行案内の著者?)が写っているのがありましたが、掲載するには手続きが面倒なのでいつの日にか・・・


さて、千々石、小浜を中心に絵葉書を集めていますが、島原半島で絵葉書が多いのが雲仙、小浜、次いで、島原と千々石が同じ程度と、千々石の絵葉書が多いのが意外です。他の町村のものはほとんどありませんでした。


雲仙、小浜に行く途中なのでそのせいかなどとは思いますが、はやり、千々石は風光明媚で外国人が訪れていたせいかなどと思いはするのですが。


絵葉書が少し溜まってきたので、整理をしていたら下の絵葉書が目にとまり、一番上が千々石海岸、真ん中が雲仙絹笠山の測候所(いまはありません)、一番下が雲仙のゴルフ場。


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おやっと思って千々石海岸を拡大すると、外人さんですね。男性1名、女性3名。写真はクリックすると拡大しますが、特に女性の服装、帽子を見ると外人さんだと分かります。時代がいつなのかは判断できないのが残念ですが。いずれにしても、外国人が訪れていたことが分かります。

海岸の家は茅葺きになっています。右手の山は、釜山、猿葉山。遠くにみえるのが雲仙岳。


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古い絵葉書はよく見ると、いろんな発見があって楽しいものです。



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