阿波踊りについては、以前下の写真と共に2回ほど紹介をしたと思います。
色々な機関、団体等の関係、コロナの影響で中止になっていましたが、今年開会。残念ながら踊り子さんにコロナが出たそうです。
で、思い出した話があったので・・・「阿波踊り」については、数十年前、永六輔さんが深夜放送で、阿波踊りは右手、右足を同時に出す。という話をされていたと思います。
普通歩くとき、右手と右足を出すことはありません。昔、夏休みのラジオ体操の時、毎日、参加者が順番に前に立って演技をしていましたが、ワタシの当番の時、行進の部分で右手と右足を出すという失態をしでかし、皆から笑われたことがありました。
さて、この同じ側の手と足を出して踊るというのは、他にもあるようで、息子が沖縄で結婚式を挙げ、最後にカチャーシーを踊りましたが、あれも阿波踊りと一緒で、同じ側の手と足を出します。
諫早の皿踊りも一緒。諫早の方で、今、生きていれば超100歳の方から「昔の皿踊りはこうだよ」と踊ったら、阿波踊りの男踊りとまったく一緒の動きでした。
たしか、東京オリンピックの前だったか「ナンバ走り」という走り方が紹介をされたことがあったと思います。右手と右足、同じ側の手と足を出すのは上に書いた踊りと同じです。ということを考えると、この動作が日本人の基本的な動きではないかと思うのです。
今、子どもを対象にしたダンス教室、スポーツ教室等が盛んですがこれを取り入れれば面白いとは思うのですが。
なお、諫早の皿踊りについて「諌早史談」(田中為一箸)に「座敷踊りとしては余り単調すぎて足など高く上げすぎるきらいもあるが、それだけに野趣も満々といったところである。数年前中央の有名な舞踊家に依頼して近代的なセンスで振りつけをしてもらい今その普及をはかっているので、皿おどりも従来のものよりうんと上品さを増し一般の人々にも歓迎されている。」とのことです。
祭りの近代化は、観光資源、地域の活性化、交流のために必要ですが、昔の姿も残しておいて欲しいと思うのです。阿波踊りの昔の姿を眺めつつ。
先日の昭和11年の雲仙案内の続きです。
バスガイドさんの案内の中で「すぐに真正面の上のルネッサンス式石造りの大建築は・・・長崎県庁で御座います。」の長崎県庁が上の写真です。原爆の被害に遭い作り替えられましたが、昔の方がご立派。残っていたなら国宝級。
下の左は愛野無線局の昔の風景で、確か鉄塔が建っていた記憶があります。愛野無線局が無くなった後「日本赤外線工業株式会社長崎事業所」になって、その後、敷地内に老人保健施設ができています。右の赤丸が門ですが、会社名の表札は会社の名前がそのままにしてあります。
右の海が橘湾、向こうの山が釜山、遠くに霞んでいるのが雲仙岳。場所は愛野の展望所みたいなのです。バスは雲仙小浜自動車(株)。
右は一時「日本で一番で小さい」と言われた発電所。確か、バスガイドさんも説明をしていました。千々石の第3発電所。島原半島では千々石に一番初めての発電所ができました。お年寄りのなかには、あかりがついた電球にタバコを押しつけた、という笑い話も残っているそうです。
左は駕籠立て場の展望所。駕籠立て場には無駄に広い駐車スペースがありますが、この場所は、お殿様が風景を楽しんだ、といわれる場所だと思うのですが、現在は立木で見えなくなっています。
右は「島原道」とあるので、島原からの道路です。昭和11年にはこのような道です。いまは立派な道ですが。
この案内書の発行が昭和11年9月30日。雲仙が国立公園に指定されたのが昭和9年3月15日なので、この案内書は国立公園に指定された直後のものです。なお、案内書は元来バスガールの車内案内用の文なのですが、それを纏めて冊子にし、数十枚の写真を添えたものだそうです。
読んで見ると「皆さま、すぐに真正面の上に見えますルネッサンス式石造りの大建築は、・・・長崎県庁で御座います。」のように案内口調で書いてあります。写真が多いので2回くらいに分けて主なものを紹介をします。
雲仙小濱自動車會社は、明治45年6月25日に端を発したそうですが、下のように書いてあります。
明治45年の初夏、その頃珍しい自動車を以て雲仙に登山した外人が、車台に故障を生じ乗捨てたのを利用して、九州でも最初と言っても好い乗り合いバスの営業にかかったのが、我が雲仙小濱自動車ある。
なお、昭和11年頃に大型バス41台、タクシー15台というので、当時としてはかなり大きな会社。
左が小浜町の本社、右が雲仙出張所、良い建物です。
左は小浜~雲仙の登山口。右は「深江供用林道起点」とあるので島原からの道路。どちらも未舗装。
雲仙国立公園の入り口だと思いますが、場所は不明。
右は長崎市内、諏訪神社の入口。バスの左後方が鳥居。昭和11年頃の風景です。写っているバスも雲仙小濱自動車のものだと思うのですが。
南高来郡長金井俊行氏の「温泉案内記」(明治26年)に「原生沼」について次のように書いてありました。
釈迦堂前二杜若草ノ繁茂セル沼アリ深クシテ其底量ルへカラスト蓋シ往古噴火ノ跡ナルへシ其杜若草ハ葉短ク色濃ニシテ見事ナリ
「原生沼」の名称は書かれてなく、「釈迦堂」「杜若」というと「原生沼」しかないのですが・・・杉村廣太郞氏「温泉嶽を繞りて」(大正13年)には・・・
・・・そして其丘陵の外れに沼澤池があり、數百株の杜若が植ゑこまれてあって・・・
「杜若」「沼澤池」というと「原生沼」しかありません。上の絵葉書には「杜若満花ノ景」とあります。
原生沼の横にはテニスコートがあり、上の写真の赤丸の建物、下の写真のテニスコートの建物で、上の写真は「原生沼」に間違いはありません。
下の写真に至り「原生沼」の名称が出てきます。スタンプに「国立公園」の文字が見え、国立公園に指定されたのは昭和9年なので、「14.10.29」は昭和14年のスタンプになります。
調べて見ると雲仙が国立公園に指定される前、昭和3年3月1日に原生沼は「原生沼沼野植物群落(げんせいぬましょうやしょくぶつぶんらく)」として「史跡名勝天然記念物」の国の指定を受けています。
ということを考えれば、国の指定を受ける前は原生沼の名称は無く、指定後に「原生沼」の名称になったのではないかと考えるのですが。
なお、金井郡長の「南高来郡町村要覧」(明治26年)には上記と同じような文章で「釈迦堂池」としてありましたが、「釈迦堂池」の名称は他の史料などには見当たらず詳細は不明です。
上の写真は「小浜町80周年記念誌」より。
車が通っていない時代、小浜~雲仙に行くのには徒歩、普通のカゴ、そしてチャーカゴがありました。で、これ小浜~雲仙の独自のものだと思ったら、他の地方にもありました。
左の絵葉書は裏にスタンプが押してあり、「1906」とあるので、明治39年以前の絵葉書。
左は「宮ノ下箱根富士屋ホテル庭」との説明。
右の写真には「(チャ)チェヤーの変化せし言葉 外人好みて用う・・・」とあります。
i
雲仙の場合は「チャーカゴ」言いますが、椅子の「チェアー」が訛ったものと思われます。
真似たのか、誰かが作って販売していたのか等考えられますがどうなんでしょう?
下は小浜~雲仙の途中、駕籠立場の駐車場に置かれたレプリカですが、椅子を丸太に括り付けただけで、上の写真とは違います。国立公園なので、キチンとした物を設置したらどうかと思うのですが。
以前から書いているように、小浜は埋め立てによって姿が昔と変わっています。旅館等の記録もないため不明なところが多いといえます。
上のような写真がありました。見ると「OBAMA HOTEL」、「小浜ホテル」ですね。で、はじめて聞いた名前なので、小浜の方に聞いたら誰も知りませんでした。特徴は赤丸の3つの窓です。
よく見ると、お隣にも同じような感じの洋風の建物があり、多分「一角楼」(現浜観ホテル、以前の小浜観光ホテル)という感じがしたので、他の写真、下の左側と比べると、真ん中の建物の屋根に「IKKAKURO」と書いてあって間違いないわけです。左の写真の左の矢印、窓の特徴が最初の写真と同じです。
ただ、最初の写真の「OBAMA HOTEL」の文字がなんとなく写真の上から書いてあるみたいなので、気になってもう一枚の写真を見たら、右の写真です、上向きの矢印、「TEL」という文字が読めて「HOTEL」の最後の3文字なので、小浜ホテルですね。
真ん中の下向き矢印が一角楼、一番右の矢印がこの間紹介した「共同風呂」、今のローソンです。
と思っていたら、下の写真があり、一番左が「OBAMA HOTEL」、真ん中が一角楼、左がローソンのはずなのですが、ホテルの名前がありません。建物の状態はこちらが良いようなのですが。
なお、明治42年発行「小濱案内記」には右のような宣伝が載っていて、一角楼は2棟のホテルなんです。
ということで、一角楼が最初「OBAMA HOTEL」を名乗っていたのか、「OBAMA HOTEL」が一角楼に吸収されたのか、別館であったのかとも考えられますが、全くの謎でありました。
なお、この「OBAMA HOTEL」についてご存じの方、コメントをお待ちしています。
環境 Apple TV お菓子類 この一曲 アニメ・コミック イベント イロイロコネタ ウェブログ・ココログ関連 キリシタン遺跡 キリシタン関係 グルメ・クッキング シェル・シルヴァスタイン ニュース パソコン・インターネット ボランティア 人生 休憩 信仰 健康法 千々石 古文書 古絵葉書・写真 史跡 墓碑銘 家庭の平和 家庭生活 家庭菜園 小浜 島原鉄道南目線廃線駅 平和 心と体 恋愛 文化・芸術 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 映画 書籍・雑誌 橘神社 正月 歴史 環境 神社 祭り 経済・政治・国際 絵本 絵画 詩 趣味 農作業風景 農業のこと 遺言 遺蹟 門松 雲仙 雲仙鉄道 霊 音楽 食生活
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
最近のコメント