古絵葉書・写真

2019年11月25日 (月)

「蛍茶屋」と「一の瀬橋」~長崎の古絵葉書②

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橋は「一の瀬橋」で、このことについては以前書いたので→こちらをクリック

今回は「蛍茶屋」の事です。長崎に19歳まで暮らし上京し、その後30歳でUターンしましたが、この蛍茶屋、電車の停留所があるので名前は知っていたのですが、恥ずかしながら、いわれは知りませんでした。


「長崎事典 風俗文化編 改訂版」(長崎文献社)に次のように書いてありました。


蛍茶屋(ほたるぢゃや)

現在、蛍茶屋という所には、昔、蛍茶屋という料亭があった。矢上への街道筋一ノ瀬橋のたもとである。初代は甲斐市左衛門といい天保八に没しているから一八三〇年代には蛍茶屋は存在していた。
大正時代まで続きその後はなくなった。江戸時代には、市中の人々はよくここに来て清宴(ママ)を催した。旅立ちの人を見送り、ここで別離の杯をくみかわしたりした。(中略)夏は蛍が飛び交う閑静な場所であったので蛍茶屋の名前がある。

さて、一番上の絵葉書「1906」の年号、もう片面には「長崎 39.11.18」のスタンプが押してあり、西暦1906年は明治39年でピッタリになります。もっとも、10年前の絵葉書を使う方もあり、この絵葉書が明治39年であるかどうかは確定できませんが、明治39年以前の絵葉書であることは確実です。


で、この橋のたもとの家が本当に「蛍茶屋」かどうかですが、ブライアン・マークガフニ氏著「花の長崎 秘蔵絵葉書コレクション」に3枚ほど写真が載せてあり、2点ばかりコピーしたのが下の写真。赤〇印のところ。家の様子がちうんですね。上の写真は2階建てで、かなり大きい、下の写真は、私の絵葉書と一緒で、ごく普通の様子の家。
(良く見たら、私の絵葉書とブライアンさんの下の絵葉書、説明の文字が違いますが、写真は一緒ですね)


もっとも、年代が違い家を作り替えたのか、写真を撮るときの角度で、大きな家の方が写らなかったのかは不明ですが。


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調べていくと、柴多一雄氏著「長崎古写真紀行」(長崎文献社刊)と「長崎浪漫」(ながさき浪漫会・長崎文献社刊)に全く同じ写真が載っており、この橋が一の瀬橋で、赤〇印の所、多分看板だろうと思って、拡大したらビンゴで「蛍茶屋」と読め、やはり、一の瀬橋のふもとに「蛍茶屋」があったんですね。

できれば、蛍をながめつつ彼女と杯を交わしたかったな思った次第ですが・・・


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電車の停留所「蛍茶屋」はここから取ったんですね。やはり、長崎の人間は風流ですね。




2019年11月16日 (土)

「諏訪神社」青銅の大鳥居~長崎の古絵葉書①

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諏訪神社の最初の大鳥居が昔は「青銅の大鳥居」だったんですって。写真の下の説明にも「長崎諏訪國幣中社靑銅の大鳥居」と書いてあります。

最近は、おとしよりが少なくなってきて、昔の事を調べるのが難しい時代になりました。代わりに、記憶より記録という事で、千々石の昔の写真を集めようと思っても、意外と集まらず、代わりに明治、大正、戦前の絵葉書を集めたら、千々石の絵葉書は思いのほか多く、島原半島では、雲仙がダントツ、次いで小浜、島原と千々石がどっこいどっこいで、千々石の絵葉書も大体集め、「千々石絵葉書物語」ということで、小冊子でも作ってみようとは思っているのですが、現在は思っているだけですが・・・


さて、古絵葉書も面白く、長崎の古絵葉書も集めてみたら、珍しいものもたくさんあり、多少のご紹介をしていきたいと思います。なお、長崎については各種写真集、資料があるのですが、調べると年代等違っているところもあり、一緒にご紹介を。


上の写真、皆さんご存じの諏訪神社の大鳥居ですが、これ、青銅製なんです。


なお、長崎大学の付属図書館が「幕末・明治期古写真」がネットでも検索でき→こちらをクリック


神社の鳥居の順番については、くぐる順で、最初が一の鳥居、二番目が二の鳥居、三番目が三の鳥居と普通は数えますが、人によっては、神社に近い方から、一の鳥居、二の鳥居・・・という順になると言う人もいます、が、諏訪神社の場合は、長崎大学の古写真の説明によると、「諏訪神社の鳥居は建設順に順番がつけられている」ということだそうです。長崎の皆さんで確認してください。


話を元に戻して、この青銅の鳥居については、「ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 長崎 越中哲也・白石和男共編」と「アルバム長崎百年 華の長崎 長崎の絵葉書コレクション ブライアン・バークガフニ編著」(「華の長崎」には多くの絵葉書が載せてありますので、興味ある方はご覧下さい)に載せてあり、「ふるさとの思い出写真集」には「諏訪神社(1) ー青銅の大鳥居ーこの大鳥居は天保六(一八三五)年に作られ明治七年八月の台風で倒壊している。・・・」とあり「華の長崎では」もう少し詳しく書いてあり、明治7年の台風倒壊までは一緒ですが「・・・募金により同25年に三菱造船所に発注され再建。その後『唐金の鳥居』として長崎名物になったが、太平洋戦争中の金属回収により供出された。」ということで、まことに残念なことでありました。もし、そのままなら、これも長崎名物のひとつだったのでしょうが・・・

なお、Wikipediaでは「1893年(明治26年)6月11日に1874(明治7年)の台風で倒壊した靑銅大鳥居が再建される。」となっており、再建年月日が1年ばかりズレてはいるのですが・・・発注が明治25年なのかな?


ただ、この写真が、最初の鳥居か、再建されたものかは不明です。



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