島原鉄道南目線廃線駅

2012年8月25日 (土)

島原鉄道南目線廃線駅(7)~加津佐駅

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「白浜海水浴場前駅」から1.7kmで終着駅「加津佐町駅」に着きます。加津佐の方から言え

ば、ここが始発駅になるわけですが。


やっとたどり着きましたが、廃線駅が20。廃線になった部分が、「島原外港駅」から始まり

「加津佐駅」まで35.3kmになります

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駅の向こう側見える、三角帽子の建物がバンガロー村になります。

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ホームが1面、線路1線だったそうです。

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待合室の中が見えていたので、写真に撮ってきましたが、ポスターなど貼ったままにして

あり、何かまだ使えそうな感じ。


加津佐町には、前浜海水浴場、日本の白砂青松100選の野田浜があり、また、キリシタ

ンゆかりの地で、コレジョ、セミナリオがあったところであり、キリシタン墓碑が残ってお

り、、日本で最初に活版印刷がおこなわれた町です。


また、大智禅師ゆかりの巌吼寺を麓に置く岩戸山があり、この岩戸山については、ルイス

フロイスの「日本史」にも出てくるところです。


加津佐の風光明媚な風景は、ブログの「かづさふるさと紀行」をご覧下さい。私の方も、い

ずれ加津佐を訪れ、ブログに載せたいと思っています。


この駅に関しては、「子どもと歩く戦争遺産Ⅲ」(熊本の戦争遺跡研究会)によると、岩戸

山に砲台が設けらていたそうですが、「海上を照らす探照灯は、とうとう設置されず、加津

佐駅内に待機したままで敗戦を迎えました。」との話が載っておりました。


さて、最後になりますが、大正11年に口之津鉄道が開業をし、昭和3年に加津佐まで全

線開通、昭和18年に島原鉄道が合併、平成20年に、島原外港駅~加津佐駅が廃止に

なるわけですが、この間、第二次大戦があり、髙成長の時代があり、バルブがあり、ま

た、雲仙普賢岳による災害があり、その他いろいろな時代を経てきた鉄道だったと思いま

す。


出征兵士として、金の卵として、就職で、結婚で故郷を後にした人、出世して、また定年

で、そして傷心を負って故郷に戻って来た方。朝夕の通勤通学に使われた方。


廃線の跡に立ってみて、いろいろな人生を運んできた事を思うと、何となくジンと来るもの

がありました。跡地がどうなるかは分かりませんが、廃線になって約4年半。10年目にな

ったらどうなっているか、また、訪れたいと思います。 

                               (島原鉄道南目線廃線駅終り)


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2012年8月24日 (金)

島原鉄道南目線廃線駅(6)~東大屋駅・口之津駅・白浜海水浴場前駅

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「有馬吉川駅」から4.0kmで「東大屋駅」に着きます。駅は少し入り込んだところにあり、待

合所の横に珍しくトイレが設置してありました。


以前の写真を見ると、待合室の後ろ側に、「東大屋駅」という大きな看板があったのです

が、撤去されてありました。

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この駅、意外と雑草も少なくスッキリしていました。ホーム1面、線路1線。昭和3年開業。


「東大屋駅」から1.2kmで「口之津駅」に着きますが、ここは、駅らしきものはなく、ウロウロ

していたら、

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島原バスの営業所がありましたが、バスの車庫になっているみたいで、この後の方に、線

路跡がありました。駅舎は撤去されたのでしょう。


多分、列車の乗降口になるところでしょう。「ワンマン下りのりば」の文字が。ホーム一面、

線路1線の駅です。昭和3年開業。

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この口之津町にある口之津港は、永禄十年(1567)にポルトガル船3隻が入港し、南蛮

貿易港の一つであり、宣教師も多かったそうです。キリシタンの町でもあり、「口之津町史 

郷土の歩み」の中に、永禄11年(1568)「口之津の全人口1,200人、全員キリシタンと

なる。」との記述もあります。


「口之津駅」から1.0kmで「白浜海水浴場前駅」があります。

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ホーム1面、単線の駅です。昭和7年「女学校前駅」として開業したそうです。


この白浜海岸の砂丘から数基のキリシタン墓碑が発見されたといますが、県指定の墓碑

が展示されています。

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小型ではありますが、花十字入りの実に美しい形をした、樽型の墓碑です。


なお、ここの近くに、「流死者供養塔」があります。

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寛政3年(1791)に、雲仙岳で地震が群発し、4月に前山(眉山)が崩壊し、島原城下を

埋め、津波を起こし、対岸の天草、熊本地方にも被害をもたらし、島原領9,640人、天

草領343人、熊本領5,653人、合計14,636人の流死者を出しており、各海岸には流

死者が打ち寄せたそうです。「島原大変肥後迷惑」と言われています。


その霊を供養するため、島原領内に「流死者供養塔」を建てたそうで、その一つがこの白

浜に建てられています。真ん中の大きいのは、昭和53年に町内有志の手で建立された

そうですが、左側にも石碑がありますが、そのうちの一つ

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寛政4年の文字が彫られていますから(表は「流死塔」の文字)、これが最初に建てられた

ものだと思われます。   (参考:「口之津町史 郷土の歩み」)

いよいよ次回は最後の「加津佐駅」です。


今日は旧暦の七夕。織り姫さんと彦星さん、逢えたらチュの前に、ポチよ。

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2012年8月21日 (火)

島原鉄道南目線廃線駅(5)~北有馬駅・常光寺前駅・浦田観音駅・原城駅・有馬吉川駅

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西有家町の「龍石駅」から1.9kmで「北有馬駅」に着きます。北有馬町唯一の駅でした。

キリシタン大名 有馬晴信の居城「日野江城」があるところで、調査、整備がおこなわれ

るそうです。

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2面のホームと、線路2線。


「北有馬町」から0.8kmで「常光寺前駅」に着きます。大正15年に開業。

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常光寺前駅の後には、田んぼが広がっていました。

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ホームが1面、線路1線。南有馬町(現南島原市南有馬町)。ホームのところに、説明版

が立っていて、「百間馬場 有馬氏時代騎馬武者が日野江城と原城を往来したところで、

北岡の田園地帯は乗馬の練習場として使用した場所といわれている。」と書いてありま

す。

「常光寺前駅」から1.0kmで「浦田観音駅」に着きます。

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ホームが1面、線路1線。昭和7年の営業です。待合室にフォークリフトが置いてありまり

ました。南有馬町です。



浦田観音は、有馬晴信の子供が生まれたとき、乳不足で観音菩薩の祠を作り、祈願した

ところ乳が出るようになったそうで、乳出の守り本尊になったそうです。

行って見ようかと思ったのですが、おじさんにはあまり関係ないのでスルーしました。


「浦田観音」駅から1.1kmで「原城駅」に着きます。

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「原城駅」の前の駐車場は、飲食店の駐車場になっているようでした。駐車場の所有者は

もちろん島原鉄道株式会社です。

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この「原城駅」は立入禁止になっており、多分他の駅も徐々に立入禁止になるのではない

でしょうか。駅舎左側には駐輪場と、映画館の看板の枠が残っていました。

大正15年に開業。2つのホームと、線路2線の駅です。南有馬町です。


「原城駅」から2.4kmで「有馬吉川駅」に着きます。

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「有馬吉川」はこの路地の突き当たりになります。

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駅の所に記念碑があって、「有馬吉川驛建設記念」と書いてあり、文字が随分薄れている

のですが、「大正15年」に建てられたみたいで、「金○○円也○○○○(氏名)」とびった

りと彫られていました。読んでいるとバイクでおじさんが寄ってきて、30分ほど立ち話をし

てきましたが、この記念碑の後の駐車場に駅舎が建っていたそうで、その建設費を寄付

した方の名前が書いてあるそうです。


しかし、記念碑が「大正15年」で、記録によるとこの駅の開業が「昭和3年」で少しズレが

あるのですが、駅舎から先に作ったのかな?


この駅に張ってあった時刻表を外して、近所の幼稚園に置いているとのことでした。

待合所後に駅名のプレート、ホームに駅名の標識があったそうですが、記念に貰ってお

けば良かったとの事でした。南有馬町です。


加津佐町まであと4駅です。


一日の終わりは、お休みのチュッとポチでね。(私の所はしませんが・・・)

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2012年8月18日 (土)

島原鉄道南目線廃線駅(4)~堂崎駅・蒲河駅・有家駅・西有家駅・龍石駅

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「布津駅」から3km「堂崎駅」に着きます。有家町(現南島原市有家町)です。

プラットフォームの横に、現役の公衆電話と史跡の標柱が。ここの駅の所に「堂崎尋常小

学校」があったのでしょう。下の左の写真の待合所の後に「堂崎駅」の看板があったはず

なのですが、撤去してありませんでした。奥の方には自転車の駐輪場が。かなりの台数が

停められるようでした。

この駅が、大正11年、口之津鉄道開業当時の終着駅になります。ホームが一つと、線路

単線です。


「堂崎駅」から1,5kmで「蒲河(かまが)駅」になります。「蒲河駅」は坂を少し登った所にあり

ます。有家町です。昭和7年に開業。

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駅のそばに駐輪場がありましたが、ご覧の通り草に覆われていました。単式ホーム、線

路は単線。


「蒲河駅」から1,5kmで「有家駅」に着きます。

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有家駅はバスの発着所になっているみたいで、数台のバスが停めてありました。駅舎は

そのままにしてあり、待合室はそのまま島原バスの待合室として使われています。

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線路を敷くとそのまま使えそうな感じですが。ホーム2面、路線2線。


「有家駅」から1.3kmで「西有家駅」につきます。有家町、西有家町といえば「そうめん」の

町。

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駅の事務所はブラインドがあって覗けませんでした。少し離れた所に信号機が・・・

ホーム一面。線路単線。


「西有家駅」から2.2kmで「龍石駅」があるはずなんですが?

行ったり来たりして捜たのですがどこにもありません。やっと近くの方に聞いたところ。どう

もここらしかったのですが、完全撤去でしょう。フェンスの右側が線路だったことは間違い

ありません。西有家町(現南島原市西有家町)です。

Photo_17

次回は「北有馬駅」からです。加津佐駅まであと9駅です。

(各写真クリックすると拡大します)


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2012年8月16日 (木)

島原鉄道南目線廃線駅(3)~瀬野深江駅・深江駅・布津新田駅・布津駅

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安徳駅からすぐの所の鉄橋です。左が廃線になった鉄橋、右が国道の鉄橋になります。

下に流れるのが水無川です。「安徳駅」までは島原市になります。


「安徳駅」から2.1kmで「瀬野(せの)深江駅」駅に着きます。ここから深江町(現南島原市

深江町)になります。昭和7年から開業。

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ホームが1面と単線。待合所が置かれてありますが、ここにも廃線のお知らせのポスター

が張ったままでした。災害のため平成5年営業休止、平成9年営業再開。


「瀬野深江駅」から2.1kmで「深江駅」に着きます。

Photo_4 Photo_13

ホームが2面、線路が2線。駅舎の中には待合室と事務室があります。

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普賢災害の時の写真などが、まだ張ったままにしてありました。「ご支援ありがとうござい

ます」「新たなる旅立ち 新生 深江町へようこそ」の文字が・・・


「深江駅」から2.4kmで「布津新田駅」につきます。ここから布津町(現南島原市布津町)に

なります。

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線路跡は草が覆い尽くしていました。駅の後は保育園だったか幼稚園のようでした。

Photo_9 Photo_10

駅はこの路地の突き当たりにあります。近くに、気にいったお堂があったのでパチリ。


「布津新田駅」から1.9kmで「布津」駅に着きます。

Photo_11 Photo_14

ホームが2面。線路が2線。駅舎の中には待合室と事務室が。

ホームから少し離れたところに、プレハブのような小屋があり「第4保線分區」と書いてあり

ました。

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右の写真、どこだったか思い出せません。


次回は「堂崎駅」からです。加津佐駅まであと14。長いですね。まあ、最後までおつきあい

を。(写真はクリックすると大きくなります)


盆が過ぎるとすぐにお正月。ポチポチ年賀状のアイディアでも考えるか。ポチね。

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2012年8月15日 (水)

島原鉄道南目線廃線駅(2)~秩父が浦駅・安徳駅

少しばかり説明を。

島原鉄道南目線は、「口之津鉄道」により、大正11年に島原湊駅(現南島原駅)~堂崎

間(南島原市有家町)が開業。大正15年に堂崎~南有馬(原城駅)、昭和3年に南有馬

~加津佐まで全線開業。昭和18年島原鉄道が口之津鉄道を合併しています。


「秩父が浦駅」です。島原外港駅から1.1km。いかにもローカル駅という感じ。

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ホームには待合所が設置してありますが、基本的には他の駅もほとんど同じ作りです。

単線、ホームもひとつだけの無人駅。昔は下の写真の様に、駅の標記があったのです

が、ほとんど他の駅も撤去されていました。(下の駅は現在も運行の北目線の阿母崎駅)

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「秩父が浦駅」の待合所の先の方に黄色棒が少し見えますが、安全確認のためのミラー

が設置してあったのでしょう。撤去してありました。もちろん線路も全撤去です。


駅の側の道路に、線路の一部が残っていました。

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鉄路の間がアスファルトで埋められていますが、どうも、線路があると一時停止をする習

慣があって、 線路跡の手前で一時停止をしてしまってから苦笑い。


写真を撮っていると、近くのおばさんが寄ってきて、少し話をしましたが、向こう側からこち

らに来るときは止まらなくても良いのですが、長年の習慣が残っているのでしょう、やはり

線路跡の所で一時停止をするそうです。


「安徳駅」です。「秩父が浦駅」から1.1km。大正11年に「安中村駅」として開業、昭和35年

に「安徳駅」に改称したそうです。

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「安徳駅」は高架の上にあります。もちろん立入禁止になっていました。

普賢岳の火砕流で平成5年に営業休止、平成9年に100mばかり移動して、高架駅になっ

て再開。

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四角いところに、「安徳駅 ANTOK ST」の看板が。左か鉄橋になっており、国道の鉄橋と

平行に走っています。国道からよく見えます。


次回は、「瀬野深江駅」からです。加津佐まで、あと18駅です。


お盆も今日まで、長崎では派手に「精霊流し」。田舎は静かなものです。長崎育ちなもので

この時期になると血が騒ぎます。ポチね。

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2012年8月14日 (火)

島原鉄道南目線廃線駅(1)~はじめに

Google1

女性から「おじさんっぽい」と思われてしまう趣味9パターンというのが書いてありまして、

1 服装からイケてない「釣り」

2 おじさんを通り越してお爺さんっぽい「盆栽」

3 接待のイメージがつきまとう「ゴルフ」

4 画的にも地味すぎる「切手集め」

5 縁側で指しているイメージがある「将棋」

6 オタクな印象がぬぐえない「鉄道」

7 雀荘の荒んだイメージが頭に浮かぶ「麻雀」

8 ほっこりしすぎな感もある「温泉めぐり」

9 それなりの年齢にならないと楽しめなさそうな「骨董収集」

だそうなんですが、まあ、今から若い子にもてようとも思わないし、喋っていても話は合わ

なくて、疲れてしまうし・・・


さて、今回はこの「6」の鉄道で迫ります。どうせ、おじさんなんだから。


上の地図、アバウトで大体こんなもんかと思って下さい。黒い四角が諫早市、黄色い四角

が島原市、赤い四角が加津佐町(南島原市)あたり。


ここを、島原鉄道が通っており、諫早駅~南島原駅(島原市)を北目線、南島原駅~加津

佐駅を南目線といっていたのですが、この南目線、南島原駅と島原外港駅が残っていま

すから、正確には全線廃止というわけでは無いのですが、その他の駅は全部廃止になっ

ています。

P6180059

まだ、廃駅に残っている張り紙。

「平成20年4月1日、鉄道一部区間(島原外港~加津佐間)を廃止しました」の文字。あ

れから4年半ほどですか。


某日、何となく廃駅を訪れてみると、ふと「兵どもが夢のあと」という句をふと思い出しまし

て、これからどうなるかも分からないし、今のうちに、記録してみようと2~3日かけて回っ

て見ました。


写真を撮りすぎてどれがどれだか分からなくなり、整理しながら、何日かかるか分かりま

せんし、飛び飛びになると思いますが、ひたすら廃駅の写真をご覧いただきたいと思いま

す。


私自身は、南目線を2回ほどしか利用したことがなく、間違いもあるかと思いますので、

気がつかれた方はコメント欄で指摘を御願いします。

P6290067

懐かしいですね。島原の映画館の看板を張ってあったのですが。何となく哀愁を誘います

ね。(歳ですかね・・・・)


こちらは、南目線で残っている「南島原駅」。この風格が何ともいえません。好きな風景で

す。入り口上の大きな時計の風格。駅の半分はお薬やさんが使ってているのですが・・・

Photo

最終駅の「島原外港駅」。これから先が廃線になっています。

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