神社

2020年1月 7日 (火)

橘神社の「七草粥」の振る舞い

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今日1月7日は、いつものように橘神社で「七草粥」の振る舞い。いつものように、七草の見本と押し花が飾られていました。

朝から雨で、今日はお参りの人が少ないかなと思い、最初に神社にお参りに行ったら、拝殿一杯の人のお祓い。後で聞けば、わざわざ波佐見町からのバスツアーで、この後、雲仙に行って温泉神社にお参り、お風呂に入って昼食、島原の霊丘神社へお参りとか。


で、こりゃいかんと七草の振る舞いの所へ急ぎました。とにかく、これだけの人がドットくると無くなってしまう。


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最初は左側のようにボチボチという状態だったのですが、団体のお祓いが終わるとアッというまに満員でした。早く食べて、よかった。

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いつものように神社で採れた梅で作った特製の梅干し。いつもの味の七草粥。神社で食べる七草粥は家で食べるのと違ってありがたみがあります。

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ということで、夕食も思ったとおり七草粥でした。

 

            昼夕と七草粥の続きけり
            夫婦茶碗年に一度の七草粥
            コンビニに七草粥はなかりけり




2020年1月 3日 (金)

陶器製鳥居「宮地嶽・天満宮神社」そして「諌早神社」幻の陶器製鳥居~長崎市・諫早市

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長崎市八幡町にある「宮地嶽八幡神社」。ここに「陶器製鳥居」があります。二ノ鳥居が「陶器製鳥居」。
説明版は下の通りですが、クリックすると拡大します。

私がこの鳥居に興味を持ったのは、以前、諌早神社の肥前鳥居の事を書いたとき、小澤さんという方からコメントをいただき、諌早神社の鳥居につき本を紹介していただき、このコメントの中に「諌早神社にあった陶器製(甕器)鳥居が」と書いてあったので、マジ~と思ってネットで調べたら、佐賀県の「陶山神社」「松原神社」とここ長崎市の「宮地八幡神社」の事が書いてあったからです。他にも2,3情報がありましたが、これは該当するところが見当たりませんでした。


「宮地嶽神社・天満神社」の鳥居は「文化庁 登録有形文化財 景観重要建造物」「長崎市 景観重要建造物」「長崎県まちづくり景観資産」に登録されています。


佐賀県の「陶山神社」の鳥居は「明治21年 奉納」とあるそうです。


「松原神社」は多分「佐嘉神社」神社の敷内社みたいです。現地案内版によると「明治23年庚寅10月」「製造 岩屋久吉」「角物細工人 鐘ヶ江長作」「丸物細工人 峰熊一」となっているそうです。


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見事な唐草模様です。

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作られたのが明治21年。製作者が「製造人 岩尾久吉」「角物細工人 金ヶ江長作」「丸物細工人 峰熊一」。書いたもので無く焼き込んであります。佐賀の「松原神社」は「明治23年」ですから、こちらの方が先に作られた事が分かります。
「金ヶ江」「鐘ヶ江」の違いはありますが、他の二名は同じなので、同じ職人さんが作ったのでしょう。

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触るなチューのにと書いてあるのに、見ていたら皆さん触っていました。おかげでキズが入ってました、ということは無いでしょうが・・・

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神社です。拝殿(後ろに本殿があります)と案内版。案内版はクリックすると拡大します。八幡神社は昔「大覚院」と言っていたのを、明治の神仏混交廃止により「八幡神社」に改称したそうです。「相殿の宮地嶽神社は明治11年(1878年)福岡県宗像郡宮地嶽神社の分霊が奉祠されたものである。」と書いてありますから、ネットあたりでは「宮地嶽神社」と書いてありますが、「八幡神社・宮地嶽神社」が正解とは思うのですが、あまり細かいことは言わないで・・・

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とはいえ、「八幡神社」「宮地嶽神社」が並列で書かれていました。
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外に、境内社が色々と祀られていました。

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狛犬さん、形から見てかなり古いみたいで、なんとなく犬さんみたいでカワユイ。流行の💓ストーンで真ん中の矢が良いですね。ハートを射止めるですね。グッドジョブ。

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おじいさんがいたので、聞いてみたらこのあたりも随分と変わって、昔は神社の向こう側はシイの木などがあり、よく遊んだそうです。また、原爆が落ちたときは、家の柱などは残ったものの、壁などは崩れ落ちたそうです。原爆の中心地とは一山隔てていますが。鳥居もよく残ったものだと思います。

「宮地嶽・天満神社」の鳥居は素晴らしいもので、長崎も、もっとPRしても良いのではないかと思いました。とにかく、調べた範囲では日本に3基しかない鳥居です。是非、皆さんにも見てもらいたいものです。撫でないように・・・


さて、諌早にあった陶器製の鳥居です。小澤さんから紹介された「鳥居考」(津村勇著)に下のように書いてありました。


「長崎縣・縣社諌早神社の境内には左圖(注:下の写真)の如く、『大正八年當村内崎左衛門寄進、細工人品川利夫』」と書かれています。なお、小澤さんによれば「この鳥居、諌早街道にあった小松亀山焼製なのか山口牟礼焼製なのか議論があるところです・・・」と書かれてあって、かなり郷土史を勉強されている方と思われます。


この場を借りて、お礼を申し上げます。


さて、私の手持ちの本「鳥居の研究」(根岸榮隆著)にも諌早神社、松原神社の鳥居のことが書いてあり・・・


「記録によると、昔江戸に陶器の鳥居もあつたそうであるが、普及性が無かったものと見えて遺物はない。現在では長崎縣諌早神社に大正八年に造ったのがあり、佐賀の松原神社にも小型のがある。にしても、残念ながら大したものとは云えない・・・」


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とはいえ、この鳥居、諌早水害で流失しまい今はありませんが、残っていて欲しかったと思います




2020年1月 1日 (水)

本当の「初詣」~橘神社情報(雲仙市千々石町)

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昨日、初詣の前詣の事を書きましたが、子どもが帰ってきたので、今日また神社巡りをしてきました。

朝から天満宮、千々石の温泉神社へ「本当の『初詣』」、墓参り(二ヵ所)、親戚回り。したら、カミサンが願い事があるとかで、雲仙の温泉神社へ行き、釈迦堂を見て、大黒天を見て(以上は以前ブログに書いているので写真は省略)、で、家に戻ったら四時半。


そのまま歩いて橘神社へ。お参りの人が多いかなと思ったら、昨年より若干少ない感じ。社務所はお守りとか、破魔矢とか、おみくじを買う人で一杯。
まあ、そう待たなくても、お参りも社務所での買い物もできる状態でした。

ただ、国道は混みます。国道は混むので、橘神社をパスして小浜・雲仙方面に行く方は、商店街の道を選ぶ人もいますが、これまた道路が一杯になっていて、どちらが良いかは運次第。


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左の場所、いつもは農具とか、竹の細工物を売っていたテントがあったのですが、空間が寂しい。
参道も昔は左右に出店があったのですが、段々少なくなってきているようで、悲しい。

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駐車場は少ないので、役場の駐車場を開放しているようですが「満車」の看板。地元の人は道を知っているので、中学校に停めていますが、左の写真の様にバカな停めかたをしているのもいて、これじゃ神様にいくらお願いしても、きいてくれないでしょう。

途中ブラブラして久しぶりにポケGOをしていたら、ピカチュウさんと出会い「お久しぶり~ネ、おめでとうございます」と挨拶をされました。


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忘れていました、以前紹介をしましたが千々石の温泉神社で長崎県神社庁発行の「神社廳暦」を買いました。これ持っていると、県内の神社の行事がベラリ書いてあるので、祭り好きな方には超便利です。「一月廿七日(日)対馬市厳原町豆酢・雷神社・例祭・亀ト神事(旧暦)」などです。

あと、「もぐら打」「苗しろごもり」「風鎮祭」「山の神のせち洗い」「二日灸」など、まったく知らない、知ってても曖昧にしか知らない一年の行事の説明もしてあるので、チョットした知識を得るのに役に立ちます。お求めは、各神社の社務所に聞けば分かると思います。確か2、3百円だったかな?



2019年12月31日 (火)

一足お先に「初詣」

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今日、1月31日、一足お先に「初詣」に行ってきました。

おかしい?だって、結婚式の写真撮りだって、前撮りするのが当たり前じゃありませんか。だったら、初詣の前詣があっても良いじゃないっスカ。


ということで、一番身近な「天満宮」から。天正少年遺欧使節の一員、千々石ミゲルのお父さんが龍造寺に滅ぼされた時、”この地に平和を”ということで、天満宮の建立を願って亡くなり、時代を経て建てられた神社です。


千々石ミゲルは戦火をくぐり抜け、大村に落ち延びています。抜け穴ではないかと言われる穴(崩れていますが)もあります。


天満宮の写真は拝殿。本殿はこの後ろにあります。ただ、ここまで来るのは階段がキツくって・・・


なお、この神社の上が釜蓋城になります。グラウンドができてますが、お年寄りのかたに聞いたら以前は畑があったとかで、やはり館などがあったと思われます。


以前、隣町のかたが「千々石ミゲル」なんて知らないと言っておられましたが、KTNテレビ(東京では見られません)で「ローマへ渡った天正少年~千々石ミゲルの選んだ道~」ということで、1月2日午後2時35分から1時間の特集番組で放映されるそうですから是非ご覧下さい。この天満宮にも撮影が来たそうですから多分写ると思います。


右の映像、天守閣みたいなのが写っていますが、これ、単なる展望台です。天守閣ではありません。この展望台を作ったところ、某行政機関から、天守閣があったと誤解される、という苦言があったそうです。

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次に、千々石町の守り神「温泉神社」へ。ここは、雲仙の温泉神社の分社になります。

昔は「四面宮」。旧四面宮は千々石町、有家町、吾妻町(ここは「温泉神社」の名前です)、諌早(諌早だけは「諌早神社」になっています)。今は、あちらこちら温泉神社がありますが、本来の「温泉神社(旧四面宮)」はこの四社です。


いつものように、知恵の輪ではなく「茅の輪」が準備されています。


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お屠蘇に御神酒に白酒、ノンアルコールの甘酒。飲み放題、かどうかは知りませんが・・・

今年初めてお目見えの「願石」。「願石」に触れ、願い事を書いて下の箱に入れるそうです。「これどうしたの?」と尋ねたら、町村合併で以前、「雲仙市商工会千々石支所」がありましたが、これも雲仙市商工会一本になり、千々石支所もなくなり、そこに飾られていたのが「願石」。捨てるわけにもいかないので、神社に移したものだそうです。グッドアイディアですね(^_^)v。


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最後が「橘神社」。大門松があなたをお待ちしております。

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ということで、初詣の前詣が無事終わりました。皆様も来年も良いお年を・・・🎍。




2019年11月10日 (日)

千々石町小倉地区「天満宮」しめ縄作り

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もうすぐ、神迎え、正月ということで、地区の守り神「天満宮」のしめ縄の張り替え。

天気にもめぐまれ、12,3人集まって始めに皆で藁を5,6本程度にまとめます。本来なら「おとうは土間で藁打ち仕事・・・」と言うことなのですが、これやると時間が無いので、現在は点圧機で藁を柔らくします。町内の2,3ヵ所、しめ縄作りを見ましたが、どこ皆同じですね。


しめ縄作りも、地区によって違うようで、端から巻くところもありますが、こちらでは中央を最初に決め、端の方へと巻いていきます。


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あとは、最初に纏めた藁を入れ込みながら、右へひねって左の人へと渡す。これ、お互いに息が合ってないと難しいですね。

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あと、ヒゲをきれいに切り、できあがり。左のしめ縄は去年のもので、随分古びて垂れ下がっているのが分かります。ロープが入っているので、切れはしませんが。新しいしめ縄に替えて一番上の写真、スッキリして良い新年が迎えられそうです。

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さて、あとで一番上の写真を見て、あれ?
カンの良い方はお分かりでしょうが、紙のピラピラ(紙垂・しで)が、本当は間になければならないのですが、重ねってしまっています。まあ、千々石流だと言い張れば良いでしょうが。


昔は葬式など、各家で行い、進行、受付、炊き出しなど自治会でやって、近所の人と顔を合わせる機会も多かったのですが、最近は葬儀社ばかりになりました。なかなか近所の人とも会うことが少なくなりました。お互い、何かと忙しいでしょうが、このような機会も必要だと感じた、一日でした。




2019年2月 4日 (月)

「荒飛甚太夫」とは何者か?~千々石町温泉神社力石について

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千々石町「温泉神社(旧四面宮)」にある「力石」です。

以前は彫られた字も、もう少しはっきりしていたのですが、「力石」と中央に彫られた文字以外は摩耗しています。

がですね、ちゃんと調べた方がおり、四日市大学健康科学研究室、高橋愼助氏(2009年現在)の「九州・沖縄の力石」(他、全国の力石についての著作有り)の雲仙市のなかに

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①「奉納 力石 目方三百四十斤 東京相撲 荒飛甚大夫 明治十六年三月九日」  66㎝×37㎝×32㎝

となっています。

「千々石町郷土誌」には、「怪力無比『荒飛』」の話として、概略書くと。

時代不明。
子供の頃から、力持ち。皆にすすめられ江戸(東京)に上がり相撲取りに。グングン位も上がり、このままでは横綱大関を倒すのも、もうすぐだろうと噂に上がるようになり、これを聞いた横綱が無法者を雇って殺そうとしたところ、これを耳にした横綱宅の女中が、可愛そうに思って荒飛に知らせたそうです。

荒飛は怒り悲しみ、こんなつまらない世界にいても仕様が無いと千々石に帰って百姓になったそうです。

ある日、曲がりの浜から石を一つ持ち帰りお四面さん(現温泉神社)の前に置き、青年たちに持ち上げさせたが、誰一人持ち上げる者はいなかったそうです。
で、「この石はなお、お四面さんの社前にある。」ということで、上の写真の力石です。ということです。

この「荒飛」がどういう人物なのか興味があり、ベースボールマガジン社の「大相撲人物大辞典」(大相撲三百年のなかで、それぞれの時代の幕の内の力士のデーターが書いてあります)。これを読むと荒飛という力士が2名書いてあり、1名は

出身 千葉県市川市湊周辺
生年月日 安永八年
初土俵 寛政十年三月場所 幕内付出
入幕 寛政十年三月場所 幕内付出
最終場所 文化四年二月場所 

となっていますが、初場所がいきなり前頭付出ですから、実力はあったと見られたのでしょうが、その後の成績はあまりパッとしませんが、「荒飛の四股名は伊勢ノ海部屋の出世名として、代々受け継がれた」そうです。

もう一人の「荒飛甚太夫」は下のとおりです。

出身は栃木県、所属部屋は伊勢の海部屋。前の荒飛と一緒の部屋ですから、出世名を継いだわけですが、成績はパッとしません。

さて、こちらの荒飛は、初土俵が明治七年十二月場所、十両昇進が明治十五年、入幕が明治十七年。最終場所が明治十八年ですが、この年脱走。「これという戦歴もなく平凡な者であった」。「十八年の京都相撲で内幕であるが、その後は消息不明」ということです。

力石に彫ってあるのが明治十六年、明治十六年はまだ荒飛は東京相撲にいます。

考えるに、同時代には同じ四股名を持った力士は無く、例えば、「白鵬」という四股名を持った力士は二人は居ません。と考えれば、明治16年には「荒飛」の四股名を持った力士は一名しかいないということです。

ということは、出身地が違い、横綱が殺そうと思うほど強くは無く、と言うことですが、「荒飛」とはこの力士ではなかったかと思うのですが。

で、なぜ、この「荒飛」が力石を奉納したのかが謎ですが、かなり高齢の方に聞いたところ、昔、巡業があったというで、多分こちらにも回ってきたのではないかと思われます。

なお、千々石で無くとも、時代は違いますが、隣町の小浜町は玉垣額之助という有名な力士を生んだところであり、小浜に大相撲が巡業したことは十分に考えられ、その折り、有名であった千々石の「温泉神社(旧四面宮)」に力石を奉納したとも考えられるところです。

ただ、大相撲の巡業の記録は全くないので、手がかりが無いのですが、下の「荒飛甚太夫」の記録と照らし合わせればピッタリだと思うのですが・・・・

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       (ベースマガジン社刊「大相撲人物大辞典」より

2018年11月24日 (土)

「橘神社大門松」作り始まる&「天満宮神迎え」

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昨日、橘神社の近くを通っていたら大門松の作り始めの第一日目でした。お払いは神社の方で済ませ、さっそくの作業です。

聴いてみたら、大門松の完成竣工式は、まだ決まっていないようでしたが、昨年が12月23日でした。詳しくは社務所までお問い合わせを。

作っているのはボランティアの方々で、大変だと思いますが、大門松を楽しみに見にこられる方が大勢おられるので、頑張っていただきたいと思います。

昨年の、完成竣工式です。

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さて、夜は「天満宮」の神迎えで、 出雲大社より神様が戻ってこられるのでみんなでお迎えを。昨日はウチの神社だけでしたが、神主さんの話では今日は2ヵ所で神迎えだそうです


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神様が戻ってこられるのが遅い時間なので、それまで、何やらかにやら喋っている時間が楽しいですね。古老の方から昔話を聞きながら、勉強になりました。

神事の後、直来(なおらい)ですが、差し入れで、参加の方から五島のキビナゴ。ウチでガスや電気で焼いてお皿で食べるのではなく、炭火で焼きながら食べると、全然旨さが違いますネ。

最近は近所づきあいが薄れてきていると言われますが、こんな集まりも楽しいです。

さて、神様が帰ってこられるとき、風がまったく無かったのに、突如旗がバタバタとなったりします。「神様が帰ってこらしたばい」。

昨年は、電気の明かりと提灯の明かりが、ふと暗くなり、神様が帰ってこられた感じでした。宮司さんに聴くと、はやり他の所でも同じような事があるとの事。

今年は、話をしているとき、背中に冷たいながらも清らかな感じの風が感じられ、あ~、帰ってこられたな、と感じたものでした。


2018年11月18日 (日)

「天満宮」のしめ縄づくり~千々石町天満宮

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今月23日に神迎えがあるので、新しいしめ縄でお迎えしようと、ここ「天満宮」のしめ縄作りをしました。

天満宮は、伝として、天正少年遺欧使節千々石ミゲルの父が龍造寺に滅ぼされるとき、平和が訪れるよう、天満宮を作ってくれと言って亡くなったそうです。
千々石ミゲルは、その戦火の中を逃れたと言われています。

まず、千歯扱きで右の写真のような、藁のいらないところを取り去ります。

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で、この藁を柔らかくするわけですが、むかしは「おとうは土間で藁打ち仕事・・・」という歌がありますが、土間で藁打ち仕事では、とてもじゃないので建設機材の点圧機を使い、柔らかくし右のようにまとめます。

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真ん中を太くまとめ、右上の小さくまとめた藁を差し込みながら、段々長くしていきますが、これが大変で、3人一組で、小さくまとめた藁を差し込みながら、右にねじって左の人に渡していきます。ヘタすると、瘤のようなところができます。

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このままだと、藁が飛び出ているので、これを切り取ってキレイにします。

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鳥居が2本あるので、しめ縄を2本、できあがりです。

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「〆の子」というらしいのですが、これを6コ。

右は、ほうき草(コキア)で作ったホウキ、意外と使い易いですね。

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で、2ヵ所の鳥居にしめ縄を取り付けました。左は大正15年に建てられた鳥居。

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右は享和三年(1803)に建てられた鳥居。今から215年前です。

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実は、大正15年の鳥居は丸印の所に建てられていたのですが、上の方にグラウンドを作り、道路を作ったとき上に移設したそうです。

「千々石郷土誌」の天満宮の所には、

一の鳥居 1000年祭記念 明治三五年
二の鳥居 1025年祭記念 大正一五年

と書いてあるのですが、「享和三年」の鳥居の記載が無く、「明治三五年」の鳥居は現場には見当たりません。

郷土誌を作るとき、現場を見ていないことが分かります。郷土誌と言えば、町、市の基本資料でもあり、又、後世に残る物なので、もっとしっかり調べて貰いたいものだと思います。

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作業をしているとき、「トラ」という名の「ネコ」がジッと見つめておりました。
これで、神様も気持ちよくお帰りになれると思います。

皆様もお疲れ様でした。また来年。



2018年10月24日 (水)

2018「雲仙の紅葉(10月23日)」&「旧普賢神社の狛犬(黒田栄太郎さんか?)」~雲仙市小浜町雲仙

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月曜日、仁田峠が紅葉したというので見に行きました。もう一つ別の目的もあったのですが・・・・

階段が半分バリアーフリーになっていました。妙見岳山頂が紅葉の見頃だそうで、行っては見たかったのですが、用事でパス。上の写真のように、ロープウェイあたりは紅葉。下の方は、もう一息か?


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今日は、この普賢神社に用があったのですが・・・

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普賢神社は昔は普賢岳の下、崖の下にあったのですが、雲仙岳災害で埋もれてしまいました。

災害よりかなり以前の絵葉書ですが、風雨が強いためか、荒れているのが分かるかと思います。


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下は、「昭和貳年」の鳥居が写っている絵葉書。これを見ていて、ひょっと気づいたのが、赤丸印の狛犬さん。

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写真が荒れて分かりにくいのですが、ルーペで見ると、面構えが右の狛犬とそっくり。というより、同じ石工さんが彫ったものとわかります。

右の写真は雲仙の旅館街にある「温泉神社」の狛犬。向かって右側が吾妻町永中の方がもよって奉納したもの。左が、永中の「黒田栄太郎」さんが奉納したもの。

これと同じ型の物が、吾妻町の温泉神社にもあり、奉納者は「黒田栄太郎」さん。という事は、同じ型なので、普賢神社の狛犬も黒田栄太郎さんかもしれないと思い、ひょっとしたら、新しい普賢神社に運ばれて保管されいないかと行ってはみたのですが、残念ながらありませんでした。


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以前から、黒田栄太郎さんが奉納した狛犬等に、お目にかかることが多く、このブログでも数回取り上げ、興味を持っていたのですが、いまは、埋もれてしまった旧普賢神社。狛犬さんも埋もれていますが、是非見たいものでした。
黒田栄太郎さんが奉納された狛犬だと信じているのですが・・・・


2018年10月20日 (土)

「温泉神社秋の大祭」★千々石町&「ロマンスウェデング」★愛野町

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今日は千々石町温泉神社の秋の大祭、愛野町のロマンスウエディングが重なり、おまけに講演会が重なり、講演会はカットで、朝から祭り、昼から結婚式と回ってきました。

写真を撮っていると、カメラを持っている人同士なんとなく話をするもので、あちらの町、こちらの町でも祭りを止めたとかで、これでは、近い将来全滅するのではないかと心配です。

祭りは、村の鎮守の神様に奉納するもので、最近はイベント盛りで、ただ、面白い、きれいだというだけで、バックボーンがない気がします。単なる、観光客目当のイベントばかりになってきた感じです。

祭りは、夏頃から準備、練習をしますから大変です。昔は農家が多かったので良かったのですが、最近はサラリーマンが多く、市外通勤をしていますから、時間が取れない方が増えています。おまけに少子化、高齢化社会。

浮流の太鼓、笛の音、神社の境内にピッタリ。


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踊り終えた子どもたちですが、小さい子ども沢山もいました。良く合っていました。練習をかなりやったのでしょうが、このようなことも地域作りになると思うのですが・・・・

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婦人部の踊りです。こちらも、練習の成果ですね。💮(はなまる)です

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神事が行われているとき、各地区に分かれての記念撮影。各地区の公民館に行くと良く飾ってありますが、あ~俺もこんな若いときがあったのか、などの記念になります。

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そうこうするうちに、福石公園の御旅所までの行列。今年は野田名の当番。途中、要所、要所で浮流、踊りなどの披露をしますが、歩くだけでも大変な距離です。

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この後、役員さんが神器を持ったり、若い衆が御神輿を持って最後を歩いて行きました。

昔は、担いでいったそうですが、今は台車に変わりました。高齢者の方と話をしていると、昔は「回せ、回せ」といって、神輿を回していたそうですが、台車では無理ですね。

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さて、昼メシを食って愛野町の「ロマンスウェディング」に行ってきました。

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愛野町の教会で挙式を終わり、愛野駅に着いたのが午後1時。新郎、新婦それなりの方なので、少し車が窮屈だったか?

たむろするマスコミの記者。類は友を呼ぶか?いつもは他人を撮ってばかりなので、たまには撮られるのもいいでしょう。視聴料をとっている某TV局の方もいます。


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小浜中学校の吹奏楽部、お祝いの演奏。今年もマーチングバンドで、全国大会に出場するそうです。

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東京から駆けつけた「日本ロマンティスト協会」の会長さん。右が、「ロマンスカップル」の認定書です。

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今年は、小浜高校生がボランティアで参加したそうですが、小浜高校のフラダンスチーム。確か、初めてだったと思います。

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お馴染みになった「あいのん」と、「鯉駅長のさちゃん(島原鉄道のマスコットキャラクター)」、愛野保育園児による「あいのん体操」。

結婚式で最初の夫婦の共同作業と言えば、ケーキカットですが、ここでは「ハッピーバルーン」。大きな風船の中に、小さな風船が入っていて、おおきな風船を破ると、小さな風船が飛び出てきます。


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これ、キレイですよ。そのほか、いろいろあったのですが、カット。

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時間になったので、ホームへ。ところが、向かいのホームが次の吾妻町行きになるので、線路を渡って行きますが、新婦さん大変。

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特別列車です。

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「愛の駅」の次が「吾妻駅」で、「愛の(いとしの)吾妻(わがつま)」になり、次の吾妻駅でもイベントがあっています。

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祭りの演芸会が午後3時からで、回ろうと思ったのですが、今日は体調が悪く、家に帰ったらバタンと倒れ、そのまま5時まで熟睡。歳ですね。

若いお二人はいつまでもお幸せに。



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