神社

2020年11月 8日 (日)

令和2年「天満宮のしめ縄作り」

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正月を前に、自治会にある天満宮のしめ縄の張り替え。

この天満宮は「千々石ミゲル」の父が戦に敗れ亡くなるとき、平和を願い天満宮を作るように言い残し、後年建てられたという謂われがある神社です。

集まったメンバーが15名程度。

千歯こき。稲の穂を歯と歯の間に入れ、引っこ抜いて、籾粒を落とします。脱穀ですね。すでに脱穀は終わっている稲穂ですが、しめ縄に使うため、念のため千歯こきを使っています。鉄で作ったものもありますが、これは全部木で作ってあり、手作りですね。

この藁を柔らかくするため、道路工事用のローラーを使って・・・昔は「お父は土間で、藁打ち仕事・・・」とやっていましたが(私は見たことがありません。カミサンはガチ見ています。)・・・この歌、学校では教えていないので、知らない方は多いと思いますが・・・


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皆で右のように藁を作って行きます。これを、しめ縄を作るとき、差し込んでいきます。

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しめ縄にぶら下げる飾り物。右の写真の矢印は「はみきり」。牛や馬の餌の藁を小さく切るためのものですが、「押し切り」とも言っているみたいです。現在、農家でも牛や馬を飼っているところは無く、良くとっていたものです。ザックリと切れます。指など入れていると大変ですヨ。下の方を揃えます。

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いよいよ本番。しめ縄を巻いていきます。が、毎年のごとく、手順の確認。以前、手順を間違え、巻き終わったしめ縄の手を離した途端、バラッとほどけたそうです。

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巻いた後は、藁が飛び出ていますから切り取ります。散髪ですね。

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鳥居が二つありますから、2ヵ所へ取り付け。一年も経つと下へ垂れるので、少し上の方へと取り付け。で、完成。一番上の記念写真。

ところがですね、去年の写真と見比べれば、なんか変。よく見るとしめ縄につける、紙のピラピラ「紙垂」が無い。皆さん忘れていたのかな?


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帰りに「温泉神社」に寄ってみると、こちらも新しいしめ縄でした。本来、秋の大祭の担当地区が作るのですが、今年は祭りがコロナで中止になり、神社の総代さんを中心に作ったそうです。

鳥居の所に自動車が入っていたので、神様に無礼ではないかと思ったら、自動車のお祓いでした。


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しめ縄作るとき、縄を右に巻いたり、左に巻いたりの違いがあるそうです。また、真ん中から巻いていく所、端の方から巻いていく所と違いがあるようです。ネットで、イロイロと流れているので、見ていくと面白いですよ。これで、新たな年を迎えられます。


2020年8月11日 (火)

橘神社「夏詣」&「湯立祭」

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橘神社で「湯立祭」があるとかで、お近くだから出かけてみました。

御手洗(みたらし)。花が浮かべてあり、「花手水」というらしく、とてもきれいでした。いつもの地元「ひまわりTV」さん。


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「夏詣」の文字。「夏詣」は東京浅草神社が発祥だそうです。一年の初めは「初詣」。後の半年を無事過ごせるように「夏詣」を始めたそうです。詳しくは、こちらをクリック→「浅草神社」

「夏詣」は長崎県では「御館山稲荷神社」、「小浜神社」、「橘神社」で実施しているそうです。「橘神社」は今年が初めてだそうです。


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最初に、神事があり祝詞など、続いて「湯立祭」。
最初に巫女さんのお神楽。お湯の所と、四隅で神楽舞。

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続いて、橘神社の宮司さんが刀を持って、お湯の所で、えぃ!やっ!と気合いを入れて、次に、最初の写真のようにお湯に手を入れるというより、掻き出すという感じで、すごかった。続いて竹の大きな御幣で勢いよく、お湯をかき回す!かき回す!写真に見るように、お湯があふれ出て・・・すごい迫力。

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次に、多分、他の神社の宮司さんだと思われますが、笹の付いた竹で、お湯を、見ている方に湯滴がかかるように、勢いよく振りかけます。この湯滴を浴びると無業息災、コロナ退散になり、私もたっぷりと浴びてきました。
 
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心配された雨は降らずにすみ、「肥前千々石鉄砲隊」の奉納演武。コロナ退散の祈りも込め・・・空砲とはいえ、いつものようにすごい轟音と煙幕。

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最後に、湯立神楽につかった竹の笹をいただきました。今日のメンバーの皆様。

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ということで、予定されていた、ミニコンサート、出店は中止になったものの、皆さんの無病息災、悪病退散を願う「夏詣」「湯立祭」は素晴らしいものでした。また、来年も開催されると思います。日程は橘神社のホームページ、Facebookなどでご確認のほどを。来年はお越しのほどを。


2020年6月 1日 (月)

諌早神社「アマビエさま」。その他。

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諌早神社に日本一の「アマエビさま」が奉納されたとかで、コロナが気になるのでお参りにいきました。

前にも書きましたが、諌早神社は雲仙の旧四面宮(現・温泉神社)の分社になります。


アマエビ様は体重ではなく、重量300㎏もあるそうです。説明版は下の通りです。クリックすると大きくなります。


これ、TVで放映されたとき、作ったのはあの人だなとピンと
きました。以前ブログでも紹介した、日本一のチェンーソーアートに輝いた「細麦(ささめむぎ)さくらや」さんのご主人でした。創作過程については→こちらをクリック

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社務所に行ってみたら、アマエビさまの型紙がおいてあり、いただいてきましたが、「諌早神社」のホームページでもダウンロードできるそうです。

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できあがりはこんな感じになります。諌早神社のホームページからです。

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で、ちょうど宮司さんがおられたので、以前から気になっていた陶器の鳥居があったのかどうか→こちらをクリック(最後の方にぼけた写真があります)を聞いたら、はやりあったとのことで、場所を尋ねたら旧社務所(?)から本殿(右の写真の奥の建物)に行くところにあったそうです。再建できないかとのお話でした。

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日はアマエビ様に参拝ができ。疑問に思っていたことが解決をし、佳き日でありました。

          アマエビに祈る神社の若葉かな sugikan



2020年4月15日 (水)

「四面宮ものがたり」

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昨日の長崎新聞。「『四面宮ものがたり』知って」と書いてあり、四面宮といえば、地元の温泉神社の事で、昔の人は今でも「おしめんさん」などと言っている方もいます。ということで、さっそく神社へ行っていただいてきました。

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パンフレットを作った理由として、四面宮の歴史などを紹介し、島原半島や諌早市の地域活性化などにつなげようと、県神社庁が作成をし「(各地の)神社のルーツを知り、郷土愛を育むことにつながれば」ということもあるようです。

なお、最近参拝者の減少、後継者不足の課題もあるということで、観光協会などと連携をし、「御朱印ツアーや島原半島の観光名所を絡めた神社巡りツアーを形にできれば。目指すところは一つのブーム化。神社へ来る人を増やし、地域振興や交流人口の増加を図る上で、パンフレットを最初の一手にしたい」ということだそうです。


「ツアー」「ブーム」「地域振興」「交流人口の増加」などという言葉を聞けば、なんとなく観光名所を売り込むような感じ。「神社」の本質はどうしたのさ?という感じでですが・・・

私、ウォーキングの時、良く神社にお参りをしていますが、心静かにお参りをしているとき、ツアーのお客さんがドットきて「わ~すごいパワースポット」「心が洗われるわ~」「宝くじに当たるようにお参りしよう~」とか横でペチャクチャ騒がれる、とですね・・・


とはいっても、パンフレットを読むと実に分かりやすく紹介してあります。雲仙が山岳信仰で栄えたこと、中国に修行に渡るとき雲仙岳が「日本山」と呼ばれたこと、四面宮の誕生についてなど書かれてあります。


「四面宮ものがたり」が手に入らない方は、「shimengu-jinja.jp」で、あちらこちらをクリックすると、パンフレットがそのまま載っています→こちらをクリック


さて、ひとつ気にかかるのが、「四面信仰は島原半島を中心に広がっていきます。四面宮は、諌早市、雲仙市、島原市、南島原市、そして佐賀県にも次々に建立されていきました」というところで、四面宮は最初、島原半島の現南島原市の有家町、雲仙市の千々石町、吾妻町、諌早市に建立されました。


「大宝元年(701)には温泉神の分身末社として、山田神(吾妻町)、有江神(有家町)、千々石神(千々石町)、伊佐早神(諌早市)に勧請されたという。」(島原半島の歴史★松尾卓治監修)。


「『史籍集覧』『歴代鎮西要略』によれば大宝元年、(701)温泉山、温泉神社の分身末社として千々石、伊佐早(諌早)、山田、有江(有家)の神、四ヵ所勧請とある。」(有家町郷土誌)


とあり、「四面宮縁起」には「一宮東方・・・・二宮南方・・・・三宮西方・・・・四宮者(注:読みは「は」)北方」と言うように、雲仙の四面宮を中心に四つの末社があったことが分かります。「諌早市史」には「・・・・一の宮は千々石、二の宮は山田、三の宮は諌早、四の宮は有家であり、その神殿の方向は正しく各社共にその通りである」との記述があります。


ということで、「四面宮」の最初の四つの神社の場所を明記してほしかったと思います。


さて、神仏分離の関係で「四面宮」が「筑紫国魂神社(つくしくにたまじんじゃ)」に変更されたのが明治三年。島原藩主の業績、出来事を書いた「深溝世紀」には次のように書いてあります。


明治三年の部分。「十四日、神佛の混淆するを判ちてこの号を改む。温泉山四面宮は、筑紫国魂神社と曰い、五社神明宮は、延宝神社と曰い、祇園牛頭天王は八雲神社と曰い、山王社は日枝神社と曰い・・・」というように各神社の名前もかなり変えられており、神社の本来の事を知りたいのなら、昔の名前を調べることが必要になります。


千々石の「温泉神社」の場合には、以前にも紹介しましたが、明治八年の「神社明細調帳」には「・・・本称四面宮祭木仏明治二己巳年旧島原藩除木仏改社号祭日九月十九日」とあり、現在の「温泉神社」は「四面宮」といい、神社に「木仏」が祭ってあり、「神社」に「仏」ですから、神仏混交の神社であったことが分かります。明治二年に仏様が除かれ社号が変えられています。

さて、谷文晁の「日本名山圖」をみていたら「雲仙岳」と書いてありました。この頃は普通「温泉(うんぜん)嶽」と呼んでいたのですが、谷文晁さん「うんぜん」と聞いたので「温泉」と書かずに「雲仙」と書いたのかな?

「雲仙」「温泉」については、以前「温泉(うんぜん)から雲仙へ」で書いたので興味ある方は読んで下さい→こちらをクリック



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◆追記です。

「四面ものがたり」を入手するに当たり、→「こちらをクリック」と書きましたが、「リンク先がでない」というコメントをいただきました。「四面宮会」のホームページが変わっているようで、クリックすると「ページがみつかりませんでした」と出てきますが、右の方に「四面宮ものがたり」とありますから、それをクリックしたら出てきます。

このページの下に「この冊子のダウンローはこちらをクリックください。」とあるので、「クリック」のところをクリックすると、PDF版にて見られます。
もしくは、「四面宮会」で検索するとホームページがあるので、右の方に「四面宮会ホームページオープンしました 現在準備中です」とありますが、かまわずクリックすると「四面宮ホームページオープンしました」のページがあり、下の方に「四面宮ものがたり」とあるので、これをクリックするとみられます。なお、下にの方に「この冊子のダウンロードは・・・」とあるので、クリックすると、同様にPDFにて見られます。


2020年2月 6日 (木)

「鳥居の数え方」~庄屋さんの古文書より

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古文書研究会に入って二年。まだまだ思ったとおり読めません。

昨日、予習をしていると、赤の四角のところ「石鳥居 壱表」って書いてあるんですね。

最初は読み飛ばしましたが、途中で、あれ?鳥居の読み方は「基」ではなかったか?鳥居の数え方は「広辞苑」にも載ってないので、ネットで調べたら、やはり「基」しかありません。

この「基」という読み方古くからあったみたいで、「大鳥大明神書ー延喜22年(922)4月5日・和泉国大鳥神社流記帳『鳥居肆記〈略〉社前後各一』」(ネット「数え方単位事典」より)とあるそうですから、随分古くから使われていたと思われます。


鳥居については不明なところが多いみたいですが、呼び方として「鳥居」「鶏居」「花表」「鳥井」「花居」「華門」「華表」「鶏栖」「八宿」「華極」「天門」(「鳥居 百話百説」川口謙二・池田孝・池田政弘著」)といろいろあるようです。


さて、何故に庄屋さんが「基」ではなく「表」を使ったのか。一時、島原半島の神社を回った時、江戸期の鳥居は「石華表」と彫ったものが多く見受けられました。


辞書で「鳥居」を引けば、最後の方に「華表」と載っています。「華表」を引けば「鳥居」と載っています(安い辞書には載っていません、多分)。ということで、「石華表」は「石」で造った「鳥居」という事になります。


「華表」についてはいろいろ論議がありますが、詳しくは「鳥居の研究」(根岸榮隆著・第一書房)の「鳥居とは何か」の所を読んでください。


この文書を書いた庄屋さんの村(町)の神社の鳥居も、ご多分に漏れず、「石華表」と彫られていました。


ここからは、私的な推論ですが「基」という数え方は、当時まだ地方までは普及してなかった。庄屋さんは鳥居の数え方で「石華表」という文字を見て、「表」という字を鳥居の数え方に当てはめたのではないか。ですから、「石手水盤」「石灯籠」については単に「壱ツ」「四ツ」としか数えていません。


これが正しいかどうかは分かりませんが、庄屋さんの文書を読みながらの推理でした。古文書は読んでいくと面白いですよ。あなたも如何。




2020年1月 7日 (火)

橘神社の「七草粥」の振る舞い

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今日1月7日は、いつものように橘神社で「七草粥」の振る舞い。いつものように、七草の見本と押し花が飾られていました。

朝から雨で、今日はお参りの人が少ないかなと思い、最初に神社にお参りに行ったら、拝殿一杯の人のお祓い。後で聞けば、わざわざ波佐見町からのバスツアーで、この後、雲仙に行って温泉神社にお参り、お風呂に入って昼食、島原の霊丘神社へお参りとか。


で、こりゃいかんと七草の振る舞いの所へ急ぎました。とにかく、これだけの人がドットくると無くなってしまう。


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最初は左側のようにボチボチという状態だったのですが、団体のお祓いが終わるとアッというまに満員でした。早く食べて、よかった。

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いつものように神社で採れた梅で作った特製の梅干し。いつもの味の七草粥。神社で食べる七草粥は家で食べるのと違ってありがたみがあります。

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ということで、夕食も思ったとおり七草粥でした。

 

            昼夕と七草粥の続きけり
            夫婦茶碗年に一度の七草粥
            コンビニに七草粥はなかりけり




2020年1月 3日 (金)

陶器製鳥居「宮地嶽・天満宮神社」そして「諌早神社」幻の陶器製鳥居~長崎市・諫早市

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長崎市八幡町にある「宮地嶽八幡神社」。ここに「陶器製鳥居」があります。二ノ鳥居が「陶器製鳥居」。
説明版は下の通りですが、クリックすると拡大します。

私がこの鳥居に興味を持ったのは、以前、諌早神社の肥前鳥居の事を書いたとき、小澤さんという方からコメントをいただき、諌早神社の鳥居につき本を紹介していただき、このコメントの中に「諌早神社にあった陶器製(甕器)鳥居が」と書いてあったので、マジ~と思ってネットで調べたら、佐賀県の「陶山神社」「松原神社」とここ長崎市の「宮地八幡神社」の事が書いてあったからです。他にも2,3情報がありましたが、これは該当するところが見当たりませんでした。


「宮地嶽神社・天満神社」の鳥居は「文化庁 登録有形文化財 景観重要建造物」「長崎市 景観重要建造物」「長崎県まちづくり景観資産」に登録されています。


佐賀県の「陶山神社」の鳥居は「明治21年 奉納」とあるそうです。


「松原神社」は多分「佐嘉神社」神社の敷内社みたいです。現地案内版によると「明治23年庚寅10月」「製造 岩屋久吉」「角物細工人 鐘ヶ江長作」「丸物細工人 峰熊一」となっているそうです。


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見事な唐草模様です。

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作られたのが明治21年。製作者が「製造人 岩尾久吉」「角物細工人 金ヶ江長作」「丸物細工人 峰熊一」。書いたもので無く焼き込んであります。佐賀の「松原神社」は「明治23年」ですから、こちらの方が先に作られた事が分かります。
「金ヶ江」「鐘ヶ江」の違いはありますが、他の二名は同じなので、同じ職人さんが作ったのでしょう。

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触るなチューのにと書いてあるのに、見ていたら皆さん触っていました。おかげでキズが入ってました、ということは無いでしょうが・・・

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神社です。拝殿(後ろに本殿があります)と案内版。案内版はクリックすると拡大します。八幡神社は昔「大覚院」と言っていたのを、明治の神仏混交廃止により「八幡神社」に改称したそうです。「相殿の宮地嶽神社は明治11年(1878年)福岡県宗像郡宮地嶽神社の分霊が奉祠されたものである。」と書いてありますから、ネットあたりでは「宮地嶽神社」と書いてありますが、「八幡神社・宮地嶽神社」が正解とは思うのですが、あまり細かいことは言わないで・・・

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とはいえ、「八幡神社」「宮地嶽神社」が並列で書かれていました。
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外に、境内社が色々と祀られていました。

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狛犬さん、形から見てかなり古いみたいで、なんとなく犬さんみたいでカワユイ。流行の💓ストーンで真ん中の矢が良いですね。ハートを射止めるですね。グッドジョブ。

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おじいさんがいたので、聞いてみたらこのあたりも随分と変わって、昔は神社の向こう側はシイの木などがあり、よく遊んだそうです。また、原爆が落ちたときは、家の柱などは残ったものの、壁などは崩れ落ちたそうです。原爆の中心地とは一山隔てていますが。鳥居もよく残ったものだと思います。

「宮地嶽・天満神社」の鳥居は素晴らしいもので、長崎も、もっとPRしても良いのではないかと思いました。とにかく、調べた範囲では日本に3基しかない鳥居です。是非、皆さんにも見てもらいたいものです。撫でないように・・・


さて、諌早にあった陶器製の鳥居です。小澤さんから紹介された「鳥居考」(津村勇著)に下のように書いてありました。


「長崎縣・縣社諌早神社の境内には左圖(注:下の写真)の如く、『大正八年當村内崎左衛門寄進、細工人品川利夫』」と書かれています。なお、小澤さんによれば「この鳥居、諌早街道にあった小松亀山焼製なのか山口牟礼焼製なのか議論があるところです・・・」と書かれてあって、かなり郷土史を勉強されている方と思われます。


この場を借りて、お礼を申し上げます。


さて、私の手持ちの本「鳥居の研究」(根岸榮隆著)にも諌早神社、松原神社の鳥居のことが書いてあり・・・


「記録によると、昔江戸に陶器の鳥居もあつたそうであるが、普及性が無かったものと見えて遺物はない。現在では長崎縣諌早神社に大正八年に造ったのがあり、佐賀の松原神社にも小型のがある。にしても、残念ながら大したものとは云えない・・・」


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とはいえ、この鳥居、諌早水害で流失しまい今はありませんが、残っていて欲しかったと思います




2020年1月 1日 (水)

本当の「初詣」~橘神社情報(雲仙市千々石町)

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昨日、初詣の前詣の事を書きましたが、子どもが帰ってきたので、今日また神社巡りをしてきました。

朝から天満宮、千々石の温泉神社へ「本当の『初詣』」、墓参り(二ヵ所)、親戚回り。したら、カミサンが願い事があるとかで、雲仙の温泉神社へ行き、釈迦堂を見て、大黒天を見て(以上は以前ブログに書いているので写真は省略)、で、家に戻ったら四時半。


そのまま歩いて橘神社へ。お参りの人が多いかなと思ったら、昨年より若干少ない感じ。社務所はお守りとか、破魔矢とか、おみくじを買う人で一杯。
まあ、そう待たなくても、お参りも社務所での買い物もできる状態でした。

ただ、国道は混みます。国道は混むので、橘神社をパスして小浜・雲仙方面に行く方は、商店街の道を選ぶ人もいますが、これまた道路が一杯になっていて、どちらが良いかは運次第。


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左の場所、いつもは農具とか、竹の細工物を売っていたテントがあったのですが、空間が寂しい。
参道も昔は左右に出店があったのですが、段々少なくなってきているようで、悲しい。

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駐車場は少ないので、役場の駐車場を開放しているようですが「満車」の看板。地元の人は道を知っているので、中学校に停めていますが、左の写真の様にバカな停めかたをしているのもいて、これじゃ神様にいくらお願いしても、きいてくれないでしょう。

途中ブラブラして久しぶりにポケGOをしていたら、ピカチュウさんと出会い「お久しぶり~ネ、おめでとうございます」と挨拶をされました。


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忘れていました、以前紹介をしましたが千々石の温泉神社で長崎県神社庁発行の「神社廳暦」を買いました。これ持っていると、県内の神社の行事がベラリ書いてあるので、祭り好きな方には超便利です。「一月廿七日(日)対馬市厳原町豆酢・雷神社・例祭・亀ト神事(旧暦)」などです。

あと、「もぐら打」「苗しろごもり」「風鎮祭」「山の神のせち洗い」「二日灸」など、まったく知らない、知ってても曖昧にしか知らない一年の行事の説明もしてあるので、チョットした知識を得るのに役に立ちます。お求めは、各神社の社務所に聞けば分かると思います。確か2、3百円だったかな?



2019年12月31日 (火)

一足お先に「初詣」

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今日、1月31日、一足お先に「初詣」に行ってきました。

おかしい?だって、結婚式の写真撮りだって、前撮りするのが当たり前じゃありませんか。だったら、初詣の前詣があっても良いじゃないっスカ。


ということで、一番身近な「天満宮」から。天正少年遺欧使節の一員、千々石ミゲルのお父さんが龍造寺に滅ぼされた時、”この地に平和を”ということで、天満宮の建立を願って亡くなり、時代を経て建てられた神社です。


千々石ミゲルは戦火をくぐり抜け、大村に落ち延びています。抜け穴ではないかと言われる穴(崩れていますが)もあります。


天満宮の写真は拝殿。本殿はこの後ろにあります。ただ、ここまで来るのは階段がキツくって・・・


なお、この神社の上が釜蓋城になります。グラウンドができてますが、お年寄りのかたに聞いたら以前は畑があったとかで、やはり館などがあったと思われます。


以前、隣町のかたが「千々石ミゲル」なんて知らないと言っておられましたが、KTNテレビ(東京では見られません)で「ローマへ渡った天正少年~千々石ミゲルの選んだ道~」ということで、1月2日午後2時35分から1時間の特集番組で放映されるそうですから是非ご覧下さい。この天満宮にも撮影が来たそうですから多分写ると思います。


右の映像、天守閣みたいなのが写っていますが、これ、単なる展望台です。天守閣ではありません。この展望台を作ったところ、某行政機関から、天守閣があったと誤解される、という苦言があったそうです。

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次に、千々石町の守り神「温泉神社」へ。ここは、雲仙の温泉神社の分社になります。

昔は「四面宮」。旧四面宮は千々石町、有家町、吾妻町(ここは「温泉神社」の名前です)、諌早(諌早だけは「諌早神社」になっています)。今は、あちらこちら温泉神社がありますが、本来の「温泉神社(旧四面宮)」はこの四社です。


いつものように、知恵の輪ではなく「茅の輪」が準備されています。


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お屠蘇に御神酒に白酒、ノンアルコールの甘酒。飲み放題、かどうかは知りませんが・・・

今年初めてお目見えの「願石」。「願石」に触れ、願い事を書いて下の箱に入れるそうです。「これどうしたの?」と尋ねたら、町村合併で以前、「雲仙市商工会千々石支所」がありましたが、これも雲仙市商工会一本になり、千々石支所もなくなり、そこに飾られていたのが「願石」。捨てるわけにもいかないので、神社に移したものだそうです。グッドアイディアですね(^_^)v。


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最後が「橘神社」。大門松があなたをお待ちしております。

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ということで、初詣の前詣が無事終わりました。皆様も来年も良いお年を・・・🎍。




2019年11月10日 (日)

千々石町小倉地区「天満宮」しめ縄作り

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もうすぐ、神迎え、正月ということで、地区の守り神「天満宮」のしめ縄の張り替え。

天気にもめぐまれ、12,3人集まって始めに皆で藁を5,6本程度にまとめます。本来なら「おとうは土間で藁打ち仕事・・・」と言うことなのですが、これやると時間が無いので、現在は点圧機で藁を柔らくします。町内の2,3ヵ所、しめ縄作りを見ましたが、どこ皆同じですね。


しめ縄作りも、地区によって違うようで、端から巻くところもありますが、こちらでは中央を最初に決め、端の方へと巻いていきます。


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あとは、最初に纏めた藁を入れ込みながら、右へひねって左の人へと渡す。これ、お互いに息が合ってないと難しいですね。

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あと、ヒゲをきれいに切り、できあがり。左のしめ縄は去年のもので、随分古びて垂れ下がっているのが分かります。ロープが入っているので、切れはしませんが。新しいしめ縄に替えて一番上の写真、スッキリして良い新年が迎えられそうです。

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さて、あとで一番上の写真を見て、あれ?
カンの良い方はお分かりでしょうが、紙のピラピラ(紙垂・しで)が、本当は間になければならないのですが、重ねってしまっています。まあ、千々石流だと言い張れば良いでしょうが。


昔は葬式など、各家で行い、進行、受付、炊き出しなど自治会でやって、近所の人と顔を合わせる機会も多かったのですが、最近は葬儀社ばかりになりました。なかなか近所の人とも会うことが少なくなりました。お互い、何かと忙しいでしょうが、このような機会も必要だと感じた、一日でした。




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