神社

2023年1月 9日 (月)

橘神社「七草粥の振る舞い」~雲仙市千々石町

新年1月7日は「七草粥」。特に神社でいただく七草粥はありがたみがあります。地元の橘神社の振る舞いです。

コロナの影響で、振る舞いがあるのか無いのか分からないので、10時半頃に確認に行ったらもう始まっていました。あわてて一杯いただきましたが、寒い中の熱々の七草粥は、神社の境内に植えてある梅の実から作った梅干しと共に美味でした。

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1月7日でしたが、お客さんは三々五々お参り、七草粥を楽しんでおられました。

おみくじの量が半端でないので、おみくじを結ぶ綱の張り替え中。


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最近こちらで流行の「手水花」、いつもは一杯に花を浮かべてあるのですが、多分、正月で人が多いので手水を使いやすく簡素な手水花でした。

御朱印をいただいたら、巫女さんから、お参りの日付を書込んでいただきました。


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さて、実は写真をもっと撮っていたのですが、今年からクラウドを使って写真を利用しようと思っていたのですが、調子が悪くココログに利用できない状態になってしまっており、写真が少ないのが残念です。



2023年1月 3日 (火)

千々石で「三社めぐり」~雲仙市千々石町

「三社めぐり」「三社参り」「三社詣で」。各地、イロイロあるようですが、いつものように地元の三つの神社を回ってきました。毎年同じような記事になりますが・・・

三社は自分に最も近い地区の神社「天満宮」、次に村の鎮守の「温泉神社(旧四面宮)」、そして大門松の「橘神社」。


「天満宮」は何回も紹介したように、「千々石ミゲル」の父を祀った神社。拝殿は数年前建て替えたので新しくありますが、本殿はかなり古くなり雨漏り、隙間風が吹き込む状態。いずれは立て替えでしょうが、一般の大工さんでは建てるのは無理で、専門の大工さんが必要と言うことでした。かなり、高額になるそうです。


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ここの石垣、見事です。

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神社に上がるところの階段に鳥居がありますが、この鳥居は一段下にあったものを道を造るとき移設したものだそうです。右が一段下にある江戸期の鳥居で、この段に左の鳥居もあったそうです。

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「千々石温泉神社(旧四面宮)」。雲仙の温泉神社の分社になりますが、いつの間にか島原半島には「温泉神社」が増えています。いつもの「茅の輪」。ちゃんと、左からくぐり、次に右からくぐり、もう一度左からくぐり、お参りをしてきました。

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ワタシの好きな狛犬さん。このデフォルメ感が堪りません。右のカッパさん「チン(黒鯛)釣り石」の伝説に由来するものです。最近は有名になりつつあります。

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橘神社は大門松の影響で参拝者の方が増えました。国道はかなり混みました。国道を避けて狭い商店街の道を抜ける車が多く困ったものです。

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右は桜の名所「橘公園」ですが神社の賑わいに比べひっそりと。なんとなく、ホッとした風景です。

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境内の横の忠魂碑が建っている前の所。多分、杖道の方だと思いますが初稽古。気合いが入って良い練習風景でした。場所も橘神社ということでピッタリですね。

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ということで、今年も無事「三社巡り」を終了しました。


「正月に詠める」
  元日に今年こそはと誓いつつ/ダラダラ過ごす又今年かな




2022年12月12日 (月)

医事法の改正?&雲仙市橘神社「大門松」進捗状況

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子供がまだ小さい時風邪を引き、お医者さんに連れて行った時。
「どんな具合ですか?」と聞かれ「風邪なんですが」と答えると、「病名は医者がつけるものです」と言われましたが、考えれば当たり前のことです。ひょっとしたら、別の病気の可能性もあるし。

昨日の長崎新聞、黒枠の所「新型コロナ感染症に関する長崎県からのお知らせ」で、読んでカチンときました、ですね。


要するに、医療ひっ迫を防ぎ、重症化リスクのある方に適切な医療が届くよう、発熱外来を受診しなくても自宅での検査に基づき・・・・ということなのですが「以下のフローを参考に」って、「フロー」ってなんですか?日本語で書かなきゃ、私みたいなボケ老人は分かりませんヨ。若い方、笑うかもしれません。私も若いとき、高齢者の方を笑ったことがありましたが、歳を取ると段々と分かる事です。


閑話休題。

さて、このために「抗原キット(医薬品)・解熱鎮痛剤の事前準備をお願いします」だって。抗原キットの不正確さはあちらこちらで言われていることです。まして、鼻の奥に綿棒の長いのを突っ込んで、粘膜をとるのって、正確にできるんですかね。なお、病名の診断は素人ができることではないのです。これ、お医者さんの仕事。医事法が改正されたのでしょうか?

さて、もう一つ馬鹿なこと。「解熱・鎮静剤の事前準備をお願いします。」アホですね。これ書いたら、皆さん、薬局に走って売れ切れですよ。というより、中国では売り切れている所が出ている、というニュースも流れています。日本でも同じだと思います。健康食品がTVで紹介されるとあっという間に売り切れ、ココア、寒天等々。大体、薬の処方もお医者さんの仕事。要するに、医事法の精神に反しています。


で、最後に「病状悪化時は、健康観察センターに連絡をし、看護師等によるアドバイスやオンライン診療等の紹介を受ける」とはなっています。「病状悪化」の時は「病院に行く」「救急車を呼ぶ」でしょう。「病状悪化」のとき、電話で相談なんてできません。まして「オンライン診療」なんて、無理でしょう。命に関わる、一秒を争うときに。


なお、ここに書いてある「長崎県陽性者判断センター」「健康観察センター」の電話番号が書いてありません。QRコードかネット検索の情報。これ言ったら、女性差別だとおこられるのですが、中年以上の女性の方、この方面には疎い方が多く、私の奥様の頭は良いのですが、コロナ接種のスマホ予約では、かなり手こずっておられました。試しにQRコードを試したら、熱が出ました。皆様もお試しあれ。


なお、この「お知らせ」に「医療機関を受診したい方の受診を妨げるものではありません」と、どこかに書いてあるのですが、どこに書いてあるでしょう?探して見て下さい。

分かりにくいけれど、小さく書いてあります。イザと言うときの逃げ道ですね。イザと言うとき「あなたが気づかなかったので、あなたが悪い、チャンと書いているよ」。姑息ですね。


最初に大きく「受診しても構わないんだけど、医療機関がひっ迫しているので、ご理解の上、発熱したときなどは、まず、下のように協力してネ」と書くのが当たり前だと思うのですが。


要するに「コロナは自己責任で対応しろ」と言うことです。いささか、頭にきていたので文章が乱れ、誤字、脱字があるかとは思いますが、お許しあれ<(_ _)>。ところで、毎年、高い保険料を払っているのですが、自分で病気の判断、治療をしたのなら、治療費を払ってもらいたいものです。お医者さんと同額の。


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◆橘神社「大鳥居」新着情報

いよいよ、次回が最後の準備。その次の週ができあがりの竣工式。


一番大変な竹の先のそぎ落としが終わり、檜の植え込みの片方ができていました。来週は、もう片方の植え込み。松、梅を山から切り出し、最終の飾り付けになります。


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竹の一番先の切り落とし。クレー車に乗って、チェーンソーで切りそろえるので大変です。足場は悪いし、見えにくい。

右は竹や木を差し込んだ所ですが、そのままでは上の葉っぱは枯れてしまいます。その都度、ボランティアの方が水やりをします。皆さんが、いつも青々とした葉を見られるのも、ボランティァの方の隠れた尽力があるからです。


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2022年11月23日 (水)

2022 橘神社大門松建立始まる~雲仙市千々石町

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今日、朝から大門松建方安全祈願祭が執り行われましたが、これには間に合わず早くも作業が始まっていました。

今日は土台作り。来週が竹を運び込み、土台に竹を生け込む作業だそうです。


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小休止中ですが、皆さんボランティアで仕事を持たれている方もいるので、作業は日曜日が主になります。

右は昨年の竣工式の時の写真です。今年は多分12月25日が竣工式になるようですが詳しくは後日。


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2022年10月23日 (日)

2022「千々石温泉神社」秋季大祭

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昨日22日がお下り、今日23日がお上りでした。千々石は7名(地区)あり順番に祭りの当番があります。今年は「下峰名」の当番。

コロナ以前は3日間の開催で、初日がお下り、二日目が演芸大会、三日目がお上り。コロナが流行った年に中止、それから一日予定でお下り、お上りのみの実施。今年は二日日程で、宴会大会は無しでした。


以前、御神輿は担いでいきましたが、現在は台車に乗せ引っ張っていきます。若者が少ないところではトラックに乗せて行くところもありました。


「御花」。以前は沢山付けている子を見かけましたが・・・


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伝説の「チンつり石のカッパ」さん、見事な鯛が釣れていました。

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お下りの道にはしめ縄が張ってあります。

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小さい子でもチャンと参加。今年の当番長は「下峰」で、奉納踊りが「鍬踊り」。鍬(作り物)を持って踊ります。

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お下りの道々、数カ所で踊りを披露。子供と大人の分がありますが、子供さん以外と多いようでした。

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女性の道踊り。結構暑かったので、歩いて踊りを披露するのは大変です。

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神輿を台車から下ろして、そのまま御旅所に入れようとしたら、古老の方から「回せ~」という声が掛けられ、担ぎましたが「回る」のはありませんでした。

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御旅所でも踊りの奉納。「鍬踊り」。左が子供組、右が大人組。やはり迫力が違いますが、次の当番の時には負けないように踊れると思います。

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女性の道踊り。

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「猿田彦」さん、子供がお好きなようで・・・
右が以前の「御旅所」。事情があって、今の福石公園に変わりましたが、なんとなく寂しげな風景でした。

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今日はルートを変えて、午前中お上りでした。




2022年9月26日 (月)

千々石天満宮神送り★千々石ミゲル墓所調査

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先日、例年の通り「神送り」の神事が行われました。

以前にも紹介したとおり、この神社に祀られているのは菅原道真公、千々石ミゲルの父千々石大和守と家臣2名です。


この神社の上に釜蓋城があり、佐賀の龍造寺に攻められ千々石大和守は討ち死にをしますが、その間、千々石ミゲルは城を逃れる、という話になります。昨年、千々石ミゲル墓所発掘調査が行なわれ、テレビ、新聞等で報道をされました。


島原藩主松平忠房公は、島原半島の多くの社寺に寄付をしていますが、千々石では2カ所、天満宮に「壹石八斗四升」、四面宮(現千々石温泉神社)に「三石貳斗五升六合」。


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千々石ミゲル墓所発調査プロジェクトに多少寄付をしていたので、先日、お礼状と共に、調査の模様と解説が収録されたDVD、絵葉書、お菓子のクルスが届きました。報告の概要パンフレットは以前入手をしていました。

今回はクラウドファンディングで600万円の目標額を超えること10,400,000円が集まったそうで、興味を持たれている方が多いことが分かります。


今後の予定はプロジェクトチームの浅田代表によると「文化財保護法に定められた正式報告書作成に入り、今秋には発刊の予定です。」と言うことですが、多分、来年にずれ込むような感じです。


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2022年9月 9日 (金)

空照上人、雲仙の事について★まとめ②~終わり


③大黒天脇の石像について


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先日、大黒天脇の空照上人の件で投稿し、石塔が「二本」と書きましたが、諫早史談会のO氏から、二本の石塔は元は一本ではないか?また文字については「是二行者空照法師頭髪納埋塔也」ではないかとの指摘をいただきました。

後日確認に行き、埋もれた部分を少し掘ってみると「生存」という字が見えました。左の石塔は「是二行者空照法師生存」。


右の文字については一番上の文字が「友」のような感じなのですが、O氏のヒントと次に紹介する田代原の石碑「空照上人壹百日修行頭髪塚」から「髪」ではないかと推測すれば「是二行者空照法師生存髪(または”頭髪”)納埋塔也」でピッタリするかと思います。


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④田代原の石塚について

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田代原の集落の中に上のように石仏等を祀った場所があります。右から3番目が「空照上人壹百日頭髪塚」。

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「空照上人壹百日修行頭髪塚」と刻まれています。

一番下段には「三會信者一同謹建」。右側面「昭和九稔/三月十三日/𦾔正月廿八日」。昭和9年3月13日は旧暦1月28日。


この「頭髪塚」については、管理人さんによれば、他所に建てる予定であったが、都合があり、こちらに頼まれたとの事でした。

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一応のまとめです。これまで書いた事と重複をしますが。

行基洞については、行った事がないので詳細がわかりませんが、入口付近に仏像、台座に「温泉信者中」とありますが、多分行基の像だと思われるので、行基の信者さんだと思われます。


高岩山の立像の所には「開山空照法師 昭和8年見岳名」と刻まれています。 


大黒天の石像には「是二行者空照法師生存髪(頭髪)納埋塔也」「昭和6年1月29日」。これには建立者の名は刻まれていません。

田代原の塚には「空照上人壹百日修行頭髪塚」「昭和9年3月13日」「三会村信者一同謹建」。

西有家郷土誌には「昭和六年に、空照法師が百日修行をされたところだろう。」と書かれているので、高岩山、大黒天、田代原の石塔等などから見ると、昭和6年の百日修行は間違いないと思われます。


さて、雲仙は昭和9年に国立公園に指定をされていますが、昭和2年には「日本新八景」に選ばれています。日本で2番目のゴルフ場が大正2年に開場、大正末から昭和初期にかけて、斎藤茂吉、吉井勇、タゴール、秩父宮、嘉納治五郎、徳富蘇峰、早川雪洲等々が雲仙を訪れています。雲仙はかなり人の往来があったと思われます。千日行などをTVで見ると、厳しい山中を駆け抜けるシーンがありますが、空照上人も人知れない山中で修行を積まれた事と思い
ます。なお、昭和初期のことなので、もっと資料があるとは思ったのですが意外とないのですね。

大黒天、田代原の「髪」の事です。空照上人は剃髪をしているはずなのに、と考えていると・・・100日間の修行中は髪は剃れないので、いくらかは伸びていたはずで、修行後は又剃ったはずです。信者の方は百日修行の記念として、この髪を埋めたのではないかと思われます。


もう一つ、大黒天のところの石像については、この別所には修行僧の僧坊が700坊あり、修行の場のメッカであり、大黒天もあるので、この場所に空照法師の頭髪が記念に埋められたのではないかと思うのです。

いずれにしても、田代原と大黒天の所に実際の頭髪が埋められているということです。


2022年9月 4日 (日)

空照上人、雲仙の事について★まとめ➀


空照上人について以前書いたことがあり、また、あちらこちらのブログで単発的に書いてありますが、主に雲仙を中心にしてまとめてみました。2回に分けてみます。


空照上人のことは、西有家町郷土誌に記述があります。また、上人
の石像、塔については❶高岩山中の立像❷一切経の滝の行基洞(別名空照洞)❸別所ダム大黒天の下の石造➍田代原集落の「百日修行頭髪塚」があるので、この順で説明をおこないます。

最初に、西有家町の郷土誌より空照上人についての概略です。


空照師は真言宗の僧、佐賀県東多久市出身。大正11年に島原地震が起こり、大正12年には関東大震災が起こります。当時、南有馬村で病気を治すという霊験を現していた空照(当時40歳程度)にお願いし、西有家八十八ヵ所の設置を行います。


空照上人は八十八ヵ所霊場を祈願し、行基(日本山大乗院満妙寺開基)に因んで、行基洞(空照洞ともいう)で二十一日間業を行い、その後、ふるさとの東多久に帰られたそうです。


なお、この間、雲仙で百日修行をされたそうです。また、空照上人の出身地が佐賀県東多久市ということで、多少調べて見ましたが不明。


❶高岩さんの立像について


「西有家郷土誌」からまとめてみました。


高岩さんに登る途中、登山道の途中から左側の山中に入って行ったところ。ワタクシも入っては見たものの元来の方向音痴で、行き着ききれませんでした。なにごとも案内は必要。


写真は西有家郷土誌より。台周りは1.2m四方。高さ1.5m。石積みで石造の高さ60~70㎝。台には「開山空照師 昭和八年見岳名中」と刻んであります。
「見岳」は西有家町の地区名。郷土誌に「昭和6年に、空照和尚が百日修行をされた所だろう。」の記述あり。

なお、この地点から150m位の所に洞があり「西有家四国奥ノ院一夜大師」。「一夜大師」の名前については「見岳名の信者が、セメント、砂などを担ぎ上げ、一夜で完成させた・・・」との記述あり。


また、「空照立像から200m降りたところにも大師堂を見つける。ここも明らかに修行場で空缶、空びんがあるるので、訪れた人が居たのではないかと思われる。空照大師が、ここでも修行されたのかもわからない。・・・」、との記述あり。ただ、「大師堂」についてはどのようなものか不明。

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(西有家郷土誌より)

「一夜大師」は「新四国八十八か所番外奥ノ院」。


❷一切経の滝行基洞(別名空照洞)


一切経の滝から少し下り、右側の斜面を登ったところ。ただ、3回トライするも分からず。

洞が三つあるらしく、一番入口には2体の石仏。一つは多分「行基」だと思われる。台座に「温泉信者中」。小さい方は「三鈷」らしいものを持っているので弘法さんか?一番奥に石仏が置かれていたらしいのですが詳細は不明。

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右の案内標識は現在あるかどうかは不明。

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(ブログ「私は、島原半島にいます」より)

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四国四十四番札所伊豫国大寶寺


一切経の滝の所「四十九番所伊豫国浄土寺」があります。右の写真。

なお、空照法師は八十八ヵ所霊場を祈願し行基洞で二十日修行をしたそうです。

 

2022年8月11日 (木)

令和4年橘神社「湯立祭」~雲仙市千々石町

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今日は橘神社で昼の3時から「湯立祭」。「湯立祭」については、橘神社のFacebookに下記のように説明がしてありました。

湯立祭とは、古来より受け継がる神楽の一つで、釜で湯をたぎらせ、その湯を用いて神事を執り行い心身を祓い清めて皆様の無業息災とコロナウイルス退散を祈ります。社殿を前に斎場が設けられ、大釜に湯を沸かし、神職と巫女が神楽を奉奏し、束ねた笹の葉で釜の湯を勢いよく参拝者に振りかけます。この湯滴を浴びると無病息災に過ごすことができ、また笹の葉を持ち帰れば幸運に恵まれると言われています。


例によって、宮司さんのパフォーマー。なかなかシャッターチャンスが掴めないので、「モッテコーイ」のアンコールをしたら、「お湯が熱いから、イヤだ」と断られました。


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右の写真、笹でお湯を振り回すので湯滴が飛んできてかかり、これが無病息災に良いのだそうです。

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湯立祭の後は「肥前千々石鉄炮隊」による奉納演舞。もちろん、空砲ですが凄い音がします。警察のお達しにより、近くにはよれません。

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湯立祭につかった笹をお守りにいただきました。

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神社も最近は工夫を凝らしているようで、ヒマワリの「花手水」。花を揃えるのが大変だそうです。「夏詣」のお休み処。

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イロイロと工夫した「御朱印」も作っていて、確か「小濱神社」「御館山稲荷神社」「久山年神社」「橘神社」で御朱印巡りをしているようです。なお、小濱神社でも先日湯立祭を行ったとのことです。


2022年7月 1日 (金)

雲仙「温泉神社二ノ鳥居」について②

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昨日、雲仙の温泉神社の二ノ鳥居について書きましたが、少し気になって「肥前國髙來郡温泉山の圖」を調べて見ました。

この図については、「しまばらふるさと再発見」で松平文庫長根井浄先生が「江戸時代の地獄は満妙寺一乗院が案内権を持っており、いろいろな説話が語れていました。」と語られ、確か先生の以前のお話しでは、その折り、この絵図で説明をしていたとのことでした。いわば、観光パンフレットですね。

現在、数冊の本で印刷物が紹介をされています。比べてみて違いは見受けられますが、基本同じです。なお、本物は版木で摺ったものです。


下は「雲仙お山の情報館」所蔵のものですが、片面が「雲仙國立公園決定紀念祝賀 島原郷土史料展覽會」となっていて、絵図は版木の印刷ではなく、いずれかの絵図の模写だと思われます。


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  (雲仙お山の情報館所蔵)

下が温泉神社あたりを拡大したもの。


一番右が鎮守四面大明神。ご本尊様。その左が拝殿。


赤の矢印が鳥居。二つ鳥居があるのが分かります。右の鳥居は多分両部鳥居。両部鳥居は近くには無いので、ググってみると木製が多いようです。


さて、安政7年(1776)島原藩に提出された一乗院(満妙寺)の書上帳があり、これについて「嶽南風土記 有家町史談第4号・有家町史談会刊」に根井浄先生が「江戸時代の雲仙(温泉)・普賢岳・妙見山ー史料『温泉山起立書』の翻刻と紹介ー」という事で書かれています。


この中に、温泉神社の面積、寸法等が書かれていますが、鳥居について下記のようにかかれています。


⑤本社石壇下より石鳥居まで堅拾六間横九間 此反別四畝廿四歩

⑦木鳥居より石鳥居まで堅拾九間横貮間 この反別所壹畝九歩
⑩石壇木鳥居下
⑪石壇石鳥居下
⑫木鳥居 一 石鳥居

という事で、元来温泉神社には木の鳥居と石の鳥居があったことが分かります。


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前に書いたように、現在の二の鳥居についてまとめてみると下記のようになります。

一 1695年(元禄八年) 建立

二 1778年(安政七年) 温泉山起立書 木製と石製の二基の鳥居の記述
三 1792年(寛政四年) 雲仙岳大噴火により鳥居倒壊(あくまで推測です)
四 1851年(嘉永四年) 石鳥居のみ再建

この絵図については、1695年~1792年の雲仙の地獄の風景だといえると思います。
絵図に描いてある両部鳥居、これも現代再建できれば面白いと思うのですが。

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