絵画

2022年10月14日 (金)

「えんがわ・一畳のきまぐれ資料館」~雲仙鳥瞰図

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茹で野菜のマルニさんの母屋の一角をお借りして始めた”気まぐれ資料館”、いつのまにやら12回目になりました。

今回は「雲仙鳥瞰図」。上空を飛ぶ鳥の目から見たように描いてあるので「鳥瞰図」。一番有名なのが、大正の広重と言われた吉田初三郎。

チラシの一番上の鳥瞰図、初三郎が描いたもので、昭和2年の日本便船のパンフレットに掲載されたもの。説明は英文です。この時分上海航路などもあり、外人が雲仙を多く訪れています。


主な鳥瞰図を展示しています。作者はほとんどが不明ですが、なかなかよく描けています。なお、小浜の湯せんぺいもこの鳥瞰図です。


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なお、これだけでは淋しいので、床の間に多少面白い掛け軸を掛けておきました。なんの図柄かは共箱の文字にあるらしいのですが・・・?

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2022年8月 5日 (金)

雲仙半島鳥瞰図の整理

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(各写真はクリックすると拡大します)

島原半島の鳥瞰図については2年ほど前に紹介をしたことがあります。


あれからもボツボツ集めてはいたのですが、イロイロと見て調べたいことはあるものの、古くて紙ももろくなっているので、あまりイジクルわけにもいかずコピーをとることにしました。


とはいっても、家のコピーはA4まで、コンビニでもA3まで。鳥瞰図はそれより大きいので、諫早のコピー専門店に持ち込みました。ついでにデーターにも落としてもらいました。


コピーについては紙を押しつけてコピーしますが、紙が弱くなっているので好ましくはなく、また、光線を当てるので、これまた好ましくないのですが・・・。本来なら、カメラで撮るのが一番なのですが、資材がなくてですね・・・


下が3年ほど探して手に入れた、吉田初三郎の英文の鳥瞰図のパンフレット。もう片面は全文英語で外国人向けのパンフレット。左はデーターに落としたものを、貼り付けましたが、専門店だけあって、きれいに出ています。


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雲仙の中心地あたりですが、細かいですね。


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吉田初三郎の弟子で初三郎の最大のライバル金子常光の鳥瞰図。作風は違いますが、これも又優れた作品です。

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作者は不明ですが、他の鳥瞰図は変わって、これも味わい深くて良いですね。

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2022年1月 4日 (火)

ダルマさんなのだが・・・★あてにならない附録(橘神社年始予定)

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なんとも面白い掛軸を拝見しました。男性はその風貌、耳輪等から見てダルマさん。後で紹介しますが、箱書きにも「達磨」と書いてあります。女性はどう見てもオカメ(おたふく)さんですね。

達磨(だるま)さんは、中国禅宗の開祖とされるインド人仏教僧だそうです。悟りを開くまで壁面に向かって座ること九年。「面壁九年」です。


昔は、「ダルマさんが転んだ」などといって遊びました。選挙の時、選挙事務所に飾ってあり、当選すると目を入れます。


絵は、素人目ですが細部に至るまで良く描けています。足袋が紐で結んでありますが、これは「紐足袋」だそうです。今も使っているような感じですが、江戸末期末期までは使われたようです。


ダルマさんが持っている品物がヤカンにハタキに火箸。しっかりと手を握っているところを見ると、なんとなく駆け落ち風です。


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右上に書かれている画賛の文書、書いた方が「⚫庵主」。出だしの「如是」はお経の最初に書かれている言葉で”かくのごとく”。

最後の「咄々(とつとつ)」は、舌打ちをするさま、怒ったり、驚いたりするさま、驚いて嘆声を発するさま(大辞林)などがあるようです。漢文の素養が無く、画賛の意味が分からなく残念。


絵の署名の所に「袖華」とあり「東京文化財研究所」のホームページには「中田袖華」として載っていましたが同一人物かどうか不明。→こちらをクリック


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箱書で表に「達磨入廛垂手(だるまにってんすいしゅ)画賛」「廛(てん)」は「市内の平民の宅地。すまい、やしき・商品を貯蔵する倉庫・店舗」等々だそうです。

裏の方に「⚫庵主」ですが、掛軸の紹介で「一庵主」とあったので、多分「⚫」は「一」だと思います。

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「入鄽垂手」について調べたら、「十牛図」(悟りに至る10の段階を10枚の図で表したもの。真の自己が牛の姿で表されている→こちらをクリック)にあり、最後の図が「入鄽垂手」(廛、鄽も同意語)で、「悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへと導く必要がある」と言うことだそうです。

なお、「入鄽垂手」の図には布袋腹でボロをまとった人物も見られ、なんとなく達磨を思わせる姿です。また、「十牛図」は禅に関係があります。


私的解釈ですが、「達磨」さんがボロボロの服を着て、見れば爪も伸ばし放題。「入鄽垂手」は十牛図の最後の部分なので、達磨が面壁九年、悟りを開いた姿だとも思われます。

おかめさんは神話の世界などにも関係あるようですが、我々にとっては親しみ深い女性。蕎麦にも「おかめ蕎麦」があります。いわば、世俗を代表する女性といっても良いかもしれません。


という事と、「十牛図」との関係を考えれば、達磨さんが悟りを開き、世俗の世界(=おかめさん)に戻り、「人々に安らぎを与え、悟りへと導く」絵だと思うのですが。如何でしょうか???。

【あてにならない附録~橘神社年始の予定】

いつもなら、神社の境内に予定表があるのですが、今年は見当たらなく聞いた範囲での予定です。詳細は神社まで。

1月 7日(金) 七草粥振る舞い 時刻不明
1月11日(火) 鏡開き 焼き餅振る舞い 時刻不明
1月20日(木) 橘神社大寒禊
2月13日(日) 大門松解体



2021年1月19日 (火)

第7回「えんがわ・一畳のきまぐれ資料館」~雲仙市千々石町

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ゆで野菜の「マルニ」さんが、加工場の母屋を地域の方に使ってもらいたいと、「えんがわ」と名付けた一角を一畳ばかり借り受け、冗談半分で始めた「一畳のきまぐれ資料館」も7回目を迎えました。飽きっぽい私にしては、よく続いたものだと感心しています。

第1回が「千々石・小浜の明治・大正、戦前の古絵葉書」。これについては、後日、珍しい古絵葉書、ガラス写真等も入手したので、再度、展示をしたいと思います。第2回が「島原・天草の乱 絵地図と軍記類の展示」、第3回が「長崎・江戸の古地図と明治・大正・戦前の長崎の古絵葉書」、第
4回が「アニメと挿絵原画の世界」、第5回が「栗原玉葉・森川青坡・正月用の引き札の世界」、第6回が「キリシタン禁制の高札」。ただ、昨年はコロナの影響で、2回程度しか開けませんでしたが・・

今回は「栗原玉葉と長崎古版画の世界」。

もちろん、昨年の栗原玉葉の掛け軸は展示をします。加えて、栗原玉葉は色々な雑誌に挿絵を描いていますが、今回のは、「若き日のために 絵と歌と物語」(岡上三咲・野口精子著・大正6年)の中に三つ折りで収められた栗原玉葉の版画を展示しています。題は「その夜の夢」。口絵が4点ほど入っており、これは、コピーにて展示をしています。


なお、この絵は国立国会図書館月報2018年12月 692号の表紙を飾っています。


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長崎古版画については、江戸期のものは1点で数十万円ばかりするので、買うのは無理ですが、版木が長崎市博物館(現在は長崎歴史博物館に収蔵)に残され、それを使って何回か摺った事があり、今回のは昭和39年発行で復刻版になりますが、長崎古版画の雰囲気は十分に味わえます。版木が傷むので、今後は摺られる事はないと思います。

「えんがわ」の場所が分かりにくいとのことですが、千々石郵便局から雲仙岳方面をみて、左手に道があり、左から3~4番目(間違いなければ)の平屋の少し大きな家です。


なお、コロナの状況が分からず、急遽お休みも考えられますが、状況を見て展示期間を延ばすかもしれません。一応、3月末日までの予定です。写真はクリックすると、ハッキリ読めます。



2020年7月 6日 (月)

島原半島「鳥瞰図」

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写真がボケ気味ですが、クリックするときれいに見えるのもあります。そうで無いのもありますが(^^;)。

最近、上のチラシ、ポスターを見かけることが多くなりました。「一般財団法人 島原半島観光連盟」が出したもので、「県内宿泊で5000円得する!」というもので、合わせて島原半島内に宿泊をすると、お得になるというもの。らしいです。


で、上の島原半島の絵図。「鳥瞰図」です。鳥が高いところを飛び、その視点で風景を描いた物です。この絵図を見て、どこかで見たなと思い、私が持っている島原半島関係の鳥瞰図を引っ張り出してみました。もちろん原画ではなく、旅館、観光案内などで印刷をされたものです。


下は「大正の広重」といわれた吉田初三郎の弟子”金子常光”が描いた「国立公園 雲仙大観」。雲仙の宮崎旅館の案内に載っています(昔のです、以下全部、昔のものです)。なんとなく、チラシのイメージっぽいですね。


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作者は分かりませんが「雲仙国立公園協会発行」になっています。これもなんとなく、ポスターの図柄と似ていますね。

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「原城趾 絵図案内」となっており、著作権と発行者が南有馬村の「江田廣・松島歳巳」となっていて、絵を描いたのが松島歳巳」さんみたいです。

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真ん中の所「本丸」「ほねかみ地蔵」「空濠」「佐分利碑」等と書いてあり、「原城」ですね。

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「沿線案内 島原鉄道 口之津鉄道 温泉軽便鉄道」とあり、”著作権者兼発行者”が「植木元太郎」になっており、島原鉄道を作った方です。島原半島の「鳥瞰図」は大半が雲仙を中心に描いてありますが、こちらは中心が島原市になっており珍しいと思います。

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”門司鐵道局”の「雲仙岳」。鐵道局の案内にしては、あっさりしてますね。

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真打ちの「吉田初三郎」の絵図。さすが迫力が違います。

”大阪毎日新聞社発行”の「日本鳥瞰 九州大図絵」。九州全体が書いてあります。端の方に「要塞司令部認可」文字があり、時代を感じさせます。


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「釜山」「京城」などの文字も見えます。右は高千穂あたり。

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”九州ホテル”の案内「日本八景 雲仙岳」。

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雲仙の中心地ですが、よく細かいところまで描いています。右は”千々石”あたりですが「千々石」が「千々岩」になっています。この頃の絵図、地図などを見ると良く「千々岩」と書いてありますが・・・。「橘中佐像」もあります。車が走っているところも書き込んであります。

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下は「大阪毎日新聞・東京日日新聞」が選定した「日本八景」。全部「吉田初三郎」が描いていますが、これが「主婦之友」の昭和5年8月号の附録。

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「日本八景」については、興味ある資料を入手したので後日。

一番上のポスターの絵図、よく見ると雲仙災害後の砂防ダムまで書いてあり、昔の図柄を利用して、良く工夫して描いたと思います。ポスターで見るとかなりの迫力があります。



2020年1月26日 (日)

「入増盛算」を読み解く~河鍋暁斎・勝文斎合作

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河鍋暁斎と勝文斎合作の「入増盛算」。恵比寿さんとお多福さんと大黒さん。縁起の良い組み合わせで、「入」も「増」も「盛」も縁起の良い言葉。「入増盛算」は「いりぞうますざん」「いりますせいざん」等、何種類かあるみたいですが、熟語としても辞書には載っていないので、確たる読み方は分かりません。明治期の作品になります。

この錦絵には調べると二種類あるみたいで、右下の作者名がこれでは「惺々暁斎」、これは河鍋暁斎のこと。もう一つは「勝文斎」と書いたのがありますが、理由は調べましたが、分かりませんでした。また、これを利用した引き札(昔のチラシ、ポスター)もあります。


書いてあるのを読むと、最初は分からなかったものの、「読み解く」まではいきませんが、多少は分かってきました。


「木材の間を 三厘」、多分、木材すなわち、木が植わっているところは「山林(さんりん)」。

「火を起こすを 七厘」、そのものズバリで、火を起こすのを「七輪(しちりん)」。「七輪」の値段が「七厘」という話もどこかで読んだ覚えがあります。
「水っぽい酒は 四圓」、「圓」は「円」の旧字。水っぽい酒では「四円(よえん・酔えん)」。
「東京は日本の 壱」、多分、東京は日本「一(いち)」という意味か?
「本因坊ハ 五」、本因坊といえば「碁」。
「女の大やくハ 三」、「三と三並んで女の大厄」は「寅さん」の「啖呵売」のでセリフ。女性の大厄は33歳で「三」と関係あり。
「富岡ハ 八万」、富岡といえば「八幡宮(はちまんぐう)」。
「寝てくらすは 壱升」、「一生(いっしょう)寝て暮らしたい」ものですが・・・・
「はな風ひきハ 八九升」、鼻風邪をひいたら「ハックション」。
「千葉周作ハ 一斗」「宮本無三四ハ(宮本武蔵?) 二斗」、千葉周作は「一刀(いっとう)流」、宮本武蔵は「二刀(にとう)流」。 

「から鉄砲ハ 五斗」とはなんでしょう?私、すでに空鉄砲になっているので、気になります。


読んで見れば、語呂合わせ、現代流にいえば「オヤジギャグ」。でも、こうやって、縁起のいい絵と組み合わせてみると面白いですね。


まだ、意味不明のところがありますが、しばらくこの錦絵で遊んでみようと思います。なお、字の読み方の間違い、解釈の誤りもあるとは思いますが、ご愛敬でお許しのほどを。なお、パソコンでは出ない字もありました。


絵はクリックすると拡大するので、皆様も意味を考えて、お楽しみのほどを。



2020年1月11日 (土)

第四回「えんがわ・一畳の気まぐれ資料館」

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「えんがわ・一畳の気まぐれ資料館」も第四回を迎えました。

「千々石の古(こ)絵葉書」「原城の乱関係の絵図・軍記物」「物語の挿絵原画・アニメーションの資料」ということで展示をしましたが、アニメーションの方は子どもさんが興味を持っているのか、えんがわの家主の西田さんの方でもFacebookで宣伝をしていただいたせいか、市外からも、子ども連れで見に来られた方もおられ、展示をした甲斐がありました。


今回は新年、春らしいものをと、栗原玉葉、森川青坡の掛け軸と正月用引札の展示をしました。


栗原玉葉、森川青坡についてはあまり知られていないと思いますが・・・・ざっくりと書けば・・・・


栗原玉葉は長崎県南高来郡吾妻町(現雲仙市)明治16年生まれ。梅香崎女学校で学び上京、私立女子美術学校に入学、卒業時には184名を代表し壇上に立つ。

研鑽を積み各種美術展に入選。特に、第七回・八回・九回・十一回・十二回の文展、第三回帝展に入選。一時は、西の松園(上村松園・女性初の文化勲章受章)東の玉葉とも呼ばれ、同時代を代表する女流作家として活躍。
残念ながら39歳の若さで夭折したため、時代のなかに埋没し、一般的には名前も忘れられていましたが、昨年、長崎歴史文化博物館で特別企画展が開催され、再び関心を集めるようになりました。

上の写真左側が栗原玉葉。玉葉は婦人雑誌、少女雑誌にもかなりの数の表紙、口絵を描いていますが、掛け軸の下に並べているのがその雑誌です。


森川青坡は長崎県(多分長崎市)明治34年生まれ。右の掛け軸。京都で伊藤小坡、西川翠嶂に学ぶ。第九回・十回・十一回・十二回の帝展に連続入選。かなりの力量だという事が分かります。昭和19年の美術展出品後、画歴、消息、没年とも不明。上の右の写真は絵葉書になっていたもので、第九回帝展の出品作品「嶋めぐり」。時代としてはモダンな作品です。


今回の展示は合わせて「正月用引札」の展示。


引き札は、ざっくり言えば、チラシ、ポスター。江戸時代からありましたが、明治のころから色彩豊かになり、大正時代にかけて最盛期。その後、印刷技術の発達により衰退しますが、特に正月にお得意様、ご近所に配られた引札は「正月用引札」といわれ、明治ロマン、大正ロマンを感じさせます。三つ折り、四つ折りにして熨斗(のし)を付け配ったといわれています。残念ながら長崎の「正月用引札」は見つけきれませんでした。引札については以前どこかに書いたような?・・・(^_^;)


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座敷の障子が寂しかったので、こちらも利用させていただきました。

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チラシです。予算の関係から、ご町内限定の新聞の投げ込みになります。クリックすると、大きく、読みやすくなると思います。多分。急いで書いたので、「松園」を「玉園」と書き間違えました。弘法も筆の誤り<(_ _)>。
雲仙市内の方は図書室に配る予定なので、ご利用を。


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入場無料。会場は千々石郵便局の近くです。通りかかられた折はお立ち寄りを。3月末まで展示。お客さんが多いときは延期します。なにせ「一畳の『きまぐれ』資料館」だから。展示期間は、あって無きが如し。




2018年7月 6日 (金)

関東大震災時「浅草公園」の図


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ただいま、こちら方面は大雨で、警報発令中。このところ、地震、洪水などが続き、犠牲者の方も出ています。自然の猛威の前には人間の力は弱いもので、普段からの訓練、準備、心構えの必要を感じます。

さて、最近、古写真、絵図、絵はがきなどを集めていますが、その中に、関東大震災時の浅草公園の図が二枚あったので、ご紹介を。

上の図は、題が「(帝都大震災画報)浅草公園花屋敷及十二階之真景」。右の方と左の方に説明があり、下記のとおりです。(旧漢字、漢数字で書いてありますが、現代の漢字に直しています)。右の方です。

大正12年9月1日午前11時58分 関東地方未曾有の大地震起り地は亀裂を生じ 家屋は倒壊し東京市内88余ヵ所より火災起こり 一面火の海と化し水道は断水し 風勢強烈 まして消防に術なく焼失家屋36万余戸 死者7、8万余 負傷者その数算し難く 殊に本所方面の避難者は互いに安全地に逃げんとせしも 各橋墜落し交通途絶 其多数は石原町方面の広場へ避難せしに 一陣の旋風に猛火に渦を巻きあげ群衆の頭上に落下し搬出せる荷物の一時?投火せし為?焼死者残出し??最も甚大の場所なり(注:?は読めない所です)

読んで見ると、地震より、地震による火災の被害が多かったことが分かります。今と違って、ほとんどの家が木造で、火の回りが早かったのでしょう。

左の方です。

焼失戸数36万6262戸 焼失区 芝 麹町 神田 京橋 赤坂 大谷 浅草 本所 深川 大鳥町一部

なお、印刷が大正12年12月、発行が12年同月15日になっています。

下は絵の下部に「東京浅草公園内見世物場火災に罹る圖」とのみ記載されています。

比べると、人が慌てて逃げている様子、特に象が描かれ、引き留めている様子が分かります。檻の中には、トラ、サルがいます。なお、罹災者が多く集まったため、多くの動物が薬殺されたそうです。

下の絵で、ちょんまげをした人が見えますが、持っているのは三味線。後ろに「〇〇太夫」と、のぼり旗があるので、演芸一座の一員だということが分かります。

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下の写真は、明治40年刊行の写真集より複写したものですが、一番高い建物が「浅草六区 凌雲閣」。明治23年に竣工。日本初のエレベーターを備え、12階建て52mだったそうですが、関東大震災で半壊、その後解体されます。なお、当時は浅草公園の区域外地である千束町(現在とは異なります)にあったそうです。

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まだまだ強い雨が降り続いています。TVでは災害状況、犠牲者の方の報道が流れています。同報無線で避難情報も放送されています。いままで無かった大雨で、まだ、明日も続くようです。被災しないように情報を良く聞き、災害に合われないように・・・・・


2018年3月10日 (土)

「詩都長崎」★田川憲・手摺版画ハガキ

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たまたま、長崎が生んだ田川憲氏の手摺り版画のハガキを入手しました。古びた袋に3枚の作品が入っていました。

長崎と言えば昔は良く歌謡曲に歌われ、長崎に関する歌を歌えば、ヒットすると言われた時代がありました。

長崎エレジー、長崎から船に乗って、長崎小夜曲、長崎の雨、長崎の鐘、長崎のザボン売り、長崎の蝶々さん、長崎の女(ひと)、長崎の夜はむらさき、長崎ブルース、長崎は今日は雨だった等々。まさに、「詩都長崎」です。

上の版画は、ご存じ眼鏡橋。

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長崎の出島方面はここ数年行っていません。今、出島の復元ができたようですが、確か昔は出島の境界線が分からなく(出島付近は完全に埋め立てられています)随分調査をしたようでした。

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実は、長崎県美術館の所蔵品で上の版画の大きいのがあるのですが、それには、「ピナテールと長崎」という題が付いているのですが、説明の最後に、(田川憲『長崎・東山手十二番館』形象社、1973年)とあるのですが、上の版画には「DEJIMA(注:出島)」と書いてあるので、多分、長崎県美術館の誤りだと思います。県美の作品も良く見ると下の方に「DEJIMA」と書いてありました。

一応、GoogleEarthでみたら出島に下のようなところが出てきたので、間違いないと思います。
 


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昔、長崎で贈答品といえば「カステラ」多かった記憶があり、「カステラ」があると、争って食べていたのですが、今はケーキが主流になってしまいました。何となく寂しい感じです。

ウチの母も、カステラといえば「福砂屋」のものを買っていたのですが。一番上の蝙蝠さんがキャラクター。


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これも、GoogleEarthからの写真ですが、ほとんど昔と変わっていませんね。創業は寛永元年(1624年)となっていますから、394年前ですね。

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こちらは、福砂屋さんとライバルの文明堂の商品札かな?顔の所に切れ込みがあり、挟み込むようになっているので、商品の所に置いていたものでしょう。

絵はもちろん、カッパの清水崑さん。長崎出身で、黄桜酒造のキャラクターにも使われていたそうです。


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長崎も軍艦島の文化遺産登録、出島の復元等々、賑やかになりましたが、絵はがきを見ながら、なにか、昔の長崎のシットリとした感じがなくなってきたような感じがします。


2016年11月11日 (金)

「病院のギャラリー」&「BEACH GIRLS」&「カテーテルアブレーション経過」

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昨今、心臓病、前立腺ガンが多いので、初めに参考のため少しばかり。

昨日は心臓手術のカテーテルアブレーションの経過を見てもらうため、「独立行政法人国立病院機構 長崎医療医療センター」へ。なんか、舌を噛みそうな名前ですが、私たちは、いまだもって、「国立病院」と言ってますが・・・

寒くなると、なんとなく不整脈(普通の方にも出ている程度)、胸の痛みがあり、相談したら、アブレーション手術は大体3か月まで再発が起きないと、大丈夫だとか。もし、再発した場合は再手術(一回目より簡単に済むそうです)だとか。血液サラサラの薬もやめて良いそうですが、心配なので出してもらいました。(手術は今年2月末)

さて、今度は前立腺の手術の日程を決める必要があるのですが、こちらは切るのは嫌だし、放射線治療を選びましたが(治療期間2カ月)、放射線の影響で腸あたりから出血もあるとかで、血液サラサラの薬を気にしていましたが、大村の方で聞くと、治療中は薬はやめてもいいだろうということでした。なんとなく、治療のほうも煮詰まってきたようで、来年は体のオーバーホールと体力作りの年にしたいと思っているのですが・・・

さて、以前にも紹介をしましたが、この病院には小さなギャラリーがあり、入院の方の癒しのためか、いつも心安らぐ作品が並べてあります。経費節減のためか、照明はいつも消してあり、鑑賞する方が自由に照明をつけることになっていますが、いつもは暗いため、なんとなく入りにくい感じ。


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で、今回は長崎市在住のカウンセラー山口奈津江さんの作品。
「火葬場より、女子大生のしみじみノート」、「しあわせの成功ノート」の2冊の著作があり、2007~2009年に長崎新聞に「なっちゃんもガーデニング」を掲載したそうです。
入院患者の方には、なんとなく、ホットする感じかなという絵と言葉。

この病院では、以前紹介しましたが、患者さんの心を安らげるためか、コンサートもやっており、手術直後は心配で、回復時は退屈します。回復が長引くと、心配が心に重く感じてきます。入院患者さんだけでもなく、お見舞いの方も少しばかり覗いてほしい場所です。
本当に、病院も患者さんの立場に立って、治療をしていく時代になったと思います。


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患者さんが多く、支払い、薬の受け取りと時間がかかったので、鈴田峠あたりで昼食でもと思いつつ、「道の駅 長崎街道 鈴田峠 峠の茶屋」に寄ってみたら、下のようなものが売ってあり、ついつい買ってしまった「BEACH GIRLS」。

ラムネの瓶にラベルを貼ったものですが、よく考えた、と思いました。特に、腰のくびれ、じゃなく瓶のくびれの部分、ガラス瓶なれど、なんとなく色気を感じます。


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