絵画

2020年7月 6日 (月)

島原半島「鳥瞰図」

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写真がボケ気味ですが、クリックするときれいに見えるのもあります。そうで無いのもありますが(^^;)。

最近、上のチラシ、ポスターを見かけることが多くなりました。「一般財団法人 島原半島観光連盟」が出したもので、「県内宿泊で5000円得する!」というもので、合わせて島原半島内に宿泊をすると、お得になるというもの。らしいです。


で、上の島原半島の絵図。「鳥瞰図」です。鳥が高いところを飛び、その視点で風景を描いた物です。この絵図を見て、どこかで見たなと思い、私が持っている島原半島関係の鳥瞰図を引っ張り出してみました。もちろん原画ではなく、旅館、観光案内などで印刷をされたものです。


下は「大正の広重」といわれた吉田初三郎の弟子”金子常光”が描いた「国立公園 雲仙大観」。雲仙の宮崎旅館の案内に載っています(昔のです、以下全部、昔のものです)。なんとなく、チラシのイメージっぽいですね。


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作者は分かりませんが「雲仙国立公園協会発行」になっています。これもなんとなく、ポスターの図柄と似ていますね。

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「原城趾 絵図案内」となっており、著作権と発行者が南有馬村の「江田廣・松島歳巳」となっていて、絵を描いたのが松島歳巳」さんみたいです。

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真ん中の所「本丸」「ほねかみ地蔵」「空濠」「佐分利碑」等と書いてあり、「原城」ですね。

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「沿線案内 島原鉄道 口之津鉄道 温泉軽便鉄道」とあり、”著作権者兼発行者”が「植木元太郎」になっており、島原鉄道を作った方です。島原半島の「鳥瞰図」は大半が雲仙を中心に描いてありますが、こちらは中心が島原市になっており珍しいと思います。

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”門司鐵道局”の「雲仙岳」。鐵道局の案内にしては、あっさりしてますね。

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真打ちの「吉田初三郎」の絵図。さすが迫力が違います。

”大阪毎日新聞社発行”の「日本鳥瞰 九州大図絵」。九州全体が書いてあります。端の方に「要塞司令部認可」文字があり、時代を感じさせます。


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「釜山」「京城」などの文字も見えます。右は高千穂あたり。

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”九州ホテル”の案内「日本八景 雲仙岳」。

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雲仙の中心地ですが、よく細かいところまで描いています。右は”千々石”あたりですが「千々石」が「千々岩」になっています。この頃の絵図、地図などを見ると良く「千々岩」と書いてありますが・・・。「橘中佐像」もあります。車が走っているところも書き込んであります。

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下は「大阪毎日新聞・東京日日新聞」が選定した「日本八景」。全部「吉田初三郎」が描いていますが、これが「主婦之友」の昭和5年8月号の附録。

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「日本八景」については、興味ある資料を入手したので後日。

一番上のポスターの絵図、よく見ると雲仙災害後の砂防ダムまで書いてあり、昔の図柄を利用して、良く工夫して描いたと思います。ポスターで見るとかなりの迫力があります。



2020年1月26日 (日)

「入増盛算」を読み解く~河鍋暁斎・勝文斎合作

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河鍋暁斎と勝文斎合作の「入増盛算」。恵比寿さんとお多福さんと大黒さん。縁起の良い組み合わせで、「入」も「増」も「盛」も縁起の良い言葉。「入増盛算」は「いりぞうますざん」「いりますせいざん」等、何種類かあるみたいですが、熟語としても辞書には載っていないので、確たる読み方は分かりません。明治期の作品になります。

この錦絵には調べると二種類あるみたいで、右下の作者名がこれでは「惺々暁斎」、これは河鍋暁斎のこと。もう一つは「勝文斎」と書いたのがありますが、理由は調べましたが、分かりませんでした。また、これを利用した引き札(昔のチラシ、ポスター)もあります。


書いてあるのを読むと、最初は分からなかったものの、「読み解く」まではいきませんが、多少は分かってきました。


「木材の間を 三厘」、多分、木材すなわち、木が植わっているところは「山林(さんりん)」。

「火を起こすを 七厘」、そのものズバリで、火を起こすのを「七輪(しちりん)」。「七輪」の値段が「七厘」という話もどこかで読んだ覚えがあります。
「水っぽい酒は 四圓」、「圓」は「円」の旧字。水っぽい酒では「四円(よえん・酔えん)」。
「東京は日本の 壱」、多分、東京は日本「一(いち)」という意味か?
「本因坊ハ 五」、本因坊といえば「碁」。
「女の大やくハ 三」、「三と三並んで女の大厄」は「寅さん」の「啖呵売」のでセリフ。女性の大厄は33歳で「三」と関係あり。
「富岡ハ 八万」、富岡といえば「八幡宮(はちまんぐう)」。
「寝てくらすは 壱升」、「一生(いっしょう)寝て暮らしたい」ものですが・・・・
「はな風ひきハ 八九升」、鼻風邪をひいたら「ハックション」。
「千葉周作ハ 一斗」「宮本無三四ハ(宮本武蔵?) 二斗」、千葉周作は「一刀(いっとう)流」、宮本武蔵は「二刀(にとう)流」。 

「から鉄砲ハ 五斗」とはなんでしょう?私、すでに空鉄砲になっているので、気になります。


読んで見れば、語呂合わせ、現代流にいえば「オヤジギャグ」。でも、こうやって、縁起のいい絵と組み合わせてみると面白いですね。


まだ、意味不明のところがありますが、しばらくこの錦絵で遊んでみようと思います。なお、字の読み方の間違い、解釈の誤りもあるとは思いますが、ご愛敬でお許しのほどを。なお、パソコンでは出ない字もありました。


絵はクリックすると拡大するので、皆様も意味を考えて、お楽しみのほどを。



2020年1月11日 (土)

第四回「えんがわ・一畳の気まぐれ資料館」

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「えんがわ・一畳の気まぐれ資料館」も第四回を迎えました。

「千々石の古(こ)絵葉書」「原城の乱関係の絵図・軍記物」「物語の挿絵原画・アニメーションの資料」ということで展示をしましたが、アニメーションの方は子どもさんが興味を持っているのか、えんがわの家主の西田さんの方でもFacebookで宣伝をしていただいたせいか、市外からも、子ども連れで見に来られた方もおられ、展示をした甲斐がありました。


今回は新年、春らしいものをと、栗原玉葉、森川青坡の掛け軸と正月用引札の展示をしました。


栗原玉葉、森川青坡についてはあまり知られていないと思いますが・・・・ざっくりと書けば・・・・


栗原玉葉は長崎県南高来郡吾妻町(現雲仙市)明治16年生まれ。梅香崎女学校で学び上京、私立女子美術学校に入学、卒業時には184名を代表し壇上に立つ。

研鑽を積み各種美術展に入選。特に、第七回・八回・九回・十一回・十二回の文展、第三回帝展に入選。一時は、西の松園(上村松園・女性初の文化勲章受章)東の玉葉とも呼ばれ、同時代を代表する女流作家として活躍。
残念ながら39歳の若さで夭折したため、時代のなかに埋没し、一般的には名前も忘れられていましたが、昨年、長崎歴史文化博物館で特別企画展が開催され、再び関心を集めるようになりました。

上の写真左側が栗原玉葉。玉葉は婦人雑誌、少女雑誌にもかなりの数の表紙、口絵を描いていますが、掛け軸の下に並べているのがその雑誌です。


森川青坡は長崎県(多分長崎市)明治34年生まれ。右の掛け軸。京都で伊藤小坡、西川翠嶂に学ぶ。第九回・十回・十一回・十二回の帝展に連続入選。かなりの力量だという事が分かります。昭和19年の美術展出品後、画歴、消息、没年とも不明。上の右の写真は絵葉書になっていたもので、第九回帝展の出品作品「嶋めぐり」。時代としてはモダンな作品です。


今回の展示は合わせて「正月用引札」の展示。


引き札は、ざっくり言えば、チラシ、ポスター。江戸時代からありましたが、明治のころから色彩豊かになり、大正時代にかけて最盛期。その後、印刷技術の発達により衰退しますが、特に正月にお得意様、ご近所に配られた引札は「正月用引札」といわれ、明治ロマン、大正ロマンを感じさせます。三つ折り、四つ折りにして熨斗(のし)を付け配ったといわれています。残念ながら長崎の「正月用引札」は見つけきれませんでした。引札については以前どこかに書いたような?・・・(^_^;)


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座敷の障子が寂しかったので、こちらも利用させていただきました。

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チラシです。予算の関係から、ご町内限定の新聞の投げ込みになります。クリックすると、大きく、読みやすくなると思います。多分。急いで書いたので、「松園」を「玉園」と書き間違えました。弘法も筆の誤り<(_ _)>。
雲仙市内の方は図書室に配る予定なので、ご利用を。


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入場無料。会場は千々石郵便局の近くです。通りかかられた折はお立ち寄りを。3月末まで展示。お客さんが多いときは延期します。なにせ「一畳の『きまぐれ』資料館」だから。展示期間は、あって無きが如し。




2018年7月 6日 (金)

関東大震災時「浅草公園」の図


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ただいま、こちら方面は大雨で、警報発令中。このところ、地震、洪水などが続き、犠牲者の方も出ています。自然の猛威の前には人間の力は弱いもので、普段からの訓練、準備、心構えの必要を感じます。

さて、最近、古写真、絵図、絵はがきなどを集めていますが、その中に、関東大震災時の浅草公園の図が二枚あったので、ご紹介を。

上の図は、題が「(帝都大震災画報)浅草公園花屋敷及十二階之真景」。右の方と左の方に説明があり、下記のとおりです。(旧漢字、漢数字で書いてありますが、現代の漢字に直しています)。右の方です。

大正12年9月1日午前11時58分 関東地方未曾有の大地震起り地は亀裂を生じ 家屋は倒壊し東京市内88余ヵ所より火災起こり 一面火の海と化し水道は断水し 風勢強烈 まして消防に術なく焼失家屋36万余戸 死者7、8万余 負傷者その数算し難く 殊に本所方面の避難者は互いに安全地に逃げんとせしも 各橋墜落し交通途絶 其多数は石原町方面の広場へ避難せしに 一陣の旋風に猛火に渦を巻きあげ群衆の頭上に落下し搬出せる荷物の一時?投火せし為?焼死者残出し??最も甚大の場所なり(注:?は読めない所です)

読んで見ると、地震より、地震による火災の被害が多かったことが分かります。今と違って、ほとんどの家が木造で、火の回りが早かったのでしょう。

左の方です。

焼失戸数36万6262戸 焼失区 芝 麹町 神田 京橋 赤坂 大谷 浅草 本所 深川 大鳥町一部

なお、印刷が大正12年12月、発行が12年同月15日になっています。

下は絵の下部に「東京浅草公園内見世物場火災に罹る圖」とのみ記載されています。

比べると、人が慌てて逃げている様子、特に象が描かれ、引き留めている様子が分かります。檻の中には、トラ、サルがいます。なお、罹災者が多く集まったため、多くの動物が薬殺されたそうです。

下の絵で、ちょんまげをした人が見えますが、持っているのは三味線。後ろに「〇〇太夫」と、のぼり旗があるので、演芸一座の一員だということが分かります。

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下の写真は、明治40年刊行の写真集より複写したものですが、一番高い建物が「浅草六区 凌雲閣」。明治23年に竣工。日本初のエレベーターを備え、12階建て52mだったそうですが、関東大震災で半壊、その後解体されます。なお、当時は浅草公園の区域外地である千束町(現在とは異なります)にあったそうです。

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まだまだ強い雨が降り続いています。TVでは災害状況、犠牲者の方の報道が流れています。同報無線で避難情報も放送されています。いままで無かった大雨で、まだ、明日も続くようです。被災しないように情報を良く聞き、災害に合われないように・・・・・


2018年3月10日 (土)

「詩都長崎」★田川憲・手摺版画ハガキ

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たまたま、長崎が生んだ田川憲氏の手摺り版画のハガキを入手しました。古びた袋に3枚の作品が入っていました。

長崎と言えば昔は良く歌謡曲に歌われ、長崎に関する歌を歌えば、ヒットすると言われた時代がありました。

長崎エレジー、長崎から船に乗って、長崎小夜曲、長崎の雨、長崎の鐘、長崎のザボン売り、長崎の蝶々さん、長崎の女(ひと)、長崎の夜はむらさき、長崎ブルース、長崎は今日は雨だった等々。まさに、「詩都長崎」です。

上の版画は、ご存じ眼鏡橋。

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長崎の出島方面はここ数年行っていません。今、出島の復元ができたようですが、確か昔は出島の境界線が分からなく(出島付近は完全に埋め立てられています)随分調査をしたようでした。

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実は、長崎県美術館の所蔵品で上の版画の大きいのがあるのですが、それには、「ピナテールと長崎」という題が付いているのですが、説明の最後に、(田川憲『長崎・東山手十二番館』形象社、1973年)とあるのですが、上の版画には「DEJIMA(注:出島)」と書いてあるので、多分、長崎県美術館の誤りだと思います。県美の作品も良く見ると下の方に「DEJIMA」と書いてありました。

一応、GoogleEarthでみたら出島に下のようなところが出てきたので、間違いないと思います。
 


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昔、長崎で贈答品といえば「カステラ」多かった記憶があり、「カステラ」があると、争って食べていたのですが、今はケーキが主流になってしまいました。何となく寂しい感じです。

ウチの母も、カステラといえば「福砂屋」のものを買っていたのですが。一番上の蝙蝠さんがキャラクター。


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これも、GoogleEarthからの写真ですが、ほとんど昔と変わっていませんね。創業は寛永元年(1624年)となっていますから、394年前ですね。

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こちらは、福砂屋さんとライバルの文明堂の商品札かな?顔の所に切れ込みがあり、挟み込むようになっているので、商品の所に置いていたものでしょう。

絵はもちろん、カッパの清水崑さん。長崎出身で、黄桜酒造のキャラクターにも使われていたそうです。


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長崎も軍艦島の文化遺産登録、出島の復元等々、賑やかになりましたが、絵はがきを見ながら、なにか、昔の長崎のシットリとした感じがなくなってきたような感じがします。


2016年11月11日 (金)

「病院のギャラリー」&「BEACH GIRLS」&「カテーテルアブレーション経過」

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昨今、心臓病、前立腺ガンが多いので、初めに参考のため少しばかり。

昨日は心臓手術のカテーテルアブレーションの経過を見てもらうため、「独立行政法人国立病院機構 長崎医療医療センター」へ。なんか、舌を噛みそうな名前ですが、私たちは、いまだもって、「国立病院」と言ってますが・・・

寒くなると、なんとなく不整脈(普通の方にも出ている程度)、胸の痛みがあり、相談したら、アブレーション手術は大体3か月まで再発が起きないと、大丈夫だとか。もし、再発した場合は再手術(一回目より簡単に済むそうです)だとか。血液サラサラの薬もやめて良いそうですが、心配なので出してもらいました。(手術は今年2月末)

さて、今度は前立腺の手術の日程を決める必要があるのですが、こちらは切るのは嫌だし、放射線治療を選びましたが(治療期間2カ月)、放射線の影響で腸あたりから出血もあるとかで、血液サラサラの薬を気にしていましたが、大村の方で聞くと、治療中は薬はやめてもいいだろうということでした。なんとなく、治療のほうも煮詰まってきたようで、来年は体のオーバーホールと体力作りの年にしたいと思っているのですが・・・

さて、以前にも紹介をしましたが、この病院には小さなギャラリーがあり、入院の方の癒しのためか、いつも心安らぐ作品が並べてあります。経費節減のためか、照明はいつも消してあり、鑑賞する方が自由に照明をつけることになっていますが、いつもは暗いため、なんとなく入りにくい感じ。


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で、今回は長崎市在住のカウンセラー山口奈津江さんの作品。
「火葬場より、女子大生のしみじみノート」、「しあわせの成功ノート」の2冊の著作があり、2007~2009年に長崎新聞に「なっちゃんもガーデニング」を掲載したそうです。
入院患者の方には、なんとなく、ホットする感じかなという絵と言葉。

この病院では、以前紹介しましたが、患者さんの心を安らげるためか、コンサートもやっており、手術直後は心配で、回復時は退屈します。回復が長引くと、心配が心に重く感じてきます。入院患者さんだけでもなく、お見舞いの方も少しばかり覗いてほしい場所です。
本当に、病院も患者さんの立場に立って、治療をしていく時代になったと思います。


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患者さんが多く、支払い、薬の受け取りと時間がかかったので、鈴田峠あたりで昼食でもと思いつつ、「道の駅 長崎街道 鈴田峠 峠の茶屋」に寄ってみたら、下のようなものが売ってあり、ついつい買ってしまった「BEACH GIRLS」。

ラムネの瓶にラベルを貼ったものですが、よく考えた、と思いました。特に、腰のくびれ、じゃなく瓶のくびれの部分、ガラス瓶なれど、なんとなく色気を感じます。


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2015年9月28日 (月)

「あいの丘・秋の名月コンサート2015」山口修・純子(演奏)/小﨑侃(即興画)~愛野町・山本美術館&山頭火の事など

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今年2月、この山本美術館での「Valentine's Concert」の事を書きましたが、その

折、「秋の名月コンサーをします」、と館長さんが言われたことを、覚えてはいた

のですが、例の美女から、「前売りチケット買っ~て」と言われれば、心の弱い

私、買わないわけないじゃないですか・・・


秋の名月コンサートですが、今年の中秋の名月は、国立天文台暦計算室によ

れば、9月27日、ちなみに来年は9月15日です。それより一日早い26日のコン

サートでしたが、少し雲がかかっているとはいえ、いい月でした。


ギターの山口修氏は、スペイン・ラミレス国際ギターコンクール、イタリア・アレサ

ンド国際ギターコンクールで日本人初の第1位になった方で、その他、海外のコ

ンクールで優秀な成績を収められ、現在、長崎を中心に活躍。


山口純子さんは、山口修氏の奥様で、活水の音楽科声楽専攻で、いつも一緒に

コンサートを開催されています。小崎侃氏は、山頭火、松尾あつゆき等の句を題

材として、版画家として、活躍。


山本美術館は、個人の美術館で、愛野町から千々石町に至る峠の、一番高い

所にあり、国道からは少しばかり入りますが、看板があるので分かると思いま

す。左側は喫茶ルーム「Art Saloon K」になっています。

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この間のコンサートは一人で行きましたが、今回は、右の席に30歳ばかり年下

のスラリとした美女が・・・・・もっとも、まったくの見知らぬ、赤の他人ですが・・・・

なんといいますか、やはり、知らぬ方とはいえ、美女が隣りに座っているのは、

張するもので・・・・・


演奏はいつものとおり、お二人の息がピッタリあったもので、夫婦はやはり、かく

あるべしですね。


会場は少し手狭ですが、ギター、声楽は大ホールで聴くより、これくらいの広さが

ジャストで、目の前での演奏は、アットホームでいいですよ。


さて、今日はこの演奏中に、小﨑侃氏が即興画を書くという事で、墨一色と、色

彩のついたもの。

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右手の方が小﨑侃氏。

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山頭火の句を題材に


・山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし

・生えて伸びて咲いてゐる幸福


ところで、山頭火の事を思い出したので、山頭火のことなどを少しばかり。

山頭火といえば、深夜放送が盛んな時、永六輔さんが山頭火の事をしきりに紹

介し、山頭火ブームになった覚えがあります。


・うしろすがたのしぐれてゆくか

・分け入っても分け入っても青い山

・ますっぐな道でさみしい

・どうしようもないわたしが歩いている

・やっと咲いて白い花だった


と、書けばキリが無いので止めますが、意外と面白い句もあり


・ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯

・ちょいと茶店があって空瓶に活けた菊

・噛みしめる味も抜けそうな歯で

・ごろりと草に、ふんどしかわいた


ところで山頭火は、島原半島の南目(橘湾沿い)を歩いており、千々石も通った

があり、行乞記に


二月十日

まだ、風雨がつゞいてゐるけれど出立する、途中千々石(チゞイワ:注チヂワで

す)で泊まるつもりだつたが、宿という宿で断られつゞけたので、一杯元気でこゝ

まで来た、行程五里、小浜町、永喜屋

千々岩(注:千々石の誤り)は橘中佐の出生地、海を見遥かす景勝台に銅像が

建立されている。・・・・・


橘中佐の銅像は、今の橘公園ではなく、最初は、上山という橘湾を見晴らす高

台にありましたから、文章からみたら、上山まで行ったのではと思います。


ところで、千々石で宿を断られていますが、これは昭和7年らしく、昭和5年の「行

乞道草」にも


・泊めてくれない村のしぐれを歩く


という句があり、多分、野宿などもしていますから、ヨレヨレの格好で、風体もよろ

しからず、ということで、あちらこちらで宿泊を断られたのでしょう。


しかし、千々石に泊めてくれる宿があり、一句作って貰っていたらと思うと、残

な気がするのですが・・・


さて、山本美術館では、来年もコンサートを続けるとか。来年も期待しています。

その時は、本当に一人でなく・・・・


2013年7月10日 (水)

巌流島の決闘★歌川国芳展から~?????

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              (「歌川国芳展図録」より)



下関のホームページ、「巌流島」で見ると、今年、2013年は「巌流島の決闘」401周年で

す。昨年が400周年。来年が402周年でしょう。普通、5年置きとか、10年置きとかが、記

念の年になるのですが、こちらでは、毎年が記念の年になるようです。こんな考えもあると

いうことで、下関のこと好きになりました。


先日から、長崎歴史文化博物館で、「歌川国芳展」が開催され、長崎では7月24日(水)ま

でですが、某所より招待券が二枚届き、何となくカミサンに見せると、「私も行く」と。いらな

いことは言わない事ですね。おかげで、神経を使いました。なにせ、おっかない人だから。


さて、国芳展の最後の方の浮世絵です。「巌柳島報讐図」が画名になっています。

この絵見て、「じぇ、じぇ、じぇ、じぇ、じぇ」。佐々木小次郎が、優男で、宮本武蔵がむくつけ

き男のはず。これで見ると、反対の感じ。右の方宮本武蔵ですが、いやに、色白く優男、

佐々木小次郎が、むくつけき大男。


おまけに、武蔵は、船の櫂を削って長い木刀を作っていたはずが、この絵では、木剣を二

本。小次郎が刀の鞘を投げ捨てたとき、武蔵は「小次郎破れたり!鞘を捨てるとは勝つ気

が無いからだ(だったかな?)」と言ったはずですが、小次郎の腰にはちゃんと、刀の鞘

が・・・ありますね。試合の時は、立会人がいたのみで、見物人はいなかったはず。


イメージとしては

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           (下関市「巌流島」ホームページより)

という感じなのですが。


図録の解説には「近代の小説では宮本武蔵の決闘の相手は佐々木小次郎となっている

が、江戸の実録や講釈などでは、養父の敵、四十余あまりの大男佐々木巌流である。小

倉の海上への小島へ決闘に向かう武蔵は櫂をを二つに折って左右の手に持ち巌流と戦

う。切り込んできた巌流の刀を飛び越しざま、櫂で巌流の眉間を一撃、地に降りざまさらに

頭を撃って巌流を倒した。これによりこの小島の名を巌流島と呼ぶようになったという。」と

書いてあります。「近代の小説」は、多分、吉川英治の「宮本武蔵」の事でしょう。


巌流島の決闘については、武蔵の養子、伊織が建てた武蔵顕彰碑に刻まれた、「小倉碑

文」、「沼田家記」、「本朝武芸小伝」、「丹治峯均筆記」等あり、武蔵が時刻に遅れたとか、

遅れなかったとか、いろいろあるようです。


「沼田家記」には、武蔵が決闘に弟子を連れていき、武蔵が小次郎を打ち倒し、小次郎が

息を吹き返したが、弟子達が打ち殺したとあるそうです。


さて、私たちのイメージとしては、吉川英治著、「宮本武蔵」があり、それを、映画化、TV化

したものばかり見て来たので、そう思い込んでいたようですが、真実は如何に?ネットで調

べるといろいろありますね。


この試合、見物人がいるようですから、入場料を払っても。ポチ見たかったな。

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2012年12月18日 (火)

久山茶屋 長崎街道絵巻通~長崎県諫早市久山町

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昨日書きましたが、久山の磨崖仏を見に行ったら、なんと、道路が途中で消失。しかし、左

の写真、赤の四角の所、なにやら面白そうなタヌキの彫像と、通路が・・・

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通路の中を見たら、これまたビックリ

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長崎から小倉にいたる、長崎街道の名所が、通路の左右にびったり描いてあるではありま

せんか。


あらためて、タヌキの土台を見たら、「久山茶屋 長崎街道絵巻」、協力者として、久山自治

会、NPO法人ふれあいフレンド、NPO法人長崎街道松並復元会、西諌早中学校、創成館

高等学校、そして、個人の名前がずらりと書いてありました。


この上の車道は、251号線と34号線を結ぶ車線、(諫早~飯盛)になっていますが、新し

い道が出来たために、途切れ、歩道として、この通路が出来たのでしょう。


左右の絵、紛れもなく、タヌキの絵で有名な、堤けんじ氏の絵です。調べて見ると、平成21

年の完成。堤けんじ氏が8ヶ月書けて下絵を描き、地元の小中学生が色づけをしたそうで

す。


完成して、3年余を経ていますが、落書き一つありませんでした。愉快な絵がたくさんあり

ますから、子どもでも連れて見に来てください。

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各写真、クリックすると拡大しますから、お楽しみを。

なお、この通路を出たところ、

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ここの道が、長崎街道であったことが分かります。街道は整備がしてあるらしく、日を改め

て、彼女(もちろんカミサンではありません)と二人で、お手々つないで歩いてみるつもりで

す。


でも、この久山町、磨崖仏は見れるし、愉快な絵は見られるし、楽しいところでした。

場所は、昨日の記事を見てください。目標は、国道34号線、諫早市久山町の、ホテルビル

フェルド(横文字で書いてあります。潰れています。)横の道から入ります。


今日は漢方医さん行き、話していると、寒さと、暖かさが繰り返しているため、体調を崩し

ている人が多いとか(本日は2時間待ち)。まあ、気を楽に、ポチポチ生きていきましょう。

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2012年11月16日 (金)

小浜歴史資料館★円山応挙・池大雅・成富椿屋(ちんおく)展~長崎県雲仙市小浜町

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小浜歴史資料館、何回か登場して貰いました。先日は、西郷隆盛、福沢諭吉、勝海舟の

書でした。もちろん、所有者は小浜の湯大夫の子孫、本多家の所有物です。


今回は、円山応挙、池大雅、成富椿屋(明治33年、当時の皇太子殿下、佐賀市行幸の

時、皇太子殿下の御前で鶴松の画を揮毫したそうです)の日本画展です。これも、本多家

の所有物です。


特に、円山応挙といえば、お宝鑑定団によく出てきて、本物はあまり無いといった絵画で

す。「足のない幽霊」を書き始めた画家だとも言われています。


池大雅は、江戸時代の文人画家、雅号は「大雅堂」「霞樵(かしょう)」等。与謝野蕪村と共

に、文人画家として有名です。

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一番右が、池大雅、真ん中が、円山応挙、左が、成富椿屋。どうも、無造作に架けてあると

おっかない感じ。もっとも、監視カメラはばっちりと・・・

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左が池大雅、右が円山応挙。池大雅には「霞樵(かしょう)」の号が書いてありました。


展覧会に行くと、何点も並んでいて、目移りがするものですが、一点だとじっくり見れて、か

えって、良いもんですね。平日、朝からだったので入場者もおらず、これが、円山応挙か

と、心ゆくまで見て来ました。


そういえば、「小曽根乾堂」の絵も、ちょっと替わっておりまして、この方、坂本龍馬の援助

者で、亀山社中の財政を支え、海援隊の本部を小曽根家に置いたりしています。以前にも

少し触れた事とと思いますが・・・


明治政府の勅命で御璽・国璽を刻しています。「御璽・国璽」、読み方、意味が分からない

方は、辞書をお調べ下さい。


説明を読んでいると、「勝海舟と長崎妻の間に生まれた子の世話もしている。」と書いてあ

るではありませんか。英雄色を好むか、はたまた、単なる助平か・・・なお、勝海舟が用

いた印は小曽根乾堂の作だそうです。  (参考・引用:各説明による)

Pb150076_2

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