先日、ネットのニュースを見ていると上のような記事がありました。
明治安田生命のアンケートで、夫婦円満でない人の内、夫婦仲を改善したいと思っているかどうかです。
夫婦仲を改善したいと思っている夫は約半数の49.3%。妻の方は26.4%だそうです。随分、男性と女性では差があります。ふと、”黒の舟歌”を思い出しました。
男と女の間には 深くて暗い河がある
誰も渡れぬ河なれど エンヤコラ今夜も船を出す
ROW&ROW ROW&ROW ふりかえるな ROW ROW
11月22日は「いい夫婦の日」だそうです。1988年に、財団法人「余暇開発センター」によって定められたそうです。
この時期、同法人で「夫婦に関するアンケート」を実施したそうですが、「生まれ変わったら今のパートナーではなく、別の人と結婚したい」の問いに対し・・・
「別の人と結婚したい」と答えた女性が27.5%、男性が13.8%。女性の方が「今の旦那、イヤ!」という方が多かったそうです。これが33年前の話。
今の調査をネットで見ると、意外と「一緒になりたい」という方が女性も男性も多いようです。
もっとも、調査は、調査主体、方法によってかなりの違いが出ます。先日の衆議院選挙の事前調査はマスコミが大外れでした。
最近の「一緒になりたい」については、若い方の意識は昔とは随分違ってきているようです。
若い男性に「愛してる」って奥さんに言ってる?と聞くと、怪訝な顔をして「言ってますよ、起きたとき、寝るとき、食前食後、行為前後。当たり前でしょう」と。私たちの世代では、恥ずかしく言えません。仲が良いことは良いことだと思います♬~。
新馬鈴薯が出ていたので、買ってみましたが「170円」。地元産だから、いつもは100円ですが。外のお野菜も高いようですが。最近は、iPadでレシピを見ながら料理をしていますが便利ですね。
新馬鈴薯の醤油バター炒め。片手間に好物のジャガサラダ。食べるときに、キュウリとか玉ねぎのみじん切りを入れます。コレで3回分ほど。明日はオクサマがいないので、上のお肉で豚の角煮などを。
今年は柿の当たり年で沢山採れました。ウチのは甘柿で、例年虫とかカラスにやられていたのですが、多少の虫食いはあるものの、結構良い柿で食べきれなかったので、知り合いの家に配ったりしましたが、ですね、某家から渋柿をどっさり持ってきまして、これは干し柿にしました。
私も夫婦仲を改善したいと思い、また、生まれ変わったら一緒になりたいのですが、オクサマはそうもなさそうで、なんとなく「あの素晴らし愛をもう一度~♫・・・」などと口ずさみながら、新馬鈴薯を料理いたしました。
思い出しましたが、私たちの結婚式は「11月12日」。「いいひに結婚(良い日に結婚)」だったのですが。
「白いたい焼き」クン。一時流行り、あちらこちらお店を見かけました。最近はお店どころか「母さん、あの白いたい焼き、どうしたんでせうね?」という状況です。
白いたい焼きどころか、普通のたい焼きも見かけなくなりました。お好み焼き、たこ焼きは見かけるのですが・・・世の中、健康志向が強く、甘い物は避けるようになったのかな?珈琲も昔はどっぷりと砂糖を入れていたのですが、現在、見ていると皆さんブラックばかりですね。
さて、上の普通のたい焼き、食べてみてアンコが少ないなと思って解剖したら、申しわけ程度のアンコでした。
何十年前だったか、このたい焼きのシッポまでアンコが入っている店があり、話題になった記憶があります。他の店も真似をしたものか、シッポまでアンコを入れる店が増えた覚えがあります。
その時分、ラジオの深夜放送をよく聞いていて、永六輔さんが、たい焼きについて語っていました。うろ覚えですが・・・たい焼きのアンコがシッポまで入っているのが良いという意見がある。でも、たい焼きは、お腹の中のアンコを食べ、口の中が甘ったるくなったところに、アンコが入ってないシッポの所をカリッと食べて、お口直しにするのが、本当のたい焼きだ。
最近は鬼滅の刃が流行、その前はONE PIECE、その前は進撃の巨人、その前はジョジョの冒険、その前は何だっけ?今はSNS、マスコミ等で少し話題になると、どっと、その方向に流されてしまっています。
たい焼きの”アンコ”と一緒ですね、アンコがシッポまで入っているのが話題になると、それが正しいと思う。本当はどうなのか検証もしないで、そちらに流されてしまう。
「価値観の多様性」という言葉があります。あれ、「ブレない心」、言い換えれば「自律性」があるから生きるのです。「ブレない心」があるから、色々なことから、是とするところ、非とするところが見えてくる。「ブレない心」が無いのは「多様」ではなく、「混乱」と言います。「多様性」ではなく、「価値観の混乱」が、今の世にはびこっているように見られます。混乱の中、いろいろな物に流されているのが現代だと思います。
年頭にあたり、今年は「ブレない心」を気がけて、一年を過ごしたいと思っています。
ところで、「気がける」を調べていると、これって、方言らしいですね。広辞苑にも載っていません。”Y!知恵袋”に「〈気がける〉という言葉が〈気にかける〉の方言だということを最近知りました。」という質問のベストアンサーに「・・・『気がける』は、ほとんど日本人には理解できないでしょう。従って、筆者が『気がける』と書いている場合は、修正するでしょう。」と回答してありました。これについては、もう少し調べたいと思います。
いまや、先生も父親も子供のお友達になりました。永さんみたいに、おっかない顔で、ユーモアを交えて世の中を語る大人が少なくなりました。今の時代、是非読んでもらいたい本です。
歳をとったら、本の読み方が違ってきて・・・
厚い本は読まない、字が小さな本は読まない、登場人物が5名以上の本は読まない、高い本は買わない、ということでエッセイを読むことが多くなりました。
ヨシタケさんの本、2,3冊読みましたが、なんとなくホットしながらも、考えさせられるところがあります。
以前「思わず考えちゃう」が出版され、思いのほか好評だったので、出版社の方に「欲がでた」ようで、この第二弾が製作された、という事らしいです。
ヨシタケさん、「欲」について「物欲」「睡眠欲」「自己顕示欲」「性欲」「食欲」「出世欲」のほかに「納得欲」なるものを考え「わかりたい」「理解したい」というのは人間だけではないか、だから、「『納得いかない』ことが非常に大きなストレスになるのではないでしょうか。」と。
数ページ、この「納得」についてイラストでというかスッケチ風に書いていますが、結局「欲望には勝てんわな」と言うことだそうです。
・だってホラ本人だもの。あきる訳にはいかんわな。
・そうですねおっぱいは好きですね。やっぱり哺乳類なんで。
・羊の皮をかぶった羊。
・僕はこの世に100年くらいしかいないんだ。期間限定なんだヨ!
~ウチのカミサンは賞味期限切れです。ワタシもですが。
・すべての死は早すぎるか遅すぎるのだ。
・「仕事は、愛だ」というとそれっぽいけど、「愛は、仕事だ」というと怒られそう。
~伊奈かっぺいさん、女性に「遊びじゃないよ」といったら、「遊びじゃないなら、仕事なの」と言われたそうですが・・
エッセイ、スケッチありの、なんとなく自分を見直したいときの本。
「後ろ向き名言」。
落ち込んでいるとき、「頑張れよ!」と言われると「ウルサイ」と思うときがあります。言った人間との関係もあるのですが。「悲しいときは、愉快な曲を聴くより、悲しい曲を!」と言った人もいます。この本、「弱った心」のための「ネガティブ」な名言集です。
・「これが一生か、一生がこれか。ああ嫌だ嫌だ」
樋口一葉の「にごりえ」の中のセリフだそうです。樋口一葉の人生を考えれば・・・
・「人生なんて食って、寝て、やって、終わり」
立川談志の言葉。談志らしい言葉ですが。
・「生きていることが辛いなら/いっそ小さく死ねばいい」「生きてることが辛いなら、くたばる喜びとっておけ」
森山直太朗の「生きてることが辛いなら」の一節。ワイドショーで批判され、一部のコンビニで放送禁止になったそうです。
・「生きてるだけで丸儲け」
明石家さんまさんの言葉。よく、この言葉を言っていますが、1985年8月12日の日航飛行機事故の時の飛行機を予約していたそうですが、直前の番組収録が早く終わったので、一便早い飛行機に乗り難を逃れたそうです。実感のある言葉。
・「女房は死んだ、俺は自由だ」
とはボードレールの言葉、「カミサン死ぬな、オレが先だ」とはワタシの言葉。通夜とか、葬式とか、法事とか大変なんスよ。アレ考えると、先にいった方がよろしいかと。
・「誰でもいいから彼氏が欲しいって言ってた人からフラれました。」
ネットの住民からですが、ワタシも経験あり。あのときは、人生のどん底に落ちました。
・「生きてれば必ず良いことがあるって?もう待ちくたびれたよ。」
これも、ネットの住民さんです。
詳しいことを書けば、皆さんが読まれるとき、面白くないので簡単に書きました。あとは、本をお求めいただき読んでもらえれば、「ナルホド」と思うことばかりで、人生のためになると思います。
「まあまあふうふう」とは、「中国には”いい加減”という意味の”馬馬虎虎(まあまあふうふう)という言葉があるけれど、そういう気持ちでいたらどうだろう」と八千草薫さんが監督である夫の谷口千吉さんにいわれた言葉だそうです。
いい加減は「良い加減」「いい加減」で、悪い意味での「いいかげん」ではありません。
八千草薫さん、昨年2019年10月24日に88歳で亡くなられました。本の中で、乳がん、膵臓ガン、肝臓ガンの事が書かれてあります・・・
この本が出版されたのが2019年7月8日。逝去された3ヶ月ほど前になります。
八千草さんには子どもが無く、本にも死んだあとの心配事も書いてありましたが、「断捨離」について、「だから、私、『断捨離』という言葉がすごく苦手なんです。(中略)思い出も何もかもー私のこれまでを全部始末しながら生きていくなんて、そんな人生は、『ちょっと寂しいなぁ』と思うのです。」と書いてありました。
本を読んでいくと、老いるという事、老いをどう受け入れるかが優しい文章で書いてあります。
ということもあって、久しぶりに「人生臨終図」を開けて、私と同じ年齢(72)で亡くなった人を読んでみると「孔子」「安倍仲麻呂」「西行」「沢庵」「三井高利」「水戸光圀」「ショーペンハウエル」「榎本武揚」「田中正造」「後藤新平」「徳田秋声」「添田唖蝉坊」「ユトリロ」「柳宗悦」「佐藤春夫」「佐佐木茂索」「内田叶夢」「リンドバーグ」「山本嘉次郎」「棟方志功」「舟橋聖一」「ジャン・ギャバン」「ジョン・ウェイン」「松本幸四郎(八世)」「田村泰次郎」。
今では、72歳で亡くなったというと「まだ、若いのに」といわれる時代になりました。こうして名前をながめると、この人、72歳で亡くなったんだっけ?という感じの人が多い事を感じます。読んでみて、生き方、死に方も千差万別です。この本、機会があったら是非お読みください。「人生」、いつかは迎える「死」について考えさせられます。
「沢庵」は亡くなるとき「夢」と書き、下のような遺戒を残したそうです。
「全身を埋めて、ただ土を覆うて去れ。経を読むことなかれ。斎を設くることなかれ。道俗の弔賻を受くることなかれ。衆僧、着衣喫飯平日のごとくせよ。塔を建て像を安置することなかれ。碑を立つることなかれ。・・・年譜を作ることなかれ」
いかにも「沢庵」らしい遺戒だと思います。私も真似しようとは思いますが、「書いてもらうほどの年譜」は無いし・・・
さわやか佐和子さん、3週間もブラジャーを洗わないんだそうです。「かって私は胸当て下着(すなわちブラジャー)を三週間洗わない『不届き者』とよば呼ばれた女である。」とちゃんと書いてあります。
佐和子さん1953年11月生まれで、66歳。
本の写真見ると若いですね。まだ、どうみても50歳くらい。といっても佐和子さん。「シワの他にも毛髪のボリューム問題、頬垂れ問題、腹部周辺浮き輪現象(別名チチ下肉問題)」とお悩みのようです。
お父さんは「阿川弘之」氏。かなり厳しいお父さんみたいで、電話をかけているとき・・・
「いえいえ、とんでもございません」
そう私が声を発した途端、少し離れたところにいたはずの父がすっ飛んできて、
「とんでもございませんという日本語はございません。とんでもないと言え、とんでもないと!」
怒鳴られた。父に言わせれば「とんでもない」の「ない」は否定の「ない」ではない。「はかない」とか「やるせない」とか「せつない」と同様、それだけで完結している言葉である。「せつない」を丁寧に言おうとして「せつございません」とは言わんだろう。「はかない」を「はかございません」とは言わないぞ。だから「とんでもない」を丁寧に言おうとすれば「とんでもないです」あるいは「とんでもないことでございます」と言いなさい・・・といわれたそうですが、これ、電話をかけている最中、横で言われたそうです。娘としてたまりませんね。
このようなオヤジって今はいませんね。
さて、佐和子さん結婚されましたが、亭主の方、所々に顔を出します。
「今のうちに言っておきますけど、もし、私が先に死にかけても、延命措置はしないでね」
数独に夢中の亭主殿に念を押す。すると数独から目をそらすこともなく、、
「わかっている、わかっているしませんよ、なーんにもしませんよ」
そんなにあっさり言われると、ちょっと、寂しい気もする」
と、まあなんとなくうまく行っているようで、佐和子さん、まさか結婚するとは思いませんでしたが、ファンだったので残念ですが、いつまでもお幸せに。人生100年時代、66歳程度では、「老人初心者」とは言えませんね。
なお、この本の一番面白い所は、父の阿川弘之氏との絡みですが、現代だったら家庭内暴力に近いですね。
久しぶりに週刊文春を買いました。
首相補佐官と厚労省幹部が、山中伸弥教授のところに二人で出かけ、iPS研究の予算削減を通告し、その後、京都でおデートをしたとか。
もっとも本人は「いや、終わった後は自分の時間だから、メシ食ったりしましたよ。(大坪氏と)二人でいきました」
ー貴船神社にも。
「ああ、行きました。彼女はもともと、午後休暇を取っているから。僕は休暇でではなく、出張です。・・・・」
とは言ってますが、「iPS研究の予算削減を通告」なら、両人とも公務出張でしょう。公務出張は、職務であり、メシは食ったりするのは当たり前ですが、二人で写真に撮られたように、イチャイチャするのは良いんですかネ。
ということはさておき、この厚労省幹部がどこかに「美熟女」と書いてあったので、どんな顔か見たくて助平根性で週刊文春を買ったわけですが、なんのことはない、単なるおばさんでした。ウチのカミサンの方が美人です。
と思いながら、最後のグラビアを見ると、今年亡くなられた有名人が写真と共に載っていました。梅宮辰夫さんが亡くなられたのは最近ですから知ってはいたのですが、今年初めに亡くなられた方は忘れているのが多く、あ~この人もだったのかなどと思い出し、皆様も年末を前に思い出していただきたく、書き抜いて見ます。
八千草薫さん 10月24日死去 88歳
市原悦子さん 1月12日死去 82歳
内田裕也さん 3月17日死去 79歳
金田正一さん 10月6日死去 86歳
萩原健一さん 3月26日死去 68歳
橋本 治さん 1月29日死去 70歳
京マチ子さん 5月12日死去 95歳
ドナルド・キーンさん 2月24日死去 96歳
安倍穰治さん 9月2日死去 82歳
田辺聖子さん 6月6日死去 91歳
堺谷太一さん 2月8日死去 83歳
中曽根康弘さん 11月29日死去 101歳
木内みどりさん 11月18日死去 69歳
竹村健一さん 7月8日死去 89歳
ケーシー高峰さん 4月8日死去 85歳
高島忠夫さん 9月26日死去 88歳
ク・ハラさん 11月24日死去 28歳
岡留安則さん 1月31日死去 71歳
北尾光司さん 2月10日死去 55歳
ザ・デストロイヤーさん 3月7日死去 88歳
隆籏康男さん 5月20日死去 84歳
モンキー・パンチさん 4月11日死去 81歳
佐藤忠男さん 9月24日死去 68歳
兼高かおるさん 1月5日死去 90歳
吾妻ひでおさん 10月13日死去 69歳
小出義雄さん 4月24日死去 80歳
酒を酌み交わしたわけでも無く、会話をしたわけでも無く、銀幕、TVで見るばかりでしたが、いずれも、私たちの世代にとっては全盛を知っているだけに、なんとなく同士を失ったような気がしてなりません。あらためて、ご冥福をお祈りいたします。
11月26日~30日まで、お寺から「ご正忌報恩講法座」との案内があったので、出かけてみました。お寺は浄土真宗西本願寺派になります。
「ご正忌報恩講」は親鸞の命日に関わる法要、「法座」は(意味はいろいろあるようですが)、仏法を説き聞かせる会になります。
お寺では、いろいろな時、説教師というのか布教師というのか、いつも講師の先生を迎えて法話があります。なかなか、いい話があるので出かけています。本来、26日から30日まで、朝座、晩座、毎日2回、通算10回のお話ですが、26日の朝座だけ聴聞をしました。さびいからですが・・・(^^;)
今回は、福岡のお寺からの講師で、話は分かりやすく、面白い中にも仏様の話をされ、よく理解できるものでした。井上ひさしさんの「むつかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」という言葉どおりの法話でした。
以下、録音を取ってなかったので、うろ覚えの話になります。私の考えとチャンポンになっているところもありますが、骨子は以下のとおりです。なお、臨終に関しては各宗教・宗派で考え方が違うようですが・・・
この法話の中で「臨終とはなんですか?」という問いがあり「お医者さんが、脈をとってご臨終と言いますが、あれ間違いです」とのことで、「え!マジ」とは思いましたが、この言葉、一番上の「阿弥陀経」の一節「臨命終時」を簡略化して「臨終」。意味としては「命終わる時に臨み」ですから、まだ、「生きている時」のことになります。
では、私たちは、いつが「命終わる時」なのか、分かりませんね。私の経験で、学校の先生がテストの採点をしているとき、こたつの中で亡くなられた方を2名ばかり知っています。昼の運動会で元気よく走っていた奥さんが、夕方倒れ、くも膜下出血で亡くなりました。このような事は皆さんも多少なりとも経験があると思います。
言ってみれば、私たちも、いつ「命終わる時」に「臨んで」いるのかは分からないわけです。というより、私たちは常に「臨終」、「命終わる時に臨み」という時間を生きているという事になります。
あとは阿弥陀仏の話に関係づけた話になってくるわけですが、長いので省略します。
で、確かに私たちは常に、いつ死ぬか分からない「臨終」に向き合って生きているわけですから、今、この生きている時間を大切にしなければと、いつもと違って真面目に考えました。
さて、この話を聞きながら思い出したのが、正岡子規の「病状六尺」の一文。
〇余はいままで禅宗の悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった(「青空文庫」より)。
「臨終」の時を、平気で生きることがどれだけ自分にできるのか・・・
TV、ネット等で紹介されたので、ご存じの方も多いかと思います。お寺の掲示版に貼ってある言葉を集めた本です。発売が9月25日、11月15日で3刷ですから、売れている本です。
1年ほど前、お寺の掲示版のことが少し話題になった頃、ネットで一番始めに見た掲示版が下の「おまえも死ぬぞ」。とにかく、ぶったまげましたね。え~、お寺さんが、寺の前の掲示版にこんなこと書いて良いの~(?_?)
考えて見れば、私たちも冗談で「一回は死ぬちゃ」とか言いますが、無論本気ではありませんが、お寺の掲示版に「おまえも死ぬぞ」と言われれば、相手が葬式などを扱っているお坊さんだから、ドキッとしますね。
この本、掲示板の写真と共に、1~2頁、解説が入ります。
「おまえも死ぬぞ」については「釈尊の教えを伝えるとされる原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の中では、『生まれた者が死なないということはあり得ない』(中村元訳『ブッダ悪魔との対話』、岩波文庫)。」と書いてあり、この釈尊の言葉をぶっちゃけて表現したものだということですね。
(「お寺の掲示版」より)
多少気になる言葉を紹介すると(私にとって)・・・
■「難が無ければ無難な人生/難があれば苦難の人生/難あればこそ有り難し」
私にはカミサンという「難」があり、それを乗り越えてこそ、私の人間性が少しは向上していくと思えば、カミサンは私にとって「有り難い」存在なのです。と思いたいのですが・・・・・
■「大丈夫だよ/生きていけるよ」
住職さんが取り替えようとすると、門徒さんから戻してくれといわれて十年以上。確かに、誰かに言われると元気が出ますね。
■「風呂は湯加減/医者は匙加減/人生は手加減/わたしゃいい加減/さとりとは」
「さとり」とは難しいですね。円覚寺派管長の横田南峯老師曰く「『私は悟らぬものの代表です』と謙遜しながらもさとりとは何かと強いて言えば『間違いに気づくということだろうと思いますね』とおっしゃっていました。」だそうです。
さとりは、各宗派違いがありますが、上のように言ってもらえれば、なんとなく納得。
有名人の言葉を貼っているところもあり・・・
■「死はいつか来るものではなく、いつでも来るものなの」~樹木希林さん
樹木希林さんらしい言葉だとおもいます。
■「生きているだけで丸儲け」~明石家さんまさん
さんまさんの言葉に次のようなものもあるそうです。「人間生まれてきたときは裸。死ぬ時にパンツ一つはいていたら勝ちやないか」
■「これでいいのだ」~赤塚不二夫さん
「天才バカボン」のマンガの言葉ですが、「バカボンという名前は、『薄伽梵(ばぎゃぼん)』、つまりは仏に由来していると言われています。実は仏教を意識した漫画なのです、」という事だそうです。
と言うことで、不安定な時代、悩み多き人生、ご一読を。私のお寺の掲示版、なんて書いてるか明日行ってみようかな。
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