信仰

2019年12月10日 (火)

「臨終」という事

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11月26日~30日まで、お寺から「ご正忌報恩講法座」との案内があったので、出かけてみました。お寺は浄土真宗西本願寺派になります。

「ご正忌報恩講」は親鸞の命日に関わる法要、「法座」は(意味はいろいろあるようですが)、仏法を説き聞かせる会になります。

お寺では、いろいろな時、説教師というのか布教師というのか、いつも講師の先生を迎えて法話があります。なかなか、いい話があるので出かけています。本来、26日から30日まで、朝座、晩座、毎日2回、通算10回のお話ですが、26日の朝座だけ聴聞をしました。さびいからですが・・・(^^;)

今回は、福岡のお寺からの講師で、話は分かりやすく、面白い中にも仏様の話をされ、よく理解できるものでした。井上ひさしさんの「むつかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」という言葉どおりの法話でした。


以下、録音を取ってなかったので、うろ覚えの話になります。私の考えとチャンポンになっているところもありますが、骨子は以下のとおりです。なお、臨終に関しては各宗教・宗派で考え方が違うようですが・・・


この法話の中で「臨終とはなんですか?」という問いがあり「お医者さんが、脈をとってご臨終と言いますが、あれ間違いです」とのことで、「え!マジ」とは思いましたが、この言葉、一番上の「阿弥陀経」の一節「臨命終時」を簡略化して「臨終」。意味としては「命終わる時に臨み」ですから、まだ、「生きている時」のことになります。


では、私たちは、いつが「命終わる時」なのか、分かりませんね。私の経験で、学校の先生がテストの採点をしているとき、こたつの中で亡くなられた方を2名ばかり知っています。昼の運動会で元気よく走っていた奥さんが、夕方倒れ、くも膜下出血で亡くなりました。このような事は皆さんも多少なりとも経験があると思います。


言ってみれば、私たちも、いつ「命終わる時」に「臨んで」いるのかは分からないわけです。というより、
私たちは常に「臨終」、「命終わる時に臨み」という時間を生きているという事になります。

あとは阿弥陀仏の話に関係づけた話になってくるわけですが、長いので省略します。

で、確かに私たちは常に、いつ死ぬか分からない「臨終」に向き合って生きているわけですから、今、この生きている時間を大切にしなければと、いつもと違って真面目に考えました。


さて、この話を聞きながら思い出したのが、正岡子規の「病状六尺」の一文。


〇余はいままで禅宗の悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった(「青空文庫」より)。


「臨終」の時を、平気で生きることがどれだけ自分にできるのか・・・



 

2019年11月30日 (土)

「お寺の掲示版」★江田知昭著

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TV、ネット等で紹介されたので、ご存じの方も多いかと思います。お寺の掲示版に貼ってある言葉を集めた本です。発売が9月25日、11月15日で3刷ですから、売れている本です。

1年ほど前、お寺の掲示版のことが少し話題になった頃、ネットで一番始めに見た掲示版が下の「おまえも死ぬぞ」。とにかく、ぶったまげましたね。え~、お寺さんが、寺の前の掲示版にこんなこと書いて良いの~(?_?)

考えて見れば、私たちも冗談で「一回は死ぬちゃ」とか言いますが、無論本気ではありませんが、お寺の掲示版に「おまえも死ぬぞ」と言われれば、相手が葬式などを扱っているお坊さんだから、ドキッとしますね。


この本、掲示板の写真と共に、1~2頁、解説が入ります。


「おまえも死ぬぞ」については「釈尊の教えを伝えるとされる原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の中では、『生まれた者が死なないということはあり得ない』(中村元訳『ブッダ悪魔との対話』、岩波文庫)。」と書いてあり、この釈尊の言葉をぶっちゃけて表現したものだということですね。


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      (「お寺の掲示版」より)

多少気になる言葉を紹介すると(私にとって)・・・

■「難が無ければ無難な人生/難があれば苦難の人生/難あればこそ有り難し」


私にはカミサンという「難」があり、それを乗り越えてこそ、私の人間性が少しは向上していくと思えば、カミサンは私にとって「有り難い」存在なのです。と思いたいのですが・・・・・

■「大丈夫だよ/生きていけるよ」


住職さんが取り替えようとすると、門徒さんから戻してくれといわれて十年以上。確かに、誰かに言われると元気が出ますね。


■「風呂は湯加減/医者は匙加減/人生は手加減/わたしゃいい加減/さとりとは」


「さとり」とは難しいですね。円覚寺派管長の横田南峯老師曰く「『私は悟らぬものの代表です』と謙遜しながらもさとりとは何かと強いて言えば『間違いに気づくということだろうと思いますね』とおっしゃっていました。」だそうです。

さとりは、各宗派違いがありますが、上のように言ってもらえれば、なんとなく納得。

有名人の言葉を貼っているところもあり・・・


■「死はいつか来るものではなく、いつでも来るものなの」~樹木希林さん

樹木希林さんらしい言葉だとおもいます。

■「生きているだけで丸儲け」~明石家さんまさん


さんまさんの言葉に次のようなものもあるそうです。「人間生まれてきたときは裸。死ぬ時にパンツ一つはいていたら勝ちやないか」


■「これでいいのだ」~赤塚不二夫さん

「天才バカボン」のマンガの言葉ですが、「バカボンという名前は、『薄伽梵(ばぎゃぼん)』、つまりは仏に由来していると言われています。実は仏教を意識した漫画なのです、」という事だそうです。

と言うことで、不安定な時代、悩み多き人生、ご一読を。私のお寺の掲示版、なんて書いてるか明日行ってみようかな。




2019年2月25日 (月)

「羅漢寺の猿石(?)」~南島原市有家町湯川内

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有家町湯河内に「羅漢寺跡」というところがあります。

「有家町郷土誌」と「有家町内における文化財の調査」によると多少違いがあるのですが、はっきりしないところがあるので、ザックリ書いてみます。

数十年前聞いた話では、この道々に、上にあるような石造物点々とがあり、それを集めてここに祀ったとか。

「羅漢寺」と書いてありますが、
「有家町内における文化財の調査」では、このあたりに、密教寺院があったらしく、この一帯を「寺山」「寺屋敷」といい、出水で流されたらしく、その道場に安置されていた彫仏が発見されたそうです。

その、概要を聞いた北九州市の某お寺の住職が「石造物を羅漢と早呑み込みし、羅漢寺云々の語句を使用したことにはじまり、一部の土地の人々は、これを羅漢像と言い伝えたことに、間違いを引き起こした遠因があったのであり。」と言うことで、ここに「羅漢寺」というお寺があったのではありません。

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どう見ても、羅漢さんにはみえません。

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石像の実測図ですが、確かに羅漢さんではありません。

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     (「有家町内における文化財の調査」より)

この報告書の副題が「ー資料よりみた倭、韓交流史に対する提言の試みー」なっており、この事についても書いてありますが、長いので、いつものように省略。

この石造物は現在「猿石」といい、有家町の各地に点在していますが。「・・・・麓の村人たちが、キノサン参りと称して、豊穣を希求する登山参道の古道を探れば(かって登った古老による)蒲河から須川あたりの旧入江港を基点として、山川ー堀切ー湯河内を経て鮎帰滝に出、(中略)西北高岩山の裙に出、(中略)ここより高岩山に登り参詣するが、古代舟人にとっても、巨石崇拝、或いは航海の指標として尊崇されたことは、現地からみて、認めざるを得ない条件を持ち、仏教の文化がこれと結びついたことも、けだし当然である。」とあります。

少し古い絵葉書からですが、下が高岩山です。

雲仙といえば、昔は修道験者の修行の場所として有名でした。この修道験者の道標として、猿石が置かれたのではないかとの話もあります。

まだまだ、解明はなされてないようですが、多分、これだ、という結論は出そうもないのですが・・・

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羅漢寺跡に行くには、雲仙から島原に下る途中に俵石展望所があり、そこから有家に下る道があり、途中に「鮎帰の滝」の看板がありますから、そちらの道に入り、途中、滝に行く道がありますが、それを無視し直線します。で、途中、小さな分かれ道があります、それも無視して、まっすぐ進みます。そうすると、上の写真の所にでます。

なお、道が狭いです。舗装はしてありますが、リーンカーン・コンチネンタルなどの車は避けた方が良いでしょう。ベンツなどの高級車も避けたが良いと思います。運転のヘタな方、狭い道を運転すると、息苦しくなる方も避けた方が良いと思います。

なお、羅漢寺あとから、上の国道に抜けるそうですが、地元の方にきいたら、Uターンしたほうがベターだと言うことでした。Uターンする場所は、すぐ先にあります。

しかし、この苔むした石造物、いつまで見ても飽きませんでした。


参考書・「有家町郷土誌」「有家町の文化財報告 有家町における文化財の分布調査 ー資料よりみた倭、韓交流史に対する提言の試みー」より

2017年6月12日 (月)

誰が?~雲仙市千々石町

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下の道、千々石の白津(しろつ)という所から飯岳(いだけ)という所に通じる道です(千々石以外の方には分からないと思いますがm(_ _)m)。

数年前、何回も通った道なのですが、久しぶりに行ってみると、きれいに工事した所があって、奥へと行く階段があって、あれ?こんなところあったのか?という事で行ってみると。


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石の上に石祠が二つ。一番上の写真見て分かる通り、大きな石を削っておまけに階段まで彫り込んであって、横の方にも階段の所まで登れるように石が削り込んであるんですね。これだけ岩を削るというと、機械を使わないと難しいのですが、削った所をみるとどうも手彫りの感じ。

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で、ちょうど下の方で田植えの準備をしている方がいたので訊ねると、昔からあったけれど、立ち木に隠れ見えなくなっており、この場所を町内の某建設会社さんが買い取って、整備をしたとか。

右の石祠は弘法さん。意外と丁寧な彫りをしてあります。


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左の仏様、頭を見るとすぐわかりますね。馬頭観音さまです。馬頭観音というと、街道筋に良く見られる、石仏です。

ということは、ここの道は昔街道であった可能性が高いということですが、先ほどの方に聞くと、今は舗装で広がっているけど、昔はテーラーがやっと通れる道であったとか。


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それで、思い出したのが、伊能忠敬の測量日記、下の地図は「島原藩主 長崎監視の道★長崎殿さん道の会発行」。(写真はここの場所とは関係ありません。別の場所です)

ここのところ、伊能忠敬日記には、「字白津(右二釜蓋城千々石大和守古城:注・この部分2行書き)字阿弥陀寺(小濱街坂近道阿里<有りの当て字>・ここも2行書き)」と書いてあます。


下の地図、上の黒い矢印の赤い線が、伊能忠敬一行が測量した道、下の黒の矢印が石祠があるところ。

赤の丸印が、伊能忠敬日記に書いてある「字白津」。この上の部分に「阿弥陀寺」があります(現在は何もありませんが、五輪の塔碑などが出土しています)。

確かにこの道を通っていくと、飯岳地区に出て、第二小学校付近を通り、蔦坂という峠に行きつき、峠を抜けると、小浜の入り口(千々石側から)山領地区にたどり着き、小浜の中心街へはあと一歩です。

まさに「小濱街坂近道阿里」はこの道であったことがわかります。なお、後日、郷土史家の方に尋ねたところ、ここに街道があったそうです。


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現在、大幅に道が変わっており、拡張、また、昔の道が使われなくなっており、知っている方も少なくなって、今調べておかなければとは思っているのですが・・・ひょっとしたら、あなたのお近くにも昔の街道があるかもですよ。調べていくと思わぬこともあり、面白いですよ。

でも、一体、誰がこんな手の込んだ物を作ったんでしょう。残念ながら、年代等が全く彫られておらず、調べられませんでした。

2016年8月25日 (木)

「めくってみれば・・・」~お地蔵さん祭★ぱーと3

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先日から、地蔵さん祭りのことばかり書いていますが、元来、8月24日に水神様に感謝をする祭りであったとか。前に書いたように、勤めなどの関係で、日にちを各地で調整しているみたいです。

ここは、名称として、「柳原水源」といって、小字が柳原となっていますから、ここから取った名称みたいですが、テントには「水分地蔵尊」などと書かれているのではありますが、明治の神社明細帳を調べると、どうも「出口(いでぐち)神社」と言っていたらしく、


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小字図を調べてみると、青の丸印が橘神社、茶色の丸印が第一小学校。小学校を出て、向かって少し右側に行くと、「柳原水源」がありますが、少し後ろ側、茶色の丸印が、柳原で、かなり微妙なところ。祭神は「弥津波能賣命(みづはのめのかみ)」で、水神様です。

ただ、このあたりの道は、昔は狭く、バスを通すにあたりかなり拡張したとか。
で、地区の境目も変わったことも考えられ、今日も某地区の境目の事を、近くのお店の方と話していると、道が境目だったが、いつのまにか変わってしまって、という事もあり、はたして、ここが昔は「出口」であったのか、「柳原」であったのか?


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昨日、通りかかるとお祭りをやっており、一番上の写真、赤の矢印のところ、一番上に梵字が彫ってあり、下の方は前掛けがしてあって、どんなになっているのか分かりません。

で、隠れているものは見たい。でしょう。ペロンと出ているものなら、そんなにも興味はありませんが、とにかく、隠れているものはどうしても見たい。スカートまくりと一緒ですね。

最近は、勝手にめくっていると、セクハラとか、ストーカーとか言われますが、通りかかった時が、ちょうど片付けているところで、さりげなく、「めくってもいいですか?」、「ああ、いいですよ」。という事で、めくってみたら、


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むかって左側が左の写真になりますが、梵語はこの間書いた通り「カ」。「地蔵菩薩」をあらわすという事で、下の方にちゃんと「地蔵菩薩」と書いてあります。

右側には「天明六丙(ひのえ)午」(1786年)、左側に「十二月吉日」。230年前になります。

石祠が文化10年(1813年)ですから、それより27年前になります。地蔵菩薩というと、人の形をしている思っていたら、このような形のお地蔵さんもあるのですね。初めて見ました。

なお、この横の道は、伊能忠敬一行が、文化9年(1812年)11月11日に、島原から、千々石まで一日で測量をし、宮崎庄屋に宿泊していますから、この湧き水も見ていったと思われます。飲んでいったかどうかは分かりませんが・・・





2016年8月23日 (火)

「本願寺伝道院法話会」

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最近、樹木葬とか散骨とか流行っているそうで、金がある方は、ロケットでお骨(といってもごく少量)を宇宙に打ち上げる商売も出てきたそうです。私も若い時はほぼ無宗教と言ってよく、福岡の中洲の川あたりに、散骨してもらえないかと思っていたのですが、年取ってくると、だんだん考え方が変わってきて、これでいいんだろうかと。

事情があり、長崎のお寺から、こちらの方へ墓を移し、ついでに、こちらの寺の檀家になったのですが、春・秋の彼岸等の時、あちらこちらから講師を招き法座などを行い、聴きに行くといいお話が聴け、できるだけ行くようにしております。

今回、お寺より「本願寺伝道院法話会」なるチラシが回ってきて、初めて聞く名前なので、読んでみると、本願寺に伝道院という所があり、浄土真宗の教えを伝えるため、4月から9月の100日間全寮制で研修をおこない、布教使としての養成をはかり、その一環として、全国のお寺を回って、布教(説教)の実演をしているとか。

お寺さんも初めて引き受けるとかで、話を聞く人が少なくてはどうかなと思い、ちょうど今日はヒマ(病院へ行くとき以外は、いつもヒマ)なので、出かけてみると、暑さにもかかわらず、本堂は満席。

最初に30分程度、「正信偈」を唱えましたが、あれ、指揮者もいないのに意外と合うもので、なんとなく、「グレゴリアン・チャント」の響きを思い出しましたが・・・

あと、研修生の法話が2名、一人が15分の受け持ちですが、その前に、お寺の方より注意があり、私も研修でお話をしたことがありますが、慣れないこととて、非常に緊張し、お聞きしている方が黙って聞いていると、なおさら緊張するので、分っても分からなくても、できれば相槌をいただければ、と。

横道にそれれば、私も以前、あちらこちらで喋る商売(催眠商法ではありません)をしていたことがあり、特に、老人クラブの方など、なにを若僧がと、そっぽを向かれる方があり、これ、ほとんど男性。逆に、何を言ってもうなずいて、笑われる方がおられ、これ、ほとんど女性。

この時、あ~女性のほうが長生きできるのが当たり前だと思ったのであります。笑う健康法もあり、うなずいて首を動かすと、血行が良くなります。ですから、皆さんも、分かっても分からなくても、笑ってうなずきながらお話は聞きましょう。

さて、研修生が3名で、順番に2名ずつ話すとか。両方とも30代前後だと思いますが、お一人が女性で、以前、病院でリハビリの仕事をされ、その時の体験から阿弥陀様のお話をされ、もうひと方は男性で、尊敬していた従兄が交通事故で亡くなられたことから、仏様の話をされましたが緊張していたせいか、少し固さは感じられましたが、ご自分の体験からの話で、なかなか、説得力のある話でした。15分は少し短いかなという感じ。

その後、指導講師のお話がありましたが、さすが、というところでした。「病気と薬はどちらが先か」、「医者と病気はどちらが先か」。「私たちがいるから、阿弥陀様がおられる」と、分かりやすい例えですね。

下の写真は、研修生の方ですが、私より美男と美女だったので、お顔のほうはカットしました。


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他のお寺でも話をしていたところ、最近では少子化のせいか、無縁墓などが多くなり、墓の管理なども支障をきたしているとか。また、若い人が、お寺離れをして維持もだんだん難しくなってきているとか。

親鸞さんの教えは、なかなか難しいところがありますが、何回もお話を聴けば薄皮が取れるみたいに、少しづつ理解できてきます。

最近「親鸞」を書かれた、五木寛之氏も佛教関係の大学院に通われたそうですですが、こちらの研修生は、5時半起床、お勤め、勉強、宿題で、睡眠時間が、3、4時間ぐらいだとかで、体力の関係から、45歳までしか研修生にはなれないそうです。皆様も機会があったら、ご聴聞を。





2016年7月16日 (土)

「日本の地獄と雲仙地獄」★講師 根井浄・元龍谷大学教授~第191回 コレジヨ市民文化講座

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今日は、南島原市有家町の「コレジヨ市民講座」で、毎月一回、今回で191回ですから、随分長く続いています。

南島原市は、日野江城、島原・天草の乱の原城、キリシタン墓碑等を含んでいるのか、皆さん熱心で今日は椅子、机、資料なども用意した分が足りず、事務局の方は大変そうでした。

講師は元龍谷大学教授・根井浄氏。演題が「日本の地獄と雲仙地獄」。最初は十界曼荼羅の地獄の説明。

上の虹の形に見えるのが人が生まれて、死ぬまでの図で、真ん中あたりに閻魔大王などが見え、下の方に地獄があります。

昔は、この図を、「熊野比丘尼」が各地に持って回って、説明し、戦国時代、熊野三山の財政難を助けたそうです。現在、この史実を活用しようと、「熊野絵解き図」制作プロジェクを、地元の方、各種団体が共同で推進しているとのことです。(和歌山県ホームページより)


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多分、昔も右のようにして解説していたのでしょう。

さて、雲仙地獄にも「肥前國高来郡嶋原温泉山之図」があり、現在5種類ほど確認されているそうです。


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話には聞いていたのですが、縦型の図があり、これが一番古いのではという話ですが、現在、東京国立博物館所蔵になっています。コピーですが、見たのは初めてでした。

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この図を、根井先生は半年ばかりかけて、解読されたそうですが、地名、地獄の名称が書いてあり、珍しいのでは、「立きゝじごく」、「かじやじごく」、「めしたきじごく」、「きょうだいじごく」、「酒やじごく」、「ときやじごく」などある中に、「たかのぶとう塔跡」なるものがあり、「おばま 史跡ガイド」によれば、「竜造寺隆信」の墓の紹介がしてあり、多分、「たかのぶとう塔跡」は、竜造寺の墓ではないかと思うのですが、「遺骨は分骨され雲仙にも葬られたという。」ですから、本物かどうかは不明です。なお地図には「千々石道」の文字も見えます。

当時は満明寺一乗院が雲仙地獄を支配、管理していたとかで、「温泉(うんぜん)山起立書」に「他所人又ハ六部其外、御領内ゟ弟子又ハ手習子供差出、案内可遣申候」とあるそうで、一乗院が地獄の案内権をもっていた、という事だそうです。多分、上の図は今でいえば、案内パンフレットかな?

知らないこと、見落としていたことなど多くの事が聞け、はやり専門家の話は聞くものだと思った一日でした。

(参考・文引用・写真引用
:「根井先生講義資料」・「地獄絵図『熊野観心十界曼荼羅』絵解台本~方丈堂出版刊」・「嶽南風土記 23号~有家史談会刊」・「おばま 史跡めぐりガイド」・「日本百景と土産物~平凡社刊」・「和歌山県ホームページ」)







2016年7月12日 (火)

「仁義なきキリスト教史」~架神恭介著

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「おやっさん(エリ)・・・・おやっさん(エリ)・・・なんでワシを見捨てたんじゃあ(レマ・サバクタニ)!」

小説の出だしですが、イエス・キリストが磔になる場面です。「おやっさん」とは、世界を作った「神ヤハウェ」です。

この小説は、キリスト教史における、弟子の葛藤、争い、キリスト教が関係する争いの歴史を、やくざ小説に見立てたもので、例えば

「よう、シモン兄ィ、聞いちょるかの、イエスの兄貴の話」
「おう、聞いちょる。どえれえことしちょるようじゃの」
ガラリア湖畔ー。ここに漁を営む二人の若者の姿があった。兄の名をシモンといい、弟をアンドレアスという。シモンはのちのユダヤ組系ナザレ組組長。アンドレアスは同若衆である。

とまあ、真面目に聖書を読んでいる方には、ぶっ飛ぶような書き方です。実はわたくし、イエス・キリストが神だと思っていたのですが。「イエスはユダヤ人である。イエス・キリストとは姓名ではなく、キリストであるところのイエスさん、という意味でである。」
「キリストというのはやはり極道用語であり、メシアと同義である。ヘブライ語で言うメシアが、ギリシャ語ではキリストとなる。意味は『油を塗られた者』であり、かってはヤハウェ大親分が下の者に権力を与える際に、その者の頭に油を塗るように指示したことに由来する。」など、押さえる所はきちんと書いてあります。

内容は、「やくざイエス」、「やくざイエスの死」、「初期やくざ教会」、「パウロー極道の伝道師たち」、「ローマ帝国に忍び寄るやくざの影」、「実録・叙任権やくざ闘争」、「極道ルターの宗教改革」、「インタビュー・ウィズ・やくざ」と各章分かれていますが、各章に解説があり、「新約聖書」についても、成り立ちが解説してあり

パウロファンのマルキオンが、あちらこちらに散らばっていたパウロの書簡を集め、これに「ルカ福音書」をくっつけて「新約聖書のようなもの」をつくり、これに対し、マルキオンは旧約聖書を否定していたため、正統派から異端とされてしまい、「マルキオンが正典を作ったことで、正統派も正典を作る必要性に駆られたのだが、マルキオンのものをそのまま使うわけにもいかない。そこで他に色々とくっつけいき、時間をかけて出来上がったのが今の新約聖書である。」などの説明もきちんとしてあります。

「あとがき」に著者が書いているように、「キリスト教の歴史というものは、追っていてあまり楽しいものではない。陰々滅々とした気分に陥る。そもそも聖書からして旧約聖書は排他的、暴力的な色合いが強く、新約聖書は内輪揉めと罵倒に満ちている。それ以降の歴史を見ても、表面的に現れる事項は暴力や派閥抗争ばかりであり、まるで聖的(セイクリッド)な雰囲気はない。」という事で、「本書ではそういったキリスト教の俗的な側面を強調するため『やくざ』という見立てを用いた。」との事です。


カノッサの屈辱、第4回の十字軍の話なども面白く、学校でこんなに教えてくれるなら、もっと勉強したのになと思う内容でした。プロテスタントを作ったルターの話なども面白く、ルターにこんな一面もあったのかと思う話しでした。

あくまで、史実を踏まえながらのエンタメ小説ですが、キリスト教史について大体の事を知りたい方は、是非、読んでつかわっさい、と言うような小説でした。






2016年6月 4日 (土)

「仁義なき聖書ものがたり」~架神恭介(文)★芸術新潮6月号

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「聖書」といえば、「旧約聖書」と「新約聖書」がありまして、恥ずかしいことに、昔は「旧訳聖書」と「新訳聖書」と思っておりまして、「旧訳聖書」は文語体、「新訳聖書」は口語体と思っていたのですが・・・・・

こちらは、島原・天草の乱、隠れキリシタンの事があり、少しは聖書でも読もうかと思っていたのですが、手持ちの聖書を読んでも眠くなるばかりで、手短な入門書でもないかと思ったら、「芸術新潮」さん、意外な「特集 特別聖年記念」という事で、第1部が「ザ・旧約聖書ストーリーズ」。第2が「聖書と美術ー禁断の図像史」。

第一部が19のストーリーで説明してあり、例えば「02 アダムとエバ」の最初の所「『お、おどりゃ、なにしようるんじゃ!』『だってえ、旨そうじゃったけえ・・・』そう言うと、妻エバ(イブ)は手に持った果実をアダムに差し出してきた。ごくり・・・とアダムが喉をならす。確かに旨そうである。・・・・・」といった調子で書かれていますが、解説の所に簡略に説明がしてあり、「『善悪を知る木の実』の効果は一体何なのか。よく言われるのが、『本来神の専売特許である善悪倫理基準を定める権利を、勝手に行使できるようになる』・・・・」と要点はきちんと押さえて書いてあります。全部書くと長くなるので、題目だけの紹介で。

01 天地創造~神(ハヤウェ)の劇的ビフォーアフター
02 アダムとエバ~楽園追放のよくわからない真相
03 カインとアベル~神のえこひいきが招いた人類最初の殺人事件
04 ノアの箱舟~マジ勘弁、神の気まぐれリセット
05 バベルの塔~多言語発生!意思疎通崩壊的大混乱!!
06 ソドムとゴモラ~悪逆無法都市、最後の日
07 イサクの犠牲~忠義の人アブラハムにふりかかる、ためしてガッテンby神
08 ヤコブとエサウ~そんなのあり!!兄を出し抜くズルい弟
09 ヨセフの出世~ドッキリ作戦で兄たちに意趣返し
10 モーセの召命~中間管理職はつらいよ
11 出エジプト~紅海パッカーン!されどモーセの苦闘は続く
12 エリコ攻略戦~イスラエル軍最強伝説
13 サムソンとデリラ~神のマッチポンプ作戦をいろどる勇者と美女
14 ダビデとゴリアテ~巨漢を倒した鉄砲玉は美少年
15 バト・シェバ~ダビデ王のゲス不倫
16 ソロモン王とシェバの女王~金満男とセレブ女の邂逅

17 アハブ王~賢帝に着せられた”歴代最悪”の汚名のナゼ
18 バビロン捕囚~南国滅亡、その時預言者は・・・・・・・
19 エステル~極悪非道の”美談”を演出した美貌の王妃

あと、2部の「聖書と美術」はかなり、●ロい絵が載っていますのでお楽しみを。

さて、読んでみて、大体の外郭は分かったので、旧約聖書を少し読んでみようと思うのですが、途中に「教えて!旧約聖書!」という部分があり、「そもそも旧約聖書は、いつ、どうやってできたのですか?」「旧約聖書をざっくり一言でいうと?」「なぜ、キリスト教でも旧約聖書を用いるのですか?」など分かりやすく書いてありますが、旧約聖書には矛盾が多いらしく、「むしろ『聖書に書かれていることはすべて真実』としてはいけないという態度が聖書の冒頭で示されている、あまりまじめに読まないでネ、と古代の書き方で表現したととればいいと思います。」という事で、気軽に読んでみますか。

しかし、読んでみて、神さんは不可解なもので、うちのカミサンも不可解なことが多いのですが・・・





2014年11月22日 (土)

「日本ではなぜキリスト教信徒数は増えないのか」★宮﨑賢太郎~雲仙お山の情報館

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今日は、「雲仙市の歴史を学ぶ会」の11月例会で、講師は長崎純心大学教授の宮崎賢太

郎氏。宮崎氏は最近、次の様な本を出されています。なお、氏自身も、カクレキリシタンの

子孫でもあります。

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宮崎氏の講演会は2度目で、多分前の分にも載せたと思いますが、日本における、キリシ

タン史の概略です。これ説明すると時間がかかるので・・・・略

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この中で、キリシタン時代。16世紀初頭から、禁教の1614年まで、最大40万~45万人

がキリシタンだと言われています。当時の人口比からすると約3%。


最も、長崎県大村の例をとると、キリシタン大名になった理由として、ほとんどが南蛮貿易

での利益を求めて、キリシタンになっておりますが、大村の場合もそうであり、領主がキリシ

タンになったので、臣下もなり、領民もなりと、いわば強制的な意味合いもあったのでしょ

う。本当に、キリシタンの教義を知って、改教した者がどれくらいいたのかは、不明です。


現在、カトリック信徒数約44万人、内4万人が居住不定、年間幼児洗礼約3032名、成人

洗礼約3271名、死亡約4089名、年間カトリック信徒増加者数2214名(「カトリック中央

協議会教会現勢2010」)、

日本におけるキリスト教信徒数、カトリックとプロテスタント(諸派総計約65万人)。合わせ

てわせても、今の人口比で1%未満だそうです。


韓国では1400万人弱、韓国の宗教人口の30%(プロテスタント約20%、カトリック約

10% 2005年韓国統計庁発表)です。


2010年の日本におけるミッション(キリスト教を布教するための学校)校。

■カトリック系

幼稚園534、小学校53、中学校102校、高校113校、短大17,大学21、その他含めて

854校。

■プロテスタント系

小学校17、中学校63、高校82、短大20、大学56校


だそうで、ちなみに、仏教系大学44校、新宗教大学6校、神道系大学2校、という事で、い

かに、キリスト教関係の学校が多いか、分かると思います。にも関わらす、キリスト教信徒

が増えない。


この原因として、「舶来高級信仰」、いわゆるブランド志向ですが、宗教も同じで、日本人の

キリスト教徒へのイメージとして


「酒も煙草も飲まず、毎週日曜日には必ず教会に行き、敬虔で、禁欲的な生活を送り、カト

リックの子だくさんという言葉があるように、避妊も堕胎も許されない、到底自分には近づけ

そうもない、生真面目すぎる堅苦しい宗教。」


結論として、

「多神教徒である日本人自身が、正しいキリスト教であるためには、一神教でなければなら

ないと生真面目に考えすぎ、伝統的な日本の諸宗教と融合することをかたくなに拒み続け

てきたから」と言うことだそうです。


ということで、「フィリッピン、韓国、中南米各国独自の歴史的宗教的伝統・習慣と結びつき

ながら土着化。」ということが、必要ではなかろうか、というような話でした。


なお、阪神大震災、東日本大震災に触れ、「平和、平等、人権尊重、弱者救済、人間愛と

いったヒューマニズム精神に基づく社会が着実に築き上げられつつある。それは、間違

いなく伝統的な大和魂や仏教の慈悲心、仁義礼智信を学ぶ儒教精神とは異なる、キリスト

教隣人愛の思想に育まれたものではないだろうか。」と書いていますが、これ、?????

「キリスト教隣人愛の思想」とは関係無いんじゃないんですか。もっとも、宮崎氏は、キリシ

タンで、ミッション系の学校の先生だから・・・・・


著書で、「先祖より家の宗教として受け継がれた仏教や神道は日本の一般民衆の心の支

えとはなり得ていません、古色蒼然としてそこに問題解決の力を感じることは出来ません。

何よりも多くの一般の日本人は仏教とは名ばかりで、実際には仏教徒としての教育ほとん

ど受けてこなかったのであり、墓参りや法事のとき意外は接点はありません。」と書いてあ

りますが、法事等の時、お坊さんのお話、また、彼岸の時など、講師を呼び、話を聞くことが

あります。


この話の面白いこと。触発され、「親鸞」「蓮如」「歎異抄」等の入門書を読んでいますが、「

人間いかに生きるか」。役に立ちますね。五木寛之さんも、仏教に関する事を、書いておら

れますが、何万人もの人が読んでいて、仏教の事を、知らない間に学んでいるのでは?


なお、宮崎氏は、一神教(キリスト教、イスラム教)みたいに、お互いが、いがいがみ合うの

ではなく、多神教的に認め合うことが必要であり、この点で、キリスト教も変わらないといけ

ないのではないかということでした。


【おまけ】

今日の雲仙風景です。

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別所ダム(鴛鴦の池)。風もほとんど無く、鏡のような水の風景でした。

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