書籍・雑誌

2021年1月22日 (金)

今年は「豆本」集め

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孫に送ってやろうと「豆本」を買ったら、これが、なかなか面白く、結局自分の本棚に入れました。

先日、正月用のマスクを紹介しましたが、これは百人一首の豆本を買ったときのオマケです。本よりマスクの方が高いのでは、という感じですが。マスクは本の表紙に使っている布と一緒のものです。


右は、絵が描いてある豆本。なかなかに面白く、五百羅漢に鳥獣戯画に東海道五十三次。


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金子みすゞさんの詩集。少し大きめですが、手のひらにすっぽり入り、字も大きめですからポケットに入れて、ちょっと時間があるときなどにでも。

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本格的に豆本ですが、十円玉と比べてみてください。

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スティーブン・キングの本。本の題はハッキリ見えますが、中身はよく分かりません。表紙はちゃんと印刷されています。3冊入手しました。

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レンブラントの画集に、子どもの絵本。

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右側はマザー・グース。

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"石川啄木”の「悲しき玩具」。箱はちゃんとして、本もキチンと入ります、スピン(紐しおり)も付いています。もちろん字もキチンと読めます。「八年前の/今のわが妻の手紙の束!/何処へ蔵ひしかと気にかかるかな。」

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絵本は子どもが好きですが、豆本の絵本ならもっと喜ぶと思います。

さて、本をしまうときクシャミをしまして、ステーブ・キングの本が一冊吹き飛んで行方不明になりました。当分は、この部屋、掃除が出来ません。



2021年1月13日 (水)

「謎の探検家 菅野力夫」~若林純著

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世界探検家」を名乗る”菅野力夫”氏です。

明治末~昭和初期まで、シベリア、中国、東南アジア、インド、南アフリカ、ハワイ、南米まで8回に渡り探検をおこなっています。


現代から見れば、たいしたことは無い、とも思われるような”探検”ですが、旅行会社も格安飛行機どころかロクに飛行機も無く、インターネットもないので現地の情報もつかめない時代、ということを思えば、大変な事業であったと思われます。


若林純氏は右の絵葉書を古書店で見つけ、衝撃を受けたのが”菅野力夫”を調べるきっかけになったそうです。なお、この絵葉書が、若林純氏の著書の表紙になっています。

氏は、”菅野力夫”の親戚を当たり、そこで遺品のアルバム、写真、新聞記事等々を入手し、それを元に本を書き、その写真等がこの本に収められています。


”菅野力夫”の時代は辛亥革命、孫文の活動等があった時代であり、菅野力夫は頭山満の書生になっており、その墓の表には頭山満の揮毫による「菅野力夫之墓」の文字、裏は元福島県知事・宮田光男の寄贈文が刻まれているそうです。


第1回目の旅行は金銭面でも苦労したらしく、まだ九州を無銭旅行中、新聞にも載っており「旅中は絵葉書を売りて生計をたて・・」「宿屋が何処も断るので仕方がないから寺に泊まり或いは野宿もしました。」というような状況。


第3目の旅行からは経費の面でも安定したらしく、ハワイで世界探検に関する講演会を82回おこない、4万ドル(昭和34年で1,500万円)を得たそうです。


この講演会の様子は若林氏の本に多数書かれていますが、「聴衆なんと800余人、午後7時に始まり、得月楼芸妓春子の琵琶歌、南海県湖水の浪花節を間に挟んで、12時まで延々と5時間、獅子吼し雄弁をふるい聴衆を魅了した。」そうです。人を魅了する力、話術があったことと思われます。なお、この時、講演をしながら四国を自転車で走破したそうです。


なお、上の絵葉書は第3回目の絵葉書に含まれていますが、第3回目の旅行については2種類の絵葉書集があり、そのうちの「第2」の中に含まれ、ペルーでの写真になります。

「インカ帝国ルリン宮殿の廃墟にて 世界探検家 菅野力夫 西班牙の猛将フランシスコ・ピサロの浸入(西暦1531より同35年に亘る)によって大虐殺されるインカ帝国良民の屍は数百年の星霜を経たる今日なお荒寥たる砂漠の中に累々たる。・・・」と説明があります。

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第3回目の2種類の絵葉書です。

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下の写真は第2回目の旅行に出発する日比谷公園の様子です。菅野氏は自転車を利用していますが、この自転車は宮田製作所より提供された”アサヒ号”でイギリス式アサヒスペシャル号を改造したものだそうです。

「世界無銭徒歩旅行者菅野力夫氏悲痛ナル告別演説ヲ試ム(大正三年八月一日於日比谷公園)」とあります。


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なお、大正4年7月16日、長崎で、長崎4紙主催講演会ををおこなっております。「東洋日の出新聞」は長崎市では有名な「ツル茶ん」の所にあり、店の前には「孫文先生縁故之地」の説明版があります。東洋日の出新聞社主・鈴木天眼が辛亥革命以前に孫文を土蔵にかくまっていたそうです。

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   (「謎の探検家 菅野力夫」より)

菅野力夫は生前の時は新聞等に紹介され、かなり有名であったそうですが、絵葉書は沢山残っているものの著作等、自分で書いたものが無く、そのため若林氏によれば、忘れられたのでは無いかとのことでした。せめて、講演会の記録でも残っていればとも思うのですが・・・




2021年1月 6日 (水)

久しぶりの「週刊ポスト」

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久しぶりに「週刊ポスト」を買ってきました。以前は「週刊現代」も買ってきて比較していたのですが、年金生活も厳しくなって、お色気のある週刊ポストを選んできました。

■「AI地震予測2012」

島原半島の橘湾の沖にはマグマ溜まりがあり、千々石には千々石断層があり、いつ、地震があるか心配です。

このAI地震予想、「国土地理院が全国1300ヵ所に配置する電子基準点の過去1年分のデーターを人工知能(AI)にインプットし、直近1週間の地表の動きと比較させることで、大地震発生の予兆を察知する『ダイナミックスAI地震予測』を実用化した」ものだそうです。


で、第1位が北海道南西、第2位が北海道北西部、第3位が信越地方・群馬県、第4位が東北地方、第5位が九州南部。島原半島はかろうじてセーフで、なんとなく安心ですが、熊本地震の時は神社の鳥居の貫が落ちたりで影響があったので、気を付けたいところ。


■「さらば管総理総選挙465議席完全予測」


桜を見る会、吉川元農水相の汚職、河合夫妻選挙違反事件、GoToキャーンペーンの対応、管総理の記者会見の言い間違え、読み間違え、と考え行くと納得できる「予想」ですね。ただ、野党もなんとなくパッとしないし。どちらがましかの、消極的選択の選挙ですね。


■「親が夫が妻が死んだ後も、知らずに払い続けてしまうお金23」


親、夫、妻が死んだ後、公共料金、携帯電話・通信、各種カードなど、解約を手続きをしなければ支払いが継続するのがあるそうです。で、早急に支払い停止の手続きをしなければならないのですが、ウチの親は電話くらいで良かったのですが、私の場合は、ネット関係、公共料金、携帯電話、通販の特別会員の支払い等々あるので、残された者は大変だと思います。

一応、書いてある物を写すと、銀行口座(注:お年寄りは郵便貯金が多い、田舎では農協関係)、ネット銀行、クレジットカード、固定電話、携帯電話、動画配信サービス、ケーブルテレビ、インターネットプロバイダー、定期購入品、新聞等の定期購読、ゴルフ・フィットネスクラブ会員とまだあるのですが、あと、土地、自宅の名義変更、住宅ローン、公共料金の名義変更、生命保険の確約も大事ですね。

ウチの親は、保険、貯金等々、キチンと帳面に付けていたので助かりました。皆さんも、生きているうちにまとめておきましょう。死んでからでは、書き残しておけません。印鑑のあるところ(ハンコ撲滅などと言っているバカもいますが)、暗証番号もお忘れ無く。


■書評で嵐山光三郎氏、「わたしの好きな季語」(川上弘美著)


わたしも、多少俳句をひねったことがあり、季語を勉強しましたが、夏の終り、まだ暑い夜、ふと吹く風に秋を感じたりしました。孤島に流されたとき、本を一冊もっていくなら「季語」の本ですね。


七種粥の句。「せり・なずな、以下省略の粥をたく」(池田政子)。


■「飲めば飲むほど不健康になる薬」


あちらこちら体調を崩し、7種類の薬を飲んでいます。

某総合病院にかかっている方が、10種類ばかり薬を処方されたそうですが、面倒くさくて全部捨てていたそうです。家族が心配して、お医者さんに相談したら、2種類になったそうです。薬で心配なら、遠慮しないでお医者さん、薬剤師さんにご相談を。

■「真っ二つの大論争」


表紙に載っているような記事ですが、これ、あちらがああ言えば、こちらはこう言う、てな具合でなんとなく「どうでもいいや」というという感じなのでパス。


さて、ここまで書いて、アレ?と思うのが、裸の漫画や、写真を見ても、イヤらしい記事を読んでも興味をそそらないのですね。たしか、5年ほど前は一生懸命みたり、読んだりしたのですが、どうしたことでしょう、歳をとるって悲しいですね。

とは言っても「大正時代のセックス」。これ、昭和の方が良いですよ、裏ビデオの「洗濯屋ケンちゃん」。8ミリで見た、最後にハラリと花が散る場面。ロマンがありました。



2021年1月 4日 (月)

「たい焼き」のアンコから、ブレない心を考えた。

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「白いたい焼き」クン。一時流行り、あちらこちらお店を見かけました。最近はお店どころか「母さん、あの白いたい焼き、どうしたんでせうね?」という状況です。

白いたい焼きどころか、普通のたい焼きも見かけなくなりました。お好み焼き、たこ焼きは見かけるのですが・・・世の中、健康志向が強く、甘い物は避けるようになったのかな?珈琲も昔はどっぷりと砂糖を入れていたのですが、現在、見ていると皆さんブラックばかりですね。


さて、上の普通のたい焼き、食べてみてアンコが少ないなと思って解剖したら、申しわけ程度のアンコでした。


何十年前だったか、このたい焼きのシッポまでアンコが入っている店があり、話題になった記憶があります。他の店も真似をしたものか、シッポまでアンコを入れる店が増えた覚えがあります。


その時分、ラジオの深夜放送をよく聞いていて、永六輔さんが、たい焼きについて語っていました。うろ覚えですが・・・たい焼きのアンコがシッポまで入っているのが良いという意見がある。でも、たい焼きは、お腹の中のアンコを食べ、口の中が甘ったるくなったところに、アンコが入ってないシッポの所をカリッと食べて、お口直しにするのが、本当のたい焼きだ。


最近は鬼滅の刃が流行、その前はONE PIECE、その前は進撃の巨人、その前はジョジョの冒険、その前は何だっけ?今はSNS、マスコミ等で少し話題になると、どっと、その方向に流されてしまっています。

たい焼きの”アンコ”と一緒ですね、アンコがシッポまで入っているのが話題になると、それが正しいと思う。本当はどうなのか検証もしないで、そちらに流されてしまう。

「価値観の多様性」という言葉があります。あれ、「ブレない心」、言い換えれば「自律性」があるから生きるのです。「ブレない心」があるから、色々なことから、是とするところ、非とするところが見えてくる。「ブレない心」が無いのは「多様」ではなく、「混乱」と言います。「多様性」ではなく、「価値観の混乱」が、今の世にはびこっているように見られます。混乱の中、いろいろな物に流されているのが現代だと思います。


年頭にあたり、今年は「ブレない心」を気がけて、一年を過ごしたいと思っています。


ところで、「気がける」を調べていると、これって、方言らしいですね。広辞苑にも載っていません。”Y!知恵袋”に「〈気がける〉という言葉が〈気にかける〉の方言だということを最近知りました。」という質問のベストアンサーに「・・・『気がける』は、ほとんど日本人には理解できないでしょう。従って、筆者が『気がける』と書いている場合は、修正するでしょう。」と回答してありました。これについては、もう少し調べたいと思います。

いまや、先生も父親も子供のお友達になりました。永さんみたいに、おっかない顔で、ユーモアを交えて世の中を語る大人が少なくなりました。今の時代、是非読んでもらいたい本です。

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2020年12月25日 (金)

まるいもの

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最近、コンビニに寄った時、一番にスイーツコーナに行くのが癖になって・・・

昨日、セブンイレブンのスイーツコーナーを見たら、”食べマスモッチうさまる2”
が並んでいて、「うさまる」(メープル味)と「うさこ」((いちごミルク味)さん。各々、10種類の表情があるそうですが、田舎なので、2セットしかありませんでした。

で、まるこっくって可愛いデスね。なぜ丸いものは可愛いんでしょうか?ドラえもん、チコちゃん、パンダ等々、みんな丸っこい。と言うことを思っていたら、今読んでいる本に丸いものについて書いてありました。


著者は「大山澄太」。山頭火の紹介者ですが、山頭火を知っていても、大山澄太を知っている方はあまりいないと思います。東京にいた頃、大きな本屋さんで文庫本だったか、山頭火の著作集を見た覚えがかすかにあります。編纂が大山澄太さん、だったかな?


とはいっても、当時、
山頭火については、俳句とは関係のない、一般の人が知るところでは無かった覚えがあります。

永六輔さんが深夜放送で、山頭火についてかなり熱心に紹介をして、それから一般の人も知ることになり、ブームになった覚えがあります(かなり朧な記憶ですが・・・)。永さんは「笠へぽっとり椿だった」と「うしろすがたのしぐれていくか」を紹介した覚えがあります。2,3年前だったか福山雅治が出ていたCMで「分け入っても分け入っても青い山」を使っていました。わたしとしては「ちんぽこもおそそも湧いてあふるる湯」が好きなのですが。

閑話休題、大山澄太の文章は以下の通りです。

・・・・・

そうした正月風景の中で、一番眼に立つのは、まるいものの姿である。門にはためいている日の丸のまるさ。床の間に飾られた餅のまるさ、神棚につるされた橙のまるさ、酒をくむ杯のまるさ、まるい箸で、まるい煮豆をつまみ、まるい蜜柑をむいで食べ、羽子のまるい黒玉を打ち、まるい風船をあげ、まるいパチンを土に地に叩いて遊ぶ。見るもの、食べるもの、飾るもの、使うもの、みんなまるいものばかり。
 まるい物を愛することは、やがてまるい心を愛することにもなってくる。いや、心がまるいからまるい物を愛するかも知れない。われわれの心は、元来まるく出来ている。まるくて、ころころと、事に応じて行って止まるところがないから、こころと言うのだと、古人はいうている。そうした本来の心に帰って正月を楽しむから、自然にまるいものを、多く用いるようになったかと思う。(以下略)

コロナでギスギスした世の中、せめて正月だけでも”まるく”過ごしましょう


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追記ですが、山頭火の日記に三つの誓願が書いてあるそうです。

「今日一日 腹を立てない事」

「今日一日 嘘を言わない事」
「今日一日 物を無駄にしない事」



2020年12月23日 (水)

「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」★東野圭吾~本の帯についての推理

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先日、本屋さんに行ったら上の本が平積みで置いてありました。

見ると多少の違和感を覚え、何故かな?と思ったら、表紙に”帯”が無いんですね。別名”腰巻”とも言います。私としては”腰巻”の方が好きで、これを取りながら、”殿、およしになって・・・"、”まあ、いいではないか・・・”などと言いつつ・・・あまり書くとセクハラになるので止めますが。


この帯についてこだわるのは、若いとき印刷会社に勤めていて、その関係で出版社にも多少かかわりがあったからで、本を売るのに関しては編集の方必死です。


本の帯は本が平積みになっているとき、他の本より目立たなければ効果がなく、また、パッと見て本の魅力なども伝えなければならければならず、意外と本の帯に惹かれて本を買う人もあります。


というように、重要な”帯”なのですが、この本になぜないのか?一応、1,800円+税、少ない年金の中から払って買ってきました。東野圭吾さんについては”容疑者Xの献身”は読んで、なかなか面白いな、とは思ったものの日本の推理小説は苦手で、あまりは読んでいません。


余談ですが、やはり推理小説で面白いのは”シャーロック・ホームズ”ですね。中学校3年の2学期に読んで、受験勉強もせず読みましたが、それなりの高校に入れたのは、私の頭が良かったのか、テストが簡単だったのか・・・


小説の内容は、観光地ながらも余り有名で無い、寂れた町。その町で退職した学校の先生が殺される。離れて住んでいた一人娘の真世。警察から連絡があり、ふるさとに向かいます。


と、まあ、ありふれた出だしですが、ここに、叔父(叔父は父母の弟、伯父は兄、叔母、伯母も同じ。一応念のため。)が突如登場。叔父は高校卒業後マジッシャンを目指しアメリカへ。サムライ・ゼンと名のり、アメリカでは売れたマジッシャンらしいが、今は恵比寿で小さなバーを開いている。この叔父の登場で、俄然小説が面白くなります。


この叔父の所には、警察からは連絡が無いのに、なぜ家にきたのか?。実家には、ほとんど寄っていません。真世とも2,3回合った程度。え!これあり、という感じですが。


あとは、叔父がマジッシャン仕込みの仕掛け、ハッタリで推理を進めるという展開になります。この叔父が事件を解決していくところ、シャーロック・ホームズと杉下右京さんを思い出します。


さて、本論に戻ります「帯」の話ですね。本を読んでも勿論このことについては触れてありません。帯をしなかった事については。


①編集者が忘れた、ということは、まず考えられません。

②印刷が間に合わなかった、ということも考えられません。
③印刷したが編集者なり、著者が気に入らなかった、ということも考えられません。デザイナー、作者とは十分に打ち合わせはしているはず。
④作者が東野圭吾さんだから、黙っていても売れる。ということも考えられません。

ということを考えながら、表紙をよく見ると表紙の下にもう一つ表紙が隠されていました。下の写真です。

これには「帯」がついています。表紙カバーは色が違っていますね。ただ、それだけの違いです。表紙カバーが気に入らなくて刷り替えたのかとも考えたのですが、印刷前から編集者、著者とは入念な打ち合わせをするので、考えられません。

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一応、帯を外した状態です。色が違っているだけで他には変わりはありません。となると、問題は帯です。多分。と言うことで、「帯」をよくご覧下さい。クリックすると拡大します。

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さて、以下はあくまで私の推理です。

表の表紙の「帯」に「コロナの時代に、とんでもないヒーローがあらわれた(注:叔父さんのことです)・・・」。裏表紙の「帯」に「殆(ほとん)どの人が訪れたことのない平凡で小さな町。寂れた観光地。ようやく指した希望の光をコロナが奪い、さらに殺人事件が・・・・」とあり、この本にも「コロナ」が町に及ぼした影響のことが書いてあります。

現在、コロナが猛威をふるい、みんな戦々恐としている状態があり、SNS等での炎上、自粛警察なども現れる時代、「コロナの時代・・・ヒーローがあらわれた・・・」。


「寂れた観光地。ようやく目指した観光の希望をの光をコロナが奪い・・・」。今、寂れた観光地どころか有名観光地までアップアップしています。


このような時代、上のような表現が適切かどうか、出版に関わる人が気づいたのか、他から指摘があったのかとも考えられます。で、新しい表紙カバーをつけ、帯を隠すようにしたかと考える事ができます。


さて、表紙の色が変わっていますが、本の取り取次会社か直接本屋さんに依頼したのか分かりませんが、同じ表紙の取り替えを依頼すると、なぜ?ということになるので、色を変えて、「作者(デザイナー、出版社)が出来たものにが気に入らなかったから」と言い訳はできます。


本来なら、帯だけを取りかえれば良いのですが、それなら又「なぜ?」ということになるので、新しい表紙を被せることになったと思います。本屋さんにはそのまま新しい表紙カバーを被せて、と指示したのか、本屋さんも忙しく、古いカバーを取り、帯を外し、新しいカバーと帯を付け事ということは面倒くさいので、そのまま新しいカバーを付けたのかどうかは分かりませんが・・・。


以上が私の推理になります。あくまで、私の推理で。本当かどうかは分かりません。

今年はコロナで日本中というより、世界中が振り回されました。早くコロナが終焉を迎え、以前のような平和な生活が戻るように願いつつ、努力するところは努力したいと思っています。




2020年12月13日 (日)

「剱岳─線の記」★髙橋大輔著

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新田次郎の「劔岳ー点の記」を読まれた方、映画で見られた方は多いと思います。

未踏峰だと思われた剱岳に三角点を立てるべく、明治時代、
測量官・柴崎芳太郎氏が挑み登頂するも、山頂には錫杖と鉄剣が置かれていて、すでに登頂者がいた、という物語でした。

この「剱岳ー線の記」には、この錫杖と鉄剣を誰が置いたかを検証するノンフィクションです。著者
はロビンソン・クルーソーの居住地跡を発見した冒険家・髙橋大輔氏。

氏は下のような設問を設定し、謎に挑んでいきます。

「いつ」「誰が」「どのように(山頂をきわめたか)」「どの(ルートは)」「どこに(山頂のどこに錫杖頭と鉄剣を置いたのか)」「なぜ(山頂に立とうとしたのか)」

険しい山、今のようにルートも無く、装備も無い時代、何のためにという疑問は誰しも持ったことだと思います。


そのため、色々なルートを考え、また、剱岳に関する本(最後に参考図書が書いてあります)を調べ、土地に残る地名等を調べルートを設定し、地元の人、研究者の支援を得て、実際に5回剱岳に挑み謎に挑んでいきます。


あまり書くとネタばれになるので止めますが、初登攀した人物が、現代人のように「山があるから」「山が好きだから」登った、ということではなく、もっと深い意味があったことが書いてあります。


そして、このことが、平安時代に剱岳を開山した人物と柴崎芳太郎氏が明治期に剱岳に登頂し、そこに錫杖と刀剣を見つけた事が必然であり、この本の題が「剱岳ー点の記」ではなく「剱岳ー線の記」である事の意義が最後に書いてあります。


新田次郎氏の本に「槍ヶ岳開山」という本があり、槍ヶ岳に初登攀した修行僧・播隆について書いてあるそうですが、この人物も剱岳に初登攀した人物と同じような感じなので、この本、いつか読んでみようと思っています。


なお、剱岳に残された錫杖の杖頭、刀剣の写真(立山博物館所蔵)も載せてありますので、興味のある方はお読みください。




 

2020年11月14日 (土)

「未来のサイズ」★俵万智著~オジ(イ)チャンは悲しい

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空の青海のあおさのその間(あわい)サーフボードの君を見つめる(サラダ記念日)
沖に出て小さきカヌーとなりながら手を振るものを若者と呼ぶ(未来のサイズ)

一番上の句は、1987年発行の第一歌集”サラダ記念日”より。俵万智さんは1962年生まれですから、25歳の時の短歌集といっても、25歳の作ったというのではなく、25歳までに書きためていた短歌の中から選んだものです。

下の句は今度出版した第六歌集”未来のサイズ”。2013年~2020年までの短歌だそうです。俵万智さんは今年57歳。上の歌と下の歌では32年の年月が流れています。この間、2006年仙台市に移住、2011年の東日本大震災により石垣島に移住、2016年に宮崎市に移住。2003年(41歳の時)に出産をしています。


上の句と下の句、両方比べれば沖を見ながらも片方は恋人を見つめる目。もう片方は少し一般的な目のような感じ。はやり、32年の歳月があるようです。


サラダ記念日を読んだときは、その新鮮さに目を見張りました。短歌、俳句といえば年寄りの趣味かと思っていたら「カンチューハイ」「サラダ記念日」などの言葉が入って、エ~~!(T_T)という思いでした。


今読み返してみると、下の句など、若い感覚の中にも男性に頼りたいという若い女性の心がにじみ出ているようです。


「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの(サラダ記念日)

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(同)
また電話しろと言って受話器を置く君に今すぐ電話をしたい(同)
「また電話しろよ」「待っていろよ」いつもいつも命令形で愛を言う君(同)
真夜中に吾を思い出す人のあることの幸せ受話器をとりぬ(同)

第三歌集の「チョコレート革命」。35歳の時の歌集。同じ恋の歌でも、若いときの恋歌とは違っています。随分濃密な短歌になりますが、後書きで恋の歌は「ほんとうにあったんですか」について次のように書いています。


・・・確かに「ほんとう」と言えるのは、私の心が感じたという部分に限られる。その「ほんとう」を伝えるための「うそ」は、とことんつく、短歌は、事実(できごと)を記す日記ではなく、真実(こころ)を届ける手紙で、ありたい。/人を想って揺れる心は、これからも私にとって、大きなテーマだ。恋の歌は、大きなテーマだ。恋の歌は、死ぬまで詠み続けたい。


幾千の眠りを覚まされて発芽してゆく我の肉体(チョコレート革命)

午前四時夢のつづきを抱き合えば濃くなる我の輪郭(同)
抱かれることからはじまる一日は泳ぎ疲れた海に似ている(同)
別れたるのちに覚えしカクテルを選んでおりぬ再開の夜(同)

すみません、突如別の話ですが、最後の短歌読んで思い出すんですね。私の好きな、グラシェラ・スサーナの「古い友達」。「別れて覚えた 慰めの煙草」ってところ。関係ないことでスイマセンm(_ _)m。


第四歌集の「プーさんの鼻」。43歳の時の歌集。このとき、身ごもっている時から子供が赤ちゃんの時の歌。はじけるような明るさ、うれしさがヒシヒシと感じられます。


耳はもう聞こえていると言いわれればドレミの歌をうたってやりぬ(プーさんの鼻)

生きるとは手をのばすこと幼子(おさなご)の指がプーさんの鼻をつかめり(同)
バンザイの姿勢で眠りいる子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ(同)

そして今回の第六歌集。「未来のサイズ」。57歳です。子供も大きくなっているようで・・・


子を産みて仙台・石垣・宮崎と慌ただしかり我が十年(未来のサイズ)

理系文系迷う息子が半日を「星の王子さま」読んでおり(同)
不条理とは何かと問われ子に渡す石牟道子『苦海浄土』を(同)
つまらない母親役をやっており髪染めたいと言いつのる子に(同)
生き生きと息子は短歌詠んでおりたとえおかんが俵万智でも(同)

もちろん、恋歌もありますが、パラパラとページをめくっていくと、子供の歌が多く受けられます。


さて、ですね以下のような短歌がありました。


プレミアムモルツ飲みたくなるような病名を聞く初夏の病院(未来のサイズ)

わかりやすい老化と思うことにした「ゆっくり進む病」(同)
封をした検査結果をふところに運び屋のごとく戻る病院(同)
誰だって何かで死ぬと思えども死よりも病を恐れる心(同)

俵万智さん、いままで”死”とか”病気”の歌は作らなかった気がするのですが、57歳と言えば、まだまだ若いですよ。老人クラブにはまだ入れてくれません。「死」とか「病気」とか「病院」は、お爺さんお婆さんが作る歌ですよ。俵万智さんの、このような歌を読むとオ(イ)ジサンはなぜか悲しい。ヒョッとしたら、なにかの病気ではという感じもあります。


俵万智さんは「チョコレート語訳 みだれ髪」という、与謝野晶子の短歌を訳した作品もあるじゃないですか。


柔肌の熱き血潮に触もみで悲しからずや道を説く君(与謝野晶子)

俵万智さんには、素晴らしい恋歌を作ってもらいたいものです。偉そうに書きましたが、実は私、上の四冊しか読んだこと無いのですが・・・





2020年11月 2日 (月)

「鼠島(海水浴場)」~鼠島の思い出など&西郷四郎

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上の絵葉書を入手した頃、ご縁があったのか、田栗奎氏が書かれた「長崎遊泳協会六十五年誌ー鼠島年代記ー」(長崎遊泳協会記念誌編纂委員会)という本を読むことができました。出版が昭和四十三年になっているので、50年近く前の本になります。下の3点の写真は、この本より転写したものです。

上の写真は長崎港から汽船に引かれて鼠島に着いた「団平船」。思いもかけず、この絵葉書を手に入れましたが「8.7.28」の消印があるので、多分昭和8年の事かと思われます。私たちの時は確かポンポン船だった気がするのですが。


長崎で年配の方は覚えているかと思います。といっても、私は小学校の4年~5年生の時に行ったばかりですが。なにせ、半世紀ばかり昔のことで、おぼろげな記憶ですが・・・

学校の生徒は木札(定期券)を買って通っていました。鼠島には2ヵ所泳ぐところがあって、片方は一般客、もう片方が長崎遊泳協会が子供たちに水泳を教えていました。

上の写真の水着をつけている子供がかぶっている水泳帽子、各々違っています。確か段級があって、帽子で区別をしていました。木札を持った子供は長崎遊泳協会の場所で水泳を習わなければならなかったのですが・・・教え方が厳しく、私は悪い子なので、一般客のところで遊んでいました。時々、見回りが来るので、水泳帽子は海水パンツの中に隠していました。


ウチのオヤジもここで水泳を習って、メチャ高段でした。戦時中、ビルマに派遣され上陸寸前、乗っている船が魚雷に当たり沈没して一晩海の中を漂っていたそうですが、無事だったのは、ここで習った水泳が役にたったのだと思います。


で、私は遊んでばかりいたので未だもって、まったく泳げません。大人になってスイミングスクールに通ったのですが、顛末は以前書いたので→こちらをクリック。もっとも、あのスイミングスクールも潰れていました。


鼠島の一番の思い出は、この本にも書いてある”ハジキ豆”のことで、布の袋の中にハジキ豆を入れて泳いでいると、豆がだんだんふやけて柔らかくなり、ちょうど良い塩加減になり美味しくいただけました。あと、イベントがあって、大名行列、御神輿かつぎ、兜を着けての泳ぎ、立ち泳ぎをしながら大きな板に書を書いたり、沖の小舟に棹を立て、その上に日の丸の扇を付け立ち泳ぎをしながら矢で射貫く。那須与一ですね。那須与一のようには当たりませんでしたが・・・


下の写真が鼠島。現在は埋め立てられているそうですが、一部浜辺が残っているそうです。


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下の写真は明治42年の写真。真ん中の髪の長い方が主任師範の町野晋吉氏だそうですが、すごいオーラ。回りの青年達のバキバキした体、羨ましい~。

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下の写真の矢印が「西郷四郎」。小柄(身長153㎝~158㎝の説)だとは聞いていたのですが、こうしてみると確かに小柄。この体で、講道館の四天王とは信じられません。最近は「西郷四郎って知ってる?」と聞いても「誰よそれ」などと言う方が多く、悲しい思いをしていますが「姿三四郎のモデル!」を言うと「あ~」となんとなく、分かったような・・・

西郷四郎は長崎遊泳協会の設立に関わっていたとは知っていたのですが、柔道家がなんでと?とは思っていたのですが、本を読んで分かりました。


明治35年7月15日の東洋日の出新聞に「鼠島も一昨日は日曜のこととて百四、五十人は集まりたれども一度も水には入らず、ウロつきいるハイカラ多く、何のために拾銭投げ出して小蒸気の煤煙をかぶりながらやって来のか更に判らず、もっとも設備の皆無のためもあるべく、端舟一隻だに用意なきは危急の場合にドーする量見にゃー」と載ったそうです。


明治38年に「瓊浦遊泳協会(後の長崎遊泳協会)設立趣意」が出され、主唱者は、東洋日の出新聞社長の鈴木天眼。役員の主だった人が発起人として名を連ねたそうですが、顧問が長崎県知事荒川義太郞。理事として、東洋日の出新聞社西郷四郎の名前も入っています。なお、庶務を同新聞社員4名が担当をしています。


ということで、長崎遊泳協会設立には”東洋日の出新聞”が大きく関わって、西郷四郎は社員ですから一翼をになっていたことが判ります。なお、社員の中でも理事は西郷四郎だけですから、新聞社の中でも重鎮だっと思われます。


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鼠島の海水浴場は昭和47年に閉鎖になりました。

西郷四郎については、私のブログでも書いていますのでご覧下さい。なお、鼠島、長崎遊泳協会の詳しい歴史については「長崎遊泳協会」のホームページをご覧下さい。→こちらをクリック

3枚の写真は「長崎遊泳協会六十五年誌」より。


 

2020年9月13日 (日)

★「欲が出ました」ヨシタケシンスケ著 ★「弱った心がラクになる・後ろ向き名言」鉄人社編集部

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歳をとったら、本の読み方が違ってきて・・・

厚い本は読まない、字が小さな本は読まない、登場人物が5名以上の本は読まない、高い本は買わない、ということでエッセイを読むことが多くなりました。


ヨシタケさんの本、2,3冊読みましたが、なんとなくホットしながらも、考えさせられるところがあります。


以前「思わず考えちゃう」が出版され、思いのほか好評だったので、出版社の方に「欲がでた」ようで、この第二弾が製作された、という事らしいです。


ヨシタケさん、「欲」について「物欲」「睡眠欲」「自己顕示欲」「性欲」「食欲」「出世欲」のほかに「納得欲」なるものを考え「わかりたい」「理解したい」というのは人間だけではないか、だから、「『納得いかない』ことが非常に大きなストレスになるのではないでしょうか。」と。


数ページ、この「納得」についてイラストでというかスッケチ風に書いていますが、結局「欲望には勝てんわな」と言うことだそうです。


・だってホラ本人だもの。あきる訳にはいかんわな。


・そうですねおっぱいは好きですね。やっぱり哺乳類なんで。


・羊の皮をかぶった羊。


・僕はこの世に100年くらいしかいないんだ。期間限定なんだヨ!

 ~ウチのカミサンは賞味期限切れです。ワタシもですが。

・すべての死は早すぎるか遅すぎるのだ。


・「仕事は、愛だ」というとそれっぽいけど、「愛は、仕事だ」というと怒られそう。

 ~伊奈かっぺいさん、女性に「遊びじゃないよ」といったら、「遊びじゃないなら、仕事なの」と言われたそうですが・・

エッセイ、スケッチありの、なんとなく自分を見直したいときの本。



「後ろ向き名言」。

落ち込んでいるとき、「頑張れよ!」と言われると「ウルサイ」と思うときがあります。言った人間との関係もあるのですが。「悲しいときは、愉快な曲を聴くより、悲しい曲を!」と言った人もいます。この本、「弱った心」のための「ネガティブ」な名言集です。

・「これが一生か、一生がこれか。ああ嫌だ嫌だ」

樋口一葉の「にごりえ」の中のセリフだそうです。樋口一葉の人生を考えれば・・・

・「人生なんて食って、寝て、やって、終わり」

立川談志の言葉。談志らしい言葉ですが。

・「生きていることが辛いなら/いっそ小さく死ねばいい」「生きてることが辛いなら、くたばる喜びとっておけ」

森山直太朗の「生きてることが辛いなら」の一節。ワイドショーで批判され、一部のコンビニで放送禁止になったそうです。

・「生きてるだけで丸儲け」

明石家さんまさんの言葉。よく、この言葉を言っていますが、1985年8月12日の日航飛行機事故の時の飛行機を予約していたそうですが、直前の番組収録が早く終わったので、一便早い飛行機に乗り難を逃れたそうです。実感のある言葉。

・「女房は死んだ、俺は自由だ」

とはボードレールの言葉、「カミサン死ぬな、オレが先だ」とはワタシの言葉。通夜とか、葬式とか、法事とか大変なんスよ。アレ考えると、先にいった方がよろしいかと。

・「誰でもいいから彼氏が欲しいって言ってた人からフラれました。」

ネットの住民からですが、ワタシも経験あり。あのときは、人生のどん底に落ちました。

・「生きてれば必ず良いことがあるって?もう待ちくたびれたよ。」

これも、ネットの住民さんです。

詳しいことを書けば、皆さんが読まれるとき、面白くないので簡単に書きました。あとは、本をお求めいただき読んでもらえれば、「ナルホド」と思うことばかりで、人生のためになると思います。


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