日記・コラム・つぶやき

2017年9月18日 (月)

今日は「敬老の日」



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今日は、「敬老の日」。

雲仙市では各々の町の自治会単位で「敬老の日」を実施。本当はまだ人数は多いのですが、入院やらがあって、全員来られると会場には入れませんが・・・

私?まだ、参加する歳には達しておりませんが、今年は班長という事でお手伝い。ついでに、市長さんの祝辞とか、県知事さんの祝辞とか、「吉永小百合」さんからの祝電披露(私が勝手に作ったもの)とか、ついでに皿回しまでやってしまいました。

歌あり、踊りありでしたが、今日日(きょうび)は何といってもカラオケが多く、見ていると女性の方が曲をよく知って、男性はほとんど口が動いていませんでした。はやり、これを見るにつけ、女性の方が長生きするのは当然だと。

さて、前自治会さんから挨拶がありましたが、「老人の日」と「敬老の日」があるとかで、「老人福祉法」をみると・・・第5条2項

2 老人の日は九月十五日とし、老人週間は同月二十一日までとする。

ですね。でもって、ハッピーマンデーに伴い、国民の祝日として、「敬老の日」が9月の第3月曜日になったそうです。ですから、「老人の日」と「老人週間」と「敬老の日」があるという事です。ね。多分。

年を取ると、周りの知っている人が段々亡くなり、家に引きこもりがちな中、このような催しも必要だと感じました。

帰りがけ、天満宮に寄ってみました。最近、千々石ミゲルの墓と思われる場所の発掘が大きく報道されましたが、この小山(橘神社の裏の山)に釜蓋城があり、竜造寺信隆に攻められ、ミゲルの父が滅ぼされ、その際、平和を願い天満宮を作ってほしいと願って亡くなり、後年作られた。「天満宮」です。

以前は、小さな山でしたが、役場がロクな調査もせず、グラウンドを作り、現在は中学校野球部の専用グラウンドみたいなものです。

明治12年「千々石村村誌」には、「・・・・濠址数行アリ頂上ニ廃井アリ・・・」とありますが、グランド整備の折無くなっています。

なお、龍造寺に滅ぼされた折、千々石ミゲルは戦火を逃れ、後年、大村に身を寄せています。

以前、この鳥居には注連縄が無く、他の神社はあるのにという話があり、2,3日前に作ったという事を聞いたので、行ってみたら見事な注連縄が作ってありました。注連縄があると、感じが全然違いますね。作っていただいた皆さんに感謝です。
 
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2017年8月29日 (火)

「敬老の日読書のすすめ」だって。


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以前書きましたが、歳を取ると丸みが取れ、四角になって、おまけにトゲまで生え始めてきたような今日この頃。

「敬老の日読書のすすめ」ってなんですか?大体、敬老の日まで生きた人間は、言われなくても読書する人はするし、しない人はしません。絶対に。「すすめても」、無駄。

大体読書は、良いものなのか?小さいころ本ばかり読んでいると、「本ばかりよんで、勉強ばせろ!」と怒られました。某作家のエッセーを読んでいると、同じようなことが書いてあり、「本は、親に隠れて読むのが面白い」という事で、現在の子供のように、読書を積極的に進められるのは面白くないだろうと。

現在、ウチも同じで、先日2,3冊本を買って戻ったら、カミサンから「また、本を買ってきて!家を本だらけにするのか!」と怒られました(前にも、このこと書いたっけ?)。という事で、私の何よりの楽しみは、カミサンに隠れて本を読むことです。

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パンフレットのお勧めの本を見ると、「九十歳、何がめでたい」、「老後くらい好きにさせてよ」、「媚びない老後」、「大人しく老いてなんかいられない」とか、老後の人生について書かれた本が多いみたいで、小説は「四人のおばあちゃん」だけでした。

考えるに、この国では「教訓」的な本が良い本であり、「小説」などはあまり評価されてないのかな、と思った日でした。

パンフレットには「本を読むと美しくなる。」と書いてありますが、ウチのカミサンは本を読みませんが、「美しい」です。マジ。

ところで、「敬老の日」っていつですか?私、「敬老」されたことが無いので、良く分からないのですが・・・・・





2017年8月28日 (月)

人バスを押す・・・・

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ボンネットバスですね。昔はこの型ばかりでしたが、また、最近レトロバスとかで観光地を走っているようです。

高齢者の方(私以上の)と話をしていると、昔はバスの馬力が弱く、特に雨の時は坂を登れず、乗客全員で押したという話を聞いたものでした。

この写真はバスがエンコした時、乗客が押しているものだそうですが、奇跡的な写真といってもよく、第一にバスがエンコしたこと、そして第二に、何より当時は高価だったであろうカメラを持っていた人がいたことです。今では、スマホで誰にでも撮れますが。

時代的なことを考えると一番最初の人物。背嚢(兵隊さんのリックサックみたいなのも)の上には毛布、腰の所には水筒、背中には小鍋(?)と飯盒、足にはゲートルを巻いているみたいです(白色のゲートルは無いので自信がありません)。
という事を考えると、帰還兵で、後ろの人物を見ると、終戦直後ではないかと思われます。

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さて、もう一つ気なるのが、バスの一番後ろ、なにか、ボイラーの小型みたいで煙突が付いているみたいな物がある感じです。

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という事を考えると、多分これが噂に聞いた「木炭バス」ではないかと思うのですが。

「木炭バス」は戦時中ガソリンが不足した時代、ガソリンの代わりに木炭を燃やして走っていたバスです(詳しくはウィキペディアで調べてネ)。

このバスは、小豆島のバスで、小豆島と言えば「二十四の瞳」。で、あちらこちらブロブを見ていると、「二十四の瞳」の舞台はそのまま保存してあるそうですが、そこにボンネットバスがあり、「時代を感じさせる『ボンネットバス』木炭で走ったそうです」と書いてあったので、急いでTSUTAYAさんに行って「二十四の瞳」のDVDを借りてきて見ましたが、残念ながら「木炭バス」ではありませんでした。

もっとも、木炭バスが走っていたのが1920年代~1940年代(ウイキペディアによる)。「二十四の瞳」の映画公開が1954年だそうですから、すでに「木炭バス」はなかったのでしょう。ただし、現在、観光地で木炭自動車を復活させ、走らせているところがあるそうですから、好きな方は乗ってみてください。ただし、一番上の写真のように、バスを押す羽目になるかもしれませんが・・・

上の写真のナンバープレートは「香891」ですが、映画では「香29」と「香843」が使われていました。後ろには「シマバス」と書かれたありました。どうでも良いことですが、折角調べたので・・・・でも、映画で「木炭バス」が走っている姿は見たかった!と思うのでありますが。



2017年8月26日 (土)

今日はお勉強会

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今日は、島原でお勉強会でした。正式に名称を書けば・・・


第212回市民文化講座・島原図書館郷土史を学ぼう会
「近世における歴史資料の伝来と社会」
ー大名文書(もんじょ)、地域文書、江戸時代の対外関係からー


で、講師は、熊本大学永青文庫研究センター長 稲葉継陽氏

資料として、トップに細川家文書、一番下が村方文書。ただし、上下関係ではなく、村方文書がトップの文書を証明する場合もあるとの、具体的な例をあげての話で、こちらも庄屋日記の解読を進めているので(私は、はしっこで聞いているだけ)、村方文書などの必要性を確認。

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こちらは、信長直筆の文書。普通は祐筆が書いて、それを確認し花押、または印を押すだけですが、これは、直筆を証明する文書もあるとか。

信長の言う「天下」とは、日本国全体を指すのではなく、「五機内(山城・大和・河内・和泉・摂津)」であるとの説の資料。


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「本能寺の変」、ひと月前に光秀に送った書状。光秀への信頼が示されているとのこと。最後の方の赤丸は「天下布武」の印影。

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とまあ、「熊本大学永青文庫」にある資料の紹介をしながら、文書の維持の大切さを話されましたが、同時に、熊本地震直後から展開された、歴史資料レスキューの紹介もありました。

つくづく思ったことは、長崎県のこの方面がいかに遅れているか(というより後進県、失礼、発展途上県、途上はしてないけど、何年も前から)を実感した次第でした。長崎大学は「文学部」が無いからな~。

帰りに寄った、湧き水、ここ、いつも満員で冷えた水がおいしかったです。


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2017年8月24日 (木)

昔の話~今、アミュプラザ

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最近、昔の写真、パンフレットなどを集める癖が出まして。

昔の、「ニュー長崎ホテル」。現在は「アミュプラザ」という方が分かりやすいと思います。

現在、ホテルもありますが、名前を見ると「ホテルニュー長崎」ですね。名前の順番が少し変わっているようですが。パンフレットを見ると電話番号が「③0158」ですから、随分前のことです。

で、ここにはよく来ました。といっても、ホテルの方ではなく、地下に「ニュース劇場」があり、ニュースばかりではなく、普通の映画をやって(封切り映画ではなく二番館・リバイバル館)、その間に、ニュース映画をやっていたのですが・・・小さな劇場でしたが、映画全盛期でいつも満員でした。初めて女の子と一緒に映画を見たのも、この映画館でした。当時は学生で、保護者同伴でなければ、映画館には入れない時代でしたが。

ホテルのパンフレットを見ると、部屋のお値段が、「御一人室(バス付)・¥1,350」、「御一人室(バス付)・¥1,500」、「御二人室(ダブルベッド)・2,500」、「御二人室(ソファー付)・¥2,500」、「御二人室(ソファー付)・¥2,700」、「御二人室(ツインベッド)・¥3,000」、「御二人室(ツインベッド)・3,500」、「応接室付・5,000」、「応接室付・¥7000」。

食事が、「御朝食・¥250 ¥300 (和食)¥250」、「御昼食・¥450 ¥600」、「御夕食・¥600 ¥800 ¥1,000」。と、現在と比べればバカみたいに安い値段。

現在ですね。一番安い部屋が30,888円、一番高い部屋が237,600円。まったく、時代の違いを痛感します。

面白いのが、「御心附」が書いてあることで、「御心附はお勘定の一割を頂戴致しますが、それ以上の御配慮は御辞退申し上げます。」、だって。現在は「御心附」、取ってるんでしょうか?

外観は基本あまり変わってないようですが、現在、「ユナイテッドシネマ長崎(8スクリーン)」、書店、楽器屋さん、食堂、その他モロモロ入っているようですが、ここ何年か行ってないので、また少しは変わったかな?

映画館は一度行きましたが、前にも書いたようにスクリーンが小さく、昔の新世界とか、ステラ座のスクリーンを見た者としては物足りなく、一回行ったばかりでした。

現在と比べれば、「変わる変わるよ時代は変わる」と言ったところですね。実感として。おじ(い)さんにとっては。




2017年8月16日 (水)

「病院」「調剤薬局」で、何やってる?

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病院あるいは調剤薬局に行って、何がイヤかと言えば、待たされることですね。

で、皆さん見ていると、ボ~とされている方、スマホいじくっている方、TV見ている方ありますが、診察室、薬局の片隅にパンフレットが置いてあります。

これが、意外と役に立つ情報があり、私は時のたつのも忘れて読んで、役に立つものは貰ってきます。なにせ、ロハだから。

下の写真の一番左が、「加齢黄斑変性」のチェックシート。真ん中を見て、線がゆがんだり、中心部が暗かったら要注意で、「加齢黄斑変性」の現象、原因などが書いてありますから、眼科で見かけたら、是非チェックを。

その右が、「ドライアイ自己診断シート」で、ビンゴケームのシートと同じように、該当する所のタグを押し開けて、「Yes」が5以上なら「ドライアイ」の可能性が多いんですって。それで、「診察の際に先生にお渡しください。」だそうです。

次が、「睡眠チェック」で、該当する部分を指で開けて、点数を出し不眠症に該当していないかどうかを調べます。なお、後ろのページに不眠症の原因、快眠のための工夫などが書いてあります。

なお、最後は、「確認じゃ!給付金」。作ったのは、「厚生労働省」(にしてはヘタなシャレ、イラストは忍者です)。病院の医療費の額によっては給付金があります。給付金は、「市町村へ申請が必要です。」という事で、知らずにそのまましていたら、給付金は貰えません。このパンフレットが置いてあったら、よく読んでみましょう。

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最後が、下の丸いものです。「緑内障などの『視野の欠け』」をチェックするもので、円の中に4匹の虫が書いてあって、中心を見ながら円を回していくというもの。折り畳み式で、子供か喜ぶのか、次の日には全部なくなっていました。

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という事で、病院等の待ち時間、もったいないので、皆さんもパンフレットを読んで時間つぶしをするのも一興かと。なお、国公立の病院には置いてないみたいでした。

ただし、置いてあるのは全部、お薬屋さんが作ったパンフレットなので、そこの所を頭に置いて、ですね。





2017年8月14日 (月)

「絵葉書」に偽りあり

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この2,3日ハガキのことばかり書いていますが、面白のがあったので。

この位置から島原城址を撮った写真は珍しく、この城に入る坂は昔はなく、後で作ったものであり、下の城図の青丸印あたりになります。

二の丸と本丸を結ぶのは、赤丸印の廊下橋で、いざというときはここを切り落とせば敵は攻め込めません。ただし、本丸は孤立状態になるわけですが・・・

さて、絵葉書の説明です。

「島原名所」
森岳城址 春高楼の花の宴・・・・松平重政の築城にかゝり、三十三箇の櫓、七箇の城門を有したという大城であったが、島原の乱で炎上して今は濠祉のみ昔のなごりをとヾめている。

とはなっているのですが。間違いがありますね。築城したのは「松平重政」ではなく「松倉重政」。

「島原の乱で炎上」はしていません。もっとも、島原の乱のとき一揆軍が攻め寄せたのは本当で、「賊三千人は直ちに城にせまった。城兵出でて戦ったが高橋文衛門、堀久兵衛・・・は遂に戦死した。そこで城兵は城に入って之を禦いだ。賊は忽ち大手門(地図の赤の矢印)に肉薄して、門扉を破壊し之から攻め入ろうとした。城兵はこれと争ひ激戦數刻、賊徒の斃るゝ者數しれず遂に敗退した。」(郷土讀本 杜城の花~林銑吉著より)という事で、あわや、というところまでいったのですが、炎上はしていません。

多分、「島原・天草の乱」と一般的言うので、間違ったのでしょうが、島原の乱は南島原市南有馬町の「原城」が舞台です。

お城は明治までそのまま無事で、この前書いたように、民間に売られてスッポンポンになってしまいます。

いまでは、一般的に「島原城」と言っていますが、城の建てられたところが、「森岳」と言うところで、「森岳城」とも言われていました。


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(「国立国会図書館蔵」・「『幻の廊下』復元プロジェクト」パンフレットより)

さて、説明に書いてあるように、「三十三箇の櫓、七箇の城門を有したという」と書いてありますが、本当かどうか、上の図面をクリックすると大きく拡大しますから、自分でお確かめを。

絵葉書は反対側に、「HAMADA YOKOHAMA」と書いてありますから、横浜の印刷屋さんあたりで作ったものだと思われます。

なお、明治9年に島原城天守閣取り壊し、昭和6年に本丸山側の道路取り付け、昭和35年に西の櫓復元、昭和39年に天守閣復元、昭和47年に巽櫓復元、昭和55年に丑寅櫓復元、時鐘復元、となっており、写真を見ると、道路取り付けだけしてあり、天守閣、櫓、また、現在の土産物屋さんなども全く見えないので、かなり前の写真かと思われます。

先に書いたように、この位置からの写真は珍しいのですが、説明はきちんと書いて欲しかったな、と思ったのではありました。




2017年8月12日 (土)

絵ハガキ

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昨日は年賀ハガキの事を書きましたが、調べる事があり、絵ハガキを少し買い集めてみましたが、上の絵ハガキ良いですね。描いたのは、林唯一(ただいち)氏。大正~昭和の挿絵画家です。

「中学校に入って初めての夏休みだもの、今日だけは汽車がのろいやうな気がした。停車場につくといきなり『兄さん』と云って飛びついて来たのは弟だ。お母さんもお姉さんも僕の學生姿を眺めて『まァ!』と云いながらにこにこされたので少しきまりが悪かった。」と説明文がありますが、いかにも昔の駅ですね。

今、こんな良い絵葉書があるのかな、と思いながら次々に絵葉書を見ていくと、ありましたね。下のような絵葉書。〇首丸見えです。

「白濱温泉 崎の湯」とあり、右側に、英語で地名が書いてありますから多分戦後のものだと思います(英語は戦前は敵性語で使えませんでした)。なお、〇首が丸見えなので、■で隠しました。


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で、さらに見ていくと、又もありました。男鹿です。こちらも、英語の説明があるので、これも戦後ですね。これも〇首丸見えなので■で隠しました。

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お!長崎もありますね。雲仙の某旅館の絵ハガキです。風景は仁田峠の展望台ですが、右上の方、拡大してみると、ちゃんと〇首もちゃんと見えていました。もちろん■で隠しましたが・・・やはり長崎は他と違って、小さい写真で奥ゆかしい。

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以上、裏側には全部「POST CARD」、「郵便はがき」と書いてありましたが、こんなハガキを貰ったらどうするんでしょう。

という事で、昔の絵ハガキといえど意外と大胆なものがあるんですね。



2017年8月11日 (金)

もうぼちぼち、年賀状!

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年賀状を書くのは、まだまだと思いながら、例年書き上げるのが12月31日。今年こそ、早目にとは思うのですが。

先日、川西英さん(版画家・画家)の所へ寄せられた年賀状を、縁あって数枚手に入れることができました。で、よく見ると全部版画ですね。

考えてみると、昔は印刷所に頼むか、字の上手な方は筆字、絵心のある方はスケッチ、芋版、版画などで年賀状を作っていました。現在も絵手紙などで作られる方もおられるみたいですが。・・・

私の場合は字が下手で年賀状を書くのは苦痛で、一時止めたこともありましたが、プリントゴッコができて数年はお世話になり、その後パソコンの出現で、パソコンにお世話になりましたが、いただく年賀状も同じようなものばかりで、なんとなく味がありませんね。おまけに、宛名までパソコンの文字で、宛名くらいは自分の字で書いてもらいたいものですが。

で、この版画(皆さん調べるとプロの方みたいでしたが)を見て、あ~良いな。とつくづく思いました。

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でもって、私も版画でと思ったのですが、地元には文房具屋さんも無し。さりとて、長崎市まで出かける気力は無し。という事で、別の方法で味のある年賀状を作ろうと考えているのですが。

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左側は、いのしし年ですね。右はあっさりして、「雪沓(ぐつ)の児(こ)等が歌ふ初春の唄」ってのが、新春らしく良いですね。

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表側ですが、全部、住所も書いてないのですが、これで届くんですかね。もっとも、長嶋茂雄さんの年賀状は、住所を書かかなくても届いていたと聞いたことがあります。現在は、郵便局も民間になり、せちがらくなったので、多分、もう届かないでしょう。

あと、「くじ番号」がなく、すっきりして良いですね。今まで、何千枚も貰って一等になったことないんですから。


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一番気に入ったのが、最初の年賀状ですが、顔の面は真似しようにもできません。

利用しようと思うのが、表側の下のところ、「産地」「生年」「生業」等々書いてありますが、「産地」の所に住所が書いてあり、その後、「百姓。十一世。喜兵衛の二男。」というのが何ともなく良いですね。

「生年 慶應三年五月生。卯の七赤。火性。」、なんと、「慶應」生まれと言えば、江戸時代ですよ。もう、お亡くなりになっているとは思うのですが。

という事で、今年は個性と味のある年賀状をと思ってはいます(今のところ、思っているだけですが)。早いですか?この間正月だと思っていたら、もう8月じゃないですか。今年も、あと4か月ですよ。皆様も、慌てないようにご準備を。





2017年8月 5日 (土)

2017「第10回 ちぢわふるさと夏祭り」~雲仙市千々石町

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今年の夏祭りが10回目です。以前は温泉神社で実施していたのですが、場所が狭すぎるという事で、海岸付近の福石公園に場所替えをして開催。

本来なら、七夕飾りコンクールで、七夕飾りがずらっと並ぶのですが、台風接近の影響で、下の状態。二人の男性は、市長さんと秘書さんです。

出店も例年通りに出て・・・


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最近は、金魚すくい、じゃないんですね。長崎の名物アイス。

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婦人会はカレーの販売で頑張っています。ピンクの服が似合いますが、長崎国体の時、ボランティアにでて、その時貰ったものですが、辛抱して使ってますね。さすが、お母さん。

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知恵の輪、失礼、「茅の輪くぐり」です。今日は神様も福石公園まで、ご出張。

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肥前千々石鉄砲隊の演武。もちろん私と一緒で空砲ですが、すごい音がします。

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餅まきですが、皆さん目の色が変わりますね。舞台の裏側ですが、昔、お嬢さんだった方の司会。今日は、浴衣姿で進行。

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千々石第一小学校の演技で、年々上手になっています。


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下峰児童館のカワユイ踊り、児童、保護者、先生の共演と、子供だけの、「お江戸はカーニバル」。って歌があるんですね。

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例年の第二小学校の、「棚田へ行こう」。ここの棚田の米はおいしいのですが、棚田は普通の田んぼと違い、作業がつらいのですが、子供たちには跡を継いでもらいたいものです。

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相変わらずのスマホで、私みたいにカメラをぶら下げているのが、なんとなく恥ずかしく・・・

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で、気がつくと、地区、団体のユニフォームが増えていますね。

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御神楽。中学校の吹奏楽部の部員が待っていますが、段々人数が減って、聞くところによると今年の新入部員が1名だそうです。今日は、都合で出ていないそうですが、この伝統は消さないでほしいと思っています。

ふと裏を見ると、今年10周年を記念して、吉本お笑いから芸人さんを二人呼んだとかで、右のお二人でしょう。


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この暑いのに、まあ、よくしゃべりますね。「アトム」のお二人さんで、まだ名前は良く知られていませんが、応援してください。主に福岡で活動をされているとか。


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確か初めてだったかな、オカリナ愛好会の3名。フラダンスの人数が少し減ったみたいですが、フラダンスは夏につきものなので頑張ってほしいですね。

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このあと、「よさこいソーラン」、カラオケ、竹灯篭点灯式、エンディングセレモニー、お楽しみ抽選会と続くのですが、ここらあたりまでが私の限界で、これ以上いると救急車のお世話になりそうなので失礼をしました。

役員の皆様は、暑い中、台風の進路を気にしながらの運営で大変だったと思いますが、子供のいい思い出にもなり、おじいちゃん、おばあちゃんも結構楽しみに見に来ておられ、良い夏まつりでした。


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