日記・コラム・つぶやき

2017年3月18日 (土)

「SNS炎上」~NHK「オトナヘノベル」作成班編


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「NHKに寄せられた体験談や、取材で集めた十代の声がもとになっているので、視聴者のリアルな体験が反映されています。」ということで、「NHK Eテレ番組の『オトナヘノベル』で放送されたドラマになった小説を、再編集したものだそうです。

本が5冊シリーズになっており、「SNS炎上」、「ネトゲ中毒」、「家族コンプレックス」、「リア友トラブル」、「恋愛トラブルメーカー」で、各3話からの小説と、「解説」と、対処法などが書いてあります。

「炎上」はご存知の通り、「SNSにアップした写真や記事がきっかけで、ネットでお祭り騒ぎになること、不祥事件をおこした人物が、ネット住民によってたたかれること。」だそうですが、説明しなくてもお分かりだと思います。

第1話は、彼氏とイチャイチャしている写真を投稿し、その彼氏と別れ、新しい彼氏ができるが、削除したはずの写真が拡散して、それがバレ破局。

第2話は、写真を投稿していたら、評判がよく、電車の中で寝ているおじさんと後ろのポスターがマッチして、これを投稿。

ところが、「-電車内で老人を盗撮して笑いものにしたJKを懲らしめよう」と書きこみ、「なに、このJKの身元を特定すればいいわけ?」と大炎上。

第3話は、商店のシャッターにスプレーでいたずら書きをしていた、有名校の生徒をスマホで写真を撮り、投稿。

最初は、有名校の生徒が非難をされるが、生徒が休学したり、親が倒れたり。
ところが、これで一転して、「S高校生を追い込んだ女子高校正のSNSはここですか?」と非難される立場に。大炎上。

最後は、3話ともNHKらしく、前向きに終わりますが、「炎上屋」なる者もいるらしく、美味しいネタがあったら、煽って炎上させるそうです。あと、炎上を防ぐ方法、炎上に対する対処法等も書いてありますので、読んでおくことも必要かと。

戦争と同じで、昔は一対一での一騎打ち、お互いの顔も見えましたが、今ではボタン一つで相手を殺すこともでき、ゲーム感覚で、なんとも殺伐とした時代になりました。

「ネット炎上」もお互いの顔も見えず、その分、残酷なことができるようになりました。人と人とのつながり、思いやりも希薄になってきたような感じです。

便利なことはいいけれど、どこまで便利になれば人が幸せになれるのか、考える時期ではないかと思うのですが。

フェースブックが便利だといっても、社長の収入を見たら分かることで、しょせん商売人が儲けのために考えた商売です。

私たちも、時代に流されず、「君子危うきに近寄らず」で、時代とお付き合いをしたいものです。お子様をお持ちの保護者の方もご一読を。

なんとなく、何時間かけても10円の公衆電話時代が懐かしくなりました。不便だったけど、寒い公衆電話ボックスの中、たった10円で、何時間も彼女とお話をした、楽しい記憶は未だに残っています。昔が懐かしいのは歳のせいかな?



(文引用:「SNS炎上」より)


2017年3月13日 (月)

「ビッグコミック スピリッツ15(3月27日)号)」~防災を考える

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以前から書いているように、雑誌の「ビッグコミック」系統の本は、未だもって全部読んでいます。今週号の「スピリッツ」に、とじ込み付録が付いており、この手の雑誌のとじ込み付録といえば、あの方面の事が多いのですが、今回は、開けてビックリ、防災に関する付録で、中を読めば、真面目も真面目。

しかも、最初と最後に同じものが付いています。違うといえば、「わたしのための」と「大切なあなたへの」で、これ、明日のホワイトデーにプレゼントすると、感激されると思うのですが。


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「災害は忘れたころにやって来る」とは、よく言われますが最近は災害が多くなってきたようで、この付録によると、1995年の阪神・淡路大震災以降、国内で20人以上の死者・行方不明者を出した自然災害が21件。

最大の災害が、ご存じのように、「東日本大震災」、2万2062人。次が、「阪神・淡路大震災」、6437名。

前にも書きましたが、島原半島付近、数十年前に大きな地震があり、ちょうど私が料理をしていた時で、ビックリしました。とにかく、火を消して、さて、机の下にもぐったものか、外へ出た方が良いか、迷いましが、やはり、準備、心構えはしておくのが必要かと。

中身は、前書きに書いてあるように、シンプルなもので、「でも、いきなりたくさんのことをやろうとしたって誰しもできないもの。
それより最低限コレだけは押さえておこうってポイントをきちんと知ってることが大事だと思います。」ということです。

被災直後の、ワン、ツー、スリー。「ワン」が「靴を履こう」ですが、考えれば、室内といっても、ガラスなどが散乱し足の踏み場がなくなることもあり、「足の裏をケガすると、人間は機動力と精神的スタミナが激減します。」ということだそうですが、「靴を履く」ところまでは、事前には思いつきませんね。


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災害時はライフラインが寸断され、「水」がなくなるのが一番困ります。

「飲まず食わずで人が生きられる目安は、72時間と言われている。」ということですが、水は成人一人1日3㍑が必要で、1週間で21㍑。「まずは、なにも考えずに2㍑入りのペットボトル1ダースを買う。1本からっぽになったら、1本買い足す。このサイクルを習慣づけることからめじめよう。」と具体的に書いてあります。

なお、水洗便所の水も出ませんから、その対処法も書いてあります。


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その他、「まずは”最初の72時間”を乗り切ろう!」、「(地震発生)第一波がきたら・・・まず頭を守ろう。」、「二次災害に気をつけろ」、「もしケガをしたら」、「次にやるのは情報入手だ!!」、これには、「裏技!三角連絡法」など、なるほどの方法が紹介してあります。「これだけは揃えておきたい防災グッズ図鑑」等々、具体的に書いてあります。

「自分の所は大丈夫だろう。」と思うのは人間の心情でしょうが、地震、台風、火山噴火、大雪、津波など、いつ被災するかわかりません。一回は目を通しておきたい付録です。




2017年3月 7日 (火)

便所の話など~滝沢馬琴の汲み取り騒動

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昨日、「便所の話など~学校に洋式水洗トイレは必要か」という事で書きましたが、その折、上の2冊を参考に読んでみました。便所の歴史、文化、経済等の事が書いてありますが、「江戸の糞尿学」の中で、滝沢馬琴に関する事が書いてあり、少し面白かったのでご紹介を。

なお、「江戸の糞尿学」の表紙。黒で塗りつぶした部分がありますが、本物はモロ書いてありますので、ご興味ある方はご購読ください。なお、本文中にもこれ以上の絵が各種載せてあります。

滝沢馬琴(曲亭馬琴)といえば、教科書にも出ており、「南総里見八犬伝」、「椿説弓張月」が代表作になります。

「江戸の糞尿学」を書き写すと長くなるので、概略。

時は天保二年七月十八日。下掃除人(便所の汲み取りをする下掃除人)の農民が、汲み取りの謝礼として、自分が作った茄子(なす)250個を持参。

現在は汲み取りをしてもらうと料金を払いますが、当時は畑の肥料とするので逆に料金をもらっていました。以前、寺子屋の授業料を銭で払ったり、農作物で払ったりということを書きましたが、この場合は農作物だったのでしょう。対応したのは、息子の妻のお路。

で、茄子の数を聞かされた馬琴、「五十個不足しているのではないか。」

下掃除人の農民は、「ひとりに付き五十個の約束ですから、五人で二百五十個です」

馬琴、「いや、我が家は子供ふたりを入れて七名じゃ。子供ふたりを大人一人に勘定して、六名。茄子の数は三百個のはず。」

この時、馬琴世帯は、
☆馬琴、六十五歳
☆お百(妻)、六十八歳
☆宗伯(息子)、三十五歳
☆お路(宗伯の妻)、二十六歳
☆太郎(宗伯とお路の息子、馬琴の孫)、四歳
☆おつぎ(宗伯とお路の息子、馬琴の孫)、二歳
☆仕込みの下女おまき、三十五歳

下掃除人、「十五歳以下は人数に入れませぬ。ですから、大人は五人で二百五十個です」

馬琴、「いや、前回、前の下掃除の者は、干大根を三百個持ってきたぞ、そのことは知っておるのか。では次の干大根は何個持参するつもりか」

下掃除人、「これまでのいきさつは知りませぬ。ですから、大人五人で二百五十個をお持ちするつもりです。」

馬琴、「そのほうは今回が初めてなので、いきさつを知らぬかもしれないが、五人という計算はとうてい納得できぬ。そんな理屈に合わない茄子は受け取れぬので、すべて持ち帰れ」
ということで、茄子はすべて持ち帰させられたそうです。

馬琴の几帳面で、頑固さがわかる話です。でも、茄子を200個も250個も受け取ってどうすんでしょう?干大根なら漬物にして、わかるのですが・・・

なお、喜永元年六月六日

「おさち(馬琴の孫娘十六才)、蚘虫(ゆうちゅう)丸の功ニて、折々一ツ二ツ、下り候所、今日は二寸許(ばかり)の小蚘虫数不知(かずしれず)多く下り候由也」とあり・・・

「蚘虫は回虫のこと。滝沢馬琴の孫娘で十六歳のおさちは、虫下しを飲んだ結果、このところ毎日のように肛門から回虫が一匹、二匹と下っていたが、今日は六センチくらいの小さな回虫が肛門から数えきれないくらい、ぞろぞろと出た、と。」いうことです。

私たちの小学校の頃も回虫の検査があり、マッチ箱にウンチを入れて学校に持って行ったものです。私も、虫下しを飲んだら、うどんくらいの大きさで、30㎝くらいの回虫が肛門から(肛門からしか出ませんが)出てきたことがあります。人糞を肥料にしていたので、あたりまえでしょうが、今では考えられないことです。

上の2冊、そのほか面白い事が書いてありますので、興味ある方はご一読を。
右の本の表紙写真は、座敷便所です。こんなところで、でるのかな?

(文引用:「江戸の糞尿学」より)



便所の話など~学校に「洋式水洗トイレ」は必要か

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今日は多少、気分を悪くする写真(個人によって違います)がありますので、このような方はパスしてください。

トイレ、日本語で言うと、便所、厠、雪隠、隠しどころ、言い方はいろいろありますが、なんと重要文化財の便所建築があるとか。

指定箇所が、「東福町東司(とうす)」「輪王寺大猷院(たいゆういん)霊廟西浄」「酬恩庵東司(とうす)」「中村家住宅ふーる」「旧笹川家住宅外便所」「京都市東山区本町」「栃木県日光市山内」「京都府綴喜郡田辺町薪」「沖縄県中頭郡北中城村」「新潟県西蒲原郡味方村」(物語ものの日本史★便所の話~山田幸一監修・谷直樹・遠州敦子著)ですから、便所といってもバカにしたものではありませんが、多分ここでは用は足せないでしょう。

便所というと何となく暗く、汚いイメージでしたが、今やスイートルーム並みで時代の進歩の速さを感じます。

以前、洋式便所しか使ったことがない子が、和式便所に入り、前後逆に座ったという笑い話がありましたが、考えてみれば洋式便所がはやり始めたころ、使い方が分からず便座の上に上がって、しゃがんでウンチをしたという話がありましたが、同じような事です。

で、子供の行動を考えてみたら、生まれてから左の洋式便所しか使ったことがないなら、洋式便所は入って「回れ右」をlしなければならないわけで、和式便所の使い方が分からなければ、思わず「回れ右」をして、逆向きに座ることになるわけで、ごく自然なことことです。


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扉が横についている洋式便所も、入って(扉が左についているか、右についているかで違いますが)「左向け左」か「右向け右」をしなければならないわけで、この習慣がついていると、和式便所に入っても「右向け右」か「左向け左」なって、これも、逆向きに座るようになります。

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で、比較のために昔の水洗便所がなかった頃の便所を探しました。ばってん、他人の家に入って、「お宅の便所を見せてください」というわけにはいかず、「公衆便所」を見に行ったら、ほとんど水洗便所。捜すこと数十か所、やっと一か所ありました。

右の写真はなるだけ見ないように。特に、お食事中の方は。見ましたね・・・夢に出ますよ。でも、懐かしいですね。臭いもモロです。

私は、小学校の時から(昭和30年)県営アパートに入り、もちろん水洗便所。昭和43年だったか上京して、高級住宅地の成城学園の近くに間借りしましたが、これが、この便所。

この便所は、便槽がウンチとオシッコが一緒に入りますから、比重の法則で重いものが下、軽いものが上に浮かぶわけで、必然的にオシッコが上に浮かぶわけですが、硬いものを落とすと、お汁が上に飛んでお尻にペッタと付くわけでこれを「おつり」と呼んでいました。「お釣り」の事です。イヤでしたね。経験ない方は、想像してみてください。

この便所の正式名称を学芸員の方に聞くと、名前はついていないということで、一応「おつり式便所」と呼ぶことにします。

余談ですが、今は化学肥料を使いますが、昔はこれをくみ取って、畑の穴に入れておき熟成・発酵させ肥料に使っていました。人間が食べる→ウンチになる→肥料になって野菜が育つ→人間が食べる、という循環システムが整っていたわけです。

もう一つ余談ながら、江戸時代、「大家」は長屋の持ち主でなく、地主に雇われた長屋の管理人であったそうですが、店子の付け届け、農民が支払う共同便所の汲み取り料が大きな収入で「守貞謾稿」によると

「大家の身分は株になっていて、金銭で売買されていた。株の値段は二十~三十両。
およそ百両の株の大家だと、地主から支給される手当が年に二十両、余得が十両、糞代(くみ取り代)が十両で、だいたい三~四十両の年収」であったそうで、ウンチの価格がいかに高かったがわかります。


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次に出たのが、この「簡易式水洗トイレ」。黒い穴を目がけてウンチをしますが、これは黒い部分が「弁」になっており、重いものが乗るとカッパと開き下に落ちていき、すぐにスプリングの作用で閉まり、「おつり」は防げます。便宜上「おつりイヤ式便所」と呼びます。したあと、少し水を流します。

さて、この優れているところは黒い丸いところに水が溜まること。いわば「水の膜」ができるわけで、これで、便槽からの臭いが防げるという優れものです。


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さて、本論に入りますが、金曜日の長崎新聞で、佐世保市(横道に入りますが、「サセボ」か「サセホ」か聞かれますが、「サセホ」と「サセボ」の「ボ」と「ホ」のシャレで、「ホボ(ほぼ)同じ」という方がいますが、濁点があるのと、ないのは大違いで、「私、ためになる人」、「あなた、だめになる人」)の学校では洋式トイレが24.4%、全国平均が43.3%で増やそうというもので、理由として「背景には家庭や公共施設での洋式が一般化されたことがあり、学校や保護者などから改善を求める声が上がっていた。」「家庭などに和式トイレがないため、トイレトレーニングが必要だったという。」ということです。

なお、数か月前にも同様な記事が載っており、これには災害時、学校が避難所になり、高齢者には洋式トイレが楽なので、学校トイレは洋式に、といった感じでも書いてありました。

さて、「トイレトレーニング」とは、普通は、おむつを取り、一般のトイレを自分で使うためのトレーニングで、小学校に入る子供がおむつをしてくるのでしょうか、ここは、「トイレトレーニング」ではなく、「和式トイレの使い方」でしょう、長崎新聞さん。

ここで疑問なのが、学校で箸の持ち方から、トイレの使い方まで教えることがあるのかということ。最近、当然、家で教えるべきことを学校に押し付けている感じがします。


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災害時のことですが、洋式トイレにするといってもライフラインが確保できないとき、水はどうするんでしょう。

テレビでやっていた、途上国用のトイレ。安くて済み、少ない水ですみます。水洗トイレだと4ℓ以上の水がいるそうです。

たしか、和式便所の上にの便座をかぶせるだけで、洋式トイレにできるものがあったと思います。


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なお、雨水を貯めて、雑用水にも使えるタンクもあります。

現在、運動場開放でトイレも外に作っていますから、災害時に備えて「おつりイヤ式便所」と雨水利用タンク備え付ければいいことです。あとは、災害時に簡易の洋式便座を被せればいいことで。

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なお、子供が学校、家庭だけで暮らすのならいいのですが、遠足に行ったりするときはどうするんでしょう?公園のトイレはほとんど「和式水洗トイレ」でした。「洋式トイレ」でも担いでいくつもりでしょうか。

また、野外音楽祭、イベントには必ず簡易トイレが設置されていますが、これも「和式おつりイヤ式便所」です。

子供がこれを使い切れないから「我慢しなさい」では、かわいそうじゃないですか。ですから、どんな便所でも使い切れるような、たくましい子供を育てることが必要で、かような事から、学校の「洋式トイレ化」には絶対反対するものです。

和式便所の使い方は、子供を公園に連れて行って、保護者の方で教えればすむことです。


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昨年の大腸がん月間の時でしたか、座った真ん前にポスターが貼ってあり、トイレットペーパーを見たら、「大腸がんクイズ」が書いてありました。

現在、お尻は水で洗い、温風で乾かすようになっているのもありますが、私の知人で、ウンチのあと、トイレットペーパーで拭いて、まじまじと見たら、少し血が混じっていて病院に行ったら、初期大腸ガンだったそうで一命をとりとめました。

便利な世の中になりましたが、便利すぎるんじゃないかと思う、今日この頃です。


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2017年3月 1日 (水)

「10秒のキス」~全亭協(全国日本亭主関白協会)シンボルストーリー

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昨年12月からだったか、毎月、全亭協会長のコラムが届くのですが、ここ3カ月ほど配信が無く、ホームページを見ても更新が無く、奥様とお別れになったのではと心配なのですが・・・

全亭協のホームページを見ていたら「10秒のキス」というコラムがあり、読んでみたら涙目になりました。

カミサンにいじめられても、カミサンには優しくすることが必要だと実感した次第です。実話です。(読みにくいので、段落は私のほうでつけました。)


十秒のキス

 例年より桜の開花が遅れていた。総合病院のエントランス脇にある数本の桜も5分咲きで、春の訪れを待ちわびている。 

 6時にロビーで待ち合わせていたが、高1になる長男から携帯に「少し遅れる」とメールが入った。高3の長女と中学2年の次男と一緒に一足先に妻の待つ病室に入ることにした。  乳ガンが全身に転移し、余命幾ばくもないと、みんなが知っている。モルヒネの効果だろうか、いつになく穏やかな顔だった。  先生が回診に来て、「どうですか、痛みはないですか」短い言葉に、妻は小さくうなずいた。 

 親の反対を押し切って結ばれた私たちは、社内恋愛だった。三人の子供にも恵まれ、それなりに幸せな毎日を送っていた。  今はもう、ベットに横たわる妻を見つめることしか、なす術がない。やがて先生は病室を去り、二人の看護師さんがテキパキと点滴を換えている。 

 長男が慌てて、病室に駆け込んできた。「ごめん、部活がおしちゃって」よほど慌てて来たのだろう。学ランの下からワイシャツがのぞいていた。  家族が全員揃ったのは久しぶりだ。子供たちの近況を聞いていた妻が、少しの微笑みと共に、私の方に目をやると、唐突に  「あなた、キスして」と言った。 

 二人の看護師さんと三人の子供たちには聞こえたのだろうか。一瞬ハッとしたが、ためらいもなく唇を重ねた。  生涯の中で、こんなに長いキスは初めてのような気がした。  薄目を開けて見れば、ひとすじの涙が頬を伝っている。そっと唇を離すと、嬉しそうに、だが、「短いのね」とスネてみせた。  看護師さんも子供達も見て見ぬふりをしていたような気がしたが、私は、「ふたりっきりの時にリクエストしてくれよ」と頭を掻いた。  精一杯の照れ隠しだったが、病室は静けさに覆われている。 

 やがて深い眠りが訪れたのを確かめて、病室を後にした。涙で、病院の長い廊下がユラユラと揺れていた。 

 それから丁度二週間後、妻は静かに息を引き取った。満開の桜の下で遺影を抱いた長女が、「あの時の母さん、とっても幸せそうだったね」とポツリ。  子供の前で交わしたキスからもう3年が経った。3人の子供達の心に深く刻み込まれたのだろう、短大を出た長女は、大学生と高校生になった弟達の面倒をよく見てくれている。  2人の息子達も明るく、真っ直ぐに育っている。 

 君の、最後のメッセージは、決していい夫ではなかった私の心にも、永遠に灯っている。 

 そして二度と交わすことが出来ない、君との「10秒のキス」を一生忘れないだろう。


最後に会長のコメントがあり

 このショートストーリーは全て実話。3年前に最愛の妻を亡くした全亭協の会員のN氏が天野にだけ語ってくれた「10秒のキス」物語。全亭協の会員へ夫婦愛の最高の形として密かに語り継がれている。もうすぐ満開の桜が咲く季節になる。

この話を公にしたことを、N氏の奥様はきっと天国で微笑んでいるに違いない。 彼は私に全亭協の愛の三原則、「ありがとう」「ごめんなさい」「愛してる」を妻が元気なうちに、もっともっと言えば良かったと、はにかんだ。



(上の写真は愛野町での「ロマンスウェディング」、
この話とは関係ありませんが、2年くらい前でしたか。幸せに過ごされていると思います。)



2017年2月10日 (金)

これ、本当?

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今日は、朝から吾妻町の市展、島原の病院、ひな祭り、古本屋さん、そいでもって、いまから図書室意見聴取ということで何やら忙しく、簡単に。

島原市のはずれで見た看板です。「しまばら市内おしゃれ女子多し わき見運転注意!!」。

え1?本当ですか?こんな女性がいたら、私、わき見運転するんですが、今日島原に行って一度も「わき見運転」はしませんでした。

どことは言いませんが、日本の北の〇〇地方に行くと、「ばあさまの立小便多し、わき見運転注意!」という看板があるとか、ないとか。私も、こちら方面で2,3回見ましたが、見ないほうがいいです。経験上。

「雲仙市市展」、島原の「島原城下雛めぐり」は来週にでも (*゚▽゚)ノ


2017年2月 9日 (木)

「ちょっと、大村」

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今日は、「独立行政法人国立病院機構長崎医療センター」(大村市)へ。

思えば一年ほど前、カテーテルアブレーションの手術を受け、それから3か月毎受診に通っています。

で、病院に着いたら、ひどい雨と風。何やら大きな音がするので、見たらドクターヘリが飛ぶところでした。こんな、ひどい日にも飛ぶんですね。

さて、心臓の具合ですが、いいかと聞かれれば、動機、息切れ、心臓が重苦しい時があります(これは、例の加齢のせいか?)。あと、人並みに軽い不整発作がありますが、これは普通の人にもある、との事です。

おかしいと思ったときは、携帯用の心電計で記録し、プリントアウト。これ、便利です。お医者さんに、症状がなんとかかんとか、との説明は、ほぼいらず、記録を見せれば大体分かります。私も乱れはあるものの、記録を見て、「鼓動が一定で、不整脈ではありませんね。」とのこと。

少しお高い器械ですが、心臓に不安を持つ方は、利用して、自己判断はせず記録をお医者さんに持っていきましょう。私はAmazonで購入しました。


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さて、今日はいつもと違って、予約の時間通り終わり、いつもの病院内ギャラリーを覗いてみました。今日は、写真展で花の写真が好きな方なのか、花の写真ばかりでした。

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野外の花の写真は意外とむつかしく、昔、私も野外の花の写真を撮っていたのですが、風が吹いていないようで、微かに風が有り、花がかすかに揺れ、完全に風が止まるまで1時間ほどジッとしていたこともありました。

ユキノシタ、雲仙山系の九千部岳によく咲いていて、毎年撮りに行ってました。ビョウヤナギ。

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珍しくサギソウ。これは、鉢植えでは見たことありますが、野外では見たことありませんでした。桜。もういくつ寝ると桜咲く。という歌はありませんが、桜を見るのもまじかになりました。と言っても、今日はお山は雪。

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病院は終わったものの、それでも昼食まで時間があったので、古本屋さんへ。
こちら地方の古書が意外とそろっていますが。「ウチ、買取で留守が多いので、来られるときは連絡してください。」との言葉通り、留守でした。3回行ったうち1回しか開いていませんでした。

アーケードに入ったらガランとしたものでした。諫早のアーケード、島原のアーケードもほぼ同じ状態です。近くに、大型店舗が多数できたせいでしょうが。

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掲示板を見たら、懐かしの映画。「名作映画上映会」で、酔いどれ天使、羅生門、用心棒、天国と地獄。黒沢明さんの映画ですね。

日時を見たら、2917年3月7日~8日。あれ?大村に映画館があったっけ?と思い、主催を見たら、(一財)大村市文化・スポーツ振興財団/文化庁/東京国立近代美術館フィルムセンターでした。

考えれば、あれだけあった映画館が、諫早市、島原半島からも消えてしまいました。こんな機会でもなければ、スクリーンで映画を見られない時代ですね。

大村といえば、「大村寿司」が有名ですが、「塩ゆで落花生」も有名で、買ってきましたが、塩味とゆで方が絶妙で、おいちかった scissors

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本当は、天気が良かったら見に行きたい神社などもあったのですが、この寒さと雨では、ということで今度大村に来た時に回ることにしました。


2017年2月 3日 (金)

「ク・イ・ズ」の答



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1月18日のブログで、上の言葉の解釈は何だろう、という事を書きましたが、「ゆう」さんから、次のような回答を頂きました。要点だけを引用すると


おばあちゃんに聞いたところ、

人は大きく
己は小さく
腹を立てずに
心は丸く
気は長く

で… 最後の仲だけがわかりませんでした


という事で、さすが、おばあちゃん。意味が良く分かりますね。「仲」の所が残念ながら、なかなか(おやじギャグ)分かりませんが・・・・

さて、これをヒントに調べると、色々バリエーションがあるらしく、「気は長く、心は丸く、腹立たてずに、命長かれ(命は長めに書かれています)」、「気は長く 心は丸く 腹は立てず 商売繁盛」、「人己腹氣」等々、ネットで検索すると出るかと思います。

次に、これを作ったのが誰か?ですが、達磨太子説、尾関宗園説(大徳寺大仙院の閑栖・「閑栖は臨黄ネットによれば、読み方は、かんせい、意味は、隠居した禅僧の事」)、新井石禅説(曹洞宗・總持寺独住5世、第11代管長)等あります。

ここで、いつもお世話になっている、「国立国会図書館レファレンス共同データーベース」を見ると、埼玉県立久喜図書館に次のような質問がありました。

「『気心腹口命(上の写真を参考にすれば、気は長く 心は丸く 腹立てず 口慎めば(口は小さく書くのでしょう)命長かれ』という詩句を最初に言ったのは誰か、類似のものはあるか」というものです。

これに対して図書館より、数冊の本の紹介がしてありましたが、結論として、
「最初に言った人物は分からなかったが、以下の資料に詩句の記述、類似の詩句の記述があり、これを提供した」という事で、読んでいくと、井伊直弼の短歌として

「東都茶会記 Ⅰ 明治四十五~大正三年 近代茶会資料集成」(高橋箒庵著 熊倉功夫校注)の中に

「井伊直弼の短歌『気は長く心は丸(まる)く 腹たゝす 勤(つとめ)はきつく言(こと)はのこして』あり。この短歌は『又最も面白きは気の字を長く書き、心の字を丸く書き、腹の字を横に書き、勤の字を正しく書き、言の最後の一画だけを書き残して左の如き歌あり』とあり」とあります。

ですから、井伊直弼の時代には「気は長く 心は丸く」という言葉はすでに存在していたことが分かります。

こうして読んでいくと、「心は丸く 気は長く(又は、気は長く 心は丸く)」は共通して使われ、その後に色々なバリエーションが作られたと思われます。

一昨年だったか、「ひとつの言葉」について書きましたが、あの詩句も結局は作者は分からず、様々なバリエーションがありましたが、この詩句も作者は不明で、様々なバリエーションが出てきたものだと思われます。

でも、「仲」が何なのか?多分、この看板を書いた方のアイディアでしょうが、気になるな。

「ゆう」さんと、おばあちゃん。ありがとうございました m(_ _)m



 


2017年1月28日 (土)

ク・イ・ズ

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実は、この2,3日、悩んでおりまして。
悩みの元は上の写真の文字。某公民館の2階に飾ってあり、どう考えても分からない。

で、公民館の職員の方に聞いたら、公民館に来た時から飾ってあったと。いつも公民館を使う年配の人にも聞いたのですが、まったく分からない。誰が飾ったのかも分からない。と、分からないだらけの飾り物。

ただ、なんとなく分かるのが最後の「腹」が横になった文字、多分、腹が横になっているので、「腹を立てるな」と思うのですが・・・

わかった方は、コメント欄に書き込みを、景品はありませんが・・・・



2017年1月27日 (金)

今日はこんな所へ!

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今日は、某神社関係で分からないことがあり、詳しい人に聞きに行き、ついでに、ほのかの情報も聞いたので、そちらへ行ってみたら成果がありましたが、これは、また後日まとめます。

さて、帰ろうかなと思って、スマホナビを見ると、
すぐ近くに「金毘羅神社」があるじゃありませんか。

で、少し大きな神社かなと思い、せっかくだからと寄る事に。とっころが、ナビで見ると近くなのですが、入口が見つからない。

畑があり、農業青年がレタスを取り込んでいるので
「金毘羅神社どこですか?」
「このすぐ上ですが、荒れ果てていけません」
「全然?」
「道もわからないですよ、やめたほうがいいですよ」

やめろと言われれば、行きたくあるじゃありませんか。

途中までは道はあるものの、言われたように、あとは薮で、道が全然わからない。

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やっと行き着いたところが、上の写真、間違いなく、「金毘羅神社」の額。鳥居は鉄製で近年のもの。

社殿は小さいながらも、コンクリート製で、柱はタイルなど貼ってあって、モダン。
入口を開けて、ご本尊を拝もうと思ったら、扉が全然開きません。

普通、神社といえば神様が宿っているところで、きれいに掃除などしてありますが、人が来た跡は全くなし。裏にも回りましたが、なにもありませんでした。

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左右に、ツタに絡まれた塊があったので、取り去ってみると狛犬さん。

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ひょっとして、この神社、何かあるのかと思いつつ帰ろうとしたら、道がわからない。直滑降しようと思ったら、昔は、神社の近くまで畑があったのか、畑の石垣があちらこちらあり、邪魔で、そのまま下られず、右へ行ったり、左へ行ったり。特に茨だらけで思うようには進めず、遭難するかなと思って、スマホを見たら電波が通じているので、いざとなったら、救命隊を依頼しようかなと。

とにかく、なんとか脱出はできましたが、出てきた場所が、入ってきたところとは大違い、少し行くと先ほどの農業青年と会い。

「変なところから出てきましたね」
「道がわからなくて」
「この神社、何かあったの?」
「自分、この畑を借りているだけで、ほかの町の者で、よく分からないんです」

で、車のあるところまで歩いていると、成人式を4回ばかり行った、昔、若い女性がおり、いきさつを聞いたら、昔は、この一帯
、漁業をしている方がほとんどで、その守り神であったとか。昔は、一年に一回くらいは草払いなど、きれいにしていたそうです。

再建はしたものの、最近は勤め人が多くなり、昔みたいに世話をする人がなく、年寄りも、この急な坂を登るのも無理。神社だから、そまま荒れるに任せるのにも障りがあるだろうと、10年ほど前、魂抜きをしてもらい、そのままにしてあるそうで、上の写真のごとく、荒れ果ててしまったそうです。

最近「廃墟」が流行っているようですが、くれぐれも一人ではいかないように。

近年、地域の産土神を祀った、山の上にある神社など、だんだん廃れていくような感じで、なんとなく、昔から神仏を祭ってきた日本人の心が、変わり始めているような事を思ったしだいでした。






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