日記・コラム・つぶやき

2020年9月15日 (火)

歴史を語る「絵葉書」~雲仙市千々石川

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最近、又、千々石川の写真を入手しました。集まりかかれば集まるもんですが。

下から二段目の絵葉書は下流から撮ったものですが、上の写真は上流から撮ったものです。 飛び石が上流(手前)と下流(向こう側)に見えます。


現在、上流の飛び石は大きいものの、途中から切れてしまっています。下流側の飛び石は、見えはするものの、よく見ないと分からない感じです(以前紹介したかな?)。


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一番上の写真の飛び石と飛び石の間が近いので、現場に行ってみたら意外と近い事が分かります。上が上流の、下が下流の飛び石。

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一番上の写真、家の屋根が瓦なので近い時代ではないかと思われます。

現在、古文書研究会に入って勉強をしていますが、南串山の庄屋さんの文書(もんじょ)に、山が串のよう見えるから、「串山」という名前が付けられたなど書いてあります。もし、この文書がなかったら「串山」の名前の謂われが分かったかどうか、2~300年前の文書です。


以前書いたとおり、下の一番右の葉書は明治41年の年賀状に使われたものですから、それ以前の風景ものだとおもわれます。左の2枚の写真も明治時代だと推察されます。


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明治45年が109年前。人生100年時代、100年はあっという間です。

この絵葉書が残っていなかったら、このような橋が架かっていたことは分からなかったと思います。昔を知り、今を伝えていくことが必要だと思うのです。絵葉書に歴史ありです。


【追記】


忘れていました。上流の飛び石の写真を撮っていたら、婆様がいたので話しを聞いたら、この飛び石を渡ったところに祭りの御旅所があり、祭りの行列はこの飛び石を渡って行ったそうです。


ホンマかいなと思って、カミサンにきいたら「渡ったよ」と、で、もう一人50年配の女性に聞いたら「私も渡ったよ、小さいとき渡りきれなくて、川に落ちたけど」と言う話しでした。


祭りの参加人数は昔に比べれば、少なくなったそうですが、下のように沢山のひとがいますが、本当に渡ったんですかね。


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いつ頃まで渡っていたのか詳しくは分かりませんでした。

当然、他人が知っていると思っても、話しをしてくれないと分かりません。今の子どもは、この飛び石の事も知らないと思います。


昔を知る方も段々と亡くなっています。今の時代、記憶より、何らかの形で記録を残す、話しを伝えていく事が必要だとつくづく感じました。


2020年9月13日 (日)

★「欲が出ました」ヨシタケシンスケ著 ★「弱った心がラクになる・後ろ向き名言」鉄人社編集部

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歳をとったら、本の読み方が違ってきて・・・

厚い本は読まない、字が小さな本は読まない、登場人物が5名以上の本は読まない、高い本は買わない、ということでエッセイを読むことが多くなりました。


ヨシタケさんの本、2,3冊読みましたが、なんとなくホットしながらも、考えさせられるところがあります。


以前「思わず考えちゃう」が出版され、思いのほか好評だったので、出版社の方に「欲がでた」ようで、この第二弾が製作された、という事らしいです。


ヨシタケさん、「欲」について「物欲」「睡眠欲」「自己顕示欲」「性欲」「食欲」「出世欲」のほかに「納得欲」なるものを考え「わかりたい」「理解したい」というのは人間だけではないか、だから、「『納得いかない』ことが非常に大きなストレスになるのではないでしょうか。」と。


数ページ、この「納得」についてイラストでというかスッケチ風に書いていますが、結局「欲望には勝てんわな」と言うことだそうです。


・だってホラ本人だもの。あきる訳にはいかんわな。


・そうですねおっぱいは好きですね。やっぱり哺乳類なんで。


・羊の皮をかぶった羊。


・僕はこの世に100年くらいしかいないんだ。期間限定なんだヨ!

 ~ウチのカミサンは賞味期限切れです。ワタシもですが。

・すべての死は早すぎるか遅すぎるのだ。


・「仕事は、愛だ」というとそれっぽいけど、「愛は、仕事だ」というと怒られそう。

 ~伊奈かっぺいさん、女性に「遊びじゃないよ」といったら、「遊びじゃないなら、仕事なの」と言われたそうですが・・

エッセイ、スケッチありの、なんとなく自分を見直したいときの本。



「後ろ向き名言」。

落ち込んでいるとき、「頑張れよ!」と言われると「ウルサイ」と思うときがあります。言った人間との関係もあるのですが。「悲しいときは、愉快な曲を聴くより、悲しい曲を!」と言った人もいます。この本、「弱った心」のための「ネガティブ」な名言集です。

・「これが一生か、一生がこれか。ああ嫌だ嫌だ」

樋口一葉の「にごりえ」の中のセリフだそうです。樋口一葉の人生を考えれば・・・

・「人生なんて食って、寝て、やって、終わり」

立川談志の言葉。談志らしい言葉ですが。

・「生きていることが辛いなら/いっそ小さく死ねばいい」「生きてることが辛いなら、くたばる喜びとっておけ」

森山直太朗の「生きてることが辛いなら」の一節。ワイドショーで批判され、一部のコンビニで放送禁止になったそうです。

・「生きてるだけで丸儲け」

明石家さんまさんの言葉。よく、この言葉を言っていますが、1985年8月12日の日航飛行機事故の時の飛行機を予約していたそうですが、直前の番組収録が早く終わったので、一便早い飛行機に乗り難を逃れたそうです。実感のある言葉。

・「女房は死んだ、俺は自由だ」

とはボードレールの言葉、「カミサン死ぬな、オレが先だ」とはワタシの言葉。通夜とか、葬式とか、法事とか大変なんスよ。アレ考えると、先にいった方がよろしいかと。

・「誰でもいいから彼氏が欲しいって言ってた人からフラれました。」

ネットの住民からですが、ワタシも経験あり。あのときは、人生のどん底に落ちました。

・「生きてれば必ず良いことがあるって?もう待ちくたびれたよ。」

これも、ネットの住民さんです。

詳しいことを書けば、皆さんが読まれるとき、面白くないので簡単に書きました。あとは、本をお求めいただき読んでもらえれば、「ナルホド」と思うことばかりで、人生のためになると思います。


2020年9月11日 (金)

ボチボチ「台風」の準備を

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経験の無い台風が来る、と言いながら、あまり、たいしたことはありませんでしたが、今回、台風に対する準備について良い勉強をしました。

大きな台風ということで、危ないと思われるところ二ヵ所は大工さんに来てもらい、しっかりと打ちつけてもらいました。


上のような所は、枠があるので大丈夫とは思いつつも、ひどい風の時は小石が吹っ飛んできてガラスが割れるかもしれず、ここらあたりは自分でもできるだろうと、ホームセンターにベニア板を買いに行ってみたら、買い物をするどころか駐車場にも入れない状況。


やっと、店に入れても、全部売り切れ。なにせ、釘まで売り切れ。残っていたのが、発泡スチロールの板が1,2枚とラバーみたいなのが一枚。とりあえず買って来ました。


ところが、これが役にたち、上の窓にベニヤ板なら、切って合わせる必要があるものの、発泡スチロールならカッターナイフでキズを入れて割るだけ。枠とガラスの間にピッタリ。針金などで留めもしなかったものの、バタつきはまったくありませんでした。


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なお、窓にはサッシがあり、この部分は隙間の広さが合わなかったので、ラバーみたいなのを寸法を合わせて、切って入れたらピッタリ。物置のガラスの部分にこれをガムテープで留め、その上からベニア板で覆うのも良いかとも。

今日のNHKのローカルニュースで、台風寸前だと品物がなくなるので、日常的に準備を、と言っていたのでホームセンターに買いにいったら、まだ全滅でした。


発泡スチロールは厚さがいろいろあるので、自分の家にあった物を。


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2,3日前、NHKあさイチで窓を保護するのに、クラフトテープ、布テープ、養生テープ、OPPテープ、どれが良いかを実験していましたが、OPPテープが一番良いということで、買に行ったら田舎なのか、売り切れなのか、ありません。

いつものAmazonを見たら、柄物テープがあり、OPPテープは透明で使いにくいので、祭りとネコの足跡テープがあったので、取り寄せました。孫のところにイロイロと送るので、次からこれを使おうと思っています、


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喉元過ぎれば熱さ忘れるで、まだまだ台風が来ると思うので、ボチボチと準備をしましょう。



2020年9月 9日 (水)

「一分銀」の桜の事

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「一分銀」です。表と裏。一分銀四枚で一両小判一枚になります。このことは、いずれまとめるつもりです。

裏面の「銀座常是」については→こちらをクリック(大黒常是の項になります)


古銭の事を調べようと思っていたら、下の小冊子を見つけました。普通、一分銀というと一種類だと思うじゃありませんか。ところが、書体の違い、作りの違いによって何種類かあるようで「一朱銀」にいたっては126種類(「一朱銀」収集の手引き:茨城貨幣研究会 八木明男著)もあるそうです。


下の本を読んでいたら、「一分銀の分類方法」が書いてあり、書体の特徴、「定」極印、側面の仕上げの状態を見る方法もあるそうですが、上の一分銀を見ると、周囲に20個の桜が打刻されています。一分銀は作られた時期により「天保」「安政」「明治」の三種類に大別されるそうです(それ以外もあるようですが)。


この桜が一つ逆に打刻(逆桜)されているそうですが、この、位置により天保、安政、明治が分かるそうです。


下の右の図、赤の部分に逆桜があると安政の時代、緑の部分が明治、青の部分が天保だそうです。


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「逆桜の位置が表裏とも上二段にあるときは安政一分銀、表の最下段、裏の三段が天保一分銀のゾーンです。ただし、全ての組み合わせが見つかっているわけではありません。」ということだそうです。

下の一分銀、表の下段の右端「逆桜」。裏の下段右から二番目が逆桜。と言うことは「天保一分銀」だと分かります。


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表の二段目の左、裏の一段目が逆桜で「安政一分銀」だと分かります。

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と言うようなことを考えながら見ていくと、古銭にはまりそうで怖いですね。他にも調べると面白い事があり、追々とご紹介を。

(参考資料・文、図引用「『一分銀』収集の手引き(入門編)定量銀研究会 桜野 鼓音編」より)




2020年9月 7日 (月)

嵐の後の「橘湾」

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昨日の台風、かって経験したことのない、とかTVなどで放送をしていました。

市の防災無線でしきりに避難するように放送があって、私も避難準備をしていたら、カミサンがなにもしていないので「どうするんだ?」と聞くと「家にいる」という事で、死ぬときは一緒だと決めているので、二人で家にいることにしました。


最大風速が60m位だというので、多分、家が吹っ飛ぶだろうなと覚悟を決めていた所、あまり風も吹かず、明け方にしばらくゴーッという音がして、家が多少ミシミシという音がしましたが、まったくの無事でした。前に来た台風9号が海面の温度を下げ、気圧が下がって多少勢力が弱まったとか。


市の警報が解除されたので、橘湾に行ってみました。


以前にも書きましたが、この海は「千々石湾」「千々石灘」と言われていましたが、橘湾を望む上山(じょうやま)に橘中佐の像が建立された折「橘湾」名付けられました。


左が一番最初に立てられた上山ですが、橘中佐の銅像が臨んでいる海が橘湾。敗戦後、進駐軍から接収される恐れがあるという事で、某所に隠され、今は橘公園の入り口に建てられています。(以前、紹介しています)


下に見える家が全部藁葺屋根です。右の写真が橘中佐の生家。一部は橘神社の社務所前に移転をしています。現在、家はなく、記念碑が建ててあります。


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閑話休題。
橘湾に行ってみたら、海は荒れているものの、わ~、と言うほどではなく、ただ、カモメが遊んで、群れ飛んでいる状況でした。一応、良い鳥も悪い鳥も、危険な所で遊ばないように注意はしてきました。

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海の向こう側に崖がありますが、千々石断層です。この下を温泉鉄道が走っていました。


2020年9月 5日 (土)

「江戸の家計簿」★磯田道史監修~江戸のお値段・今のお値段

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よく、江戸時代の一両は、今のいくらにあたるのか、ということが話題になります。

以前にも書いたように、イロイロと難しい問題があり、一口には言えない、ということになります。


磯谷氏、「武士の家計簿」で一般の方にも知られるところとなりましたが、「江戸の家計簿」の、「まえがき」と「本書における江戸時代のお金の計算方法」の所を読めば、どうして一口に言えないのかがよく分かります。


以下、磯谷氏の本から要約してみます。


「まえがきー江戸時代の貨幣制度」


・江戸時代、金貨、銀貨、銅貨、紙幣(注:藩札)があり、「三貨制度」といい、また、地域によっても異なっていたそうです。


・なお、名古屋と金沢を結んだ東側の東日本は金の貨幣を使い、西日本は銀の貨幣が流通をし、原因として東日本は金を産出しているところが多い、西日本は銀山が多かった。
また、西日本は古くより大陸と繋がっており、明・清の時代には中国では銀が流通をしており、西日本では銀遣いになったそうです。ということだそうです。

続けて「一両は6万円?それとも30万円?」ということになるわけですが・・・


「本書における江戸のお金の計算方法」ということで。


ひとつの目安として米の価格に基づいて換算する方法。磯谷氏は「現代価格」と呼んでいます。

2007年度の農林水産省統計に基づき、米5㎏を2100円で換算。米一石(約150㎏)=金一両は大体6万3000円。

もう一つの目安は労働に対する賃金で換算する方法。「現代感覚」と呼んでいます。

現代の大工見習いの平均賃金は1万5000円。江戸時代の大工見習いが、1石=1両を稼ぐためには20日間働く必要がある。1石=1両は、1万5000円×20日で30万。

比較して書くと下のようになります。

「現代価格」(現代の米5㎏あたり2,100円”2007年農林水産省統計に基づく”換算)

(米)1石=(金)1両=(銀)60匁=(銭)4,000文=(現在の価格)63,000円

「現代感覚」(現代の大工見習いの日当1万5000円として換算)

(米)1石=(金)1両=(銀)60匁=(銭)4,000文=(現代の価格)300,000円

となり、この驚くべき差額。これで、一口には言えないということが分かると思います。


この本は「第1章 江戸時代の収入①武士編」「第2章 江戸の収入②農民・町民編」「第3章 江戸時代の物価①食品編」「第4章江戸時代の物価 ②料理・嗜好品・雑貨編」「第5章 江戸時代の文化と経済」からなり立っていますが、第3、4章は「現代価格」で算出、第1、2章は「現代感覚」で算出、第5章は両方の計算法を用いたそうです。


本の内容は帯に書いてあるようなことですが、詳しくは本をお読みください。定価800円+税で、江戸の経済通になれます。なお、台風10号直撃で停電が予想され、場合によってはしばらくお休みカモです、m(_ _)m。




2020年9月 2日 (水)

これが「一文銭(寛永通宝)」なのか

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古文書を勉強して3年ばかり、相変わらず全然読めず・・・予習復習をまったくしていないので当たり前ですが。古文書の中に、上のように

一 鶏卵 大       掛目 十三匁

一 同  中通例     同  十匁
一 同  ひよこ玉子 小 同  六匁三分
一 野鴨玉子     小 同  廿弐匁

などと書いてあり、なんとなく分かるのではありますが、では、どういう貨幣を使ってたのよ?というと、全然分からず古銭を少々集めてみました。

なお、大判・小判も買ってみようかと思ったのですが、カタログを見ると一番お高いのが「100,000,000円」。お安いのでも超10万以上というので止めました。紀伊國屋文左衛門のようにキャバクラに行ってばらまけばモテるだろうとは思っていたのですが。


で、ネットオークションで安いのを集めてみました。偽物も入っていますが。


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下が一番有名でお安い「寛永通宝(かんえいつうほう)」。一文銭です。銅、鉄で鋳造され、明治2年まで200年ばかり庶民の銭として使われ、日本各地で作られたそうです。

これを見ながら懐かしかったですね。今は靴のサイズを㎝で表しますが、昔は靴のサイズを「文」で表わしていました。一文銭が約2.4㎝。これが何枚並ぶかで、サイズを表わします。靴サイズ24㎝の方は10文になります。私が小さいときはまだ「文」で言っていた記憶があります。ジャイアント馬場の「16文キック」を思い出します。


銭形平次も一文銭を投げていました。落語の「時蕎麦」でも一文銭が登場します。「一(ひい)、二(ふう)、三(みい)、四(よう)、五(いつ)、六(むう)、七(なな)、八(やあ)、オヤジ何時(なんどき)だい・・・」
と。ご存じない方はYouTubeで「ジャイアント馬場」さんも「時蕎麦」も「銭形平次」も見られます。一文銭は庶民のお金です。

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なお、「寛永通宝」を見ていると少し大きく、重たいのがあり、アレ?と思って裏返したら、波の模様がありました。調べたら四文銭だそうです。

ちなみに、銭形平次と言えば大川橋蔵、八千草薫さんが有名ですが、北大路欣也さんも演じています。投げ銭を見たら波模様が入っていたので、北大路さんは四文銭を使っているのですね。もったいない。


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他のをあせっていると、下のようなのが入っていて、よく見ると「宝永通宝」という銭で、宝永5年十文銭として鋳造され、裏面に「永久世用」とあり、左斜めの所「珍」の字が小さく刻印されています。

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まだバリエーションがあるのですが、キリがないので・・・

古銭であまり程度が良いのでなけらば、まとめて千円もしないで手に入ります。実物を手に取って眺めれば楽しいですよ。




2020年8月24日 (月)

「キマイラ15 魔宮変」~夢枕獏著&【おまけ】「ストリートビューカー」を見た(多分)

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最近、本を読まなくなりました、というより、読めなくなりました。

本を読んでいくと、目が疲れボケ気味になり、また、登場人物が頭に入らず、「山田太郎って出てくるけど、誰だっけ」と前のページを読み返すと、2
ページ前に出ていたり、です。「キマイラ」程度の厚さの本だったら、2時間もあれば読めたものを、結局、3日かかりました。

発行が2020年8月30日になっていますが、今日は8月24日。ママあることではありますが、暑いので、気にせずに・・・


前の「キマイラ14 望郷変」が2019年5月、1年3ヶ月ぶりの登場。で、読むと、忘れている、忘れている。最初に登場人物と多少の筋が書いてあるので、なんとなく思い出し、思いだし。


フォギェルと雲斎の対話に、アンドルッチャンという人物の事が出てきますが、この人物と九鬼麗一との戦い。真壁雲斎と宇名月典善との戦い(本人同士は”遊び”と言っていますが)。変貌を遂げた菊池良二とフィリードリッヒ・ボックの戦い。菊池良二の変貌には驚かされます。この部分読ませ所で、いつも、ワクワクします。


さらわれた織部深雪を救えたかにみえた九十九の前に現れた・・・・


一冊かかっても、深雪さん救われないのですね。かわいそう。


なお、「それは、赤須子の、三千年にわたる、慟哭の声であった。」というように、赤須子も現れます。


例の如く、作者の後書きですネ。

今年69歳だそうです。気力、体力的にも少し落ちてきたようですが、書く意欲は十分。ただし・・・

「キマイラ」だよ、「キマイラ」だよ。

ぼくが今、直面しているのは、かなりしんどいものだ。
「キマイラ」は今、完結に向かって進んでいるのだけれどー
どうなのよ、それ。
完結させてしまっていいのか。
終わらせてしまっていいのか。
(中略)
終わっていいのか、物語。
終わらないことこそを、物語作家は目指すべきなんじゃないのか。
・・・・・・・・・・・・・・

などと、グズグズ書いてはおります。夢枕獏を読んできた者としては、分かるのではありますが・・・


【おまけ】「キマイラ」の事が分からない方のために・・・「ストリートビューカー」を見た(多分)。


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コンビニの駐車場に変な車が停まっていました。多分、ストリートビューカーですね。この車が、通っていたらピースでも。全世界でアナタの姿が見られます。

車を勝手に写真に撮って、ブログに載せて良いのか?
良いんです。私の家も勝手に撮影され、許可なくストリートビューに出され、全世界に知られてしまいました。



2020年8月17日 (月)

「仙石秀久」と「長崎奉行」と「島原・天草一揆」~徒然なるままに

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以前、宮下英樹氏の仙石秀久についての作品にのことをよく書いていました。久しぶりに本屋さんに行ったら、並んでいたので思い出し、買って来ました。

先日より「キリシタン訴人の褒賞金」のことを書き、長崎奉行の長谷川権六について調べたのですが、その時、ついでに長崎奉行の一覧をみていると、長崎事典に、「第十一代奉行 仙石大和守久隆」となっており、仙石といえば珍しい名前で調べてみたら、千石秀久の7男さんでした。


奉行としては寛永十二年に榊原飛騨守と二人体制の奉行になります。わずか一年で馬場三郎左衛門と交代(長崎實録大成)。


長崎辞典では最後に「在任短期間で特記すべき事項なし。」とは書いてありますが、秀久さんの子どもさんなので調べてみると、實録大成の仙石久隆の所に、かの「金鍔次兵衛」さんの事が書いてありました。「金鍔次兵衛」については以前書いていました→こちらをクリック ついでに→こちらをクリック 。


「次兵衛ト云う邪宗門(中略)但此者平日金鍔ノ脇指ヲ指タル故、異名ヲ金鍔次兵衞ト云。同十四丁丑年六月訴人有テ召捕之。」ということは、仙石久孝さんが異動した後のことになりますが、気になるのが「訴人有テ」という所で、先日「訴人褒賞制」の事を書いたばかりですが、この「訴人」の方、莫大な褒賞金は貰えたのでしょうか?


これだけかと思って念のため「新訂 寛政重修諸家譜」(続群書類従完成會刊)を調べたら、下のような文が目に付きました。


(寛永)九年細川越中守忠利肥後國をたまふにより、十月十六日仰せをうけて板倉内膳正重昌に副て熊本に至る。


「板倉内膳重昌」といえば、「島原・天草の乱」で討ち死にした大将ですが、仙石久隆さん、城の引き渡しの時、板倉重昌の副史としてお供しているのですね。


さて、板倉重昌のことですが、「島原の乱とキリシタン」(五野井隆史著)より要約すれば、板倉重昌は一万五千石の小大名。重昌に付けられた石谷貞清は寛永十年に目付となり、上総・相模・甲斐三国のうち1500石を知行。


この、「知行の少ない両人の人選は、幕府が島原一揆を簡単に鎮圧できると楽観視していたことを示していた。」ということなのですが、板倉重昌が選ばれたのは「寛永九年に細川忠利・忠興が熊本城に、小笠原忠眞が小倉に配置換えの時、上使を命じられ城引渡しの役を務めた。このことが、彼の島原派遣決定の理由になったという(岡田章雄『天草四郎』)」。ということなのですが・・・仙石久隆を調べるついでに「寛政重修諸家譜」を見ると、板倉重昌について次のような事もかいてありました。


(寛永)九年肥後國熊本城を細川越中忠利に、同国八代を細川三齋(忠興)に、肥前國小倉の城を小笠原右近大夫忠眞に、同国中津城を小笠原信濃守長次に、同国高田城を松平丹後守重直に、豊後國杵築城を小笠原壹岐守忠知にたまふにより、十月十六日にかの國々におもむき、城引渡の役をつとむ。


ということで、熊本、小倉のみならず、思ったより多くの九州の城の引渡役を務めたことが分かります。多分、このことが九州各藩の事情を良く知っているという事で、上使に選ばれた一番の理由だと思うのですが・・・


十四年十一月九日肥前國嶋原有馬の古城に、切支丹の賊徒盾籠ときこえしにより、誅伐の上使をうけたまわりて、有馬におもむき、十五年正月朔日賊徒等を惣攻のとき、原城出丸の塀際において討死す。年五十一。

なんとなく、徒然なるままに調べているうちに、仙石秀久→長崎奉行 仙石久隆→島原・天草一揆 板倉重昌と繋がり、歴史って面白いですね。



2020年8月15日 (土)

「島原の乱」と「京都遊廓島原」の希薄な関係&「コンビニぶらり!ラッキー3つ!!」

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以前より、島原・天草一揆の拠点「原城」の名前の由来・歴史を調べていたのですが、その折り、京都の遊廓「島原」の名前と島原の乱の「島原」とが関係あるというネットの情報があり、出典、根拠なども書いてなく、またネットデマかと思いつつも2冊ばかり本を読んでみました。

なお、こちら、島原・天草一揆の本場なので、数名の人にこの話をしても、知らないということでした。


「三大遊廓」。著者は”堀江宏樹”氏。作家・歴史エッセイスト。著書が「乙女の日本史」「乙女の日本史 文学篇」「女子のためのお江戸案内」等。


「地名で読む京の町(上)(下)」。著者は”守谷尅久”氏。主な経歴として、京都市史編纂所研究員、京都大学人文科研究所講師、京都市歴史資料館初代館長等。著作が「『花』が語る日本史」「京医師の歴史」「京都の祭り暦」「京都暮らしの大百科」等。


両氏が京都の「島原」について書いてある所だけ抜き書きします。


その前に、一応の歴史として、京都の遊郭は最初は天正17年、豊臣秀吉が認可して設けられ、場所は二条通りの寺町から柳馬場にかけて、二条柳町と呼ばれる。


二条城が築かれたため、二条通は大手筋と位置付けられ、遊郭が洛南の荒地六条通の新地町に移され、六条柳町・六条三筋町と呼ばれた遊郭で、「新屋敷」と呼ばれる。この地も東本願寺の寺内町で人口の密集のより再度の移転。


寛永17年、突如、洛北朱雀野への移転が命じられる。


森谷氏の書かれたものを抜粋しましたが、堀江氏の本では、もう少し内情が書かれています。なお、「突如、洛北朱雀野への移転が命じられる」がキーポイントになります。


堀江氏の本より・・・・・・

・・・板倉重宗(注:当時の京都所司代。なんと、島原・天草の乱で討ち死にした板倉重昌の兄。)によって指示された移転先は、京都の西端の「朱雀野」という、ずいぶんと鄙びた場所だったのです。さらにあまりに急な命令だったため、1641(寛永18)年の引越作業の騒動は、まるで「島原乱の如し」と話題になりました。
島原の正式地名は「西新屋敷」ですが、以降、島原遊郭と呼ばれるようになったのはこういう理由と経緯があったからです。

森谷氏の本より・・・・・・・

寛永17年(1640年:堀江氏の本では”寛永18年”)突如、洛北朱雀野への移転が命じられたのである。・・・・外周には土塀が設けられ・・・外界と隔絶されることになった。突如の移転命令による引っ越し騒ぎを、その数年前に勃発した島原の乱の混乱になぞらえて、「島原」と呼ぶようになったとか、堀に囲まれた新遊郭が島原城に似ていたからとも、たんに新地が島状になっていたからとも、命名の由来は例によって数説が伝えられている。

という事で、堀江氏は「島原・天草一揆」という説のみ、森谷氏は「・・・例によって数説が伝えられている。」と慎重な態度。多分、作家・エッセイストと学者という立場の違いでしょうが。大体の筋道は一緒です。

いずれの本も根拠、出典などが分からず、多分言い伝えなだけなのか、はっきりしないので「希薄な関係」にしました。

なお、遊郭の急な移転を命じたのが、島原・天草一揆で死んだ松倉重昌の兄重宗。この遊郭が「島原」と呼ばれるようになったというのには、なにか因縁めいたものを感じます。


森谷氏の本は「祇園 八坂神社ー栗飯にまつわる祇園祭、誹謗しあうおけらまつり・・・」など京都の各地についてのまじめな話です。


堀江氏の本は「遊女のヘアケア」「『つねる』と男は本気になる」「遊女が好んで用いた体〇」など面白い話が書いてあります。もちろん真面目なところもありますが・・・どちらの本を読むかは、自分の興味にあるほうを。


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今日、コンビニに行ったら、ラッキーなことが3つばかり。

「冷感マスク」については話ばかりで、こちら方面では実物は見たことがありませんでした。やっと、本物を手に入れることができました。一人一点だったので、明日、また買いに行く予定です。


「キリンレモン 無糖」が置いてありました。今年は、炭酸水が流行っているようですが、私も炭酸水を愛飲しています。以前より、キリンレモンの「無糖」が発売され、社長さんが自信をもって宣伝していたのですが、こちらではついぞ見かけることが無く、田舎では・・・と無念な思いをしていたのですが、やっと入荷していました。お味ですか?もったいなくて、まだ飲んでおりません。


「食べマス」が置いてありましたミニオンの「ボブ」さんですね。あと2種類あるとかで、また、明日行ってみます。


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これで、一週間は幸せに暮らせます。今日は本当にラッキーな日でした。

大事なことを書き忘れていました。九州の片隅で起こった島原・天草一揆の事が京都まで伝わっていたという事は、この一揆がいかに大事件だったのかが分かります。以前、八代市立博物館、南島原市で天草・島原の乱の展示会があり、図録の題が「天草・島原の乱 徳川幕府を震撼とさせた120日」でした。まさに、その通りだったのでしょう。



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