日記・コラム・つぶやき

2020年1月11日 (土)

第四回「えんがわ・一畳の気まぐれ資料館」

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「えんがわ・一畳の気まぐれ資料館」も第四回を迎えました。

「千々石の古(こ)絵葉書」「原城の乱関係の絵図・軍記物」「物語の挿絵原画・アニメーションの資料」ということで展示をしましたが、アニメーションの方は子どもさんが興味を持っているのか、えんがわの家主の西田さんの方でもFacebookで宣伝をしていただいたせいか、市外からも、子ども連れで見に来られた方もおられ、展示をした甲斐がありました。


今回は新年、春らしいものをと、栗原玉葉、森川青坡の掛け軸と正月用引札の展示をしました。


栗原玉葉、森川青坡についてはあまり知られていないと思いますが・・・・ざっくりと書けば・・・・


栗原玉葉は長崎県南高来郡吾妻町(現雲仙市)明治16年生まれ。梅香崎女学校で学び上京、私立女子美術学校に入学、卒業時には184名を代表し壇上に立つ。

研鑽を積み各種美術展に入選。特に、第七回・八回・九回・十一回・十二回の文展、第三回帝展に入選。一時は、西の松園(上村松園・女性初の文化勲章受章)東の玉葉とも呼ばれ、同時代を代表する女流作家として活躍。
残念ながら39歳の若さで夭折したため、時代のなかに埋没し、一般的には名前も忘れられていましたが、昨年、長崎歴史文化博物館で特別企画展が開催され、再び関心を集めるようになりました。

上の写真左側が栗原玉葉。玉葉は婦人雑誌、少女雑誌にもかなりの数の表紙、口絵を描いていますが、掛け軸の下に並べているのがその雑誌です。


森川青坡は長崎県(多分長崎市)明治34年生まれ。右の掛け軸。京都で伊藤小坡、西川翠嶂に学ぶ。第九回・十回・十一回・十二回の帝展に連続入選。かなりの力量だという事が分かります。昭和19年の美術展出品後、画歴、消息、没年とも不明。上の右の写真は絵葉書になっていたもので、第九回帝展の出品作品「嶋めぐり」。時代としてはモダンな作品です。


今回の展示は合わせて「正月用引札」の展示。


引き札は、ざっくり言えば、チラシ、ポスター。江戸時代からありましたが、明治のころから色彩豊かになり、大正時代にかけて最盛期。その後、印刷技術の発達により衰退しますが、特に正月にお得意様、ご近所に配られた引札は「正月用引札」といわれ、明治ロマン、大正ロマンを感じさせます。三つ折り、四つ折りにして熨斗(のし)を付け配ったといわれています。残念ながら長崎の「正月用引札」は見つけきれませんでした。引札については以前どこかに書いたような?・・・(^_^;)


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座敷の障子が寂しかったので、こちらも利用させていただきました。

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チラシです。予算の関係から、ご町内限定の新聞の投げ込みになります。クリックすると、大きく、読みやすくなると思います。多分。急いで書いたので、「松園」を「玉園」と書き間違えました。弘法も筆の誤り<(_ _)>。
雲仙市内の方は図書室に配る予定なので、ご利用を。


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入場無料。会場は千々石郵便局の近くです。通りかかられた折はお立ち寄りを。3月末まで展示。お客さんが多いときは延期します。なにせ「一畳の『きまぐれ』資料館」だから。展示期間は、あって無きが如し。




2020年1月 7日 (火)

橘神社の「七草粥」の振る舞い

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今日1月7日は、いつものように橘神社で「七草粥」の振る舞い。いつものように、七草の見本と押し花が飾られていました。

朝から雨で、今日はお参りの人が少ないかなと思い、最初に神社にお参りに行ったら、拝殿一杯の人のお祓い。後で聞けば、わざわざ波佐見町からのバスツアーで、この後、雲仙に行って温泉神社にお参り、お風呂に入って昼食、島原の霊丘神社へお参りとか。


で、こりゃいかんと七草の振る舞いの所へ急ぎました。とにかく、これだけの人がドットくると無くなってしまう。


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最初は左側のようにボチボチという状態だったのですが、団体のお祓いが終わるとアッというまに満員でした。早く食べて、よかった。

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いつものように神社で採れた梅で作った特製の梅干し。いつもの味の七草粥。神社で食べる七草粥は家で食べるのと違ってありがたみがあります。

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ということで、夕食も思ったとおり七草粥でした。

 

            昼夕と七草粥の続きけり
            夫婦茶碗年に一度の七草粥
            コンビニに七草粥はなかりけり




2020年1月 6日 (月)

「#あなたを幸せにしたいんだ」★山本太郎とれいわ新選組

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先の総選挙の時、記入台の前に政党の名前の一覧があり「れいわ新選組」と書いてあって、いやにふざけた政党名だと思いました。

ところが、最近、YouTubeで代表の山本太郎さんが街頭で参加者の疑問、意見などに答える集会の様子が放映されていました。


まあ、ビックリしました。なにがかというと、街頭演説などは候補者が一方的に喋るだけじゃありませんか。某首相の演説会など、ヤジを飛ばすと警察が排除ですよ。


ところが、この山本代表、どんな質問にも真摯に答えるんですね。何種類かの集会の様子を見ていると、酔っ払ってひどい質問をする人もいるし、分けわかんない女性がクドクドと同じ質問をするし、偽善者だという人もいるし、カッコつけだと言う人もいるし、中学生の質問もあるし、それに対し実に真面目に答えているんですね。


いまどき、こんな政治に情熱を持った人がいるかというと、まあ、国会などを見ていてもいませんね。特に、自民党の皆さんは、首相におべんちゃらを言うばかりだし。質問時間のムダ使い。


山本代表、言うことがブレなく、消費税の廃止、第1歩として消費税5%まで引き下げ。いま、野党の共闘が言われていますが、山本代表、この5%を飲むなら共闘に参加する、しないのなら独自候補を百名立てる。


いま、政治がひどい状況になっていて、モリカケ問題、最近の「桜を見る会」。国会での内閣の答弁、官房長官の会見。プラーバシーの問題で名簿は公表できない、反社会的の定義が曖昧だ、書類はシュレダーにかけた等々。アホらしく見ていられませんでした。


さて、この本には、令和新選組のみなさんの意見、インタビューが書かれていますが、メンバーがなんと創価学会の人まで交じっているという驚きの方々。裏表紙の帯に書いてある各々の意見。


■山本太郎 れいわ新選代表

「生きててくれよ!死にたくなるような世の中やめたいんですよ」
■舩後靖彦 難病ALS当事者、参議院議員

「全難病患者・障害者が幸せな社会は、みんなが生きやすい社会です」
■木村英子 重度障害者、参議院議員
「障害児と健常児を分ける教育は、差別を簡単に生み出します」
■野原善正 沖縄創価学会壮年部
「政治を改革するための手っ取り早い方法は、公明党を潰すことです」
■元東京電力
「原発で抱えた借金を再稼働で儲けて促す。こんなふざけた話ないと思いませんか」
■安冨歩 東京大学東洋文化研究所教授
「子どもを守るというのは、私のような人間を作らないことです」
■三井義文 元銀行員、元セブンイレブン・オーナー
「目立たなくても一生懸命やる。この日本人の『心』をコンビニが壊した」
■辻村千尋 環境NGO職員
「日本1個分の暮らしをしましょう。これをぜひ僕の名前より広めてください」
■大西恒樹 元JP、モルガン銀行為替ディーラー
「人間としての価値を、もう一度問い直す戦いだと思ってます」
■渡辺照子 元派遣労働者、シングルマザー
「ド庶民が、働くものが、貧乏人が、今の日本を変えなくて誰が変える?」

現在、二世議員が増えてきました。相変わらず、地盤、看板で国会議員になっています。国会も舩後さん、木村さんが国会議員になられました。国会議員も、もっと多様性を持った人が多く参加した方が良いのではないかと思っています。


私としては、まだ、山本代表の意見、参加者の意見の答え方に疑問を持っていますが、今度の国会を見ながら、次回の総選挙への態度を考えようと思っています。


山本代表の集会はほとんど街頭で行われ、室内での集会と違い、通りすがりのヨッパライ、分けわかんない人、もろ攻撃する人もいるわけですが、本の表紙に書いてあるように「『山本太郎なんて大っ嫌い』申し訳ありませんが、私、そういうの大好物です。」と言うことです。これ、集会の様子を見ているとよく分かります。


へたなTVドラマより面白いので、是非YouTubeで集会をご覧下さい。



2019年12月26日 (木)

「『英語教育』が国を滅ぼす★文藝春秋1月号~読みながら思いつくままに

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今度は小学校で英語の授業が始まるとか。おまけに、タブレットを使った授業もあるし、学校の先生方も大変になりました。

さて、文藝春秋「『英語教育』が国を滅ぼす」とあったので、読んでみました。思いつくままに・・・


英語の民間試験がお流れになりました。「一回の検定料が五千円~二万五千円」と書いてありますが、試験会場は限られており、離島の対馬なんかに住んでいると、福岡会場に行くには飛行機又はフェリーなどを使わなければならず、運賃+宿泊料でいくらかかるのか?本当に延期(まだ正式の中止にはなってないようですが)になって良かったと思います。これって、公平じゃ無いですよね。


英語教育に関しては、ご存じのように「英語が話せないと国際競争に負けてしまう」そのため「これからの激しい社会変化に耐えられる人材、グローバル人材の育成」が目標となった訳ですが、この人材とについては、書いてあるように「英語を使う可能性のある職業(たとえば外交官、商社マン、スチュワーデス)などにつきたい希望をもった者」で良いんじゃないかと思います。

その子どもたちが「中学校で全力で勉強すれば良い。・・」ということで、確かに勉強というものは、目的を持つ、あるいは興味をもった者にしか効果はありません。私、このような目標を持たなかったので、英語は学校で10年間習いましたが「アイアムアペン」「デイスイズアボーイ」と「アイキャンノットスピークイングリッシュ」程度にしか話せません。


商社マンの方が取引先の家に招かれたとき「縄文式土器と弥生式時はどう違いますか」「元寇は二度ありましたが、二つはどう違ったのですか」と尋ねられたそうです。


この著者自体も「漱石の『こころ』の中に出てくる先生の自死と三島の自殺とは関係があるのですか。」と聞かれたそうです。


あなた、答えられますか?


タイ、サウジアラビア大使を務めた外交官の故岡崎久彦は「外交交渉において勝負は結局のところは『教養と人間的な魅力』なのです。」と語っているそうです。


結局「話し方より話す内容なのである」「グローバル社会で生き抜くため、若いうちに充分に鍛えるべきは、英語ではない。読書を通じ、知的充実にはげむことなのである。」と、まったくその通りです。


英語をペラペラ喋るようにするには簡単で、私の大学の同級生が全くのネイティブ英語を話しましたが、ただ、書いてあるものは、まったく読めない、で「英語を話すのはペラペラで、なんで書いてあるのは読めないの?」ときいたら「立川基地でアルバイトしていたから」。


英語の検定試験はヒアリング、スピーチが中心なのかな?高い金払って塾にいかないで、バイト料貰いながら英語を習った方がベターですね。基地が無いなら、一年ばかり英語圏の国にほったくりやること。私の知っている人の英語が全然ダメな息子が一年ばかりアメリカに行って、ウロウロして帰って来たら、英語ベラベラでした。


さて、上の商社マン、著者に対する質問を見るとかなりハイレベルな方々だと思います。多分、私たち凡人にこのような事を聞く外人はいないと思います。では私たちはどうするかというと、この記事に書いてあるように「・・・京都の寿司屋に寄った。店主に『京都だから外人も多いでしょう。外国語はどうされていますか』と問うと『これがありますから』といって白色の、手のひらに載る機器を得意げに持ってき。店主は『これはすぐれもので、日本語と数十カ国語の同時通訳をしてくれるんです。・・・』」と言ったそうです。最近、はやり出した翻訳機ですね。


ついでに、12月24日の長崎新聞です。対馬で仏像盗難事件がありました。日本人と韓国人がつるんだものでしたが、記事中「日本語と韓国語のやりとりには携帯電話のアプリを使ったという。」と書いてあり、思わず笑いました。犯罪者も翻訳アプリを使う時代、英語を小学校から教えるのはどうなんでしょう。


もちろん、志をもっている方は英語を一生懸命勉強することが必要、私たち凡人はアプリで結構。いまや、ほとんどの人がスマホを持っているでしょう。学校で一律に英語を教えても効果は無いと思います。大事なのは、先生と生徒の触れあい、ムダな時間を使うより、先生と生徒が楽しく遊んで触あうこと。先生が生徒のことを良く見れるので、イジメも自殺も少なくなると思います。


学校の先生はITだの英語教育だの、また大変だと思います。昨日のニュースで学校教員の志望者数が減少してきたとか、こんなことも影響しているのでしょう。また、私、学校の先生とかなり数で付き合いがあるのですが、英語の教師を除いてはまったくダメでした。小学校の先生はモチのロン。本当に喋れたのはただ一人でした。朝から英字新聞などを読んでいましたが「海外援助派遣」で外国に行った先生でした。


2019年12月16日 (月)

「浦上駅」が「長崎駅」???~「長崎駅」の変遷

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上の写真は「長崎駅開業110周年」の記念乗車券と共に配られたカバーです。一番後ろに、写真でいえば、一番左になりますが長崎駅の変遷が書いてあり、長崎駅に関係するところだけ抜き出してみます。

明治30年(1897)  7月22日 長与ー長崎間開通。長崎駅(現浦上駅)開業。

明治38年(1905)  4月 5日 浦上ー長崎間開通。現在地にて長崎駅開業。従来の長崎駅は浦上駅に改称。
大正 元年(1912) 10月21日 新駅舎(2代目駅舎)
昭和20年(1945)  8月 9日 原子爆弾投下により駅舎焼失。8月末(仮駅舎完成)まで防空壕等で執務。
昭和24年(1949)  3月 9日 新駅舎(3代目駅舎)完成。三角屋根の異国情緒漂う駅舎に。
昭和63年(1988) 11月22日 長崎駅リニューアル。
平成10年(1998) 11月17日 新駅舎(4代目駅舎)完成。
平成12年(2000)  9月21日 新ビルアミュプラザ長崎グランドオープン。
平成17年(2005)  4月 5日 長崎駅開業100周年。
平成27年(2015)  4月 5日 長崎駅開業110周年。

ということで、このカバーは2015年に発行されたものです。


駅舎の説明として、右のページ、左上から「初代 長崎駅」(この写真は長崎大学附属図書館蔵になっています)その下が、「2代目 長崎駅」、右に行って上が「3代目 長崎駅」、下が「4代目 長崎駅」。


で、「長崎駅」がなぜ「浦上駅」かというと、このころ長崎駅の敷地は海の中でした。下の地図は長崎文献社から刊行された「長崎惣町復元図」。


この地図、昔の地図に、よく見ないと分からないぐらい薄く、現在の地図が重ねて書いてあります。


赤の〇印が「長崎駅」、緑の〇印が「ホテルニュー長崎」。「現長崎駅」は「浦上駅が長崎駅」といっていた頃は、まだ、埋め立て造成の最中でした。


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で、長崎駅に関しては上の写真のほかに下のような写真等があります。

左は「ふるさとの思いで写真集 明治大正昭和 長崎」(越中哲也・白石和男共編★図書刊行社)。説明としては「長崎の鉄道は九州鉄道株式会社の手によって明治三八年四月五日開通し、この駅が長崎駅として現在地に建設された。そして、この駅舎は大正二年(注:大正元年の間違いか?)国鉄の手により改築された。」となっています。


右が、「長崎駅開業88周年記念」のオレンジカード。要するに「米寿」の記念です。


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下は同時に発売された「長崎駅開業88周年記念自由席特急券」。真ん中に「祝 米寿」の文字。右下に説明文で「明治三八四月開業当時の長崎駅」。ということなら、この駅舎が2代目でいいのでは無いのか?一番上の写真にも載せてないのはなぜかと思って調べたら「長崎県事典・産業社会編★長崎文献社」に以下のように書いてありました。

「港湾埋め立て工事が完成した翌明治38年日露戦争に必要な軍需品輸送の円滑化のため臨湾延長線の設置が急がれ現長崎駅所在地に仮駅舎が設けられた。同年四月開業、ここが長崎駅となり従来の長崎駅を浦上駅と改めた。仮庁舎の長崎駅は大正元年十月二十一日、本庁舎(木造二階建て)竣工とともに新庁舎に移転、・・・」ということで、この建物はあくまで「仮庁舎」ということで、カットされていたという事です。でも、なんとなく、この駅舎の写真もったいないナ。


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ということだったのですが、左の写真(長崎大学附属図書館蔵)が初代の駅舎になりますが、もう一枚、右の絵葉書「長崎停舎塲(場)」「Rallway Station at Nagasak」と書いてあります

多分現浦上駅(旧長崎駅)だと思うのですが、同じようでも屋根の違い、煙突の違い、柵の有無など違っており、どうなんでしょう?ただ、右の写真は「明治四十二年」のスタンプが押してあり、このころは「浦上駅」は「長崎駅」から「浦上駅」に改称されていたはずなのですが・・・昔の絵葉書にスタンプを押したということも考えられるのですが、これについては謎でした。


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各写真、ボケていますが、クリックするとはっきり見えます。


2019年12月14日 (土)

「さよなら、私の愛しき人よ」★週刊文春12月19日号より

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久しぶりに週刊文春を買いました。

首相補佐官と厚労省幹部が、山中伸弥教授のところに二人で出かけ、iPS研究の予算削減を通告し、その後、京都でおデートをしたとか。


もっとも本人は「いや、終わった後は自分の時間だから、メシ食ったりしましたよ。(大坪氏と)二人でいきました」

ー貴船神社にも。
「ああ、行きました。彼女はもともと、午後休暇を取っているから。僕は休暇でではなく、出張です。・・・・」
とは言ってますが、「iPS研究の予算削減を通告」なら、両人とも公務出張でしょう。公務出張は、職務であり、メシは食ったりするのは当たり前ですが、二人で写真に撮られたように、イチャイチャするのは良いんですかネ。

ということはさておき、この厚労省幹部がどこかに「美熟女」と書いてあったので、どんな顔か見たくて助平根性で週刊文春を買ったわけですが、なんのことはない、単なるおばさんでした。ウチのカミサンの方が美人です。


と思いながら、最後のグラビアを見ると、今年亡くなられた有名人が写真と共に載っていました。梅宮辰夫さんが亡くなられたのは最近ですから知ってはいたのですが、今年初めに亡くなられた方は忘れているのが多く、あ~この人もだったのかなどと思い出し、皆様も年末を前に思い出していただきたく、書き抜いて見ます。


八千草薫さん 10月24日死去 88歳

市原悦子さん 1月12日死去 82歳
内田裕也さん 3月17日死去 79歳
金田正一さん 10月6日死去 86歳
萩原健一さん 3月26日死去 68歳
橋本 治さん 1月29日死去 70歳
京マチ子さん 5月12日死去 95歳
ドナルド・キーンさん 2月24日死去 96歳
安倍穰治さん 9月2日死去 82歳
田辺聖子さん 6月6日死去 91歳
堺谷太一さん 2月8日死去 83歳
中曽根康弘さん 11月29日死去 101歳
木内みどりさん 11月18日死去 69歳
竹村健一さん 7月8日死去 89歳
ケーシー高峰さん 4月8日死去 85歳
高島忠夫さん 9月26日死去 88歳
ク・ハラさん 11月24日死去 28歳
岡留安則さん 1月31日死去 71歳
北尾光司さん 2月10日死去 55歳
ザ・デストロイヤーさん 3月7日死去 88歳
隆籏康男さん 5月20日死去 84歳
モンキー・パンチさん 4月11日死去 81歳
佐藤忠男さん 9月24日死去 68歳
兼高かおるさん 1月5日死去 90歳
吾妻ひでおさん 10月13日死去 69歳
小出義雄さん 4月24日死去 80歳

酒を酌み交わしたわけでも無く、会話をしたわけでも無く、銀幕、TVで見るばかりでしたが、いずれも、私たちの世代にとっては全盛を知っているだけに、なんとなく同士を失ったような気がしてなりません。あらためて、ご冥福をお祈りいたします。



2019年12月12日 (木)

耳のせいかしら♫~イロイロコネタ

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ネット、新聞などを見ていると意外と見落としが多いことに気づきます。
で、気づきにくい話題を集めて、イロイロコネタ(色々、小ネタ)にしてみました。もっとも、私のブログは小ネタばかりですが。以下ご存じの方は、パスして下さい。

4月30日、天皇陛下の退位の儀式に、安倍首相が国民代表の辞を読みました。その中で、最後に「あらせられますことを願ってやみません」と言うところを「願っていません」とやったそうです。


4月30日で随分以前の出来事ですが、最近あちらこちらで話題になっています。テロップでは「願ってやみません」となっていますが、手に持った挨拶文の原文では「願って已みません」と書いてあるそうです。


この挨拶、YouTubeでも流れていますが、最初は私もまさか!とは思ったのですが、何回か繰り返して聞いてみると「あらせますことを願って(一瞬止まって、繰り返し)あらせられますことを願っていません」。最初は、耳のせいかしら?とは思ったのですが・・・


原文はもちろん官僚の方が書いたのでしょうが「已」は「い」とも「やむ」とも読めるので、一瞬判断を誤ったのかな?とはいえ、大事な国事行為のなかで、特に天皇陛下の前で読む言葉です。私なら、夜も寝ずに何回も繰り返すのですが、安倍首相はぶっつけ本番で読んだのでしょう。が、ですね、天皇陛下を前に(天皇陛下でなく、一般の人にでも本人を前に)「願っていません」とは失礼な。


ということで、あちらこちら見ると、皆さん「願っていません」と書いているので、私の耳のせいでは無いことが分かり、安心しました。


「YouTube」は→こちらをクリック







2019年12月 7日 (土)

「AirPods Pro」を使ってみたら

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どうしようか悩みましたが、買いました「AirPods Pro」。いささか古い話題ですが、・・・

一番左が「Bose QC35Ⅱ」。ノイズキャンセリングです。外の音が聞こえないようにできます。以前にも書きましたが、ご近所の犬の鳴き声に悩まされたときに買いました。結構効果はありますが、重い。その後、犬さんはお亡くなりになりましたが、少し離れた所の犬が鳴いて、以前のトラウマが残っているのか、何種類かのイヤホンタイプを買いましたが、どれも気に入らず・・・


で、「AirPods」を買いました。が、カミサンが留守がちで、これ、普通のイヤホンタイプですから、音楽など聴いていると人が尋ねてきても分からない。


ということで、「骨伝導」のイヤホンを買いました。これなら、音の出る部分を耳の下につけるだけで、耳の穴はオープンになるので、外の音は聞こえますが、安いのを買ったためか、音に多少不満。


ただ、音楽を聴いているときは「AirPods」、ひとが尋ねてくるようなときは「骨伝導」にしましたが、いちいち付け替えるのが面倒くさい。


最近「AirPods Pro」の評判を聞くと意外に良く、売れ行きも良いとか。イヤホンの所をクリックするだけで、ノイズキャンセリンにもでき、外の音の取り込みもできるとかで、いちいち掛け替えなくてもすみます。ほか、電話の利用などもできます。


ただ、お値段が高いのでかなり悩みましたが、思い切って注文。11月21日に注文(今日注文すると、来年の1月9日にお届けになっています)、今日12月6日に到着で、売れてますね。いつもは、刻印サービスで名前など彫って貰うのですが、これ、頼むとお届けが12月下旬になるとかで、今回はパス。


さっそく試してみると、音楽の音量をあまり上げないなら、外の音もしっかり聞こえます。ノイズキャンセリングにしてみると、エアコン、ファンヒーター、テレビの音では、エアコン、ファンヒーター音は完全シャットアウト、テレビは多少聞こえる程度で、まあまあ満足。あと、イヤーチップが大、中、小と揃っているので、自分の耳に合わせられ便利。


カミサンのお小言は効果無く、耳の底を通り越し、心の奥までグサリと刺さります。

なお、詳しくはYouTubeでイヤというほど情報が飛び交っていますから、そちらをご覧下さい。





2019年12月 5日 (木)

病院帰りの「コメダ珈琲店」

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今日は、1年に1回検査をしている総合病院へ。7年前だったか、血液検査で異常値がでて紹介され通いました。主に肝臓などを検査しています。

今日は、お医者さんから「7年間検査をしました。私たちは、どれだけ悪化するかが心配だったのですが、検査結果としては悪化しているところは認められなく、大体、卒業していい頃かと思います。あとは、地元の主治医さんに文書連絡をしますから、主治医さんに見てもらってください。おかしな所があったら、また来て下さい。」といわれましたが、嬉しかったですね。卒業!!


甘いものを控え、野菜食を多めに、毎日30分程度のウォーキング、たばこ、アルコールは勿論、なるだけ間食を控え、女性には近寄らず、パチンコにも行かずの毎日。で、お医者さんから卒業といわれたので、今日くらいは思い切ってケーキでもと思ったのですが、家で食べてて、カミサンに見つかっては大変なので、最近、諫早市にできた「コメダ珈琲店」に行ってみました。


話としては聞いていたのですが、場所が分からず、知っている人に聞いて行ってみたら、何のことはない国道沿いの吉野屋の所。

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いる所には、コーヒー屋さんもある事はあるのですが・・・どちらかといえば、不毛地帯ですね。もっとも、昼間から地元のコーヒー屋さんでウロウロしていると、知った人ばかりですから「暇人」と思われるのがオチです。ね。

で、「コメダ珈琲店」まで20分くらいの所で、いつも買い物にいったりしているので、病院の帰りがけ寄ってみました。
下がお店屋さん、右が入った所のショーケースですが、メニューはまだ沢山あります。

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初めてで、迷いましたが、「コメ黒」コーヒーと、コメダの奥義とやらの「シロノワール」のセット。一番上の写真です。

で、「シロノワール」とは???と思ったら「シロノワールは、日本語のシロ(=白)と/フランス語のノワール(=黒)を組み合わせた造語で/黒っぽいデニッシュの上に乗った白いソフトクリームを表しています/熱々(あつあつ)のデニッシュと/冷々(ひえひえ)ソフトクリームのうれしい出会い」だそうで、確かに熱々と冷々のシロノワールは不思議な味で面白かった。久しぶりで甘いものを腹いっぱい食ったという感じで満足、満足。


コーヒーもいろいろあって、楽しめますね。


で、スパゲッティとかサンドイッチとかコロッケとかグラタンとかもあるんですね。もちろん、あったほうが何かちょっと食べたいという人には便利なんですが、伊奈かっぺいさんがどこかで言っていました。「ラーメン屋でコーヒーを出すのは許す、ばてん、コーヒー屋でラーメンを出すのは絶対許さねえ(青森弁で読んでください)」。スパゲティですね。難か所ですが、どげんなんでしょう?(ここは長崎弁で読んでね)。


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という事で、久しぶりにコーヒー屋さんだな、と思うようなお店で楽しんできました。

コーヒーはおいしかったかというと、実は私、若いころ小さな喫茶店に毎日コーヒーを飲みに行ってました。時々、マスターが出かけることがあり「淹れといてネ」と言われ、私がカウンターに入ってコーヒーを淹れておりましたが、お客さんからは「今日のコーヒーはまずいな」といつもいわれました・・・(^_^;)


今まで一番おいしかったコーヒー屋さんは、東京の旧日劇の裏にあったお店屋さん(名前は忘れました)。あそこのコーヒーの味は今でも覚えています。数十年ぶりに上京したら消えていました。


「コメダ珈琲店」さんは、ゆったりした感じもあり、気に入ったので、また、来週、近くに行くので、寄ってみようかと思います。できれば、話上手の30歳くらいの美女と一緒に。該当する方は、私を見かけたら声をかけてください。コーヒーくらいは奢ります。ケーキもネ。



2019年11月13日 (水)

「橋の裏表(入口・出口)」

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いつも橋を通るたび、橋の名前が片方が漢字、片方が平仮名になっているのは、何でだろうと思っていたら、たまたま「長崎浜の町繁盛記」(田栗奎作著・発行所 浜市商店連合会・非売品)という、浜町の起こりから昭和55年程度まで書いた本を読んでいると、橋の表裏について下記のように書いてありました。橋の裏表といっても、上と下ではありません。出口、入り口と表現したものもあります。

「・・・橋の裏表はふつう、漢字のある方が表、平仮名の橋名柱が裏となっている。この表裏は城または氏神を中心として決めたものとしていわれ、城下町でない長崎では奉行所を中心にしたようだ。大橋(注:現鉄橋)も築町側が表で、浜の町側は裏になる。明治元年の鉄橋のときも、『銕橋』という漢字の橋名柱は、やはり築町側に建てられた。」

さて、この橋の付け方は現在違っていて、Wikipediaの「橋名板」でググってください。一応下記のように書いてありますが、「国土国交省の道路橋示方書などに基準が示されるているものではなく、自治体などの発注者が仕様書などに定めている場合が多い」ということで、各自治体で違っているようです。

・道路起点側から見て左側に「漢字表記の橋名」

・道路起点側から見て右側に「交差する河川(鉄道)などの地名物」
・道路終点側から見て左側に「ひらがな表記の橋名」
・道路終点側から見て右側に「竣工年月」

ですが、徳島県では「県庁に向かって」「県庁を背にして」それぞれの左右に、「漢字表記」「竣工年月」「ひらがなの橋名」「河川名等」を書いているそうです。


原則「橋名」「竣工年月」「道路橋仕方書(年度)」「活荷重」「使用鋼材」「事業主体」「設計及び製作・施工会社名等」「将来の維持管理に最低限必要な事項」を記載しなければならないそうです。が、見たところ、全部書いてあったかな?
あとは、各自、地元の橋を調べてください。

なにはともあれ、「城または氏神を中心として決めた」というのが、好きだな~(*^^)v。



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