日記・コラム・つぶやき

2018年2月23日 (金)

ハッピーな日


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一昨日の女子カーリング、笑顔と「だよねー」の言葉が、いつもより少ないみたいで、おやっと思ったのですが・・・

一昨年、「雪見だい福」の事を書きましたが、昨年は残念ながら一つも見つからず、思ったとおり三ヶ月入院したり、いい年ではありませんでした。

で、今日コンビニにいったら、あるじゃありませんか。「雪見だい福」。「雪見だい福」、「雪見だいふく」、違いが分かりますね。この、「だい福」が実に少ないんですね。ことしは春先から見つけ。これを、見つけると幸運が来るとか。

「月も朧に白魚の篝も霞む春の空、冷えて風も微酔い(ほろよい)に心持ちよくうかうかと、浮かれ烏のただ一羽、塒(ねぐら)へ帰る川端で、棹の雫(しずく)が濡れ手で粟、思いがけなく手に入る『雪見だい福』、ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落とし、豆沢山に一文の銭と違って『雪見だい福』、こいつぁ春から縁起がいいわえ」

と、今日は、「こいつぁ春から縁起がいいわえ」。カミサンは留守で、「雪見だい『福』」は見つけるし、ハッピーな日でした。

カーリングが始まっているので、今日はここまで。


2018年2月16日 (金)

「巻き爪の治療」その後&その他の事

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昨日は、バレンタインデー。私もこの歳でも、多少あちらこちらからいただき物をしたのですが、家に帰ったら、いつもの悪友がきていて、勝手に食い散らし、ガチャガチャ。

今日は、以前書いたように、巻き爪のテープを使った治療が上手くいかなかったので、ワイヤーで引っ張っていたのですが、爪が割れワイヤーがとれてしまったので、つけかえに病院まで。

話を聞くと、爪が割れやすい体質だとかで、これがだめなら別の方法を考えましょうと・・・

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左が治療前、完全に巻いています。右が治療3週間目。巻いていたのが、開いている様子が分かると思います。まったく痛みはありません。多少、違和感はあります。巻き爪の方の参考までに。皆さんも、あまり深爪はしないように。

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少し見づらい写真ばかり並べましたが、今日はでなく、今日もですね、カミサンが行方不明なので、一人で外食へ。久しぶりに唐比(からこ)の「COZY」さんへ。

いつもは、まぜまぜご飯プレートを頼むのですが、今日は、目先をかえて、あたたかスープとオープンサンドプレートを。

サラダと、野菜スープと、野菜たっぷりのオープンサンドで、右を見ても、左を見ても、真ん中を見ても、野菜だらけで、明日のウ○チが楽しみです。多少○秘気味なので・・・余計な話ですが、お野菜の葉物の値段、高いですね。買いに行ったら、びっくりしました。

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天井が高いのは良いですね。気分まで晴れ晴れしてきます。外を見れば、ボチボチ梅のツボミもふくらみ始め・・・

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お客さんも、結構一杯で、皆さん、アベックばかりで、恋しちゃならない、妻帯者、やけのやんぱち石投げた。と、昔の歌を思い出しました。皆様も、不倫問題で週刊文春に載らないように注意しませう。



2018年2月 3日 (土)

「乃木大将少年時代家庭の景」

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お父さんが、子どもを叱って、お母さんもそれを聞いている図。

少年は、「乃木希典」。今頃、こんな風景は見られなくなりました。できれば、わたしも、やってみたいのですが、うちは家内が説教をして、愚息子と愚私が黙ってきいているわけですが・・・

乃木希典については私も、司馬遼太郎「坂の上の雲」しか読んで無く、乃木希典は無能扱いをされていました。これには賛否両論あり、司馬遼太郎と言えば、「竜馬(司馬遼太郎では『龍馬』ではなく『竜馬』)が行く」があまりにも有名なため、その影響か、乃木希典は無能だという評価が信じられているようです。

これは、「司馬遼太郎史観」に影響されたもので、これには、福田恆存等々の反論があります。詳しくは→こちらをクリック

なお、「乃木坂」も乃木希典にちなんだもので、「乃木坂46」も、ソニー・ミュージックエンタテイメントのある、「SEM乃木坂ビル」の名前にちなんでいます。ですから、乃木希典と乃木坂46も密接な関係があります。

上の写真ですが、父親は長州藩支藩長府藩馬周り八十石ですから、まあまあの収入でしょう。さて、写真を見て、鴨居に弓がと陣笠が置いてありますから、弓方ですね。

お父さんの右の方には刀が置いてありますが、えらく長刀ですね。
後ろの、長持ちには、鎧、兜かな?脇差しまで差していますが、「昔の父は強かった」。見習いたいものですが・・・あこがれる写真ではありますが、乃木希典少年時代、このような写真を撮るわけでも無く、多分、銅版画では無いかと思います。なお、発行は、東京中央区乃木會です。

乃木希典は明治天皇が亡くなられた後をおって、妻とともに自決をしています。ですから、上の写真の少年は享年64歳で亡くなっています。


(参考・文引用:Wikipedia)


2018年2月 1日 (木)

「柳川屋」~斎藤茂吉、泊まりし旅館


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最近は、小浜(長崎の小浜で、隣町)で調べる事があり、数日間通っていますが、「小浜町史談」に、斎藤茂吉が来たことのエピソードが書いてあったので、要約してご紹介を。

斎藤茂吉は、大正6年から、官立長崎医学専門学校(現長崎大学医学部)に精神科教授として勤務しています。

大正9年に喉の病気にかかり、赤彦のすすめにより雲仙へ転地療養をしています。赤彦は翌日、用事のために東京に帰ります。

この道に立ちてぞ思ふ赤彦は はや山越しになりつらぬか    茂吉

8月14日、雲仙が肌寒くなったので、長崎に帰り、30日、佐賀県の唐津に行き、9月30日古湯温泉(雲仙)に移っています。

10月3日長崎に帰った茂吉は諏訪神社の祭り「くんち」の騒がしさをのがれ、11月西浦上木場郷に移りますが、ランプと料理の粗末さから、15日に、小浜の柳川旅館に5日滞在をしています。上の写真です。

初日、お手伝いさんをよび、夜具を太陽にあてさせたそうですが、さすが、お医者さんらしい潔癖さ。

茂吉は、お手伝いさんにポチ(心づけ)を渡したところ、ほかのお手伝いさんからもお礼をいわれ、調べたところ、ポチはお手伝いさん、みんなで分けるということで、茂吉は前に渡したポチを取り返し、それに幾倍の金額を改めて渡したそうですが、その時のお手伝いさん、「たいそうヨカ先生じゃたばってん、変っちょらすところがあったですね。」と言ったそうです。

小浜、雲仙(当時は「温泉」と書いて「うんぜん」と呼んでいましたが)には、外国客が多くかったそうです。

ひょろ高き外人ひとり時の間に われを追い越す口笛吹きつゝ    茂吉

さて、茂吉は散歩帰り浴衣の片肌抜きで歩いて小浜警察所(当時は、旧道の商店街)を通っていると、外国人が多く来ているので、みっともないので、道を通らないよう注意されたそうですが、巡査は新聞で茂吉を知っており、署長に報告。茂吉は受付に一円を1枚おいて、外に出ると、諸肌脱いで旅館に帰ったそうです。

当時の、軽犯罪法は片肌脱ぎで街路を歩くと50銭の罰金、両肌(もろはだ)のときは、一円の罰金、ですから、茂吉は罰金の前払いをしたということです。

茂吉は大正3年に結婚し(養子)になっていますが、夫婦仲は悪く、恐妻家でしたから、遠く離れた長崎で、羽を伸ばしたかったのだ思います(ウチに似ているので、気持ちはよく分かります)。

ここに来て落日(いりひ)を見るを常とせり 海の落日も忘れざるべし    茂吉

上の歌の石碑は、小浜町支所の近く「夕日の広場」に設置されています。少し歩いたところに、ロハの足湯がありますので、是非お越しください。

(※柳川屋は現在の伊勢屋旅館にあたるようです。文は「小浜町史談」より要略しました)

2018年1月13日 (土)

「礫石原(くれいしばる)環状石組遺構」&その他

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病院も3日続きで通うとイヤなりますね。前の日から、雪の予報が出ていて、朝早く出かけると何ともない天気。珍しく病院の診察も、あっという間に終わり。

以前から、島原市の地図を見ていたら、島原新港~雲仙の方に上っていくと、「千々石道」と言う地名あり、昔、千々石から山越えで有明、島原方面に魚を売りに来ていたと言うことを聞いていたので、一回は行ってみたいなと思い、時間もあるので、チョット寄り道を。

ところががですね、やはり土地を知った方の案内がいるもので、いつの間にか、「島原市指定文化財 礫石原環状石組遺構」に出てしまいました。この遺構も一度は見たいと思っていたのですが、道以外は一面の雪。遺構も写真の通りで、何がなにやら分かりません。

看板を張っておきますから、クリックすると少しは大きくなると思いますので、お読みください。


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で、ついでに、「フラワー公園」に寄って見ましたが、この時期、しかも雪が積もっている中、お花なんか見えません。考えればすぐに分かるのですが、バカな私。

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大黒様の後ろに、何か変な鳥が飛んでいましたが、何という鳥でしょう?ご覧になりたい方は、足を運んでください。

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時間を見ると、ちょうどお昼時。どこにしようかと、車を走らせていたら、以前入ったところがあったので、寄って見ました。普通の食堂ではなく、地場産品等売ってありますが、どちらかというと健康志向の品物が多いですね。

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室内も意外とゆったりして、窓から見える畑、向こうに有明海が眺められます。本当は、もっと良い風景なのですが・・・

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ここ、昔はシシカバブが売り物だった(はずだった)のですが、メニューはまったく変わってました。サラダは食べ放題で、これだけドレッシングがあると迷いますね。

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頼んだのが、「チキンオーバーライス」野菜ばかりだと思ったら・・・・

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ちゃんとターメーリックライスが隠れていました。もちろん、チキンも入っていました。

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食後のコーヒーですが、最近はブラックの方が多いようで、一昔前は、お年寄りの方は5,6杯の砂糖を入れていたのですが・・・私も、「お姉さん、シュガーステックあと3本」と、血糖を気にしながら。苦いコーヒーなんて飲めるもんじゃない。

で、ミルクをたっぷり入れましたが、これは、ミルク占いをするためで、「今年も、もてない」とでました。


2018年1月11日 (木)

「雪の日の病院」

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今日は、心臓手術の半年観察。

朝から雪が降っていて大丈夫かな、と思っていたら、やはり長崎の人間、雪の日はなれていないのか、のろのろ運転。予約時間ギリギリに到着。患者さんが少ないかと思ったら、いつも通り。

前にも書いたように、ここには、ギャラリーがあり、上手な方、それなりの方、いろいろありますが、いつも覗いていくのが楽しみですが、今日は壁だけで、面壁九年とやらで、しばし壁を眺めていましたが、あまり面白くありませんね。

で、屋上は除いてここが最上階になりますから、雪景色でも。一緒に。

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いま、病院では患者さんの心をやわらげるためか、あちらこちらに絵を掲げています。しばし、鑑賞。

左はよく分かりませんが、右は諫早湾のシチメンソウですね。


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右は、私がしばらく彼女と住んでいたモンマルトル、と言うことはないか。

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そうするうちに、雪が段々激しくなり、これ帰れるかな?

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と思っていたら、少し小降りになり、無事家に到着。でもって、明日の朝からも、1時間ばかりかけてまた別の病院に行かなければならないのですが、雪が降らないのを祈るばかりです。


 

2017年12月30日 (土)

久しぶりに「ピカチュウ」&「橘」氏について

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今年は会えないかと思ったら、今日、出てきました。まだ、クリスマスバージョンですが・・・と思ったら、ビューと、長崎方面に飛んでいきました。

前にも書きましたが、この道は長崎に繋がる街道です。
島原のお殿様は長崎が貿易港であったため、監視のため、この道を通って長崎まで行っています。伊能忠敬も通り、千々石の宮崎庄屋に止宿しています。山頭火も通りました、もっとも宿を頼んだところ、全部断られたそうですが(前にも、書いたかな?)。もっとも、あの姿ではですね。

勝海舟、坂本龍馬一行も通ったことになっています。別に早駆街道というのがあり、そちらを辿ったという説もあります。

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問題は、ここの土手、松林ですが前にも書いたように、島原天草一揆の元凶といわれる、「松倉重政」が作ったものです。

島原半島を収めていたのが有馬一族。有馬晴信が岡本大八事件に巻き込まれ死罪。本当なら、お家没収ですが、晴信の息子の嫁が家康の遠縁だったため、息子は移封はされますが何もなし。あと、少しありますが、カットします。次に来たのが、松倉重政。

松倉重政の性格については、「島原半島史★林銑吉著」に次のように書いてあります。

「重政の人物に就いては諸記に総合するところをみると、如何にも豪放で淡白な資であったらしい、また剽悼で純情な一面も見えるようである。兎に角(とにかく)戦場往来の勇士であるから、相撲豪胆膽な範類の人であったようである。」

重政は最初有馬一族の日野江城に入りますが、交通の便、キリシタンがおおいため、島原に城を築きます。

諸本によれば、すぐに移城したようですが、「島原秘話★渋江鉄郎著」によれば

「新城地として多比良、深江、千々石、小浜と候補地を見て廻ったとき、千々石村に普請采配の技術を備えている人物が居ることを聞いた。そこで、和田四郎左衛門義長に白羽の矢が向けられた。」、和田氏は、中央の戦火を逃れ千々石に来ていたそうです。

和田氏は城ができた折には、「城代」にするといわれますが、城が完成する前に松倉重政は亡くなり、和田氏は、「城代にする」という言葉を忘れず、「城代」姓に改姓します。

なお、千々石に困ったことがないかと問われた時、田畑が潮風にやられ困っておりますと答えたそうですが、ここの土手と松林がなかったら、後ろの田畑はモロ塩害を受けます。上の展望所から見れば、すぐに納得できます。

それを聞き、松倉氏が命じ土手を築き、住民で松を植え現在の形になったそうです。

さて、この和田氏が「橘中佐」の祖先になるわけですが、しつっこい私、墓を調べに行きました。

途中、橘中佐の子孫、現在、橘神社の宮司をされていますが、墓のことを聞いたら、現在の墓は十何代目からの墓で、それ以前のは別の所にあるとかで、場所が良くわからないので、現在の墓所に行ってきました。

写真左が、2,3年前お父様が亡くなられたので新しく作られた墓。「橘」と書いてあります。右が橘中佐のお兄さん、「和田家十三代 橘常葉夫妻之奥津城」と彫ってあります。「奥津城」は神道式の墓に刻まれるもので、浄土真宗で言えば「~居士」といったものです。

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こちらには「城代」と書いてありますが、「城代甚右衛門義孝」の墓だけは「代」が「臺」になっていました。理由があるのか、昔は、当て字などが多かったのか・・・

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ということで、本当に、和田→城代→橘と変わったことが分かります。

「橘」姓は家の系図によるもので、12代目の「城代甚右衛門季隣(すえちか)」氏のときに、「橘」姓に変わったそうですが、「周太(橘中佐)」少年が7歳だった頃だったそうです。

さて、あとは昔の墓所を捜して調べる必要があるのですが、字が摩耗していないかどうかが問題です。

なお、松倉重政の子、松倉勝家については、「鍋島家譜」に次のようにあるそうです。

「松倉長門守者父二不似武を忘れ諸士を不愛女色を好ミ酒尓耽て・・・・」(南串山町古文書研究会「古記録抜書帳」より)

要るに親父と違い、武術を忘れ、臣下を愛することなく、女色と酒におぼれた、ということですが、この後、悪政を行い、キリシタンの取り締まりを厳しくし、「島原・天草一揆」が起こってくるわけです。

最後は、一揆の責任を取らされ、所領没収、斬首刑。切腹は許されず、大名らしからぬ亡くなり方をしています。



2017年12月23日 (土)

「大門松(橘神社)」VS「クリスマス・イルミネーション(上塩浜自治会)」~雲仙市千々石町

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忙しいときは忙しいもので、明後日、子供会でミニ門松を作るとかで、朝から檜の葉と松を切りに行こうかと思って、ひょっとお近くの橘樹神社へ行くと、大門松の飾り付けの松と檜が余っているじゃありませんか。これで、山まで行くこともなく。感謝です。

あと、砂を海岸まで取りに行きましたが、「疲れた」。要するに歳ですね。

で、昼から大門松完成竣工式と言うことで、出かけました。かわゆいワンちゃんもご見学。

若い女性2人ですが、なんと、橘中佐の銅像に向かって拝んでおられるんですね。初めて見ました。この間の「この、おじさん誰?」というアホな娘さんとは大違い、一緒になるならこのような女性ですね。


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というまに式典が始まり、最初は千々石中学校吹奏楽部による御神楽。人数が少なくなりましたが、中学校も少子化の影響を受け、人数が集まらない部もあり、しかたないところです。

息はぴったり合っていて、見事なものでした。「もってこい」の声もかかっていましたが、本踊り、舞の場合は、「ショモーヤレ」じゃなかったかなと思う、長崎生まれの私でした。


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関係者によるお祓い。

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「肥前千々石鉄砲隊」の皆さん。刀のつけ方も本格的。

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大将の号令で一斉射撃。なお、警察のお達しにより、20㍍(?)以内は立ち入り禁止で、上手い写真は撮れません。空砲なんですがね、音は大きいけど。

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と言うことで、昼が終わったら、夕方から「上塩浜自治会」の恒例の「クリスマス・
イルミネーション」。ここの自治会は、こどもの日、地蔵さん祭りと目を楽しませてくれます。


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灯りの材料はローソクにペットボトルをかぶせたもの。これ全部です。電気でやれば早いのでしょうが、やはり、ローソクの火は電気と違って暖かい気分になります。

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川の中のツリーも雰囲気があります。でも、どうやって、川の中に取り付けたのでしょう?ローソクに一本づつ火をつけて、ペットボトルをかぶせるんですよ。

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ここには、2体のお地蔵さんがありますが、クリスマスだから、ま、いいか。いつも夜は2人ぼっちだから、かえって賑やかで喜んでいるかな?

と、思っていると聞き慣れない言葉が聞こえてきて、多分外人さんみたいで、日本語で声をかけたら意外に通じ、お喋りなどして楽しみました。多分、この女の子、去年も来ていた記憶もあるのですが・・・


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子どもたちをもてなすためか、自治会の人が集まっていましたが、自治会のメンバーでこのようなイベントは良いですね。最近は、通勤の方が多くなり、近所づきあいも薄くなりましたが、このようなイベントで、自治会の団結力を再認識をするのも良いことだと思いました。

準備から実施、後片付けまで大変だと思いますが、来年も是非続けて貰いたいものです。


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さて、帰りがけいつも見ていく家を通りかかったら、いつものように、すごい飾り。

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私も、やってはみたかったのですが、カミサンから「のぼせることは、するな」と叱られました。


2017年12月22日 (金)

毎日読みたい「365日の広告コピー」~松浦弥太郎著

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数年前、「何度も読みたい 広告コピー」というのを紹介した覚えがありますが、この本も面白いですね。

ポスター、広告チラシ、毎日何気なく見ていますが、その中にコピーが書いてありますが、なかなか、ゆっくり読むことありません。こうして読んでみると良い言葉がたくさんあります。

少しばかり紹介をしたいと思いますが、行替えをしてあるところは/を入れています。せっかくだから、会社名、コピーライター名はCの後ろに入れておきます。

■「成功するまでやめへんかったら/失敗せえへん」
  ・澤野工房 ・C:山口有紀

なんと、下駄屋さんがつくったジャズレーベルのコピーだそうです。頑固親父から言われているみたいで、元気でますね。

■「辛い恋ならなら逃げちゃいなさい。/どこへ走っても未来だから」
  ・ハグママ ・C;小森谷友美

たしかに「逃げた」ほうが良い恋ってありますね。三十六計逃げるが勝ち。

■「わが子と話せる時間は、/悲しいほど、少ない。」
  ・カンロ飴 カンロ ・C;大野政仁

子どもが大きくなってくると、親とはしゃべらなくなる事が多くなります。特に、女の子は父親とは、ほとんどしゃべりません。ウチの子としゃべっていたのは、小学校の5年程度までだったかな?もっと、話しておけばとつくづく思います。

■「主婦になると値段が気になる。/母親になると産地が気になる」
  ・フクロウの朝市 風来樓 ・C:米田恵子

近年、健康志向が高まってきました。「母親」になると子どもの健康が気になるんですね。

■「男の浮気をなくすのは/戦争をなくすより難しいの。」
  ・IZAKAYAようこ ・C:勝浦雅彦

本当に、すみません (*_ _)人ゴメンナサイ


■「きになる、/はすぐに/すきになる。」
  ・札幌APIA JRタワー ・C:讃良奈央子

上手いですね。確かに、気になったら、好きになりますね。何回、経験したことか。

■「ペット不可。私にとっては、家族不可」
  ・ハウスメイト ・C:小林麻衣子

マンションは「ペット不可」のところが多いようですが、この間TVで「ペットと墓に入りたい、夫とは入りたくない」という奥様が意外と多いようでしたが、このコピー「夫不可」とした方が良いような。

■「引っ越しが少しさびしいのは、/しあわせだった証拠です」
  ・ハウスメイト ・C:小林麻衣子

「あの人と別れたのが少しさびしいのは/しあわせだった証拠です」。今になって、分かりました。

■「昔は安い酒で/夢のことばかり話していた。/最近は高い酒で/金のことばかり話している。」
  ・カラオケスナックさくら C:佐藤司郎

まったく、そのとおりで、言うことありません。

■「電波が届かないところにも、手紙は届く」
  ・日本郵便グループ ・C:富田安則

いまは、恋文もメールで送っているようですが、下手な字でも手紙は良いですよ。昔、彼女から貰った手紙を読み返しながら、つくづくそう思います。手紙は世界中届きます。北極の恋人にも届きます。

■「ヒトは、/本を読まねば/サルである」
  ・宝島 ・宅島拓矢 北田有一

今日も又、「本ばかり買ってきて!」とカミサンに叱られました。あの人全然本読まないからナ。

■「ひとりで、/抱えれば悩み。/話せば笑い話。」
  ・マタニィ ヨガ ・C:米田恵子

経験上、本当です。何でも抱え込まないで、人に話してみましょう。

■「花を好きなのは/母親似。/母を好きなのは/父親似。」
  ・イトーヨーカドー ・C:門田陽

できれば、「母を好きなのは/父親似。」は「父を好きなのは/母親似」にして貰いたいのですが、いまや、父親は家庭では、ウザイだの臭いだの嫌われていますから。

■「18歳の私に言いたい。/それ以上、食うなっ!」
  ・アトラス ・C:西村麻里

遅すぎます。

■「乗りたいクルマに迷ったら、/乗せたい人を思い浮かべればいい。」
  ・青森トヨペット ・C:松若理成

クルマ選びは悩みますね。私の車もそろそろ買い換え時なので、「乗せたい人を思い浮かべ」、クルマを選ぶ事に。「カミサン」だけは思い浮かべませんが。

■「逆風も、逆からみれば順風だよね。」
  ・タフマン ヤクルト本社 ・C:野原ひとし

とまあ、励まされたり、笑ったり、しみじみしたり、いろいろありますが、買って読んで見てください。あなたの人生、少しは変わるかもしれません。




2017年12月21日 (木)

「い・さ・は・や・な・う」~諫早駅周辺

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昨日、久しぶりに諫早に行ったら、諫早駅の工事の早いこと、早いこと。お湯をかけて3分間の感じ。

以前は、平屋だったのですが、多分上の方は食堂とか土産物屋さんにして、地域活性化をはかる予定でしょうが。


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駅前の商店街ですが、お店屋さんがかなり変わりました。

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一番変わったのが、「西友」。できた当初は華やかだったのですが、親会社の経営が思わしくなく、他の会社に身売りしますが、それでも思わしくなく、ついに閉店になりました。

開店当時はカルチャーセンターまであって、私も太極拳を習いに行っていたのですが。

駅の開業にあわせ、利用する予定もあるとか聞きましたが、現在、郊外店が増えているのでどうなんでしょう。


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入り口も閉まったまま。歩道橋あたりに宝くじ屋さんがあり、そこの女の子が買った宝くじが一億円当たり、次の日から姿が消えたそうです。都市伝説でしょうが。

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裏通りも随分変わりました。フィリピンバーがあったはずなのですが、消えてしまいました。2時間で4万円ばかり取られましたが。で、お昼は暇なので、「どっか連れてって」と電話番号まで教えてくれました。あとは、どうなったか?・・・・考えれば分かるでしょう heart02

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何となく、フラッと入りたくなるスナック。「三代目」がいいですね。

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「なるほど」ですね。長崎の「ちゃんぽん」は良いですよ、お野菜(キャベツ、にんじん、タマネギ、もやし等)たっぷり。お肉に、イカ、貝(お店によって違いますが)。麺は炭水化物。食べようと思ったら店休日。

スナックで「かくれんぼ」してどうするんでしょう。私は、鬼の方が良いナ。


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「くすり」という薬屋さん。周りをまわって見ましたが、お店の名前は他には見えず、はやり店名「くすり」ですね。

「ケーキハウス」。買おうと思ったのですが、血糖値が上げっていて、我慢、我慢。


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「しらぬひ薬局」という居酒屋さん。昼なので、暖簾は出ていません。入ったら、「とりあえずビール、おつまみはバイアグラね」。

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ちょうどお昼になったので、先月入ろうかと思ったら、満杯で食べられなかったお店。ちょうどカウンターが一つ空いていたので、食べてきました。ここ、いつも満席です。中の写真を撮ろうと思ったら、とても、とても。何しろ、弱気な私。

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いうことで、駅の周辺をブラリしましたが、新幹線はどうなるのでしょう。新幹線の線路の規格と、在来線の規格が違うので、なんとか、という技法を取るらしいのですが、これが上手くいってないようなのですが・・・
 

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