旅行・地域

2022年12月 1日 (木)

島原城築城400年~島原市

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島原城は2024年(平成6年)に築城400年を迎えます。

島原半島を収めていた有馬晴信が岡本大八事件で失脚。松倉重政は大阪夏の陣の戦いで武功を挙げ、大和国より島原半島へ。なお、大和国では名君であったそうです。


最初は有馬の日野江城、原城によるも「一国一城令」があり、城が狭く、交通の便、有馬地方には隠れキリシタンが多く、また、松倉重政は築城に造詣が深かったためか、島原森岳に元和四年(1618)より寛永元年(1624)にかけ島原城を築城。


松倉重政は最初はキリシタンに対し寛容であったものの、寛永二年、参勤した際、将軍家光からキリシタンに対し取り締まりが温和で徹底しないことを叱責され、それ以降キリシタンに対する態度を一変させています。


なお司馬遼太郎氏によれば「日本史の中で、松倉重政という人物ほど忌むべき存在は少ない。」と書かれていいるも、千々石の海岸近くの田畑が潮風で難儀していると聞くと、松を植えさせ防風林(豊後の松原の名前あり)にしたとか、小浜町、南串山に溜め池などを作ったという話が伝わっています。


なお、松倉重政は小浜温泉にて亡くなりますが、病死とも暗殺とも。

島原城は2024年に築城400年を迎えますが、回りを囲ってお色直し中。工事幕には絵が描かれていますが、九州産業大造形短期大学造形芸術学科の学生さんがデザインし、島原のシンボル島原城、平成新山、鯉、寒ざらし、具雑煮が絵柄になっています。展示は来年の1月までだそうです。写真は正面、西の櫓の庭、同三階から撮影したものです。撮影の参考までに。


2022年11月23日 (水)

2022 橘神社大門松建立始まる~雲仙市千々石町

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今日、朝から大門松建方安全祈願祭が執り行われましたが、これには間に合わず早くも作業が始まっていました。

今日は土台作り。来週が竹を運び込み、土台に竹を生け込む作業だそうです。


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小休止中ですが、皆さんボランティアで仕事を持たれている方もいるので、作業は日曜日が主になります。

右は昨年の竣工式の時の写真です。今年は多分12月25日が竣工式になるようですが詳しくは後日。


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2022年11月20日 (日)

2022 三十路苑紅葉情報(雲仙市小浜町)

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紅葉名所、三十路苑が昨日開園ということで行ってきました。日曜日で天気も悪くはなく、かなりのお客さんが来ていました。

初めて来たのが2011年。年によって紅葉の赤味が違うようです。最近暖かったせいか、まだまだでした。寒が強くなればもっと赤くなるかとは思うのですが。


昨年の紅葉は最高でした。最後に写真を貼っておきます。6,7名の写真のグループの方が撮影会をしていましたが、雰囲気があるところなので、いいですね。

写真はクリックすると大きく見られます。なお、撮影は例によってiPhone12mini。


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右の写真が昨年11月20日の様子です。こんなに赤くなれば良いのですが。

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2022年11月13日 (日)

ザッとした読書感想文なのですが(^_^)(10月~11月中旬読了)


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◆「パンとサーカス」~島田雅彦著


東京新聞に2020年7月~2021年8月に連載。今年3月に出版。CIA、右翼フィクサー、ヤクザ2代目、テロ、ホームレス詩人等々出てきて、ダイナミックスな展開になります。
現在の日本の状況を先取りした感もあり、ベストセラー。なお、本書についてはYouTubeで作者がイロイロと語っているので、そちらで見られた方がよろしいかと。

なお、多少、駄洒落かな、という部分もあり、登場人物「砂漠谷絵里」はキリスト最後の第5の言葉「エリ・エリ・ラマ・サバクタニ(福音書によって違いあり)」だろうし、「桜田マリア」の「桜田」は建設家ガウディが設計し建設中の教会「サグラダ・ファミリア」を連想させ、その中の18基の尖塔の中で2番目に高いのが「聖母マリアの塔」。ほかにも探せばイロイロとあります。ただ、この小説、分厚いのが欠点ですが一気読みしました。

◆「この世の果ての殺人」~荒木あかね著


腰巻きに「江戸川乱歩賞受賞(史上最年少、満場一致)」「大新人時代の本命」などと書かれているので買ってきました。美人を見ると、ついフラフラと近寄るのと一緒ですね。


最後の結末は”○○滅亡”というのは分かっているのですが、その中で起こる殺人事件と謎解き、変わった小説でした。登場人物がキャラだっていて、あるときはコメディ小説かと。

◆「にゃんこ四文字熟語辞典」~西川清史著


表紙に四文字熟語が並んでいますが、熟語にピッタリの猫の姿の写真が載せてあり、兎に角面白いので多少落ち込み気味の方にお勧めです。


◆「ちいかわ」~ナガノ著


「ちいかわ」って、多分「小さくて可愛い」と思っていたのですが「なんか小さくてかわいいやつ」だそうです。


◆「大ピンチずかん」~鈴木のりたけ著


勤めていた頃、隣に座っていた同僚が、取引相手と電話で話をしていました。よほどムカッとしたのか、電話を受話器に置きつつ「バカヤロー」と言ったのですが、相手がまだ受話器を下ろしてなく「バカヤロー」が聞こえており、ソッコー相手から電話があり、同僚、受話器の前で土下座をしておりました。


大人になってからの「大ピンチ」は大変ですが、子供の頃の「大ピンチ」は懐かしい。表紙の絵のように、牛乳をこぼすのも子供には「大ピンチ」。子供の頃を思い出しながら楽しんで読みました。

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◆「歴史学者という病」~本郷和人著

本郷氏は東京大学史料編纂所教授。奥様が所長という最悪の夫婦関係。最も本郷氏は満足をしておられるようですが。
本郷氏が小さいときに歴史に興味を持ち現在に至るまで、歴史をどのように勉強し、考えてきたかが書いてありますが、確かに歴史の見方は歴史学によって変わっていくことが分かる本でした。例えば「皇国史観の理論的支柱の一人だった平泉澄先生」、「土一揆、つまり室町時代に頻発した農民たちの反乱ーを卒論のテーマにしたいと申し出た帝大の教え子に向かって『豚(注:農民の事)に歴史はありますか?』と発し蔑視を向けたという逸話が残っている。」今は、このような史観を持った方はおられないと思うのですが、あ!失礼<(_ _)>、国会議員の先生方には未だにおられますネ。「国民より政治が大事」なんて。

なお、裏表紙を読めば大体の内容は分かります。クリックすれば拡大をします。


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◆「月刊住職9号」

こんな月刊誌があるとは知りませんでした。一般書店にはありませんがAmazonあたりで買えます。


「現代人に『地獄』をいかに説くか」「お参りしやすいお寺にする実践集」「戦争に不殺生を貫く釈尊と武器を取った比丘を認めた仏典の真意」「マスクの日常化を寺から見直す」「悪魔により食を得られない釈尊」「認知症高齢者と共に歩む僧実記」「江戸文化の怪談劇が今に続く訳」「統一教会刑事民事判決の現実」等々、イロイロとバラエティーに富んでおります。


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◆「絶滅動物物語」~うすくら

ビッグコミック連載中の漫画ですが、単行本で出たので購入しました。


動物の絶滅は今まで5回あるそうです。氷河期の到来、隕石の衝突、気候変動、自然環境の激変、生存競争等。現代は6回目の「大絶滅」だそうです。1600年以降に絶滅した動物は700種。原因は勿論「人間」。

動物ならず、自然環境の破壊の原因も「人間」。自然が絶滅するときは人類も絶滅するときなのですが。

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◆「こどもSDGsブック」~古沢広祐著

少し前、長崎新聞に「SDGs」の特集が載せてありました。イマイチというより完全に理解できず、こども向けに書いた本なら分かるだろうと買ってきました。
で、読んでみると「SDGs」には17の目標と169の達成基準と232の指標があるそうです(゚Д゚)。以前、企画書の作り方の本が沢山出版されました。そのなかで「企画書は3行で書け」というのがありました・・・

「SDGs」を「持続可能」と説明している方もいますが、「持続可能」とは、なんのこっちゃ、と思うのですが、少し歳を召された御夫婦の話を聞きました。


久しぶりにお二人で御旅行にいかれたそうです。久しぶりだから、事に及んだそうです。一戦終了後、奥様が旦那様のあそこを愛(いと)おしく撫でながら「もうダメなの?昔は、持続可能、だったのにネ」と言われたそうです。で、私、これで「持続可能」の意味が100%分かったのありました(個人的感想)。


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◆「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」~金間大介著

最近Twitterなどを見ていると、若い方の考えが分からない部分があります。この本、別に買う気はなかったのですが「競争より協調」協調より同調」という字が目に入ってきて、なんとなく気になったので買ってきました。著者は大学の先生、毎日若い方と付き合っています。

さて、次のような事も書いてありました。「大学生が選ぶ嫌いな講義ランキング」。1位がなんと「当てられる」(多分、発表を指名される、でしょう。)小学校の時の私の同級生、分からなくても手を挙げていたのもいました。


世代を「団塊の世代」「団塊Jr」「ゆとり世代」「Z世代」等々、一括りに評価するのは嫌いなのですが、今の若い方の理解に少しは役立つかと思います。帯を見ていただくと、若い方の姿が浮かび上がります。



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◆「維新ぎらい」~大石あきこ

橋本元大阪府知事が職員を前に訓示をしたとき、一人の女性が橋本氏に噛みつきました。ホンマかいなと思いました。国会においても首相を「犬」と言いました。多分、大炎上をするかと思ったら、そうでもなく、たぶん、皆さんそう思っているのではないでしょうか。昔、国会で「バカヤロー解散」というのがありましたが、今の国会など解散した方が良いようなので、大石あきこさん「バカヤロー解散」をしてもらいたいものです。


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2022年10月28日 (金)

島原鉄道開業65周年記念切符

鉄道の日は10月14日でした。
島原鉄道開業65年周年記念切符は1967年(昭和51年)に発売。

上から2枚は第1号機関車。1911年(明治44年)に鉄道院から払い下げ。島原鉄道は1913年に全線開通。島原霊丘公園で盛大な祝賀会が催されたそうです。

記念切符の裏側は会社、店の宣伝になっています。各写真はクリックすると拡大します。

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2022年10月23日 (日)

2022「千々石温泉神社」秋季大祭

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昨日22日がお下り、今日23日がお上りでした。千々石は7名(地区)あり順番に祭りの当番があります。今年は「下峰名」の当番。

コロナ以前は3日間の開催で、初日がお下り、二日目が演芸大会、三日目がお上り。コロナが流行った年に中止、それから一日予定でお下り、お上りのみの実施。今年は二日日程で、宴会大会は無しでした。


以前、御神輿は担いでいきましたが、現在は台車に乗せ引っ張っていきます。若者が少ないところではトラックに乗せて行くところもありました。


「御花」。以前は沢山付けている子を見かけましたが・・・


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伝説の「チンつり石のカッパ」さん、見事な鯛が釣れていました。

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お下りの道にはしめ縄が張ってあります。

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小さい子でもチャンと参加。今年の当番長は「下峰」で、奉納踊りが「鍬踊り」。鍬(作り物)を持って踊ります。

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お下りの道々、数カ所で踊りを披露。子供と大人の分がありますが、子供さん以外と多いようでした。

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女性の道踊り。結構暑かったので、歩いて踊りを披露するのは大変です。

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神輿を台車から下ろして、そのまま御旅所に入れようとしたら、古老の方から「回せ~」という声が掛けられ、担ぎましたが「回る」のはありませんでした。

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御旅所でも踊りの奉納。「鍬踊り」。左が子供組、右が大人組。やはり迫力が違いますが、次の当番の時には負けないように踊れると思います。

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女性の道踊り。

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「猿田彦」さん、子供がお好きなようで・・・
右が以前の「御旅所」。事情があって、今の福石公園に変わりましたが、なんとなく寂しげな風景でした。

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今日はルートを変えて、午前中お上りでした。




2022年10月17日 (月)

2022/10/16 白木峰のコスモス&iPhone12miniでの撮影

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毎年、訪れている諫早の白木峰コスモス園ですが、昨年から体力がガッタと落ち込んで行く気力もなかったのですが、孫が来たので連れて行ってみました。

日曜日、到着が午前9時30分頃。駐車場が混んでいるかと思ったら意外とスカスカでした。


さて、写真を撮るとき、ミラーレス一眼、デジカメ、スマホと三台で撮っているのですが、アマチュアでブログ、Facebook程度だったらスマホが一番撮れるので、段々とスマホで撮る機会が多くなってきました。特に、陰と明るい風景がある部分では露出のバランスが上手です。


ここに貼っている写真は全部iPhone12miniで撮ったものばかりです。参考までに。クリックすると拡大します。


で、iPhone14Proが欲しいんです。古文書を勉強しているのですが、特に接写ができて、細かい所が拡大できて便利なのです・・・ただ、お値段がということです。


思い出しましたが、新聞記者さんを案内したとき、スマホで写真を撮っている記者さんがおりました「こちらの方が良いですね」だって。

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2022年10月 2日 (日)

「阿波踊り」~思い出したことがあったので

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阿波踊りについては、以前下の写真と共に2回ほど紹介をしたと思います。

色々な機関、団体等の関係、コロナの影響で中止になっていましたが、今年開会。残念ながら踊り子さんにコロナが出たそうです。


で、思い出した話があったので・・・「阿波踊り」については、数十年前、永六輔さんが深夜放送で、阿波踊りは右手、右足を同時に出す。という話をされていたと思います。


普通歩くとき、右手と右足を出すことはありません。昔、夏休みのラジオ体操の時、毎日、参加者が順番に前に立って演技をしていましたが、ワタシの当番の時、行進の部分で右手と右足を出すという失態をしでかし、皆から笑われたことがありました。


さて、この同じ側の手と足を出して踊るというのは、他にもあるようで、息子が沖縄で結婚式を挙げ、最後にカチャーシーを踊りましたが、あれも阿波踊りと一緒で、同じ側の手と足を出します。


諫早の皿踊りも一緒。諫早の方で、今、生きていれば超100歳の方から「昔の皿踊りはこうだよ」と踊ったら、阿波踊りの男踊りとまったく一緒の動きでした。


たしか、東京オリンピックの前だったか「ナンバ走り」という走り方が紹介をされたことがあったと思います。右手と右足、同じ側の手と足を出すのは上に書いた踊りと同じです。ということを考えると、この動作が日本人の基本的な動きではないかと思うのです。

今、子どもを対象にしたダンス教室、スポーツ教室等が盛んですがこれを取り入れれば面白いとは思うのですが。

なお、諫早の皿踊りについて「諌早史談」(田中為一箸)に「座敷踊りとしては余り単調すぎて足など高く上げすぎるきらいもあるが、それだけに野趣も満々といったところである。数年前中央の有名な舞踊家に依頼して近代的なセンスで振りつけをしてもらい今その普及をはかっているので、皿おどりも従来のものよりうんと上品さを増し一般の人々にも歓迎されている。」とのことです。

祭りの近代化は、観光資源、地域の活性化、交流のために必要ですが、昔の姿も残しておいて欲しいと思うのです。
阿波踊りの昔の姿を眺めつつ。


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2022年9月 9日 (金)

空照上人、雲仙の事について★まとめ②~終わり


③大黒天脇の石像について


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先日、大黒天脇の空照上人の件で投稿し、石塔が「二本」と書きましたが、諫早史談会のO氏から、二本の石塔は元は一本ではないか?また文字については「是二行者空照法師頭髪納埋塔也」ではないかとの指摘をいただきました。

後日確認に行き、埋もれた部分を少し掘ってみると「生存」という字が見えました。左の石塔は「是二行者空照法師生存」。


右の文字については一番上の文字が「友」のような感じなのですが、O氏のヒントと次に紹介する田代原の石碑「空照上人壹百日修行頭髪塚」から「髪」ではないかと推測すれば「是二行者空照法師生存髪(または”頭髪”)納埋塔也」でピッタリするかと思います。


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④田代原の石塚について

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田代原の集落の中に上のように石仏等を祀った場所があります。右から3番目が「空照上人壹百日頭髪塚」。

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「空照上人壹百日修行頭髪塚」と刻まれています。

一番下段には「三會信者一同謹建」。右側面「昭和九稔/三月十三日/𦾔正月廿八日」。昭和9年3月13日は旧暦1月28日。


この「頭髪塚」については、管理人さんによれば、他所に建てる予定であったが、都合があり、こちらに頼まれたとの事でした。

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一応のまとめです。これまで書いた事と重複をしますが。

行基洞については、行った事がないので詳細がわかりませんが、入口付近に仏像、台座に「温泉信者中」とありますが、多分行基の像だと思われるので、行基の信者さんだと思われます。


高岩山の立像の所には「開山空照法師 昭和8年見岳名」と刻まれています。 


大黒天の石像には「是二行者空照法師生存髪(頭髪)納埋塔也」「昭和6年1月29日」。これには建立者の名は刻まれていません。

田代原の塚には「空照上人壹百日修行頭髪塚」「昭和9年3月13日」「三会村信者一同謹建」。

西有家郷土誌には「昭和六年に、空照法師が百日修行をされたところだろう。」と書かれているので、高岩山、大黒天、田代原の石塔等などから見ると、昭和6年の百日修行は間違いないと思われます。


さて、雲仙は昭和9年に国立公園に指定をされていますが、昭和2年には「日本新八景」に選ばれています。日本で2番目のゴルフ場が大正2年に開場、大正末から昭和初期にかけて、斎藤茂吉、吉井勇、タゴール、秩父宮、嘉納治五郎、徳富蘇峰、早川雪洲等々が雲仙を訪れています。雲仙はかなり人の往来があったと思われます。千日行などをTVで見ると、厳しい山中を駆け抜けるシーンがありますが、空照上人も人知れない山中で修行を積まれた事と思い
ます。なお、昭和初期のことなので、もっと資料があるとは思ったのですが意外とないのですね。

大黒天、田代原の「髪」の事です。空照上人は剃髪をしているはずなのに、と考えていると・・・100日間の修行中は髪は剃れないので、いくらかは伸びていたはずで、修行後は又剃ったはずです。信者の方は百日修行の記念として、この髪を埋めたのではないかと思われます。


もう一つ、大黒天のところの石像については、この別所には修行僧の僧坊が700坊あり、修行の場のメッカであり、大黒天もあるので、この場所に空照法師の頭髪が記念に埋められたのではないかと思うのです。

いずれにしても、田代原と大黒天の所に実際の頭髪が埋められているということです。


2022年9月 4日 (日)

空照上人、雲仙の事について★まとめ➀


空照上人について以前書いたことがあり、また、あちらこちらのブログで単発的に書いてありますが、主に雲仙を中心にしてまとめてみました。2回に分けてみます。


空照上人のことは、西有家町郷土誌に記述があります。また、上人
の石像、塔については❶高岩山中の立像❷一切経の滝の行基洞(別名空照洞)❸別所ダム大黒天の下の石造➍田代原集落の「百日修行頭髪塚」があるので、この順で説明をおこないます。

最初に、西有家町の郷土誌より空照上人についての概略です。


空照師は真言宗の僧、佐賀県東多久市出身。大正11年に島原地震が起こり、大正12年には関東大震災が起こります。当時、南有馬村で病気を治すという霊験を現していた空照(当時40歳程度)にお願いし、西有家八十八ヵ所の設置を行います。


空照上人は八十八ヵ所霊場を祈願し、行基(日本山大乗院満妙寺開基)に因んで、行基洞(空照洞ともいう)で二十一日間業を行い、その後、ふるさとの東多久に帰られたそうです。


なお、この間、雲仙で百日修行をされたそうです。また、空照上人の出身地が佐賀県東多久市ということで、多少調べて見ましたが不明。


❶高岩さんの立像について


「西有家郷土誌」からまとめてみました。


高岩さんに登る途中、登山道の途中から左側の山中に入って行ったところ。ワタクシも入っては見たものの元来の方向音痴で、行き着ききれませんでした。なにごとも案内は必要。


写真は西有家郷土誌より。台周りは1.2m四方。高さ1.5m。石積みで石造の高さ60~70㎝。台には「開山空照師 昭和八年見岳名中」と刻んであります。
「見岳」は西有家町の地区名。郷土誌に「昭和6年に、空照和尚が百日修行をされた所だろう。」の記述あり。

なお、この地点から150m位の所に洞があり「西有家四国奥ノ院一夜大師」。「一夜大師」の名前については「見岳名の信者が、セメント、砂などを担ぎ上げ、一夜で完成させた・・・」との記述あり。


また、「空照立像から200m降りたところにも大師堂を見つける。ここも明らかに修行場で空缶、空びんがあるるので、訪れた人が居たのではないかと思われる。空照大師が、ここでも修行されたのかもわからない。・・・」、との記述あり。ただ、「大師堂」についてはどのようなものか不明。

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(西有家郷土誌より)

「一夜大師」は「新四国八十八か所番外奥ノ院」。


❷一切経の滝行基洞(別名空照洞)


一切経の滝から少し下り、右側の斜面を登ったところ。ただ、3回トライするも分からず。

洞が三つあるらしく、一番入口には2体の石仏。一つは多分「行基」だと思われる。台座に「温泉信者中」。小さい方は「三鈷」らしいものを持っているので弘法さんか?一番奥に石仏が置かれていたらしいのですが詳細は不明。

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右の案内標識は現在あるかどうかは不明。

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(ブログ「私は、島原半島にいます」より)

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四国四十四番札所伊豫国大寶寺


一切経の滝の所「四十九番所伊豫国浄土寺」があります。右の写真。

なお、空照法師は八十八ヵ所霊場を祈願し行基洞で二十日修行をしたそうです。

 

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