旅行・地域

2020年9月 7日 (月)

嵐の後の「橘湾」

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昨日の台風、かって経験したことのない、とかTVなどで放送をしていました。

市の防災無線でしきりに避難するように放送があって、私も避難準備をしていたら、カミサンがなにもしていないので「どうするんだ?」と聞くと「家にいる」という事で、死ぬときは一緒だと決めているので、二人で家にいることにしました。


最大風速が60m位だというので、多分、家が吹っ飛ぶだろうなと覚悟を決めていた所、あまり風も吹かず、明け方にしばらくゴーッという音がして、家が多少ミシミシという音がしましたが、まったくの無事でした。前に来た台風9号が海面の温度を下げ、気圧が下がって多少勢力が弱まったとか。


市の警報が解除されたので、橘湾に行ってみました。


以前にも書きましたが、この海は「千々石湾」「千々石灘」と言われていましたが、橘湾を望む上山(じょうやま)に橘中佐の像が建立された折「橘湾」名付けられました。


左が一番最初に立てられた上山ですが、橘中佐の銅像が臨んでいる海が橘湾。敗戦後、進駐軍から接収される恐れがあるという事で、某所に隠され、今は橘公園の入り口に建てられています。(以前、紹介しています)


下に見える家が全部藁葺屋根です。右の写真が橘中佐の生家。一部は橘神社の社務所前に移転をしています。現在、家はなく、記念碑が建ててあります。


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閑話休題。
橘湾に行ってみたら、海は荒れているものの、わ~、と言うほどではなく、ただ、カモメが遊んで、群れ飛んでいる状況でした。一応、良い鳥も悪い鳥も、危険な所で遊ばないように注意はしてきました。

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海の向こう側に崖がありますが、千々石断層です。この下を温泉鉄道が走っていました。


2020年8月31日 (月)

千々石海岸の外人さん~絵葉書をよく見れば

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以前、千々石にあった「千々石ホテル」の事をかきました→こちらをクリック。

上は「千々石ホテル」発行の絵葉書集ですが、右は千々石ホテルの裏側みたいで、下に写っている石垣は現在もあります。


このホテルは上の表紙に見るように、外国人向けだということが分かります。千々石は海岸と松原が美しく、また、雲仙、小浜に行くにも便利で、外人が遊びに来ていたと言われています。


雲仙の絵葉書には外国人が写ったものが多く残されていますが、千々石の絵葉書などには外国人の姿が写されたものがありません。ただ、長崎歴史博物館にロシア人の雲仙、小浜等の旅行案内書があり、この中の千々石海岸風景に外国人(旅行案内の著者?)が写っているのがありましたが、掲載するには手続きが面倒なのでいつの日にか・・・


さて、千々石、小浜を中心に絵葉書を集めていますが、島原半島で絵葉書が多いのが雲仙、小浜、次いで、島原と千々石が同じ程度と、千々石の絵葉書が多いのが意外です。他の町村のものはほとんどありませんでした。


雲仙、小浜に行く途中なのでそのせいかなどとは思いますが、はやり、千々石は風光明媚で外国人が訪れていたせいかなどと思いはするのですが。


絵葉書が少し溜まってきたので、整理をしていたら下の絵葉書が目にとまり、一番上が千々石海岸、真ん中が雲仙絹笠山の測候所(いまはありません)、一番下が雲仙のゴルフ場。


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おやっと思って千々石海岸を拡大すると、外人さんですね。男性1名、女性3名。写真はクリックすると拡大しますが、特に女性の服装、帽子を見ると外人さんだと分かります。時代がいつなのかは判断できないのが残念ですが。いずれにしても、外国人が訪れていたことが分かります。

海岸の家は茅葺きになっています。右手の山は、釜山、猿葉山。遠くにみえるのが雲仙岳。


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古い絵葉書はよく見ると、いろんな発見があって楽しいものです。



2020年8月29日 (土)

「千々石の松原」と「長崎福田の千本木松原」~こんな間違いも!

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   (各写真はクリックするとハッキリと拡大します)

上の絵葉書は先日「二つの『千々石橋』」ということで紹介した物です。→こちらをクリック


下は裏側で「Bridge Chijiwa Japan」と英文で書いてあります。絵葉書として使ったかどうかは疑問なのですが。


絵葉書としては「日本の千々石の橋」ということで書いてもあり、風景も千々石川そのままでなので信じていたらですね。


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下のような絵葉書を見つけ、上の写真より下流で撮ったのか、と思って説明を見たら、なんと「長崎福田千本松原の景」となっているんで、ビックリしました(°0°)。

で、また、私、チョンボして間違えたかと思い何人かの人に聞いたら、「これ、千々石でしょう」という事だったので、よく比較すると特徴的なのが二本の松の傾き加減、橋の様子は一緒です。一緒の風景ということは分かります。


長崎の福田というと福田遊園地(正式名称:長崎遊園地)があったところで、小さい頃は2,3回遊びに行きましたが、「千本木松原」などは見たこともありませんでした。


しかし、心配は心配だったので、福田の地域センターに問い合わせると、歴史に詳しい方がいるので聞いてみますと、親切な対応をしていただきました。


2,3日後、連絡をいただき、福田にはこの風景はないとの事で、やはり「千々石」が正解でした。絵葉書屋さんの間違いでしょうが、こんな事もあるのですね。


あちらこちらの、史跡の看板の説明、町の歴史のパンフレット等々を見ると、時々間違いが見受けられます。皆さんも、ちゃんと書いてあるから正しい、とは思わないように。


この絵葉書も、私が手にして調べなかったら「福田」と思われ続けていたでしょう。


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現在、福田の千本松原の松は松食い虫で枯れてしまっているそうです。下の絵葉書はかっての「福田の千本松原」の風景に間違いないとの事でした。なんとも、良い風景ですね。

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2020年8月20日 (木)

長崎県「小浜~雲仙」の登山道路~古写真より

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雲仙に車で登る道路は増えましたが、主な道路は島原、千々石(以前は狭い道でしたが、拡張して使う人も多くなりました)、そして、小浜から登る道路があります。

一応、小浜道路の関係あるところを書けば、


・慶応 3年(1867)4月29日イギリス人二人、茂木・小浜を経て雲仙登山、小地獄にて逮捕され長崎へ護送。

・明治22年(1895)小浜~温泉(うんぜん・雲仙)間登山車道建設が始まる。
・明治43年(1910)千々石水力発電所が発電を開始。小浜の町の夜に美観を添える。
・明治44年(1911)温泉、日本初「県立温泉(うんぜん)公園」として発足。
             温泉・小浜に電灯がともる。
             英国人ジョン・フィンドレー氏、スチュードベイカー(車名)にて温泉(雲仙)にくる。
             乗合自動車(5人乗り)も小浜~温泉(雲仙)間を走る。運賃一人20銭。
・大正11年(1922)小浜~温泉(雲仙)間にバス運行。
・大正15年(1026)小浜~温泉(雲仙)間の自動車道路が完成。
・昭和 9年(1934)雲仙が国立公園に指定。「温泉(うんぜん)公園」を「雲仙公園」に統一変更。

読んでみると、自動車道路が完成する前に、車は通っていたことが分かります。


上と下の絵葉書、似ているようで多少違いがあります。電柱の数、標識の内容。


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上の写真より、電柱が増えています。家の形、ガードレールは一緒かな、という感じ。

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標識を拡大したら、左は「Road to Unzen」のみ、右は「温泉公園」の文字が入っているので、明治44年以降だと分かります。 道路工事は明治22年に始まるので、一番上の写真は明治22年から、「県立温泉公園」に指定された明治44年の間かな、という気もするのですが・・・

右の写真、標柱の小さな看板の文字が全然分からす残念なのですが、縦に書かれた文字、多分「二十歳(才)以下の人は酒を飲んではなりません?????をお通り下さい」と読めるのですが、小浜は飲み屋さんが多かったので「二十歳以下の人は・・・」と書いたのかな?「????をお通り下さい」は、どこを通るのか気になるのですが・


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下の写真は、明治2年発行の「雲仙」(雲仙岳後援會発行)からの写真で、小浜~雲仙間の道路です。今は立派な道路になっていますが、昭和の初めの姿は舗装もなかったということですね。

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「雲仙お山の情報館」から提供していただいた写真です。時代は分かりませんが、戦後ですね。こんな洒落たバスもあったんですね。左はゴルフ場横。中の写真、真ん中の少し上に白っぽい所が見えますが、ゴルフ場と思われます。ということは、バスが走っているところは温泉街から仁田峠までの循環道路。右の写真は完全に循環道路。おっかない所を走っていたんですね。

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このバス、もったいないですね。今、レトロ時代、このバス復活させたら、絶対に評判になると思うのですが。

以上、「雲仙お山の情報館」写真。「湯けむりの記憶(西暦2000年・平成12年記念)」(雲仙市ビジターセンター協議会発行)。「小浜史談」(小浜町史談編集委員会刊)を参考にしました。




2020年8月11日 (火)

橘神社「夏詣」&「湯立祭」

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橘神社で「湯立祭」があるとかで、お近くだから出かけてみました。

御手洗(みたらし)。花が浮かべてあり、「花手水」というらしく、とてもきれいでした。いつもの地元「ひまわりTV」さん。


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「夏詣」の文字。「夏詣」は東京浅草神社が発祥だそうです。一年の初めは「初詣」。後の半年を無事過ごせるように「夏詣」を始めたそうです。詳しくは、こちらをクリック→「浅草神社」

「夏詣」は長崎県では「御館山稲荷神社」、「小浜神社」、「橘神社」で実施しているそうです。「橘神社」は今年が初めてだそうです。


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最初に、神事があり祝詞など、続いて「湯立祭」。
最初に巫女さんのお神楽。お湯の所と、四隅で神楽舞。

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続いて、橘神社の宮司さんが刀を持って、お湯の所で、えぃ!やっ!と気合いを入れて、次に、最初の写真のようにお湯に手を入れるというより、掻き出すという感じで、すごかった。続いて竹の大きな御幣で勢いよく、お湯をかき回す!かき回す!写真に見るように、お湯があふれ出て・・・すごい迫力。

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次に、多分、他の神社の宮司さんだと思われますが、笹の付いた竹で、お湯を、見ている方に湯滴がかかるように、勢いよく振りかけます。この湯滴を浴びると無業息災、コロナ退散になり、私もたっぷりと浴びてきました。
 
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心配された雨は降らずにすみ、「肥前千々石鉄砲隊」の奉納演武。コロナ退散の祈りも込め・・・空砲とはいえ、いつものようにすごい轟音と煙幕。

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最後に、湯立神楽につかった竹の笹をいただきました。今日のメンバーの皆様。

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ということで、予定されていた、ミニコンサート、出店は中止になったものの、皆さんの無病息災、悪病退散を願う「夏詣」「湯立祭」は素晴らしいものでした。また、来年も開催されると思います。日程は橘神社のホームページ、Facebookなどでご確認のほどを。来年はお越しのほどを。


2020年7月23日 (木)

「小浜鉄道のトンネル」★私としたことがm(_ _)mそして「パールバックと木津」

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                                       (GoogleEarthより)

7月12日の記事で小浜鉄道のトンネルについて書きました。→こちらをクリック。

その折り、左の写真を「絶対に『富津トンネルだ』」と書きましたが、私のチョンボでした。トンネルの写真を見ているうちに、アレ、後ろに移っている所「木津」じゃない?と思ったわけです。


右のGoogleEarthの地図はクリックすると拡大します。トンネルは3ヵ所。分かりやすく、上から1号トンネル、2号トンネル、3号トンネルとします。地図の上の方から出発すると、第1号トンネルの出口からは木津は全く見えません。


第2号トンネルの出口しか該当する所はありません。ということで、行ってみました。ところが、出口の右側は木が生い茂り、海側は全く見えません。


トンネルの出口から50メートルほどのところに、茂みが切れているところがあったので見ると、木津が意外と近くに見えます。一番上の写真の風景と比べれば、この1号トンネルの出口から撮影したことが分かります。


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下の写真は富津の風景です。富津・木津方面が見えるのは3号トンネルの入り口ですが、家があって見えません、というより、入り口で写真を撮ると、海は左側になり、一番上の写真は右側に海が見えるので、こちらのトンネルから撮った風景では無いことが分かります。

前の記事で偉そうに「富津トンネル」と書いたのは、私の全くのチョンボでした。1号トンネルと2号トンネルは千々石にあるので、「千々石トンネル」が正解。


「Kitsu Tunnel」と写真の説明に書いてあるのは、木津の風景が写っているので、木津トンネルと書いたのだと推測しているのですが・・・これにて一応、一件落着。


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さて、今日は雲仙で「パール・バックと幻の地元ロケ映画『大津波』」の講演会がありました。講師は福島大学名誉教授・有江史談会会員 松崎文博氏。

パールバックは千々石、雲仙方面を訪れたことがあり、かなり気に入っていたみたいです。パールバックの小説「大津波」を映画化するとき木津を舞台にしたそうです(千々石の旧家も舞台になっています)。右の写真が木津を上から見たところです。


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この映画はジュディオングの初出演映画だそうです。早川雪洲、ミッキー・カーティスなども出演しています。

ただ、この映画は映画会社、関係機関にも記録・資料が残されていないそうです。日本で上映されたのが1,2回だということだそうですが、これも、はっきりしたことは分かっていないそうです。まさに、「幻の映画」です。原因としては何点か考えられるそうえすが、はっきりしたことは分かっていないそうです。なお、詳しい論文を書かれた方がいます。→こちらをクリック


ただ、雲仙市は7町が合併しましたが、このと記念事業として雲仙で上映会がありました。これだけははっきりしています。


2020年7月19日 (日)

「雲仙の競馬場」~諏訪の池・ゴルフ場にあったげな

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諏訪の池は雲仙と少し離れた所にありますが、雲仙国立公園内にあります。

上の写真は「2005年 小浜町80周年記念誌」から。説明は「大正中期 諏訪の池」と書いてありますが、2年ほど前、新しい資料が見つかり、同じような写真が4枚ほどコピーしてあり、風景、人物等ほとんど一緒です。

こちらの資料の表紙には「昭和6年度 諏訪池競馬大会 受付簿 国際乗馬協會」となっており、「昭和六年六月十六日撮影 諏訪公園乗馬クラブ於諏訪池公園神社東方競馬場 当村旧四月十月十日の坂上(注:現南島原市北有馬町坂上)金比羅神社の祭りの際諏訪池に於て草競馬が行われた」との記述があります。

なお、昭和52年7月 長崎県小浜町観光課発行の「国立公園 雲仙観光圏」には、「中池の周囲は競馬場として毎年四月及び十月に行われた。(明治から昭和初期頃が盛況であった。) 池の際は無数の桜樹であり春季の競馬をして、美しき桜花千里、一瞬の駿馬、勇ましき騎士の姿、どう観ても花下の競馬として浮きだったものだという。・・・」と書いてあります。

また、大正15年8月に関善太郎氏により書かれ発行された「雲仙小濱風土記」によれば「・・・中池の周囲は競馬場で、毎年四月及び十月に之を挙行する。彼方此方から駿足を誇らんとて、乃至は威勢よき騎士の競争ぶりを見んとて近縣より見物人多し。(中略)春季の競馬は、適ど(ちょうど)櫻花が咲きも残らず、散りも初めずてふころに行はるゝ。而して競争の行はるゝ毎に、歡呼拍手の湧く度毎に、花は驚いて片々と馬蹄の跡を飾る。實にや、美しき櫻花千里・・・・・一瞬の駿馬・・・・勇ましき騎士の姿・・・・どう觀ても花下の競馬を見ては浮立たずにゐられない。」と、いささか美文調ですが、雰囲気は出ていると思います。


上の三つの資料を読むと、昭和6年の新資料が出てきましたが、それ以前、明治、大正期から行われていたと思われます。随分賑わったようです。この、諏訪の池の中池の周囲をジョギングしたことがありますが、本格的な競馬ができるようなコースではありません。祭り、桜の時期に行われた、お楽しみの草競馬だったと思われます。


さて、諏訪の池の競馬を調べているときに、雲仙のゴルフコースで競馬があったとの記述を見たことがあり、最近になって、やっと一枚の写真を手に入れました。説明は「長崎縣 空池原競馬ノ光景」。

写真の現像が悪く、はっきり分かりませんが、真ん中から左側に何やら走っているような・・・・

雲仙は外人さんが沢山宿泊に来た歴史があり、多分、外人さんが思い立って、お遊びに実行したのだとは思いますが、詳しく書いたものが無く、実態は不明ですが見物人は多いですね。競馬場のコースも狭いことが分かります。


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空池は今もゴルフ場の中にあります。「からいけ」、「そらいけ」と書かれた絵葉書があります。私自身はここに水が溜まったのを見たことがないのですが、地元の方に聞いたら、雨の時などは水が溜まることがあるそうです。

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   (地図はマピオンより)


左の写真は「長崎縣温泉(うんぜん)公園 空池原ゴルフコース」「6.8.13」日付のスタンプがあります。

雲仙は明治44年に県営温泉(うんぜん)公園として開設。昭和9年に国立雲仙公園公園として指定されますから「6.8.13」は当然「大正6年」。なお、ゴルフコースは大正2年に開設ですから、ゴルフコースで牛や馬を飼っていたことが分かります。

赤丸の所、外の写真を見ると、ゴルフ場内の「休憩場」と説明がしてありましたが、比べると同じでした。なお、札の原、白雲の池などでも牛、馬、羊などを飼っていました。


右の写真は「長崎縣温泉公園 から池とゴルフ場」の説明。空池に水が溜まった状態。後ろの左側の山、左右の写真を比べれば同じだと思われます。


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話しが横道にそれましたが、ゴルフ場で放牧とは、なんともノンビリしたもので、ゴルフボールが牛さんや馬さんに当たったらどうするんでしょう。


2020年7月16日 (木)

「日本八景」~雲仙

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雲仙が「日本八景」(日本新八景とも)に選ばれたのは知っていたのですが、単に一般からの投票で選ばれていた、と思っていたのでいたのですが、たまたま上の「大阪新聞社」より発行された物を目にし、まったく誤解していたことを知りました。この日本八景の選定については、大阪毎日新聞、東京日日新聞が選奨をしています。昭和2年です。

この袋の中に、日本八景、「雲仙岳」「華厳瀧」「十和田湖」「室戸岬」「上高地渓谷」「木曽川」「狩勝山」「別府温泉」の写真が入っており、「雲仙岳」は下の写真になりますが、あまりはっきりした物ではなく下の所が温泉街、上の方に写っているのが雲仙岳、かな?


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問題は袋の下の方に書いてある説明で、趣旨、審査員、選考経過が書いてあります。

趣旨は「・・・これまで名所といひ、景勝とよばれてゐたものゝ多くは、全く古人の一部の趣味と片よった鑑賞に定められたもので、われ等の高尚を代表すべくに餘りに隔たりがある。昭和の新時代を代表すべく新日本の勝景は、われ等の新日本は、よろしくわれ等の新しい好尚によって選定されなくてはならぬ」、という意気込みで取り組みをされています。


さて、一般の投票は各部門に別れており、種目、推薦勝景数、投票数が書いてありますが、この順で書いてみると

海岸 394ヵ所 31,402,223票

瀑布 162ヵ所 3,702,630票
湖沼 71ヵ所   5,536,042票
河川 223ヵ所 4,632,461票
温泉 147ヵ所 1,192,662票
山岳 326ヵ所 15,025,466票
渓谷 132ヵ所 19,128,526票
平原 115ヵ所 2,084,917票

とまあ、投票数一千万票を越える景勝地の部門もあり、全体でざっと計算して8千万票(かな?気になる方は、計算してみてください)。当時の日本の人口を考えてもすごい数。国民の皆さんの関心が分かります(組織票もあったと思いますが)。

この推薦景勝地を元に「それより各委員は、實地踏査に、各種の調査に、約一ヶ月を費やし・・・」審査をするわけですが「日本八景の外、日本百選をも選定すること・・・」となるわけです。議論白熱、結局、八景を決選投票にて決定。「日本八景、日本二十五勝、日本百景の選定推薦をなすに至った」そうです。

審査員の名前で私が知ってる名士を書くと、谷崎潤一郎、泉鏡花、河東碧梧桐、田山花袋、北原白秋、高浜虚子、川合玉堂、横山大観、幸田露伴とそうそうたる人物が揃っています。


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昔の雲仙は観光客が多く、私も小学校は長崎市内ですが、修学旅行は雲仙でした。現在、観光地が多くなり、海外に観光旅行に行く人も多く、まして、今回のコロナで観光客もドット減りました。「君の名は」の舞台にもなったのですが・・・

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上の鳥瞰図は吉田初三郎氏が「日本八景」を描いた中の雲仙ですが、クリックすると拡大します。




2020年7月12日 (日)

「小浜鉄道」のトンネルの名称&「小濱地方鐵道株式會社 第七回營業報告書」(大正13年上期)~雲仙鉄道

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以下のブログは一昨日途中まで書いたのですが、いつの間にやら全部飛んでいました。で、昨日書き始めたら又事故。今日が3回目の挑戦。

雲仙鉄道は以前30回程度書いたので、終わりかな?と思ったら小浜鉄道の營業報告書を読むと多少面白い事が書いてあったので。


雲仙鉄道についてはブログなどに取り上げられていますが、千々石~小浜に到る旧鉄道跡に3つのトンネルがあります。このトンネルについては名前がついていません。上の写真は千々石方面から通る最初のトンネルです。普通、トンネルの上の方には、トンネルの名前などの銘板があるのですが、ありません。出たところをみても同じ。


下は、二番目、真ん中になりますが、これにもありません。


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千々石側からいった最後のトンネル。小浜町になります。これにもありません、ですが。

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最後のトンネルを抜けたあと、回れ右をしたところ。右の方に何やら四角い、貼り付けて剥がしたような跡が。トンネルの銘板かなと思ったら、この長さじゃトンネルの口にかかってはみ出るので違うでしょう。で、何なの、といわれると分かりません。

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さて、先日、大正13年上期 第7回營業報告書を読むと工事の状況、トンネルの様子などもわかり・・・

大正13年9月30日現在石工区工事出来高として


戸崎第一号隧道(全長貮百七拾四呎)ハ 九月廿八日貫通ス

戸崎第二号隧道(全長六百参拾四呎)ハ 四百参拾参呎掘鑿セリ

とあり、戸崎は千々石町。鉄道の運転開始が昭和2年なので、まだまだですね。三番目のトンネルはまだ手つかずです。


別に「戸崎兩隧道及び富津隧道」とありますが、まだ全線開通をして無く、「戸崎隧道」「富津隧道」はあくまで營業報告書なので、仮に付けた名前の気もするのですが。


この工事の請負は「大正十三年三月十二日、大分土木株式會社ト第一回工事請負契約帰結セル一工區(延長一哩四鎖戸崎兩隧道及び富津隧道ヲ含ム)ハ  四月廿日工事に着手セリ」とありもう一つ


「・・・(第一回契約区間ヲ除ク)區間工事ヲ第二工區トシテ古土木會社と第二回工事請負契約・・・」とありこの「古土木會社」については不明。ということで、実際に工事を手がけた会社名が分かります。


なお、株主として

「小浜町 242名」「千々石村 5名」「愛野町 17名」「山田村 26名」「守山村 5名」「伊福村 1名」「古部村 6名」「西郷村 5名」「神代村 27名」「土黒村 6名」「多比良村 2名」「湯江村 1名」「大三東村 9名」「三會村 1名」「島原町 59名」「深江村 2名」「布津村 1名」「布津村 1名」「北有馬村 2名」「口之津村 2名」「加津佐村 16名」「杉谷村 6名」「南串山村 38名」「北串山村 25名」「長崎市 104名」「北高来郡 15名」「県外 3名」


となっており、株主でダントツに株保有が多いのが、小浜の湯田大夫また小浜鉄道の社長「本多親宗」氏。


各村で小浜鉄道に直接関係あるのが、千々上村、小浜村。
北串山、南串山は小浜村のお隣なので、間接的には関係あるかなと思われます。千々石は小浜鉄道の始発点になりますが、株主が少ないのは、すでに千々石まで温泉鉄道が通っていて、小浜まで鉄道が開通すると千々石には下りる人もなくなり、泊まる人もなくなくなるので
(温泉鉄道で千々石まで来て、海水浴、また、小浜、雲仙まで遊びに行っていました)・・・と邪推しているのですが。

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下の写真、「雲仙岳後援會」発行の写真集「雲仙」より。発行された年が「昭和2年9月」。小浜鉄道が開業したのが「昭和2年3月」ですから、この写真がトンネルを撮した最初の写真ではないかと思うのですが、よく、絵葉書などで利用されています。

「雲仙岳後援會」は「長崎県廳内」となっているので県庁に電話をかけたら「分んな~い」とのご返事でした。


なお、このトンネルを「木津トンネル」と書いたブログがありますが、上の営業報告書には「富津隧道」と書いてあり、地図をみても富津の上の方です。多分この写真には「kitsu Tunnel」となっているからでしょうが、トンネルの名前を付ければ正式には絶対「富津トンネル」が正解です。


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なお、Goggleのマップでみたら「小浜鉄道」が「旧温泉軽便鉄道 雲仙小浜駅跡」「旧温泉軽便鉄道 富津駅跡」と書いてあり、これ、「温泉軽便鉄道」は愛野~千々石間の鉄道の名称です。間違いはどこにでもありますが、もっとよく調べてものです。もっとも「木津駅」ではなく「木津の浜駅跡」とこれは正確に書いてありましたが。

やっと、無事に3回目を書き終えました。疲れた😩・・・。

追記
各ブログを読むと、このトンネルを抜けるのが狭くて怖かった、と書いてありますが、トンネル前でしばらく待って、同方向に行く車の後についていくと安全に通れます。



2020年7月 4日 (土)

二つの「千々石橋」~雲仙市千々石町

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某日、下の白黒の葉書を手に入れ、私、地場産ではないため、千々石生まれ、千々石育ちの、昔美人だったと思われる方に「これ、千々石橋?」と聞いたら「千々石橋は国道にある方でしょう」とのご返事。

上の写真、向こう側が国道にある橋。昔、雲仙鉄道が走っていた所です。手前の橋は、島原街道の道で、島原から田代原を通り千々石を通り森山町唐比に到る街道にかかっています。


一応、橋の名前を見てみると、上の国道の橋、「千々石橋」「竣工 昭和29年7月」。


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島原街道に架かる橋「千々石橋」「竣工 平成7年7月」。

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ということで、おかしいじゃありませんか。同じ町内に同じ橋の名前。

困るでしょう、「千々石橋の所で待っているよ」と約束をし、彼女が国道の橋、彼氏が旧街道の橋。すれ違いで「君の名は」(古いな~)の悲劇になるじゃないですか。もっとも、今は携帯があるので大丈夫でしょうが。私も、若いときに携帯があったら、もっと違う人生になっていたかなと、橋のたもとで思いました。

ということで、少し調べました。


下の左の写真は千々石町の”老人クラブ連合会”で作った「千々石町 懐かしいふるさと写真集」(平成4年刊)。説明には「大正12年 千々石橋渡り初め式(先頭は椿山家)」となっています。現在の橋は右の写真になり、架け替えたことは一目瞭然。


で、「千々石町郷土誌」(平成10年刊)によれば、「千々石橋」と「新千々石橋」の記載があり・・・


「千々石橋」、架設年月が昭和29年1月。即ち、国道に架かっている橋。

「新千々石橋」同じく平成7年8月(ママ)。街道に架かる橋。(多分、橋に書いてある7月が正解なのではないかと思うのですが・・・)。これでなんとなく納得?。

当然、「新千々石橋」が先に架かっているので「千々石橋」。国道筋が新しいので「新千々石橋」ではないかと思うのですが、理由は分かりません。


下の地図は「明治33年測図及び則図の縮尺昭和17年第2回修正則図及び及び修正則図の縮図同25年応急修正」です。

千々石橋あたりを拡大しました。


千々石町郷土誌には「大正12年温泉軽便鉄道(千々石~愛野)開通」。「大正15年 小浜鉄道(千々石~北村)開通」(ここら辺、多少の疑問あり)。となっており、温泉軽便鉄道の千々石駅は国道の「千々石橋」の愛野寄りにあり、小浜鉄道が着工されるまでは、国道の鉄橋はありません。

国道は雲仙鉄道(昭和8年温泉軽便鉄道と小浜鉄道が合併)が廃止されたのが昭和13年ですから、この後、鉄路が道路になり、鉄橋が橋になったのではないかと思われます。


地図の赤丸、上が国道の「千々石橋」。下の赤丸が街道の「千々石橋」。茶色の矢印が「国道」。緑の道路は片側が実線、片側が点線なので、「道幅2米以上の町村道」ですから昭和25年頃には、国道と町村道が混在していたことが分かります。 


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左が大正12年の橋の渡り初め。右が現在の橋。作り替えたのが分かります。

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下の絵葉書は時代が分かりませんが、裏をみたら英語で走り書きがありました。

この風景、千々石橋の近くにしかありません。大正12年の橋とは違うことが分かります。特に橋脚の所、木で作ったものだと思われます。上の方は木製なのか、土を固めたものかは分かりません。


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下は旧家から出てきた絵葉書で、年賀葉書に使っていて「明治41年1月1日」の日付があります。「千々石川畔ノ松並木」とありますから、この風景、千々石橋の近くだと思われます。

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現在の千々石川、橋の上から撮りましたが、松の様子など見ると、今も同じですね。

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明治42年の絵葉書、赤丸の所、何やら橋みたいなので拡大してみました。赤丸の所なんとなく、橋脚みたいな感じです。

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さて、問題なのがこの「千々石橋」という名称。

明治12年の「千々石村村史」には、「中島橋」「上町橋」「金谷下ノ橋」「同上ノ橋」「大門橋」との記載があり、後者の4つの橋は全然該当地区でなく、ただ、「中島橋」に「木造三等道ニ属ス 村ノ西北千々石川ノ下流二架ス 長九間幅壱丈水ノ深四尺海潮橋下に到ル」との記載があり、また、「千々石史談第三号」に郷土史家関良孝氏の書かれたものには、明治12年の千々石村村史を引用しながら「中島橋(千々石橋のこと・・・」との記載があり、「中島橋」が「千々石橋」であったかと思われます。なお、この橋は海からそう遠くないところにあり、「・・海潮橋下二到ル」とはピッタリします。


なお、「中島橋」の名称については、この川は「中島」という地区も通っており、「中島橋」というのも、うなずけるところです。

ということで、この橋は架け替えがあるとはいえ、明治12年には存在していたことが分かります。

「島原藩主 長崎監視の道」(島原殿さん道の会刊)に「将軍綱吉は寛文九年(1669)七月二十六日松平忠房を召して『長崎の事務を監察せよ』と命じました。忠房は参観の前後、長崎を巡視して直接その詳細を将軍に報告していました。」と書いてあり、この本の地図を見れば、松平忠房公はこの道を通っていたと思われます。

お殿様を駕籠から下ろし、川を渡らせるとは考えにくく、多分、江戸時代から橋があったのではないかと想像するのですが・・・

今日は多少お疲れ気味で、乱文でしたm(_ _)m。



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