旅行・地域

2021年2月10日 (水)

2021/02/10 島原城「梅園」状況~5分咲きでした

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先日、TV放送で、島原城の梅園は今月中旬が見ごろだとの放送があっていました。

今日はちょうど島原の病院での診察があるので、寄ってみました。ところが、入り口の所「只今 五分咲き」の看板。チョット早すぎたみたい。


お城を背景に梅を撮ろうと思っていたら、ちょうど太陽が天守閣の上。モロ逆光で、この時期、写真を撮られる方は、10時頃は避けた方がよろしいかと。もっとも、逆光の写真は絵になるので、自信のある方はどうそ。


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ここの梅園は紅梅と白梅が植えられています。この梅園だけでなく、場内に300本の梅が植えられているそうです。梅園だけで無く、他の所もブラブラと歩いてみて下さい。

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まだ五分咲きですが、咲いているのは良い感じで咲いてます。

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家に帰ってみたら、ウチの梅も咲いていました。

橘神社の境内の梅の木は、植えて間もないので、まだまだ小さいものの、数年経って、桜と同じ梅の名所にもなって欲しいものです。


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島原城は2024年に築城400年を迎えます。詳しくは→ここをクリック

ただ、この記念事業について「・・・平成36年(2024年)には築城400年を迎えることから・・・」となっているんですよね。ここ、せっかくの大きな事業なので、キチンとしてね。


開花状況についてはこちらに載っているので、確認してお出かけを→こちらをクリック



2021年1月13日 (水)

「謎の探検家 菅野力夫」~若林純著

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世界探検家」を名乗る”菅野力夫”氏です。

明治末~昭和初期まで、シベリア、中国、東南アジア、インド、南アフリカ、ハワイ、南米まで8回に渡り探検をおこなっています。


現代から見れば、たいしたことは無い、とも思われるような”探検”ですが、旅行会社も格安飛行機どころかロクに飛行機も無く、インターネットもないので現地の情報もつかめない時代、ということを思えば、大変な事業であったと思われます。


若林純氏は右の絵葉書を古書店で見つけ、衝撃を受けたのが”菅野力夫”を調べるきっかけになったそうです。なお、この絵葉書が、若林純氏の著書の表紙になっています。

氏は、”菅野力夫”の親戚を当たり、そこで遺品のアルバム、写真、新聞記事等々を入手し、それを元に本を書き、その写真等がこの本に収められています。


”菅野力夫”の時代は辛亥革命、孫文の活動等があった時代であり、菅野力夫は頭山満の書生になっており、その墓の表には頭山満の揮毫による「菅野力夫之墓」の文字、裏は元福島県知事・宮田光男の寄贈文が刻まれているそうです。


第1回目の旅行は金銭面でも苦労したらしく、まだ九州を無銭旅行中、新聞にも載っており「旅中は絵葉書を売りて生計をたて・・」「宿屋が何処も断るので仕方がないから寺に泊まり或いは野宿もしました。」というような状況。


第3目の旅行からは経費の面でも安定したらしく、ハワイで世界探検に関する講演会を82回おこない、4万ドル(昭和34年で1,500万円)を得たそうです。


この講演会の様子は若林氏の本に多数書かれていますが、「聴衆なんと800余人、午後7時に始まり、得月楼芸妓春子の琵琶歌、南海県湖水の浪花節を間に挟んで、12時まで延々と5時間、獅子吼し雄弁をふるい聴衆を魅了した。」そうです。人を魅了する力、話術があったことと思われます。なお、この時、講演をしながら四国を自転車で走破したそうです。


なお、上の絵葉書は第3回目の絵葉書に含まれていますが、第3回目の旅行については2種類の絵葉書集があり、そのうちの「第2」の中に含まれ、ペルーでの写真になります。

「インカ帝国ルリン宮殿の廃墟にて 世界探検家 菅野力夫 西班牙の猛将フランシスコ・ピサロの浸入(西暦1531より同35年に亘る)によって大虐殺されるインカ帝国良民の屍は数百年の星霜を経たる今日なお荒寥たる砂漠の中に累々たる。・・・」と説明があります。

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第3回目の2種類の絵葉書です。

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下の写真は第2回目の旅行に出発する日比谷公園の様子です。菅野氏は自転車を利用していますが、この自転車は宮田製作所より提供された”アサヒ号”でイギリス式アサヒスペシャル号を改造したものだそうです。

「世界無銭徒歩旅行者菅野力夫氏悲痛ナル告別演説ヲ試ム(大正三年八月一日於日比谷公園)」とあります。


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なお、大正4年7月16日、長崎で、長崎4紙主催講演会ををおこなっております。「東洋日の出新聞」は長崎市では有名な「ツル茶ん」の所にあり、店の前には「孫文先生縁故之地」の説明版があります。東洋日の出新聞社主・鈴木天眼が辛亥革命以前に孫文を土蔵にかくまっていたそうです。

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   (「謎の探検家 菅野力夫」より)

菅野力夫は生前の時は新聞等に紹介され、かなり有名であったそうですが、絵葉書は沢山残っているものの著作等、自分で書いたものが無く、そのため若林氏によれば、忘れられたのでは無いかとのことでした。せめて、講演会の記録でも残っていればとも思うのですが・・・




2021年1月 8日 (金)

「雲仙ゴルフ場」への道~長崎県雲仙市雲仙

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絵はがきの説明は「長崎縣温泉(注:うんぜん)公園ゴルフ塲(じょう)通路」。ゴルフ場に行く道ですね。英文で「Unzenpark,nagasakiken」。写っている人の背丈からみると、意外と広い道に思えます。各写真はクリックするとはっきり見えます。

雲仙のゴルフ場は、「大正2年〇『県営ゴルフ場』〇『県営テニスコート』開設」となっています。


下の左の写真は「昭和7年頃、ゴルフ場に集まるタクシー」となっています。右の写真は時代が分かりませんが、背景の風景を見るとゴルフ場。
思ったよりというより、こんなに雲仙のゴルフ場にタクシーが集まるものかと?

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   (「2005 小浜町80周年記念誌」より)           (「雲仙お山の情報館」提供)

雲仙への自動車道路の写真はあちらこちら見られるのですが、ゴルフ場への道を撮したものは少なく、下は以前にも紹介したゴルフ場付近の道が写っている写真。

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 (「雲仙」昭和2年・雲仙岳後援会発行)             (「雲仙お山の情報館」提供)

下はGoogleEarthの写真で、赤の丸が「ゴルフ場」、緑の丸が「温泉街」、「A」が温泉街からゴルフ場にいたる道、「B」は島原にいたる道。「C」は国見町にいたる道。

「B]と「C」の付近には旅館はありません。ということで、一番上の写真は「A」の道のどこかと思われます。


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現在の「A]の道。片側が崖、もう片側が川、多分「加持川」か?こちらはゴルフ場に向かうところの写真です。一番上の写真とは逆になっていますから、ゴルフ場に向かうのを向こう側から撮ったものですが、写真には裏表逆に焼いたものや、この間紹介した「長崎福田の千本松原」が千々石の松原だったりで、昔の写真は良く見ないと、というところもあるのですが・・・

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上の写真、いつ頃撮られたかですが、考えてみるとゴルフ場横を通って、温泉街に行くには、島原~雲仙の道路が完成していないと通れないわけで・・・

「湯煙の記憶・雲仙国立公園年表」(国立公園ビジターセンター運営協議会)には「1922(大正11年)〇温泉(雲仙)~島原間に自動車道路完成」となっていますが、「雲仙の歴史・長崎県発行(昭和59年3月)」には「雲仙ー島原間自動車道路は、大正12年に完成しており・・・」という記述があります。少し違いがあります。


ところがですね、同書をよく読んでみると、「4)公園の管理と道路、公園事業の推進」の「二、自動車道路、その他の道路整備」の所に「・・・大正元年にはゴルフ場まで、大正5年までには普賢への登山道路が改修された・・・」と書いてありました。「改修」がどのようなものであったのか、気にはなるのですが。


ゴルフ場の開設が「大正2年」で、道路が「大正元年」なら、道路が先にできたことになりますが、考えれば工事の時は、現場までの工事用の取り付け道路が必要なので、ヒョッとしたら、とも考えられます。いずれにしても、上の絵はがきの道路は、作られたか改修された道路かはハッキリしませんが、広さからみると、少なくとも大正5年には作られた道路だと思われます。

大正13年、杉村廣太郞氏の「温泉嶽を繞りて」に温泉街からゴルフ場に至る風景が書いてあり・・・

「・・・昨夜見た古湯の町を、出外れて右に折れ(注:多分、旧東洋館あたりか)自動車の通ふ廣い道路を行くと、やがて一方が山で、一方に谷深く樹立を透かして、清らかな水が巌間を流れている加持川が見える。この川も又温泉(うんぜん)名所の一つで幽邃閑雅な仙境である。・・・」


多分、上の写真が撮られた年月は分かりませんが、杉村氏の書かれたような情景であったのでしょう。いまは、単なる道路になりましたが。この写真、どこで撮られたか、いずれ調べて見ようとは思っています。


2020年12月20日 (日)

橘神社「大門松」完成間近~雲仙市千々石町

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今日の午前中、橘神社を通りかかったら、大門松が完成間近でした。

日曜日だけの作業で、今日が5回目。前回が大ヒノキ入れ込み。今日がヒノキ入れ込み・仕上げで、いよいよ12月27日(日)午前中が総仕上げ、13時より大門松前で竣工祭になります。今年は作業日が天候に恵まれ、予定通りの日程で完成に近づきました。


大門松と言うとおり、高いので上の方はクレーン車での作業になります。が、見ていて、おっかないですね。


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今年はコロナのせいで、初詣の方がどうなのか心配です。
門松を作りあげたボランティアの皆さん方は大変だったと思います。大門松は、初詣の皆さんの目を楽しませるものと思います。

大門松がコロナを退散させれば良いのですが・・・

2020年12月19日 (土)

「古地図散歩」というAPP(iPhone・iPadにて)

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「古地図散歩」というAPPがあります。これが意外と面白く。

近年、家が建ったり、新しい道路が作られたりで、昔はどうだっけ?ということがあり、少し昔の姿はこれで
十分確認ができます。

APPを起動させると左の画面になり、右の矢印をタップすると下の画面が現れ、上の段が”地図の種類”、下が”レーヤーの種類”になり、右の方にスワイプすると他に色々な種類が出てきます。これを適当に組み合わせ、といっても”航空写真1945~1959年”などはほとんど取れません。”1961~1969年”はほとんど取れました。地域によって違いがあり、また、かなりボケた所もありました。

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下の丸いところを操作すると、選んだ地図等が切り替わります。千々石の漁港付近です。

左は今の航空写真。右は1961~1969年の航空写真。大体50~60年前の写真。漁港の形、付近の海岸の埋め立てが分かります。


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小浜の旅館街の所ですが、今の地図と航空写真(1961~1960年)を比べると堤防の所、ほとんど埋められていることが分かります。

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今の航空写真と昔の写真を比べたところ。防波堤の所、全然違っていることがわかります。

なお、長崎駅など昔の地図を見ると、海の中にある事が分かり興味深いものです。皆さんの近所の昔の地図、写真などを見るのも面白いかと。

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今日の散歩の途中、久しぶりに会いました。マスクを付けるように注意をしてきました。

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2020年12月17日 (木)

「西海橋」接合直前

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西海橋はご存じの通り、佐世保市針尾島と西海市西彼町に架かる橋で、陸の孤島と呼ばれた西彼杵半島と佐世保市を結ぶ橋で、これにより西彼杵半島の産業等の振興が進みます。

昭和26年着工、昭和30年竣工・供用開始。この写真は接合直前に撮影したそうです。

絵葉書の下に書いてある説明が読みにくいので、下に写して書いておきます。


西海橋アーチは昭和29年12月17日午後3時両側から接合され、昭和30年1月9日午後1時半から竹山建設相を迎え、アーチ打止式が挙行されました。写真は接合直前に撮影したところ。


なんとなく、大丈夫かよ?という感じ。


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上が完成したところです。完成直後、父に連れられて長崎からバスで来た覚えがあります。歩いて渡りましたが、デッカいという感じで、橋の下にちょうど渦巻きができる時間帯で、感動したと言うより、渦に巻き込まれたらどうしようと恐怖感を覚えました(泳げないから)。

上の写真は、「長崎県立西海公園」のホームページから借用をしました。


2020年12月 7日 (月)

「福石様」しめ縄作り&橘神社「大門松」進捗状況~雲仙市千々石町

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一昨日の夜、明日福石様のしめ縄を張るから、との連絡があり、昨日出かけました。

残念ながら、昼から出かけるところがあり、朝からの参加だけでした。数日前は、産土神の「天満宮」のしめ縄作り、昨日の福石様のしめ縄作りと二つしめ縄作りに参加したことになります。来年は良い年になると思います。


朝の8時半頃から、ワラを小さくまとめていきます。いつもの通り、話しがはずみ・・・と私は約束があったので抜けましたが・・・


台風で鳥居が曲がっていて、しめ縄もヨレていたそうです。なにせ、潮風がモロに吹き付ける所です。
意外とここを訪れる方多いです。この季節、夕日がきれいなので、写真を撮る方もチラホラ見受けられます。

用事が終わって戻ってくると、夕日が沈む時間には少し間に合わず、ですが、このしめ縄、長いので真ん中を大きく作るのが難しいのですが、よくできていて、良い風景でした。見ごたえがありました。

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橘神社の大門松は、皆さん仕事の関係もあって日曜日にしか作業ができないのですが、竣工式が27日ですから、実質的な作業日は13日と20日の二日になります。

竹の先端、よく揃えたと思います。クレーン車に乗って、チェーンソーで切るのは大変です。


まだ、飾り付けのお化粧が済んでいませんから、スッピン状態ですが、スッピンでもこれはこれできれいですネ。出来上がりもきれいですが、作業風景を眺めているのも面白く、近所をお通りの際はお立ち寄りを。


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2020年11月28日 (土)

2020年 橘神社「大門松」造り

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11月22日に「大門松建方安全祈願祭」があり、同日より大門松造りが始まり、この日は「土台作り」。下の左の写真です。

今日行って見たら竹が準備されていました。最初の頃は、町内の山の竹を切ってきて調達していたのですが、これだけ大きな竹は揃うことができなく、県外の竹を利用しています。竹も厚さが薄いと割れるという事で、肉厚の竹を準備・・・


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・・・はしているのですが、はやり薄い竹もあり、また少し曲がった竹もありということで、「小」は薄い竹、「曲・マ」は曲がった竹、これは神社境内にも門松を作るので、それに使うとのこと。

門松造りは12月27日まで続き、作るのはボランティアさんで働いている方もいるので、作業は日曜日(予備日は土曜日)です。


竹選別・竹入れ込み、竹カット・形作り、大ヒノキ入れ込み、ヒノキ入れ込み・仕上げ、総仕上げと作業をし、12月27日13時から竣工祭があります。


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下の凧は今年初登場。製作が福祉の里。凧の竹ひごは、昨年の大門松の孟宗竹をつかっているそうです。小さな子供さんがいる方は、喜びますよ。大空に舞い上がる凧は運気を運んでくれます。

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今年はコロナの影響を世界中が受けました。橘神社の正月関係の行事も影響を受けました。正月関係の行事は下の予定だそうです。

12月31日(木)年迎え禊 カウントダウン・新春コンサート 中止
1月 1日(金)橘ぜんざい振舞い 中止
1月 7日(木)七草粥振舞い 未定・協議中
1月11日(月)鏡開き餅振舞い 10時頃~ 境内にて
1月20日(水)橘樹神社大寒禊 6時~ 一般参加は中止 橘神社禊会・県内神職にて疫病退散を祈願、斎生。
1月31日(日)大門松解体

少しばかり、寂しい正月になりそうですが、元気で新年を迎えたいものです。



2020年11月26日 (木)

「雲仙ゴルフ場」の池

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先日、雲仙の紅葉状況を紹介したとき、最後に絵葉書にあるゴルフ場の池を紹介しました。→こちらをクリック

実は、このゴルフ場の横を通り通勤すること4年。この池には気づかず、アレ、ここに池があったけと思い、気になったので、手持ちの絵葉書を見ると、結構池が写り込んでいるんですね。なにか書き込んだ様子のもあるのですが。


下の絵葉書の〇印、これならなんとなく納得。右の絵葉書はモロ写真ですから、修正のしようがなく、意外と小さく写っていますが、周囲をよく見ると水が溜まったあとがあり、雨上がりの後などもう少し水が溜まったと思われます。


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極めつけがこれで、多分ゴルフ場が作ったと思われる絵葉書、チャンと1コースの横に池が書いてあり、しかもコースの半分くらいの大きさ、ということは一番上の絵葉書に写り込んだ池も、まんざら嘘では無いなと。

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ゴルフ場には、わざと池などを作って人を困らせるコースがあるとか。私、ゴルフはしたことがありませんが「風の大地」などを読み、意外と知識だけはあるのです。沖田圭介、34歳と9ヶ月、現在、セント・アンドリュースで土砂降りの雨の中健闘をしております。ということで、こんな所に池があるのは、ゴルフには関係ない。ということくらいは私にも分かります。

考えると家からゴルフ場まで30分程度なので、見に行って確認した方が早いなと。で、行ってみるとゴルフ場の端っこの方にありました。ゴルフ塲には入れないので、外から写真を撮りましたが意外と奥行きが深い池でした。矢印は仁田峠に行く道路の昔の料金徴収所だったところ。


見た所、水が流れ入る所はなく、多分雨水が溜まったところかな?と思わせる感じでした。ですから、雨が降らないときは水が干上がって「空池」?


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なお、池の所を見ていくと写真のような溝があり、ゴルフコースから見ると、多分、池がここらまで来るので排水のためかな、という感じでした。

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以上のようなことから、絵葉書の池は、昔はまんざら嘘では無かったような。



2020年11月24日 (火)

小浜(雲仙市)海岸埋め立て工事写真~初公開

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以前にも紹介しましたが、昔の小浜温泉は辺鄙なところで、湯大夫の本多西男氏が自費を投じ、埋め立て工事を明治28年に着工、第2工事を明治38年に着工し明治43年完成しています。上の写真が埋め立て工事の写真です、時々、小浜の紹介に載せてあります。残念ながら年月が分かりません。

これを撮したのが地元の写真屋さんで、工事関係の写真で同じような風景を三枚撮っています。原版はガラスの乾板のネガですが保存が悪かったせいか、ひびで割れたり、カビが生えたりしています。下の写真は本邦初公開です。


上の写真と左の写真は波がひどい状態、工事の様子から同じ日に撮影されたものだと推察されます。右の写真は波も立って無く、工事の人もなく、潮の具合、写真を撮った位置も違っているので、他の日に撮った可能性もあります。


さて、右の写真を拡大して見ると3点ばかり気になりました。赤丸と緑の丸印。各写真はクリックすると拡大します。


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一番奥の赤丸印、拡大すると左の写真。右は「一角楼」を撮した絵葉書。屋根に一角楼のローマ字がかすかに見えます。明治22年に開業、現在「浜観ホテル」になっています。海岸線がきれいに整備されていますから、左の写真よりかなり時代が後になりますが、窓、屋根の形等々似ているような感じで、多分「一角楼」だと思われます。この建物は、別の2枚にも写り込んでいます。

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さて、手前の赤丸印ですが、真ん中の文字が「川」に見え、「川」が付く旅館といえば「柳川屋」。斎藤茂吉が泊まった宿屋さんと「小浜史談」には書いてありますが、「伊勢屋」に泊まったと書いたものもあります。

小浜温泉については「長崎県衛生公害研究所(現県保健研究センター?)」発行の「温泉誌」(昭和62年発行・「長崎県温泉誌」で検索すると読むことができます)に詳しく、昭和10年に「伊勢屋」「柳川屋」があるものの、その後は「柳川屋」記載がなし。


小浜の温泉宿の変遷については、まとまって書いたものが無く、旅館の買収等もあったみたいで、詳しくは現在調べているので、また後日。


昔の小浜温泉は右の写真に見られるように甕(かめ)みたいな所で入浴をしていました。


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ここで面白いのが青〇印の所。拡大すると下のような風景です。よく見ると皆さん裸です。横たわっている人も見えます。この場所は、まだ海水が入り込んでいます。こんな場所でパンツ脱いでこんな格好していると、今なら警察が飛んできますヨ。

考えられるのは、ここに温泉が湧いているのではないかということです。「温泉誌」に、小浜温泉について書いてある本などが紹介してあり、次のような文がみられます。

「(小浜は)孤立した温泉で満潮時には海水につかってしまう風変わりなものである。音もたてずに沸騰することもなく、石の地面から湧出て、そこから近くの温泉場に導かれる・・・」「・・・非常に奥深い源泉は時として高潮の間、海の水で浸される。源泉の湯は、露天に存在する石でできた三つの浴槽に引湯され、それはただ茅ぶきの小さな屋根で覆われているだけである。・・・」「・・・(小浜は)海湾二瀕(ひん)す泉は岩際及海中処々二湧出シ・・・」


という事で、この場所にお湯が湧出していたのではないかと思われます。なんとも、のんびりした風景。


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