旅行・地域

2018年8月23日 (木)

一足先に「カステラランド」へ~雲仙市愛野町

Img_4104_2

以前、愛野ベルハウスがあったところ。

少し前から、建て替えていたので何かと思ったら、カステラの「和泉屋」さんの店舗と工場でした。

長崎といえば「チャンポン」と「カステラ」が有名で、「カステラ屋」さんは個人商店から大きな店まであり、石を投げればカステラ屋さんにあたるというくらいです。

で、和泉屋さんはどちらかというと「恋するラスク」とか「綺麗菓」とか三切ればかり入って、気楽に食べられるカジュアルなカステラとか、工夫をしているお店屋さんです。

さて、初めに書いたように、ここには「愛野ベルハウス」があったところですが、外側のテイクアウトのところ、ちゃんと、「AINO BELL HOUSE」が残されていました。

Img_4103 Img_4125

新聞によると28日オープンになっていましたが、車で通りかかると、お客さんが入っているようなので、見ると営業をしていて、多分、プレオープンで本番に備えて、各種チェック、練習をしているのでしょう。

内部はレストランの部分と売店の部分に分かれていて、腹が減っていたので、最初にレストランに入ってみましたが、海側の風景が開けて良い感じ。


Img_4095

レストランは前払いで、メニューはありますが、右の「雲仙もみじ豚のトルコライス」「長崎チャンポン」「カステラたまごのオムライス」「五三焼カステラフレンチトースト」が主力のメニューかな?

Img_4092 Img_4098

カステラの材料といえば、一番大事なのは卵。で、そのカステラのたまごを使った(多分)「カステラオムライス」を注文。お味ですね。皆さんも食してみてください。

Img_4087

売店の方は、ゆったりして、なんとなく、ホテルのロビー風。和泉屋さんの各種カステラが並んでいます。

Img_4102

外側の芝生ひろばもゆったりして、家族連れでこどもを遊ばせると喜ぶと思います。庭の造りもかなり手をかけています。秋には紅葉も見られる感じ。ただし、今日は気温も上がり、暑かった。

Img_4111 Img_4112

左が雲仙方面、右が天草方面で、目をこらすと富士山まで見えるような気がします(見えませんが)。どちらかというと、アベックで楽しむと良いのではないかと。

Img_4116 Img_4118

横には、デカ~い工場。「こんなに大きく作って大丈夫?」「ウチは、東京とか大阪とか全国に卸していますから大丈夫です」だと。

Img_4114

で、26日は記念式典準備のためレストランは休業。27日は記念式典のため全館休業だそうで、皆さんより一足先に「カステラランド」に行ってきました。

ですがね、私の所に記念式典の招待状が来ていないのですが、どうした事でしょう。



2018年8月 1日 (水)

「慶巌寺の山門」について~長崎県諫早市

Photo_4

先日、お箏の六段と慶巌寺のことを書きましたが、ふと思い出したことがあるので。実は、この山門、このお寺を作った時に作ったのではありません。

下は諌早神社(旧名・四面宮)。じつは、この山門はここにあったのです。

Photo_6

行って見たら、神社に向かって左側、神社の老朽化のため建て直しみたいで、右側には立派な庭園があったそうですが、それも復元するようです。

この新神社を建てるところ、以前は空き地でした。明治2年の神社明細帳調をみると、何か建物があるような図面でした。

諌早神社の由来が書いた看板がありましたが、赤線のところ、「明治時代の神仏判然令により、並祀していた荘厳寺は分離されることとなり、本尊などは近くの寺院に移設。その際に、社名を四面宮(注:しめんぐう)から『諌早神社』と改称した。」ということで、諌早神社の中に荘厳寺が並祀されていたことが分かります。

「諌早を歩く~山口八郎著」には「明治元年の神仏分離令によって、荘厳寺は廃され、本尊の阿弥陀三尊像は安勝寺に、総ケヤキ造りの山門は慶巌寺に、お寺の什器類は、行基ゆかりの竹崎観音寺に移されました。寺の境内にあった諸石仏は、𡧃都墓地の入り口に移し並べてあります。」と書いてあります。

なお、四面宮の本社は雲仙の温泉神社。四面宮は、千々石、吾妻町、有家町、そしてここ、諌早神社が四面宮ですが、現在、諌早以外は「温泉神社」と改名をしています。

Photo_8 Photo_9

こちらは、山門を裏から見たところ。

Photo_11

下は、旧諫早市郷土館の「解説シート(歴史編)」に載っている慶厳寺の説明です。

Img_20180801_0001_2

この荘厳寺の山門については「高城の史蹟~山口祐造著・諌早高城会発行」に詳しく書いてあり、要略すると、荘厳寺は諌早家の始祖龍造寺家晴公が入部して四面宮の神殿、拝殿を改築し、さらに祈祷寺として荘厳寺を建立したので荘厳寺は四面宮の神宮寺となり、家晴公は寺領米として、毎年二十七石を給したそうです。

前に書いたように荘厳寺は解体されますが、山門だけは残っていて、山門だけ残しているのも不自然だということで、山門も壊そうとしたところ、慶厳寺でこのことを聞き、話し合い、慶厳寺へ解体移築したのが、明治27年11月。

両側の仁王像を解体修理したところ、「延宝三年(1675年)、京都柳馬場二条上寺町、大仏師法橋康祐作」と墨書いてあったそうです。

Photo_13 Photo_14

良い木鼻ですね。

Photo_15 Photo_16

両脇の欄間彫刻は浜辺の老松と打寄せる波を象り、日本様式。楼門の柱は丸柱で、禅寺の四角柱のような雄々しさはなく、優しい風情を湛えているそうです。

Photo_18 Photo_19

どうにもわからないのが、山門の入り口のすぐ上の彫り物。

Photo_20

上側は諌早家の家紋「上り藤」。下が、お猿さんみたいなのですが、なにか意味があるのでしょうが、調べましたが分かりませんでした。

Photo_21 Photo_22

慶厳寺の駐車場には磨崖仏が彫ってありますが、ひょっと見ると数字が彫ってあって、「32.7,25」。何だろうと、思ったら、昭和32年の諌早大水害の日。
死者、行方不明539名、負傷者1,476名、家屋破損2,221戸・・・被害総額、当時約87億円(現時点に換算すると415億円)

随分高いところに書いてあって多分、水害時の水位が刻んであるのでしょう。災害の大きさが分かります。

Dsc_0662_2

お世話になった本
「高城の史蹟~山口祐造著・高城会発行」「ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 諌早~諌早史談会編著者」「諌早を歩く~山口八郎著」「諌早史談~田中為市著」「諌早郷土館開設シート(歴史編)」「諌早市史~昭和33年発行」



2018年7月10日 (火)

長崎市「思案橋」★古写真より


Img_20180710_0001

「行こうか 戻ろか 思案橋 ちょいと行って 思い切り橋」、だったかな?思案橋を渡ったところに、遊廓の丸山がありました。多分、写真の手前の方角が丸山かな?

先日、書いたように、古写真、古絵はがきを故あって集めていますが、上の写真が手に入りました。思案橋の写真です。

橋の赤丸印「志あんばし」と書いてあります。上の赤丸印「電車のりば」とあります。青い丸印は「食」「思」と書いてあります。


電車は「正覚寺下」まで続いているのですが、どこにも、その気配はなく、あれ?と思っていたのですが・・・


下の図と写真は「長崎事典・風俗文化」に載っていて、左は「大正時代の思案橋」、右は「上記(左の絵のことです)の前身、思案橋終点の建物」とあり、調べたら、大正10年・西浜町~思案橋間開通、とあり、この先、正覚寺まで電車が延びるのは昭和43年、「思案橋~正覚寺下開通」になっています。


Img_20180710_0003_2_2 Img_20180710_0003
       (長崎文献社刊「長崎事典・風俗文化編」より)

下は「東宮御成婚記念」の「日本交通分縣地図」を切り取ったものですが、大正13年4月10日のものです。

黄色の矢印、線に小さな丸印がありますが、電車の軌道です。白い丸印が遊廓の「丸山」。わざわざ「遊廓」とまで書いてあります。で、緑の矢印が「思案橋」の停留所、停留所の所に川が流れているのがわかります。ここに架かっていたのが「思案橋」(少し上の方かな?橋が見えます)。

Img_20180710_0004_2

下は、ウィキペデアから拾った写真ですが、赤丸に「電車のりば」の看板。緑の丸印「思」「案」「食」の字。停留所の二階には食堂があり、モダンな建物だったそうで、名前は多分「思案橋食堂」ではないかと推察する次第です。

Photo

    (「ウィキペデア」より)

と言うことで、思案橋・丸山方面には若い頃お世話になりましたが、最近は活気が無くなったとか。

私が小さい頃、時々通りましたが、昔は朝から行くと、ゲロばかりで、昔は酒を楽しむと言うより、ベロベロに酔いたいという時代でした。


現在の「思案橋電停」です。

Photo_3
            (「Google Earth」より)


2018年6月18日 (月)

「唐比(からこ)ハス園・唐比湿地公園」~諫早市森山町唐比


Img_4263_2

梅雨に入ったからもうボチボチかな、と思って唐比湿地公園(ハス園)に行ってみました。

以前は「唐比ハス園」と言ってみたいですが、「唐比湿地公園」が正解かな?食用の蓮根と観賞用の蓮根。こんなにちがいます。

上の写真、雲に隠れている山が雲仙岳です。

Img_3883 Img_3885

意外と咲いていて、10時頃行ったら、皆さんウロウロとご鑑賞。「わ~キレイ」とか、「きれいじゃん」とか、「綺麗どすな」とか、「みどか(千々石弁)」とか「ちゅらさん(沖縄弁)」とか「けっこい(静岡弁)」とかいうなかに、「イェッポヨ(韓国弁)」とか、「ワンダフル(アメリカ弁)」とか「トレビアン(フランス弁)」とか「ナントカカントカ」と、方言と外国語がまじって(マジ)、いよいよ国際的になってきたようです。

Img_4252_2 Img_4276_4

自撮りですね。「撮りましょうか」といったら、断られましたが・・・

Img_4297

で、ハスの種類によってはまだ、充分咲いてないところもありますが、ツボミがどんどん膨らんでいます。少したつと満開ですね、

Img_4253 Img_4267

写真を撮る方は、花が大きいので、雨が降ったあと、強風が吹いたあとは花びらがかなり乱れていますから、天候が安定したときに行ったほうが無難です。

Img_3890 Img_4266

Img_4288 Img_4304

睡蓮も地味ながらボチボチと。

Img_4308 Img_4311

通路の部分もシーズン近くなのか、一部補修。ほんの少しですが、ヒマワリ畑も。

Img_4269 Img_4313_2

ということで、そろそろ見頃なのでお越しのほどを。




2018年6月 7日 (木)

花菖蒲、散っても城は城~大村公園

Dsc_0030_2

今日は大村病院へ。ついでに大村公園の菖蒲を見に行きましたが・・・・

入り口には「花菖蒲 盛りすぎ」。ということでしたが、昨今、美熟女とかおじさんラブ(意味は知りませんが)とか流行ってるじゃありませんか。

果物だって、少し熟したほうがおいしい、ということで、見に行ったら、菖蒲の種類によるのか、まだまだ鑑賞できる所もあるじゃないですか。

一番上の写真のところが一番良いのですが、ここは残念ながら手前の方の菖蒲の花は少ししか咲いて無く、残念でした。

とはいっても、菖蒲の花は散っても城は城で、はやり見所ですね。

Dsc_0008_2 Dsc_0012_2

Dsc_0015_2 Dsc_0102_2

菅笠かぶった乙女が三名ばかり(顔は見えませんでしたが・・・)枯れた花柄のお手入れです。

Dsc_0022_2 Dsc_0028_2

いつもは行ったことがない、「板敷櫓(いたじきやぐら)台」に行きましたが、階段の辛いこと、歳ですね。

Dsc_0045 Dsc_0046_2

「板敷櫓台」、二階建ての櫓で、ウチの家と同じくらいの大きさ。

Dsc_0054

「石落し」。右の床の開いたところから石を落として、敵を防御したところ。

Dsc_0058 Dsc_0061

「板敷櫓台」のいわれが書いてありますから、興味のあるかたはお読み下さい。

Dsc_0053

城跡には「玖島稲荷神社」と「大村神社」があります。右は本殿。朱色が素晴らしい。

Dsc_0071_2 Dsc_0076_2

狐の狛犬さん。シッポのピンと立ったところ、なんともいえません。左は「巻物」、右は「玉」をくわえています。いい仕事してますね。

 

Dsc_0075_2  Dsc_0074_2

こちらが「大村神社」。「さざれ石」が置いてあります。千々石の「橘樹神社」にもあります。

Dsc_0089_2 Dsc_0080_2

「オオムラザクラ」。「国指定天然記念物」です。咲くまで、もう一息か?

Dsc_0090_2 Dsc_0085_2

これなんでしょう?灯籠の中に一杯入れられた小石。昔、鳥居の上の方に小石を投げ上げ、小石が乗ったら良いことがあるとかで、ちいさい頃、よくやっていたのですが、なにか、関係あるのかな?

Dsc_0094_2 Dsc_0095_2

階段の途中にお店屋さんがあって、梅ヶ枝焼と大村ずしを売っていましたが、せっかくなので、大村ずしを。

Dsc_0097 Dsc_0104

花はここ数日、見られるとは思いますが、お早めに・・・・

Dsc_0102_4

2018年6月 2日 (土)

まだまだ続くよ「肥前狛犬さん」捜し

Dsc_0270_4

「肥前狛犬」さん。飽きずに捜しています。おかげで何カ所か見つけました。
「肥前狛犬」については、場所を書かないのが、お約束になっているので、残念ながら今回も明らかにはできません。

こちらの肥前狛さんは社殿のなかにあるためか、ほとんど崩れていませんでした。足の間が彫られていないので、比較的初期のものか?

左は口を閉じ、右は歯を剥いていますから、「阿」と「吽」がハッキリと分かります。


Dsc_0869 Dsc_0866

こちらの神社は贅沢にも、2対4体ありましたが、少し高いところにあり、登れなくなってなっているので、下から写真を撮りました。

置き方を見ると、場所がなく無理に置いたみたいで、拝殿は新しく見えたので、多分拝殿の所にあったのを、こちらに移したのかな、と思います。

「阿」「吽」が左右逆ですね。


Dsc_0858_2 Dsc_0852_2

真ん中の2体の狛犬さん、これが、可愛くて子犬さんみたいでした。

関心したのが、拝殿の木鼻が狛犬になっていて、口の中に「玉」をくわえていて、良い仕事してますね。これを見たのは千々石の「宗像神社(弁天さん)」だけだったのですが、思わぬ所で良い物を見ました。

Dsc_0851_2 Dsc_0864_2

こちらは、某市の少し有名神社にありました。昼ご飯を食べて、外へでたら神社があったので、ふらっと寄って見たら、ビックリしました。これも、足の間が彫ってないので古い物か?

Img_1755 Img_1766

神社は市内地にあり、道路の拡張などで、これらの石仏が、この神社に置かれるようになったのでしょうが、右の石仏さん、2匹の蛇が絡み合っていますが、なんとなくエロっぽいナ。

Img_1770 Img_1771

さて、悩みますね、正月少し過ぎたころ見つけました。ただの石塊なら、しめ縄なんかしないじゃないですか。ですから、単なる石塊では無いことはハッキリしています。

それも2体。肥前狛犬は小型です。で、良く見ると何となく造った感じ。ということで、「肥前狛犬」さんに決定。

Dsc_0283_2 Dsc_0284_4

あと何カ所か情報を掴みましたから、まだまだ「肥前狛犬さん」捜しが続きます。




2018年5月11日 (金)

「雲仙のツツジ」~雲仙市雲仙


2

TV、新聞などで雲仙の仁田峠のツツジが満開だということで、出かけてみました。

入り口の管理人さんに聞いてみると、仁田峠は今日が満開だとか。で、あと段々山の上の方へツツジが咲いていくだろうということでした。

途中の展望台から火砕流の跡をみると、緑がだんだん増えていますが、雨で削られた跡が、生々しく見られました。土石流にならなければ良いのですが。


Dsc_0122 Dsc_0124

仁田峠に着いたら本当に満開。というより、十一分咲きですね。十分咲きより少し進んだ感じ。記念写真は老人クラブの方か?

Dsc_0028 Dsc_0176

後ろから声をかけられまして、「写真撮ってくんない?」。撮ってはあげましたが、どちらかというと、妙齢の美人の方がいいな。

Img_4206_2

左の写真。ここから妙見岳に上れます。ロープウェイに乗ればお金を取られますが、こちらから登るとロハですが、かなり辛い。昔は、平気で登っていたのですが、歳ですね。

Dsc_0183 Img_4194

帰りがけ、池の原園地と宝原(ほうばる)つつじ園へと。

下が池の原園地、仁田峠とは数百㍍の高度差ですが、ツツジは枯れかけ。向こうに見える山は「矢岳」、数十年前登たことがありましたが・・・

Dsc_0212

宝原つつじ公園、ここのツツジも池の原公園と同じ感じでしたが、お弁当を広げる所があるので、車がどんどん来ていました。老人クラブの方かな、楽しそうに宴会中。

Dsc_0227 Img_4214

帰りがけ旅館街を通りましたが、「富貴屋」さんと「東洋館」さん、大きな旅館でしたが倒産しました。他の会社が運営をするとか。小浜温泉でも、旅館が潰れています。今後が心配な雲仙市です。

Dsc_0238 Dsc_0240

昔は左の写真、○印の所から「稚児落としの滝」に行けたのですが、道路拡張工事のため、通行止め。数年前一回行ったのですが、絵はがきがあったので載せておきます。

Dsc_0249 Img_20180511_0001

ということで、家に戻ってきたのがジャスト十二時。ツツジはまだ少し続きそうですが、日曜日に雨がくるようなので、行くなら明日でしょう。



2018年5月 7日 (月)

「うぬうねど けんどわだれば ひがれるろ」?

Img_20180506_0001 Img_20180506_0002

時々、通販を利用すると案内のパンフレットが来るときがあり、昨日、青森のお店屋さんから、パンフレットに、「便り」が入っており、読むともなしに読んでみると、「うぬうぬど けんどわだれば ひかれるど」という文字が目に入り、はて?と続けてよんでみると・・・・

青森県には「津軽弁」「南部弁」「下北弁」があるそうですが、広前近郊の道路で、この言葉を書いた標語を見かけたそうです。

標語のため「注意を促すものだから馴染みの方が効果的!」と言うことで、このような方言の標語を書いたそうですが、お近くの人には分かっても、長崎から行った人には分かりませんよね。

標語は、「慌てて道路を渡るとひかれるよ」と言うことだそうです。

他にも。

「赤信号いとまが止まれ ばやめぐな」
道路掲示板には、「急がばまいねよ」
工事中では、「めやぐ かけます」

と書いてあるそうで、「赤信号いとまが止まれ ばやめぐな」は「赤信号 一旦止まれ。ウロウロしちゃダメだよ」

「急がばまいねよ」は「急いだらダメだよ」

「めやぐ かけます」は「迷惑かけます」

なお、

「鴨かもるな」と言うのもあるそうで、だじゃれでは無く「鴨に触らないで」と言うことだそうです。

長崎にも、看板は多いですが、こんな看板なら楽しいですね。

方言は、自分では通じると思っても、他地方の方にはなかなか通じないもの。私も東京に出た当初は、長崎弁が通じなくて・・・・



2018年5月 5日 (土)

「海岸あたりを」&「スーパーマラニック」~千々石町

Dsc_0094

今日は天気が良く、膝の調子も良かったので、海岸あたりを歩いてみるかと。
一昨日、「上塩浜の鯉のぼり」の事を書いたので、どうかなと思って見にいったら、人で一杯。TVで放映され、ネットで見た方もいたとか。皆さん、記念写真を撮ったりで楽しんでいました。

海岸の方に行くと、釣り人が多いこと。結構、大きなお魚さんが釣れていました。私?殺生は嫌いなので釣りはしません。


Dsc_0086 Dsc_0082

帰ろうかと、駐車場に戻ってきたら、走っている人がいるので、ランニングかと思ったら、ナンバープレートを付けていたので、あれ、なにかな?

Dsc_0057

思い出したのが、数日前から立ててあった案内版。で、皆さん唐比の方から来ているみたいだったので行ってみたら、ありました。チェックポイント。

「スーパーマラニック」だそうで、調べてみたら、「マラソン+ピクニック」の造語で、順位を争うものではなく、長い距離を交通ルールを守りながら走る大会だそうです。

参加者は500名、カップラーメンを啜っている女性の方に聞いたら、なんと、北海道からの参加。

次のチェックポイントは?と聞いたら、「千々石の船津公民館です。」で、回れ右。

Dsc_0087 Dsc_0060

千々石海岸の船津公民館。スタッフの方のシャツ、カッコ良いですね。島原の武家屋敷です。最後の参加者が通ったら、また次の担当ポイントに移動するのでしょうが、大変ですよ。徹夜だから。

Dsc_0078 Dsc_0076

コースを見ると、スタートが、長崎水辺の森公園→稲佐山?→野母半島一周→網場→飯盛→唐比→千々石→小浜→加津佐→島原→雲仙越え→小浜ゴールみたいです。多分、自分の体力に合わせて距離が違うのでしょうが・・・・コースを見ただけで、ドットきました。

Dsc_0073_3

少し話をしていたら、冷えたぜんざいをいただきましたが、この日は暑かったので、おいしかった。

帰りがけ、後ろの車がクラックションを鳴らすので誰かと思ったら、橘神社の宮司さんで、今日は「尚武祭(しょうぶさい)」ということで、ありがたくも、菖蒲と、いわれを書いた説明書をいただきました。

【尚武祭とは、端午の節句のことであり、菖蒲の音(おん)が勝負に通じることから、武を尊ぶ尚武祭として行われてきました。(中略)この菖蒲は、早朝より御神殿にてお祓い、お清めされたものです。(後略)】

ということで、今からゆっくりと、ありがたい菖蒲湯に入って、今日の疲れを癒やすつもりです。とにかく、「スーパーマラニック」を見ているだけで疲れました。


Dsc_0077 Dsc_0110




2018年4月18日 (水)

「太良嶽大権現一の鳥居」復元

Photo

「歴史の道観光・文化交流協議会」で「多良海道を往く」というパンフレットが昨年3月頃発行され、関係するところが、諫早観光物産コンベンション協会・太良町観光協会とあるので、諌早の方にもらいに行ったら、これが意外と面白く、特に下のページのところが目につき、一回でかけようと思ってはいたのですが、また山歩きかと思うと・・・

で、この鳥居、明治7年8月の台風で倒壊したと「高来町郷土誌」に書かれあるそうですが、郷土誌を調べてみると「・・・湯江宿の是成門兵衛が献納した『一の鳥居』があったが、明治7年の台風で倒れ、そのままになっている。」とありましたが、昨年、復元されたとかで、GoogleEarthでチェックしてみると、案外車でいけるかなと。

で、行ってみると意外と車でも行け、上の写真になります。三段組の立派な鳥居です。「貫」は見つからず新しいものです。


Img_20180418_0001
             (「多良街道を往く」より)

柱を見ると文字が刻まれています。

Dsc_0889 Dsc_0901

柱の文字等については、説明文が横に置いてあり、これ、クリックすると大きくなるので、読んで下さい。


Dsc_0886

横には、鳥居の由来が書いてあります。これも、クリックすると拡大しますから、読んで下さい。

鳥居は、天保九年の幕府巡見使の記録に「鹿のとう(注:塔)御休息あり道の左右に鳥居あり」とあり、また、鳥居に名前が刻まれている「是成紋兵衛兌佑翁」の子孫が近くに三基の鳥居があったと親から聞いていたそうですから、本来は鳥居が一基ではなく、複数あったと思われます。


Dsc_0875_2

ここに来る道は、大きな道が平行に走っていて、一本間違えると違う道になるので、「しらぬい学園」とか、「鹿の塔斎場」を目安に進みます。この斎場までは道は良いのですが、これから先が少し狭い道。

車はあまり来ないだろうと思っていたら、3,4台通って行きました。調べてみると、この先に「名水」があり、多分水汲みに来たのではないかと思うのですが・・・


Dsc_0924 Dsc_0881

ついでに、近くにある「猪(しし)の塔」はどこかと見つけたら、これが全然分からない。ちょうど、軽トラに乗ったジイさまが来たので、聞いてみたら、「そこ」、「そこってどこ?」、「そこ」と指さすほうを見たら、すぐそこにありましたが、少し高台で、道からでは木立に隠れて分かりにくい。

軽トラックには、3個ばかりポリタンクが積んであったので、聞いてみたら「名水」を汲みに来たそうです。


Dsc_0945 Dsc_0939

確かに石塔があり、横に説明版がありましたが、クリックすると大きくなるので読んでください。慰霊碑の文字はかなりかすれていますが、真ん中の「三界」などは良く分かります。

鉄砲名人、「山口伊左衛門」が千頭もの猪鹿をとり、生き物の命を絶ったことを悔い、供養のために、この塔を建てたそうです。

説明版には書いてありませんが、郷土誌には「里人はこの猟の名人を『猟師重太夫』と呼び、また、多数の伝説も残っている。」とあります。


Dsc_0937_2 Dsc_0943

ブラブラ歩いていると、「諫早街道」の標識があちらこちらにあり、意外と整備され、昔の街道の雰囲気が味わえます。

Dsc_0927 Dsc_0928

Dsc_0958

最近、街道歩き、廃城巡り、この間は「廃道女子」がTVに出ていて、この方面が流行っているようで、諫早はこの点充実している感じを受けました。

我が市にも、島原藩主が長崎まで通った千々石街道があり、整備すれば面白いとは思うのですが・・・上の方の関心がないので、仕方無いですね。


より以前の記事一覧

フォト
2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ