旅行・地域

2018年5月11日 (金)

「雲仙のツツジ」~雲仙市雲仙


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TV、新聞などで雲仙の仁田峠のツツジが満開だということで、出かけてみました。

入り口の管理人さんに聞いてみると、仁田峠は今日が満開だとか。で、あと段々山の上の方へツツジが咲いていくだろうということでした。

途中の展望台から火砕流の跡をみると、緑がだんだん増えていますが、雨で削られた跡が、生々しく見られました。土石流にならなければ良いのですが。


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仁田峠に着いたら本当に満開。というより、十一分咲きですね。十分咲きより少し進んだ感じ。記念写真は老人クラブの方か?

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後ろから声をかけられまして、「写真撮ってくんない?」。撮ってはあげましたが、どちらかというと、妙齢の美人の方がいいな。

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左の写真。ここから妙見岳に上れます。ロープウェイに乗ればお金を取られますが、こちらから登るとロハですが、かなり辛い。昔は、平気で登っていたのですが、歳ですね。

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帰りがけ、池の原園地と宝原(ほうばる)つつじ園へと。

下が池の原園地、仁田峠とは数百㍍の高度差ですが、ツツジは枯れかけ。向こうに見える山は「矢岳」、数十年前登たことがありましたが・・・

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宝原つつじ公園、ここのツツジも池の原公園と同じ感じでしたが、お弁当を広げる所があるので、車がどんどん来ていました。老人クラブの方かな、楽しそうに宴会中。

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帰りがけ旅館街を通りましたが、「富貴屋」さんと「東洋館」さん、大きな旅館でしたが倒産しました。他の会社が運営をするとか。小浜温泉でも、旅館が潰れています。今後が心配な雲仙市です。

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昔は左の写真、○印の所から「稚児落としの滝」に行けたのですが、道路拡張工事のため、通行止め。数年前一回行ったのですが、絵はがきがあったので載せておきます。

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ということで、家に戻ってきたのがジャスト十二時。ツツジはまだ少し続きそうですが、日曜日に雨がくるようなので、行くなら明日でしょう。



2018年5月 7日 (月)

「うぬうねど けんどわだれば ひがれるろ」?

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時々、通販を利用すると案内のパンフレットが来るときがあり、昨日、青森のお店屋さんから、パンフレットに、「便り」が入っており、読むともなしに読んでみると、「うぬうぬど けんどわだれば ひかれるど」という文字が目に入り、はて?と続けてよんでみると・・・・

青森県には「津軽弁」「南部弁」「下北弁」があるそうですが、広前近郊の道路で、この言葉を書いた標語を見かけたそうです。

標語のため「注意を促すものだから馴染みの方が効果的!」と言うことで、このような方言の標語を書いたそうですが、お近くの人には分かっても、長崎から行った人には分かりませんよね。

標語は、「慌てて道路を渡るとひかれるよ」と言うことだそうです。

他にも。

「赤信号いとまが止まれ ばやめぐな」
道路掲示板には、「急がばまいねよ」
工事中では、「めやぐ かけます」

と書いてあるそうで、「赤信号いとまが止まれ ばやめぐな」は「赤信号 一旦止まれ。ウロウロしちゃダメだよ」

「急がばまいねよ」は「急いだらダメだよ」

「めやぐ かけます」は「迷惑かけます」

なお、

「鴨かもるな」と言うのもあるそうで、だじゃれでは無く「鴨に触らないで」と言うことだそうです。

長崎にも、看板は多いですが、こんな看板なら楽しいですね。

方言は、自分では通じると思っても、他地方の方にはなかなか通じないもの。私も東京に出た当初は、長崎弁が通じなくて・・・・



2018年5月 5日 (土)

「海岸あたりを」&「スーパーマラニック」~千々石町

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今日は天気が良く、膝の調子も良かったので、海岸あたりを歩いてみるかと。
一昨日、「上塩浜の鯉のぼり」の事を書いたので、どうかなと思って見にいったら、人で一杯。TVで放映され、ネットで見た方もいたとか。皆さん、記念写真を撮ったりで楽しんでいました。

海岸の方に行くと、釣り人が多いこと。結構、大きなお魚さんが釣れていました。私?殺生は嫌いなので釣りはしません。


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帰ろうかと、駐車場に戻ってきたら、走っている人がいるので、ランニングかと思ったら、ナンバープレートを付けていたので、あれ、なにかな?

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思い出したのが、数日前から立ててあった案内版。で、皆さん唐比の方から来ているみたいだったので行ってみたら、ありました。チェックポイント。

「スーパーマラニック」だそうで、調べてみたら、「マラソン+ピクニック」の造語で、順位を争うものではなく、長い距離を交通ルールを守りながら走る大会だそうです。

参加者は500名、カップラーメンを啜っている女性の方に聞いたら、なんと、北海道からの参加。

次のチェックポイントは?と聞いたら、「千々石の船津公民館です。」で、回れ右。

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千々石海岸の船津公民館。スタッフの方のシャツ、カッコ良いですね。島原の武家屋敷です。最後の参加者が通ったら、また次の担当ポイントに移動するのでしょうが、大変ですよ。徹夜だから。

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コースを見ると、スタートが、長崎水辺の森公園→稲佐山?→野母半島一周→網場→飯盛→唐比→千々石→小浜→加津佐→島原→雲仙越え→小浜ゴールみたいです。多分、自分の体力に合わせて距離が違うのでしょうが・・・・コースを見ただけで、ドットきました。

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少し話をしていたら、冷えたぜんざいをいただきましたが、この日は暑かったので、おいしかった。

帰りがけ、後ろの車がクラックションを鳴らすので誰かと思ったら、橘神社の宮司さんで、今日は「尚武祭(しょうぶさい)」ということで、ありがたくも、菖蒲と、いわれを書いた説明書をいただきました。

【尚武祭とは、端午の節句のことであり、菖蒲の音(おん)が勝負に通じることから、武を尊ぶ尚武祭として行われてきました。(中略)この菖蒲は、早朝より御神殿にてお祓い、お清めされたものです。(後略)】

ということで、今からゆっくりと、ありがたい菖蒲湯に入って、今日の疲れを癒やすつもりです。とにかく、「スーパーマラニック」を見ているだけで疲れました。


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2018年4月18日 (水)

「太良嶽大権現一の鳥居」復元

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「歴史の道観光・文化交流協議会」で「多良海道を往く」というパンフレットが昨年3月頃発行され、関係するところが、諫早観光物産コンベンション協会・太良町観光協会とあるので、諌早の方にもらいに行ったら、これが意外と面白く、特に下のページのところが目につき、一回でかけようと思ってはいたのですが、また山歩きかと思うと・・・

で、この鳥居、明治7年8月の台風で倒壊したと「高来町郷土誌」に書かれあるそうですが、郷土誌を調べてみると「・・・湯江宿の是成門兵衛が献納した『一の鳥居』があったが、明治7年の台風で倒れ、そのままになっている。」とありましたが、昨年、復元されたとかで、GoogleEarthでチェックしてみると、案外車でいけるかなと。

で、行ってみると意外と車でも行け、上の写真になります。三段組の立派な鳥居です。「貫」は見つからず新しいものです。


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             (「多良街道を往く」より)

柱を見ると文字が刻まれています。

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柱の文字等については、説明文が横に置いてあり、これ、クリックすると大きくなるので、読んで下さい。


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横には、鳥居の由来が書いてあります。これも、クリックすると拡大しますから、読んで下さい。

鳥居は、天保九年の幕府巡見使の記録に「鹿のとう(注:塔)御休息あり道の左右に鳥居あり」とあり、また、鳥居に名前が刻まれている「是成紋兵衛兌佑翁」の子孫が近くに三基の鳥居があったと親から聞いていたそうですから、本来は鳥居が一基ではなく、複数あったと思われます。


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ここに来る道は、大きな道が平行に走っていて、一本間違えると違う道になるので、「しらぬい学園」とか、「鹿の塔斎場」を目安に進みます。この斎場までは道は良いのですが、これから先が少し狭い道。

車はあまり来ないだろうと思っていたら、3,4台通って行きました。調べてみると、この先に「名水」があり、多分水汲みに来たのではないかと思うのですが・・・


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ついでに、近くにある「猪(しし)の塔」はどこかと見つけたら、これが全然分からない。ちょうど、軽トラに乗ったジイさまが来たので、聞いてみたら、「そこ」、「そこってどこ?」、「そこ」と指さすほうを見たら、すぐそこにありましたが、少し高台で、道からでは木立に隠れて分かりにくい。

軽トラックには、3個ばかりポリタンクが積んであったので、聞いてみたら「名水」を汲みに来たそうです。


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確かに石塔があり、横に説明版がありましたが、クリックすると大きくなるので読んでください。慰霊碑の文字はかなりかすれていますが、真ん中の「三界」などは良く分かります。

鉄砲名人、「山口伊左衛門」が千頭もの猪鹿をとり、生き物の命を絶ったことを悔い、供養のために、この塔を建てたそうです。

説明版には書いてありませんが、郷土誌には「里人はこの猟の名人を『猟師重太夫』と呼び、また、多数の伝説も残っている。」とあります。


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ブラブラ歩いていると、「諫早街道」の標識があちらこちらにあり、意外と整備され、昔の街道の雰囲気が味わえます。

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最近、街道歩き、廃城巡り、この間は「廃道女子」がTVに出ていて、この方面が流行っているようで、諫早はこの点充実している感じを受けました。

我が市にも、島原藩主が長崎まで通った千々石街道があり、整備すれば面白いとは思うのですが・・・上の方の関心がないので、仕方無いですね。


2018年4月16日 (月)

2018「吾妻はたあげ大会」

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    (「長崎古今集覧名勝図絵」より~長崎文献社刊)

長崎の人間はホントに、はたあげが好きですね。上の図は、江戸時代の金比羅山での風景ですが、酒なんか飲んで楽しんでいる方もあるようで、まさに花見。

毎年、愛野町と吾妻町で、はたの保存会の方が、1週間ずらして、はたあげ大会を実施しています。

愛野町の方には行けなかったので、吾妻町の方に、お邪魔をしましたが、長崎の愛好会の方なども参加していたとか。


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こちらには、はたを売っているところはほとんど無く、全部手作り。もちろん絵も手書きです。

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かなりの年配の方ですが、いろいろ考えるもんで・・・右は子どもの参加者用の小さなはたですが・・・

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長いシッポをつけて、意外と高く飛びます。大人も負けすに飛ばします。

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弓の形の所、昔は牛とか馬などの皮を薄く削って張っていたそうですが、今では包装などに使うテープを使います。これがブーンという低い音で、まさに、癒やしの音ですね。で、これだけ大きいはたを揚げる糸は、右の写真の足下に置いてあるように、電線の巻き取り幾などを使っています。高く飛ぶので、かなりの長さです。


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鯉のぼりまで飛んでいます。右はクラゲ?目玉までちゃんと付いています。

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私が行くのが早かったせいか、子どもが少ないのが少し残念でした。

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子どもはゲーム、大人はスマホ。昔が良かった、とは言いませんが、最近は子どもをキャンプなど野外活動に連れて行ったりすることが少なくなったようです。

あちらこちら、災害が起こっているようですが、野外活動も経験していると役に立つ事もあり、必要だと思いますが、今の保護者の方は、野外活動の方法を知らない方も多いようで・・・・


2018年4月12日 (木)

「遅すぎました」白木峰菜の花畑&コスモス花宇宙館~諫早市白木峰

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今日、目覚めて、あ、あそこに行ってなかったなと思いだし、白木峰高原に菜の花を見に行ってみました。カミサンはどうせ留守だし。

ところがですね、駐車場は空っぽ、売店は無人。おかしいなと思いつつ、菜の花畑に行ってみました。

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で、行ってみたら、人影が無く、私一人。菜の花も盛りを過ぎたのか、今から咲いていくのかも分かりませんが、なんとなく、散ってしまった感じ。いつもは、3月上旬から4月の上旬に行って花盛りなのですが・・・少し遅かったか。

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時間があったので、「コスモス花宇宙館」に寄って見ました。お花畑から少し下ったところです。諫早市の「子どもの家」と一緒の場所に建ってます。

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こちら、「コスモス花宇宙館」。入場料はロハです。

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下が、「こどもの城」。思わず思い出しました。福岡は中州の「おとなの城」。楽しかったですね。諫早市も作ってくれませんかネ。「おとなの城」。随分、良い思いをしたのですが。

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と言うことを考えつつ、快感時間・・すみません、つい思い出して、happy01 開館時間ですね。少し開館まで時間があったので、外をウロウロしたら・・・

敷地が狭いと思ったら、意外と広く良いところなので、お金も無く、というカップルの方には最高ですね。眺めも良いし。

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「ボケ」に「ボロボロノキ」。ボケてボロボロになっている私のために植えたんじゃないかな?

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天体観測会を結構実施しているみたいでした。入ったところに右側の看板。はやり、散り始めですね。あとで、聞いたところ、毎日状態を見ているから、こちらの方に状況を聞いていただければ、と言うことでした。皆さんも確認をして行くように。私の二の舞を踏まないように。

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2階がアートスペースで、本日はガラス絵と押し花展、みなさん上手ですね。

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こちらがメインの「コスモスミュージアム」。郷土の画家、荒木幸史氏のコスモス絵画27点が展示してあります。ファンタステックでいい絵ですね。

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荒木氏がコスモスに囲まれ絵を描いているところ。絵になりますね。アグネスチャンさんも訪れたようでした。

ただ、主催事業など書いたチラシをみると、5月に「荒木幸史追悼展」とか「荒木幸史偲ぶ会」など書いてあり、亡くなられたのかな?


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あと、あそこに菜の花が無いかと思って、諫早干拓地のコスモス園に行ってみたら、ご覧の通り。ただ、管理小屋には、「菜の花クロスカントリー」の看板があり、菜の花が無いところでは、クロカンはできないでしょう。多分行政の予算不足か、手抜きでしょう。

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と言うことで、今日は残念でしたが、これからはツツジ、サツキ、ひまわり、おとなの城の花盛り会、ひまわり、コスモス、紅葉狩りと、なんとなく一年中花に追われている感じ。



2018年4月 8日 (日)

「岡政屋上より県庁を望む」~長崎の夜景

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「絵はがき」の題は「岡政屋上より県庁を望む」となっています。
県庁は写真左側の大きな建物です。

「岡政」は1854年(安政元年)に
「徳島屋」として創業、いろいろありまして、「長崎大丸」になるも経営思わしからず2011年に完全閉店。
詳しくは
こちらをクリック

田舎では、まだ岡政の看板が残っています(GoogleEarthより・下の写真)。

子どもの頃は、浜町にいくと、「浜屋」か「岡政」に必ず寄ったもので、特に屋上の遊園地が楽しく、遊覧飛行機に乗るのが楽しみでした。

現在、建て変わったみたいですが、残念ながら歳とると億劫になって、まだ行っていません。

さて、上の写真を見ながら、「あれ、こんなんだっけ」とは思いましたが、私は小さい頃は良い子で、夜遊びをしたことが無く、このような風景は見たことがありませんでした。いつの頃の写真か考えているのですが、残念ながら、よく分かりません。

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赤丸が現在の県庁で、GoogleEarthから拝借しました。緑の矢印が「出島」付近で、最近、復元されましたが、これも行ったことがありません。

なお、県庁は昔、サンパウロ教会が建っていたところでイエズス会の本部があり、被昇天のサンタ・マリア教会、イエズス会管区長館等があり、その後、長崎奉行所、海軍伝習所として使われており、県庁は移転をしましたから、いずれ取り壊しになり、その折、発掘調査が行われると思いますので、なにが出てくるか興味のある所です。

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下は。「長崎古今集覧名所圖絵」、諏訪神社の「くんち」の図ですが、江戸時代からお客さんが一杯ですね。なにやら、ゾウさんみたいなのが描いてありますが、なんか、昔の方がすごいですね。

さて、この諏訪神社から県庁まで、高台が続いています。昔は下の方が海で、長い岬になっていますから、長い岬で、「長崎」と言う話もありますが・・・・

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昔の長崎の地図は下のように出版されていますから、お買い求めを。700円ですが、中身に比べればお安い買い物です。出島、新地なども、昔の姿がよく分かります。

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こちらは関係ありませんが、明治30年発行「大日本圖管轄轄分地圖 長崎縣管内圖」で、「町」が「丁」になってます。同時代の地図を調べたら、ちゃんと「町」になっていました。なぜだろう?

最も辞書を調べたら、「丁」では「市街の区分。『一丁目』→町」。「町」では「(丁とも書く)距離の単位」となっていますが・・・?

島原では、下新丁(したじんちょう)、下の丁(したのちょう)、城西中の丁(じょうせいなかのちょう)、古丁(ふるちょう)、江戸丁(えどちょう)などもあり、聞いたところ、島原城初代城主・松倉重政時代からのもので、近年の町の合併、町名変更にも応じなかったとか。という話でした。本当かどうかは調べてないので責任は持てませんが。


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さて、一番上の写真を見ていると、長崎のネオンサインが恋しくなりました。ドクターストップがかかっていなければ、行くのですが。



2018年3月25日 (日)

「さくら三ヵ所巡り」★とけんさん公園(小浜町)★さくらのくぐり抜け(森山町)★橘公園(千々石町)

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今日は、朝からカミサンとケンカ。原因と言えばたわいも無いことなのですが。まあ、二人でやることもないし、たまには・・・・

で、少し顔も見たくなくて、神社三ヵ所巡りならぬ、「さくら三ヵ所巡り」をしてみました。といっても、お近くの車で20~30分の場所、一ヵ所は私の散歩コースですが。

小浜の「とけん山公園」です。ここの良いところは、高台にあるために、桜と海が見られること。駐車場が少し狭いのでお早めにお出かけを。

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最近、新聞とかTVに出ている、森山町の桜の通り抜け。
ディサービスの女の子とちょうど出会い。話をしたら、高齢者の方は、バスに乗ったまま桜を見るのが良いので、下見に来たとか。かなり多数の車が、桜を楽しみながら通っていました。

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橘公園、橘樹神社、私の散歩コースなので少し詳しく。

先日、書いたように神社の屋根から雨水が漏ってくるので、屋根の張り替えが必要で、裏側に回ったら、仕事場か、資材置き場か作りかけ。

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桜はほぼ満開。天気は良いし、日曜日だし結構な人出でした。ただ、昔みたいに、酔いたくれてとか、ケンカとはなく、なんとなく寂しいですね。

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今年は、いつもより屋台が多いみたいな感じで、桜の開花基準木も、ほぼ満開。

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はやり皆さん、「ワー!」と言って見るのが橋の下の桜。上から見る桜も、また、変わって良いものです。

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帰りに見受けた「ポン菓子」。昔は、リヤカーに積んで、こちらは米を持って行って、「ポン菓子」にして貰ったものです。今は機械で回していますが、昔はおじさんが手で回していました。

花見のマイクロバスかなと思ったら、中学校とクラブチームのマイクロバス。今では、中学校のチームでも持っているのですね。もっとも、保護者の方からの寄付金からでしょうが。保護者の方は子どもがプロになるのを夢見ているのでしょうが。儚い夢でしょう・・・

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帰りに買ってきた誕生日ケーキ。分かってくれるかな?

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桜はかなり満開状態で、月末まで風雨がなければ、もつかなという感じでした。ご覧になる方は早めに。



2017年12月18日 (月)

「千々石福石様」~昔の風景

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絵はがきなので、はっきりした年代は分かりませんが、大正~昭和初期だと思います。

場所は、いつも取り上げている千々石海岸の福石様です。昔、大津波がきたとき地蔵様が海中に身を投じ、潮が引いたということで、岩の上に祀って福石様と称したそうです。

で、上の写真にはお地蔵様が写って無いんですね、二つ考えられ、この頃にはまだ無かった。または、大正11年12月8日に「肥前国千々石灘地震」が起こったときに落っこち、後で引き揚げられたのかもしれません。

あと、岩の間に船が写っていますが、昔、長崎から小浜に湯治に来るとき、長崎からは陸路がまだ不便で、長崎から峠を越え、茂木から船に乗り、小浜の「石合(いしあい)」まで来たそうですから、多分、その船だと思います。

下の写真は現代の写真ですが、福石様の向こうに写っているのは漁港です。
昔はこの浜は伝馬船が一杯でしたが、今は一隻もいません。もっとも、伝馬船は現在はまったくなく、船は漁港に繋がれています。あと、上の写真では福石までの道がまだ作ってありません。しめ縄もありません。

現代は、防波堤とかテトラポットだらけで、安全のためでしょうが、昔の方がなんとなく活気があるようで、いいですね。

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今年は3日間限定で、イベントで茂木~小浜まで船を走らせたそうですが、「シーライナー」ですから、昔のようにのんびりした、船旅ではなかったでしょう。

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2017年10月31日 (火)

行くなら今!「雲仙仁田峠」~長崎県雲仙市

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今朝、新聞を読んでいると雲仙が紅葉しているとか。いつもは、新聞より先に行って状況を書いていたのですが、ここ2,3日、天候が安定せず、行こうかと思いながらも、新聞に先を越されました。

天気は最高に良く、と言っても平日なので駐車場は十分に空いていました。

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で、まあ新聞と一緒の事を書いても面白くないし、久しぶりに、妙見岳の反対の野岳に行ってみました、確か、この遊歩道は4,5年前にも取り上げたことがあるのですが。

道は、十分広く休息所までありますが、こちら側に来る人はほとんどありませんね。お二人で行けば、雰囲気がある所なのですが・・・heart04


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途中から、橘湾を眺めたところです。湖が別所ダム。別名、鴛鴦(おしどり)の池。ダムができる以前は、加持川という川が流れていて、どんなんか写真を探しているのですが、不思議に見つかりません。

なお、雲仙は修験道の修行の場であり、この別所と瀬戸石原に僧房があり、あわせて1000の僧坊があったそうですが、言い伝えによると、「白雀の乱」が起こり、両方の僧が争い荒廃したそうです。

写真の左下。野原みたいに見えるのが、「雲仙ゴルフ場」。


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野岳まで0.5キロメートル。昨日、桐生祥秀さんが100メートル9,98秒の記録を出しましたが、それなら、500メートルだったら50秒かからないじゃないですか。私、足が遅いので倍としても100秒という事で、行っては見ましたが、この山頂登るのに少したいへんなんですよね。

スマホを見ると、4Gが通じているので、どうしようかとも思いましたが、最近、心臓の調子が少しあやしく、救急車は入らないし、消防隊員さんが運ぶのも大変だなと思い止めました。


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なお、ここは昭和天皇も来られ、和歌を作っておられます。左側は「総理大臣 吉田茂」、「長崎県知事 西岡竹次郎」の文字が読み取られますが、前面はほとんどボロボロです。

少し上に昭和天皇陛下の御歌が書いてあり、

「高原に みやまきりしま うつくしく むらがり咲きて 小鳥とぶなり」

みやまきりしま、とは時期とはちゃうのですが、まあ、気にしないで・・・


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火砕流の跡ですが、まだまだ爪痕が消えません。

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