旅行・地域

2020年11月21日 (土)

2020/11/20「三十路苑」の紅葉状況★雲仙市小浜町

Photo_20201120195301

昨日(11月20日)より「三十路苑」が開園したので、行ってみました。

できたての頃は、もっと狭かったのですが、年々拡大し訪れる人も多くなってきました。平日、しかも午前中にもかかわらず結構な数のお客さん。

駐車場は六兵衛茶屋の所が分かりやすくて良いのですが、少し階段があって足が弱っているにはキツいかと。

他にも駐車場はあるのですが、入り口が少々分かりにくく、電灯は道沿いに設置してありますが、夜間は車の運転が苦手な方にツライかも、。一番安全なのは、やはり六兵衛茶屋のところですね。


Pb202572 Photo_20201120195701

歳をとった方が多いかと思ったら、結構若い方もウロウロと。左は家族連れですが、お母さん、「深呼吸するのよ、鼻から大きく息を吸って・・・」「どうして?」「だって東京じゃ、排気ガスなんかがひどいでしょう。ここ、そんなものないから」と、東京からの旅行ですね。GoToトラベルの利用者かな?

竹と紅葉が良くマッチしています。右の所もよく写真に紹介されています。

Pb202629  Pb202575

前の日は風が強く、雨も一時ひどかったので、かなりの紅葉が散っていました。

 Pb202590 Pb202605

皆さん良いカメラですね。少々お年の方でしたが、私のカメラの何十倍か(-_-)。右の池は紅葉の赤い色が映るとキレイなのですが、ここのあたりはまだ赤くなっていませんでした。写真撮影のスポット。

Pb202638 Pb202649 こ

以前は出店は無かったのですが・・・紅葉は右のように赤くなります。まだまだ、青い葉の紅葉があるので、これからもっと見ごたえがあるかと思います。なお、ライトアップもしているので、これも美しい風景が見られます(寒いけど)。

Pb202650 Photo_20201120200201


2020年11月 8日 (日)

令和2年「天満宮のしめ縄作り」

Pb082493

正月を前に、自治会にある天満宮のしめ縄の張り替え。

この天満宮は「千々石ミゲル」の父が戦に敗れ亡くなるとき、平和を願い天満宮を作るように言い残し、後年建てられたという謂われがある神社です。

集まったメンバーが15名程度。

千歯こき。稲の穂を歯と歯の間に入れ、引っこ抜いて、籾粒を落とします。脱穀ですね。すでに脱穀は終わっている稲穂ですが、しめ縄に使うため、念のため千歯こきを使っています。鉄で作ったものもありますが、これは全部木で作ってあり、手作りですね。

この藁を柔らかくするため、道路工事用のローラーを使って・・・昔は「お父は土間で、藁打ち仕事・・・」とやっていましたが(私は見たことがありません。カミサンはガチ見ています。)・・・この歌、学校では教えていないので、知らない方は多いと思いますが・・・


Pb082410 Pb082416  

皆で右のように藁を作って行きます。これを、しめ縄を作るとき、差し込んでいきます。

Pb082422 Pb082430

しめ縄にぶら下げる飾り物。右の写真の矢印は「はみきり」。牛や馬の餌の藁を小さく切るためのものですが、「押し切り」とも言っているみたいです。現在、農家でも牛や馬を飼っているところは無く、良くとっていたものです。ザックリと切れます。指など入れていると大変ですヨ。下の方を揃えます。

Pb082433 Pb082436

いよいよ本番。しめ縄を巻いていきます。が、毎年のごとく、手順の確認。以前、手順を間違え、巻き終わったしめ縄の手を離した途端、バラッとほどけたそうです。

Pb082460 Pb082461

巻いた後は、藁が飛び出ていますから切り取ります。散髪ですね。

Pb082470 Pb082481

鳥居が二つありますから、2ヵ所へ取り付け。一年も経つと下へ垂れるので、少し上の方へと取り付け。で、完成。一番上の記念写真。

ところがですね、去年の写真と見比べれば、なんか変。よく見るとしめ縄につける、紙のピラピラ「紙垂」が無い。皆さん忘れていたのかな?


Pb082482 Pb082487 

帰りに「温泉神社」に寄ってみると、こちらも新しいしめ縄でした。本来、秋の大祭の担当地区が作るのですが、今年は祭りがコロナで中止になり、神社の総代さんを中心に作ったそうです。

鳥居の所に自動車が入っていたので、神様に無礼ではないかと思ったら、自動車のお祓いでした。


Pb082500 Pb082507_20201108201301   

しめ縄作るとき、縄を右に巻いたり、左に巻いたりの違いがあるそうです。また、真ん中から巻いていく所、端の方から巻いていく所と違いがあるようです。ネットで、イロイロと流れているので、見ていくと面白いですよ。これで、新たな年を迎えられます。


2020年11月 6日 (金)

②「一切経の滝」と「稚児落しの滝」~雲仙二つの滝★稚児落しの滝編

Img_20201105_0001 Img_20201105_0002

左の絵はがきは以前ブログに載せた写真。例によって、いつの頃の絵葉書かは分からなかったのですが、横浜に「絵葉書写真館」という所があり、そこをあせくっていたら(ネットで)、たまたま同じ絵葉書があって、幸いなことに上の方にスタンプが押してあり、「雲仙公園」「15.5.22(?)」「登(?)山記念」とあり絵葉書の説明は「長崎縣温泉公園稚児落の滝」とあるので、この絵葉書は明治44年~昭和9年の間に撮された写真です。

なお、この滝の歴史については以前書いているので、それを参考に→こちらをクリック


Img_20201105_0003 Img_20201105_0004

写真の下の方の石に注意をすると、全部の写真にこの石が共通して見られます。

上の左の写真は「(雲仙の名勝)傳説に悲しき稚児落の滝」(英文の説明も有り)の説明あり。右の写真は「(雲仙)稚児落しの滝」の説明。あとは英文の説明。この2点については年代不明。


Img_20201105_0005 Img_20201105_0006

左の写真は「(雲仙公園の名勝)傳説悲しき稚児落の瀧」、下の方に「(日本八景)C」の説明有り。日本八景に選ばれたのが昭和2年ですから、この後だということは分かりますが・・・

右の写真は「國立公園 雲仙 稚児落しの瀧の美観」。ありがたいことに裏に「昭和26年6月9日 雲仙岳登山記念」とあります。ただ、国立公園に制定されたのが昭和9年、写真の説明が、左から右書きと、「国」が「國」ということを考えれば戦前に作られた絵葉書だとも考えられます。


私がここを訪れたのは20年くらい前だったと思います。千々石から雲仙にいたる道の途中、「稚児落しの滝」という小さな案内版があったので、そこから入っていきましたが、あまり良い道ではなく、滝かな?と思う所はありましたが、写真のように水が流れ落ちるという風景ではありませんでした。


考えて見れば、ここは雲仙の別所に「加持川」(別所には700の僧房があり修行をしていた所で「加持祈祷」の「加持」と関係があります、多分)を堰き止めて「別所ダム」が作られています。竣工が1968年(昭和42)ですから、それ以降は満水時以外はあまり水が流れていなかったのだと思います、ですがね、近年、ここの写真が何枚かネットで見られ、あまり年月日は分からないのですが、その中に2010年の写真があり、これ結構水が流れ落ちています。→こちらをクリック

滝は雨の状態、放流等によって流れ落ちる風景が変りますが、こんなに流れているとは思いませんでした。

なお、上の写真を見ると女性の方、子供まで普通の服装で写っています。足元を見ても、ごく普通の靴。だということは、この頃は誰でも気軽に入れた所だと思われます。


このあたり、近年、道が拡張され、そのとき通りかかったら「立ち入り禁止」の札がありましたが、現在は案内表示、立ち入り禁止の札も無く、ガードレールに塞がれているようでした。歴史がある滝なので、整備をしたらどうなのかとは思いますが、以前のような滝があるのかどうかは不明です・・・危険な状態みたいなので、皆さんは立ち入らないように。


【追加】

この滝については「白雀」という謡曲があり、今まで埋もれていたのですが、平成27年島原城天守閣50周年記念の時、謡が復曲され披露されています。

Img_20201106_0002



2020年11月 4日 (水)

①「一切経の滝」と「稚児落としの滝」~雲仙二つの滝★一切経の滝編

Img_20201104_0005

雲仙には二つの滝があります。「一切経の滝」と「稚児落としの滝」。


この滝の事を書こうかと思っていたら、二つとも以前紹介したことがあるんですね。歳取ると、忘れることが多くて。で、やめようかと思ったのですが、古い絵葉書が手に入り、紹介方々。なお以前の記事は→こちらをクリック。詳しくは、こちらに書いているので参照してください。

上が雲仙の旅館街と付近の地図になります。大正13年に発行された、「温泉を繞(めぐ)りて★杉村廣太郞著」なので大正13年の雲仙の様子がよく分かります。クリックするとキレイに大きく見えます。

左の矢印が「稚児落としの滝」、右の矢印が「一切経の滝」、真ん中の大きな円が地獄と旅館がある所。


今回入手した絵葉書が下の2点。左は「大日本国立公園」の文字があるので、国立公園に制定されたのが昭和9年ですからそれ以降の風景。右は「長崎温泉(うんぜん)公園の瀧」とあり、長崎県立温泉公園は、明治44年に開設で昭和9年から国立公園ですから、この間の風景。


左の写真を見ると、いかにも「立派な滝!」と思いがちですが、右の写真、赤丸印の所に人が写っているので、滝の大きさが分かると思います。特に滝の右側の岩。特徴があるので一緒の滝だということが分かります。


Img_20201104_0002 Img_20201104_0001

左の絵葉書、右が「稚児落としの滝」。左が今回紹介している「一切経の滝」。二つ並べているのは、なんとも珍しい。右の写真は前にも紹介しましたが、外人さんが滝の所を締め切ってプールにして遊んでいるところ(「雲仙お山の情報館」提供)。

Img_20201104_0003 8_20201104203201

一切経の滝、稚児落としの滝は本、ネットなどで紹介され有名なのですが、千々石の方と話していると「稚児落としの滝はナンね」とか、「行ったことはナか」などと言われる方が多いみたいです。稚児落としの滝は、古い絵葉書が意外と多く残されています。残念ながら現在行くことができないので、次回、絵葉書でお楽しみを。



2020年11月 2日 (月)

「鼠島(海水浴場)」~鼠島の思い出など&西郷四郎

Img_20201102_0001

上の絵葉書を入手した頃、ご縁があったのか、田栗奎氏が書かれた「長崎遊泳協会六十五年誌ー鼠島年代記ー」(長崎遊泳協会記念誌編纂委員会)という本を読むことができました。出版が昭和四十三年になっているので、50年近く前の本になります。下の3点の写真は、この本より転写したものです。

上の写真は長崎港から汽船に引かれて鼠島に着いた「団平船」。思いもかけず、この絵葉書を手に入れましたが「8.7.28」の消印があるので、多分昭和8年の事かと思われます。私たちの時は確かポンポン船だった気がするのですが。


長崎で年配の方は覚えているかと思います。といっても、私は小学校の4年~5年生の時に行ったばかりですが。なにせ、半世紀ばかり昔のことで、おぼろげな記憶ですが・・・

学校の生徒は木札(定期券)を買って通っていました。鼠島には2ヵ所泳ぐところがあって、片方は一般客、もう片方が長崎遊泳協会が子供たちに水泳を教えていました。

上の写真の水着をつけている子供がかぶっている水泳帽子、各々違っています。確か段級があって、帽子で区別をしていました。木札を持った子供は長崎遊泳協会の場所で水泳を習わなければならなかったのですが・・・教え方が厳しく、私は悪い子なので、一般客のところで遊んでいました。時々、見回りが来るので、水泳帽子は海水パンツの中に隠していました。


ウチのオヤジもここで水泳を習って、メチャ高段でした。戦時中、ビルマに派遣され上陸寸前、乗っている船が魚雷に当たり沈没して一晩海の中を漂っていたそうですが、無事だったのは、ここで習った水泳が役にたったのだと思います。


で、私は遊んでばかりいたので未だもって、まったく泳げません。大人になってスイミングスクールに通ったのですが、顛末は以前書いたので→こちらをクリック。もっとも、あのスイミングスクールも潰れていました。


鼠島の一番の思い出は、この本にも書いてある”ハジキ豆”のことで、布の袋の中にハジキ豆を入れて泳いでいると、豆がだんだんふやけて柔らかくなり、ちょうど良い塩加減になり美味しくいただけました。あと、イベントがあって、大名行列、御神輿かつぎ、兜を着けての泳ぎ、立ち泳ぎをしながら大きな板に書を書いたり、沖の小舟に棹を立て、その上に日の丸の扇を付け立ち泳ぎをしながら矢で射貫く。那須与一ですね。那須与一のようには当たりませんでしたが・・・


下の写真が鼠島。現在は埋め立てられているそうですが、一部浜辺が残っているそうです。


Img_20201102_0002

下の写真は明治42年の写真。真ん中の髪の長い方が主任師範の町野晋吉氏だそうですが、すごいオーラ。回りの青年達のバキバキした体、羨ましい~。

Img_20201102_0004

下の写真の矢印が「西郷四郎」。小柄(身長153㎝~158㎝の説)だとは聞いていたのですが、こうしてみると確かに小柄。この体で、講道館の四天王とは信じられません。最近は「西郷四郎って知ってる?」と聞いても「誰よそれ」などと言う方が多く、悲しい思いをしていますが「姿三四郎のモデル!」を言うと「あ~」となんとなく、分かったような・・・

西郷四郎は長崎遊泳協会の設立に関わっていたとは知っていたのですが、柔道家がなんでと?とは思っていたのですが、本を読んで分かりました。


明治35年7月15日の東洋日の出新聞に「鼠島も一昨日は日曜のこととて百四、五十人は集まりたれども一度も水には入らず、ウロつきいるハイカラ多く、何のために拾銭投げ出して小蒸気の煤煙をかぶりながらやって来のか更に判らず、もっとも設備の皆無のためもあるべく、端舟一隻だに用意なきは危急の場合にドーする量見にゃー」と載ったそうです。


明治38年に「瓊浦遊泳協会(後の長崎遊泳協会)設立趣意」が出され、主唱者は、東洋日の出新聞社長の鈴木天眼。役員の主だった人が発起人として名を連ねたそうですが、顧問が長崎県知事荒川義太郞。理事として、東洋日の出新聞社西郷四郎の名前も入っています。なお、庶務を同新聞社員4名が担当をしています。


ということで、長崎遊泳協会設立には”東洋日の出新聞”が大きく関わって、西郷四郎は社員ですから一翼をになっていたことが判ります。なお、社員の中でも理事は西郷四郎だけですから、新聞社の中でも重鎮だっと思われます。


Img_20201102_0003

鼠島の海水浴場は昭和47年に閉鎖になりました。

西郷四郎については、私のブログでも書いていますのでご覧下さい。なお、鼠島、長崎遊泳協会の詳しい歴史については「長崎遊泳協会」のホームページをご覧下さい。→こちらをクリック

3枚の写真は「長崎遊泳協会六十五年誌」より。


 

2020年10月27日 (火)

2020/10/26「雲仙の紅葉」

Photo_20201026204101

天気快晴、気温もちょうど良く、紅葉もほど良く、景色も良く、悪いのは私の体調ばかり。

休日は車が混むので、昨日、朝から出かけてみました。


左がゴルフ場の駐車場の紅葉ですが、なんとなくイヤですね、色づいてなく不安。ところが、仁田峠までの循環道路まで行くと右の写真。なんとなくホッとします。しかし、この「100円」ですね。本当は無料道路になったのでいらないんですが、以前の料金徴収所の所にはチャンと人がいるので、なんとなく「100円」払わないと悪い気がして、皆さんも見ていると払っていきますネ。「ご協力」ですから、払わなくてもいいのですが・・・


Photo_20201026204201 Photo_20201026204202

平成新山の火砕流跡。平成2年に噴火活動が起こり、平成3年に火砕流が流れ落ちました。29年前になります。ちょうど私が車を運転していた時、空が真っ黒になり、まわりに灰が降ってきて、昼にもかかわらず前が見えなくなりヘッドライトをつけた覚えがあります。

アップで撮して見ると、まだまだ爪痕が残っています。確か草の種など蒔いたと言うことですが、この急斜面。雨が降ったら流されてしまうでしょう。


Photo_20201026204203 Photo_20201026204301

雲仙は春がツツジ、秋は紅葉ということになります。本来ロープウェイに乗るか、歩いて登って谷を見るのがキレイなのですが、体調が悪いので駐車場から 眺めるだけにしました。

11月中旬まで見ごろだそうです。土、日曜日は多いと思うので朝早めにお出かけを。この道、一方通行なので、どんなに混んでいてもUターンはできません。


Photo_20201026204302 Photo_20201026204303 

下の左の絵葉書は霧氷が見えますから、冬の風景。裏に「昭和26年6月9日雲仙登山記念」とあり絵葉書ですから、それ以前に撮られたものでしょう。仁田峠の展望所で、今はまだ広くなっていますが、この人なんでしょう?皆さんは真似をしないように。

右はロープウェイ乗り場の上から見た絵葉書、年代は分かりません。。黄色がロープウェイ車と発着場。赤丸が仁田峠の駐車場ですが大型バスが多いのに気づきます。多分、修学旅行のバスだと思われます。赤線は駐車場へ入る車がズラリと並んでいます。こんなに賑わった時代もありました。


赤の矢印が「ゴルフ場」。ただ、上の矢印。池みたいなのが見えます。ゴルフ場の中には、以前書きましたが「空池(からいけ・そらいけ)」という所があります。現在、水は溜まっていませんが、ひどい雨の後にはこんなになるのかどうか、地元の方に聞かないと分からないので、またの機会に。


Img_20201027_0002 Img_20201027_0001

このあと、ここ数年、紅葉で有名になった「三十路苑」に寄りましたが、進入禁止のロープが張られ、まだまだのようでした。



2020年10月21日 (水)

「給湯管」かな?~雲仙

1_20201021200901

どうでも良いといえば、どうでも良いことなのですが・・・

上の絵葉書を見ていると、下の方に管のような物がみえます。

(各写真は、クリックするとハッキリと見えます)

8_20201021200901

2012年11月10日に「ガイド養成研修」の様子をブログに書きましたが、その時、地元のガイドさんから、昔の温泉の給湯管(というのかどうかはよく分かりませんが)は、杉をくり抜いて、源泉からお湯を引いていたという話しを思い出し、行ってみたら、まだありました。中心の所、穴が見えます。

3_20201021201001

今は、下のような管でお湯を引いています。左は湯気が出て、管が数本あるところを見ると源泉の一つかと思われます。

4_20201021201001 5_20201021201101

もう一つ思い出したのが、下のガラスの乾版で。

6_20201021201101

ポジに直したら下の写真。矢印の所、特に黄色の矢印、なにか流れているのが見えます。

7_20201021201201

ここも源泉らしく、といえばお湯しかないのですが・・・最初は竹かと思ったら、意外と分厚い感じで、多分木を利用した管みたいな感じです。

一番上の写真は「日本八景雲仙岳」と書いてあり、「日本八景」に選ばれたのが昭和2年ですから、それ以降の事になります。


ガラス乾版の写真は、小浜の写真屋さんが撮った写真で、他にも20枚ほどあり、調べてみると明治後期~大正期の写真のようです。


ですから、ガラス乾写真が一番古く、絵葉書が次に古いと思われます。
給湯管は最初、上側からくりぬき、その後、中心をくり抜いたものだと思われます。

2_20201021201201

ついでに、地獄の中を歩いてみましたが、昔は温泉卵を売る人も沢山いたのですが、今、一軒だけみたいでした。記念写真屋さんもいて、団体、新婚さんなどを撮って後で郵送していたのですが、今や写真屋さんは一人も見受けられませんでした。スマホで皆さん自撮りなどしていました。

右の写真は、雲仙お山の情報館別館に飾ってあった写真です。見るとおりバスと観光客で一杯です。バスはボンネットバスではないので、そんなに昔ではないと思われます。思えば長崎の小学校の修学旅行は雲仙でした。私もでした。


9_20201021201301 10_20201021201301

このお山の情報館別館、貴重な写真が沢山展示してあるのですが、お客さん(ロハです)が少ないので残念です。ここを見ずして、雲仙を語るなかれなのですが・・・

Pa071563



2020年10月19日 (月)

「先用後利」~志の輔落語VS北日本新聞社

Img_e6908 Img_20201019_0002

最近YouTubeで落語を聞くのが日課になっており、先日、志の輔さんの「先用後利」を聞きました。

よくできた落語で、最初古典落語かと思ったのですが、志の輔さんの故郷・富山県愛から作った新作です。前半がお笑い、後半が人情話的な噺です。


富山といえば私たちの時代では「置き薬」屋さん。家に薬を置き、半年くらいで再び来て使った薬の精算をし、古い薬は交換します。この時、紙風船を置いていきますが、これが楽しみでした。


志の輔さんの落語。時は江戸時代、まだ「置き薬」が知られていない頃。紙屋さんの支店の番頭さんが留守の時、富山の置き薬屋さんが来て薬を置いていきます。


丁稚さんから、半年後に来て料金は使っただけの薬の代金を払う、古い薬は入れ替える、という話を聞いて、「おかしいじゃないか、そんな商売はない!」と丁稚を叱りつけます。番頭さん、どこがおかしいのかをコンコンと説明しますが、ここのところ面白く、考えて見れば確かに番頭さんの言うことが正しい。


半年後、富山から置き薬さんが訪れ、番頭さんがいきさつを聞くと・・・


富山藩二代目藩主・前田正甫(まさとし)公は体が弱く、特に腹が悪くいつも薬(反魂丹・はんごんたん)を持っていた。


時は元禄三年。三春(福島県)藩主・秋田河内守が江戸城内にて腹痛を訴え苦しみ、これを見た正甫公がいつも持っていた薬を与えたところ、腹痛が治まった。これを見ていた諸国の大名、我が藩でもこの薬を広げてもらいたいと。


その後、正甫公、皆を集めて反魂丹を国中に届けてもらいたい、ただ、売りに行くのでは無い。まずはお届けする、使っていただき、よく効く薬だと信用していただき、次に伺ったとき使った分だけの代金をいただく。先に用いてもらい、信用していただき、後からお金をいただく。お殿様は「先用後利」だといった。ということで、国中に薬を届けているという事なのです。


もう一つ、越中富山には立山信仰があり、一人でも多くの者を救った者は極楽浄土にいけるという信仰があり、この信仰とお殿様の教えを支えに国中を回っている。


というお話で、実に心を打つ話しではありました。で、北日本新聞社から出版された「先用後利」という本があったので、読んでみると、いろいろな史料から「反魂丹」が出てくるのは明治時代からで、上の話は疑いがあるということでした。が、「この伝説は県民の多くに信じられ、歴史上の揺るぎない事実のように受け止められている。」と言うことです。ネットを見ても、ほとんどが志の輔さんの噺と一緒です。ただ、事実は違っているようですが。


他に色々な歴史の絡みがあり、一口でいうと「いろいろあった」ということであります。詳しく知りたい方は「先用後利」をお読みください。


以下は近代の噺ですが、この富山の置き薬屋さん、薬を売るだけではなく、北海道の開拓者の所に行っては「・・・仏壇一つとっても僻地では、ミカン箱に祀っているところが多く、私らは真宗や禅宗の法話をしてあげたら、喜ばれましてね・・・」「・・・業者からのお礼としてよく民謡を披露しました。」こともあったそうです。

なお、富山の薬売りさんは兼業農家が多く、各地を回っているため農業の知識もあったようで「・・・(売薬さんは)牛耕を東北地方に広めただけではなく、県内に農業の知識を持ち込んだことが十分、考えられる」。「富山県は全国的にみて稲の品種が多い。『種もみを広めたのが売薬さんであったように、種の品種もあちらこちらから持ち込んだ』という農業関係者は多い。」。このように、薬売りさんは薬だけではなく、文化を伝える、また、農業の振興にも関わってことも見受けられます。その他、諸々の事も書いてありますが、キリがないので・・・

さて、かようなことから志の輔さんの噺がひっくり返されそうで、私としては本を読みながら戸惑ったのでありますが、まあ、噺、伝説は楽しみ、事実は事実として勉強すれば良いのだ、と割り切って考える事に。でも何か、志の輔さんカワイソウ(・_・、)。あ!志の輔さんの噺きいてネ。YouTubeでロハで聞けます。


(文の引用は、志の輔さんの落語「先用後利」、北日本新聞社「先用後利」より)



2020年10月15日 (木)

2020/10/15 諫早「白木峰」「干陸地フラワーゾーン」のコスモス

Photo_20201016231201

諫早の白木峰高原のコスモスです(上の写真はクリックすると拡大します)。

今月の5日に島原の火張山公園に行ったとき、コスモスはほとんど咲いてなかったので、白木峰もあまり期待しなくて来たのですが。


Photo_20201015204502 Photo_20201015204601

思ったより駐車場の車が多く、なんとなく期待できそうな。手指の消毒、どこへ行ってもやってますね。体温は測らなくても大丈夫でした。

園内に行って、ビックリしました。ここ数年花付が悪く、特に一番先の方はまばらにしか咲いてなかったのですが、今日は満開。他の方も「今年はよく咲いている」と話していました。


Photo_20201015204602 Photo_20201015204603

平日にもかかわらず、たくさんの人。

「わ~、きれい」

「先に、オシッコしてくる」
とは、後ろにいたおばさまの会話。歳を取れば、段々と・・・・

「久しぶりだな、二人できたのは。」

「・・・アラ。いやですよ、あなた・・・」
横を見たら、おじいさんが、おばあさんの手をにぎっていました。コスモスが満開の中、微笑ましい風景でした。

Photo_20201015204701 Photo_20201015204702

「花を見て、腹をたてる人間はいない」と言った人がいましたが、本当ですね。

Photo_20201015204801 Photo_20201015204802

お近くなので、諫早の干陸地フラワーゾーンまで寄ってみました。以前、ここもきれいに咲いていたのですが、入り口にも案内の旗もなく・・・

植えてあることは、植えてあるようなのですが、マバラ。コロナのせいで人が集まって、密にならないようにするためか、予算不足か、残念でした。また、来年を楽しみに。車が2,3台停まっていたのですが、そそくさと出て行きました。


Photo_20201015204901  

Photo_20201015205001 Photo_20201015205301  

帰りに目にはいった産直の販売所。以前は食堂、バイキングなどをやっていたのですが。右は人気のある、うなぎ屋さん。夏に食べに行ったら、2,30人並んでいて、とてもじゃないけど、そのまま帰りました。が、今日はどんなわけかガランとしてました。お土産に買っていきましたが、レジで「車でお待ちください」。何かと思ったら「コロナ」の影響ですね。

Photo_20201015205002 Photo_20201015205003

「ウナギ」と「焼き芋」と珍しくも「蕎麦のハチミツ」。少しざらっとしていますが、独特な風味でした。個人によって好き嫌いがあるかな、という感じ。

ローソンの看板を見つけて「いけない忘れていた」と飛び込んだら、ありました。「鬼滅の刃」。レジのおばちゃんから「お孫さんにですか?」と聞かれましたが、悲しい(・_・、)。そんな歳に見られているのですね・・・孫、3人ほどいますが・・


Photo_20201015205101 Photo_20201015205102

 コスモスの花言葉は花の色で違うそうですが「乙女の純真」「調和」「謙虚」「優美」「純潔」等あるそうです。

   ◆コスモスの押し花添えた手紙来る  sugikan


     ・・・はるかな、はるかな、昔の話ですが・・・・


2020年10月13日 (火)

小浜温泉「塩田」について

Img_20201013_0002 Img_20201013_0004

最近、季節の変わり目で体調が悪く(歳だから)古絵はがきの整理をしています。

さて、小浜町の塩田については以前紹介をした気がするのですが、新しい絵葉書を入手したので、紹介がてら。


上の写真は、塩田風景です。この絵葉書はよく目にすることがあります。「小浜町史談」によると、「温泉熱利用として昭和16年の第二次世界大戦勃発から製塩事業が行われた。温泉の豊富な湧出量と百度という高温を利用し、特殊・東芝・元湯など四十余の工場が湯町海岸一帯に建ち並び、年間10,797t余りの生産量を上げるようになり、温泉場というより製塩工場地帯の盛況であった。」ということですが、「国の製塩事業にたいする施策の変更と昭和三十四年十四号台風高潮発生により全工場廃業となった。」そうです。


塩を作るには、天日の利用、塩釜を使うなどの方法がありますが、小浜では温泉のお湯を利用して作ったようです。現在、この方法で塩づくりをしている方がいて「塩の宝石」ということで販売をしています→こちらをクリック


絵葉書ですが、風景だけで(; ;)ホロホロ(済みません、変換したら変なのが出ました「ふうけいだけでなく」=「風景だけで無く」が正解。「無く」と「泣く・(; ;)ホロホロ」のオヤジギャグ。今のPCはギャグまでやるとは!)実際に人が働いている姿を写しているのは珍しいですね。見れば大量の塩ができています。


Img_20201013_0003

絵葉書の裏に「高温の温泉を利用して大規模な製塩所が街の至る所にあり白煙をあげている」と書いてあります。後ろの海は橘湾です。


より以前の記事一覧

フォト
2020年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

ブログランク参加中ポチしてね(^o^)

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ