旅行・地域

2022年6月14日 (火)

「肥前國南高来郡三拾三箇村之図」~えんがわ・一畳のきまぐれ資料館

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ゆで野菜の「マルニ」さんの野菜加工場の母屋(名称:えんがわ)の一畳ばかりを借りて、何気に始めた資料館も今回で11回を迎えました。

今回は「肥前國南高来郡三拾三箇村之圖」の展示です。いつもと違って、今回は床の間をお借りしました。


島原藩の島原藩領は佐賀藩の神代、伊古、古部をのぞき、松平忠房公により、33の村に定められました。この時代の島原藩の絵図になります。詳しくは、チラシをクリックすると拡大するのでご覧下さい。


本物は旧家にありますが、展示品はこの複製になります。複製なので、字がボケて読みにくいのですが、当時の姿が楽しめるかと思います。


いつもの所には「肥前長崎之圖」を展示しています。


右はマルニさんで作っている「梅の甘露煮」。梅を一つ、氷を入れて無糖の炭酸を加えましたが、ほんのりとした甘さで夏にピッタリです。

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なお、大家さんのマルニさんが営業などで留守の時はご容赦をm(_ _)m。


2022年6月10日 (金)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行③

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いよいよ、雲仙小濱自動車(株)の雲仙案内も最終回です。

各種案内書には旅館等の宣伝が載せてあります。雲仙、小浜については旅館の変遷が多いのですが、場所、開業していた時期など不明なところが多いといえます。


場所については、旅館のパンフレットには当時の略図がも載せてあり、これと照合すると旅館についての情報が得られます。ほとんど、マニアの世界になりますが(^_^)。


この案内について、非常に面白い所があるのですが、個々についてはいずれ紹介をします.


略図は昭和13年当時のもの、雲仙案内は昭和11年で、ほぼ同じ時期になります。

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2022年6月 6日 (月)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行②

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先日の昭和11年の雲仙案内の続きです。

バスガイドさんの案内の中で「すぐに真正面の上のルネッサンス式石造りの大建築は・・・長崎県庁で御座います。」の長崎県庁が上の写真です。原爆の被害に遭い作り替えられましたが、昔の方がご立派。残っていたなら国宝級。


下の左は愛野無線局の昔の風景で、確か鉄塔が建っていた記憶があります。愛野無線局が無くなった後「日本赤外線工業株式会社長崎事業所」になって、その後、敷地内に老人保健施設ができています。右の赤丸が門ですが、会社名の表札は会社の名前がそのままにしてあります。

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右の海が橘湾、向こうの山が釜山、遠くに霞んでいるのが雲仙岳。場所は愛野の展望所みたいなのです。バスは雲仙小浜自動車(株)。

右は一時「日本で一番で小さい」と言われた発電所。確か、バスガイドさんも説明をしていました。千々石の第3発電所。島原半島では千々石に一番初めての発電所ができました。お年寄りのなかには、あかりがついた電球にタバコを押しつけた、という笑い話も残っているそうです。


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左は駕籠立て場の展望所。駕籠立て場には無駄に広い駐車スペースがありますが、この場所は、お殿様が風景を楽しんだ、といわれる場所だと思うのですが、現在は立木で見えなくなっています。

右は「島原道」とあるので、島原からの道路です。昭和11年にはこのような道です。いまは立派な道ですが。


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2022年6月 3日 (金)

2022/06/03「大村公園花菖蒲」

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TVなどで大村公園の花菖蒲が満開ということで出かけてみました。

定番の場所での撮影。ここが、一番絵になります。

開花がネットでは満開、入口は7部咲きになっていましたが、部分満開、部分7部咲き、部分??咲き。

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この花菖蒲園には多種の花菖蒲が植えられています。花菖蒲の品種などが書いてありますが、江戸菖蒲、肥後菖蒲の違いなど知っていると、見方が違い面白いと思います。

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一番最初の写真の板敷櫓(ここの地名が板敷)の裏側というより、こちらが入口。石落としなどもあるのですが、コロナのために閉鎖。

お城は簡単には攻め落とせないように通路が入り組んでいて実感できます。

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他にもイロイロあるのですが、花菖蒲だけではなく、お城も楽しいんでもらいたいのです・・・

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石垣に鏨の跡がありました。石垣が新しく積み直されたものがあるとかで、多分新しいものだと思われます。

右は穴門で、ワタシが好きな場所なのですが、こんな所にトイレなど作るなよ!!!~バカヤロウ~ですね。

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お土産は、定番の「大村寿司」。創業延宝7年創業の「へこはずし」。お殿様があまりのおいしさに「へこ」が外れているのに気がつかなかったとの由来。

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忘れていました。このお城「大村城」ではなく「玖島城」です。


2022年5月30日 (月)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行①

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この案内書の発行が昭和11年9月30日。雲仙が国立公園に指定されたのが昭和9年3月15日なので、この案内書は国立公園に指定された直後のものです。なお、案内書は元来バスガールの車内案内用の文なのですが、それを纏めて冊子にし、数十枚の写真を添えたものだそうです。

読んで見ると「皆さま、すぐに真正面の上に見えますルネッサンス式石造りの大建築は、・・・長崎県庁で御座います。」のように案内口調で書いてあります。写真が多いので2回くらいに分けて主なものを紹介をします。


雲仙小濱自動車會社は、明治45年6月25日に端を発したそうですが、下のように書いてあります。


明治45年の初夏、その頃珍しい自動車を以て雲仙に登山した外人が、車台に故障を生じ乗捨てたのを利用して、九州でも最初と言っても好い乗り合いバスの営業にかかったのが、我が雲仙小濱自動車ある。


なお、昭和11年頃に大型バス41台、タクシー15台というので、当時としてはかなり大きな会社。


左が小浜町の本社、右が雲仙出張所、良い建物です。


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左は小浜~雲仙の登山口。右は「深江供用林道起点」とあるので島原からの道路。どちらも未舗装。

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雲仙国立公園の入り口だと思いますが、場所は不明。

右は長崎市内、諏訪神社の入口。バスの左後方が鳥居。昭和11年頃の風景です。写っているバスも雲仙小濱自動車のものだと思うのですが。


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2022年5月10日 (火)

2022「雲仙仁田峠のツツジ」~雲仙市

連休中は雲仙へ向かう車が多く、国道は大渋滞でした。

毎年、連休中は雲仙のツツジ見物客が多く、仁田峠の駐車場は1時間は待つので、今日、ツツジを見に行ってきました。


花は年によって咲き方が違い、見に行った日によっても違いがあるのですが、今日は運良く、満開のグッドタイミングでした。


他の人に聞いたら、自宅のツツジが今年は最高だったとか。TVによれば、島原の火張山公園のポピーも今年が最高だったようです。多分、今年は花のあたり年の感じがします。



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地元のローカルテレビ「ひまわりテレビ」の方。長崎新聞に雲仙のツツジのことが載っていたので、急遽来たのかな?という感じ。

ロープウェイが今年60周年だそうです。還暦ですが、赤いちゃんちゃんこが似合うと思うんですが・・・


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さて、ツツジのあとが大村の菖蒲になります。最近は絶不調なので、確約はできませんが・・・(-_-)。



2022年5月 5日 (木)

OBAMA HOTELの謎

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以前から書いているように、小浜は埋め立てによって姿が昔と変わっています。旅館等の記録もないため不明なところが多いといえます。

上のような写真がありました。見ると「OBAMA HOTEL」、「小浜ホテル」ですね。で、はじめて聞いた名前なので、小浜の方に聞いたら誰も知りませんでした。特徴は赤丸の3つの窓です。

よく見ると、お隣にも同じような感じの洋風の建物があり、多分「一角楼」(現浜観ホテル、以前の小浜観光ホテル)という感じがしたので、他の写真、下の左側と比べると、真ん中の建物の屋根に「IKKAKURO」と書いてあって間違いないわけです。左の写真の左の矢印、窓の特徴が最初の写真と同じです。


ただ、最初の写真の「OBAMA HOTEL」の文字がなんとなく写真の上から書いてあるみたいなので、気になってもう一枚の写真を見たら、右の写真です、上向きの矢印、「TEL」という文字が読めて「HOTEL」の最後の3文字なので、小浜ホテルですね。


真ん中の下向き矢印が一角楼、一番右の矢印がこの間紹介した「共同風呂」、今のローソンです。


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と思っていたら、下の写真があり、一番左が「OBAMA HOTEL」、真ん中が一角楼、左がローソンのはずなのですが、ホテルの名前がありません。建物の状態はこちらが良いようなのですが。

なお、明治42年発行「小濱案内記」には右のような宣伝が載っていて、一角楼は2棟のホテルなんです。


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ということで、一角楼が最初「OBAMA HOTEL」を名乗っていたのか、「OBAMA HOTEL」が一角楼に吸収されたのか、別館であったのかとも考えられますが、全くの謎でありました。

なお、この「OBAMA HOTEL」についてご存じの方、コメントをお待ちしています。


2022年5月 2日 (月)

"千々石川の鯉のぼり"&”千々石でイタリアン”

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連休になり、急に天気が良くなり、車がドット増えました。

千々石川に鯉のぼりがはためいて、2年ぶりだったかな?青空に鯉のぼりって良いですね。例年、上塩浜の自治会の皆さんの手になるものです。「自治会は必要か?」などという意見もありますが、これを見ると絶対に必要なことが感じられます。

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さて、千々石にも本格イタリアンレストランが開店しました。ご夫婦で経営ですが、お二人ともイタリアで修行をされたそうです。

場所が分かりにくいので、ネットなどで検索されると良いかと思います。場所は少し高台で眺めが良いところです。最後の肉料理はジビエ料理で子イノシシのグリル。獣肉臭さがあるかと思ったら、まったくありませんでした。仄聞したところによると、お客さんが多いので予約をした方が良いそうです。


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千々石にイタリアンレストランができ、100円ショップも開店し、千々石も少し都会らしくなってきました。これで、ネオンサインが灯れば最高なのですが・・・(^0^)。

連休は雲仙へ向かう車が多く、千々石は素通りですが鯉のぼりは国道横なので見物を。なお、よそ見運転はしないように。




2022年4月27日 (水)

千々石ミゲル清左衛門供養碑建立~雲仙市千々石町天満宮

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長崎県の方はTV、新聞等で報じられご存じだと思います。昨年夏、千々石ミゲルの墓所の最終の4次発掘調査が実施されました。

先日、千々石ミゲルの子孫、発掘調査に携わった方などが参集し、千々石の天満宮において、千々石ミゲル清左衛門供養碑建立式が行われました。
発案、発起人は第1次~4次発掘まで尽力された町田義博氏。

供養碑の一番上の文字、「千々石・ドン・ミゲル」は千々石ミゲルの自筆を彫ったものだそうです。


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建立場所は千々石ミゲルの父千々石大和守直員が祀られている天満宮拝殿の横。

右は、千々石ミゲルの墓発見に最初から尽力された大石一久先生。宮司は橘神社の橘宮司。橘中佐の子孫です。


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右の写真は千々石ミゲルの子孫の浅田昌彦氏。

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千々石ミゲルの碑が建立された意義。天満宮の歴史などを貼っておきます。

供養碑の土台はコンクリートで固められていますが、土台のなかに、墓が発掘された折発見された千々石ミゲルの遺骨の一部が納骨されています。


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千々石ミゲルの父、千々石大和守直員が龍造寺に討たれた後、数百年の時空を越え、父が祀られた神社に、千々石ミゲルの供養碑が建立され、遺骨の一部が納骨されたという事は、非常に意義が深いことだと思います。

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オマケです。龍造寺に攻め落とされた釜蓋城の抜け穴?といわれているものです。



2022年4月18日 (月)

千々石の写真今昔、その他。

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九州写真グラフの(昭和)33年判。「切支丹特集」とあるので、読んで見ると千々石の写真がありました。

黒い塀に「ヤマト醤油」とあり、大きな煙突が写っています。道は矢印の方に行くと小浜方面。道路はまだ舗装がされてありません。

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現在の風景で、大体同じような地点で撮影。煙突は無くなりましたが、大きな看板が立ててあります。道路を隔てたところが千々石第一小学校。

ヤマト醤油さんの前方、以前は確か農協のAコープで、その後セブンイレブンとJA雲仙の”一億人のいぶくろ”。左の建物は島原雲仙農協の千々石支店。こうしてみると、随分違ってきました。


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橘神社。橘中佐の像が今より低い所に建てられています。

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いまは、高い台座にありますが、後ろの木は一緒ですね。

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左が小浜~雲仙の道路。この頃はまだ有料道路でした。右が島原~雲仙。小浜からの道が立派なようですが。

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加津佐の”列車バンガロー”は面白そうですね。南有馬の駅も面白そうです。下車徒歩5分で行けましたっけ?

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