旅行・地域

2019年3月20日 (水)

幻の「稚児落としの滝」~雲仙市雲仙

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地元では有名な「稚児落しの滝」です。雲仙~千々石に下りるところにありますが、近年大規模な道路工事が行われ、危険箇所という事で立ち入り禁止になっています。いまや、幻の滝です。

「稚児落とし」については、3説ほどあり。


雲仙は修験道者の修行の場所として有名であり、別所と札の原に合わせて1000もの僧坊があったと言われています。もっとも、一人で暮らし修行する小さな僧坊も多かったと思いますが。


で、ある日、片方の稚児がもう一つの場所のお稚児さんが飼っている「白雀」を貸せと、もちろん断りますが、喧嘩になり、誤って白雀が死んでしまい、大騒動。子供の喧嘩に大人が出るというにのに似ていますが・・・これに、別所と札の原の僧が出て来て大騒乱。寺に放火する者などもおり刀、槍などを持ちだして、大殺傷事件。


これを聞いた、当時島原半島を治めていた有馬氏、兵を派遣し原因は稚児にあったということで、全坊の稚児を集めて、滝の上から稚児を突き落として殺した、ということで「稚児落としの滝」。


もう一説は、このころキリシタンが口之津に入港。島原半島を治めていた有馬氏は洗礼を受け、キリシタンになり、雲仙の僧もキリスト教に影響を受ける者もおり、この僧と仏教を守ろうとする僧の争いだという説もあり。


上の両者混合の説もあります。


もう一説は裏話として語られてはいたのですが、杉村廣太氏の「温泉(うんぜん)岳を繞(めぐ)りて」に次のようにはっきりと書いてあります。大正13年の本です。


「・・・或時別所の坊さんと札の原の坊さんとの間に、稚児に関する一種の恋愛問題から争いが出来て、法衣の上に甲冑を掛け、数珠の手に剣戟を持って仏徒にあるまじき大闘争をやった所から、国主有馬候が家臣を派し鎮定したが、その時禍根を断つためにと、闘争の原因になった稚児共を、この滝布に突落して殺したというので、それから此名が付けられたのである。」


以上、誠にザックリ紹介ですが、書けばきりがないのでご了承を。


さて、この本の作者の方は事情通らしく、雲仙岳の所に「田代原(たしろばる)」というところがあり、そこについて・・・


「・・・この田代原は、長崎県の新しい計画で、池の原(現雲仙ゴルフ場)より更に大規模のゴルフ場をつくろうというので、選定された場所である。・・」とあり、この話を聞のは初めてで、調べる必要があるような・・・


上の写真ですが、人物が写っています。外人です。雲仙には沢山の外国客がきており、以前書いたように、雲仙に向かう汽車の乗換駅「愛野駅」では、駅長さんは英語が喋れないと務まれなかったそうです。また、昭和初めの県議会でも、雲仙のホテルは外人向けだけではなく、日本人向けの宿泊施設を作ったらどうかとの質問も出ています。(以前書いたかな?)


さて、道路が拡張され雲仙まで行くのに随分便利になりました。しかし、そのため「稚児落としの滝」は見られなくなり、「幻の滝」になりました。便利になるのが良いのか、そのために、歴史を秘めた史跡を無くしても良いのか・・・どちらでしょう?





2019年3月 7日 (木)

「プール」があったげな~国立雲仙公園

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雲仙のプールです。

雲仙にはテニスコート、ゴルフ場等々がありますが、絵はがき、写真集を集めているうち、「雲仙プール」という絵はがきがあり、「雲仙」といえば「雲仙」しかなく、プールというのは初めてで、一応場所を探してみました。もちろん、現在は影も形もありません。

下は、テニスコートと児童公園。児童公園もよく場所が分かりません。


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テニスコートはまだまだ元気。テニスコート前、現在「新湯ポンプ中継所」。昔、弓道場があったそうです。

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ゴルフ場ですが、「東洋一のゴルフ場」。良く見ると、牛さんが寝ていたり、馬さんが草を食べたりしています。なんと、のんびりしたことか!表には昭和7年のスタンプが押されていました。

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さて、「雲仙プール」ですが、観光パンフレット、旅館の案内地図を調べると、大体「別所」の付近だと思われるのですが、ピンポイントでは分かりませせん。

で、地元のことは地元の人へと。詳しい人に聞いたら、現在の別所ダムにあったそうで、自分も泳いでいたということでしたが、どちらかというと外人向けのプールだったそうです。

ここは、修験道者が修行をしたところで、300坊があったという所で、「加持川」が流れていました。「加持祈祷」の「加持」ですから、仏教と関係していた所だということがわかります。

この加持川の水を利用してプールが作られたと思われます。なお、この横の所、外人向けのバンガローなどがあったそうです。

なお、加持川をせき止め、1961年にダム作りに着工、1970年に完成をしています。当然、プールはダムの底です。


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上の写真に似ている所から撮りましたが、上の写真はこのダムの底から撮っているので、風景としては多少違っています。

なお、ダムの水が干上がったときには、かすかに見えることがあるそうです。何十年かに一回ということだそうですが・・・


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この別所ダム、「おしどりの池」という別名があり、昔はおしどりをよく見かけたのですが、最近は、あまり見かけなくなりました。ひょっとしたら、離婚したのかな?


2019年3月 4日 (月)

変わる風景~千々石海岸

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上は千々石海岸の写真。赤丸印は「福石様」。絵はがきですが、使用されていないため、年代ははっきりしませんが、家の屋根は、べらり(標準語で全部)茅葺きです。

これ、どこらあたりかなと思い、地元の知人に聞いたら、あそこじゃない、と言うことで、あそこへ行ってみたら、ピンポイントでは分からず、ここら辺だろうと思って撮った写真が下。

赤丸印が「福石様」向こう側の海岸は大体同じですが、手前の海岸は道路ができ、公園ができ、防波堤ができ、こんなにも違ってきたのかと思いました。

昔が良かったとは思いませんが、なんとなく寂しい思いでした。

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思えば、私のカミサンも昔はあんなに可愛かったのに、今では、すっかり変わってしまいましたm(_ _)m・・・今でも、それなりには可愛いのですが・・・・(この部分失言につき、全部抹消します。)

2019年2月25日 (月)

「羅漢寺の猿石(?)」~南島原市有家町湯川内

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有家町湯河内に「羅漢寺跡」というところがあります。

「有家町郷土誌」と「有家町内における文化財の調査」によると多少違いがあるのですが、はっきりしないところがあるので、ザックリ書いてみます。

数十年前聞いた話では、この道々に、上にあるような石造物点々とがあり、それを集めてここに祀ったとか。

「羅漢寺」と書いてありますが、
「有家町内における文化財の調査」では、このあたりに、密教寺院があったらしく、この一帯を「寺山」「寺屋敷」といい、出水で流されたらしく、その道場に安置されていた彫仏が発見されたそうです。

その、概要を聞いた北九州市の某お寺の住職が「石造物を羅漢と早呑み込みし、羅漢寺云々の語句を使用したことにはじまり、一部の土地の人々は、これを羅漢像と言い伝えたことに、間違いを引き起こした遠因があったのであり。」と言うことで、ここに「羅漢寺」というお寺があったのではありません。

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どう見ても、羅漢さんにはみえません。

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石像の実測図ですが、確かに羅漢さんではありません。

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     (「有家町内における文化財の調査」より)

この報告書の副題が「ー資料よりみた倭、韓交流史に対する提言の試みー」なっており、この事についても書いてありますが、長いので、いつものように省略。

この石造物は現在「猿石」といい、有家町の各地に点在していますが。「・・・・麓の村人たちが、キノサン参りと称して、豊穣を希求する登山参道の古道を探れば(かって登った古老による)蒲河から須川あたりの旧入江港を基点として、山川ー堀切ー湯河内を経て鮎帰滝に出、(中略)西北高岩山の裙に出、(中略)ここより高岩山に登り参詣するが、古代舟人にとっても、巨石崇拝、或いは航海の指標として尊崇されたことは、現地からみて、認めざるを得ない条件を持ち、仏教の文化がこれと結びついたことも、けだし当然である。」とあります。

少し古い絵葉書からですが、下が高岩山です。

雲仙といえば、昔は修道験者の修行の場所として有名でした。この修道験者の道標として、猿石が置かれたのではないかとの話もあります。

まだまだ、解明はなされてないようですが、多分、これだ、という結論は出そうもないのですが・・・

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羅漢寺跡に行くには、雲仙から島原に下る途中に俵石展望所があり、そこから有家に下る道があり、途中に「鮎帰の滝」の看板がありますから、そちらの道に入り、途中、滝に行く道がありますが、それを無視し直線します。で、途中、小さな分かれ道があります、それも無視して、まっすぐ進みます。そうすると、上の写真の所にでます。

なお、道が狭いです。舗装はしてありますが、リーンカーン・コンチネンタルなどの車は避けた方が良いでしょう。ベンツなどの高級車も避けたが良いと思います。運転のヘタな方、狭い道を運転すると、息苦しくなる方も避けた方が良いと思います。

なお、羅漢寺あとから、上の国道に抜けるそうですが、地元の方にきいたら、Uターンしたほうがベターだと言うことでした。Uターンする場所は、すぐ先にあります。

しかし、この苔むした石造物、いつまで見ても飽きませんでした。


参考書・「有家町郷土誌」「有家町の文化財報告 有家町における文化財の分布調査 ー資料よりみた倭、韓交流史に対する提言の試みー」より

2019年2月 7日 (木)

千々石に寄港した客船。

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上の写真も下の写真も、千々石海岸から撮ったものです。

上の写真は海岸付近の「福石様」の所です。船が写っていますが、漁船で無いことは分かると思います。このころ、千々石では写真に見るとおり小舟ばかりでした。

この船は茂木航路の客船です。

下の写真は小浜方面を撮った写真ですが、同じように船が見えますが、これも、小舟にしては大きく、煙が見えます。これも、客船です。

昔、千々石、小浜、雲仙に遊びに訪れた方が多く(外人さんも)、千々石では「千々石ホテル」を利用し、小浜、雲仙方面にも行ってたとか。

さて、本当に千々石に客船が寄港していたかというと、下は長崎新聞社(現在の長崎新聞社とは関係ありません)明治42年発刊の「温泉(うんぜん)小浜案内記」~中川観秀著です。

赤い線の所「千々石」とあり、寄港地を見ると「千々石→唐比→有喜→江の浦→茂木」となっています。

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なお、下図は昭和2年雲仙岳後援會(長崎縣廳内)より発刊の「雲仙」。これを見れば、茂木から直接小浜に行く航路、茂木から橘湾沿いの各地に寄港していることが分かります。

大正15年発刊「雲仙小濱風光記」(関善太郎著)には、陸路、海路、複数書いてありますが、千々石関係は・・・

三角際崎→天草島5,6ヵ所→茂木港において陸路長崎より来たれる客を乗せ→江の浦→有喜→唐比→千々石→小浜、と書いてあります。

多分、汽船会社、時代によって寄港地が違っているのかとも思いますが・・・・

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さて、千々石に客船を停める桟橋があったかというと、現在、海が埋め立てられて分かりませんが、漁船を停める所はたくさんあったとか。

なお、茂木から千々石へ汽船に乗って嫁入りした、おばあちゃんがいるとかで、現在、聞き取りにいってもらっています。

下は、茂木港ですが、ちゃんと客船が停められる桟橋があります。

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下は、小浜港ですが桟橋はありません。
客船と、丸印の所には階段が見えます。小浜では、沖に客船を停め小舟でお客さんを運んでいたそうです。なお、階段の上の建物が、船の待合室かと思われます。

千々石も小浜と同じく、沖に客船を停め、小舟でお客さんを運んだものと思われます。

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2019年1月30日 (水)

「涼を求めて冬の滝」~諫早市高来町轟の滝

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長崎では有名な「轟(とどろき)の滝」です。

夏、暑かったので、涼みに行こうかと思ったら、高来町のお兄ちゃんから、「夏休みは、人が多いから、止めた方がいいっすョ。夏休み明けがいいっすッ」といわれ、夏休みが終わったので行って見ました。

案内所はもちろん誰もいません。お茶屋さんも「営業中」だけど、誰もいません。もっとも、冬の寒い日、朝早く、誰も来ないのに開けているわけ無いっすョね。

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滝までの道は完備。ただ、帰りは上ってくるのを考えると、しんどい。木の間に滝の音と一緒に見える姿は風情がありますね。

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吉井勇さんが来られたのか、所々に短歌が。右の木の割れ目が気になりますね~。誰もいないから、といっても撫でたり触ったりのセクハラはしませんでした。

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気になる2枚の看板。
「水温が低いので、遊泳される際は十分にご注意ください。」
「”滝つぼ”では絶対に泳がないでください。 諫早市」
さて、泳いで良いのか悪いのか。こんな寒い日は泳ぐ気にはなりませんが・・・もっとも、私、泳げませんが・・・

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「耳なり岩」。気になりますね。歳で耳なりがしているのに、この上。
滝の近くまで歩道があって。

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道の最後のところ、なにやら足形があって、ここに立つと、左の赤丸印の岩の壁から滝の音が反響して、これは、素晴らしい音でした。思わす、時間を忘れ聞き惚れました。ここ、絶対に行くべきですね。

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他にも、滝はあるのですが、膝を痛めているので、この日は残念ながら、ここで引き返しました。

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滝に行く道のところにある「名水」の汲み場。

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見ていたら、入れ替わり立ち替わり、水汲みの人、多いですね。
ポリタンク10個ほど汲んでいたので、聞いたら長崎からだと。で、以前から尿結石があり、いろんな水を飲んだところ、ここの水を飲み始めたら、結石が出なくなったとのこと。

誰にでも効くのか、この方だけに合ったのかは分かりませんが・・・試してみたい方は、自己責任で・・・

私の方は、ペットボトルしか持ってなかったので、一応、入れて飲んだら思ったより暖かく、柔らかい感じの水でした。家に帰ってコーヒーに使ったら、なかなかのお味でした。

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ということで、この日は、滝に居たのはわたし一人で、大自然を一人占め。
ひとりぼっちで、寂しかったといえば寂しかった。こんどは、誰かと二人で・・・・



2019年1月14日 (月)

「『駕立場』の絵はがき、なんか変?」~解決編

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昨年、12月8日「『駕立場』の絵はがき、なんか変」ということで書きました。

12月8日のブログは→こちらをクリック 

要約すれば、昔は「温泉(うんぜん)」という表記が多く使われていたのですが、昭和9年に国立公園になったおり「雲仙(うんぜん)」が使われるようになりました。

「長崎新聞」は明治22年「長崎新報」として創刊、その後名前を変えますが、「長崎新聞」の名前を使ったのが昭和20年。ここのところ、長崎新聞のホームページは簡略化して書いてありますが、Wikipediaが詳しいので、→こちらをクリック

上の絵はがきでは 赤丸印の旗、右側に「長崎新聞主催」、上の方には、「温泉(うんぜん)」の字が読み取れます多分「温泉(うんぜん)嶽」だと思われます。下の方には「登山會」。

で、ここで疑問が出てきたわけで、文字使いに慎重な新聞社なら、年代を考えると「温泉」ではなく、当然「雲仙」(「長崎新聞」を名乗った昭和20年には、「雲仙」と表記されたわけですから)を使わなければいけないわけで、なぜ?「温泉」を使ったのか、と悩んだのですが、ここで下のようなコメントをいただきました。

この絵葉書は、なかなか貴重だと思います。この絵葉書は、明治42年に長崎新聞社が雲仙登山をした際の風景と思います。長崎新聞社は、この時の登山の様子を『温泉小浜案内記 : 登山紀念』という本にまとめています。
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001602655-00
その際の写真があったとは、オドロキです!

ということで、下にURLが書いてあったのでクリックしてみたら「国立国会図書館サーチ」のページでそこから、「温泉小浜案内記・登山紀念」をプリントアウトして読んだら、小浜、雲仙までの交通案内、観光案内が書いてあり、当時の様子が良く分かります。

ほかに、旅館案内、その他商店の案内が書いてあり、日本語、英語、ロシア語と3部に分かれてありました。多分、別々の本だと思いますが、実物が見られないので定かではありません。

ところで、本を見ていると、一番上の絵ハガキと同じ写真があり、他にも数枚、他の絵はがきで見た写真があるので、多分、長崎新聞から絵はがきとして出したものと思います。

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さて、この案内書、後ろの奥付を見ると初版が「明治42年」ということは、長崎新聞はこの頃、明治22年に「長崎新報」、明治43年に「長崎日日新報社」、明治44年に「長崎日日新聞」と改題しています。なお、案内書の中にはちゃんと「長崎新聞」の名前の宣伝が入っています。

ヒョッとしたら、一時的に名前を変えたかな、とは思ったのですが、その記録はまったくありません。

結局、悩んだ末、聞いた方が早いなと。長崎新聞社に電話したら、カワユイ女の子が(声は、顔は分かりませんが)出て、昔の話なので、分からないのか、2回ほど話して結局「総務課」に繋ぎます。だと。結局3回同じ話をすることになりましたが・・・


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担当者も詳しく分からないのか調べてみますということで、しばらくして返事の電話があり、「長崎新聞は明治38年1月から昭和10年8月までありましたが、本社とは関係の無い会社です」と言うことでした。

私は猜疑心が強く、ねちっこい性格なので確認はできないかと思っていたら、ふと「長崎事典」を思い出し、「歴史編」を調べたら以下のように書いてありました。

長崎新聞(ながさきしんぶん)

明治38年(1905)1月18日創刊。中川観秀、中川平兵衛、岩永八之丞、前田多三郎ら。現長崎新聞とは関係ない。憲政同志会系。昭和10年(1935)廃刊。

ということで、現長崎新聞社総務課の方の話と同じで、この案内書が明治42年発行ですから、この頃は「雲仙」は「温泉」と言っていたので、旗に書いてある「長崎新聞主催」「温泉」というのは、至極当たり前の事だと言うことで、一件落着。

と思っていたら、もう一つ「長崎新聞」というのがあり、下記の通りです。

長崎新聞(ながさきしんぶん)
明治6年(1873)1月、本木昌造が松田源五郎、西道仙、池原日南などの学識経験者を同士として発行。・・・同年11月廃刊。次に本木昌造と交友の厚かった本田実が明治8年(1875)に同題号で復刊した。・・・明治9年(1876)1月、「西海新聞」に改題した。

ということで、「長崎新聞」という題字は、明治6年の本木昌造発行、明治38年の憲政同志会系の長崎新聞、現長崎新聞と3回、別々の関係ない会社で発行されたという事です。

これにて、一件落着。です。

なお、本のコピーは「国立国会図書館デジタルコレクション」から。
また、情報をいただきました、「
 ncc1701b」さんには感謝です。ありがとうございました。


2018年12月 8日 (土)

「駕立場」の絵はがき、なんか変?

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小浜町から雲仙に至る途中「駕立場」があります。

「おばま 史跡巡り観光ガイド」によると、「健保3年(1213)有馬経澄から貴純、そして晴信、直純までの有馬時代399年と、その後に移封された松平氏等藩主が小浜に来る途中の休息所であったと言われている。・・・・藩主の休息所だったということよりも、むしろ明治時代の登山時のチェアーかごの休息所であったことであろう。」と書いてありますが、地理的に見て、多分後者の方でしょう。

なお、「チェアーかご」は下のようなものですが、小浜~雲仙までかついで登るのは大変ですよ。

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       (「2005年 小浜町80周年記念誌」より)


現在の「駕立場」風景ですが、車の休息所になっていますが、昔はお茶屋さんがあったそうです。

左の写真の赤丸印のところ、右の写真のように「駕立場」のバス停と案内版が立ててあります。

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多分、上の写真、皆さんがくつろいでいるところが、左のあたりだと思われます。右の道は多分「笹之辻」に通じるかと思われます。

以前、昔の道を辿った方によると、小浜温泉→道前→鬢串→笹之辻→駕立場までは細い道を行けたそうです。

右の写真は、雲仙方面を見た写真ですが、植林が茂り、昔の面影はありません。

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        (青の矢印は現在の車の道路)

さて、ここで気になったのが、後ろの旗。

縦に「長崎新聞主催」。上の方が「温」の字と来れば後は「泉」。その後は「岳」か「山」かでしょう。下の方は「登山會」。

で、以前書いたとおり、普通、雲仙は昔は「温泉(うんぜん)」と言われていました。「雲仙」の表記もありますが(温州ミカンは「うんしゅうミカン」ともよび「温泉」が「うんぜん」と読んでも不思議はないのですが)・・・一般的に「温泉」が「雲仙」に変わったのが、昭和9年、「温泉公園」から「国立雲仙公園」に変わったときになります(もっとも、現在も文化庁管轄、特別名勝として「温泉岳(うんぜんだけ)の名前は残っています。地図にも記載してあります)。

話変わって、長崎新聞は明治22年(1889)に「長崎新報」として発足、色々あって昭和20年(1945)に「長崎新聞」へ、ところが戦後、昭和21年(1946)に「長崎日日新聞」「長崎民友新聞」「佐世保時事新聞」「新島原新聞」に解体。

昭和34年(1959)に新長崎民友新聞社と合併して、「長崎新聞社」が発足、同年「長崎新聞」に改題となります。詳しくは→こちらをクリック

ですから、「長崎新聞」と名乗ったのは、昭和20年と昭和34年以降と言うことになります。

雲仙を目指して登るといえば、普通、雲仙岳の一番高い普賢岳(現在は平成新山が一番高い山になりました)を目指すのが普通です。「登山會」といえば、当然普賢岳登山でしょう。

先ほどから書いているように、普通「雲仙」というようになったのが、昭和9年。
「長崎新聞」の名前が用いられたのが、昭和20年、昭和34年になります。ですから、この旗は「雲仙」と書かなければならないのですが・・・・まさか、天下の大新聞(長崎では)が、雲仙の名称が数十年前に変わったのに「雲仙」を「温泉」と書くはずはないのですが、この旗には????でした。

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この絵はがきの写真に「小濱大黒天商店」と書いてあります。

下の地図は貴重な資料で、今は無い旅館なども記載されており、観光協会発行になっているので、聞きに行ったら初めて見たという事でした。

で、小浜生まれ、小浜育ちの高齢者の方に尋ねたら、昭和20年後半から昭和30年前半だろうと言うことでしたが、 お目当ての「小濱大黒天商会」は残念ながら、ありませんでした。もし、現存していたら聞きにいこうと思っていたのですが。

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2018年11月16日 (金)

古絵ハガキに見る、昔々の「長崎県庁」

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大波止から県庁を見た所で、赤の矢印が昔の県庁。道の真ん中を人がゾロゾロ歩いていますが、この頃はまだ自動車が少ないとが分かります。

絵はがきには(昭和10.9.2日要塞司令部検閲済)となっていますから、昭和10年頃の写真だということが分かります。

青の矢印が現在の文明堂総本店かな?とは思っているのですが・・・

現在は大体こんな感じ。赤い矢印が旧県庁(現在県庁は移転をしています)。青い矢印が文明堂総本店。

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こちらは旧県庁の前の県庁。1911年竣工だそうです。なお、原爆投下後の火災で全焼。残っていれば、文化財物なのですが・・・誠に残念です。なお、県庁舎の移り変わりは→こちらをクリック

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こちらが見慣れた県庁ですが、新庁舎ができたために閉鎖されています。1953年に竣工。ただ、業務が多くなり、上に継ぎ足したり、他のビルを借りて、業務、会議などを行っていました。

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さて、気になったのが「文明堂」。下の写真が「大波止支店」。古い文明堂の長崎案内のパンフレットに載っていましたが、三階建てです。残念ながら、年代は分かりませんが、昭和3年大波止支店を新築し本店にしたそうです。

と言うことは、上の写真は昭和10年ですから、やはり文明堂本店だと推察されます。看板がありますが、残念ながら字は読めませんでした。

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で、この大波止支店どこにあったというと、パンフレットの地図に「文明堂」と書いてあり、県庁の下の方で、上の写真は青丸印(電車の大波止)の所から撮ったと思っていたのですが、道路には線路みたいなのはありましたが、電車は上にパンタグラフがあり、電線に接しているのですが、電線が見えないんです。写真を撮った場所がどこか、迷いますね。

多分。文明堂の名前の印は電停の角っこにはありません。と言うことで、このパンフレット昭和3年以前のものだと推察されます。総本店もこの頃は、少し離れた所ですね。


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と言うことで、電話で聞いた方が早いかなと思って、パンフレットを見たら、大波止支店の電話が「電話三四三」と書いてあったので、☎しましたが、通じませんでした。

2018年10月24日 (水)

2018「雲仙の紅葉(10月23日)」&「旧普賢神社の狛犬(黒田栄太郎さんか?)」~雲仙市小浜町雲仙

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月曜日、仁田峠が紅葉したというので見に行きました。もう一つ別の目的もあったのですが・・・・

階段が半分バリアーフリーになっていました。妙見岳山頂が紅葉の見頃だそうで、行っては見たかったのですが、用事でパス。上の写真のように、ロープウェイあたりは紅葉。下の方は、もう一息か?


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今日は、この普賢神社に用があったのですが・・・

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普賢神社は昔は普賢岳の下、崖の下にあったのですが、雲仙岳災害で埋もれてしまいました。

災害よりかなり以前の絵葉書ですが、風雨が強いためか、荒れているのが分かるかと思います。


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下は、「昭和貳年」の鳥居が写っている絵葉書。これを見ていて、ひょっと気づいたのが、赤丸印の狛犬さん。

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写真が荒れて分かりにくいのですが、ルーペで見ると、面構えが右の狛犬とそっくり。というより、同じ石工さんが彫ったものとわかります。

右の写真は雲仙の旅館街にある「温泉神社」の狛犬。向かって右側が吾妻町永中の方がもよって奉納したもの。左が、永中の「黒田栄太郎」さんが奉納したもの。

これと同じ型の物が、吾妻町の温泉神社にもあり、奉納者は「黒田栄太郎」さん。という事は、同じ型なので、普賢神社の狛犬も黒田栄太郎さんかもしれないと思い、ひょっとしたら、新しい普賢神社に運ばれて保管されいないかと行ってはみたのですが、残念ながらありませんでした。


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以前から、黒田栄太郎さんが奉納した狛犬等に、お目にかかることが多く、このブログでも数回取り上げ、興味を持っていたのですが、いまは、埋もれてしまった旧普賢神社。狛犬さんも埋もれていますが、是非見たいものでした。
黒田栄太郎さんが奉納された狛犬だと信じているのですが・・・・


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