旅行・地域

2019年1月14日 (月)

「『駕立場』の絵はがき、なんか変?」~解決編

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昨年、12月8日「『駕立場』の絵はがき、なんか変」ということで書きました。

12月8日のブログは→こちらをクリック 

要約すれば、昔は「温泉(うんぜん)」という表記が多く使われていたのですが、昭和9年に国立公園になったおり「雲仙(うんぜん)」が使われるようになりました。

「長崎新聞」は明治22年「長崎新報」として創刊、その後名前を変えますが、「長崎新聞」の名前を使ったのが昭和20年。ここのところ、長崎新聞のホームページは簡略化して書いてありますが、Wikipediaが詳しいので、→こちらをクリック

上の絵はがきでは 赤丸印の旗、右側に「長崎新聞主催」、上の方には、「温泉(うんぜん)」の字が読み取れます多分「温泉(うんぜん)嶽」だと思われます。下の方には「登山會」。

で、ここで疑問が出てきたわけで、文字使いに慎重な新聞社なら、年代を考えると「温泉」ではなく、当然「雲仙」(「長崎新聞」を名乗った昭和20年には、「雲仙」と表記されたわけですから)を使わなければいけないわけで、なぜ?「温泉」を使ったのか、と悩んだのですが、ここで下のようなコメントをいただきました。

この絵葉書は、なかなか貴重だと思います。この絵葉書は、明治42年に長崎新聞社が雲仙登山をした際の風景と思います。長崎新聞社は、この時の登山の様子を『温泉小浜案内記 : 登山紀念』という本にまとめています。
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001602655-00
その際の写真があったとは、オドロキです!

ということで、下にURLが書いてあったのでクリックしてみたら「国立国会図書館サーチ」のページでそこから、「温泉小浜案内記・登山紀念」をプリントアウトして読んだら、小浜、雲仙までの交通案内、観光案内が書いてあり、当時の様子が良く分かります。

ほかに、旅館案内、その他商店の案内が書いてあり、日本語、英語、ロシア語と3部に分かれてありました。多分、別々の本だと思いますが、実物が見られないので定かではありません。

ところで、本を見ていると、一番上の絵ハガキと同じ写真があり、他にも数枚、他の絵はがきで見た写真があるので、多分、長崎新聞から絵はがきとして出したものと思います。

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さて、この案内書、後ろの奥付を見ると初版が「明治42年」ということは、長崎新聞はこの頃、明治22年に「長崎新報」、明治43年に「長崎日日新報社」、明治44年に「長崎日日新聞」と改題しています。なお、案内書の中にはちゃんと「長崎新聞」の名前の宣伝が入っています。

ヒョッとしたら、一時的に名前を変えたかな、とは思ったのですが、その記録はまったくありません。

結局、悩んだ末、聞いた方が早いなと。長崎新聞社に電話したら、カワユイ女の子が(声は、顔は分かりませんが)出て、昔の話なので、分からないのか、2回ほど話して結局「総務課」に繋ぎます。だと。結局3回同じ話をすることになりましたが・・・


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担当者も詳しく分からないのか調べてみますということで、しばらくして返事の電話があり、「長崎新聞は明治38年1月から昭和10年8月までありましたが、本社とは関係の無い会社です」と言うことでした。

私は猜疑心が強く、ねちっこい性格なので確認はできないかと思っていたら、ふと「長崎事典」を思い出し、「歴史編」を調べたら以下のように書いてありました。

長崎新聞(ながさきしんぶん)

明治38年(1905)1月18日創刊。中川観秀、中川平兵衛、岩永八之丞、前田多三郎ら。現長崎新聞とは関係ない。憲政同志会系。昭和10年(1935)廃刊。

ということで、現長崎新聞社総務課の方の話と同じで、この案内書が明治42年発行ですから、この頃は「雲仙」は「温泉」と言っていたので、旗に書いてある「長崎新聞主催」「温泉」というのは、至極当たり前の事だと言うことで、一件落着。

と思っていたら、もう一つ「長崎新聞」というのがあり、下記の通りです。

長崎新聞(ながさきしんぶん)
明治6年(1873)1月、本木昌造が松田源五郎、西道仙、池原日南などの学識経験者を同士として発行。・・・同年11月廃刊。次に本木昌造と交友の厚かった本田実が明治8年(1875)に同題号で復刊した。・・・明治9年(1876)1月、「西海新聞」に改題した。

ということで、「長崎新聞」という題字は、明治6年の本木昌造発行、明治38年の憲政同志会系の長崎新聞、現長崎新聞と3回、別々の関係ない会社で発行されたという事です。

これにて、一件落着。です。

なお、本のコピーは「国立国会図書館デジタルコレクション」から。
また、情報をいただきました、「
 ncc1701b」さんには感謝です。ありがとうございました。


2018年12月 8日 (土)

「駕立場」の絵はがき、なんか変?

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小浜町から雲仙に至る途中「駕立場」があります。

「おばま 史跡巡り観光ガイド」によると、「健保3年(1213)有馬経澄から貴純、そして晴信、直純までの有馬時代399年と、その後に移封された松平氏等藩主が小浜に来る途中の休息所であったと言われている。・・・・藩主の休息所だったということよりも、むしろ明治時代の登山時のチェアーかごの休息所であったことであろう。」と書いてありますが、地理的に見て、多分後者の方でしょう。

なお、「チェアーかご」は下のようなものですが、小浜~雲仙までかついで登るのは大変ですよ。

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       (「2005年 小浜町80周年記念誌」より)


現在の「駕立場」風景ですが、車の休息所になっていますが、昔はお茶屋さんがあったそうです。

左の写真の赤丸印のところ、右の写真のように「駕立場」のバス停と案内版が立ててあります。

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多分、上の写真、皆さんがくつろいでいるところが、左のあたりだと思われます。右の道は多分「笹之辻」に通じるかと思われます。

以前、昔の道を辿った方によると、小浜温泉→道前→鬢串→笹之辻→駕立場までは細い道を行けたそうです。

右の写真は、雲仙方面を見た写真ですが、植林が茂り、昔の面影はありません。

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        (青の矢印は現在の車の道路)

さて、ここで気になったのが、後ろの旗。

縦に「長崎新聞主催」。上の方が「温」の字と来れば後は「泉」。その後は「岳」か「山」かでしょう。下の方は「登山會」。

で、以前書いたとおり、普通、雲仙は昔は「温泉(うんぜん)」と言われていました。「雲仙」の表記もありますが(温州ミカンは「うんしゅうミカン」ともよび「温泉」が「うんぜん」と読んでも不思議はないのですが)・・・一般的に「温泉」が「雲仙」に変わったのが、昭和9年、「温泉公園」から「国立雲仙公園」に変わったときになります(もっとも、現在も文化庁管轄、特別名勝として「温泉岳(うんぜんだけ)の名前は残っています。地図にも記載してあります)。

話変わって、長崎新聞は明治22年(1889)に「長崎新報」として発足、色々あって昭和20年(1945)に「長崎新聞」へ、ところが戦後、昭和21年(1946)に「長崎日日新聞」「長崎民友新聞」「佐世保時事新聞」「新島原新聞」に解体。

昭和34年(1959)に新長崎民友新聞社と合併して、「長崎新聞社」が発足、同年「長崎新聞」に改題となります。詳しくは→こちらをクリック

ですから、「長崎新聞」と名乗ったのは、昭和20年と昭和34年以降と言うことになります。

雲仙を目指して登るといえば、普通、雲仙岳の一番高い普賢岳(現在は平成新山が一番高い山になりました)を目指すのが普通です。「登山會」といえば、当然普賢岳登山でしょう。

先ほどから書いているように、普通「雲仙」というようになったのが、昭和9年。
「長崎新聞」の名前が用いられたのが、昭和20年、昭和34年になります。ですから、この旗は「雲仙」と書かなければならないのですが・・・・まさか、天下の大新聞(長崎では)が、雲仙の名称が数十年前に変わったのに「雲仙」を「温泉」と書くはずはないのですが、この旗には????でした。

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この絵はがきの写真に「小濱大黒天商店」と書いてあります。

下の地図は貴重な資料で、今は無い旅館なども記載されており、観光協会発行になっているので、聞きに行ったら初めて見たという事でした。

で、小浜生まれ、小浜育ちの高齢者の方に尋ねたら、昭和20年後半から昭和30年前半だろうと言うことでしたが、 お目当ての「小濱大黒天商会」は残念ながら、ありませんでした。もし、現存していたら聞きにいこうと思っていたのですが。

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2018年11月16日 (金)

古絵ハガキに見る、昔々の「長崎県庁」

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大波止から県庁を見た所で、赤の矢印が昔の県庁。道の真ん中を人がゾロゾロ歩いていますが、この頃はまだ自動車が少ないとが分かります。

絵はがきには(昭和10.9.2日要塞司令部検閲済)となっていますから、昭和10年頃の写真だということが分かります。

青の矢印が現在の文明堂総本店かな?とは思っているのですが・・・

現在は大体こんな感じ。赤い矢印が旧県庁(現在県庁は移転をしています)。青い矢印が文明堂総本店。

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こちらは旧県庁の前の県庁。1911年竣工だそうです。なお、原爆投下後の火災で全焼。残っていれば、文化財物なのですが・・・誠に残念です。なお、県庁舎の移り変わりは→こちらをクリック

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こちらが見慣れた県庁ですが、新庁舎ができたために閉鎖されています。1953年に竣工。ただ、業務が多くなり、上に継ぎ足したり、他のビルを借りて、業務、会議などを行っていました。

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さて、気になったのが「文明堂」。下の写真が「大波止支店」。古い文明堂の長崎案内のパンフレットに載っていましたが、三階建てです。残念ながら、年代は分かりませんが、昭和3年大波止支店を新築し本店にしたそうです。

と言うことは、上の写真は昭和10年ですから、やはり文明堂本店だと推察されます。看板がありますが、残念ながら字は読めませんでした。

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で、この大波止支店どこにあったというと、パンフレットの地図に「文明堂」と書いてあり、県庁の下の方で、上の写真は青丸印(電車の大波止)の所から撮ったと思っていたのですが、道路には線路みたいなのはありましたが、電車は上にパンタグラフがあり、電線に接しているのですが、電線が見えないんです。写真を撮った場所がどこか、迷いますね。

多分。文明堂の名前の印は電停の角っこにはありません。と言うことで、このパンフレット昭和3年以前のものだと推察されます。総本店もこの頃は、少し離れた所ですね。


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と言うことで、電話で聞いた方が早いかなと思って、パンフレットを見たら、大波止支店の電話が「電話三四三」と書いてあったので、☎しましたが、通じませんでした。

2018年10月24日 (水)

2018「雲仙の紅葉(10月23日)」&「旧普賢神社の狛犬(黒田栄太郎さんか?)」~雲仙市小浜町雲仙

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月曜日、仁田峠が紅葉したというので見に行きました。もう一つ別の目的もあったのですが・・・・

階段が半分バリアーフリーになっていました。妙見岳山頂が紅葉の見頃だそうで、行っては見たかったのですが、用事でパス。上の写真のように、ロープウェイあたりは紅葉。下の方は、もう一息か?


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今日は、この普賢神社に用があったのですが・・・

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普賢神社は昔は普賢岳の下、崖の下にあったのですが、雲仙岳災害で埋もれてしまいました。

災害よりかなり以前の絵葉書ですが、風雨が強いためか、荒れているのが分かるかと思います。


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下は、「昭和貳年」の鳥居が写っている絵葉書。これを見ていて、ひょっと気づいたのが、赤丸印の狛犬さん。

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写真が荒れて分かりにくいのですが、ルーペで見ると、面構えが右の狛犬とそっくり。というより、同じ石工さんが彫ったものとわかります。

右の写真は雲仙の旅館街にある「温泉神社」の狛犬。向かって右側が吾妻町永中の方がもよって奉納したもの。左が、永中の「黒田栄太郎」さんが奉納したもの。

これと同じ型の物が、吾妻町の温泉神社にもあり、奉納者は「黒田栄太郎」さん。という事は、同じ型なので、普賢神社の狛犬も黒田栄太郎さんかもしれないと思い、ひょっとしたら、新しい普賢神社に運ばれて保管されいないかと行ってはみたのですが、残念ながらありませんでした。


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以前から、黒田栄太郎さんが奉納した狛犬等に、お目にかかることが多く、このブログでも数回取り上げ、興味を持っていたのですが、いまは、埋もれてしまった旧普賢神社。狛犬さんも埋もれていますが、是非見たいものでした。
黒田栄太郎さんが奉納された狛犬だと信じているのですが・・・・


2018年10月17日 (水)

2018島原市「火張山花公園」&「諌早・高来フラワーソーン」10月17日

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今日は島原の病院やら、諌早の病院やらに行ってきましたが、その間をぬって、気になっていた、島原の「火張山花公園」に行ってきました。

行って見ると、情報通りダメで、刈り取りをしていましたが、今年の夏の猛暑と、害虫の発生があり、これが最大のダメージになったそうです。所々にかたまっては咲いていましたが・・・羊さんかな山羊さんかな?

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と言うことで、お隣の広場に6万本のヒマワリがあるというので見に行きました。ここは、以前、芝桜を植え「芝桜公園」だったのですが、土地などとの相性が合わなかったのか、充分に盛えませんでした。その代わりにヒマワリ畑にしたのかな?

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近づいたら、ヒマワリさんが私を避けて、そっぽを向きました。まあ、ヒマワリさんにモテようとは思ってないので、どうでも良いことですが・・・

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料金徴収所、だれもいなく、「無料開放中」のポスターが悲しい。

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と思ったら、「オールドカーミーティング」が10月21日にあるんですね。実施されるかどうかは、念のためお問い合わせを。→詳しくはこちらをクリック

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で、少し遠回りをして「諌早・高来フラワーゾーン」に寄ってみました。まあまあ咲いている状態。たしか、昨年はコスモスの植え付けも無かったみたいですが、一昨年はきれいに咲いていました。少し面積が狭くなったかな?

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花を見たら、まだまだツボミがついていたので、まだまだ咲くのかな?多分。詳しくは→こちらをクリック。

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先日、諌早で面白そうなお店屋さん「べじ太」さんというのを見つけ、「野菜を中心としたカジュアルフレンチ食堂」というので、行って見たら「只今1Fべじ太はスタッフ不足のため休業中」ですって。

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と言うことで、今日は病院を2ヵ所、コスモス園を2ヵ所、洋服屋さんにズボンを取りに行って、食堂を捜してと、なんとも忙しい1日でした。


2018年10月12日 (金)

2018「白木峰高原コスモス(10月12日)」~諫早市白木峰

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先日、テレビで島原の「火張山花公園」のコスモスが、今年の猛暑のため発育が悪く「秋桜祭り」が中止になったとの報道があっていました(6万本のヒマワリは10月中頃が見頃だそうです)。

白木峰は標高の高いところにあるので涼しく、大丈夫だろうと思ったら、はやり猛暑の影響か、残念ながらいつもより花付きが悪く、おまけに、先日から二つばかり台風が来て、右にように土手の所は水の流れた跡。本当は、先の方まで、見事にコスモスが咲いているのですが。

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とは言っても、部分的には咲いています。まあ、来年を待ちましょう。


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今日は、幼稚園からワンサと来ていて、草ソリで遊んでいましたが、滑ると言うより、転がっていました。

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帰りがけ見ると看板が替わっていました。多分。
売店には地場産品が並んでいましたが、新米は高地で作られているので、多分美味しいでしょう。


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花が少なくても、見方を変えれば良い事で、例えばカミサンだって、良く見ると手が美しいとか、唇がなんともいえないとか、うなじが色っぽいとか、そこを見つめれば良いことで、それと同じで、きれいな花だけをみれば良いのです。

売店の方と話をしたら、随分、植え替え、手入れもしたそうですが・・・来年を楽しみに、コスモス畑を後にしました。


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2018年9月27日 (木)

「諫早駅」変身!

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諫早駅。新幹線が通るため、この間まで駅を作り替えていたのですが、いつの間にか新しくなっていました。

駅に向かって左にビルがありますが、一番最初は西友で、そのあと別の会社が経営しましたが、うまくいかず閉店。いまや、端の方の半地下になったところに、旅行会社が一軒のみ。

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諫早駅はJRと島原鉄道が乗り入れていますが、駅に入って左手側、島原鉄道の乗り場がありました。昔は、吹きさらしのプラットフォームでしたが、この待合室だと助かりますね。待っている学生さんは全員スマホでお遊び。

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2階からの眺め。

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メインの3階。まっすぐ行けば、西口に出ます。以前は地下道を通っていました。
「しぐるるや 駅に西口東口」(安住敦)という俳句もありますが。
以前は駅の横にあった、ミスタードーナツさんも中に入っていました。


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「観光案内・PRセンター」。長崎県人は、自分を売り出すことが苦手なので、頑張ってほしいですね。JR乗り場は3階にあります。

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昔の駅は、キオスクでしたが、コンビニですね。「お母さん食堂」の品物が並んでいるので、ファミマさんらしいのですが、表のガラスには「KIOSK」さんのポスターも貼ってあるので、共同経営かな

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長崎土産といえばカステラ。

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イートンがあるのもいいですね。前の駅では寒いなか、ベンチで冷えた駅弁など食べていたのですが、助かります。

ところでですね、週刊誌を買おうと思って探したのですが、ありません。帰りに中を見ていったら、はじっこの方で、いじけて並んでいましたが、残念ながら分かりにくい。


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壁には諫早を紹介した絵。これがないと、味気ない感じですが、せっかくなら、ヒロヤマガタさんとか、スタジオ ジブリさんの絵の方が宣伝効果もあって、よかったかも。

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「新幹線と町づくり」のコンクールの作品展もしていましたが、右が最優秀作品。新幹線やら、ハウステンボスやら盛りだくさん。数十点作品が並んでいました。

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さて、昔の駅舎より快適になりました。通勤時間帯は賑やかなのでしょうが、昼頃いったら、なんとなくガランとした感じ。もう少し遊び心が欲しかったナ、というのが感想でした。




2018年8月23日 (木)

一足先に「カステラランド」へ~雲仙市愛野町

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以前、愛野ベルハウスがあったところ。

少し前から、建て替えていたので何かと思ったら、カステラの「和泉屋」さんの店舗と工場でした。

長崎といえば「チャンポン」と「カステラ」が有名で、「カステラ屋」さんは個人商店から大きな店まであり、石を投げればカステラ屋さんにあたるというくらいです。

で、和泉屋さんはどちらかというと「恋するラスク」とか「綺麗菓」とか三切ればかり入って、気楽に食べられるカジュアルなカステラとか、工夫をしているお店屋さんです。

さて、初めに書いたように、ここには「愛野ベルハウス」があったところですが、外側のテイクアウトのところ、ちゃんと、「AINO BELL HOUSE」が残されていました。

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新聞によると28日オープンになっていましたが、車で通りかかると、お客さんが入っているようなので、見ると営業をしていて、多分、プレオープンで本番に備えて、各種チェック、練習をしているのでしょう。

内部はレストランの部分と売店の部分に分かれていて、腹が減っていたので、最初にレストランに入ってみましたが、海側の風景が開けて良い感じ。


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レストランは前払いで、メニューはありますが、右の「雲仙もみじ豚のトルコライス」「長崎チャンポン」「カステラたまごのオムライス」「五三焼カステラフレンチトースト」が主力のメニューかな?

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カステラの材料といえば、一番大事なのは卵。で、そのカステラのたまごを使った(多分)「カステラオムライス」を注文。お味ですね。皆さんも食してみてください。

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売店の方は、ゆったりして、なんとなく、ホテルのロビー風。和泉屋さんの各種カステラが並んでいます。

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外側の芝生ひろばもゆったりして、家族連れでこどもを遊ばせると喜ぶと思います。庭の造りもかなり手をかけています。秋には紅葉も見られる感じ。ただし、今日は気温も上がり、暑かった。

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左が雲仙方面、右が天草方面で、目をこらすと富士山まで見えるような気がします(見えませんが)。どちらかというと、アベックで楽しむと良いのではないかと。

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横には、デカ~い工場。「こんなに大きく作って大丈夫?」「ウチは、東京とか大阪とか全国に卸していますから大丈夫です」だと。

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で、26日は記念式典準備のためレストランは休業。27日は記念式典のため全館休業だそうで、皆さんより一足先に「カステラランド」に行ってきました。

ですがね、私の所に記念式典の招待状が来ていないのですが、どうした事でしょう。



2018年8月 1日 (水)

「慶巌寺の山門」について~長崎県諫早市

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先日、お箏の六段と慶巌寺のことを書きましたが、ふと思い出したことがあるので。実は、この山門、このお寺を作った時に作ったのではありません。

下は諌早神社(旧名・四面宮)。じつは、この山門はここにあったのです。

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行って見たら、神社に向かって左側、神社の老朽化のため建て直しみたいで、右側には立派な庭園があったそうですが、それも復元するようです。

この新神社を建てるところ、以前は空き地でした。明治2年の神社明細帳調をみると、何か建物があるような図面でした。

諌早神社の由来が書いた看板がありましたが、赤線のところ、「明治時代の神仏判然令により、並祀していた荘厳寺は分離されることとなり、本尊などは近くの寺院に移設。その際に、社名を四面宮(注:しめんぐう)から『諌早神社』と改称した。」ということで、諌早神社の中に荘厳寺が並祀されていたことが分かります。

「諌早を歩く~山口八郎著」には「明治元年の神仏分離令によって、荘厳寺は廃され、本尊の阿弥陀三尊像は安勝寺に、総ケヤキ造りの山門は慶巌寺に、お寺の什器類は、行基ゆかりの竹崎観音寺に移されました。寺の境内にあった諸石仏は、𡧃都墓地の入り口に移し並べてあります。」と書いてあります。

なお、四面宮の本社は雲仙の温泉神社。四面宮は、千々石、吾妻町、有家町、そしてここ、諌早神社が四面宮ですが、現在、諌早以外は「温泉神社」と改名をしています。

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こちらは、山門を裏から見たところ。

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下は、旧諫早市郷土館の「解説シート(歴史編)」に載っている慶厳寺の説明です。

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この荘厳寺の山門については「高城の史蹟~山口祐造著・諌早高城会発行」に詳しく書いてあり、要略すると、荘厳寺は諌早家の始祖龍造寺家晴公が入部して四面宮の神殿、拝殿を改築し、さらに祈祷寺として荘厳寺を建立したので荘厳寺は四面宮の神宮寺となり、家晴公は寺領米として、毎年二十七石を給したそうです。

前に書いたように荘厳寺は解体されますが、山門だけは残っていて、山門だけ残しているのも不自然だということで、山門も壊そうとしたところ、慶厳寺でこのことを聞き、話し合い、慶厳寺へ解体移築したのが、明治27年11月。

両側の仁王像を解体修理したところ、「延宝三年(1675年)、京都柳馬場二条上寺町、大仏師法橋康祐作」と墨書いてあったそうです。

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良い木鼻ですね。

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両脇の欄間彫刻は浜辺の老松と打寄せる波を象り、日本様式。楼門の柱は丸柱で、禅寺の四角柱のような雄々しさはなく、優しい風情を湛えているそうです。

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どうにもわからないのが、山門の入り口のすぐ上の彫り物。

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上側は諌早家の家紋「上り藤」。下が、お猿さんみたいなのですが、なにか意味があるのでしょうが、調べましたが分かりませんでした。

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慶厳寺の駐車場には磨崖仏が彫ってありますが、ひょっと見ると数字が彫ってあって、「32.7,25」。何だろうと、思ったら、昭和32年の諌早大水害の日。
死者、行方不明539名、負傷者1,476名、家屋破損2,221戸・・・被害総額、当時約87億円(現時点に換算すると415億円)

随分高いところに書いてあって多分、水害時の水位が刻んであるのでしょう。災害の大きさが分かります。

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お世話になった本
「高城の史蹟~山口祐造著・高城会発行」「ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 諌早~諌早史談会編著者」「諌早を歩く~山口八郎著」「諌早史談~田中為市著」「諌早郷土館開設シート(歴史編)」「諌早市史~昭和33年発行」



2018年7月10日 (火)

長崎市「思案橋」★古写真より


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「行こうか 戻ろか 思案橋 ちょいと行って 思い切り橋」、だったかな?思案橋を渡ったところに、遊廓の丸山がありました。多分、写真の手前の方角が丸山かな?

先日、書いたように、古写真、古絵はがきを故あって集めていますが、上の写真が手に入りました。思案橋の写真です。

橋の赤丸印「志あんばし」と書いてあります。上の赤丸印「電車のりば」とあります。青い丸印は「食」「思」と書いてあります。


電車は「正覚寺下」まで続いているのですが、どこにも、その気配はなく、あれ?と思っていたのですが・・・


下の図と写真は「長崎事典・風俗文化」に載っていて、左は「大正時代の思案橋」、右は「上記(左の絵のことです)の前身、思案橋終点の建物」とあり、調べたら、大正10年・西浜町~思案橋間開通、とあり、この先、正覚寺まで電車が延びるのは昭和43年、「思案橋~正覚寺下開通」になっています。


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       (長崎文献社刊「長崎事典・風俗文化編」より)

下は「東宮御成婚記念」の「日本交通分縣地図」を切り取ったものですが、大正13年4月10日のものです。

黄色の矢印、線に小さな丸印がありますが、電車の軌道です。白い丸印が遊廓の「丸山」。わざわざ「遊廓」とまで書いてあります。で、緑の矢印が「思案橋」の停留所、停留所の所に川が流れているのがわかります。ここに架かっていたのが「思案橋」(少し上の方かな?橋が見えます)。

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下は、ウィキペデアから拾った写真ですが、赤丸に「電車のりば」の看板。緑の丸印「思」「案」「食」の字。停留所の二階には食堂があり、モダンな建物だったそうで、名前は多分「思案橋食堂」ではないかと推察する次第です。

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    (「ウィキペデア」より)

と言うことで、思案橋・丸山方面には若い頃お世話になりましたが、最近は活気が無くなったとか。

私が小さい頃、時々通りましたが、昔は朝から行くと、ゲロばかりで、昔は酒を楽しむと言うより、ベロベロに酔いたいという時代でした。


現在の「思案橋電停」です。

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            (「Google Earth」より)


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