旅行・地域

2017年3月21日 (火)

バス、海を走る&島原「春の花まつり」~島原市

Photo_2

桜も東京では咲いたようですが、こちら、橘公園ではボンボリ、ライトアップの準備はでき、露店もそろそろテントを張り始めましたが、桜はまだまだ。いずれ、情報は流したいと思います。

さて、昨年、「ダックツアー」の事を紹介しましたが→
こちらをクリック
あの時は車中から写真を撮ったわけで、横から写真が撮れないかとは思いましたが、なにせ、海の中で出ていって写真を撮るわけにもいかず、機会を狙っていたのですが、昨日紹介した「春うらら茶会・春うらら発表会」の帰りがけ、島原駅を通りかかったら、「ダックツアーバス」が発車しているではありませんか。

で先回りして、港で待っていたら来ましたね。この場所は、船の整備等のために船を引き上げる場所です。

お~見事な”スプラッシュイン”。


Dsc_0277_2 Dsc_0285_2

船ではなく、バスがプカリプカリと浮かびながら、出港していくわけですが、確か、「船は出ていく 煙は残る 残る煙が シャクの種」という歌があったような気がしますが、バスでは煙は出ませんね。

Dsc_0292

急いで、”おっとっと食堂”あたりに先回りして行って横から見ると、なんとなく、沈みかかったバスという感じですね。

なお、この「ダックツアー」は、この3月26日で運行を終わり、次のところへ移動するそうです。体験されたい方は、ネットで、「島原ダックツアー」と検索すると、日程、空き情報等が見られます。予約して行かれる方が良いかと思います。


Dsc_0295 Dsc_0308


ついでに、「しまばら芝桜公園」に寄ってみましたが、ボランティアの方が植え付けをしていると思ったら、全然でした。オープニングが3月28日になっているので心配なのですが、


Dsc_0318

ポスターが貼ってあり、今後の日程が書いてあったのでご紹介を。

まず、花は

・芝桜 約3万株 4月中旬頃
・ポピー 約500万本 4月中旬~5月初旬頃
・菜の花 約1000万本 3月下旬~4月中旬頃

イベントとして

・3月28日(火) 10時 オープニングセレモニー
・4月2日(日) 11時~(予定) 島原農業高校和太鼓演奏
・4月16日(日) 11時~(予定) 島原農業高校和太鼓 井上龍一郎書ライブ
・4月22日(土) ヴィンテージインストルメンタルバンド(ベンチャーズ他)ライブ
・期間中 島原物産市

なお、菜の花の5分咲き宣言より協力金がいるそうです。今行けば、ロハなのですが、花は見られません。でしょう。多分。

なお、お問い合わせは、(株)島原観光ビューローまで、これもネットでホームページが出ています。








2016年12月12日 (月)

「ダックツアー」~バス海を走る

Photo

先週、12月6日に、このバスの事を書きましたが、どうしても乗りたく、昨日、乗ってきました。

要予約で、日曜日なので満席かなと思いつつ電話をかけたらOK。出発場所は島原駅、島原駅から10mほど曲がったところに事務所があり、ここで、乗車手続き。


Photo_4 Photo_5

で、バスが来たと思ったら、普通に島鉄バスか、と思ったら、島原市めぐりあい事業実行委員の貸し切りバスでした。多分、集団見合いかな?

Photo_6 2

スタッフらしき人のTシャツの後ろに、何やら見慣れたデザインがしてあるので聞いてみたら、「妖怪ウォッチ」の作者が島原出身で、島原守護神「しまばらん」をデザインしたそうです。「鯉のおよぐまち」ですから、駅前にも泳いでいましたが・・・寒そう。

Photo_7 Dsc_0596

で、しばらくすると、一番上の写真、ハデハデな車の到着。下の様子を見ると、普通のバス、トラックと同じで、大丈夫かいな?私、全然泳げませんから。

なお、スクリューは陸を走っているときは引き上げておいて、海に入るとき下げるそうです。二本のベルトが分かると思います。


Photo_8 4

3 5

運転手席。普通のハンドルと、右に小さなハンドルが付いていますが、これが、水上運転用のハンドルみたいでした。もちろん、陸上を走るときは大型2種免許、海上を走るときは船舶免許がいります。

Photo_9

内部の状況ですが、窓枠はありますが、窓ガラスはありません。陸上を走るときはシートベルトをして、海上を走るときはシートベルトを外すようにいわれました。

要するに、海を走っている時、万が一の時、すぐに海に飛び込めるようにだって。
天井に絵がかいてあって、「なんでしょう?」、「カッパ」、「違います」、「アヒルです、アヒルは陸も歩けるし、水の上も泳げるでしょう」。との説明ですが、どう見てもカッパさんですよね。しかし、「カッパツアー」より「ダックツアー」の方がカッコいいかな。

なお、この車が日本で作られた第1号車だそうです。長崎県で一番最初に走ったのはハウステンボスだそうですが、ハウステンボスの車は20名乗りで、こちらの車は40名(旅客)です。

この車の正式名称は、「レジェンド ゼロ 1」というかっこいい名前だそうです。なお、残念ながら、この車は各地を回って利用され、島原で使用されるのが、来年3月31日までで、その後大阪の方へ行くそうです。興味ある方は早めにご利用を。


Photo_11 3_2

車のコースですが、島原城を一周、いつもは車を運転しながら見ていますが、こうしてゆったりしてみるといいですね。

霊丘公園の横を通りますが、機関車が置いてあります。
詳しくは以前書いているので、機関車をお好きな方はそちらをご覧ください。

Photo_12 Photo_10

と言っている間に、霊南漁港の「スプラッシュイン!」の現場へ。左の写真のところから、海へ入っていきます。これを、「スプラッシュイン!」と言っているのですが、ここから運転手さんが船長さんになり、右のハンドルを操っていました。

Photo_13 2_2

「スプラッシュイン!」の写真を撮りたかったのですが、何せバスの中。残念ですが、船長さんの前面のガラスが海水で濡れているのが分かると思います。

Photo_14

もちろん海の上ですから、漁船なども通りますが、海上では右側通行になるそうです。

2_3 Photo_15

右がとっとっと食堂。昔の米蔵。左がこの間書いた「升金の倉」。

Photo_16

対岸の小島にある「升金」さんの、燃料タンク、現在は使われてなく、島も市の管轄になっているそうです。なお、「升金商会」は、「升金の倉」から道を隔てたところにありました。


Photo_17 2_4

島鉄の車庫と眉山方面です。この間の熊本地震、大雨で少し崩れたとか。

Photo_18

海をバスが走っているのが珍しいのか、手を振っている人がかなりいますね。
島原ドック、この方向からは滅多にみられません。

Photo_19 Photo_24

島原の「九十九島(つくもじま)」の一つですが、寛政四年の「島原大変」で眉山が崩壊したときにできた島です。当時は59島があったそうですが、だんだん崩壊して島数も減ってきたそうです。各島ご覧のとおり崩壊しないように石垣で囲まれています。

Photo_21

ということで、天気は良く、波もなく、ガイドさんのユーモアあふれる説明で、万が一の事もなく無事戻ってきました。寒かったが・・・

Photo_22

いつも知っている風景ですが、視点を変えると面白いものです。前に書いたように、来年3月31日までで、今後の予定はいつになるか、まだ分からないようなので、是非お早めにご乗車、ご乗船を。

なお、スプラッシュインの様子は、YouTubeでも見られます→こちらをクリック






2016年11月26日 (土)

「中林梧竹展」&「お茶会・お琴演奏」~雲仙市小浜町小浜歴史資料館

Photo

12月25日まで、日下部鳴鶴、巖谷一六と並ぶ明治の三大書家、中林梧竹(1827~1913)の作品展が開かれています。合わせて、今日はお茶会とお琴の演奏。

カワユイお嬢さん方から、お茶を点て(立てるではありません。意味は各自学習してください)いただきましたが、どうも、お茶の飲み方が相変わらず良くわからず、そこは歳を取ったせいか、厚かましくも、お師匠さん(お茶の場合はお師匠さんで良いのかナ?)に、「飲み方教えてください」という事で、優しく教えていただき、おいしくいただく事が出来ました。家で飲んでいる、香典返しのお茶と比べれば、ダンチでした。

お茶を飲みながらのお琴の演奏も良いもので、久しぶりにホットするものを感じました。


Photo_2 Photo_3

さりげなく飾られた、生け花。小さいながらも、良いですね。白いのは「初嵐」という椿だそうです。

Photo_6 Dsc_0076

会場は、旧湯太夫邸(小浜温泉の湯元)、私が100回生まれ変わって稼いだとしても、追いつかないくらいの財力があります。

入口にいたる階段ですが、以前にも書いたように、島原城を廃城した時、買い受けてきた門があり、「先魁(さきがけ)門」か「田町門」ではないかということです。

なお、階段のすぐ下の方に「豊後の湯跡」があり、島原城主、松倉重昌がここで狂い死にをしています(暗殺説もあり)。(以前書いたかな?)


Photo_4 Photo_5

落ち着いた佇まいの屋敷。我が家と違って、掃除するのも大変でしょうが・・・庭には源泉が噴き出ています。

Dsc_0115 Photo_7

さて、「中林梧竹展」です。佐賀県小城出身、藩主に認められ江戸へ遊学、その後帰藩し、二度中国に渡り、六朝書体、墨絵等を学び、独特の書体を作り上げていきます。

九代目湯太夫、本多西男氏とは親しく、何度も湯太夫邸を訪れたそうです。
見れば、本当に独特の書体。


Photo_8


4 3

時々、展示品を入れ替えますが、これまた初めての屏風。

Photo_9

誰かと思えば、英一蝶の作品でした。署名の「一」の字が多少気になるのですが・・・・

Photo_10 2_3

という事で、今日は、おいしいお茶と、良い音楽と、素晴らしい書、画を楽しんだ一日でした。体調は悪かったが・・・・・





2016年11月22日 (火)

2016「三十路苑」(11月22日現在)情報~雲仙市小浜町

Photo

以前は隠れた名所でしたが、最近はNHKでも紹介され、先週だったか、まだ青紅葉が多く、あれから一週間。もう見ごろだと思い、ふと思い出し、明日は休日でお客さんが多いな、という事で朝少し早く出かけてみたら、ご覧の通り、まだ少し早かったかという状況でした。

下の写真が、2012年11月20日、ライトアップされた写真です。


Photo_2

ライトアップは今年も、午後5時半から行っているとの事です。
最近、暖かい日が続いたせいか、まだ十分には色づく状態ではなかったかと思われます。

以前書いたと思いますが、某作家が桜の名所のお寺に電話をかけ、桜の状態を聞いたら、「桜はあなたのために咲いているのではありません。花よし、花散るもよし、葉桜よし、枯れてよし。桜はいつでも見頃です、いつでもお越しください。」と言われたそうです。

青い葉、黄色い葉、赤く色づいた葉、いろいろありましたが、金子みすずさんの「みんなちがって、みんないい」との言葉を思い出し、いろんな葉を楽しんできました。写真を下に貼っておきますので、各自楽しんでください。


Dsc_0518 Dsc_0469

Dsc_0480 Dsc_0483

Dsc_0498 2

Dsc_0507 Dsc_0465

平日にもかかわらず、私が着いた直後から団体さんと、カメラを持った方が次々と。団体の方は、「イレグン・ハングルグン・ハマシュミダ」【「なんて素敵なんだろう」(多分)】と話していたので、かの国の方でしょう。

でも、カメラ持っている方は、本当に良いの持ってますね。私のも買い換え時か。

紅葉は十分に見られませんでしたが、帰りがけ、真っ赤なものを見ました。


Dsc_0523

蛇足ながら、今日は11月22日、「いいふうふ」の日です。私たちの結婚式の日は、11月12日、「いいひに」結婚です。今年は、「いつまでも、愛しているよ。」と言ってみようかと思ってましたが、忘れていました。もっとも、「ボケたんじゃない」と言われたでしょうが・・weep





2016年11月21日 (月)

2016「福石様〆縄うち直し」~雲仙市千々石町海岸福石様

Photo

福石様の〆縄が古くなり、昨日、うち直しをしました。誰が言ったか、「女房と〆縄は新しい方が良い」。

残念ながら、この日は曇りで、良い写真が撮れませんでしたが、夕日がきれいな時は良い写真が撮れます。最近は、写真を撮りに来る方が増えているとか。

十数年来、〆縄が朽ちて無くなっていたものを、はやり無いと寂しいとの事で、有志で昨年から復活させましたが、なにせ長期間作った経験がないので、昨年は2日間をかけましたが、今年は慣れたので一日で大丈夫だろうと。

とは言っても、これだけの藁、集めるのが大変だろうということで、先週から先発隊が藁集め。

昔なら、「おとうは土間で藁打ち仕事」でしょうが、これだけあると、のんびりしてもいられないので、工事用の機械を使って藁が柔らかくなるように打ちます。


Photo_2 2

で、みんな座り込んで何を作っているかというと、ワラを数本まとめて右のようなものを作ります。縄を組んでいくとき、これを差し込みながら組んでいきます。

Photo_3 2_2

縄は三人で組んでいきますが、縄に先ほど作ったものを差し込んで、縄を右によじりながら、左の人に渡していきます。

縄を捩るのが3名、差し込む藁を渡していくのが3名、縄の中心にロープを入れていますから、絡まないように回して渡していく役が3名、できた縄を引き上げるのが1名。10名ほどで〆縄を作っていきます。


Photo_4 2_3

できた〆縄を運んで、福石様に渡していきますが、岩が滑りますから、これも大変な作業です。下はモロ海で岩がゴロゴロしています。

Dsc_0390   2_6

昨年は作り方が良くわからず、昔、〆縄を作っていた高齢者の方から、「少し細かな、特に真ん中んとこが」と言われていたのですが、今年は「大きくて、良かな」と。

その後、神事で、橘神社の神官さんのもと、安全を祈って祈願。なお、神主さんは、橘中佐の曾孫さんです。

Dsc_0415 Photo_9

出来上がって、写真をパチリ。
Photo_12

近くのお年寄りと話をしていると、「やっぱり、毎年張り替えんといかんな」。

〆縄の打ち直しに参加された方は、一日大変だったと思いますが、やはり、この〆縄がないと福石様らしくなく、皆さんの安全祈願でもあり、また、来年の打ち直しを期待したいものです。

なお、写真の初心者の方は、逆光の写真の撮り方を勉強するのに最高の場所です。是非、お越しください。





2016年11月 2日 (水)

2016「雲仙紅葉情報」(11月2日)~雲仙市雲仙

Photo

以前紹介した、島原芝桜公園のコスモスが八分咲きだと、放送があっていました。私、残念ながら少し早く行き過ぎたのですが・・・・

で、ふと雲仙の紅葉はどうかと思ったのですが、いつもは新聞、TVで紅葉の情報を流しているのですが、今年は見受けなく、なにか変だなとは思いながらも、一応行ってみることに。

旧料金所(現在は環境整備協力費で100円徴収)の職員さんに聞いてみると、今年は紅葉が遅れ、妙見岳あたりだったら少し紅葉が見られるとか。

下の写真は、仁田峠循環道路途中の展望所から見た平成新山。昨年から見ると斜面の所の緑が増えてきましたが、まだ、豪雨の時などは土石流の恐れもあるとか。


Photo_2

仁田峠に着いたら、案の定一番上の写真のように、紅葉にはまだまだ。

仁田峠にあった看板ですが、明日3日が休日なので、立てたものかな。ロープウェイの切符売り場に「妙見岳の山頂の紅葉は5分色づきでございます」と書いてあったら、なんとなく期待が持てるじゃありませんか。で、一応ロープウェイに乗って上のほうへと。


Dsc_0787 Photo_3

この時期、いつもならこの辺りの紅葉がきれいなのですが、残念ながらでした。

Photo_4


Photo_5 Dsc_0815

妙見岳側から見た平成新山。

2

こちらの谷側も紅葉にはまだまだ。

2_2 Photo_6

ここまで歩いてくると、ヘトヘト、昔はなんともなかったのですが、歳ですね。平日にもかかわらず、お客さんの多いこと。妙見の展望台への階段です。一応上りましたが、心臓がバクバクしてやばいので、妙見岳、せめて妙見神社に行こうと思ったのですが、もう無理、ということで戻ってきました。

Photo_7 Photo_8

帰りがけ、寒ツツジが咲いていたので鑑賞はしてきました。寒ツツジ、別名、呆けツツジ、季節外れの花です。まるで、私みたい。

2_3 Photo_9

今年は夏の猛暑のため、花付き、花の時期が悪かったようです。
明日は文化の日で休日ですが、雲仙方面へ行かれる方は、紅葉にはあまり期待されないよう。といっても、ここ数日寒さが厳しくなっているので、紅葉にはあと一歩といったところでしょう






2016年10月27日 (木)

2016 「自然干陸地フラワーゾーン」のコスモス~諫早市高来町


Photo

今日の新聞に西海市のコスモスの記事が載っており、ふと思い出したので、諫早干拓のコスモスを見に行ってきました。正式名称「自然干陸フラワーゾーン」。軽・普通自動200円也の環境整備協力金を徴収されます。

ウチから、いつまでも揉めている諫早干拓の堤防道路を通っても、諫早を抜けても同じくらいの距離で、同じ道を往復しても面白くないし、干拓堤防道路から、コスモスを見て、諫早方面から、ぐるっと回るコースで出発。

ところが、途中まで行くと、「堤防道路全面通行止め」の看板、一瞬、「なに!」と思えど、規制予告のお知らせで、11月14日~19日まで通行止めになりますとの事で、利用の方はご注意を。

連絡先を見たら、「長崎県央振興局農林部諫早干拓堤防管理事務局」。官庁らしい長ったらしい名称。電話かけたら、「はい、こちら長崎県央振興局農林部諫早干拓堤防管理事務局です。」って言うんでしょうか、電話して確かめるかな。

久しぶりに走った、干拓道路。相変わらず直線で長いですね。ここでネズミ捕りをやったら、かなり捕まりますね。

Photo_2 Photo_3

途中、「轟街道ふれあい市」があったので、いつものように「幻の高来そば」を買っていきました。駐車場にあったのが、「急速充電設備」と車の絵が書いてあった機械、多分、電気自動車用の充電設備でしょうが、使う方いるんでしょうか。

Photo_4 Photo_5

ここは多良岳を後ろに控え、良い水が流れているのか、「不思議?な水」。50リットル以上は200円、以下は100円。「防犯カメラ作動中」があり、泥棒除けと、夜に水汲みに来る方のための、安全用のようです。体に良いお水だとか。

Photo_6 2

目的地に着いたところが、風が強い、強い。一番上の写真、かすかに見えているのが島原半島方面の雲仙岳、下の写真が、多良岳方面。

管理の方と話をすると、今年は花が咲くのが遅かったとか。島原、白木峰も遅かったので、今年の猛暑が影響をしたものか?とにかく、天気が良く、満開の時は、雲仙岳、多良岳と両方を眺めながらと良い所です。

Photo_7

多分、ディサービスの方なのか、私も、もうすぐ仲間入りなのですが・・・・

2_2 Dsc_0587

カメ女さんですね。「風が強いので撮りにくいでしょう」と、女性なら見境もなく声をかける、私。振り向いたら、少しお年の方ですが、高齢者の女性の方も、良いカメラを持った方が多くなりました。女性の方は機械に弱く、昔は、カメラというと男性のものでしたが・・・時代は変わりました。

Photo_8 Photo_9

今年は3か所ばかり、コスモスの名所を紹介しましたが、はやり、花の咲くのが遅く、昨年より花付きが悪いようでした。もうぼつぼつシーズンは終わるので、今年のコスモスだよりは、これで終わりです。来年の素晴らしいコスモスを期待したいところです。

今年は、あと紅葉が残っているので、機会があったら紹介をしていきたいと思います。紅葉の後は、桜ですね。来年のことを言えば、鬼が笑うといいますが・・・






2016年10月15日 (土)

「音羽山瀧右衛門」~おらが村さの関脇どんは★雲仙市吾妻町

Photo

おらが村さの関取どん、といっても残念ながら、あまり強くはなかったようで・・・

某日、某氏より、吾妻町に音羽山という相撲取りがいて、それに関する書状が出てきたので分からないかと。

こちらも、名前も聞いたことがないので、吾妻町の知人に聞くと、「大熊郵便局があって、その前に墓地があり、入り口に大きな墓がありますよ」ということで行って見たら、よく通る道で、以前から目にしており、何かの記念碑かと思っていたのですが。(下の写真はGoogleのストリートビューからです。)


Photo_2

行ってみたら、記念ではなく、大きな墓で、二基並んでいました。下の写真左側が、音羽山のもの、右側が今神楽と刻んであります。

墓所はきれいに掃除してあり、箒なども置いてあり、吾妻町の知人に調べてもらうと、墓掃除は、今神楽の子孫の方がされておられるとか。今神楽も相撲取りで、残念ながら詳細は分からず。音羽山についても知らないとのとこでした。


Photo_3 Photo_4

「音羽山」の墓碑には

文化十一年甲戊十二月廿一卒(注:1814年)
音羽山瀧右衛門墓(滝は瀧になっています)
行年七十有六歳

下のほうには建立年月日、世話人の名前。


Photo_5

弘化二乙巳天
香(?)正三月(注:香正については古語辞典、漢和辞典にもなし)
穀旦造立(注:穀旦は天気のいい日、めでたい日、吉日。~三省堂漢辞海)

世話役
二代
音羽山□右(?)門
島内太
満汐上八
白藤要吉
三迫桂
蒐(かけずか)□中(注:「蒐」は地名、「中」は集団を表す語の後ろに用い、その成員全員を指す語。
御中氏子中など。~ウイキペディアより)

Photo_6 2

となるのですが、知人よりの再びの連絡で、昭和29年の「山田村史」に載っているということで、以下の文です。

「山田村字中熊に『音羽山滝右衛門之墓 文化十一年甲戊十二月二十一日卒行年七十有六』『今神楽彌五郎乃墓 天保七年丙丑九月三日卒』」と刻んだ二つの墓がある。これは当村から出た力士として名を成し、横綱までなったと言う。音羽山は中年頃から故郷に帰りアミ漬けを売りあるいていたが横綱免許の巻物を持っていたので子孫の代まで頭取の資格を持ち地方における相撲興行のある場合は親分気取りであった。」

ここで、ふと疑問があり、当時は確か「大関」が最高実力者であり、「横綱」は吉田家が免許として与えたもので、どうなのかと相撲関係の本をあたると・・・

(株)ベース・ボールマガジン社発行の「大相撲人物大辞典」には

「音羽山滝右衛門(関脇)1739~1814
長崎県出身の九州力士。はじめ大阪で明和4年5月、西大関で登場、同年6月の京都でも西大関にあり、同8月に再度大阪で西上取筆頭に出た。江戸出場は同年10月の東関脇で、2勝6敗の成績。江戸はこの一場所限り。翌5年の大坂で、「島原」筆頭の東取4枚目を最終とした。当時としては珍しく長寿を保った。

出身地   長崎県南高来郡吾妻町永中名
生年月日  元文4年
所属     嶽所ケ浦(九州)
初土俵   明和4年10月場所関脇付出
上段昇進  明和4年10月場所関脇付出
最終場所  明和4月場所
最高位   関脇
上位在位  1場所
勝率     0、250
没年月日  文化11年12月21日(76)

なお、別本、(株)日本図書センター発行「写真図鑑 相撲百年の歴史」の中の「宝暦から現代までの二百十三間の入幕歴史略歴一覧」には

力士名    音羽山滝右ェ門
入幕場所   明和4年10月
部屋      御所ノ浦
最高位    関脇
出身地    九州
最終場所   この場所限り

となっており、「横綱」ではなかったような。

さて、江戸時代、現雲仙市の有名力士としては、以前紹介した、愛野町の大関玉垣額之助、小浜町の大関玉垣額之助が有名で、特に小浜町の玉垣額之助は、幕内在位数25場所、119勝27敗23引き分け、勝率0,815であり、当時の柏戸利助の勝率が0,810と両者ダントツの強さで、人気を二分しています。

音羽山滝右衛門さんは、あまりパットしなかったみたいですが、それでも関脇を張った人物で、江戸相撲では一場所限りの出場で、引退の理由はわかりませんが、それなりの実力を持った相撲取りだと思われます。墓を見てもわかるとおり、故郷に帰ってからは、地方の有力力士として活躍したものだと思われます。
なお、今の「吾妻町史」には載ってなく残念なことです。

(江戸時代の、一年間の場所数、取り組み日数などは、現在と違っておりますので、そのつもりで)


 

2016年10月10日 (月)

2016「白木峰コスモス高原」~長崎県諫早市

Photo

毎年の「白木峰コスモス高原」です。昨日、島原の芝桜公園の横にある、コスモス公園が満開だとか、で、白木峰コスモス高原はどうかとなと思い今年もやってきました。

いつもは、平日、朝早く行きますが、人がいつもより多いなと思ったら、今日は連休の最終日でした。やはり、休日だと朝早くても、人出が多いですね。

Photo_2 3

右はカメ女(カメラ女子)さんですが、私の現品処分デジカメより、はるかに高いもので、最近、皆さん良いカメラばかりで、おじさんナントナク恥ずかしいですね。

4 Photo_3

こちらは、某高校のボート部です。Tシャツの前の部分、桜の花が可愛いですね。顔はゴツイので、撮りませんでしたが、みんな明るく、話してみると、青春しているという感じで、好感持てます。私も、こんな時代があったのかと思うと・・・

Photo_4 2

本来は、丸印のところまで、びっしり花が咲き、有明海、雲仙半島、雲仙岳と眺められいい風景なのですが、今年前半、雨があまり降らなかったせいか、これから花が咲くのか、少し、花付きが悪いみたいで、残念。

Photo_5

花を見て、腹を立てる人間はいない、といった人がいますが、本当ですね。

Photo_6 3_3


2_2

たぶん、もう少ししたら、もっと花が咲くと思うので、ぜひご覧を。高台にあるので、空気も澄んで、気持ちが良い事・・・ ヽ(´▽`)/


【追伸】
今日、10月20日の情報です、記事中
>島原の芝桜公園の横にある、コスモス公園が満開だとか
と書いておりましたが、一昨日行った方の情報によると、まだ、1~2分咲きだそうです。
某TV局で島原のコスモスも十分鑑賞できるような放送があっていたので、上のように書いたのですが・・・・
はやり、なんでも自分で確認する事、必要ですね。
昨年、10月23日頃行ったときは満開だったのですが、ウチのコスモスも今年は花付きが悪いようで、異常気象のせいでしょうか。


2016年9月22日 (木)

雲仙市の歴史を学ぶ会~「栗原玉葉」★吾妻町出身の女流画家

Photo

今日は雲仙でお勉強。「雲仙市の歴史を学ぶ会」で、内容が、「雲仙市吾妻町出出身の女流画家 栗原玉葉の美人画の世界」。講師が長崎文化博物館の研究員・五味俊晶氏。内容が内容なので、参加者が少ないかと思ったら、満席でした。

この会に参加しようかどうか迷ったのですが、私の知り合いが実物を持っており、それを見せられ、どのような人物なのか知りたく参加をしました。

「吾妻町史」に2ページわたって紹介してあり、生まれが明治16年4月19日山田村馬場(現在、雲仙市吾妻町)、酒造業栗原宰(つかさ)の長女(兄四名の末っ子で一人娘)として生まれる。本名「文子(あやこ)」。

小学校の頃、父が亡くなり、梅香崎(うめがさき)女学校を明治39年卒業(在学中洗礼を受けクリスチャンへ)、東京女子美術学校(現在の女子美術大学)へ入学。在学時に寺崎廣業へ師事。この寺崎廣業がかなりの影響を与えたらしいのですが、苦労しながら、大正3年第7回文部省主催展覧会(文展)に出品した「さすらい」が出世作となり、第8回、第9回と連続入選をしますが、第9回文展の日本画部には2146人が応募し、入選が204点。狭き門です。

この時の会場の部屋分けで、第3室に「美人画の部屋」があり、34点展示され、もちろん、栗原玉葉の日本画もあったわけです。

ところが、この事に関し批判があり、「次に吾人の快とするは所謂美人画の殆ど影を潜めたる事である。昨年の文展は美人画室をこしらえて如何わしき芸術をかけ並べ、識者の指弾を蒙れる事は世間の周知の事実である。(略)」(社説「文部省展覧会(第十回)」(「中央美術」第2巻第11号、1916年、3頁)。

という事で、絵画作品は生計を成り立たせる「モノ」ということで、美人画家は主題を変更していきますが
○「美人画」に地域的な付加価値を与えるもの~栗原玉葉等
○女性の内面に更に踏み込んで描く~島成園等
○官展や画壇とは離れた活動を行う~甲斐庄楠音等
となっていったそうです。

なお、栗原玉葉の評価については、「栗原玉葉女史は、女子美術学校の出身で、後寺崎廣業に師事した人、焦園女史亡き後は東京に於ける閨秀画壇の第一人であると云えよう」(小川治作「洋画日本画閨秀作家評伝」・「審美」第3巻第2号、大正9年)。

なお、日本画の大家、伊東深水も次のように述べています。「美人画はおそらく前の文展時代に端を発したものだろうと考えられるのです。と申しますのは、当時清方先生をはじめ池田輝方、焦園、
栗原玉葉、関西の上村松園、北野恒富といったような諸先輩が描いた婦人風俗画が文展を賑わし、其画風を景欽する作家が盛んに排出されまして、ある年の美人の画が満場を圧するの趣を呈した年がありました。今日の美人画の名称はけだしこの時あたりにおこったものかと考えられます。」(伊東深水「風俗画について」)

なお、「その門下生は『銀葉会』の名のもとに八十名にもおよび多くの女流画家を出したが、大正九年六月に生まれた『月曜会』は玉葉を中心とした当時の女流画家のほとんどが入会していた。」(「吾妻町史」)

ということで、故郷でもほとんど忘れられている優秀な人物の掘り起こしが、現在必要なのではないでしょうか。

玉葉は歌人としても有能であったらしく、故郷を偲びつつでしょう。

思い出は芋の畑にあぜみちにとんぼ追ひたる古里の秋

(資料:当日のレジメと講演・吾妻町史より)


より以前の記事一覧

フォト
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ