文化・芸術

2023年1月15日 (日)

気まぐれ資料館~次は「草双紙」の世界

「一畳の気まぐれ資料館」。春らしくと思い、ちょうど草双紙を何冊か持っていたので展示をすることにしました。

本の題は「御所櫻梅松録」。とうてい読めないので、調べましたが内容は詳細不明。
2冊が1巻になっていて、それが何巻かになって一つの物語になっているみたいです。表紙が洒落ていて、表紙が2冊(上、下)1巻で一つの絵になり、多分、内容と関係があると思われます。

画像がぼけていますが、クリックするとハッキリと見えます。


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絵もさりながら、文字のすごいこと。これ、木版、木に彫ってあるのもです。

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いつも、こんなん、よう読めたな、と思うのですが・・・

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木版を少し持っていたので刷ってみました。が、難しいですね。小学校の時、図工の時間に版画を作成しました。また、年賀状などにも使いましたが、本格的な版木は刷りにくい。

下は「せんき(疝気)の妙薬」。


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こちらは「虫歯の膏薬」。膏薬で効くんですかね?人物の頬のあたり、痛んでいるところですね。

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下は二人の人物ですが、座っている人物は髭を蓄え、眼鏡をかけていますがそこまでは刷ることができませんでした。多分、明治期の草双紙本の挿絵だとは思うのですが。


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多分、渡し船ですね。

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版画を刷るのは思ったよりも難しく、特に、絵が描いてあるのは彫りが浅く3日ばかりかかって4点刷りました。おかげで、日本文化の面白さを味わうことができました。

 

2022年11月 4日 (金)

第50回 千々石町文化祭作品展示~すこし淋しい(-_-)

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千々石文化祭、今年が50回なので、盛大に50回記念文化祭を挙行して良かったのでしょうが、コロナの影響かヒッソリと開会。11月6日までの展示です。なお、演芸の部は今年も中止です。

以前は、押し花、絵手紙、瓢箪、写真クラブ、郷土史研究会等々、結構あったのですがほとんど無くなりました。また、コロナで2年ほど中止になっていたのが影響をしたのか出品作品もかなり減っていました。

デイサービス、皆さんボケ防止でイロイロな作品を作っています、ワタシも近々・・・・


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先生が熱心なので、書道はいつも沢山の出品。

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お孫さんが沖縄にでもいるのか?

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陶磁器は90歳くらいの方の作品です。

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小中学生の部。右は中学生の作品で、何やら不気味ですが迫力はありました。先生が替わると、作風がガラッと変わることがあります。

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小学生の作品ですが、なかなかに活気があって良いですね。

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ということで、来年はワタシも「裸の自画像」でも・・・・・
 
 

2022年10月14日 (金)

「えんがわ・一畳のきまぐれ資料館」~雲仙鳥瞰図

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茹で野菜のマルニさんの母屋の一角をお借りして始めた”気まぐれ資料館”、いつのまにやら12回目になりました。

今回は「雲仙鳥瞰図」。上空を飛ぶ鳥の目から見たように描いてあるので「鳥瞰図」。一番有名なのが、大正の広重と言われた吉田初三郎。

チラシの一番上の鳥瞰図、初三郎が描いたもので、昭和2年の日本便船のパンフレットに掲載されたもの。説明は英文です。この時分上海航路などもあり、外人が雲仙を多く訪れています。


主な鳥瞰図を展示しています。作者はほとんどが不明ですが、なかなかよく描けています。なお、小浜の湯せんぺいもこの鳥瞰図です。


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なお、これだけでは淋しいので、床の間に多少面白い掛け軸を掛けておきました。なんの図柄かは共箱の文字にあるらしいのですが・・・?

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2022年5月 8日 (日)

大河への道~立川志の輔

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立川志の輔さんの落語が好きで良く聞いています。

志の輔さんの落語が映画になったのは「歓喜の歌」がありました。これ、映画は見損ないましたが、落語はとにかく面白かった。落語はYouTubeで見られます。今回は落語で演じられた話が小説になり、マンガになり、5月20日に映画が公開されます。

「伊能忠敬」の小説としては井上ひさしさんの大長編「四千万歩の男」がありましたが、これは一気読みしました。

「大河への道」は伊能忠敬の出番はありません。

舞台は伊能忠敬が入り婿した現香取市。観光のため伊能忠敬を主人公にしたNHKドラマにできないかという話になります。

ところが、忠敬は「大日本沿海輿地全図」が完成する3年前に亡くなっている。ということで、完成には忠敬の手が入っていないことが分かり、これでは困るという展開になります。あとは、落語を聞きに行くか、本を読むか、映画を見て下さい。

落語がCD、DVD、ネット配信になっていないか探したのですが残念でした。あと、落語の実演を聞きに行くかですが、本市では落語はほとんど公演が無いので、東京までということになりますが・・・まあ、年金暮らしでは無理。

本、マンガでは笑いどころはありませんでしたが、多分落語では「先用後利」のように、前半に笑いがあり、後半は人情話のようにジックリと聞かせているのではないかと思います。

なお、マンガの方は小説を省略して書いてあるので、小説を読んだ方が良いかと思います。


2022年2月10日 (木)

第16回 「雲仙市美術展覧会」

今日、2月10日から雲仙市美術展覧会が始まりました。会場は昨年新築オープンした瑞穂町公民館。会場が少し狭いのか、ロビーでの受付、すぐ横の所で写真の部の展示。 

右の写真、あそこですね。黄色いハンカチがある島鉄の駅です。


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写真は結構多く、手軽に取れるようになったせいか女性の方もボチボチと増え始めました。また、PCで色調など簡単に変えることなどができるので、右のような写真も増えてきたようです。

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平日の朝でしたが、お客さんもボチボチと。ひまわりテレビさんも早々と取材。

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日本画は墨だけだと思ったら、洒落た作品も。

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洋画は大きさが8号(45㎝✕38㎝)以上で、大型作品が多いですが、県展で入賞者の方の作品もあり見ごたえはありました。少子化の時代、こんな風景も良いですね。

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道はいつも多く、先生方の努力の成果かとも思います。右は有名な書家の作品。

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法隆寺金堂。根気のいる仕事だと思います。
最近はデイサービス、老人ホームでも手芸、絵画なども教えています。フレームが同じで、画風も同じなので多分でしょう。

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デザインは高校生かな、と思います。工芸、彫刻。数は少ないですが、どこの市展なども同じですね。意外と面白い物があるのですが。

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回ってみて、あれ、あの人がこんなことを?と意外なこともあり、有名な人の美術展なども面白いですが、身近な美術展も面白いので是非、お出かけを。日曜日、13日までになります。



2022年1月 4日 (火)

ダルマさんなのだが・・・★あてにならない附録(橘神社年始予定)

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なんとも面白い掛軸を拝見しました。男性はその風貌、耳輪等から見てダルマさん。後で紹介しますが、箱書きにも「達磨」と書いてあります。女性はどう見てもオカメ(おたふく)さんですね。

達磨(だるま)さんは、中国禅宗の開祖とされるインド人仏教僧だそうです。悟りを開くまで壁面に向かって座ること九年。「面壁九年」です。


昔は、「ダルマさんが転んだ」などといって遊びました。選挙の時、選挙事務所に飾ってあり、当選すると目を入れます。


絵は、素人目ですが細部に至るまで良く描けています。足袋が紐で結んでありますが、これは「紐足袋」だそうです。今も使っているような感じですが、江戸末期末期までは使われたようです。


ダルマさんが持っている品物がヤカンにハタキに火箸。しっかりと手を握っているところを見ると、なんとなく駆け落ち風です。


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右上に書かれている画賛の文書、書いた方が「⚫庵主」。出だしの「如是」はお経の最初に書かれている言葉で”かくのごとく”。

最後の「咄々(とつとつ)」は、舌打ちをするさま、怒ったり、驚いたりするさま、驚いて嘆声を発するさま(大辞林)などがあるようです。漢文の素養が無く、画賛の意味が分からなく残念。


絵の署名の所に「袖華」とあり「東京文化財研究所」のホームページには「中田袖華」として載っていましたが同一人物かどうか不明。→こちらをクリック


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箱書で表に「達磨入廛垂手(だるまにってんすいしゅ)画賛」「廛(てん)」は「市内の平民の宅地。すまい、やしき・商品を貯蔵する倉庫・店舗」等々だそうです。

裏の方に「⚫庵主」ですが、掛軸の紹介で「一庵主」とあったので、多分「⚫」は「一」だと思います。

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「入鄽垂手」について調べたら、「十牛図」(悟りに至る10の段階を10枚の図で表したもの。真の自己が牛の姿で表されている→こちらをクリック)にあり、最後の図が「入鄽垂手」(廛、鄽も同意語)で、「悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへと導く必要がある」と言うことだそうです。

なお、「入鄽垂手」の図には布袋腹でボロをまとった人物も見られ、なんとなく達磨を思わせる姿です。また、「十牛図」は禅に関係があります。


私的解釈ですが、「達磨」さんがボロボロの服を着て、見れば爪も伸ばし放題。「入鄽垂手」は十牛図の最後の部分なので、達磨が面壁九年、悟りを開いた姿だとも思われます。

おかめさんは神話の世界などにも関係あるようですが、我々にとっては親しみ深い女性。蕎麦にも「おかめ蕎麦」があります。いわば、世俗を代表する女性といっても良いかもしれません。


という事と、「十牛図」との関係を考えれば、達磨さんが悟りを開き、世俗の世界(=おかめさん)に戻り、「人々に安らぎを与え、悟りへと導く」絵だと思うのですが。如何でしょうか???。

【あてにならない附録~橘神社年始の予定】

いつもなら、神社の境内に予定表があるのですが、今年は見当たらなく聞いた範囲での予定です。詳細は神社まで。

1月 7日(金) 七草粥振る舞い 時刻不明
1月11日(火) 鏡開き 焼き餅振る舞い 時刻不明
1月20日(木) 橘神社大寒禊
2月13日(日) 大門松解体



2021年10月 2日 (土)

えんがわ・一畳のきまぐれ資料館~予告の予告

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今日は別の記事を用意していたのですが、一畳の気まぐれ資料館の入れ替えを10月に予定していてのが、ウッカリしてチラシを印刷屋さんに頼むのを忘れてバタバタしていました。

一応、今日並べてはみたのですが、説明版を忘れていました。不足の資料を作ったりで、詳しくはチラシが出来てからにしますが今日は簡単に。


豆本を集めていたら、いつの間にか溜まり、秋は読書シーズンと言うことで豆本を100冊ほど展示することにしました。


親子で読める本と言うことで、前にグリコで出していた豆本の絵本。大きい本だと、赤ちゃん抱っこして読むのは少しきついですね。これくらいの本だと意外と楽に読めます。小さい本なので幼児さんも喜ぶかと思います。


右は京都で作っている豆本、表紙は京都らしさがでています。一番右はネコさんが表紙になったアクセサリー、場合によってはメモ帳。


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一番左下の本は”美輪明宏”さんの豆本。サイン入りです。その上の本は「舐めたらいかんぜよ!」の”宮尾登美子”さん。宮尾さんの豆本は意外と出ています。自分が着ていた和服の布地なども使って、洒落た豆本が多いです。

折り本が2冊。下の方は珍しく御朱印帳の豆本。


右の写真、ケースに入っているのが以前紹介した、2㎜と4㎜の”マイクロブック”。世界最小のマイクロブックが0.75㎜でネットで随分探したのですが残念でした。神田の古本屋さんを回ればとは思ったりしたのですが・・・


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と言うことで、今から準備があるので今日は失礼を。資料館の方は明日準備を完了して、来週から観覧できます。


2021年9月21日 (火)

長崎県展を見に~久しぶりの長崎市

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体調と自律神経の調子が悪く、久しく来ませんでしたが2~3年振りの長崎市でした。

美女で、若くて、スタイルが良く(というと、男女差別と怒られますが)、話しが面白く、といういう方から「県展に入選したから、一緒に見に行って~(^_^)v」と誘われたので、断るわけにはいかないじゃ~ありませんか(^o^)。

美術館も久しぶりでした。玄関の所に何やらあったので、これも現代美術か?と思ったら、コロナ対策のサーキュレーターでした。

机の上に塗り絵が置いてあって、子どもさんが並んでいたのですが、塗り絵はボケ防止に良いと新聞に書いてあったので、4枚ともいただいてきました。


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誰も見向かないパンフレット、チラシ置き場。家の家訓に”只のものは全部貰っておく”と言うのがあるので、ありがたく全部いただいてきました。意外と面白いのもあります。あとで一つだけ紹介を。

「オークション」と書いてあるので、なにかと思ったら、本県在住の作家による県展の活性化、人材育成のためのオークションだそうです。ネットオークションは得意なので後で寄ることに。


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県展は書道、洋画、日本画、写真、デザイン、工芸の部門があります。大きい作品が多いのが洋画。

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左はチューブから絵の具を押し出してキャンバスに押しつけたもの、多分。アイデア賞ですね。
スマホでゲームをしているらしい少女。なんとも愉快な絵で、知事賞をあげたいくらいです。

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この絵で県展入選なら私も出しみるかと、なぜかホッとする絵でした。。
右は入賞の絵をまとめて置いてありましたが、入選と入賞。紙一重ですが、はやり違いがあります。

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出品数で多いのが書道と写真。写真を見ている方、女性の方が多いです。いろんな所に行ってみると、カメラを持った女性の方が目に付きます。お話に耳を傾けていると”ここんとこ、もっと引っ張ればよかったとに(良いのに)”とか、鋭いご批評。

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定番の子どもを並べた写真。ただ、子どもを並べるだけでは他の人と同じ写真になるので、一ひねりが難しい。

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右がデザインの部。「混呂波(コロナ)出陣之圖」「混呂波VS和久鎮(ワクチン)」で、長崎県知事賞の作品でした。

帰りがけ、オークション会場を見てきました。玄関に飾ってちょうど良いような作品で、お値段もリーズナブル。用紙に金額を書いて投票し、後で連絡が来るような感じでした。10月3日が〆切です。


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美術館で見たいものがあり、こんな所にありました。以前、立山に美術博物館があった頃は、駐車場左側の石垣の上にありました。サルバドール・ダリのNewton de Gala。ダリは好きで、福岡でダリの美術展があったときは2回ほど見に行きました。あの、エネルギーには圧倒されました。この彫像、もう少し目立つところに置いて欲しいのですが。

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昔は博物館と美術館が一緒で「県立美術博物館」でした。県の直営で職員も県職員。事務方の総務課が7名、学芸員が6名程度。6名で美術館、博物館の仕事をおこなってきました。現在は美術館、歴史博物館に分かれ指定管理になり、良い企画が立てられています。皆さんも、たまにはお越しを。

さて、2時間ほど見て回りましたが疲れました。長崎市ではコロナも流行しており、うつるのがイヤなので、美女と二人、サッサと何事も無く戻ってきました。

忘れる所でした。只でいただいたチラシです。

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すごいでしょう「イグ・ノーベル賞の世界展」です。

「バッタが映画『スターウォーズ』を見ているときに興奮することに対して」
「ガスマスクに変形できるブラジャー」
「フンコロガシは糞の好みにうるさい?」
「ニワトリは美人を好む?」
「不貞行為を検出できるスプレー」
「キツツキは頭痛がしないのか」

なんとも魅力的な世界展ですが、会場が福岡市科学館。11月3日までです。昔なら、飛んでいったところなのですが😢。



2021年8月31日 (火)

著作権の事など~図書館における著作物のコピーについて、注意してね。

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お盆の前、著作権につき多少疑問があったので、ここ半月ほど著作権につき勉強しています。面白い事例があるので、少し書いてみます。

図書館で本を一冊丸々コピー出来ないか依頼しても、もちろん断られます。どれくらい良いの?と聞くと、多分、半分くらいです。との返事をもらうかと思います。もちろん、著作者の権利の為です。


ところが、この「半分」は本の半分では無く、正確に言えば「著作物」の半分ということになります。


分かりやすく書くと、短編全集。赤川次郎さんとか宮部みゆきさんとか重松清さんとか伊坂幸太郎さんとか物部冬生さんとか、各々10ページ書いて、全部で50ページの本があったとしたら、各々の小説家が書いた作品の1/2ページ、5ページしかコピー出来ないという事です。赤川次郎さんの部分、5ページ分しかコピー出来ません。各々の作家も同様に5ページずつしかコピー出来ません。なお、”物部冬生”
さんは聞かない名前だと思います。私のペンネームで、まだ作品は書いておりません。いずれ本屋さんに並ぶので、その節はお買い求めを(^∧^)。

事典などにいたっては一項目が「著作物」に当たります。例えば「日本美男子事典」なるものがあったとして、土方歳三、織田信長、藤原業平、物部冬生の各項目が並んでいて”物部冬生”の項目をコピーして欲しいと思っても、物部冬生の項目の半分しかコピー出来ないということです。


これ、実際に裁判があり、図書館の利用者さんが、事典の一項目全部について複写を請求したところ、図書館から断られたので、図書館を相手取って裁判に訴えたそうです。

裁判の結果は、利用者が請求した部分は著作物の全部にあたるということで”その全部の複写を求めた原告(注:利用者)の申込みに対して承諾しなかった被告(注:図書館)の行為には違法性は無い”、ということで図書館の判断は正しいという裁判の結果になったそうです。



他に、図書館内でのデジカメ、スマホでの撮影、コピー代行業者、図書館内のコイン式コピー機、公民館図書室でのコピー、利用者が直接コピー機でコピーをして良いのか等々あります。


なお、著作権者の死後70年。無名、変名、団体名は公表70年経たものなどは著作権が切れるので全部コピーをしてもOKです。青空文庫も著作権の切れている作品です。


著作権は書物に限らず、建築、絵画、地図、映像、劇、舞踏等々にも及びます。音楽教室、カラオケの著作権をめぐってのトラブルは新聞、TVニュースにでたこともあります。


ということで、他人が考え発表した物を利用される方は一回チェックをされたほうが・・・

■私の素人の解釈もあるので、参考にしたのは・・・

・公益法人著作権情報センター~「ケーススタディ著作権3 図書館と著作権 黒澤節男著」

・同上 「図書館と著作権」
・骨董通り法律事務所~「図書館とコピーの(実は)複雑な関係~スマホで撮っちゃダメですか?~」というのも書いてあります。
・他、文化庁関係等々

 

2021年4月 3日 (土)

谷文晁「日本名山圖會」より「雲仙」の地名について

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谷文晁「日本名山圖會」より「雲仙岳」。赤丸の所「雲仙 在肥前州高来郡」。

雲仙岳を大きく捉えた絵だとは思いますが、船の人物など小さな所も良く書き込まれています。


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谷文晁は文化元年「名山圖譜」を刊行し、その後文化九年「日本名山圖會」として刊行、ベストセラーになったそうです。

この図はシーボルトの「NIPPN」にも影響を与えたらしく、宮崎克則氏の「シーボルト『NIPPON』の山々と谷文晁『名山図譜』」として、論文が書かれており、シーボルトの「NIPPON」に描かれた絵と谷文晁の絵とを比較してありますが、ほとんど模写といってもいいようです。→こちらをクリック


なお、谷文晁が実際に山を見て描いたかについては「『日本名山図』にみる谷文晁の名山観」という論文があり、結論として「⑴文晁は自分の目で見た独自の名山を選定した ⑵文晁は山の構図を重視して名山と評価した事がわかり、山を風景として見るという文晁の名山感が明らかになった」としてあります。→こちらをクリック


上の風景は、島原の海からの風景だと思われます。下の絵図は、文化10年長崎勝山町文錦堂から刊行された「九州九カ國之繪圖」です。


青の丸印が「島原」、
白い線が海路になり「熊本」と結ばれいます。ですから、谷文晁はこの海路を辿ったと思われます。勝海舟、坂本龍馬が外国船の下関攻撃を回避するため長崎に来たときも、この海路を利用しています。

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さて、昔は「雲仙」は一般的に「温泉(うんぜん)」と表現していました。このことについては以前「温泉(うんぜん)から雲仙(うんぜん)へ」ということで書き、谷文晁の絵の絵もその折り紹介をしました。

下は天保時代の街道図。左が「本間屋」と書いてあり、江戸と大阪の住所が入っています。右が「奈良大佛前 繪圖屋庄八」とあります。どちらとも「雲仙」を「温泉」と書いてあります。

余談ですが、右の地図、右の矢印「春城」と書いてありますが、島原一揆の舞台「原城」。以前、原城の名前について書きました。大体のことは分かったのですが、あと一歩で、いずれ書きたいと思っています。

左の矢印「談合シマ」。一揆軍が話し合いをしたという「談合島」。

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で、以前からの疑問で谷文晁が「温泉(うんぜん)」をなぜ「雲仙(うんぜん)」と書いたのか?いろいろ考えた末、以下のような事を考えてみました。


谷文晁はもちろん地元の人間では無い。ということは「温泉」と書いて「うんぜん」と読むのは知らない。弟子と来たかどうかは不明だが、地元の案内人がいたことは十分に考えられる。


案内人が温泉岳を「文晁先生、あれが『うんぜん』バイ」と説明をし、その折り「うんぜん」という言葉を「温泉」と教えたなら問題は無いが、言葉だけだったら「温泉(うんぜん)」を「雲仙(うんぜん)」と受け取ったと考えられる。で、「温泉岳」を「雲仙岳」と書いた。


という事が考えられませんか(-_-)?あくまで私見ですが、これが正解だと私は信じているのですが・・(^_^)v。



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