文化・芸術

2020年7月23日 (木)

「小浜鉄道のトンネル」★私としたことがm(_ _)mそして「パールバックと木津」

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                                       (GoogleEarthより)

7月12日の記事で小浜鉄道のトンネルについて書きました。→こちらをクリック。

その折り、左の写真を「絶対に『富津トンネルだ』」と書きましたが、私のチョンボでした。トンネルの写真を見ているうちに、アレ、後ろに移っている所「木津」じゃない?と思ったわけです。


右のGoogleEarthの地図はクリックすると拡大します。トンネルは3ヵ所。分かりやすく、上から1号トンネル、2号トンネル、3号トンネルとします。地図の上の方から出発すると、第1号トンネルの出口からは木津は全く見えません。


第2号トンネルの出口しか該当する所はありません。ということで、行ってみました。ところが、出口の右側は木が生い茂り、海側は全く見えません。


トンネルの出口から50メートルほどのところに、茂みが切れているところがあったので見ると、木津が意外と近くに見えます。一番上の写真の風景と比べれば、この1号トンネルの出口から撮影したことが分かります。


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下の写真は富津の風景です。富津・木津方面が見えるのは3号トンネルの入り口ですが、家があって見えません、というより、入り口で写真を撮ると、海は左側になり、一番上の写真は右側に海が見えるので、こちらのトンネルから撮った風景では無いことが分かります。

前の記事で偉そうに「富津トンネル」と書いたのは、私の全くのチョンボでした。1号トンネルと2号トンネルは千々石にあるので、「千々石トンネル」が正解。


「Kitsu Tunnel」と写真の説明に書いてあるのは、木津の風景が写っているので、木津トンネルと書いたのだと推測しているのですが・・・これにて一応、一件落着。


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さて、今日は雲仙で「パール・バックと幻の地元ロケ映画『大津波』」の講演会がありました。講師は福島大学名誉教授・有江史談会会員 松崎文博氏。

パールバックは千々石、雲仙方面を訪れたことがあり、かなり気に入っていたみたいです。パールバックの小説「大津波」を映画化するとき木津を舞台にしたそうです(千々石の旧家も舞台になっています)。右の写真が木津を上から見たところです。


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この映画はジュディオングの初出演映画だそうです。早川雪洲、ミッキー・カーティスなども出演しています。

ただ、この映画は映画会社、関係機関にも記録・資料が残されていないそうです。日本で上映されたのが1,2回だということだそうですが、これも、はっきりしたことは分かっていないそうです。まさに、「幻の映画」です。原因としては何点か考えられるそうえすが、はっきりしたことは分かっていないそうです。なお、詳しい論文を書かれた方がいます。→こちらをクリック


ただ、雲仙市は7町が合併しましたが、このと記念事業として雲仙で上映会がありました。これだけははっきりしています。


2020年7月 6日 (月)

島原半島「鳥瞰図」

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写真がボケ気味ですが、クリックするときれいに見えるのもあります。そうで無いのもありますが(^^;)。

最近、上のチラシ、ポスターを見かけることが多くなりました。「一般財団法人 島原半島観光連盟」が出したもので、「県内宿泊で5000円得する!」というもので、合わせて島原半島内に宿泊をすると、お得になるというもの。らしいです。


で、上の島原半島の絵図。「鳥瞰図」です。鳥が高いところを飛び、その視点で風景を描いた物です。この絵図を見て、どこかで見たなと思い、私が持っている島原半島関係の鳥瞰図を引っ張り出してみました。もちろん原画ではなく、旅館、観光案内などで印刷をされたものです。


下は「大正の広重」といわれた吉田初三郎の弟子”金子常光”が描いた「国立公園 雲仙大観」。雲仙の宮崎旅館の案内に載っています(昔のです、以下全部、昔のものです)。なんとなく、チラシのイメージっぽいですね。


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作者は分かりませんが「雲仙国立公園協会発行」になっています。これもなんとなく、ポスターの図柄と似ていますね。

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「原城趾 絵図案内」となっており、著作権と発行者が南有馬村の「江田廣・松島歳巳」となっていて、絵を描いたのが松島歳巳」さんみたいです。

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真ん中の所「本丸」「ほねかみ地蔵」「空濠」「佐分利碑」等と書いてあり、「原城」ですね。

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「沿線案内 島原鉄道 口之津鉄道 温泉軽便鉄道」とあり、”著作権者兼発行者”が「植木元太郎」になっており、島原鉄道を作った方です。島原半島の「鳥瞰図」は大半が雲仙を中心に描いてありますが、こちらは中心が島原市になっており珍しいと思います。

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”門司鐵道局”の「雲仙岳」。鐵道局の案内にしては、あっさりしてますね。

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真打ちの「吉田初三郎」の絵図。さすが迫力が違います。

”大阪毎日新聞社発行”の「日本鳥瞰 九州大図絵」。九州全体が書いてあります。端の方に「要塞司令部認可」文字があり、時代を感じさせます。


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「釜山」「京城」などの文字も見えます。右は高千穂あたり。

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”九州ホテル”の案内「日本八景 雲仙岳」。

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雲仙の中心地ですが、よく細かいところまで描いています。右は”千々石”あたりですが「千々石」が「千々岩」になっています。この頃の絵図、地図などを見ると良く「千々岩」と書いてありますが・・・。「橘中佐像」もあります。車が走っているところも書き込んであります。

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下は「大阪毎日新聞・東京日日新聞」が選定した「日本八景」。全部「吉田初三郎」が描いていますが、これが「主婦之友」の昭和5年8月号の附録。

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「日本八景」については、興味ある資料を入手したので後日。

一番上のポスターの絵図、よく見ると雲仙災害後の砂防ダムまで書いてあり、昔の図柄を利用して、良く工夫して描いたと思います。ポスターで見るとかなりの迫力があります。



2020年6月20日 (土)

「ダ・ビンチの橋」~箸で橋を作る

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今、YouTubeで話題になっている「ダ・ビンチの橋」。釘も接着剤も使わず、木材の組み合わせだけで橋を作るというもの。

YouTubeを見ると、皆さん箸を使って簡単に作っているので、これ、オレにもできるなと思って取り掛かかったら、完成までに一日半。


忘れていましたが、私、図工は通知表で「2」しか取ったことはありません。本当は「1」だったのですが、筆記テストがあるので「2」でした。本当に不器用な私。YouTubeの皆さん、本当に楽々と作ってますね。


作り方は、箸を15本使い、最初二本の箸を平行に置き、それに、二本の箸を右のように置き・・・


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これに。上からゴム輪を付けた(分かりやすくしました)箸を置き、右の如く組み合わせていきます。本当は作っているところを写真に撮っていこうと思ったら、作るのに両手が塞がるので写真は撮れませんでした。できあがりは、上の写真、接着剤など使ってなく、マジ箸を組み合わせただけです。

作り方はYouTubeにて「ダ・ビンチの橋」で検索をすると映像での解説があるので、そちらを参考にしてください。


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橋というからには、加重に耐えなければいけないので「すみっコぐらし」の本を載せたら大丈夫。もう一冊載せても大丈夫。もう一冊と思ったら、滑り落ち橋も壊れました。横の力には弱いです。

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で、ネットを調べると、この橋を使って自動車を通らせているんですね。

いま、各地で「村おこし」をしていますが、これ、少し大規模に作って人を渡らせ、「目玉」にしたらどうなんでしょう。


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さて、作ってみての感想ですが、イライラする方、血圧の高い方、私みたいに不器用な方は、お避けになった方が良いかと。


2020年5月26日 (火)

NHK朝ドラ「エール」より”双浦環”さんの和服の柄合わせについて

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双浦環さんが、音さんのいる音楽学校を訪れたときの場面です。

この双浦環さんの衣装が派手で少し評判になったとか。音さんがカフェーに勤める場面ですが、こちらもよく見ると少し派手ですね。


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3月まで、「一畳の気まぐれ資料館」で”栗原玉葉”と”正月用の引札”の展示をしました。「引札」については→こちらをクリック。

下の「正月用の引札」を見ても分かるとおり、双浦環さんのような派手な柄物の和服を着ています。


「一畳の気まぐれ資料館」を見に来られた和服に詳しいおばあちゃんが、これを見て”これ、昔、和服を重ねて着るときの柄合わせよ、今じゃこんなことはしないけど・・・”と言われたそうです。


和服を重ね着したときの様子が分かりますね。双浦環さんの和服を着た姿も、単にドラマのためだけじゃ無いと言うことが分かります。NHKさんもかなり考証しているようです。


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さて、これで思い出したのが、雲仙市の小浜歴史資料館。数年前に行ったときの写真です。はやり派手ですね。長崎のお茶の先生から借りてきたものだそうです。

裾をみると室内で着るものでしょう。かなり裕福な家のものだと思いますが、柄についていえば、双浦環さんの和服にも負けていません。江戸時代の物か?。


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とは言っても、誰もがこんな良い和服を着ていたわけでは無いでしょう。私の母も、私が小学校4年の時まで和服を着ていましたが、こんな派手なのはありませんでした。結構、良いところのお嬢さんだったのですが・・・



2020年3月26日 (木)

栗原玉葉の墓を訪ねて

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以前、栗原玉葉について多少触れたことがあります→こちらをクリック。詳しくはWikipediaで→こちらをクリック

吾妻町(現雲仙市吾妻町)の方と話をしていると、玉葉に関する話をよく聞くことがあり、墓地が吾妻町の、なんとか墓地の一番上にあり、横に蛙石というのがあり、風の日には口から風がはいり音を出す、という話を聞いていたのですが一度は行ってみたいと思いながらも、場所が分からずということだったのですが・・・


私の「一畳のきまぐれ資料館」に、玉葉の口絵を描いた雑誌等を並べていたら、吾妻町の文化協会の方が三名ほど見えられ、玉葉さんの事を話していたら、墓の場所が分かり出かけてみました。


そのおり文化協会の機関誌を3部ほどいただき、これに墓の事も詳しく書いてありました。なお、墓は東京の谷中墓地にもあったそうですが、「墓碑は無縁墓地として撤去されてしまったという。」(栗原玉葉・五味俊晶編~下の本になります)ということです。栗原玉葉は生涯独身でした。


玉葉の墓は新しいようで、建立の年を調べようとしましたが、一段高いところにあり、上にあがるのもチョットと(気の弱い私)いう事もあり、後ろからと思ったら藪で入れず確かめられませんでした。ヒョッとしたら改修したものか?


この玉葉の墓の横にひときわ目立つ大きな石のうえに、蛙の焼き物が置いてあり、玉葉さんの墓より目立ちます。「蛙石」と思っていたので、蛙に似た石があるのかと思ったいたので、ビックリしました。


この蛙の焼き物を作ったのは玉葉のお兄さん「栗原源治」。広島の高等師範学校教授だったそうで、日本画、油絵等の作品も吾妻町に残っており、一度日本画を拝見しましたが力強い作品でした。


蛙石からみた玉葉の墓、逆から見た蛙石。


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この蛙さん、実は奥様の遺骨を納めた墓だそうです。以下は、「文協 あずま」にMさんが寄稿されているのを抜粋します。

この奥さんの遺骨を納めた焼物の墓は、大きな石の上の台座の上に建っています。その墓碑銘には、奥さんが琴を弾いていると、その音に河鹿(蛙)が誘われて出てきたという由来が記されています。銘の一部を読んでみると 明け暮れに四琴の音 誘う河津 居て と刻まれています。開いた蛙の口から風が入ると鳴くのだと云われています。


という事だそうです。


なお「墓碑銘」と書いてあるので、銘板がはめ込まれているのかと、何回か岩の回りを回ってみても見当たらず、あきらめたころ、ヒョッと蛙さんを見たら、お腹の所に書いてありました。Mさんが紹介された銘は前半の部分で、あと後半があるのですが、残念ながら高いところにあり、写真を撮ってきましたが、読み取れませんでした。


なお、岩の下の方に小さな標柱があり「平成6年1月吉日改修工事」と彫ってあったので、ヒョッとしたら玉葉さんの墓石も、その時改修したのかな?


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今回は吾妻町文化協会の方のお話が参考になり、ここを借りてお礼申し上げます。また、吾妻町文化協会の機関誌「文協 あづま」と、「栗原玉葉・五味俊晶編」の本にお世話になりました。詳しく知りたい方は「栗原玉葉」をお読みください。

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下は「第三回帝展入選作(大正10年)・清姫物語」。絵葉書になったもので、現在消息不明だそうです。絵葉書はあちらこちらのネットオークッションで見かけられます。興味のある方は探してみてください。

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2020年3月15日 (日)

「そろばんの工夫」~日本人の知恵

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以前「そろばん」のことについて書きました→こちらをクリック

上が二つ玉、下が五つ玉のそろばんのことでした。某日、NHKの「そろばん侍」を見ていたら、このそろばんが出ていました。さすがNHKさん、よく調べていますね。皆さん、ほとんど気がつかなかったと思いますが、「些細なことが気になるのが、僕の悪い癖」。

過日、中国のそろばんを手に入れたので比べてみました。

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中国のそろばんは丸い玉、日本のそろばんは先が尖っています。

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左は間違いなく中国製。右は日本製の安政五年のそろばん。

中国の算盤が日本に伝えられたものだそうです。クリック→日本珠算連盟「日本のそろばん」

さて、使ってみて、というより、見ただけでもどちらが使いやすいかは分かると思います。一応使って見ましたが、中国製はとてもじゃないが使いにくい。


中国の算盤が日本に入って、使いやすいように改良をされたものだと推察されます。


そろばんに限っていえば、中国はそろばんができてから今日まで全然変わっていません。日本人はそれを取り入れ、使いやすく改良をした。ここに、日本人の知恵を見る思いがします。


日本人はものまねが上手い、という意見もありますが、何百年と変わらないものを使っているより、工夫して使いやすくした者が知恵者だと思うのですが。


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2020年2月13日 (木)

「第14回 雲仙市美術展覧会」開催

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今日13日から16日まで、「第14回 雲仙市美術展覧会」が開催。

会場は昨年開館した「愛の夢未来センター」。昔は公共施設にはその土地の名前をつけたのが多かったみたいですが、昨今、「夢」とか「未来」とかをつけた名前が増えました。県立長崎図書館も大村に移転して「ミライon図書館」。最初「ミイラon図書館」と読み間違えをしましたが。


こちらのセンターは、雲仙市愛野町にあるので「愛の」。それに「夢」と「未来」をくっつけて「愛の夢未来センター」。なんか、欲張ってみんなくっつけちゃった、って感じ。


今日は駐車場が満員。確定申告と市展の開会式がぶっつかっていました。駐車場、やや狭し。


会場前のホールで式典とテープカット。で、ですね、皆さん白手袋をしてテープカット。最近、表彰状、卒業証書を渡すのにも白手袋をしてますね。あれ、何なんでしょう。思わず「お前たち、悪いことをして手が汚れているから、白手袋で誤魔化すのか?」などと、私は思うのでありますが・・・


式典が終わると各部門別に専門の先生が説明。書道は熱心な人が多いですね。大作が沢山出品されていました。


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最近はデジタルカメラになり、気楽に何枚でも取り直しができるためか、女性、高齢者の方のカメラマンが増えたようです。私たちのときは、白黒写真、一発取りで、現像まで自分たちでしていたので、どう写っているか最後まで楽しみにしていたものですが・・・

デザインは出品数は少ないもの面白い物がありました。


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珍しくも木工細工。ボールペンの軸が素敵で、これ商売にしてもいいんじゃない、という出来栄え。

日本画、大作ですね。絵の描き終わりに、ポタッと墨でも落とすと最初から書き直し、ですって。緊張しますね。


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絵画は大作が多く、いつものメンバーが腕をあげ出品。ウチのカミサンもご出品あそばされておりましたが・・・(^^;)

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皆さん、一年に一回の市展ということで、張り切って良い作品を出しておられました。以前から出品されいる方、腕を上げていますね。

今年は県展等の入賞者も多かったということで、その作品も展示してあります。皆様も是非ご来場を。




2020年1月26日 (日)

「入増盛算」を読み解く~河鍋暁斎・勝文斎合作

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河鍋暁斎と勝文斎合作の「入増盛算」。恵比寿さんとお多福さんと大黒さん。縁起の良い組み合わせで、「入」も「増」も「盛」も縁起の良い言葉。「入増盛算」は「いりぞうますざん」「いりますせいざん」等、何種類かあるみたいですが、熟語としても辞書には載っていないので、確たる読み方は分かりません。明治期の作品になります。

この錦絵には調べると二種類あるみたいで、右下の作者名がこれでは「惺々暁斎」、これは河鍋暁斎のこと。もう一つは「勝文斎」と書いたのがありますが、理由は調べましたが、分かりませんでした。また、これを利用した引き札(昔のチラシ、ポスター)もあります。


書いてあるのを読むと、最初は分からなかったものの、「読み解く」まではいきませんが、多少は分かってきました。


「木材の間を 三厘」、多分、木材すなわち、木が植わっているところは「山林(さんりん)」。

「火を起こすを 七厘」、そのものズバリで、火を起こすのを「七輪(しちりん)」。「七輪」の値段が「七厘」という話もどこかで読んだ覚えがあります。
「水っぽい酒は 四圓」、「圓」は「円」の旧字。水っぽい酒では「四円(よえん・酔えん)」。
「東京は日本の 壱」、多分、東京は日本「一(いち)」という意味か?
「本因坊ハ 五」、本因坊といえば「碁」。
「女の大やくハ 三」、「三と三並んで女の大厄」は「寅さん」の「啖呵売」のでセリフ。女性の大厄は33歳で「三」と関係あり。
「富岡ハ 八万」、富岡といえば「八幡宮(はちまんぐう)」。
「寝てくらすは 壱升」、「一生(いっしょう)寝て暮らしたい」ものですが・・・・
「はな風ひきハ 八九升」、鼻風邪をひいたら「ハックション」。
「千葉周作ハ 一斗」「宮本無三四ハ(宮本武蔵?) 二斗」、千葉周作は「一刀(いっとう)流」、宮本武蔵は「二刀(にとう)流」。 

「から鉄砲ハ 五斗」とはなんでしょう?私、すでに空鉄砲になっているので、気になります。


読んで見れば、語呂合わせ、現代流にいえば「オヤジギャグ」。でも、こうやって、縁起のいい絵と組み合わせてみると面白いですね。


まだ、意味不明のところがありますが、しばらくこの錦絵で遊んでみようと思います。なお、字の読み方の間違い、解釈の誤りもあるとは思いますが、ご愛敬でお許しのほどを。なお、パソコンでは出ない字もありました。


絵はクリックすると拡大するので、皆様も意味を考えて、お楽しみのほどを。



2020年1月11日 (土)

第四回「えんがわ・一畳の気まぐれ資料館」

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「えんがわ・一畳の気まぐれ資料館」も第四回を迎えました。

「千々石の古(こ)絵葉書」「原城の乱関係の絵図・軍記物」「物語の挿絵原画・アニメーションの資料」ということで展示をしましたが、アニメーションの方は子どもさんが興味を持っているのか、えんがわの家主の西田さんの方でもFacebookで宣伝をしていただいたせいか、市外からも、子ども連れで見に来られた方もおられ、展示をした甲斐がありました。


今回は新年、春らしいものをと、栗原玉葉、森川青坡の掛け軸と正月用引札の展示をしました。


栗原玉葉、森川青坡についてはあまり知られていないと思いますが・・・・ざっくりと書けば・・・・


栗原玉葉は長崎県南高来郡吾妻町(現雲仙市)明治16年生まれ。梅香崎女学校で学び上京、私立女子美術学校に入学、卒業時には184名を代表し壇上に立つ。

研鑽を積み各種美術展に入選。特に、第七回・八回・九回・十一回・十二回の文展、第三回帝展に入選。一時は、西の松園(上村松園・女性初の文化勲章受章)東の玉葉とも呼ばれ、同時代を代表する女流作家として活躍。
残念ながら39歳の若さで夭折したため、時代のなかに埋没し、一般的には名前も忘れられていましたが、昨年、長崎歴史文化博物館で特別企画展が開催され、再び関心を集めるようになりました。

上の写真左側が栗原玉葉。玉葉は婦人雑誌、少女雑誌にもかなりの数の表紙、口絵を描いていますが、掛け軸の下に並べているのがその雑誌です。


森川青坡は長崎県(多分長崎市)明治34年生まれ。右の掛け軸。京都で伊藤小坡、西川翠嶂に学ぶ。第九回・十回・十一回・十二回の帝展に連続入選。かなりの力量だという事が分かります。昭和19年の美術展出品後、画歴、消息、没年とも不明。上の右の写真は絵葉書になっていたもので、第九回帝展の出品作品「嶋めぐり」。時代としてはモダンな作品です。


今回の展示は合わせて「正月用引札」の展示。


引き札は、ざっくり言えば、チラシ、ポスター。江戸時代からありましたが、明治のころから色彩豊かになり、大正時代にかけて最盛期。その後、印刷技術の発達により衰退しますが、特に正月にお得意様、ご近所に配られた引札は「正月用引札」といわれ、明治ロマン、大正ロマンを感じさせます。三つ折り、四つ折りにして熨斗(のし)を付け配ったといわれています。残念ながら長崎の「正月用引札」は見つけきれませんでした。引札については以前どこかに書いたような?・・・(^_^;)


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座敷の障子が寂しかったので、こちらも利用させていただきました。

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チラシです。予算の関係から、ご町内限定の新聞の投げ込みになります。クリックすると、大きく、読みやすくなると思います。多分。急いで書いたので、「松園」を「玉園」と書き間違えました。弘法も筆の誤り<(_ _)>。
雲仙市内の方は図書室に配る予定なので、ご利用を。


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入場無料。会場は千々石郵便局の近くです。通りかかられた折はお立ち寄りを。3月末まで展示。お客さんが多いときは延期します。なにせ「一畳の『きまぐれ』資料館」だから。展示期間は、あって無きが如し。




2018年5月16日 (水)

「そ・ろ・ば・ん」~あれ?

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磯田道史氏の「武家の家計簿」。加賀藩御算用者 猪山家に残る古文書を基に「武家の家計簿」を書き、映画になっています。

で、一番最初の場面、そろばんが映されますが、あれ?なんか変。こんなそろばんあったっけ?良く見ると、上の玉が2つ、下の玉が5つ。


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で、面白いもので、「お宝鑑定団」を見ていると、上2つ、下5つのソロバンが出品され、これ、豊臣秀吉から拝領した、そろばんだそうですが、加うるに、玉の回りが銀で象眼され、小型でしたが、内で使うのでは無く、戦場で使われたり、築城の時、現場で使われたのではいかという事で「11,000,000円」

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2回あることは3回あるということで、「NHK歴史ヒストリア」をみていると、加賀百万石の前田利家のことを取り上げ、この前田利家が使っているのが、またもや同じそろばん。

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ということで、そろばんを集めてみました。下の赤丸印がボールペンですから、意外と大きいことがわかります。

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昭和10年に上が1つ玉、下が4つ玉が良いということで、小学校の教科書で指示され、現在のそろばんが普及したそうです。

私たちの時は、算数の時間にそろばんの授業があり、私たちも、このそろばんで教わりました。

私の父は、下が5つ玉を使っていましたが、某日、学校の先生等を交えた席で、「5つ玉の一番下の玉、なんに使うんですか?」と聞いたところ、誰も分かりませんでした。

そろばんをひっくり返した所、会社の名前とか、「贈」とか書いてあるので、お店の宣伝に使ったのかな?「十六銀行」もありますね。岐阜県です。長崎は「十八銀行」。


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下が、上が2つ玉、下が5つ玉のそろばん。

気がつかれた方がおられると思いますが、中国がこのソロバンを使い、土産などにも使っていますが、中国製は玉が丸ぽっくって、使いにくいですね。

なお、中国では一斤が十六両で(十六進法)で、こちらの方が使いやすいそうです。このそろばんが日本に入ってきたのでしょう。

詳しくはネットで「日本珠算連盟」で説明されていますので→こちらをクリック


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底の方をみたら、大きい方が「安政五年牛七月 長堀平蔵」、小さい方が「明治三十八年求之 日露戦争講和」と書かれています。

なお、大きい方には、「石合勺、町反畝分、厘毛」の文字が読み取れ、右、真ん中、左に分かれて書かれていますから、その部分で対応する計算をしたのでしょうが、なんか返って面倒くさいみたい。


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左は、伊能忠敬が使った機器が載せてある絵はがきですが、一番下の所、上が二つ玉のそろばんです。伊能忠敬もこのそろばんを使っていたことが分かります。

右の写真は、丁髷をしていますから、少なくとも明治初期でしょうが、大きなそろばんは、こんなようにすると使いやすいですね。

これを見ると、上が一つ玉ですから、上が一つ玉と二つ玉が混在していたと思われます。

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こんなそろばんもあり、どうやって使うのでしょう?シャープ製です。

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買ったそろばんはどうするか?そろばん塾でも始めるつもりです。





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