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昨日22日がお下り、今日23日がお上りでした。千々石は7名(地区)あり順番に祭りの当番があります。今年は「下峰名」の当番。
コロナ以前は3日間の開催で、初日がお下り、二日目が演芸大会、三日目がお上り。コロナが流行った年に中止、それから一日予定でお下り、お上りのみの実施。今年は二日日程で、宴会大会は無しでした。
以前、御神輿は担いでいきましたが、現在は台車に乗せ引っ張っていきます。若者が少ないところではトラックに乗せて行くところもありました。
「御花」。以前は沢山付けている子を見かけましたが・・・
伝説の「チンつり石のカッパ」さん、見事な鯛が釣れていました。
お下りの道にはしめ縄が張ってあります。
小さい子でもチャンと参加。今年の当番長は「下峰」で、奉納踊りが「鍬踊り」。鍬(作り物)を持って踊ります。
お下りの道々、数カ所で踊りを披露。子供と大人の分がありますが、子供さん以外と多いようでした。
女性の道踊り。結構暑かったので、歩いて踊りを披露するのは大変です。
神輿を台車から下ろして、そのまま御旅所に入れようとしたら、古老の方から「回せ~」という声が掛けられ、担ぎましたが「回る」のはありませんでした。
御旅所でも踊りの奉納。「鍬踊り」。左が子供組、右が大人組。やはり迫力が違いますが、次の当番の時には負けないように踊れると思います。
女性の道踊り。
「猿田彦」さん、子供がお好きなようで・・・
右が以前の「御旅所」。事情があって、今の福石公園に変わりましたが、なんとなく寂しげな風景でした。
今日はルートを変えて、午前中お上りでした。
毎年、訪れている諫早の白木峰コスモス園ですが、昨年から体力がガッタと落ち込んで行く気力もなかったのですが、孫が来たので連れて行ってみました。
日曜日、到着が午前9時30分頃。駐車場が混んでいるかと思ったら意外とスカスカでした。
さて、写真を撮るとき、ミラーレス一眼、デジカメ、スマホと三台で撮っているのですが、アマチュアでブログ、Facebook程度だったらスマホが一番撮れるので、段々とスマホで撮る機会が多くなってきました。特に、陰と明るい風景がある部分では露出のバランスが上手です。
ここに貼っている写真は全部iPhone12miniで撮ったものばかりです。参考までに。クリックすると拡大します。
で、iPhone14Proが欲しいんです。古文書を勉強しているのですが、特に接写ができて、細かい所が拡大できて便利なのです・・・ただ、お値段がということです。
思い出しましたが、新聞記者さんを案内したとき、スマホで写真を撮っている記者さんがおりました「こちらの方が良いですね」だって。
茹で野菜のマルニさんの母屋の一角をお借りして始めた”気まぐれ資料館”、いつのまにやら12回目になりました。
今回は「雲仙鳥瞰図」。上空を飛ぶ鳥の目から見たように描いてあるので「鳥瞰図」。一番有名なのが、大正の広重と言われた吉田初三郎。
チラシの一番上の鳥瞰図、初三郎が描いたもので、昭和2年の日本便船のパンフレットに掲載されたもの。説明は英文です。この時分上海航路などもあり、外人が雲仙を多く訪れています。
主な鳥瞰図を展示しています。作者はほとんどが不明ですが、なかなかよく描けています。なお、小浜の湯せんぺいもこの鳥瞰図です。
なお、これだけでは淋しいので、床の間に多少面白い掛け軸を掛けておきました。なんの図柄かは共箱の文字にあるらしいのですが・・・?
以前、この本を元に「島原藩士の税金」ということで書きました。
島原藩の場合、年貢は6公4民で6割が年貢でした。武士もこれと同じ割合で取り上げられていました。ところが、島原藩の武士の場合は、別に御借米ということで借上げが行われていました。
で、この本を読んでいると「御借米」がどれくらいかという事が書いてあり、年代によって違いはあるのですが。享和3年(1803)の場合です。
この御借米については、藩主の交代による交替移封のための多額の藩負債、その他の借財等があり、その返済の一つの方途として家臣の俸禄借上が実施されたそうです。
1300石は大老、100石~300石は中老、御用人、城代、奉行クラスになるそうです。
石高1300石の大老の場合、6公4民で6割引かれて支給石高が520石。ところが御借米としてさらに234石引かれ、支給石高286石。ということで、支給が1300石、手取りが286石。支給額22%という信じられない数字です。今で言えば、年収1300万の人の手取りが286万円と言うことです。
200石の場合、6割引かれて80石、それから御借米で26石引かれて手取りが54石。支給額27%。
100石の場合、6割引かれて40石、それから御借米で12.3石引かれて手取りが27.7石。支給額27.7%。
普通、領民は武士から搾取されヒドイ生活を送り、武士は優雅に暮らすという社会構造なのですが、島原藩の武士はかなりつらかったようです。
興味のある方は、上の本に詳しく書いてあるのでご一読を。
昨年、インフルエンザが流行るのではないかとの話がありました。もちろん、コロナの予防も考えて「鼻うがい」はどうだと思い一応買ってはきました。
が、従来、優柔不断、臆病なワタシなので、不安感があり器具を処分してしまいました。今年、寒くなり、コロナとインフルエンザ予防のためと考え再び購入を決意。
ドラッグストアに行き「鼻うがい、初めてだけど・・・」「子どもにも出来るのがありますよ」、と言うことでゲット(^_^)v。
家に帰って器具と向き合うこと一時間ばかり。で、やっと決心をして、ボトルにぬるま湯と鼻うがい用の薬品を入れ、注入口を鼻に当て、恐る恐るボトルを押していくと、反対の鼻の穴から、お湯がでてきて、おや?鼻は右と左って通じているんだなどと、変な所に感心をしました。
やっていると、なかなかに面白くもあり、あっという間にボトル1本のお湯が無くなりました。
で、生まれつきボンヤリしているので、頭がスッキリするとかの自覚はありませんでしたが、鼻は確かに以前より通っている感じありました。
まだ使って三日目ですが、段々寒くなってコロナの第8波、インフルエンザが心配なのでしばらく使ってみる予定です。
なお、興味のある方は、使用法、効用等YouTubeで沢山でているので見てください。
阿波踊りについては、以前下の写真と共に2回ほど紹介をしたと思います。
色々な機関、団体等の関係、コロナの影響で中止になっていましたが、今年開会。残念ながら踊り子さんにコロナが出たそうです。
で、思い出した話があったので・・・「阿波踊り」については、数十年前、永六輔さんが深夜放送で、阿波踊りは右手、右足を同時に出す。という話をされていたと思います。
普通歩くとき、右手と右足を出すことはありません。昔、夏休みのラジオ体操の時、毎日、参加者が順番に前に立って演技をしていましたが、ワタシの当番の時、行進の部分で右手と右足を出すという失態をしでかし、皆から笑われたことがありました。
さて、この同じ側の手と足を出して踊るというのは、他にもあるようで、息子が沖縄で結婚式を挙げ、最後にカチャーシーを踊りましたが、あれも阿波踊りと一緒で、同じ側の手と足を出します。
諫早の皿踊りも一緒。諫早の方で、今、生きていれば超100歳の方から「昔の皿踊りはこうだよ」と踊ったら、阿波踊りの男踊りとまったく一緒の動きでした。
たしか、東京オリンピックの前だったか「ナンバ走り」という走り方が紹介をされたことがあったと思います。右手と右足、同じ側の手と足を出すのは上に書いた踊りと同じです。ということを考えると、この動作が日本人の基本的な動きではないかと思うのです。
今、子どもを対象にしたダンス教室、スポーツ教室等が盛んですがこれを取り入れれば面白いとは思うのですが。
なお、諫早の皿踊りについて「諌早史談」(田中為一箸)に「座敷踊りとしては余り単調すぎて足など高く上げすぎるきらいもあるが、それだけに野趣も満々といったところである。数年前中央の有名な舞踊家に依頼して近代的なセンスで振りつけをしてもらい今その普及をはかっているので、皿おどりも従来のものよりうんと上品さを増し一般の人々にも歓迎されている。」とのことです。
祭りの近代化は、観光資源、地域の活性化、交流のために必要ですが、昔の姿も残しておいて欲しいと思うのです。阿波踊りの昔の姿を眺めつつ。
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