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2022年9月

2022年9月26日 (月)

千々石天満宮神送り★千々石ミゲル墓所調査

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先日、例年の通り「神送り」の神事が行われました。

以前にも紹介したとおり、この神社に祀られているのは菅原道真公、千々石ミゲルの父千々石大和守と家臣2名です。


この神社の上に釜蓋城があり、佐賀の龍造寺に攻められ千々石大和守は討ち死にをしますが、その間、千々石ミゲルは城を逃れる、という話になります。昨年、千々石ミゲル墓所発掘調査が行なわれ、テレビ、新聞等で報道をされました。


島原藩主松平忠房公は、島原半島の多くの社寺に寄付をしていますが、千々石では2カ所、天満宮に「壹石八斗四升」、四面宮(現千々石温泉神社)に「三石貳斗五升六合」。


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千々石ミゲル墓所発調査プロジェクトに多少寄付をしていたので、先日、お礼状と共に、調査の模様と解説が収録されたDVD、絵葉書、お菓子のクルスが届きました。報告の概要パンフレットは以前入手をしていました。

今回はクラウドファンディングで600万円の目標額を超えること10,400,000円が集まったそうで、興味を持たれている方が多いことが分かります。


今後の予定はプロジェクトチームの浅田代表によると「文化財保護法に定められた正式報告書作成に入り、今秋には発刊の予定です。」と言うことですが、多分、来年にずれ込むような感じです。


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2022年9月21日 (水)

台風疲れ、などなど。

台風14号について

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台風14号については、事前にいまだ経験のない台風だとか伊勢湾台風並みとか言われ、又、予想では雲仙市直撃、逸れても10~20㎞ということで、ビビりました。

ベニヤ板等で窓などを塞ぎ、飲み水を用意し、家庭用のカセットコンロとボンベ、懐中電灯が壊れていたので買ってきて、スマホ用の充電器を充電し、小屋は板を打ち付け、いざというときの荷物を準備し・・・


で、防災無線で避難を呼びかけていたので、オクサマに「非難しようか?」・・・「行かない」との一言でした。一人で非難しようとも思ったのですが、愛するオクサマを残すわけにも行かず、ということで・・・


夜10時くらいまでは風、雨がドンドン強くなりましたが、昼の台風の準備で疲れて寝落ちしてしまい、0時頃目が覚めたら、風、雨の音もなく、ヒョッとしたら台風の目かと思い、台風の目の中なら星空が見えるので外へ出ましたが、空は曇って、風はほとんどなく、雨はボチボチ。


レーダ図を見ると確かに台風には入っているようなのですが。台風の目の中なら吹き返しが来るなと思いつつ、又、寝落ち。


今度は3時近くに目が覚めましたが、雨音も無く、風の音もほとんどなく、外へ出たら0時頃と一緒。レーダーを見ても確かに台風のところなのですが、次の日の朝も状況は同じで、台風はどこへ行ったんでしょう、という感じでした。赤の矢印は雲仙市。


他の地方では大きな被害も出ているようですが、なんともキツネにつままれたような台風でした。とはいっても、どのような台風が来るかも知れず、台風、と聞いたら万全の準備が肝要かと。


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本当の話~「もち吉」の住所

話は聞いていたのですが、信じられないので買ってきてみました。


もち吉の住所・・・


〒822ー8585

福岡県直方市下境2400番地
字餅米もちだんご村餅乃神社前

なお詳しくは→こちらをクリック



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ブタさんの車

買い物に行っているとき、前のトラックにステッカーが貼ってあり、なにかと思ったら(^0^)。これ見たら、あおり運転なんてできませんよネ。


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2022年9月16日 (金)

雲仙鉄道~しつこく「木津トンネル」の写真の事

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雲仙鉄道についてはかなり書いたので、もう書くことはないと思ったら、もう一つ、トンネルの写真についての話です。

上は旧雲仙鉄道の駅跡に設置された記念碑。左の機関車の写真の事については以前詳細に書きました→こちらをクリック

今回は、右のトンネルの写真についてです。以前書いた「木津トンネル」→こちらをクリック

下の左の写真は「雲仙」という本の中に載せてあります。発行は「雲仙岳後援會 長崎県庁内 昭和2年9月5日」。

昔の新聞を調べていると、これとまったく同じ写真が新聞に載っていました。

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下は写真の記事を拡大したもの。新聞は「大阪毎日新聞」ですが、「新日本八景」は大阪毎日新聞社、東京日日新聞社主催、鉄道省後援なので、雲仙の宣伝に力を入れたものだと思います。

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ということで、新聞の写真と「雲仙」の写真の関係についてまとめてみると。

➊小浜鉄道 昭和2年3月10日開業 6月諫早~小浜直通
❷「日本新八景」 昭和2年7月6日新聞発表 大阪毎日新聞社 東京日日新聞社主催 鉄道省後援 
❸新聞発行日(上の写真) 大阪毎日昭和2年8月30日
➍「雲仙」雲仙岳後援会(長崎県庁内) 昭和2年9月15日発行

こうしてみると、すべて昭和2年に固まっています。「雲仙」を発行した「雲仙岳後援会」については長崎県庁に問い合わせをしましたが、まったく分からないとの事でした。

なお「雲仙」は写真集になりますが、新聞の写真は各社のカメラマンが撮るので、トンネルの写真は、大阪毎日新聞の社のカメラマンが撮影ったものを、長崎県庁が借りて掲載したと思うのであります。

ただ、記念碑の写真は建てられた年代からすると、「雲仙」から借用したものだと思われます。


 

2022年9月 9日 (金)

空照上人、雲仙の事について★まとめ②~終わり


③大黒天脇の石像について


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先日、大黒天脇の空照上人の件で投稿し、石塔が「二本」と書きましたが、諫早史談会のO氏から、二本の石塔は元は一本ではないか?また文字については「是二行者空照法師頭髪納埋塔也」ではないかとの指摘をいただきました。

後日確認に行き、埋もれた部分を少し掘ってみると「生存」という字が見えました。左の石塔は「是二行者空照法師生存」。


右の文字については一番上の文字が「友」のような感じなのですが、O氏のヒントと次に紹介する田代原の石碑「空照上人壹百日修行頭髪塚」から「髪」ではないかと推測すれば「是二行者空照法師生存髪(または”頭髪”)納埋塔也」でピッタリするかと思います。


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④田代原の石塚について

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田代原の集落の中に上のように石仏等を祀った場所があります。右から3番目が「空照上人壹百日頭髪塚」。

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「空照上人壹百日修行頭髪塚」と刻まれています。

一番下段には「三會信者一同謹建」。右側面「昭和九稔/三月十三日/𦾔正月廿八日」。昭和9年3月13日は旧暦1月28日。


この「頭髪塚」については、管理人さんによれば、他所に建てる予定であったが、都合があり、こちらに頼まれたとの事でした。

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一応のまとめです。これまで書いた事と重複をしますが。

行基洞については、行った事がないので詳細がわかりませんが、入口付近に仏像、台座に「温泉信者中」とありますが、多分行基の像だと思われるので、行基の信者さんだと思われます。


高岩山の立像の所には「開山空照法師 昭和8年見岳名」と刻まれています。 


大黒天の石像には「是二行者空照法師生存髪(頭髪)納埋塔也」「昭和6年1月29日」。これには建立者の名は刻まれていません。

田代原の塚には「空照上人壹百日修行頭髪塚」「昭和9年3月13日」「三会村信者一同謹建」。

西有家郷土誌には「昭和六年に、空照法師が百日修行をされたところだろう。」と書かれているので、高岩山、大黒天、田代原の石塔等などから見ると、昭和6年の百日修行は間違いないと思われます。


さて、雲仙は昭和9年に国立公園に指定をされていますが、昭和2年には「日本新八景」に選ばれています。日本で2番目のゴルフ場が大正2年に開場、大正末から昭和初期にかけて、斎藤茂吉、吉井勇、タゴール、秩父宮、嘉納治五郎、徳富蘇峰、早川雪洲等々が雲仙を訪れています。雲仙はかなり人の往来があったと思われます。千日行などをTVで見ると、厳しい山中を駆け抜けるシーンがありますが、空照上人も人知れない山中で修行を積まれた事と思い
ます。なお、昭和初期のことなので、もっと資料があるとは思ったのですが意外とないのですね。

大黒天、田代原の「髪」の事です。空照上人は剃髪をしているはずなのに、と考えていると・・・100日間の修行中は髪は剃れないので、いくらかは伸びていたはずで、修行後は又剃ったはずです。信者の方は百日修行の記念として、この髪を埋めたのではないかと思われます。


もう一つ、大黒天のところの石像については、この別所には修行僧の僧坊が700坊あり、修行の場のメッカであり、大黒天もあるので、この場所に空照法師の頭髪が記念に埋められたのではないかと思うのです。

いずれにしても、田代原と大黒天の所に実際の頭髪が埋められているということです。


2022年9月 4日 (日)

空照上人、雲仙の事について★まとめ➀


空照上人について以前書いたことがあり、また、あちらこちらのブログで単発的に書いてありますが、主に雲仙を中心にしてまとめてみました。2回に分けてみます。


空照上人のことは、西有家町郷土誌に記述があります。また、上人
の石像、塔については❶高岩山中の立像❷一切経の滝の行基洞(別名空照洞)❸別所ダム大黒天の下の石造➍田代原集落の「百日修行頭髪塚」があるので、この順で説明をおこないます。

最初に、西有家町の郷土誌より空照上人についての概略です。


空照師は真言宗の僧、佐賀県東多久市出身。大正11年に島原地震が起こり、大正12年には関東大震災が起こります。当時、南有馬村で病気を治すという霊験を現していた空照(当時40歳程度)にお願いし、西有家八十八ヵ所の設置を行います。


空照上人は八十八ヵ所霊場を祈願し、行基(日本山大乗院満妙寺開基)に因んで、行基洞(空照洞ともいう)で二十一日間業を行い、その後、ふるさとの東多久に帰られたそうです。


なお、この間、雲仙で百日修行をされたそうです。また、空照上人の出身地が佐賀県東多久市ということで、多少調べて見ましたが不明。


❶高岩さんの立像について


「西有家郷土誌」からまとめてみました。


高岩さんに登る途中、登山道の途中から左側の山中に入って行ったところ。ワタクシも入っては見たものの元来の方向音痴で、行き着ききれませんでした。なにごとも案内は必要。


写真は西有家郷土誌より。台周りは1.2m四方。高さ1.5m。石積みで石造の高さ60~70㎝。台には「開山空照師 昭和八年見岳名中」と刻んであります。
「見岳」は西有家町の地区名。郷土誌に「昭和6年に、空照和尚が百日修行をされた所だろう。」の記述あり。

なお、この地点から150m位の所に洞があり「西有家四国奥ノ院一夜大師」。「一夜大師」の名前については「見岳名の信者が、セメント、砂などを担ぎ上げ、一夜で完成させた・・・」との記述あり。


また、「空照立像から200m降りたところにも大師堂を見つける。ここも明らかに修行場で空缶、空びんがあるるので、訪れた人が居たのではないかと思われる。空照大師が、ここでも修行されたのかもわからない。・・・」、との記述あり。ただ、「大師堂」についてはどのようなものか不明。

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(西有家郷土誌より)

「一夜大師」は「新四国八十八か所番外奥ノ院」。


❷一切経の滝行基洞(別名空照洞)


一切経の滝から少し下り、右側の斜面を登ったところ。ただ、3回トライするも分からず。

洞が三つあるらしく、一番入口には2体の石仏。一つは多分「行基」だと思われる。台座に「温泉信者中」。小さい方は「三鈷」らしいものを持っているので弘法さんか?一番奥に石仏が置かれていたらしいのですが詳細は不明。

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右の案内標識は現在あるかどうかは不明。

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(ブログ「私は、島原半島にいます」より)

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四国四十四番札所伊豫国大寶寺


一切経の滝の所「四十九番所伊豫国浄土寺」があります。右の写真。

なお、空照法師は八十八ヵ所霊場を祈願し行基洞で二十日修行をしたそうです。

 

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