雲仙大黒天~「発見」について異議あり
雲仙の大黒天、ネットでも結構見られます。
先日、Facebookに島原半島観光連盟が大黒天につき「・・・昭和40年のダムの工事の際に発見されたそうです・・・」と書いてありました。「発見」とは辞書では「世の中に知られていなかったものを見つけ出すこと。初めて見つけること。(大辞林)」とあります。
10年程前だったか、このことについては取り上げましたが、要するに、発見されたのはダムの工事の際でないのです。大黒天のすぐ横に石仏があります。左の写真の〇印、矢印は大黒天。右は上から見た写真。下向きの矢印は別所ダム、右の矢印方向が大黒天。
石仏には2本の石柱が建てられています。一つは上部が欠けていますが「・・・?納?塔也」。
左の石柱正面「是二行者空照法師??」。側面が「昭和六年一月二十九日」。「空照法師」は雲仙での最後の修験道者。「百日行」をされています。また、高岩山の山中に像が建てられています。
ということで、発見されたという昭和40年以前に、この大黒天の存在は分かっているはずです。
さて、これとは別に大正15年発行の関善太郎著「雲仙小濱風光記」に次のような文章があります。
「温泉(うんぜん)の七百坊の在りし別所に行くと、田原と云うところの上の方に當りて、一巨巌が直立してゐる。其上に古雅掬(きく)すべき大黒様が安置してある・・・」。
これで、すでに大正時代には大黒天が知られていたことが分かると思います。
昭和40年云々については、ネットで「新聞記事に載っていた」とあちらこちら書いてあります。新聞記事必ずしも正しいとは限りません。近年のネット情報は孫引きが多く見られます。皆さまもご注意を。
「空照法師」については一度紹介をしました→こちらをクリック
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