« 2022年6月 | トップページ | 2022年8月 »

2022年7月

2022年7月30日 (土)

「因果物語」の雲仙地獄について

 Photo_20220730204401 Img_1976_20220730215101

「因果物語」全三巻の仮名草子本。作者は鈴木正三。勝手に平仮名本が刊行されていたため、弟子たちが1661年に正本として発表。

内容は鈴木正三が見聞した諸国の怪異譚。仏教談義な材料として怪異譚、因果を収集したもの。


このなかに、雲仙の地獄を記述したものがあります。この本については国立国会図書館デジタルコレクションで見る事ができます。上の写真はそれから取った物です。


右が初めの部分「十四 生きながら扡ごくに沈みし出家の事」。

物語は、豊後の町人、肥前の出家、牢人の三名が温泉(うんせい)に行ったとき、出家が煮湯の湧き出でるところに指を差し入れたが熱くもなく、ただ、煮え湯から指を引き出したとき堪えがたい熱さが。また、その指を煮え湯に入れれば熱さが止む。また、指を引き出せば耐えがたい熱さ。とかくするうちに、引き出されず次第に深く入り、腕を差し入れるようになり、引き出せば、また、熱く。後には総身をみな入れて、頭、目だけを出すようになり、ついに底に沈みけり。

という物語なのです。


さて、話は別にして、最初の部分「肥前の国嶋原という所に、温泉(うんせい)が嶽とて・・・」と書いてあります。「温泉(うんせい)」とは書いてありますが、「肥前の国嶋原」とあるので、現「雲仙(うんぜん)
」です。

「雲仙」は昔「温泉」と書いて「うんぜん」と読んでいましたが、「うんせい」という読みもあったのでしょうか?


もっとも「千々石」を「千々岩」と書いた江戸時代の街道図、戦前の地図なども残っているので、地名は意外とラフな表現もあるようなのですが。

左の図が最後の頁になりますが赤丸の所、頭だけを出した人物が書いてあります。


下の絵図「雲仙お山の情報館」所蔵の雲仙の絵図で、何回か紹介しましたが、地獄が沢山書いてあります。ただ、上の地獄がどこなのかは不明。


2_20220730214301



2022年7月25日 (月)

「伊能図」で雲仙を遊ぶ

1_20220725203601

よく、今の地図に伊能図を重ねて、今の道と昔の道を比べたものがあります。

これ、以前より自分でできないかと思っていました。もちろん、それなりのソフトを使うという手もあるのですが、ソフトは金がかかるし、慣れるのに時間がかかる。で、生来、へそ曲がりなワタシ。イロイロと考えてみました。


例の如く、各写真はクリックすると拡大します。現在、雲仙の事を調べていたのでこれを素材にしました。


伊能図は書籍になっているのもありますが、現在、ネットでも拾えます。下の左の写真は雲仙をiPadで拾いスクショしたもの。〇印の部分を調べたかったのですが、これでは小さいので、使えるように右のように拡大しました。


大事なのは、基点になるところを探すこと。左の矢印、温泉神社があります。これは、今も昔も変わっていません。もう一ヵ所。右の矢印、ここで、道が分かれ、右へ行けば小地獄へ。この道は、多分変わっていないなと検討をつけました。ヤマカンですが。


3_20220725203601 6_20220725203701

あと、プラステックの薄い板なり、透明の下敷きなりを、上の右の図に載せ伊能図の赤い道をそのまま書き写します。「1」は小地獄への分かれ道、「2」は神社。

右は調べたいところの現在の図ですが、GoogleマップなりYahooマップなり国土地理院のマップ等をiPadでとります。もちろん基点となる地点をしっかり把握しておいてください。


7_20220725203701 9_20220725203701

あとは、上の左の赤い街道をPadの地図に乗せ、iPadの地図をスワイプして拡大、縮小。基点を合わせていきます。一番上の写真。

今回分かったことが2点。


下の①は桜橋、有明ホテルがあるところ。現在、小地獄へ行くには①から写真で緑の道を下の方へと行きますが、昔は、この道はなく、旧雲仙小中学校付近からの道が街道であったことが分かります。


第2点は①から右への緑の道が現在のメイン道路ですが、以前はこの道はなかったこと。①の地点から赤色の道をまっすぐ行くと原生沼。昔、小学校があり、その地点を右に曲がると温泉神社にでます。これが当時の街道であったという事です。


なお、このことは「明治期の雲仙温泉~秘蔵古写真でたどる雲仙温泉の『避暑地時代』」~岡山俊直著に次のように書かれています。


雲仙地獄の古写真の説明として「現在の国道57号線、新湯と古湯をつなぐ雲仙温泉のメインストリートがまだありません。・・・」


なお、金井俊行箸の「温泉案内記」(明治26年刊)でも、桜橋、有名ホテルからの道で「学校ノ前ヲ過キ右二折レバ湯ノ里ノ人家ニシテ・・・」とあり、前にも書いたように小学校は原生沼の前の場所にあったので、赤色の道が明治中期においても当時のメインストリートであったことは間違いないと思います。


 Photo_20220725203801

ということで、伊能図で遊んでみましたが、思ったより簡単で意外な発見もありました。皆さまも近くの道を調べるのも面白いかも。小学生の子どもさんをお持ちの方は、夏休みの自由研究として面白いかと思います。

ただ、伊能図は必ずしも現在の地図とはピッタリ合うとは限りません。海岸線は正確ですが、内陸部の街道についてはズレがあります。ただ、道の曲がり方などは同じです。

2022年7月22日 (金)

コロナ予防ワクチン接種(モデル)~4回目情報

Img_e1904Img_2111

コロナ予防ワクチン接種の4回目です。

先週、連絡が来ました。4回目ともなれば皆さん慣れて、予約が余裕で取れるかと思ったら、かかりつけのお医者さんの予約は、やっと取れたという状況でした。昨日が接種日。


ワクチンについては、流言飛語も交えイロイロと情報が流れていますが、まあ、打っておいた方が良いだろうと受けることにしました。ただ、5回目もあるとおもいますが、なんとなく、どうでもいいや、という感じになるかと。


病院の予約が3時から。廊下に椅子が8脚ほど並んで、お医者さんが次々に問診。以前は、一人ひとり診察室に入って問診、接種だったのですが。で、今回は看護師さんが接種。お医者さんよりお注射は上手でした。あれ、まあ終わり・・・?。


3回接種しているので、なんともないかな、と思ったらワクチンが「モデルナ」。多少、緊張しましたが、打ってみればなんともなく・・・と言う感じ。


終わってからの待ち時間が15分程度。無事帰宅。いつもより早い時間に寝ましたが異常なし。


今日の朝から、腕が少し痛みましたが、生活するのに不便はなし。若干、ボーとはしましたが、いつもボーとしているので、接種のせいかどうかは不明。
ということで、現在21時時点では無事です。異常がでたら明日投稿をします。イロイロと聞いてみたら、具合が悪くなった方、なんともない方、個人によってかなりの差があるようです。

でも、まあいつになったら、正常になるのでしょう・・・( 。-_-。)



2022年7月19日 (火)

「一汁一切でよいという提案」~土井善晴著

Photo_20220719175601

この本を読んでいたら、先月の6月6日のNKHのあさイチで「理想の食卓は”一汁三菜”?」ということで、放映があっていました。用事があったので、最初しか見ませんでしたが・・・

「一汁三菜」という言葉があって、これ、ワタシも昔からかな?と思っていたら、NHKの”今日のお料理”が発祥だというので驚きました。昔は結構見ていたのですが。


土井義晴さんの本「『料理はやっぱり”ひと手間”ですよね』とはよく聞かれる言葉ですが、それは労力を褒めているのであって、必ずしもおいしさにつながるものではありません。」「『手を掛けること=お料理をすること』という誤解を助長させています。」などはナルホドです。


ただ、子どもがいると、どうしても子どもが喜ぶようにと料理を考える事があります。


ワタシも結構料理を作りますが、料理を作るとき一番考えるのが献立。いつだったか「一汁三菜屋」という食堂に行ったら、下のようなメニューを出されました。こんな感じで作っておいたら少しは楽になるかと思います。


また、子どもが好きなハンバーグなどは焼いておいて、冷凍すれば結構楽ができます。その他、YouTubeなどで保存できる料理が沢山紹介されています。


ただ、子どもが家を出て夫婦二人になると、それこそ「一汁一菜」が食べ過ぎず健康的ですね。


Photo_20220719191001

ということを考えながらブログを書いていると、オヤ?なんか、これ、記憶があるなと思って調べたら、この本の事、以前詳しく書いて自分で一汁一菜を試しに作っていました(^▽^)。ホントにボケました。ということで、以前詳しく書いているので・・・興味のある方は

こちらをクリックしてお読みください。


2022年7月14日 (木)

雲仙大黒天~「発見」について異議あり

P1010191 Img_2057

雲仙の大黒天、ネットでも結構見られます。

先日、Facebookに島原半島観光連盟が大黒天につき「・・・昭和40年のダムの工事の際に発見されたそうです・・・」と書いてありました。「発見」とは辞書では「世の中に知られていなかったものを見つけ出すこと。初めて見つけること。(大辞林)」とあります。


10年程前だったか、このことについては取り上げましたが、要するに、発見されたのはダムの工事の際でないのです。大黒天のすぐ横に石仏があります。左の写真の〇印、矢印は大黒天。右は上から見た写真。下向きの矢印は別所ダム、右の矢印方向が大黒天。


石仏には2本の石柱が建てられています。一つは上部が欠けていますが「・・・?納?塔也」。


P1010187 Img_8295

左の石柱正面「是二行者空照法師??」。側面が「昭和六年一月二十九日」。「空照法師」は雲仙での最後の修験道者。「百日行」をされています。また、高岩山の山中に像が建てられています。

ということで、発見されたという昭和40年以前に、この大黒天の存在は分かっているはずです。


Img_8293 Img_2055

さて、これとは別に大正15年発行の関善太郎著「雲仙小濱風光記」に次のような文章があります。

「温泉(うんぜん)の七百坊の在りし別所に行くと、田原と云うところの上の方に當りて、一巨巌が直立してゐる。其上に古雅掬(きく)すべき大黒様が安置してある・・・」。


これで、すでに大正時代には大黒天が知られていたことが分かると思います。


昭和40年云々については、ネットで「新聞記事に載っていた」とあちらこちら書いてあります。新聞記事必ずしも正しいとは限りません。近年のネット情報は孫引きが多く見られます。皆さまもご注意を。


「空照法師」については一度紹介をしました→こちらをクリック


2022年7月10日 (日)

夏日、イロイロと。

Img_8284

先週の「ちむどんどん」。懐かしい場面でした。広いポストイットに何やら書き込んでいる場面。文化人類学者 川喜多二郎氏が開発した「KJ法」という発想法。

確か、カッパブックスから出版した「鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記」がベストセラーになり、中学校の時だったか読んだ記憶があります。
高校の時、受験に役立たないかと思って、氏が書かれた発想法の本を読んだことがあります。

それから数十年たち、就職したところが「研修会」が多いところで、この「KJ法」を使った研修会を何度も経験したことがあります。しかし、私ごときボンクラが、十分に活用することはできませんでした。が、懐かしかったですね。

土曜日、諫早の有喜のストアーに買い物にいったら、何やらテントが立っていて、携帯電話関係かと思ったら「マイナンバーカード」登録勧誘でした。誰がやっているのか幟を見たら「諌早市市民窓口課」の皆さん方でした。

夏日のクソ暑い土曜日でご苦労様です。なのですが、ここ一ヵ所ではなく、ということを考えると、残業代もかなりかかりますね。多分の話ですが、マイナンバーカードの登録者の少ない自治体のところには、国からの予算も少ない、というニュースが流れていました。そのような事情で諫早市さん一生懸命なのでしょう。

人気のないマイナンバーカードにポイントを付けたり、TVCMを流したり、お金をいくら掛ければ気が済むのでしょう?税金の無駄使いですよ。


確かマイナンバーの初めには住民票が簡単に取れる等といっていましたが、アナタ、住民票を年に何回取りに行きますか?
見ていると、かなりの方が登録をしていました。多分、最大2万円に心が惹かれたのでしょう。

ワタクシですか?法律で登録が義務化されるまでは「いたしません」。理由はイロイロとあるのですが、長くなるので省略。


ワタクシのオクサマは昨年だったか「5000ポイント」に飛びつきましたが、昨日「5000ポイントなんに使った?」「使ってない」「なんで?」「ポイントの使い方が分からないから」。


Img_8259 Img_8252

TVを見ていると、料理を作るのが苦痛だというオクサマ方が多いようです。

ワタクシ、料理を作るのが好きなので、なんとも理解できないのですが。今日はオクサマが留守なので、昨日からワクワクして、諫早まで買い出しに行きました(^^ )・・・


庭の大農園にも夏野菜がなっていたので、それを利用して・・・右は肉巻き。アスバラ、オクラ、シメジを大葉で包み豚肉で巻いたもの。左は、オクラ、ズッキーニ、カボチャ、アスパラをオリーブオイルで炒め、湯むきしたミニトマト、ミックッスビーンズを混ぜ入れ、パセリでトッピング。ドレッシングはオリーブオイルに黒こしょう、塩、ニンニクのすり下ろしでつくりました。夫婦二人暮らしなので、これで2日分ですね。


Img_8272

いずれも、絶品でありました(^0^)。



2022年7月 6日 (水)

血糖が気になったので・・・

1-img_7958-1 2-img_7797

十数年前、あわや糖尿病になりかかった事があります。医者曰く「もう一歩で立派な糖尿病です。」

努力の甲斐あって、なんとか正常になりましたが、最近また血糖が上がり気味になってきました。


主治医さんの所で、毎月一回血糖の検査をしても思わしくなく、ということで、日常的に血糖を図って対策がとれないか調べていたら、このような器具がありました。


3-img_7799 5-img_7802

上のような器具を使って、下のようにセンサーを腕に貼り付けます。センサーの中には電池らしきものが入っていて、2週間貼りっぱなしで血糖が図れます。上の右の写真で分かるとおり、針らしきもの(フニャフニャしたもの)が付いています。これが、皮膚の中に少し入るので、少しビビりましたが2週間なんともありませんでした。

あとは、このセンサーにスマホ(無料のAPPを利用)を近づけると、血糖値が測れます。


6-img_7928 7-img_7958-2

下のように、数値がやグラフやらで示されます。

 8-img_1905 9-img_1987

血を出して計るわけでは無いので、一日に何回でも計れます。

詳しくはYouTubeなどで実際に測った方が投稿をしていますが、個人個人の差があるのが分かります。


蕎麦を食べて血糖値がビックリするほど上がる方、そうでもない方、また、蕎麦だけを食べるより、天ぷら蕎麦など他の食材を食べた方が血糖値は上がらないそうです。


Img_1909 Photo_20220705203301

ワタシの場合、平均的な感じで、食事前の血糖は低く、食事をした後は段々上がり、次の食事前まで段々と下がる。ただ、暑いので、アイスなどを食べた後はかなり上がりました。また、炭水化物を沢山食べたときは、血糖値は下がりにくい傾向でした。

ということで、大体の傾向は分かったので、後は対策を考え、実行するだけです。傾向と対策、受験参考書にもありましたが(^^ )。


さて、上の器具、有効だということが分かりましたが、残念な事に、高い。1個で7千円弱。Amazonだと1個売りはなく、2個売りばかり。


ただ、糖尿病、透析などの事を考えれば、人間ドック、脳ドッグと同じで、高額であっても予防”薬”と考えれば良いかと。なお、ワタシの場合はiPhoneで計測ができましたが、Android関係では不明です。計測の器具はありますが、5000円位です。


この2週間で大体の傾向が分かったので、現在、甘いもの、炭水化物などは注意をして生活をしています。器具がもう一つあるので、3ヶ月ばかりしてもう一度計り直し、効果があったのかを調べたいと思っています。


上の本は少し前に読んだ本で、今回の血糖値を考える上でも参考になりました。使った器具についてはYouTubeなどでも動画が流れています。使う前には必ず見て参考にされた方が良いかと思います。


以上はワタシの個人的な感想で、使用される場合は自己責任で。

忘れていました。この器具で測れるのは正確には「グルコース」だそうです。説明によると。

「血管を流れる血液中のグルコースの濃度が『血糖値』であり、血糖値と間質液中のグルコース値の間には、高い相関関係があることが証明されています。」という事です。

2022年7月 2日 (土)

衝撃のチラシ!!

Img_7953 Img_7950

いつもは7月1日~9月末までが営業。コロナの影響で2年間の休業。
今年は各地のイベントも復活していたので期待していたのですが・・・嗚呼~衝撃のチラシでした( 。-_-。)

2022年7月 1日 (金)

雲仙「温泉神社二ノ鳥居」について②

1_20220629195801

昨日、雲仙の温泉神社の二ノ鳥居について書きましたが、少し気になって「肥前國髙來郡温泉山の圖」を調べて見ました。

この図については、「しまばらふるさと再発見」で松平文庫長根井浄先生が「江戸時代の地獄は満妙寺一乗院が案内権を持っており、いろいろな説話が語れていました。」と語られ、確か先生の以前のお話しでは、その折り、この絵図で説明をしていたとのことでした。いわば、観光パンフレットですね。

現在、数冊の本で印刷物が紹介をされています。比べてみて違いは見受けられますが、基本同じです。なお、本物は版木で摺ったものです。


下は「雲仙お山の情報館」所蔵のものですが、片面が「雲仙國立公園決定紀念祝賀 島原郷土史料展覽會」となっていて、絵図は版木の印刷ではなく、いずれかの絵図の模写だと思われます。


2_20220629195901 3_20220629195901
  (雲仙お山の情報館所蔵)

下が温泉神社あたりを拡大したもの。


一番右が鎮守四面大明神。ご本尊様。その左が拝殿。


赤の矢印が鳥居。二つ鳥居があるのが分かります。右の鳥居は多分両部鳥居。両部鳥居は近くには無いので、ググってみると木製が多いようです。


さて、安政7年(1776)島原藩に提出された一乗院(満妙寺)の書上帳があり、これについて「嶽南風土記 有家町史談第4号・有家町史談会刊」に根井浄先生が「江戸時代の雲仙(温泉)・普賢岳・妙見山ー史料『温泉山起立書』の翻刻と紹介ー」という事で書かれています。


この中に、温泉神社の面積、寸法等が書かれていますが、鳥居について下記のようにかかれています。


⑤本社石壇下より石鳥居まで堅拾六間横九間 此反別四畝廿四歩

⑦木鳥居より石鳥居まで堅拾九間横貮間 この反別所壹畝九歩
⑩石壇木鳥居下
⑪石壇石鳥居下
⑫木鳥居 一 石鳥居

という事で、元来温泉神社には木の鳥居と石の鳥居があったことが分かります。


4_20220629195901

前に書いたように、現在の二の鳥居についてまとめてみると下記のようになります。

一 1695年(元禄八年) 建立

二 1778年(安政七年) 温泉山起立書 木製と石製の二基の鳥居の記述
三 1792年(寛政四年) 雲仙岳大噴火により鳥居倒壊(あくまで推測です)
四 1851年(嘉永四年) 石鳥居のみ再建

この絵図については、1695年~1792年の雲仙の地獄の風景だといえると思います。
絵図に描いてある両部鳥居、これも現代再建できれば面白いと思うのですが。

« 2022年6月 | トップページ | 2022年8月 »

フォト
2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

ブログランク参加中ポチしてね(^o^)

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ