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2022年6月

2022年6月24日 (金)

雲仙「温泉神社二の鳥居」について①

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    (左はGoogleEarthより)

仙の温泉神社には三つの鳥居があります。

一ノ鳥居は明治33年、温泉神社1200年祭の時建立されたもの。


一つ飛んで、三ノ鳥居は昭和60年に建立。


問題の二ノ鳥居です。最後に「温泉山」と書いてあります。昔は雲仙を温泉山ともいっていました。


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左の柱、「元禄八乙亥年九月吉日」と書いてあります。元禄八年は1695年。

柱の横をヒョイとみると、文字が彫ってあるので見ると「嘉永四年辛亥八月再建」。嘉永四年は1851年。

「再建」とあるので、一度倒れて再び建てたと言うことになります。何故倒れたかですが、天正8年、有馬晴信により領内の寺社が破壊されています。ただ、天正8年というと1580年なので建立の1695年とは時代的に関係なし。

ということで考えると、雲仙の江戸時代には寛永4年の(1792)の大噴火がありました。

1695年建立→1792年倒壊→1851年再建と考えればピッタリな感じがします。あくまで私見ですが。


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二ノ鳥居には額がありません。ということで探してみたら、入口の所にありました。かなり破損しているので、多分、落ちたものだと思われます。

「四面社」(一般的には「四面宮」)と書いてあります。多少、自信がありません(^^ )。


温泉神社は最初「四面宮」、明治2年の神社改正により「筑紫國魂神社」、大正4年に「温泉神社」。


なお、一の鳥居が建立された元禄八年が気になったので、湯けむりの記憶(雲仙国立公園年表・雲仙国立センター運営協議会刊)を調べて見たら元禄六年(1693)の所に「島原藩主松平忠房・・・一乗院満妙寺、四面宮を改築し以後藩主松平家の親祭となる。」とあるので、多分この折り、二の鳥居が建立されたものだと思われます。


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下は雲仙の札の原バス停近くにある片足鳥居。こちらが昔の一の鳥居だと説明したものもありますが、柱には文政10年(1827)とあるので温泉神社の二ノ鳥居より新しいものです。額は「四面社」。「四」は異体字。

現在、最初の鳥居が一ノ鳥居といっているので、一ノ鳥でかまわないか・・・・。

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下は千々石の温泉神社にある昔の額。左は最初の字が欠けていますが、普通に「四面宮」。右は同じですが、「四」の字が異体字で、雲仙の片足鳥居の字と一緒です。

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調べると、まだ面白い所があるのですが、また後日。


参考文献
「修験道とキリシタン」根井浄箸

「嶽南風土記 有家史談第4号」有家史談会
「山岳修験 第30号」日本山岳修験学会刊
「湯けむりの記憶 雲仙国立公園年表」雲仙公園ビジターセンター運営委員会
「おばま 史跡巡りガイド」小浜町・小浜町教育委員会



2022年6月18日 (土)

「走れメロス」の走る速度

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先日、YouTubeを見ていたら、安住アナが母校で特別授業をしていました。テーマは「メロスが走った速度」。

メロスの走った速度については、2014年理数教育研究所の「第1回 算数・数学の自由研究」で中学2年生が最最優秀賞を受賞し、報道がされた覚えがあります。

中学生の研究をザックリ書くと・・・・


メロスは10里約39㎞を走っているわけですが、小説から10時間で到着と推察。これから計算して時速3.9㎞と計算。途中の山賊との闘いがあるので、ラストスパートが5.3㎞と算出しています。


マラソンの場合は、一般男性が4時間30分。平均時速は9㎞。ということで、「最後は死力」で走ったけれど「速歩」程度だったと言うことです。「今回調べてみて、メロスはまったく全力で走っていないことが分かった」と結論づけられた、そうです。


感想として「『走れメロス』というタイトルは『走れよメロス』のほうがあっているなと思いました」だそうです。


なお、詳しくは→走れよメロス


さて、安住アナの場合は「柳田理科雄先生」の説を紹介しています。


柳田理科雄先生はメロスの走る速さを、ラストスパートの所「少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。」を基礎に考えます。即ち、沈んでゆく太陽の十倍の早さはどれくらいか。


舞台のイタリアのシラクスは北緯37度。地面は時速1,300㎞で西から東へ動いています。この10倍の速さで走っているので、メロスの走る速度は時速1万3000㎞。気温15℃のとき音速は、秒速340m=時速1224㎞。で、メロスの走る速度はマッハ11。ライフルの玉の速度がマッハ3なので、メロスの方が早い。


安住アナはこれに引き続き、マッハ11の衝撃波は大きく、周囲2㎞のガラスは割れる。結論として「走るなよメロス」。

詳しくは→ 走るなメロス
安住アナ→こちらをクリック

 

2022年6月14日 (火)

「肥前國南高来郡三拾三箇村之図」~えんがわ・一畳のきまぐれ資料館

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ゆで野菜の「マルニ」さんの野菜加工場の母屋(名称:えんがわ)の一畳ばかりを借りて、何気に始めた資料館も今回で11回を迎えました。

今回は「肥前國南高来郡三拾三箇村之圖」の展示です。いつもと違って、今回は床の間をお借りしました。


島原藩の島原藩領は佐賀藩の神代、伊古、古部をのぞき、松平忠房公により、33の村に定められました。この時代の島原藩の絵図になります。詳しくは、チラシをクリックすると拡大するのでご覧下さい。


本物は旧家にありますが、展示品はこの複製になります。複製なので、字がボケて読みにくいのですが、当時の姿が楽しめるかと思います。


いつもの所には「肥前長崎之圖」を展示しています。


右はマルニさんで作っている「梅の甘露煮」。梅を一つ、氷を入れて無糖の炭酸を加えましたが、ほんのりとした甘さで夏にピッタリです。

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なお、大家さんのマルニさんが営業などで留守の時はご容赦をm(_ _)m。


2022年6月10日 (金)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行③

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いよいよ、雲仙小濱自動車(株)の雲仙案内も最終回です。

各種案内書には旅館等の宣伝が載せてあります。雲仙、小浜については旅館の変遷が多いのですが、場所、開業していた時期など不明なところが多いといえます。


場所については、旅館のパンフレットには当時の略図がも載せてあり、これと照合すると旅館についての情報が得られます。ほとんど、マニアの世界になりますが(^_^)。


この案内について、非常に面白い所があるのですが、個々についてはいずれ紹介をします.


略図は昭和13年当時のもの、雲仙案内は昭和11年で、ほぼ同じ時期になります。

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2022年6月 6日 (月)

昭和11年「名勝雲仙登山・案内解説」~雲仙小濱自動車株式會社発行②

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先日の昭和11年の雲仙案内の続きです。

バスガイドさんの案内の中で「すぐに真正面の上のルネッサンス式石造りの大建築は・・・長崎県庁で御座います。」の長崎県庁が上の写真です。原爆の被害に遭い作り替えられましたが、昔の方がご立派。残っていたなら国宝級。


下の左は愛野無線局の昔の風景で、確か鉄塔が建っていた記憶があります。愛野無線局が無くなった後「日本赤外線工業株式会社長崎事業所」になって、その後、敷地内に老人保健施設ができています。右の赤丸が門ですが、会社名の表札は会社の名前がそのままにしてあります。

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右の海が橘湾、向こうの山が釜山、遠くに霞んでいるのが雲仙岳。場所は愛野の展望所みたいなのです。バスは雲仙小浜自動車(株)。

右は一時「日本で一番で小さい」と言われた発電所。確か、バスガイドさんも説明をしていました。千々石の第3発電所。島原半島では千々石に一番初めての発電所ができました。お年寄りのなかには、あかりがついた電球にタバコを押しつけた、という笑い話も残っているそうです。


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左は駕籠立て場の展望所。駕籠立て場には無駄に広い駐車スペースがありますが、この場所は、お殿様が風景を楽しんだ、といわれる場所だと思うのですが、現在は立木で見えなくなっています。

右は「島原道」とあるので、島原からの道路です。昭和11年にはこのような道です。いまは立派な道ですが。


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2022年6月 3日 (金)

2022/06/03「大村公園花菖蒲」

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TVなどで大村公園の花菖蒲が満開ということで出かけてみました。

定番の場所での撮影。ここが、一番絵になります。

開花がネットでは満開、入口は7部咲きになっていましたが、部分満開、部分7部咲き、部分??咲き。

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この花菖蒲園には多種の花菖蒲が植えられています。花菖蒲の品種などが書いてありますが、江戸菖蒲、肥後菖蒲の違いなど知っていると、見方が違い面白いと思います。

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一番最初の写真の板敷櫓(ここの地名が板敷)の裏側というより、こちらが入口。石落としなどもあるのですが、コロナのために閉鎖。

お城は簡単には攻め落とせないように通路が入り組んでいて実感できます。

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他にもイロイロあるのですが、花菖蒲だけではなく、お城も楽しいんでもらいたいのです・・・

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石垣に鏨の跡がありました。石垣が新しく積み直されたものがあるとかで、多分新しいものだと思われます。

右は穴門で、ワタシが好きな場所なのですが、こんな所にトイレなど作るなよ!!!~バカヤロウ~ですね。

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お土産は、定番の「大村寿司」。創業延宝7年創業の「へこはずし」。お殿様があまりのおいしさに「へこ」が外れているのに気がつかなかったとの由来。

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忘れていました。このお城「大村城」ではなく「玖島城」です。


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