千々石ミゲル清左衛門供養碑建立~雲仙市千々石町天満宮
長崎県の方はTV、新聞等で報じられご存じだと思います。昨年夏、千々石ミゲルの墓所の最終の4次発掘調査が実施されました。
先日、千々石ミゲルの子孫、発掘調査に携わった方などが参集し、千々石の天満宮において、千々石ミゲル清左衛門供養碑建立式が行われました。発案、発起人は第1次~4次発掘まで尽力された町田義博氏。
供養碑の一番上の文字、「千々石・ドン・ミゲル」は千々石ミゲルの自筆を彫ったものだそうです。
建立場所は千々石ミゲルの父千々石大和守直員が祀られている天満宮拝殿の横。
右は、千々石ミゲルの墓発見に最初から尽力された大石一久先生。宮司は橘神社の橘宮司。橘中佐の子孫です。
右の写真は千々石ミゲルの子孫の浅田昌彦氏。
千々石ミゲルの碑が建立された意義。天満宮の歴史などを貼っておきます。
供養碑の土台はコンクリートで固められていますが、土台のなかに、墓が発掘された折発見された千々石ミゲルの遺骨の一部が納骨されています。
千々石ミゲルの父、千々石大和守直員が龍造寺に討たれた後、数百年の時空を越え、父が祀られた神社に、千々石ミゲルの供養碑が建立され、遺骨の一部が納骨されたという事は、非常に意義が深いことだと思います。
オマケです。龍造寺に攻め落とされた釜蓋城の抜け穴?といわれているものです。
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