島原藩士の税金
「島原藩の経済」、「島原藩の仕組み」などを書かれた、故高木繁幸先生が「島原風土記」に書かれた”島原藩の1805年の支配機構と役職ー史料・文化二丑年藩中人数割によるー” の中で少し興味のある事が書いてありました。
江戸時代、武士の給与は切米、扶米等あるのですが、ザックリと書きます。
江戸時代、一日の労賃は玄米五合が基準、これが一人扶持。一ヶ月で一斗五升、一年で一石八斗。時代劇に”十人扶持の侍”というようなセリフがありますが、これで、よく分かりますね。
さて、江戸時代、普通の藩は五公五民。収入の5割が税金、5割が自分の取り前。収入の半分が税金というと、今よりヒドイですね。
御武家さんの場合もこれが適応され、収入の二分の一しか手取りがありませんでした。今でいえば、40万の給与の人は、手取り20万です。キツいですね。
ところが島原藩の場合は島原・天草の乱、雲仙岳の噴火ということもあり、非常に財政が逼迫して、六公四民。六割が税金でした。
さてお侍さんの場合は、「当島原藩の場合、例えば百石取りの家臣は六公四民であるから実際は四十石が支給されるのだが、当時は藩主の勝手向不如意ということで借上げが行われていたため、四十石以下しか支給されていないこと。」ということで、武士といえど島原藩は厳しい税金ではありました。
これは多分家老などの重職にも適応されたみたいで、ということは、税金を納めていないのはお殿様だけということになるのかな?
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