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2022年2月20日 (日)

雲仙鉄道~しつこく「第1号機関車について」これで〈お・し・ま・い〉


温泉鉄道の廃駅には、ご存じの通り記念の碑が設けられ、写真が焼き付けられています。こちらは愛津駅の記念碑。

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写真の左の機関車については、二つの疑問があるようです。

①汽車が走っている場所は?

②機関車の前に”1”という字が見えます。昭和2年~7年まで島原鉄道、温泉鉄道、小濱鉄道で諌早~小浜まで直通運転をしています。ということもあり、日本で走った第1号機関車が島原鉄道を走っていたので、記念碑の機関車がそうではないか?との意見があります。

この②については、ブロブ等に第1号機関車だと掲載されているものがあります。

まず、①については、記念碑の写真と比べればすぐに分かるのですが・・・千々石で聞くと、誰でも「曲(まがり)」と答えます。写真右手が岩礁になっているのは、千々石断層の下の海岸、千々石湾しかありません。


②については以前、この機関車の来歴と共に書きました→こちらをクリック。


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下の写真、以前、ネットで流れていた物をスクリーンショットで紹介しましたが、今回は本物です。クリックするとハッキリと分かります。

「鐵道趣味 昭和10年10月號 秋季特別噌大号」。鉄道は昭和13年に全面廃止になるので、貴重な写真です。
記念碑の写真は、下の写真の薄く囲んだ部分を切り取った物です。現物の写真があったのか、この雑誌から取ったのかな不明。

以前に紹介した説明文は、途中、読めなくなったりしたところもあったので、下に正確に書き写してみます。以前に紹介済みですが、場所、汽車の種類等分かるかと思います。 


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雲仙鐵道


No.1機関車の索引の上がり愛野村行混合列車が千々岩(ちぢわ)を出發、雲仙を背景にした千々岩彎副ひの線路をやって来ます。

雲仙鐵道の蒸氣列車は1日1往復しか運轉されず、他は全部ガソリン・カーばかりです。
No.1機関車はNo.2機関車と共に0-6-0形の𦾔省有1040形式のものであります。1040形式と云えば日本鐵道が明治27年大宮工場に於て6輌(Nos.401~406)製造した物で、現在も尚判然と其の銘板が取り付けられて居ります。
撮影者が「與縄恒雄」氏。


写真説明の中「ガソリン・カー」は左の写真です(写真は「島原鉄道100年史 夢ある未来をめざして」より)。このガソリンカーが昭和10年頃には、鉄路を走っていたということです。

オマケに、右は「口之津鐵道 0-6-0形機関車 No.20」(同上より)です。

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さて、トンネルの機関車の映像、海岸沿いを走る機関車の映像で、雲仙鉄道は最後まで蒸気機関車と思っていたら、違っていたんですね。

この機関車については、以前よりしつこく書いてきましたが、全貌が明らかになったので、「第1号機関車」
については〈完〉になります\(^o^)/。



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