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2022年1月11日 (火)

「令和四年 橘神社鏡開き」&「カムカムエブリバディ」&「平野レミさん」

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今日は橘神社の鏡開きで”焼き餅振る舞い”。日本語に”焼き餅を焼く”という表現があります。なぜ、”焼き餅”をまた”焼”くのかは各自学習を。

10時頃にいったら、すでに鏡餅は解体され焼かれ始めていました。ヒョッと見る一升瓶を入れる箱が大量に焼かれていましたが、なんと”獺祭”まで、あるではありませんか。


聞いたら、神様がお飲みになったようで、橘神社の祭神は軍神橘中佐さんなので、酒が強いのでしょう。
鏡餅は堅いので、いつもの食(は)みきりの出番です。

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ガスコンロ、電子レンジでチンして食べる餅とは全然違います。たき火で、こんがり焼けた餅は最高!!時節柄、二度づけ厳禁なのですが・・・

世話役が神社の総代さんでした。年の暮れから、正月の準備等々で、お疲れさまでした。


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「カムカムエブリバディ」の話しです。いつものように、脈絡が無く、ダラダラした文章ですが。

ラジオのことですが、二つスピーカーが付いています。なんとなく、ステレオラジオを思わせますが・・・ウチは貧乏だったので、こんな良いラジオはありませんでした。質草として、質屋さんと家を行ったり来たりしておりました。


さて、今日は堀江謙一さんの太平洋横断のTVニュース、先日は渡辺貞夫さんがアメリカへ渡った話題がありました。両方とも1962年の話になります。


NHKラジオのステレオ放送はラジオを2台並べて、第一放送を右チャンネル(?)、第二放送を左チャンネル(?)として聞いていました。多分、1960年の初めには一台でステレオのラジオは無かったような・・・多分TVのは高級ラジオかな?


なお、ラジオのメーカーは「X-ISHIKAWA」とありますが、このようなメーカーは無かったような記憶がします。ネットの話題ではXーJapanの某氏がドラマに出演する伏線ではないかとの話もありますが。

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「るい」が読んでいる雑誌「ジャズ」という字が見え、後で「ジャズジャーナル」が、という話もしているので、雑誌は「ジャズジャーナル」です。が、当時、このような名前の雑誌はありませんでした。

「スイングジャーナル」というジャズ専門誌はありました。私も中学3年~高校卒業まで、毎月読んでいました。2010年に休刊。この「ジャズジャーナル」は「スイングジャーナル」を思わせます。

進学して、ジャズ研に入ろうと思って、キャンパスをウロウロしていると、マン研(皆様のご想像ではなく、マンドリン研究会)の勧誘ですごいカワイイ子が「入って~ネ~お願い(^o^)~」というので入りました。

後はですね「・・・♬~赤い手ぬぐい マフラーにして 二人で行った 横町の風呂屋♪・・・」の予定だったのですが、人生は思い通りには行かず、挫折は人間を強くするの言葉通りでした。余談が長くなりました<(_ _)>。


さて、右の画面、
良いところでした。お!朝から濡れ場とは、正月草々縁起が良いワイ、とは思ったのですが、さすがNHKでした。

実は、この画面に少し異議がありまして、ペットを最初に習うときはマウスピース(口をつけている部分)だけで音を出す練習をして、その後、楽器本体に取り付けて音を出すのですが、最初からこのような音出の練習しはしません。


もっとも、マウスピースだけでは、このような色っぽい画面にはなりませんが。


ところで、ドラマで渡辺貞夫、秋吉敏子、日野皓正、堀江謙一は実名で、雑誌の名前、ラジオのメーカーなどは名前を違えて出しています。なぜかな?と考えたらNHKなので、商品名、会社名は実名では出さないんですね。

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次の番組が「平野レミの早わざレシピ」でした。昨年、材料の紹介を忘れたりしたことがあったので心配したのか、レミさんの二男のお嫁さん、和田明日香さんが付いていて、失敗した料理を隠してあげるなどナイスアシストでした。

学生の頃、金が無かったのでテレビなど買えず、ラジオをよく聞きました。


某日、ラジオを聞いていると「男が出るか!女が出るか!男が出るか!女が出るか!・・・・・」などと大声でわめいているクイズ番組があり、そのわめいている司会者が、当時の平野レミさんでした。後日、あの声でシャンソンを歌っていると聞いて驚きました。


テレビでその頃の写真が紹介されましたが、この顔で、あんなすごい声を出していたとは、びっくりです。


なお、お父さんが平野威馬雄さんと聞いてびっくりしました。その後、和田誠さんと結婚したと聞いて、また、(°0°)。なお、その後、料理研究家になったとの事で、またまた、びっくりしました。


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私も料理が好きで、レミさんの料理のアイディアも素晴らしいので「家族の味」、参考にしています。

下の本にはレミさんと和田誠さんの夫婦対談などもあり、レミさんと誠さんの馴れそめも書いてあり面白い本でした。良いご夫婦ですね。残念ながら、和田誠さん亡くなられましたが。


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余談ですが、お父さんの平野威馬雄さん、すごい方ですね→こちらをクリック。


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