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2021年8月28日 (土)

橘神社の絵葉書~戦前の千々石最後の絵葉書?

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上の絵葉書は橘神社です。基本、今と同じ姿です。裏側の消印に「17.8.24」とあるので昭和17年8月2日に出された葉書です。なお、書面中「大東亜戦争は皇国の連続勝星・・・」と書いてあり、時代を感じさせます。

前にも書いたとおり絵葉書を集めていますが、島原半島で一番多いのが雲仙、次が小浜、次いで千々石と島原が同じくらい。ところが、橘神社が名所にもかかわらず、現在、これ一枚しか見つけられませんでした。


千々石には”千々石ホテル”という外人向けのホテルもありました。千々石に泊まり海岸で遊ぶ、千々石を拠点として小浜、雲仙に行ったようです。


絵葉書は訪れた所の記念として買っていきます。現在はスマホ、デジカメがあるので観光地の絵葉書はほとんど見受けられません。千々石の絵葉書は、ある時期から見受けられないようになったようです。これは、多分、雲仙鉄道と関係があるように思われます。


左は千々石の絵葉書で一番古い物。明治41年に使われています。右は雲仙鉄道の線路が見えません。カラー写真ということを考えれば、戦後のものです。

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雲仙、千々石、雲仙鉄道に関し簡単にまとめてみました。

■1877年(明治10) 温泉(雲仙)、このころから九州各地より外国人の避暑、登山が増え始める。(湯けむりの記憶より)

■1883年(明治16) 小地獄に雲仙初の純洋式の「下田ホテル」を建てる。(他説あり・湯けむりの記憶より)
■1893年(明治26) 茂木~小浜間、不定期に蒸気船あり(?)。(ブログ・日記のようなものです)→こちらをクリック
■1899年(明治32) 茂木~小浜間、定期路線(?)(ブログ・日記のようなものです)
■1908年(明治41) 千々石千本松原の絵葉書。(上の絵葉書)
■1909年(明治42) 「雲仙案内」に”千々石ホテル”の宣伝掲載。(雲仙お山の情報館展示場に展示)→こちらをクリック
■1911年(明治44) 温泉(雲仙)、日本初の「県立温泉公園}。(湯けむりの記憶)
 乗合自動車、小浜~雲仙。
■1912年(大正元) 小浜村有志、自動車屋開業。小浜~雲仙、愛野、諌早、口之津。(湯けむりの記憶)
■1913年(大正2) 小浜~茂木に定期連絡船就航(湯けむりの記憶)。雲仙は避暑のロシア人が多く年間700名。        自動車屋「小浜自動車株式会社」へ。他に「温泉自動車株式会社」あり。
■1916年(大正5) 千々石~温泉(雲仙)間の自動車道路完成。 
■1923年(大正12) 温泉鉄道、愛野~千々石間開通。
■1927年(昭和2) 小浜鉄道、千々石~小浜間開通。
(雲仙鉄道が写り込んだ絵葉書が数点あり。)
■1934年(昭和9) 雲仙国立公園制定。 
■1983年(昭和13)  雲仙鉄道解散。
■1942年(昭和17)  橘神社の絵葉書。(上の絵葉書)

なお、岡山俊直氏の「雲仙温泉における明治期の歴史資料の特殊性とその活用」(→こちらをクリック)の中に1889年(明治22年)の長崎から雲仙に至る交通の事が書いてあります(North China Herard紙1889年9月28日号より紹介)。それによると・・・


1)長崎から千々石まで人力車、千々石から山道で雲仙

2)長崎から網場まで人力車、網場から船で千々石、船で小浜、小浜から山道で雲仙
3)長崎から網場まで陸路、網場から船で千々石、千々石から山道で雲仙

茂木~小浜への船便は時代、船会社に違いがあるようですが、以前にも紹介しましたが、千々石にも寄っていました。手前の矢印が福石様、向こうの船が茂木~小浜を結ぶ船。


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ということを考えれば、千々石が雲仙、小浜へ至るポイントになっていることが分かります。

さて、どれほど外人客が多かったかというと、前にも書きましたが「島原鉄道100年史 」によれば「当時は夏ともなると、全国各地や中国の上海から避暑にやってくる外人客が多く、英語を話せなければ駅長がつとまらなかったというわけだ。同駅には当時の名残を示すように、朽ち果てた木製の洋式トイレがいまも残っている」(注:現在はありません)。


ところが、国鉄を利用する場合、諫早駅で島原鉄道に乗り換え、愛野駅で雲仙鉄道へ乗り換え、小浜駅(肥前小濱駅)は小浜の温泉街から2㎞程度離れていて、歩くか、自動車を雇うという不便さ。昭和2年~7年まで、諌早~小浜まで直通の時期はありましたが。


バスなら長崎から直通ということもあって、温泉鉄道は昭和13年をもって廃止。


ということで、雲仙、小浜に行く場合、千々石に寄る必要も無く、そのため千々石を写した絵葉書が少なくなったのでは無いかと思うのですが。なお、大正時代の絵葉書は他にも見受けられます。


雲仙鉄道廃線後の絵葉書を探しているのですが、現在、最初の橘神社の絵葉書以外は見つかっていません。なお、橘神社は昭和15年に建立、絵葉書は昭和17年に使われているので、この絵葉書は橘神社建立直後に撮ったものと思われます。

ということで、この橘神社の絵葉書が戦前の千々石における最後の絵葉書ではないかと思われるのですが。


:「湯けむりの記憶」~西暦2000年(平成12年)記念:雲仙公園ビジタセンター運営協議会発行



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