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2021年7月

2021年7月29日 (木)

古文書の畳たみ方

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上の文書(もんじょ)は「宗門改」で熊本藩のもの。多分、家老に提出したものだと思われます。

昔の書簡、文書等を見ると、きれいに畳まれているものが多数見受けられます。上の写真、下の方が広げたもの。上の長細いのが、同様な文書を畳んだもの。器用に畳んでいるのが分かると思います。こんな小さいところにばかり気がつくので、出世はできませんでしたが・・・(^_^)。


某日、史学で古文書を専攻し大学院にいった方と話しをしていて、この事を思い出し、「昔の人って書簡など畳むのが上手ですね」。と言ったら「あれ、簡単ですよ」、「・・・(T_T)?・・・端っこから上手に畳むのって、大変でしょう?」。


「いえいえ、こうして丸めて、そのままペシャンコにして・・・」


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「広げれば、出来上がり」ですって。試してみたら、「ほんまや~!!!」。でした。

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時代劇で「上意でござる」とかいって、パラリと広げる場面があります。アレって、どう折ってるんだろうか思い、折り目を調べるべく、ネットで「家康さん書状」を画像で調べると・・・各自、学習を。

現代、文字の所を折るな、という方もいますが、こんな長いものを書く方いませんよね。まして、今や横書き、PCで書き印刷、メールでのやりとり。昔の文書を見て、書いた人がどんな人物だったのか、想像するって楽しいですよ。


2021年7月26日 (月)

「大波止に玉はあれども大砲なし」~長崎の七不思議

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先日から、長崎の中華街、新地の事を調べようと「長崎實録大成」を読んでいたら「鉄之石火矢玉 一 大波止坂際に有之」とあり、これ、長崎の七不思議の一つで、ここに書かれている古絵葉書を持っていたのを思い出したので。

長崎の七不思議はー

①寺もないのに大徳寺 ②平地なところ丸山と ③古いお宮を若宮と ④桜もないのに桜馬場 ⑤北にあるのを西山と ⑥大波止に玉はあれども大砲なし ⑦シャンと立ったる松の木を下り松とは これで七不思議。 というものです。


さて、「長崎實録大成」に「右鉄玉の事諸ノ𦾔記に其説ヲ出サス」というところを見ると、これ以前には、文書として残っていないことが分かり「賤夫等の傳説に・・・」と言うことなので、伝説に伝えられているのみ、ということがうかがえます。

この本は長崎文献社から出版されいますが、入手しにくいので、そのまま写してみます。なお、校訂は丹羽漢吉氏、森永種夫氏です。写し間違いはご容赦のほどを。


鉄之石火矢玉 一 大波戸坂際に有之

廻リ五尺六寸程

右鉄玉の事諸ノ𦾔記二ソノ説ヲ出サス。賤夫等ノ傳説二、蠻人(ポルトガル?)我國ノ威ヲ顕サント彼國ヨリ持來レリト云。或ハ日本ヨリ蠻船ヲ可撃沈用意也ト云。又一説二島原一揆籠城ノ節、於彼地土中二穴ヲ堀リ抜キ、籃硝數百斤ヲ以テ此玉ヲ打出スへキ支度二鑄造セリト云。其説何レモ虚蕩ニシテ信用成難シ。暫ク其ノ概(おおむね)ヲ擧ル而耳(のみ)


ということです。


内容は①南蛮人が自分の威を示すため持ってきた ②日本が南蛮船を撃沈するため ③島原一揆の城(原城)を地中に穴を堀り(砲身として)
、攻撃するため、ということです。ただ、いずれの説も信用できないが概ねの事を挙げる。というものです。

以下、丹羽漢吉氏著「史談切り抜き帳 第2巻」によれば、寛政4年4月21日に綿密な計測がなされ

1 火玉 周1.758m 重量554.7㎏ 
2 同台 高0.273m 0.712m
3 惣髙 0.788m

丹羽勘吉氏が鉄の比重を元に計算すると920㎏のはずが、554.7㎏しかないので中空か、又は。軽い金属を混ぜているかと思われたそうですが、時の市立博物館長の越中哲也氏によれば、中空になっているはずとのことで、鉄で出来ているとして計算すると、厚さは10㎝余りになるそうです。ですが、中空の玉をつくるには、当時、その技術と施設を考えれば大変なことだと思われます。なお、この玉を打ち出す大砲を考えると、巨大な砲身が必要だと思われ、当時の技術としては無理でしょう。


越中哲也氏が、なぜに玉が中空であったかを知っていたのかという疑問がありますが、多分、叩いてみたのではないかと推測しております。


さて、①②③説の中で、一番多く語られているのが③の島原一揆に関係するもの。これについては「長崎港草」「長崎名勝図絵」にもあるらしく、城(原城)の近くに穴を堀り、そこに玉と火薬を詰めて飛ばす、というもの。だそうですが、あの玉を飛ばすのにどれだけの火薬がいるのか、また、城近くから飛ばすというとは打ち上げになるので、無理。かえって、重箱山あたりからは城内が見え、打ち下ろす感じになるので、こちら方がベターだとは思うのですが。


諸説考えるに、どれも無理があるようで、はやり”謎は謎”のまま、ああだ、こうだ、と話しをするのが良策かとも。謎が解けると「長崎の六不思議」になり、七不思議という熟語はありますが、六不思議という熟語はなく、なんとなく、間が抜けた感じになるので、ここは事実が分かったとしても、知らんふりして「長崎の七不思議」にしておいた方が良いのでは。


余談ながら、玉の回りが五尺六寸ですが。花火で一番大きいのが四尺玉だそうです。外径120㎝、重さ420㎏、上がる高さ700~750m、お値段260万円。らしいです。



2021年7月22日 (木)

コーヒーに、はまり込みました。

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昨日、齢70にしてスタバに初めて行きました。齢70のスタバデビューです。どうしてこうなったかは後ほど。

30年程前、多少コーヒーに興味を持ち、ミルなども揃えましたが、面倒くさいのですぐに止めました。


ところが、ここ数ヶ月、ハマってしまいました。


で、私、何をやるにも道具に凝る癖があり、知らない間にいつの間にか増えました。よく、ヘタは道具に凝る、とは言いますが、碁を習っていた頃、良い道具を使うと腕が半目上がると言われました。確かに、何でもそうですが、良い道具を使うと「高いもの買ったんだから頑張ろう」という気になります。


一番高かったのはコーヒーミル。買うにあったって、以前紹介したnaiさんに相談をしたら、豆をひく所が、プロペラみたいになっているのは、オヨシナサイ、臼型のが良いですよ、ということで、手回しもでき、手回しのとこにアダプターを付ければ電動にもなるという優れものを購入。あと、高いものといえばケトル。


このケトル、頭のところに温度計が付いていて便利です。お湯の温度が90~96度くらいが良いとか。普通のヤカンで沸騰させ、ケトルに入れればちょうど良い温度になります。


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あと、お水ですね。以前紹介しましたが、島原の有名な湧水です。行ってきました。

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淹れてみて、粉が膨れていくところ、楽しいですね。実は、以前間違っていて、コーヒーのお湯を最後の一滴まで落とした方が良いと思っていたのですが、最後の方は落としきらない方が良いとのことで、右側、最後のお湯は別のカップに入れて飲んでみたら、確かにマズイ。

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ここまでコーヒーにはまり込んでだ理由ですが。Amazonのプレミアムビデオに「A FILM ABOUT COFFEE」という映画があり、この中に、今は閉店をした「大坊珈琲店」が紹介をされていて、店主の大坊勝次さんがコーヒーを入れているところがあり、この姿に魅了されました。

大坊さんの本に、閉店するときお客さんから手紙をいただいたことが書いてあります。



コーヒーをいれる/コーヒーをたてる/そういう動詞はあっても/コーヒーをみせる/という体験は初めてで/それは見せるであるより/魅せるという字を/当てた方が良いのかもしれませんが・・・・・・茶に道があるなら/珈琲にも道があるはずで/それは 静かで 素敵な/時間でありました。・・・・(/は行替えの部分)



上の文と、下の写真は大坊勝次氏著の「大坊珈琲店のマニュアル」からです。映画でも同じような姿が見られます。なお、YouTubeでも「大坊珈琲店」で検索をすると、少しですが、大坊勝次氏のコーヒーを入れる姿が見られます。


と言うことで、この姿を見て、すっかりコーヒーにはまり込みました。


写真のカウンターの後ろにメニューが書いてありましたが「30g 100cc/ 25g 100cc/20g 100cc/25g 50cc/ 15g 50cc」とあり、これって、30gのコーヒー豆で淹れて100ccのコーヒーを作るということですね、多分。コーヒーを入れる方は分かると思いますが、かなり濃いコーヒーです。25gで50ccってなによ?という感じですが、試してみます。


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こちら方面、田舎なので大坊珈琲店など望べくもなく、YouTubeで様々なコーヒーの入れ方が見られるので、それで勉強をしています。豆の種類、焙煎、粉の引き方、粉の分量、水の分量、お湯の温度、器具の違い、淹れる方法と様々な過程を経て一杯のコーヒーが出来るわけですが、見ていて面白いですね。

某プロの方のYouTubeを見ていると、スタバのコーヒーが美味しい、と言うことで、お近くの店で、ハウスブレンドのスタバのコーヒーを買ってきて(これしかありませんでした)淹れてみたら、本当に美味しくいただけました。ということで、実際お店に行ってスタバデビューになったわけでした。

今のところ自分に納得のいくコーヒーが飲めるのは10杯に1杯かなとは思いますが、日々勉強をしたいと思っております。

追伸です。大坊勝次さんはネルドリップを使っていますが、私も真似をしてみましたが、確かに美味しかった。


2021年7月20日 (火)

雲仙岳「普賢神社」~古絵葉書より

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       (写真はクリックすると拡大します)

平成新山の噴火により、普賢神社は灰に埋もれてしまいました。仁田峠の登山口に仮拝殿が建てられ、その後、普賢岳の山頂付近に新しい普賢神社が建立されたそうです。恥ずかしながら、見落としておりました。→こちらをクリック


さて、雲仙の絵葉書は多いものの、普賢神社の絵葉書はあまり多くないようです。


上の絵葉書、普賢神社をモロに撮した一番古い絵葉書(
写真)だと思われます。ロシア人が書いた旅行案内に、同じようなものがあるのですが、所有権の為に残念ながら、ここに載ることが出来ません。

さて、一番上の絵葉書、「長崎縣温泉(うんぜん)公園」とあります。

雲仙が「長崎縣温泉公園」として発足したのが明治44年(1911)、「雲仙」国立公園に指定されたのが昭和9年(1927)なので、明治44年~昭和9年の間の絵葉書だと思われます。


なお発行が「古湯油屋商店」と印刷されていますが、地元の方に聞いたら、名前を変えて営業しているとのこと。この「古湯油屋商店」の絵葉書は良く見かけます。


次の3点が一番出回っている絵葉書。ただ、神社の写真を見るとむき出しの石祠が見えているので、上の絵葉書と同時代ではないかと思われます。説明の「温泉岳」が「温泉缶」になっていて、間違いですね。

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右の色つき絵葉書は写真を白黒に印刷し、それに手作業で彩色をし、絵はがきにした「手彩色絵葉書」。

同じ写真だと思います。巫女さんらしき人物が、こちらを向いて立っているのもまったく同じ。こちらの絵葉書にも、むき出しの石祠が見えます。


右は「2.5.12」文字、説明に「長崎縣温泉公園」とあるので、大正2年か昭和2年か迷いますが、いずれにしても昭和2年以前に撮られた写真です。左も「長崎縣温泉公園」とあります。


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下は、スタンプ、説明に、「温泉」でなく「雲仙」また「國立」の文字があり、昭和9年以降と思われます。ただ、左のスタンプは登山記念のスタンプで、昭和14年の登山記念だと分りますが、絵葉書自体はいつ作られたものかは不明です。

拝殿、鳥居の所と比べてみると、右の方が新しいと感じます。仔細に眺めると、建物の後ろに何やら石祠があるような。ということは、この建物、拝殿ですかネ?


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左は鳥居に「昭和貮年」とあるので、一目瞭然。絵葉書には、「温泉」でなく「雲仙」と書いてあるので、写真自体は昭和9年以降に撮られた可能性も考えられます。昭和2年は雲仙岳が「日本新八景」に選ばれた年です。

右は「國立公園」なので昭和9
年以降。

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右の絵葉書には「雲仙小唄」の歌詞が書いてあります。「なさけ深江にヨ・・・こころは千々石/駒にナー火を焚く普賢岳」。

これ、4番の歌詞ですが絵葉書が普賢神社なので、この部分を利用したと思われます。


出だしは


襟は湯染めでヨー/袂は躑躅/裾はなー/千鳥の波模様

滝のしぶきにヨー/湯靄がかかる/新湯ナー/湯町は曇り空 (以下略)

という歌詞ですが、作詞が「西岡水朗」さん。長崎の詩人。昭和5年に発表され、注目されたそうです。多くの歌手の作詞を手がけています。

YouTubeで調べると戦時歌謡ですが、高倉健さんとか小林旭さんも歌っています。「男なら」。

男なら男なら

未練残すな昔の夢に
もとをただせば裸じゃないか 度胸一つで押してゆけ
男ならやってみな →こちらをクリック

少し脱線をしました<(_ _)>。

上の絵葉書の年代、あくまで私の意見です。あまり、信じないように。


(追伸)

■絵葉書の作られた年代について。

古い絵葉書は、使われた事が無いものが多く、スタンプ等が無く、作られた年代不明の物が多いです。
上の鳥居の絵葉書、鳥居に「昭和貮年」と彫ってありますが、昭和2年以降、昭和10年に写真が撮られ、絵葉書が作られたかもしれず、その間、例えば昭和5年に社殿が改修された場合は「昭和2年の姿」と書くのは間違いになります。
判断材料として、雲仙の場合は「温泉(うんぜん)」から「雲仙」に変わっている、「温泉公園」か「雲仙公園」か、説明の字は右書きか左書きか、「國立」か「国立」か。また、他の絵葉書、写真があったら、それとの比較。等々と考えるのですが。難しいですね。私の説明も、判断が誤ったものがあるかもです。



2021年7月15日 (木)

日見の「腹切坂」~長崎市 その5

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以前、日見の「腹切坂」の事を4回にわたって書きました。あの頃は、ブログを始めた頃で、文章が甘く、分かりにくい!と反省をしております。

腹切坂の第1回目の記事で、今年の4月下のようなコメントをいただきました。多分、長崎街道について詳しく調べている方だと思われます。多分→こちらをクリックの方だと思います。


腹切り坂のフェートン号由来についてコメントさせてください。

フェートン号事件は文化5年ですが、それより前の文化3年刊の『筑紫紀行』には「腹切り坂」という文字がでてきます。ですからありえません。もうひとつの作右衛門の件はありえるかもしれません。20年ほど前に、その御子孫の家に伺って、絵巻物を拝見しました。しかし、私は山の中腹を腹を切ったような道だから名付けられたと思います。腹切り坂の道は1998年以来2度通りましたが、現在移されている三基の石塔の基礎は残っています。https://misakimichi.com/archives/1762 道が半分崩れている場所があるので注意が必要です。私が1998年に見た時は教宗寺に安置してありました。


ということで、気になったので再度調べて見ました。


腹切坂がフェートン号事件と関係あると最初に紹介したのは、私が調べた範囲では、多分、永島正一氏だったと思われます。上の本「長崎街道」の最後に「長崎彼杵間街絵図」が載せてあり、これに、腹切り坂について書いてあるからだと思います。

上の〇印の所に腹切坂について書いてあり、以前に載せたことがあるのですが、読み落としがあったので、再度載せます。下の写真です。写真がハッキリしていないのを印刷しているので、なおさらボケています。


次のように書いてあります。



文化五年英船長崎に/来り当番佐賀藩/兵少うして撃攘する能わず長崎奉行は為/に責を負ふて自/刃し佐賀藩士亦/屠殺するものあり/此の坂の上に於いて/一佐賀藩士/自刃せしより/切腹坂の/名を得/たり(/は原文の行替の箇所)

フェートン号とは書いてありませんが、「英船」とも書いてあり、この記述については間違いなくフェートン号事件です。

なお、この絵図について永島正一氏は次のとおり説明をしています。


「長崎彼杵間街道絵図」という一巻がある。
昭和三年、七十一翁杉沢十一郎著とある。杉沢寿一郎さんは、安政七年(1856)矢上生まれ、同地に住んで、幕末から明治・大正・昭和に及ぶ目見聞録をまとめて数十巻、こんにち「矢上藍文庫」を遺しておられる。
大正十五年、日見トンネル開通の時、そのかみをしのび、長崎より嬉野にいたる明治維新前後の交通図を描かれた。
この図は、刊行されることなく秘蔵されたが、矢上村間の瀬名の人下井出島右衛門さんが経費を負担して刊行されたものである。刊行は田中隼人、福田忠昭、三浦実道のみなさんであった。
本図は、杉沢寿一郎さんであるが、これを改写したのは日本画古殿保雲さんであったという。(以下略)


腹切坂の話については、以前にも書きましたが、現在3説が見られます。①説明板のとおり、日見に平家の落人の末裔がいて、この中で作左衛門がという棒術に優れた者がいた。熊本藩の家臣某がこの名を聞き、帰郷の際一手試合を申し込むが負けて腹を切り、これを村人が憐れに思い葬った、という説。②上に書いた「フェートン号事件」説。③街道が山の中腹を横切っており、腹を切ったようにみえる(越中哲也氏説)。


ここではフェートン号事件を中心にしたいので、この点に絞ります。なお、この①②の説についてネット、本で紹介したのものがあるようですが、代表的なものとして、永島正一氏と松尾卓治氏著「長崎街道を行く」を紹介したいと思います。なお、ネット情報では①②の説を併記して書いているものが多いようですが、参考資料、根拠について書いたものはないようです。

永島正一氏は①説を最初に紹介し②を「異説腹切坂」ということで紹介しています。
松尾卓治氏は②説を最初に紹介し①を「別の話」としています。

上の絵図を書いた杉沢氏は1856年生まれ。フェートン号事件が1808年、と言うことを考えれば、フェートン号事件48年後に杉沢氏は生まれたということなので、実際に佐賀藩士が腹を切った事を目撃した人が、松沢氏に話したことは十分に考えられます。

ただ、そうすると腹切坂に建てられた「吉村忠右衛門藤原重道」と書かれた墓は誰なのさ、と言うことになります。なお、この墓から太い骨が出てきたことは前にも書いています。この墓の年号は元禄9(1696)年丙子3月になっています。フェートン号事件より昔です。なお、3つの石塔のうち、墓と見られるものはこれだけです。

松尾卓治氏は本の中で佐賀藩士が佐賀に報告に向かった事に触れ「・・・早田助平たち17名は、佐嘉領矢上に入ったこの坂で追い腹を切ったという。それで、この坂を腹切り坂というそうだ」とあります。

松尾卓治氏は「佐嘉領矢上に入ったこの坂で・・・」とありますが、この三つの石塔があった元の場所は天領・長崎の地です。腹を切ったところは藩境石「佐嘉領」の向こう側(佐賀藩)と書いてあるので
矛盾をかんじます。

さてコメントに「筑紫紀行」とあるので、チェックしてみました。

「筑紫紀行」については、国立国会図書館デジタルコレクション→「筑紫紀行」で検索して、柳田国男校の本にあります。654頁、337コマの真ん中あたり。


この紀行文、著者は菱屋平七(吉田重房)。序文に菱屋兵名で書いてあって、年号は享和7年(1802)、後序は吉田重房名で、年号は文化丙寅9月(1806)。656頁、337コマの真ん中あたり。後序に「享和中、余西遊於長崎・・・」とあるので、旅をしたのは享和年間になります。


・・・領地境の印、南は佐賀鐐、北は御公領なるよしなり。二丁計(ばかり)坂を登れば腹切坂の峠なり。三丁計下れば日見村。・・・


と言うことで、コメントにいただいた通り、フェートン号事件以前に「腹切坂」の地名があるのが分かります。

ただ、この紀行文、例えば「領地境の印(藩境石)」など、以外と細かく書いてあり、腹切坂の三本の石碑などがあれば書いてあっても良さそうなのですが、多少気になります。


と言うことで、越中哲也さんの「腹を切ったという伝説がいくつかあるんですよ。」というのが妥当な感じがします。


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なお、佐賀県史(昭和37年刊)には、フェートン号事件のことについては書いてありますが、「腹切坂」については記述はありませんでした。

以上、又もやクダクダと分かりにくい文を書いてしまいました、反省m(_ _)m。



2021年7月10日 (土)

「7月10日は納豆の日」と「セーラー服」~Twitterから

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今日、7月10日は「納豆の日」だそうです。

この間紹介した「国立公文書館」のTwitterを見ていると、納豆について書いてありました。こうして読むと、納豆も随分古くからあった事が分かります。


納豆の日の制定については、ネットを探していたら下のように紹介してあるブログがありました。関西の納豆消費量を上げるのが目的、とあるのを見ると、関西人はあまり納豆を食べてなかったことがうかがわれます。


/10納豆の日は、1981年に制定された記念日だ。関西地方の納豆消費量を上げることを目的として関西納豆工業協同組合が制定した記念日で、もともとは関西地方限定の記念日だったのである。1992年に改めて全国納豆工業協同組合連合会が納豆の日を制定したことで、関西地方限定ではなく全国的な記念日へと発展した。全国納豆工業協同組合連合会は、納豆の魅力を発信したり付加価値を高めたりしている団体で、さまざまな活動を行っている。


以前書いたように、長崎では納豆というと、普通「納豆ミソ」のことで、私も19歳で上京するまで、納豆は食することがありませんでした。納豆+生卵+みそ汁+ご飯大盛りで100円。一番安いメニューでした。ということで、関西だけでなく関西以西ではあまり食されなかった、と思います。

さて、右の写真のセラー服。これも先日紹介した、服飾関係のTwitterからですが、Wikipediaを調べてると、まったく同じ写真が載せてありました。→こちらをクリック

私の学校は県立高校で、あまりパッとした方がいなかったので、女子高校のセーラー服の姿には憧れたものでした。


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今日は、朝から気分がすぐれず、脈拍が高くフラッとしているので、パルスオキシメータで計ったら、脈拍が99、酸素飽和度が69とドキッとしましたが、逆ですね。酸素飽和度が99、脈拍が69でした。


2021年7月 7日 (水)

「太陽光発電」&「おんしゅうミカン」って読まないで

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先日、自治会の回覧が回ってきて、上のようなチラシが入っていました。

なにかな?と見たら「九州電力送配電株式会社/島原配電事業所」からの「照明機器等のちらつき(フリッカ)の発生について」でした。


クリックすると拡大はしますが、多少読みにくいので・・・


2015年(平成27年)以降、夏場の晴れた日の11時~14時頃を中心に、事業所管内の照明機器等(蛍光灯、白熱球、冷蔵庫内照明等)のちらつき(フリッカ)が発生しているそうです。


「主な要因は、太陽光発電のパワーコンディショナー(PCS)の影響によるものです。しかし、電気供給設備(電線路)の状況や電気のご使用状況等によって発生の有無や頻度等が左右されるため、影響をあたえているPCSを特定することは困難な状況です。(※パワーコンディションとは・・・太陽光で発電した電気を直流から交流に変換するための機器)」という事です。


会社では対策、改善を図ってきたが、今年も照明機器等のちらつき(フリッカ)が発生する恐れがあるが、器具等の故障ではないとのことで、取替等はしないように、だそうです。

太陽光発電は一時流行り、個人の家庭にも取り付けた方もいます。最近は大規模なメガソーラーがあちらこちらと建設されているようですが、山を切り開いて設置されている場所もあり、自然破壊ということで非難されている所もあるようです。

こちらには、メガソーラはまだないようですが、空き地などに小規模ながらあちらこちらと見られるようになりました。自分は関係ないと思っていたのですが、チラシにみられるように影響はあったんですね。意外でした。


下の人物はご結婚いらい影が薄くなりましたが、昨日の熱海の災害とは関係ないとは言いながら「地域のみなさんが不安に思うようなところに(太陽光パネル)があることはまったくプラスだとは思わない」と言ったそうです。後出しジャンケンですね。詳しくは→こちらをクリック


いつだったか、住宅への太陽パネルの設置の義務化を視野にいれるべき、と言ったと記憶しますが、あまりに話題にもなりませんでした。


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下の氷菓、「おんしゅうみかん」って読まないで。ということです。「うんしゅうみかん」です。

以前書いたように、島原半島の「雲仙」は昔「温泉」と書いて「うんぜん」と読んでいました。ネットで「うんしゅうみかん」と検索すると「温州みかん」とでています。ですから、「温泉」を「うんぜん」と読むのは不思議ではありません。

ブログで「温泉」を「うんぜん」と読むのは、この地方の方言だと書いたのがありますが、あれって全くのデタラメです。


ということで「温州みかん」を「おんしゅうみかん」って読んだらダメよ。


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2021年7月 4日 (日)

「千々石ミゲル墓所調査プロジェクト主催」講演会

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(写真はクリックすると、いささかハッキリ見えます)

千々石ミゲル墓所の第4次の発掘が、8月2日から始まります。


これに伴い、昨日は千々石町、今日は諌早で講演会が開催されました。調査は今回の調査が最終調査になるということです。

第一部の講演はプロジェクト代表で千々石ミゲルの子孫の浅田昌彦氏、プロジェクト調査統括の大石一久氏。第二部がお二人に加えて、発掘調査副担当の安楽勉氏、プロジェクト副代表の町田義博氏、同・井出光則氏。


浅田氏の話は千々石ミゲル、大村藩、そして、浅田家との関係のお話。大石氏の話は、伊木力にある墓所をなぜ千々石ミゲル夫妻の墓所と推定したかの根拠。これには、浅田家をどうして知ることが出来たのか、文献調査、地域の文化の特性なども交えての話でした。


なお、発掘に至るまでの経過、第1次、第2次、第3次の経過など詳しいことは「千々石ミゲル墓所調査プロジェクト」を参照→こちらをクリック


「千々石ミゲル墓所調査プロジェクト」には、千々石ミゲルの生涯、講演会で話された事も含んであり、この墓所が持つ意味なども書いてあるので、是非、お読みください。


今回の調査はクラウドファンディングで資金調達をしています。金額によって、お礼メール、概要パンフレット(PDF)等お礼があるそうですが、私の場合は「墓所調査結果報告(DVVD)」を入手したいのですが、これ30,000円でお高いようですが、「調査発掘直後のオンライン報告会」が入っていて、「発掘直後」とあるので、調査した日の発掘の様子、発掘品なども見られるのではないかと期待しつつ30,000円で協力をしようかと思っています。


申し込については「千々石ミゲル墓所プロジェクト」にも記載してあるので、興味のある方はご協賛を。なお、第3次調査の時は私も見学に行ったのですが、発掘を見られる場所が狭く、夏の暑い時期で大変でした。→こちらをクリック

ということで、現場に行って見学をするのも大変なので、興味ある皆様は「発掘調査直後のオンライン報告会」が見られる30,000円コースをお進めいたします。


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なお、大石氏の話では、あまり期待されると、でない、という事もあるので、過度の期待はしないように、ということでした。



2021年7月 1日 (木)

完読・中読・未読の本

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暑くて外へ出たくないので、本の整理をしています。完読、中読(途中まで読んだ本)、未読です。1日で完読した本もあるし、半年かかって中読もあるし、手つかずもあるといった状態です。本屋さんで、お~!良い本があると思って買ってきても、家で見て「なんで買ったんだろう」という本もあります。

■「リボルバー」~原田マハ


原田マハさん、安定してます。さすが、美術関係の仕事をしていただけあって、知識豊富。


1890年にゴッホが自殺した拳銃が1960年ころ、錆び付いた状態で見つかり、2016年にゴッホ美術館で展示され、2019年にオークションにかけられたそうです。→美術館関係 →オークション関係


本書は上記の拳銃にも触れてありますが、これと別の拳銃が、小さなオークション会社に勤め、ゴッホなどの研究をしている冴の元に持ち込まれます。


ゴッホとゴーギャンの関係については、ご存じだと思いますが、この関係を軸に、持ち込まれた拳銃を絡め、ゴッホの自殺の真相に迫っていきます。


■「ターシャ・テューダー/人生の楽しみ」~倉野雅子著

ターシャ・テューダーさんについては以前紹介をしましたが、本を見て買うか買わないか迷って、パラパラとめくったら「予定が狂うなんてこと、いくらでもあるわ。良い方に狂うことだってあるでしょう?」という言葉を見て、なるほど、と感心して買ってきました。

確かに人生が狂うといえば、悪い方向に、というイメージがありますが、よい方に狂う事もありますネ。私がオクサマと一緒になったのは「予定が狂った」事でしたが「良い方向に狂った」と言わざるをえません。


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■「カバーいらないですよね」~佐久間薫著

マンガです。以前書いたように、印刷会社に勤めていたので、本に関する本を見ると見境( 。-_-。)(すみません「見境なく」と打ったら、変な字に変換しました)買う癖があります。


本屋さんの店員さん同士の付合、癖のあるお客さんの取扱がユーモラスに描いてあります。


今日、本屋さんのレジで「カバーお付けいたしましょうか?」と言われたので「いいです」と答えました。「カバーいらないですよね」と言われたら「付けてよ」と、意地でも言います。

■「お探し物は図書室まで」~青山美智子

「図書館」では無く「図書室」というのがミソですね。「図書館」というと、なんとなく硬いイメージですが、「図書室」というと庶民的な感じ。

図書館には図書の専門家、司書さんがいます。この図書室(現在、長崎県の各市の図書室は嘱託の方がほとんど)には珍しく「小町さゆり」という、「司書」さんがいます。司書さんの役割にはイロイロありますが、そのうちの一つに「リファレンス」があり、調べたいこと、知りたいことなど、参考になる本を紹介していただけます。

本の登場人物は、小町さゆりさんに本のことで相談に来ますが、いつのまにか・・・・と言う展開。なお、小町さんは名前とはまったく違うイメージの女性です。

さて、最近は、職活の事がよく話題になっています。これに伴い、どのような資格を取りたいか、について相談をすると、ピッタシの本を紹介してくれます。


失恋したときは「心を癒やしてくれる本を探している」と相談すると・・・試してみて下さい。

言い忘れましたが、私も「司書」の資格を持っています。温泉地の某大学で、夏に40日ばかり缶詰で勉強しましたが、沖縄の女性と仲良くなり・・・思い出せば、一夏の恋、ってほろ苦いですね。

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■「小説は書き直される 創作のバックヤード」~日本近代文学館編
■「マナーはいらない」~三浦しをん著

二冊とも未読。実は、小説家を目指しています。一応、賞を狙っています、、純文学は儲からないので、直木賞を狙っています。今まで受賞した方、最高年齢が68歳なので、私が受賞すると最高年齢の受賞者になり、これって話題になりますよね。


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■「星の王子様」~河野万里子訳・菅敬次郎訳

〇僕が六歳だったときのことだ。『ほんとうにあった話』という原生林のことを書いた本で、すごい絵を見た。

〇六歳のとき、原生林について書かれた『ほんとうの話』という本で、一枚のすばらしい絵をみたことがあった。

「すごい絵」「すばらしい絵」って、比べてみて印象がちがいますよね。もっとも、原文で読むのが良いのですが・・・原文をみたらフランス語で読めませんでした(-_-)。


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■「鎌田式『スワット』と『かかと落とし』~鎌田實著
■「死ぬまで歩くには スクワットだけすればいい」~小林弘幸著

スクワットについてはご存じだと思います。


「かかと落とし」については、今から数十年前、中高年向きの健康関係の雑誌に載りました。上司に紹介したところ、長年の耳鳴りが治ったと喜ばれたことがありました。


スクワットとかかと落としはYouTubeで見られます。そちらを見た方がロハです。本を二冊買いましたが、本を二冊買おうが十冊買おうが、続けなければ効果はないのです。


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宗教関係の本、特に親鸞の本は何冊か買ったのですが、すべて挫折しました。お寺で住職を中心に「歎異抄」を勉強している方に聞いたら、「難しい」でした。マンガなら良いかな、と思ったら又もや沈没。

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■「宮本常一と土佐源氏の真実」~井出幸男著
■「民俗学の招待」~宮田登著

宮本常一は民俗学者。「忘れられた日本人」という名著があり、この中に「対馬にて」という話が載せてあり「伊奈」という集落のことが書いてあります。私も対馬に4年ばかりいたので、興味をもって読みました。


同書に収められている「土佐源氏」を読むにつけ、多少の衝撃を受け、この「土佐源氏」に隠された原典が存在するという事で、買ってきました。


柳田国男の「遠野物語」も読んだものの、民俗学とはナンだろうという感じをもっているので「民俗学への招待」を買いましたが、二冊とも未読。


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■「品川心中」~坂井希久子著・柳家喬太郎監修

やはり、落語は語るもの、聴くものですね。

■「キツネ目 グリコ森永事件全真相」~岩瀬達哉著

戦後、色々な事件がありました。私たち世代としては「三億円事件」「グリコ森永事件」は忘れられない事件でした。この二つの事件については、何冊かの本が出版されましたが真相は依然として謎でした。本書は、この犯人が幸運にも捕まらなかった事が詳しく書かれています。最後には事件を時系列に書いてあります。


さて、「三億円」については、私も被害者です。


事件当時、東京に住んでおり、犯人捜しのローラー作戦がありました。私が住んでいた下宿にも警察が調査に来たらしいのですが・・・後日、簡易裁判所から通知が来ました。当時は住居を移した場合、2週間以内に住民票を移さなければならないとの事で、これに違反をしているので、申し立てをするか、2000円の罰金を払えということでした。裁判をしても金もないので、泣く泣く2000円を簡易裁判所に納めました。


ですから、私にとっては「三億円事件」ではなく「三億二千円事件」です。念のためですが、私に前科は付いておりません。


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■「夜這いの性愛論」~赤松啓介

今を去ること40年前、某僻地に勤務しました。歓迎会を開いていただきましたが、最初に習ったことが「夜這」の方法でした。これは、参考になりましたが、実践する機会には恵まれませんでした。

「方法」ですね。ここに書くわけにはいけませんヨ。


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で、今私が一番読んでいるのが、上の古文書です。以前から書いているように、古文書研究会に入って勉強をしています。今までは、人の読むのを聞くだけだったのですが、会長さんが私の不勉強を見て「次は君が読みなさい」との御下命でした。

が、さすが会長さん、一番やさしいところの部分でした。とはいっても、20頁くらいはあります。
この部分、畑の広さと租税に関する部分です。古文書に興味のある方のために翻刻をかいておきます。

弐拾九町六反四畝歩 荒巻名

此取弐百拾四石五斗九升弐合六勺 免七ツ四分

以上、暇なので、長々と本の紹介をしましたが、あくまで私の感想です。信用して買われないようにm(_ _)m。



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