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2021年4月12日 (月)

島原藩「松平主殿頭忠房公」の評価

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島原に疎い方のためにザッとですが・・・

島原は最初有馬氏が治めていました。居城は日野江城(現南島原市北有馬町)。有馬晴信が岡大八事件で死罪。
しばらく幕府領になりますが、次の松倉重政氏は島原城を築きます。重税とキリシタン弾圧をおこないますが、息子の勝家はどうしようないバカ息子で、島原・天草の乱を引き起こします。

次に高力氏が治めます。息子隆長時代に改易。次に深溝(ふこうず)松平氏の松平氏が福知山藩から入府。以後5代にわたり島原を治めます。前期松平になります。初代が松平忠房公。


次に、戸田氏が2代にわたり治めますが、再び松平氏が8代にわたり治め明治になります。ということで、島原半島でお殿様というと一般に「松平氏」になります。


で、血縁ではありませんが、自分のとこのお殿様というと、なんとなく気になるじゃありませんか。ということで、「江戸最高の名君はだれだ?」という文句に引かれ上の本を買いました。


松平忠房公といえば島原半島の安定化に努め、文学を愛し貴重な資料を集め、現在松平文庫に収められいます。また、江戸時代唯一の海外貿易港であった長崎の監督を命じられ、西国大名の監視も命じられていたという話もあり、幕府からも重用されています。ということあり、「名君」の一人に挙げられていまいかとは思ったのですが、残念ながら、でした。上の右の表が「名君ベスト30」です。クリックすると拡大します。


九州では、福岡藩主黒田長政、佐賀藩主鍋島直正、熊本藩主細川重賢、薩摩藩主島津斉彬。なお、平戸藩主松浦静山がベスト15位に入っていますが、あの人「甲子夜話(かっしやわ)」なんてすごい本書いているからナ。→こちらをクリック


「暴君・暗君ワースト10」も書いてありますが、松倉勝家などが載っているかと思ったら、ベスト10には入っておらず、「不行跡・乱心などが原因で改易された主な藩主」に上に書いた「高力隆長」が入っており「苛政」が原因です。地元では、松倉氏が悪政をした人物として有名なのですが。


なお、暴君・暗君のベスト1はなんと「浅野長矩(ながのり)」。あの松の廊下で吉良上野介に斬りかかった方。理由としては「悲劇の主人公のように見えて、実は江戸史上最悪の暗君といえる。」となっております。


その他、本書には「大名家の衝撃事件ファイル」など紹介してあり、なかなか面白い読み物でした。

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上の左の本は「武士の家計簿」で有名になり、TVなどでもよく見かける”磯田道史”氏が書かれた「殿様の通信簿」。ネタ本は右の「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)」。

磯田氏によれば「『土芥寇讎記』は、書物というより、むしろ幕府隠密の『秘密諜報』で、公儀の隠密が探索してきた諸大名の内情を幕府の高官がまとめたもの、という説がある。」というものです。「土芥寇讎記」を翻刻し出版された金井圓氏によれば、書かれた時期が元禄三(1690)だそうで、当時の大名234人の人物評価を載せた希有な書物、だそうです。

磯田氏の本に松平公の事が書いてないかと思ってAmazonから取り寄せましたが、残念ながらでした。ただ、氏の知識と古文書の深読みには”さすが”という思いがします。

水戸光圀の”圀”はなぜ”國”を使わなかったのか。また、悪所通いをしたとあるが、その裏にはなにがあるのか?


前に書いた「浅野長矩」。舞台、映画、小説などでは素晴らしいお殿様として描かれてしますが、なぜ暗君と書かれてあるのかなどは目からうろこでした。

さて、「土芥寇讎記」に”松平忠房公”が載っていました。長いので、要点だけ・・・前半が隠密の多分報告で、後半が幕府の高官の意見だと思われますが

「政道順ナル故、家士心易シ。風俗落付、民間二寛(ゆたか)也。」・・・「忠房公ハ、勇気ヲ宗トシ、才智発明也。心意気淳直ニシテ、法ヲ不背、行跡穏順ニ、仁政ヲ施シ、家民ヲ哀憐スル事深シ。忠義ヲ立ント欲シ、勤候ヲ専ラトセラルト云へリ。


と書いてあり、意味が分からなくとも字を見れば、謹厳実直、誠実、真正直、真摯、生真面目、品行方正、石部金吉というような文字が頭をよぎるのですが・・・とにかく悪所通いなどは無かったようですが、「土芥寇讎記」の最後に、「辺国(島原の事)タルニ依テ、人民喧(かまびす)キ事多シト聞フ、心得アルベキ事ナリ。」とあり、「喧しい」は「やかましい。かしましい。」という意味があり、島原は狭いので悪所通いなどしたら週刊文春に載って「人民喧シ」ですヨ。と言うことで、真面目にしていたのかな、と思います。

忘れていました、忠房公の官位は”従四位下”。吉良上野介が”従四位下”。浅野長矩が”従五位下”で浅野さんよりは官位は上になります。どうでも良いことですが・・・(^^;)。



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