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2021年3月30日 (火)

「大村藩古切支丹研究資料」の本からイロイロと

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島原半島は島原・天草一揆が起こった土地なのか、現在、熱が少し冷めたようですが「隠れキリシタン・潜伏キリシタン」について、かなり熱心な研究がされていました。

私も一応、本だけは集めていて、上の本を古本屋で中身を確かめもせず買いました。「大村藩古切支丹研究資料」。

「大村」といえば”大村忠純(ただすみ)”。日本で初めてのキリシタン大名で、大村氏第12代当主。大村藩初代藩主・大村喜前の父になります。


ということもあり、中身も確かめずに買ったということです。そのまま、本棚にしまっていましたが、ふと本の箱から取り出すと、本の三方(天、地、前)に金の装飾がしてありました。


普通「天金の書」などといい、天だけに金の装飾をしてある本を指しますが、装飾のためだけでは無く、ホコリが溜まって汚れるのを防ぐ目的があるそうです。ですから、この本は正確に言えば「三方金の書」。なんとなく、金持ちになった気分ですが(^_^)v。


で、編者をみると、なんと「山口侘助」。山口侘助氏は浦上四番崩れ(「崩れ」は大勢のキリシタンが同じ地域で発覚する事件)で他所に流されています。


この本の序で、長崎学の基礎を築いた古賀十二郎が「山口侘助師は三歳の時迫害の難に遭ひ、愛媛県三ヶ濱に流され、配所の日を眺めること三年半、明治六年漸く赦されて、故郷長崎縣西彼杵郡浦上山里村に帰還せられた信仰の老勇士である。・・・」と紹介をされています。
今日は、本の内容については触れません。

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さて、「天金の書」で思いだしたのが”三橋敏雄”の俳句。一時、三橋敏雄の句が好きでした。


かもめ来よ天金の書をひらくたび


ただ単に、上の句と下の句の取り合わせが良いな、とは思っていたのですが、鋭い人がいて、下のように本を広げると、本が”かもめ”になっちゃうんですね。ワタシもまだまだ感性が不足しておりました。「天金の書」と「かもめ」の素晴らしい結びつきです。


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さて、連想ゲームではありませんが、「かもめ」というと「寺山修司」作詞の「かもめ」を思い出しました。というより、寺山修司作詞の曲のなかで、この歌が一番好きでした。歌ったのはカルメンマキ。

おいらが恋した女は/港町のあばずれ/いつもドアを開けたままで着替えして/男たちの気を引く浮気女/かもめかもめ笑っておくれ・・・・
この歌、YouTubeでも聴けます。

さて、三橋敏雄の俳句には、現代の不安定な世にも通じるものがあります。


今日一日ミサイル飛ばず冬ごもり

あやまちはくりかへします秋の暮
戦前の一本道が現るる
銀座銀河銀河銀座東京廃墟
冬の芽の先先國家秘密法
手をあげてこの世の友は来たりけり

寺山修司というと「マッチ摺るつまのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が代表作としてあげられますが、寺山修司は俳句から出発しています。


古書売りし日は海へ行く軒燕

わが夏帽どこまで転べども故郷
方言かなし菫に語り及ぶとき
林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき

三橋敏雄の俳句に「窗(窓)越しに四角な空の五月晴」という句があります。

寺山修司の俳句に「便所より青空見えて啄木忌」という句があり、なんとなく三橋敏雄の句を意識したのかな?

と、歳をとると昔の事などが止めどなく思い出され、今日も脈絡の無い話しでしたm(_ _)m。


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