島原「具雑煮」起源への多少の疑問
具雑煮。ですね。島原の郷土料理で農林水産省選定の郷土料理百選にも選ばれているそうです。
中の具材が白菜、おモチ、鶏肉、卵焼き、春菊、焼き穴子等々たくさん入っているので「具雑煮」とか。正月、ハレの日にも食べているそうです。島原市内の食堂でも供されています。
もっとも、長崎市内でも雑煮には具は沢山入っていて、「長崎事典」では「長崎雑煮」として紹介されています。主なところを書いてみると
「菜」「鰤」「餅」の三種類が基本。清汁は鰹節、昆布、椎茸、酒しお、薄口醤油。具は五種、七種、九種、十三種。丸餅は焼いて、塩魚は鰤、アラ、鯛のどれか、かまぼこは紅白二種類、海老かまぼこは自家製、鶏団子は韓国渡りの鶴の身、鴨、雉子で自家製。これに里芋、筍、くわい、椎茸、結び昆布、干しナマコ、唐人菜を用いるのが特徴。ということで、これは、上高八重子著「ながさき・あまから」に載っているそうです。
面白いのが、菜をのせて名(菜)をあげる、食べないで名(菜)を残す、という縁起もあるそうです。
ただ、これは昔の旧家の話しではないかと思います。ウチの母も良い家のお嬢さんではありましたが、確かに、”これでもか”というほど具材は入れておりましたが、これほどではありませんでした。
閑話休題。某日、オクサマが二日ほど留守だったので、昼ご飯は面倒臭いのでお店に行ってみたら、冷凍の具雑煮とレンチンの具雑煮があったので買ってきて食しました。冷凍は具材が少なく、白菜も少々煮すぎかな?という感じ。レンチンは意外と具材も入っていて、焼いたお餅も3個ほどで、まあまあかな。
で、冷凍具雑煮の裏に具雑煮の説明が書いてあり、これ、ネットで調べると具雑煮の元祖、島原市の「姫松屋」さんの具雑煮の説明もほぼ同じで、他にも、島原市の観光情報、しまばらの観光案内、旅する長崎学、農林水産省も同じような書き方でしたが、読んで見ると、なんとなく???何ですね。
紹介してあるものの概略は
・江戸時代に起こった島原の乱に(具雑煮が)由来
・天草四郎率いる3万7千の一揆軍が、幕府軍との攻防の末、原城へと籠城
・その際、農民たちに餅を兵糧として蓄えさせ、山や海から様々な材料を集めて雑煮を作り、栄養をとりながら約3ヶ月も戦った
ということで、代表として、元祖「姫松屋」の説明は→こちらをクリック
ここで、違和感にとらわれたのが、「餅」という文字、「山や海から様々な具材を集めて」という表現。
原城に籠もった人数については、古文書、現代の研究者でいろいろあるようです。逃げ出した者もあるようで、一揆の初めと、落城の時では違っているということは言えると思います。寛政15年2月17日、岡山藩聞書には「原城篭城の人数は二万四千八百人という」。まあ、計算がやりやすいように大負けに負けて、2万人としてみます。
一揆の初期の頃は、一揆軍は籠城を覚悟していたのか、島原あたりから米を運んだ記録もあり、最初は食べ物はある程度あったと思われます。
ですが、具雑煮の説明に「餅」を、とありますが、一日何食食べたのかは分かりませんが、籠城を決め、食べ物の心配もあり、城の中で畑仕事をするわけでもなく、仮に一日一食だとして、餅を1個づつ食べたとしても、1日2万個。10日で20万個、30日で600万個、3ヶ月で1,800万個。毎日、餅を食べるわけでもないとして、半分でも3ヶ月間で900万個。こんな大量な餅を持ち込める訳では無いでしょう。
山や海から材料を集めたともありますが
赤丸印が天草四郎が立て籠もっている本丸。このように囲まれた中で、山や海から2万人もの材料を集められるのか?もちろん海には幕府軍の船がいます。山と言えば野草、海と言えば魚と海藻。はたして、2万人の人間の「栄養をとりながら」という事が可能なのか。
一揆の終盤になりますが、「島原日記」、一揆軍の生け捕りにされた者の言葉「・・・城内二兵糧無御御座候由申候」。又、「嶋原天草日記」には「・・・伊豆守・左門令而使割賊之腹、其腹中有青蒼之物、依粮末困乏而食麦葉歟」とあり、一揆軍の腹を割いたところ青蒼のものがあったので、麦の葉を食べていたことが分かります。
ということを読むと、一揆軍は餓死同様だった事がわかります。
嶋原・天草の乱については、まだまだ諸説あるようです。一揆に加わった者もキリシタン、関ヶ原の戦い後の浪人等々あるようですが、島原藩主松倉親子の圧政で追い詰められた農民の抵抗だったのが一番の原因だたと思います。
原城に籠もった一揆軍は山田右衛門(やまだえもさく)一人を残して、一人残らず殺されたと言われています。
餓死寸前まで原城に籠もり、最後まで圧政に対して戦った人々に対し、「・・・栄養を取りながら約3ヶ月間も戦った」という表現には、いささか疑問を持ちました。
(参考文献「原史料で綴る 天草島原の乱」「天草四郎と島原の乱」鶴田倉造編・著)
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