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2020年11月

2020年11月30日 (月)

「地球ゴマ」と「みんなのたのしい独楽」から日本の将来を憂う

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最近、昔の事をフト思い出すことが多く、どうしたワケか上の左の独楽のことを思い出しました。かすかに、小学生の時はやった覚えがあります。

確か「宇宙ゴマ」といっていた覚えもあるのですが、調べると「地球ゴマ」。最初に発売され、それの模倣版品、後発品もあったとか。多分、私が使ったのが後発の「宇宙ゴマ」だったのかもしれません。


ということで、久しぶりに手に入れようかと思ったら、お高い、お高い。いまジャイロスコープというのもありますが、本家の「タイガー商品」の物は、ネットオークション、Amazonでもとてもじゃないけど高い。で、探して見ると比較的安いのがあったので入手したら、Eタイプの一番小さな物でした。


ところが、回し方を忘れていて軸にひもを絡めていたら難しい。途中思い出して、軸を見ると穴があって写真のように絡めれば簡単。こんな小さな所にも回しやすくするため、チャンと気を使っているのですね。でも、この軸に小さな穴を空けるのは難しい。


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回り始めると、多少トリッキーな動きをしたり、軸に切れ目があるので、それを利用するとこんな芸当も。

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下は長野県諏訪諏訪地区で作られた独楽。「みんなのたのしい独楽」。諏訪地区は「東洋のスイス」と呼ばれ、精密製造業が盛んなところだそうです。現在、同様な物が各地でイロイロと作られています。

で、この小ささ。ところが上手く回すとよく回ります。大体3分、長い時は4分以上も回り、いわゆる「眠り独楽」の状態に入れば見事な物で、感動さえ覚え、心が落ち着いてきます。


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考えて見れば、この独楽、軸が少しでも曲がっている、左右のバランスが少しでも狂っていると、上手く回りません。技術力がどれだけ高いかが感じられます。

日本の工業力の高さは、このような技術力に支えられたといっても良いかもしれません。「下町ロケット」が心に響くのは、日本の技術を大事にする中小企業の心に皆が共感したのではないかと思います。


管首相のブレーンの一人、”アトキンソン”はこう言っています。「体力のない、中小企業は自然淘汰に任せてM&A(企業合併・買収)をどんどんやって業界編成を進めるべきだ」。


竹中平蔵曰く「正規雇用と言われるものは、ほとんど首を切れないんですよ」「首をきれない社員なんて雇えないんですよ普通」。


HONDAにせよソニーにせよ松下にせよ、あそこまで成長したのは中小企業時から創業者が「人を育てる」という経営理念を持ったからです。現在、創業者の理念は薄れているようですが・・・

アトキンソンと竹中平蔵は「頭の良いバカです」。朝テレで竹中平蔵はこう言っていたそうです「医療崩壊というが400人(正確な人数は忘れました)の重傷者で医療崩壊が起こるわけは無い」これに専門医が答えて「重傷者、特にECMOを使う場合には一人の患者に10名の医療従事者がいります」。もちろん、通常の医療もしなければいけません。

「頭の良いバカ」とは、理論、理屈ばかりで現状を知らない人のことです。

まったく、このような人間が政府のアドバイザーだか顧問だかは知りませんが入っているとは、日本の将来は暗澹たるものです。コマの回る姿を見ながら、このような事も頭の中をかすめました。

コマは面白いので、皆さんも一つお買い求めの上、楽しんで下さい。なお、地球ゴマの事はWikipediaをご覧下さい。

 

2020年11月28日 (土)

2020年 橘神社「大門松」造り

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11月22日に「大門松建方安全祈願祭」があり、同日より大門松造りが始まり、この日は「土台作り」。下の左の写真です。

今日行って見たら竹が準備されていました。最初の頃は、町内の山の竹を切ってきて調達していたのですが、これだけ大きな竹は揃うことができなく、県外の竹を利用しています。竹も厚さが薄いと割れるという事で、肉厚の竹を準備・・・


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・・・はしているのですが、はやり薄い竹もあり、また少し曲がった竹もありということで、「小」は薄い竹、「曲・マ」は曲がった竹、これは神社境内にも門松を作るので、それに使うとのこと。

門松造りは12月27日まで続き、作るのはボランティアさんで働いている方もいるので、作業は日曜日(予備日は土曜日)です。


竹選別・竹入れ込み、竹カット・形作り、大ヒノキ入れ込み、ヒノキ入れ込み・仕上げ、総仕上げと作業をし、12月27日13時から竣工祭があります。


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下の凧は今年初登場。製作が福祉の里。凧の竹ひごは、昨年の大門松の孟宗竹をつかっているそうです。小さな子供さんがいる方は、喜びますよ。大空に舞い上がる凧は運気を運んでくれます。

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今年はコロナの影響を世界中が受けました。橘神社の正月関係の行事も影響を受けました。正月関係の行事は下の予定だそうです。

12月31日(木)年迎え禊 カウントダウン・新春コンサート 中止
1月 1日(金)橘ぜんざい振舞い 中止
1月 7日(木)七草粥振舞い 未定・協議中
1月11日(月)鏡開き餅振舞い 10時頃~ 境内にて
1月20日(水)橘樹神社大寒禊 6時~ 一般参加は中止 橘神社禊会・県内神職にて疫病退散を祈願、斎生。
1月31日(日)大門松解体

少しばかり、寂しい正月になりそうですが、元気で新年を迎えたいものです。



2020年11月26日 (木)

「雲仙ゴルフ場」の池

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先日、雲仙の紅葉状況を紹介したとき、最後に絵葉書にあるゴルフ場の池を紹介しました。→こちらをクリック

実は、このゴルフ場の横を通り通勤すること4年。この池には気づかず、アレ、ここに池があったけと思い、気になったので、手持ちの絵葉書を見ると、結構池が写り込んでいるんですね。なにか書き込んだ様子のもあるのですが。


下の絵葉書の〇印、これならなんとなく納得。右の絵葉書はモロ写真ですから、修正のしようがなく、意外と小さく写っていますが、周囲をよく見ると水が溜まったあとがあり、雨上がりの後などもう少し水が溜まったと思われます。


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極めつけがこれで、多分ゴルフ場が作ったと思われる絵葉書、チャンと1コースの横に池が書いてあり、しかもコースの半分くらいの大きさ、ということは一番上の絵葉書に写り込んだ池も、まんざら嘘では無いなと。

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ゴルフ場には、わざと池などを作って人を困らせるコースがあるとか。私、ゴルフはしたことがありませんが「風の大地」などを読み、意外と知識だけはあるのです。沖田圭介、34歳と9ヶ月、現在、セント・アンドリュースで土砂降りの雨の中健闘をしております。ということで、こんな所に池があるのは、ゴルフには関係ない。ということくらいは私にも分かります。

考えると家からゴルフ場まで30分程度なので、見に行って確認した方が早いなと。で、行ってみるとゴルフ場の端っこの方にありました。ゴルフ塲には入れないので、外から写真を撮りましたが意外と奥行きが深い池でした。矢印は仁田峠に行く道路の昔の料金徴収所だったところ。


見た所、水が流れ入る所はなく、多分雨水が溜まったところかな?と思わせる感じでした。ですから、雨が降らないときは水が干上がって「空池」?


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なお、池の所を見ていくと写真のような溝があり、ゴルフコースから見ると、多分、池がここらまで来るので排水のためかな、という感じでした。

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以上のようなことから、絵葉書の池は、昔はまんざら嘘では無かったような。



2020年11月24日 (火)

小浜(雲仙市)海岸埋め立て工事写真~初公開

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以前にも紹介しましたが、昔の小浜温泉は辺鄙なところで、湯大夫の本多西男氏が自費を投じ、埋め立て工事を明治28年に着工、第2工事を明治38年に着工し明治43年完成しています。上の写真が埋め立て工事の写真です、時々、小浜の紹介に載せてあります。残念ながら年月が分かりません。

これを撮したのが地元の写真屋さんで、工事関係の写真で同じような風景を三枚撮っています。原版はガラスの乾板のネガですが保存が悪かったせいか、ひびで割れたり、カビが生えたりしています。下の写真は本邦初公開です。


上の写真と左の写真は波がひどい状態、工事の様子から同じ日に撮影されたものだと推察されます。右の写真は波も立って無く、工事の人もなく、潮の具合、写真を撮った位置も違っているので、他の日に撮った可能性もあります。


さて、右の写真を拡大して見ると3点ばかり気になりました。赤丸と緑の丸印。各写真はクリックすると拡大します。


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一番奥の赤丸印、拡大すると左の写真。右は「一角楼」を撮した絵葉書。屋根に一角楼のローマ字がかすかに見えます。明治22年に開業、現在「浜観ホテル」になっています。海岸線がきれいに整備されていますから、左の写真よりかなり時代が後になりますが、窓、屋根の形等々似ているような感じで、多分「一角楼」だと思われます。この建物は、別の2枚にも写り込んでいます。

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さて、手前の赤丸印ですが、真ん中の文字が「川」に見え、「川」が付く旅館といえば「柳川屋」。斎藤茂吉が泊まった宿屋さんと「小浜史談」には書いてありますが、「伊勢屋」に泊まったと書いたものもあります。

小浜温泉については「長崎県衛生公害研究所(現県保健研究センター?)」発行の「温泉誌」(昭和62年発行・「長崎県温泉誌」で検索すると読むことができます)に詳しく、昭和10年に「伊勢屋」「柳川屋」があるものの、その後は「柳川屋」記載がなし。


小浜の温泉宿の変遷については、まとまって書いたものが無く、旅館の買収等もあったみたいで、詳しくは現在調べているので、また後日。


昔の小浜温泉は右の写真に見られるように甕(かめ)みたいな所で入浴をしていました。


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ここで面白いのが青〇印の所。拡大すると下のような風景です。よく見ると皆さん裸です。横たわっている人も見えます。この場所は、まだ海水が入り込んでいます。こんな場所でパンツ脱いでこんな格好していると、今なら警察が飛んできますヨ。

考えられるのは、ここに温泉が湧いているのではないかということです。「温泉誌」に、小浜温泉について書いてある本などが紹介してあり、次のような文がみられます。

「(小浜は)孤立した温泉で満潮時には海水につかってしまう風変わりなものである。音もたてずに沸騰することもなく、石の地面から湧出て、そこから近くの温泉場に導かれる・・・」「・・・非常に奥深い源泉は時として高潮の間、海の水で浸される。源泉の湯は、露天に存在する石でできた三つの浴槽に引湯され、それはただ茅ぶきの小さな屋根で覆われているだけである。・・・」「・・・(小浜は)海湾二瀕(ひん)す泉は岩際及海中処々二湧出シ・・・」


という事で、この場所にお湯が湧出していたのではないかと思われます。なんとも、のんびりした風景。


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2020年11月21日 (土)

2020/11/20「三十路苑」の紅葉状況★雲仙市小浜町

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昨日(11月20日)より「三十路苑」が開園したので、行ってみました。

できたての頃は、もっと狭かったのですが、年々拡大し訪れる人も多くなってきました。平日、しかも午前中にもかかわらず結構な数のお客さん。

駐車場は六兵衛茶屋の所が分かりやすくて良いのですが、少し階段があって足が弱っているにはキツいかと。

他にも駐車場はあるのですが、入り口が少々分かりにくく、電灯は道沿いに設置してありますが、夜間は車の運転が苦手な方にツライかも、。一番安全なのは、やはり六兵衛茶屋のところですね。


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歳をとった方が多いかと思ったら、結構若い方もウロウロと。左は家族連れですが、お母さん、「深呼吸するのよ、鼻から大きく息を吸って・・・」「どうして?」「だって東京じゃ、排気ガスなんかがひどいでしょう。ここ、そんなものないから」と、東京からの旅行ですね。GoToトラベルの利用者かな?

竹と紅葉が良くマッチしています。右の所もよく写真に紹介されています。

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前の日は風が強く、雨も一時ひどかったので、かなりの紅葉が散っていました。

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皆さん良いカメラですね。少々お年の方でしたが、私のカメラの何十倍か(-_-)。右の池は紅葉の赤い色が映るとキレイなのですが、ここのあたりはまだ赤くなっていませんでした。写真撮影のスポット。

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以前は出店は無かったのですが・・・紅葉は右のように赤くなります。まだまだ、青い葉の紅葉があるので、これからもっと見ごたえがあるかと思います。なお、ライトアップもしているので、これも美しい風景が見られます(寒いけど)。

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2020年11月19日 (木)

どちらが本当・・・とネコちゃん

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先日より本の整理をしていたら、左の写真が本の間に入っていました。

古本で買った本の中に入っていた写真で、品行方正な私が買った覚えも無く、多分古本屋さんに本を売った方の写真かと・・・(^^;)


この写真は「7年目の浮気」の一場面で、地下鉄の通気口の上にマリリン・モンローが立ち、地下鉄の電車が通ったとき、風が通風口から吹き上がり、スカートがめくれ上がった場面です。


この写真には多くのパターンがあり、後ろにカメラマンがいるので映画の撮影では無く、スチール写真を撮っているところですね。


で、イロイロと調べてみると、下のようなレーコードのジャケットがありました。多分、輸入盤みたいで、アメリカで発売された物と思われます。明らかに左右が逆ですが、上の左の写真はブロマイド、下の写真はレコードのジャケットなので、ブロマイドは逆に焼き込んだな、とは思っものの、よく見ると後ろのカメラマン。左手でカメラを持っています。ということは、右手でシャッターを切っているということになります。もう一人のカメラマンも右手でシャッターを切っているのが分かります。ということは、右利きの人が多いのでブロマイドの方が正解で、レコードのジャケットが逆版。


古い絵葉書を集めていると、時々逆版のものを見ることがありますが、レコードのジャケットに左右反対のものを載せるとは、アメリカ人はザッとしているというか、おおらかというか・・・


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今日、お伺いした家のネコちゃんです。お歳は17歳で人間でいえば80歳くらいだそうです。見事なヒゲ、元首相村山富市さんを思わせる眉毛。鼻から口にかけての白いところ、逆ハートです。逆さまに見ればハート印が分かります。眼光鋭く、貫禄さえ漂っていました。

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2020年11月17日 (火)

「中華アンプ」恐るべし

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しばらく使ってなかった、オーディオに電源をいれたら、CDプレーヤーが壊れていました。

以前、買っていたオーディオについては→こちらをクリック。まだ、お歳では無いのですが、ものには個体差で寿命があるようで、また、買った所が大阪の家電屋さんなので、修理にだすのも面倒臭く、新しいものでもと思いネットをしらべていたら・・・「中華アンプ」なるものがあるんですね。「中華鍋」ではありません、「中華アンプ」です。


YouTubeをみると意外に多くアップされ、音質も良さそうでした。これ、アンプですがiPhoneにBluetoothに繋いで音出しもできるとか、これなら、いちいちCDプレーヤーの所にいってCDを入れて音量の調整もしないですむなと。とにかく歳とると立ち上がるのもおっくうです。しかも、お値段「3,777円」。嘘かと思って何回もみましたが「3,777円」。とにかく、騙された気分でお取り寄せしました。


着いたことは着いたのですが、箱にはメーカー名も何もなし。


一応広げたら、本体、スピーカーコード、電源などもちゃんと入っておりました。同時に、今、だれで使っているらしく「バナナプラグ」8個で760円也を購入。


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メーカー名は本体の上には無し。裏側に、ハイファイアンプとかミニダンプとか書いてありました。会社の名前は分かりません。あとで探すと、これとまったく同じものがありましたが、横流しかな?

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小さいとは聞いていたのですが、ほんとうに小さい。CDの上に載せても、それよりも小さく、以前のアンプの上に置いても「お前大丈夫かい」という感じ。思わず「存在の耐えられない軽さ」という映画の題名を思い出しました。

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後ろ側ですが、いたってシンプルでスピーカー端子、ライン端子、電源端子。バナナプラブを使ってスピーカーに繋ぎましたが、これ便利ですね。

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で、iPhoneからBluetoothで音を飛ばしてみると、鳴ることは鳴るが何か変。雑音が入っていて、買うのを失敗したか!とは思ったのですが、左スピーカーはちゃんと音がでて、右のスピーカーから雑音が出ていたので、配線の接触不良か、虫でも入ったかと思って分解したら、ツイッターが箱と接触する部分の緩衝材らしき所、ここが少し浮いていて、接着剤を探したら無かったので米粒で貼り直したら、これが大正解。おまけに米粒で貼ったので和風の音に変化。

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AUX端子が付いていたので、DVD・CDプレイヤーのイヤホーン端子に繋いでみたら、これが又いい音。あと、USB端子とTFカード端子も付いているので、いずれ試してみます。

さて、iPhoneに音楽をいれるのにiTunesを使いますが、これが面倒なので、IーO DATAから出ている「CDレコ5」なるものを買ってみました。iPhoneとCDレコ5をWi-Fiで繋ぎCDを入れるとiPhoneに音楽が取り込まれます(設定はいります)。Wi-Fi繋ぎだから線は不要で使いやすい。


ただ、APPが必要ですが、これはApple Appで入手できます。ロハです。ただ、このAPPの「評価とレビュー」を読むと評判の悪いこと。ですが、使って二日目、そんなに不都合は無くという状況です。先は分かりませんが。


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YouTubeでこのアンプのテストをしていますが、皆さん、〇百万のスピーカーとかアンプを使ってますが、アホですね、軽自動車に4トントラックの荷物を載せてどうするんですか。大体皆さんの中で何百万のスピーカーを持っていますか?

このアンプは、ごく家庭用のつつましやかなスピーカーが似合っていると思います。とはいっても、昨日から、耳になじんでいる曲を聞き続けています。歌謡曲、Jポップ、クラッシック、jazz、シャンソン、ハワイアン、ギター曲、唱名、ご詠歌。若干の不満はありますが、結構いい音で鳴ります。いま、バッハのカンタータ-を聞いていますが、お~!お前がんばっているな、という感じです。

「中華アンプ」については各種評価がありますが、3,777円でこの音が聞けるとは、「中華アンプ」恐るべし、です。


なお、この「中華アンプ」には管球式のものもあり、管球式は憧れも
あり、お値段も安いので、いつか替えてみようと思っています。購入を考えておられる方は、YouTubeで沢山の映像が流れているので参考にしてみて下さい。購入は自己責任で・・・


2020年11月14日 (土)

「未来のサイズ」★俵万智著~オジ(イ)チャンは悲しい

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空の青海のあおさのその間(あわい)サーフボードの君を見つめる(サラダ記念日)
沖に出て小さきカヌーとなりながら手を振るものを若者と呼ぶ(未来のサイズ)

一番上の句は、1987年発行の第一歌集”サラダ記念日”より。俵万智さんは1962年生まれですから、25歳の時の短歌集といっても、25歳の作ったというのではなく、25歳までに書きためていた短歌の中から選んだものです。

下の句は今度出版した第六歌集”未来のサイズ”。2013年~2020年までの短歌だそうです。俵万智さんは今年57歳。上の歌と下の歌では32年の年月が流れています。この間、2006年仙台市に移住、2011年の東日本大震災により石垣島に移住、2016年に宮崎市に移住。2003年(41歳の時)に出産をしています。


上の句と下の句、両方比べれば沖を見ながらも片方は恋人を見つめる目。もう片方は少し一般的な目のような感じ。はやり、32年の歳月があるようです。


サラダ記念日を読んだときは、その新鮮さに目を見張りました。短歌、俳句といえば年寄りの趣味かと思っていたら「カンチューハイ」「サラダ記念日」などの言葉が入って、エ~~!(T_T)という思いでした。


今読み返してみると、下の句など、若い感覚の中にも男性に頼りたいという若い女性の心がにじみ出ているようです。


「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの(サラダ記念日)

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(同)
また電話しろと言って受話器を置く君に今すぐ電話をしたい(同)
「また電話しろよ」「待っていろよ」いつもいつも命令形で愛を言う君(同)
真夜中に吾を思い出す人のあることの幸せ受話器をとりぬ(同)

第三歌集の「チョコレート革命」。35歳の時の歌集。同じ恋の歌でも、若いときの恋歌とは違っています。随分濃密な短歌になりますが、後書きで恋の歌は「ほんとうにあったんですか」について次のように書いています。


・・・確かに「ほんとう」と言えるのは、私の心が感じたという部分に限られる。その「ほんとう」を伝えるための「うそ」は、とことんつく、短歌は、事実(できごと)を記す日記ではなく、真実(こころ)を届ける手紙で、ありたい。/人を想って揺れる心は、これからも私にとって、大きなテーマだ。恋の歌は、大きなテーマだ。恋の歌は、死ぬまで詠み続けたい。


幾千の眠りを覚まされて発芽してゆく我の肉体(チョコレート革命)

午前四時夢のつづきを抱き合えば濃くなる我の輪郭(同)
抱かれることからはじまる一日は泳ぎ疲れた海に似ている(同)
別れたるのちに覚えしカクテルを選んでおりぬ再開の夜(同)

すみません、突如別の話ですが、最後の短歌読んで思い出すんですね。私の好きな、グラシェラ・スサーナの「古い友達」。「別れて覚えた 慰めの煙草」ってところ。関係ないことでスイマセンm(_ _)m。


第四歌集の「プーさんの鼻」。43歳の時の歌集。このとき、身ごもっている時から子供が赤ちゃんの時の歌。はじけるような明るさ、うれしさがヒシヒシと感じられます。


耳はもう聞こえていると言いわれればドレミの歌をうたってやりぬ(プーさんの鼻)

生きるとは手をのばすこと幼子(おさなご)の指がプーさんの鼻をつかめり(同)
バンザイの姿勢で眠りいる子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ(同)

そして今回の第六歌集。「未来のサイズ」。57歳です。子供も大きくなっているようで・・・


子を産みて仙台・石垣・宮崎と慌ただしかり我が十年(未来のサイズ)

理系文系迷う息子が半日を「星の王子さま」読んでおり(同)
不条理とは何かと問われ子に渡す石牟道子『苦海浄土』を(同)
つまらない母親役をやっており髪染めたいと言いつのる子に(同)
生き生きと息子は短歌詠んでおりたとえおかんが俵万智でも(同)

もちろん、恋歌もありますが、パラパラとページをめくっていくと、子供の歌が多く受けられます。


さて、ですね以下のような短歌がありました。


プレミアムモルツ飲みたくなるような病名を聞く初夏の病院(未来のサイズ)

わかりやすい老化と思うことにした「ゆっくり進む病」(同)
封をした検査結果をふところに運び屋のごとく戻る病院(同)
誰だって何かで死ぬと思えども死よりも病を恐れる心(同)

俵万智さん、いままで”死”とか”病気”の歌は作らなかった気がするのですが、57歳と言えば、まだまだ若いですよ。老人クラブにはまだ入れてくれません。「死」とか「病気」とか「病院」は、お爺さんお婆さんが作る歌ですよ。俵万智さんの、このような歌を読むとオ(イ)ジサンはなぜか悲しい。ヒョッとしたら、なにかの病気ではという感じもあります。


俵万智さんは「チョコレート語訳 みだれ髪」という、与謝野晶子の短歌を訳した作品もあるじゃないですか。


柔肌の熱き血潮に触もみで悲しからずや道を説く君(与謝野晶子)

俵万智さんには、素晴らしい恋歌を作ってもらいたいものです。偉そうに書きましたが、実は私、上の四冊しか読んだこと無いのですが・・・





2020年11月12日 (木)

ポテトチップスのお名前など・・・

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痩せるためにポテチは止めたのですが、知らない間に買って来ました。食べたいという潜在意識が、無意識に買うという行動に結びついたのだと・・・

最近、コンビニに行って面白いのがポテチ。各社入り乱れ、という感じで新発売。小池屋さんから「じゃがいも心地 ブランド芋くらべ」ということで、「サッシー」「スノーマーチ」「きたかむい」という三種類が出ていました。


ネーミングは難しく、子供の名前をつけるのもそうです。「読みやすく覚えやすくて感じよく平凡すぎぬ名」「とりかえしつなかいことの第一歩、名付ければその名になるおまえ」(俵万智・プーさんの鼻より)。


一時、キラキラネームなるものがはやり、「男(あだむ)」「心姫(はあと)」「桃花(ぴんく)」等々とありましたが、どうなんでしょう?私の知っている方に、かなりの年配でしたが「千鶴」という方がいました、男性の方で「ちかく」と読みます。「いつも入学の時は、女子の名簿に入れられていて困ったよ」と言われていましたが。


商品の名前も付け方は難しいですね。上の「サッシー」とか、「スノーマーチ」とか、「きたかむい」とかは、ポテチにつけた新しい名前かと思ったら、実際のジャガイモの品種の名前です。


ジャガイモの名前で一番有名なのが「男爵」。こちらで有名で、よく作られているのが「デジマ」「メイクイーン」。


「サッシー」(サッチーではありません)、北海道JAびほろ産、「食感ホクッと、風味豊かな品種」「黒こしょう塩/厚切りカットのほくほく感」。


「スノーマーチ」、北海道JAきたみらい産、「あっさり味で、なめらかな品種」「平釜の塩/厚切りカットのほくほく感」。


「きたかむい」。白土三平さんの漫画に「カムイ伝」がありました。「きたかむい」、なんとなくかっこいい名前。北海道JAようてい産、
「野菜だし塩/厚切りカットのほくほく感」。

味付けは、それぞれジャガイモの品質にあったものかな?


写真の一番前にあるのが「ノースカラーズ」さんのですが、袋に「環境を考えた袋です」と書いてあり「フィルム・インクの一部が植物性由来の素材です。」とあります。この製品は調味料(アミノ酸)、人工甘味料・合成甘味料・合成保存料・着色料・香料を一切使わず、原材料のすべてが国産だそうです。こんなポテチもあるんですね。


「ポッキー」、忘れるところでした。「魔法のPRETZ」と書いてあるので買ってきましたが、このポッキーと「旨サラダ」のポッキーを同時に食べると「パイシチュー味」、「熟トマト」のポッキーを同時に食べると「トマトクリーム味」、「香りロースト」のポッキーを同時に食べると「パンケーキ風」になるそうです。明日は、本当かどうか買ってくるつもりです。


ポテチの名前ですが「男爵」とか「メイクイーン」とか「農林1号」などというのも、レトロっぽくって良いんじゃないの、とは思うのですが・・・懐古趣味か・・・


ポテチを食べながら、ブログを書きましたが、完食したので今日はおしまい。又、太るな(^^;)。


2020年11月10日 (火)

~交通法規は守りましょう!~

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歳を取ったせいか、また、先日高齢者交通講習会を受けたせいか、運転が慎重になってきました。

昔は多少飛ばしました。ミニバイクで速度50㎞で走っていると、後ろのパトカーから「前の原動機付き自転車、止まりなさい」などともいわれ、その後、自動二輪に乗り多少乱暴な運転をしましたが、不思議な事にこの時は一回も捕まりませんでした。


自動車に乗り換え、これは、スピード違反で結構捕まりました。現在はゴールド免許保持です。


先日、車で出かけ、黄色信号だったのでキチンと止まりました。もちろん、右と左からの車は青信号なので進行。


なんとなく、殺気がするので後ろを見たら、白バイが2台来て私の車の横に停車。


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ところが、赤信号にもかかわらず、白バイが走り出し、なんだろうと思ったら、右の写真の丸印の車が何か違反をしたらしく・・・

ここの信号は多少せからしく、道路に沿って右の方に鉄道が通っています。右から交差点に進入するには、線路の所で一時停止。線路を
通ったところで、青信号ならそのまま進入。赤なら一時停止。線路から信号の停止線まで2,3台入れるかどうか。また、線路の所に駅があり、下手すると遮断機が下ります。駅で下車、乗車する方がいるので、多少時間がかかります。

ということで、この車、少しあせっていたのでしょう。信号機の色が変わるタイミングと、白バイが発進したタイミングを考えると、信号無視では無く、線路の一時不停止だと思われます。


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あとはお決まり通り確保されました。

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取り締まりはねずみ取りだけでは無く、イロイロな状況があり、この場合はまったく思わない状況で、十秒早いか遅いかで、まったく違った展開になったとは思います。が、大切なのは、キチンと交通法規を守ることです。「運が悪かった」という問題ではありません。安全の問題です。私も昔よく捕まったので、偉そうにはいわれませんが(-_-)。

なお、「一時停止」ですが、私の知人が一時停止の所でブレーキを踏んで止まったところ、警察官が出てきて「一時不停止です」、「ブレーキ踏んだよ!」、「一時停止とは、自動車の車が停まった状態です、あなたの自動車の車は動いていました」ということでした。なお、一時停止線を車が踏んでいたり、車体がでたりしていても「一時不停止」になるのでご注意を。  



2020年11月 8日 (日)

令和2年「天満宮のしめ縄作り」

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正月を前に、自治会にある天満宮のしめ縄の張り替え。

この天満宮は「千々石ミゲル」の父が戦に敗れ亡くなるとき、平和を願い天満宮を作るように言い残し、後年建てられたという謂われがある神社です。

集まったメンバーが15名程度。

千歯こき。稲の穂を歯と歯の間に入れ、引っこ抜いて、籾粒を落とします。脱穀ですね。すでに脱穀は終わっている稲穂ですが、しめ縄に使うため、念のため千歯こきを使っています。鉄で作ったものもありますが、これは全部木で作ってあり、手作りですね。

この藁を柔らかくするため、道路工事用のローラーを使って・・・昔は「お父は土間で、藁打ち仕事・・・」とやっていましたが(私は見たことがありません。カミサンはガチ見ています。)・・・この歌、学校では教えていないので、知らない方は多いと思いますが・・・


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皆で右のように藁を作って行きます。これを、しめ縄を作るとき、差し込んでいきます。

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しめ縄にぶら下げる飾り物。右の写真の矢印は「はみきり」。牛や馬の餌の藁を小さく切るためのものですが、「押し切り」とも言っているみたいです。現在、農家でも牛や馬を飼っているところは無く、良くとっていたものです。ザックリと切れます。指など入れていると大変ですヨ。下の方を揃えます。

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いよいよ本番。しめ縄を巻いていきます。が、毎年のごとく、手順の確認。以前、手順を間違え、巻き終わったしめ縄の手を離した途端、バラッとほどけたそうです。

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巻いた後は、藁が飛び出ていますから切り取ります。散髪ですね。

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鳥居が二つありますから、2ヵ所へ取り付け。一年も経つと下へ垂れるので、少し上の方へと取り付け。で、完成。一番上の記念写真。

ところがですね、去年の写真と見比べれば、なんか変。よく見るとしめ縄につける、紙のピラピラ「紙垂」が無い。皆さん忘れていたのかな?


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帰りに「温泉神社」に寄ってみると、こちらも新しいしめ縄でした。本来、秋の大祭の担当地区が作るのですが、今年は祭りがコロナで中止になり、神社の総代さんを中心に作ったそうです。

鳥居の所に自動車が入っていたので、神様に無礼ではないかと思ったら、自動車のお祓いでした。


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しめ縄作るとき、縄を右に巻いたり、左に巻いたりの違いがあるそうです。また、真ん中から巻いていく所、端の方から巻いていく所と違いがあるようです。ネットで、イロイロと流れているので、見ていくと面白いですよ。これで、新たな年を迎えられます。


2020年11月 6日 (金)

②「一切経の滝」と「稚児落しの滝」~雲仙二つの滝★稚児落しの滝編

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左の絵はがきは以前ブログに載せた写真。例によって、いつの頃の絵葉書かは分からなかったのですが、横浜に「絵葉書写真館」という所があり、そこをあせくっていたら(ネットで)、たまたま同じ絵葉書があって、幸いなことに上の方にスタンプが押してあり、「雲仙公園」「15.5.22(?)」「登(?)山記念」とあり絵葉書の説明は「長崎縣温泉公園稚児落の滝」とあるので、この絵葉書は明治44年~昭和9年の間に撮された写真です。

なお、この滝の歴史については以前書いているので、それを参考に→こちらをクリック


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写真の下の方の石に注意をすると、全部の写真にこの石が共通して見られます。

上の左の写真は「(雲仙の名勝)傳説に悲しき稚児落の滝」(英文の説明も有り)の説明あり。右の写真は「(雲仙)稚児落しの滝」の説明。あとは英文の説明。この2点については年代不明。


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左の写真は「(雲仙公園の名勝)傳説悲しき稚児落の瀧」、下の方に「(日本八景)C」の説明有り。日本八景に選ばれたのが昭和2年ですから、この後だということは分かりますが・・・

右の写真は「國立公園 雲仙 稚児落しの瀧の美観」。ありがたいことに裏に「昭和26年6月9日 雲仙岳登山記念」とあります。ただ、国立公園に制定されたのが昭和9年、写真の説明が、左から右書きと、「国」が「國」ということを考えれば戦前に作られた絵葉書だとも考えられます。


私がここを訪れたのは20年くらい前だったと思います。千々石から雲仙にいたる道の途中、「稚児落しの滝」という小さな案内版があったので、そこから入っていきましたが、あまり良い道ではなく、滝かな?と思う所はありましたが、写真のように水が流れ落ちるという風景ではありませんでした。


考えて見れば、ここは雲仙の別所に「加持川」(別所には700の僧房があり修行をしていた所で「加持祈祷」の「加持」と関係があります、多分)を堰き止めて「別所ダム」が作られています。竣工が1968年(昭和42)ですから、それ以降は満水時以外はあまり水が流れていなかったのだと思います、ですがね、近年、ここの写真が何枚かネットで見られ、あまり年月日は分からないのですが、その中に2010年の写真があり、これ結構水が流れ落ちています。→こちらをクリック

滝は雨の状態、放流等によって流れ落ちる風景が変りますが、こんなに流れているとは思いませんでした。

なお、上の写真を見ると女性の方、子供まで普通の服装で写っています。足元を見ても、ごく普通の靴。だということは、この頃は誰でも気軽に入れた所だと思われます。


このあたり、近年、道が拡張され、そのとき通りかかったら「立ち入り禁止」の札がありましたが、現在は案内表示、立ち入り禁止の札も無く、ガードレールに塞がれているようでした。歴史がある滝なので、整備をしたらどうなのかとは思いますが、以前のような滝があるのかどうかは不明です・・・危険な状態みたいなので、皆さんは立ち入らないように。


【追加】

この滝については「白雀」という謡曲があり、今まで埋もれていたのですが、平成27年島原城天守閣50周年記念の時、謡が復曲され披露されています。

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2020年11月 4日 (水)

①「一切経の滝」と「稚児落としの滝」~雲仙二つの滝★一切経の滝編

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雲仙には二つの滝があります。「一切経の滝」と「稚児落としの滝」。


この滝の事を書こうかと思っていたら、二つとも以前紹介したことがあるんですね。歳取ると、忘れることが多くて。で、やめようかと思ったのですが、古い絵葉書が手に入り、紹介方々。なお以前の記事は→こちらをクリック。詳しくは、こちらに書いているので参照してください。

上が雲仙の旅館街と付近の地図になります。大正13年に発行された、「温泉を繞(めぐ)りて★杉村廣太郞著」なので大正13年の雲仙の様子がよく分かります。クリックするとキレイに大きく見えます。

左の矢印が「稚児落としの滝」、右の矢印が「一切経の滝」、真ん中の大きな円が地獄と旅館がある所。


今回入手した絵葉書が下の2点。左は「大日本国立公園」の文字があるので、国立公園に制定されたのが昭和9年ですからそれ以降の風景。右は「長崎温泉(うんぜん)公園の瀧」とあり、長崎県立温泉公園は、明治44年に開設で昭和9年から国立公園ですから、この間の風景。


左の写真を見ると、いかにも「立派な滝!」と思いがちですが、右の写真、赤丸印の所に人が写っているので、滝の大きさが分かると思います。特に滝の右側の岩。特徴があるので一緒の滝だということが分かります。


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左の絵葉書、右が「稚児落としの滝」。左が今回紹介している「一切経の滝」。二つ並べているのは、なんとも珍しい。右の写真は前にも紹介しましたが、外人さんが滝の所を締め切ってプールにして遊んでいるところ(「雲仙お山の情報館」提供)。

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一切経の滝、稚児落としの滝は本、ネットなどで紹介され有名なのですが、千々石の方と話していると「稚児落としの滝はナンね」とか、「行ったことはナか」などと言われる方が多いみたいです。稚児落としの滝は、古い絵葉書が意外と多く残されています。残念ながら現在行くことができないので、次回、絵葉書でお楽しみを。



2020年11月 2日 (月)

「鼠島(海水浴場)」~鼠島の思い出など&西郷四郎

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上の絵葉書を入手した頃、ご縁があったのか、田栗奎氏が書かれた「長崎遊泳協会六十五年誌ー鼠島年代記ー」(長崎遊泳協会記念誌編纂委員会)という本を読むことができました。出版が昭和四十三年になっているので、50年近く前の本になります。下の3点の写真は、この本より転写したものです。

上の写真は長崎港から汽船に引かれて鼠島に着いた「団平船」。思いもかけず、この絵葉書を手に入れましたが「8.7.28」の消印があるので、多分昭和8年の事かと思われます。私たちの時は確かポンポン船だった気がするのですが。


長崎で年配の方は覚えているかと思います。といっても、私は小学校の4年~5年生の時に行ったばかりですが。なにせ、半世紀ばかり昔のことで、おぼろげな記憶ですが・・・

学校の生徒は木札(定期券)を買って通っていました。鼠島には2ヵ所泳ぐところがあって、片方は一般客、もう片方が長崎遊泳協会が子供たちに水泳を教えていました。

上の写真の水着をつけている子供がかぶっている水泳帽子、各々違っています。確か段級があって、帽子で区別をしていました。木札を持った子供は長崎遊泳協会の場所で水泳を習わなければならなかったのですが・・・教え方が厳しく、私は悪い子なので、一般客のところで遊んでいました。時々、見回りが来るので、水泳帽子は海水パンツの中に隠していました。


ウチのオヤジもここで水泳を習って、メチャ高段でした。戦時中、ビルマに派遣され上陸寸前、乗っている船が魚雷に当たり沈没して一晩海の中を漂っていたそうですが、無事だったのは、ここで習った水泳が役にたったのだと思います。


で、私は遊んでばかりいたので未だもって、まったく泳げません。大人になってスイミングスクールに通ったのですが、顛末は以前書いたので→こちらをクリック。もっとも、あのスイミングスクールも潰れていました。


鼠島の一番の思い出は、この本にも書いてある”ハジキ豆”のことで、布の袋の中にハジキ豆を入れて泳いでいると、豆がだんだんふやけて柔らかくなり、ちょうど良い塩加減になり美味しくいただけました。あと、イベントがあって、大名行列、御神輿かつぎ、兜を着けての泳ぎ、立ち泳ぎをしながら大きな板に書を書いたり、沖の小舟に棹を立て、その上に日の丸の扇を付け立ち泳ぎをしながら矢で射貫く。那須与一ですね。那須与一のようには当たりませんでしたが・・・


下の写真が鼠島。現在は埋め立てられているそうですが、一部浜辺が残っているそうです。


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下の写真は明治42年の写真。真ん中の髪の長い方が主任師範の町野晋吉氏だそうですが、すごいオーラ。回りの青年達のバキバキした体、羨ましい~。

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下の写真の矢印が「西郷四郎」。小柄(身長153㎝~158㎝の説)だとは聞いていたのですが、こうしてみると確かに小柄。この体で、講道館の四天王とは信じられません。最近は「西郷四郎って知ってる?」と聞いても「誰よそれ」などと言う方が多く、悲しい思いをしていますが「姿三四郎のモデル!」を言うと「あ~」となんとなく、分かったような・・・

西郷四郎は長崎遊泳協会の設立に関わっていたとは知っていたのですが、柔道家がなんでと?とは思っていたのですが、本を読んで分かりました。


明治35年7月15日の東洋日の出新聞に「鼠島も一昨日は日曜のこととて百四、五十人は集まりたれども一度も水には入らず、ウロつきいるハイカラ多く、何のために拾銭投げ出して小蒸気の煤煙をかぶりながらやって来のか更に判らず、もっとも設備の皆無のためもあるべく、端舟一隻だに用意なきは危急の場合にドーする量見にゃー」と載ったそうです。


明治38年に「瓊浦遊泳協会(後の長崎遊泳協会)設立趣意」が出され、主唱者は、東洋日の出新聞社長の鈴木天眼。役員の主だった人が発起人として名を連ねたそうですが、顧問が長崎県知事荒川義太郞。理事として、東洋日の出新聞社西郷四郎の名前も入っています。なお、庶務を同新聞社員4名が担当をしています。


ということで、長崎遊泳協会設立には”東洋日の出新聞”が大きく関わって、西郷四郎は社員ですから一翼をになっていたことが判ります。なお、社員の中でも理事は西郷四郎だけですから、新聞社の中でも重鎮だっと思われます。


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鼠島の海水浴場は昭和47年に閉鎖になりました。

西郷四郎については、私のブログでも書いていますのでご覧下さい。なお、鼠島、長崎遊泳協会の詳しい歴史については「長崎遊泳協会」のホームページをご覧下さい。→こちらをクリック

3枚の写真は「長崎遊泳協会六十五年誌」より。


 

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