「先用後利」~志の輔落語VS北日本新聞社
最近YouTubeで落語を聞くのが日課になっており、先日、志の輔さんの「先用後利」を聞きました。
よくできた落語で、最初古典落語かと思ったのですが、志の輔さんの故郷・富山県愛から作った新作です。前半がお笑い、後半が人情話的な噺です。
富山といえば私たちの時代では「置き薬」屋さん。家に薬を置き、半年くらいで再び来て使った薬の精算をし、古い薬は交換します。この時、紙風船を置いていきますが、これが楽しみでした。
志の輔さんの落語。時は江戸時代、まだ「置き薬」が知られていない頃。紙屋さんの支店の番頭さんが留守の時、富山の置き薬屋さんが来て薬を置いていきます。
丁稚さんから、半年後に来て料金は使っただけの薬の代金を払う、古い薬は入れ替える、という話を聞いて、「おかしいじゃないか、そんな商売はない!」と丁稚を叱りつけます。番頭さん、どこがおかしいのかをコンコンと説明しますが、ここのところ面白く、考えて見れば確かに番頭さんの言うことが正しい。
半年後、富山から置き薬さんが訪れ、番頭さんがいきさつを聞くと・・・
富山藩二代目藩主・前田正甫(まさとし)公は体が弱く、特に腹が悪くいつも薬(反魂丹・はんごんたん)を持っていた。
時は元禄三年。三春(福島県)藩主・秋田河内守が江戸城内にて腹痛を訴え苦しみ、これを見た正甫公がいつも持っていた薬を与えたところ、腹痛が治まった。これを見ていた諸国の大名、我が藩でもこの薬を広げてもらいたいと。
その後、正甫公、皆を集めて反魂丹を国中に届けてもらいたい、ただ、売りに行くのでは無い。まずはお届けする、使っていただき、よく効く薬だと信用していただき、次に伺ったとき使った分だけの代金をいただく。先に用いてもらい、信用していただき、後からお金をいただく。お殿様は「先用後利」だといった。ということで、国中に薬を届けているという事なのです。
もう一つ、越中富山には立山信仰があり、一人でも多くの者を救った者は極楽浄土にいけるという信仰があり、この信仰とお殿様の教えを支えに国中を回っている。
というお話で、実に心を打つ話しではありました。で、北日本新聞社から出版された「先用後利」という本があったので、読んでみると、いろいろな史料から「反魂丹」が出てくるのは明治時代からで、上の話は疑いがあるということでした。が、「この伝説は県民の多くに信じられ、歴史上の揺るぎない事実のように受け止められている。」と言うことです。ネットを見ても、ほとんどが志の輔さんの噺と一緒です。ただ、事実は違っているようですが。
他に色々な歴史の絡みがあり、一口でいうと「いろいろあった」ということであります。詳しく知りたい方は「先用後利」をお読みください。
以下は近代の噺ですが、この富山の置き薬屋さん、薬を売るだけではなく、北海道の開拓者の所に行っては「・・・仏壇一つとっても僻地では、ミカン箱に祀っているところが多く、私らは真宗や禅宗の法話をしてあげたら、喜ばれましてね・・・」「・・・業者からのお礼としてよく民謡を披露しました。」こともあったそうです。
なお、富山の薬売りさんは兼業農家が多く、各地を回っているため農業の知識もあったようで「・・・(売薬さんは)牛耕を東北地方に広めただけではなく、県内に農業の知識を持ち込んだことが十分、考えられる」。「富山県は全国的にみて稲の品種が多い。『種もみを広めたのが売薬さんであったように、種の品種もあちらこちらから持ち込んだ』という農業関係者は多い。」。このように、薬売りさんは薬だけではなく、文化を伝える、また、農業の振興にも関わってことも見受けられます。その他、諸々の事も書いてありますが、キリがないので・・・
さて、かようなことから志の輔さんの噺がひっくり返されそうで、私としては本を読みながら戸惑ったのでありますが、まあ、噺、伝説は楽しみ、事実は事実として勉強すれば良いのだ、と割り切って考える事に。でも何か、志の輔さんカワイソウ(・_・、)。あ!志の輔さんの噺きいてネ。YouTubeでロハで聞けます。
(文の引用は、志の輔さんの落語「先用後利」、北日本新聞社「先用後利」より)
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