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2020年9月 2日 (水)

これが「一文銭(寛永通宝)」なのか

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古文書を勉強して3年ばかり、相変わらず全然読めず・・・予習復習をまったくしていないので当たり前ですが。古文書の中に、上のように

一 鶏卵 大       掛目 十三匁

一 同  中通例     同  十匁
一 同  ひよこ玉子 小 同  六匁三分
一 野鴨玉子     小 同  廿弐匁

などと書いてあり、なんとなく分かるのではありますが、では、どういう貨幣を使ってたのよ?というと、全然分からず古銭を少々集めてみました。

なお、大判・小判も買ってみようかと思ったのですが、カタログを見ると一番お高いのが「100,000,000円」。お安いのでも超10万以上というので止めました。紀伊國屋文左衛門のようにキャバクラに行ってばらまけばモテるだろうとは思っていたのですが。


で、ネットオークションで安いのを集めてみました。偽物も入っていますが。


P9021048

下が一番有名でお安い「寛永通宝(かんえいつうほう)」。一文銭です。銅、鉄で鋳造され、明治2年まで200年ばかり庶民の銭として使われ、日本各地で作られたそうです。

これを見ながら懐かしかったですね。今は靴のサイズを㎝で表しますが、昔は靴のサイズを「文」で表わしていました。一文銭が約2.4㎝。これが何枚並ぶかで、サイズを表わします。靴サイズ24㎝の方は10文になります。私が小さいときはまだ「文」で言っていた記憶があります。ジャイアント馬場の「16文キック」を思い出します。


銭形平次も一文銭を投げていました。落語の「時蕎麦」でも一文銭が登場します。「一(ひい)、二(ふう)、三(みい)、四(よう)、五(いつ)、六(むう)、七(なな)、八(やあ)、オヤジ何時(なんどき)だい・・・」
と。ご存じない方はYouTubeで「ジャイアント馬場」さんも「時蕎麦」も「銭形平次」も見られます。一文銭は庶民のお金です。

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なお、「寛永通宝」を見ていると少し大きく、重たいのがあり、アレ?と思って裏返したら、波の模様がありました。調べたら四文銭だそうです。

ちなみに、銭形平次と言えば大川橋蔵、八千草薫さんが有名ですが、北大路欣也さんも演じています。投げ銭を見たら波模様が入っていたので、北大路さんは四文銭を使っているのですね。もったいない。


Photo_20200902193403 Photo_20200902193601

他のをあせっていると、下のようなのが入っていて、よく見ると「宝永通宝」という銭で、宝永5年十文銭として鋳造され、裏面に「永久世用」とあり、左斜めの所「珍」の字が小さく刻印されています。

Photo_20200902193602 Photo_20200902193603

まだバリエーションがあるのですが、キリがないので・・・

古銭であまり程度が良いのでなけらば、まとめて千円もしないで手に入ります。実物を手に取って眺めれば楽しいですよ。




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コメント

私も昨年、加治木銭なる鐚銭を手に入れました。「びた一文」のびたの意味を知った次第です。オークション面白いですが、女房はガラクタが増えるのを嫌ってます。主さまの奥さまは何も言わないのですね。
ところで、主さまは郷土史にお詳しいので、関連した事についてご存じの範囲内でご意見を伺いたいのですが、よろしければコメント欄に書きこんでも構いませんか?

コメントありがとうございます。
カミサンついては、いずこも同じです。気にするとストレスが溜まるので、無視しています。
「郷土史」といっても、系統立てて調べているわけではなく、興味のあることだけを調べている状態です。
質問はいつでもどうぞ。ただ、こちらの知っていることが、地域的、時代的に偏っているので、答えられるかどうか不安ですが・・・

有難うございます。早速ですが、ネットで公開されている大村市史中世編に、「葦塚氏は有馬氏家臣で千々石城主であったが」(p 427)と記載されています。千々石の郷土史でも知られていることなのでしょうか?

系統的に調べておられるのか、話題として知りたいのかで返答の仕方が違いますが、ザックリ書くと、千々石には古文書がないので、国乗異聞、有馬家世譜、北肥戦記、島原半島史等々を調べたら、「葦塚氏」の記載はありません。もちろん、郷土史関係の本にも一切書いてありません。大体、千々石城主は有馬家の姻戚で「千々石氏」を名乗っています。
426ページに「宮原氏は有馬氏家臣森岳城主であった」との記載がありますが、森岳城は島原城のことで、森岳という所に築城したので、別名森岳城。初代城主は松倉氏です。
出典が437ページに書いてあるので、そちらから当たるのが良いでしょう。
なお、附録の資料に「大村家家臣系図」もあるので調べてください。千々石関係では「千々石清左衛門純員(ミゲル)系図」のみです。

>Boo太さん

>
>有難うございます。早速ですが、ネットで公開されている大村市史中世編に、「葦塚氏は有馬氏家臣で千々石城主であったが」(p 427)と記載されています。千々石の郷土史でも知られていることなのでしょうか?

ブログ主さま、千々石の方のお話を聞けて嬉しいです。個人の趣味ですが私は国乗遺聞などにも目を通しており、蘆塚氏関係者をマニアックに調べています。蘆塚忠右衛門は島原の乱で重要人物ですが、ご教示いただいた市史の付録他、蘆塚氏の正体は不明なのですね。大村の葦塚氏、千々石氏とも関連性がなさそうです。

私が調べた範囲では、薩摩藩に入っていた蘆塚氏他の男系は乱の後死罪となっていますで、やはり重要人物だったのでしょう。これまでに、久留米市城島町に地名蘆塚があること、諫早藩や越前丸岡藩にも蘆塚姓があること、島原ににも蘆塚姓が残っていること、などは確認しています。

この度は大変ありがとうございました。「エール」の女性の派手な着物や雲仙の格好いいバスなど面白く読みました。また質問させてください。

情報ありがとうございました。
また、何かありましたらよろしくお願いします。
芦塚氏のこと、調べて、何か分かりましたらこの欄にて書き込んでみます。

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