「島原藩下屋敷」のお隣さん
以前、島原藩江戸屋敷について三回ほど書きました。
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江戸絵図を見ながら二点ばかり、おや?っと思うことがあったので調べてみました。上の江戸図、矢印が島原藩下屋敷の場所です。各絵図はクリックすると大きくなります。
一つは島原藩下屋敷のお隣は誰なのよ、と言うことと、「下屋敷」は正式には「抱屋敷」ではなかったかの疑問です。
最初の方について、島原藩のザックリとした説明です。
島原半島周辺を有馬氏が押さえ、最初は日野江藩。「日野江城」と後年「島原・天草の一揆」の舞台となる「原城」がありました、現在の南島原市。
有馬晴信の時代、晴信は「岡本大八事件」で死罪。本来は一家断絶の所、晴信の子「直純」の妻が家康の養女であったためか、一時日野江城藩主を継ぐも、延岡藩へ転封、その後、子の清純の時代糸魚川に移封、その後越前丸岡藩へ移封(ここ、大事だから覚えておいてください)、明治まで続きます。
島原藩は一時幕府領となるも、松倉重政が藩主となり、子の勝家の悪政により「島原・天草の乱」勃発。勝家は切腹は許されず、大名として恥になる斬首刑。
次に高力家が二代、次に松平(深溝)家が五代、次に戸田家が二代、次に松平(深溝)家が戻ってきて明治まで続きます。
ということで、島原藩主として「有馬系」と「松平系」になります。
さて、江戸図の方ですが、実際の江戸図、復刻、国立国会図書館のデジタルコレクションをあせること数枚。
年代順に行くと、左が亨保年間左の矢印が「有馬トノモ」、右が「有馬左右門(?)」。右の図「松平トノモ」「有馬??」、「有馬??」については後で分かりましたが、これは後ほど。
寛政時代の図。「松平とのも」と、これ残念ながら読めませんが下の段「左」と「へ」は読めそうです。青の矢印は先日紹介した「千代ヶ崎」です。
天保時代の図。「松平とのも」「有馬???」。「???」の所、古文書専門の方に読んでもらったら「さへのえ」ではないかとのことでしたが、正確には分かりませんでした。
嘉永時代の図。「松平とのも」と「あり馬??」。「??」はまったく読めません。
と見ていって、面倒だから調べるの止めようかと思ったら2枚の図が手に入り、左の図「松平とのも」と「あり馬外吉」。もう片方が明和六年(1796)の図。「松平大和」「有馬大之進」。
ここを手がかりに調べると「松平家」は官職名「主殿守(とものもかみ)」がほとんどですが後期の初代松平藩主「松平忠恕」の官名が「主殿守、大和守、飛騨守」となっているので左の図は「大和守」の時代だったと思われます。
丸岡藩第四代目藩主が「有馬允純」。幼少名が「有馬外吉」。この殿様、生まれが1747年、藩主として跡を継いだのが1757年。わずか10歳の時と考えると、まだ幼少名を使っていたのかもしれません。
次が「有馬誉純」で幼少名「有馬大之進」。生まれが1769年、父の跡を継いだのがなんと1772年。何回計算しても「3歳」の時に家督を継いだことになり、父親と同じでまだ幼少名を使っていたのでしょう。
丸岡藩主の官名を見ると「左衛門守」が多いようです。「さえもん(ざえもん)」、律令時代は「さひょうえ」と言っていたようです。有馬晴信は「左衛門太夫」、直純は「左衛門太夫・左衛門佐」を使っています。
「有馬左右門」は「ありまさえもん」とも読め、「さへのえ」も「さひょうえ」ではないかと思います。発音は時代によって変わっているので、しかとは言えませんが。
忘れていました。上から二番目の左の「有馬??」は「有馬日向」ですね。第三代目「有馬孝純」の官職名が「日向守」。
上のような事から、下屋敷「島原藩主松平家」のお隣は「丸岡藩主有馬家」でした。
なんと、肥前島原の昔の藩主「有馬家」とその後の島原藩主「松平家」の藩主がお隣とは、話し合ったわけでは無いと思いますが・・・
なお、この地は以前書いたように江戸の名勝地でもあり、景色を眺めつつ、お隣同士酒を酌み交わし「その後の島原はどうでござる」など話している図を楽しく思い浮かべるのですが。
もう一点ですが、「抱屋敷」か「下屋敷」か。
島原藩主の事跡を書いた「深溝世紀」、寛永12年12月の所に「因老中板倉内膳正重矩、請買目黒長峰之地為別墅、報可」とあり、又、「新編武蔵野風土記稿」にも「松平主殿守抱屋敷当村中目黒上大崎三田等四村入會ノ土地ナリ」とあり、抱屋敷の気がするのですが地図では「●」がついており、これは「下屋敷」を表すのですが、私が「抱屋敷」と「下屋敷」の概念がはっきりしないので、これは今後の研究として・・・・
なお、本文は時代合わせ等をしていなくて間違いもあるかと思います。今日の所はこのへんで、長々とお付き合いありがとうございました<(_ _)>。
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