長崎県「小浜~雲仙」の登山道路~古写真より
雲仙に車で登る道路は増えましたが、主な道路は島原、千々石(以前は狭い道でしたが、拡張して使う人も多くなりました)、そして、小浜から登る道路があります。
一応、小浜道路の関係あるところを書けば、
・慶応 3年(1867)4月29日イギリス人二人、茂木・小浜を経て雲仙登山、小地獄にて逮捕され長崎へ護送。
・明治22年(1895)小浜~温泉(うんぜん・雲仙)間登山車道建設が始まる。
・明治43年(1910)千々石水力発電所が発電を開始。小浜の町の夜に美観を添える。
・明治44年(1911)温泉、日本初「県立温泉(うんぜん)公園」として発足。
温泉・小浜に電灯がともる。
英国人ジョン・フィンドレー氏、スチュードベイカー(車名)にて温泉(雲仙)にくる。
乗合自動車(5人乗り)も小浜~温泉(雲仙)間を走る。運賃一人20銭。
・大正11年(1922)小浜~温泉(雲仙)間にバス運行。
・大正15年(1026)小浜~温泉(雲仙)間の自動車道路が完成。
・昭和 9年(1934)雲仙が国立公園に指定。「温泉(うんぜん)公園」を「雲仙公園」に統一変更。
読んでみると、自動車道路が完成する前に、車は通っていたことが分かります。
上と下の絵葉書、似ているようで多少違いがあります。電柱の数、標識の内容。
上の写真より、電柱が増えています。家の形、ガードレールは一緒かな、という感じ。
標識を拡大したら、左は「Road to Unzen」のみ、右は「温泉公園」の文字が入っているので、明治44年以降だと分かります。 道路工事は明治22年に始まるので、一番上の写真は明治22年から、「県立温泉公園」に指定された明治44年の間かな、という気もするのですが・・・
右の写真、標柱の小さな看板の文字が全然分からす残念なのですが、縦に書かれた文字、多分「二十歳(才)以下の人は酒を飲んではなりません?????をお通り下さい」と読めるのですが、小浜は飲み屋さんが多かったので「二十歳以下の人は・・・」と書いたのかな?「????をお通り下さい」は、どこを通るのか気になるのですが・
下の写真は、明治2年発行の「雲仙」(雲仙岳後援會発行)からの写真で、小浜~雲仙間の道路です。今は立派な道路になっていますが、昭和の初めの姿は舗装もなかったということですね。
「雲仙お山の情報館」から提供していただいた写真です。時代は分かりませんが、戦後ですね。こんな洒落たバスもあったんですね。左はゴルフ場横。中の写真、真ん中の少し上に白っぽい所が見えますが、ゴルフ場と思われます。ということは、バスが走っているところは温泉街から仁田峠までの循環道路。右の写真は完全に循環道路。おっかない所を走っていたんですね。
このバス、もったいないですね。今、レトロ時代、このバス復活させたら、絶対に評判になると思うのですが。
以上、「雲仙お山の情報館」写真。「湯けむりの記憶(西暦2000年・平成12年記念)」(雲仙市ビジターセンター協議会発行)。「小浜史談」(小浜町史談編集委員会刊)を参考にしました。
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