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2020年8月15日 (土)

「島原の乱」と「京都遊廓島原」の希薄な関係&「コンビニぶらり!ラッキー3つ!!」

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以前より、島原・天草一揆の拠点「原城」の名前の由来・歴史を調べていたのですが、その折り、京都の遊廓「島原」の名前と島原の乱の「島原」とが関係あるというネットの情報があり、出典、根拠なども書いてなく、またネットデマかと思いつつも2冊ばかり本を読んでみました。

なお、こちら、島原・天草一揆の本場なので、数名の人にこの話をしても、知らないということでした。


「三大遊廓」。著者は”堀江宏樹”氏。作家・歴史エッセイスト。著書が「乙女の日本史」「乙女の日本史 文学篇」「女子のためのお江戸案内」等。


「地名で読む京の町(上)(下)」。著者は”守谷尅久”氏。主な経歴として、京都市史編纂所研究員、京都大学人文科研究所講師、京都市歴史資料館初代館長等。著作が「『花』が語る日本史」「京医師の歴史」「京都の祭り暦」「京都暮らしの大百科」等。


両氏が京都の「島原」について書いてある所だけ抜き書きします。


その前に、一応の歴史として、京都の遊郭は最初は天正17年、豊臣秀吉が認可して設けられ、場所は二条通りの寺町から柳馬場にかけて、二条柳町と呼ばれる。


二条城が築かれたため、二条通は大手筋と位置付けられ、遊郭が洛南の荒地六条通の新地町に移され、六条柳町・六条三筋町と呼ばれた遊郭で、「新屋敷」と呼ばれる。この地も東本願寺の寺内町で人口の密集のより再度の移転。


寛永17年、突如、洛北朱雀野への移転が命じられる。


森谷氏の書かれたものを抜粋しましたが、堀江氏の本では、もう少し内情が書かれています。なお、「突如、洛北朱雀野への移転が命じられる」がキーポイントになります。


堀江氏の本より・・・・・・

・・・板倉重宗(注:当時の京都所司代。なんと、島原・天草の乱で討ち死にした板倉重昌の兄。)によって指示された移転先は、京都の西端の「朱雀野」という、ずいぶんと鄙びた場所だったのです。さらにあまりに急な命令だったため、1641(寛永18)年の引越作業の騒動は、まるで「島原乱の如し」と話題になりました。
島原の正式地名は「西新屋敷」ですが、以降、島原遊郭と呼ばれるようになったのはこういう理由と経緯があったからです。

森谷氏の本より・・・・・・・

寛永17年(1640年:堀江氏の本では”寛永18年”)突如、洛北朱雀野への移転が命じられたのである。・・・・外周には土塀が設けられ・・・外界と隔絶されることになった。突如の移転命令による引っ越し騒ぎを、その数年前に勃発した島原の乱の混乱になぞらえて、「島原」と呼ぶようになったとか、堀に囲まれた新遊郭が島原城に似ていたからとも、たんに新地が島状になっていたからとも、命名の由来は例によって数説が伝えられている。

という事で、堀江氏は「島原・天草一揆」という説のみ、森谷氏は「・・・例によって数説が伝えられている。」と慎重な態度。多分、作家・エッセイストと学者という立場の違いでしょうが。大体の筋道は一緒です。

いずれの本も根拠、出典などが分からず、多分言い伝えなだけなのか、はっきりしないので「希薄な関係」にしました。

なお、遊郭の急な移転を命じたのが、島原・天草一揆で死んだ松倉重昌の兄重宗。この遊郭が「島原」と呼ばれるようになったというのには、なにか因縁めいたものを感じます。


森谷氏の本は「祇園 八坂神社ー栗飯にまつわる祇園祭、誹謗しあうおけらまつり・・・」など京都の各地についてのまじめな話です。


堀江氏の本は「遊女のヘアケア」「『つねる』と男は本気になる」「遊女が好んで用いた体〇」など面白い話が書いてあります。もちろん真面目なところもありますが・・・どちらの本を読むかは、自分の興味にあるほうを。


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今日、コンビニに行ったら、ラッキーなことが3つばかり。

「冷感マスク」については話ばかりで、こちら方面では実物は見たことがありませんでした。やっと、本物を手に入れることができました。一人一点だったので、明日、また買いに行く予定です。


「キリンレモン 無糖」が置いてありました。今年は、炭酸水が流行っているようですが、私も炭酸水を愛飲しています。以前より、キリンレモンの「無糖」が発売され、社長さんが自信をもって宣伝していたのですが、こちらではついぞ見かけることが無く、田舎では・・・と無念な思いをしていたのですが、やっと入荷していました。お味ですか?もったいなくて、まだ飲んでおりません。


「食べマス」が置いてありましたミニオンの「ボブ」さんですね。あと2種類あるとかで、また、明日行ってみます。


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これで、一週間は幸せに暮らせます。今日は本当にラッキーな日でした。

大事なことを書き忘れていました。九州の片隅で起こった島原・天草一揆の事が京都まで伝わっていたという事は、この一揆がいかに大事件だったのかが分かります。以前、八代市立博物館、南島原市で天草・島原の乱の展示会があり、図録の題が「天草・島原の乱 徳川幕府を震撼とさせた120日」でした。まさに、その通りだったのでしょう。



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コメント

面白い!
島原の由来は早乙女貢先生の本に、チラリと出てきたような出てきてない様な曖昧な記憶だけあります。
日々エウレカ!ですねー!!

コメントありがとうございます。
初めは、半信半疑だったのですが・・・まあ「諸説あります」の一つにしても面白いですね。
エウレカというより、資料あせりでチトしんどい。


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