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2020年7月 4日 (土)

二つの「千々石橋」~雲仙市千々石町

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某日、下の白黒の葉書を手に入れ、私、地場産ではないため、千々石生まれ、千々石育ちの、昔美人だったと思われる方に「これ、千々石橋?」と聞いたら「千々石橋は国道にある方でしょう」とのご返事。

上の写真、向こう側が国道にある橋。昔、雲仙鉄道が走っていた所です。手前の橋は、島原街道の道で、島原から田代原を通り千々石を通り森山町唐比に到る街道にかかっています。


一応、橋の名前を見てみると、上の国道の橋、「千々石橋」「竣工 昭和29年7月」。


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島原街道に架かる橋「千々石橋」「竣工 平成7年7月」。

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ということで、おかしいじゃありませんか。同じ町内に同じ橋の名前。

困るでしょう、「千々石橋の所で待っているよ」と約束をし、彼女が国道の橋、彼氏が旧街道の橋。すれ違いで「君の名は」(古いな~)の悲劇になるじゃないですか。もっとも、今は携帯があるので大丈夫でしょうが。私も、若いときに携帯があったら、もっと違う人生になっていたかなと、橋のたもとで思いました。

ということで、少し調べました。


下の左の写真は千々石町の”老人クラブ連合会”で作った「千々石町 懐かしいふるさと写真集」(平成4年刊)。説明には「大正12年 千々石橋渡り初め式(先頭は椿山家)」となっています。現在の橋は右の写真になり、架け替えたことは一目瞭然。


で、「千々石町郷土誌」(平成10年刊)によれば、「千々石橋」と「新千々石橋」の記載があり・・・


「千々石橋」、架設年月が昭和29年1月。即ち、国道に架かっている橋。

「新千々石橋」同じく平成7年8月(ママ)。街道に架かる橋。(多分、橋に書いてある7月が正解なのではないかと思うのですが・・・)。これでなんとなく納得?。

当然、「新千々石橋」が先に架かっているので「千々石橋」。国道筋が新しいので「新千々石橋」ではないかと思うのですが、理由は分かりません。


下の地図は「明治33年測図及び則図の縮尺昭和17年第2回修正則図及び及び修正則図の縮図同25年応急修正」です。

千々石橋あたりを拡大しました。


千々石町郷土誌には「大正12年温泉軽便鉄道(千々石~愛野)開通」。「大正15年 小浜鉄道(千々石~北村)開通」(ここら辺、多少の疑問あり)。となっており、温泉軽便鉄道の千々石駅は国道の「千々石橋」の愛野寄りにあり、小浜鉄道が着工されるまでは、国道の鉄橋はありません。

国道は雲仙鉄道(昭和8年温泉軽便鉄道と小浜鉄道が合併)が廃止されたのが昭和13年ですから、この後、鉄路が道路になり、鉄橋が橋になったのではないかと思われます。


地図の赤丸、上が国道の「千々石橋」。下の赤丸が街道の「千々石橋」。茶色の矢印が「国道」。緑の道路は片側が実線、片側が点線なので、「道幅2米以上の町村道」ですから昭和25年頃には、国道と町村道が混在していたことが分かります。 


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左が大正12年の橋の渡り初め。右が現在の橋。作り替えたのが分かります。

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下の絵葉書は時代が分かりませんが、裏をみたら英語で走り書きがありました。

この風景、千々石橋の近くにしかありません。大正12年の橋とは違うことが分かります。特に橋脚の所、木で作ったものだと思われます。上の方は木製なのか、土を固めたものかは分かりません。


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下は旧家から出てきた絵葉書で、年賀葉書に使っていて「明治41年1月1日」の日付があります。「千々石川畔ノ松並木」とありますから、この風景、千々石橋の近くだと思われます。

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現在の千々石川、橋の上から撮りましたが、松の様子など見ると、今も同じですね。

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明治42年の絵葉書、赤丸の所、何やら橋みたいなので拡大してみました。赤丸の所なんとなく、橋脚みたいな感じです。

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さて、問題なのがこの「千々石橋」という名称。

明治12年の「千々石村村史」には、「中島橋」「上町橋」「金谷下ノ橋」「同上ノ橋」「大門橋」との記載があり、後者の4つの橋は全然該当地区でなく、ただ、「中島橋」に「木造三等道ニ属ス 村ノ西北千々石川ノ下流二架ス 長九間幅壱丈水ノ深四尺海潮橋下に到ル」との記載があり、また、「千々石史談第三号」に郷土史家関良孝氏の書かれたものには、明治12年の千々石村村史を引用しながら「中島橋(千々石橋のこと・・・」との記載があり、「中島橋」が「千々石橋」であったかと思われます。なお、この橋は海からそう遠くないところにあり、「・・海潮橋下二到ル」とはピッタリします。


なお、「中島橋」の名称については、この川は「中島」という地区も通っており、「中島橋」というのも、うなずけるところです。

ということで、この橋は架け替えがあるとはいえ、明治12年には存在していたことが分かります。

「島原藩主 長崎監視の道」(島原殿さん道の会刊)に「将軍綱吉は寛文九年(1669)七月二十六日松平忠房を召して『長崎の事務を監察せよ』と命じました。忠房は参観の前後、長崎を巡視して直接その詳細を将軍に報告していました。」と書いてあり、この本の地図を見れば、松平忠房公はこの道を通っていたと思われます。

お殿様を駕籠から下ろし、川を渡らせるとは考えにくく、多分、江戸時代から橋があったのではないかと想像するのですが・・・

今日は多少お疲れ気味で、乱文でしたm(_ _)m。



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コメント

こんばんは。家族が千々石に住んでいます。
昔の国道は、千々石展望所の入り口からぐるりと右側に回り込みながら下っていくルートだったと聞いています。塩屋のバス停からのぞき込んで見える辺り、高さ30cmくらいのちょっと心もとない縁のあるコンクリの下道がそれだったとか。
そこからどう繋がって行ってるのかまではハッキリ分かりませんが、今の57号/251号の道ではなくて沖田さん(お菓子)やうすいさん(青果)の前を通るあの道が国道だったみたいですよ。バスも通っていたらしいです。
「千々石橋」国道ということで橋の名前を引き継いだのか?とも思いますが、新旧くらいつけてくれないと土地勘のない人には説明しづらいですね。
自分が生まれる前の話を聞いたものなので、記憶違いや別な話との混同でしたらすみません。

コメントありがとうございました

展望所から坂を下りきったところから、海岸の松原沿いの道に入ります。それからは書かれてある通りですが、商店街を抜け参道口に抜け国道へ入ります。
商店街の道は(現在も)、国道ではなく、県道か村道(町道)でしょう。参道口から下の道、当時は荷馬車が通るくらいの道で、バスを通すため拡張したそうですが、土地の買収が大変だったと当時の担当者から聞いた事があります。
詳しくは私のブログ「千々石deその日暮らし 『雲仙鉄道 その9~県道とバスのクロスポイント』にて、詳しく書いていますのでご覧下さい。


失礼
「県道とバスのクロスポイント」ではなく「鉄道とバスのクロスポイント」です。

レスと過去記事のご紹介ありがとうございます。塩屋付近については既出でしたね。失礼しました。むしろこちらを以前拝読して、縁石を「これがそうか」と思ったような気もしてきます…。
大正時代に写真のような立派な橋がかかるくらいだし、旧街道は一時的にでも国道として使われていたのではと考えていたのですが、ざっくり検索した感じではそういう話は見当たりませんでした。
「そもそも国道とはいつからどのように?」と混乱してきたので調べてみたら、現在の57号はまず昭和28年5月に二級国道となり、その後昭和37年5月に一級国道57号になったようですね。57号の千々石橋の竣工が昭和29年1月とあるので、二級国道になった時期にこの橋が本格整備されることになったのでしょうか。
昭和28年の6月末には西日本水害(福岡佐賀熊本大分で被害甚大)が発生していたそうなので、二級国道になってから橋が竣工されるまでの間は当初の予定より難儀したのだろうかとも思います。
商店街の道をバスの通行が可能な幅にするための工事が大変だったとのお話を伺って、塩屋バス停から上石田バス停付近までの道の先は、昭和25年地図ではまだ農地だったところが国道として使われたのかもしれないと考えました。
話が脇道にそれましたけど、「千々石橋」、私の中では、現在の国道に架かる方が「新」で、コインランドリー横が「旧」というか「元祖!」という結論に至りました。うっかり「新しい方」と言ってしまうとまたややこしいですが;

ここらあたり、ハッキリした記録、写真等無いので困ります。
たかだか百年くらいの事もよく分からなくなってきています。ということで、記憶より記録という事で写真やら地図などを集めてはいるのですが。
「千々石橋」の標記は取り替えて欲しいですね。

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