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2020年3月

2020年3月31日 (火)

2020「~;青い目の人形~リトルメリーと仲間たち”~『日米親善人形交流と島原展』~」&島原城内の2,3の事

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相変わらずの「リトルメリー」ちゃん。

毎年、ぶらっと行っているのですが、昨年は体調を崩し行くことができませんでした。今年は、病院に行く用もあり、寄ってみました。

この催し物の意義については以前にも書いているので→こちらをクリック

Wikipediaにも詳しく載っているので→こちらをクリック

入って見ると島原での”青い目の人形の歓迎会の様子”、各町村の学校での奇跡的に残された歓迎会の写真。これを見ると、いかに暖かい歓迎を受けたのかが分かります。

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「青い目の人形」の本、記録など増えました。

今年はコロナウィルスの影響で”春うらら茶会”、青い目の人形に関する市民講座が中止になりましたが、紙芝居上演は29日の日曜日実施されたみたいです。


今年で17回を迎えたという事で、「自国第一主義」が流行っている現在、平和を願う人形を通しての交流があったこは、粘り強く伝えていってもらいたいと思います。


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会場の前に見慣れないバスがあったのですが「しまばらん」という島原巡回バス。となりに普通バスがあり、運行しているのかと思ったら”Bus cafe”。後ろのキャラクターは島原の”しまばらん”。かな?

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車内ですが、こんな感じ。お客さんもウェイトレスさんもいません。多分、隣の売店、食堂の方に言えばコーヒーなど淹れはくれるのでしょうが・・・車内には古い写真が展示されていましたが、これ、説明が欲しいナ。

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帰りがけ見たら、キャンピングカーが停まっていて”島原城キャンピングカー お泊まり体験”と書いてあり、雨が降っていたので車内で写真を撮って、詳しくは見ませんでしたが、どうも、ここでキャンピングカーにお泊まりができるようでした。

”謎解きゲームに参加せよ”は島原城を中心にしたゲームかな?

とはいえ、コロナの出口が見えなく、観光客が少なくなった今日、人を寄せるは大変だと思いますが頑張って欲しいと思います。

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2020年3月29日 (日)

「マスク」あの人この人

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昨日、マスクの話を書きましたが、こんな人もいるのですね。コロナウィルスに対する完全武装。

左は”つるの剛士”さんのInstagram、右は”高須克弥”さんのtweeter。


と思ったら、つるのさんはバイクの塗装をする風景で、ペンキを吹きつけつための防塵マスクを着けている様子だそうです。


高須さんは新幹線に乗っている様子で、車両全部を高須さんが貸し切りに
したのか、新幹線の乗客がコロナウィルスのためいなかったのか、高須さんの様子を見て乗客が全部逃げ出したのか、意見が入り乱れているみたいです。

とは言っても、コロナがこれ以上拡大すると、恥ずかしくても、これくらいする人が出てくる、かもですね。命がかかっていますから。


昔、ミニスカートが流行った頃、最初のころは色⚫⚫いとか、男の目を引きたいのか等と云われましたが、あっという間に流行って、”およしになってよ”というオバハンまで着るようになりました。


これ以上コロナに不安感を持ち、上のような装備をする人が出てくると、皆もドット真似するかもですね。何週間か前、令和オジサンが「今週中に(マスクを)一億万枚、来週には八億万枚準備する」とか言っていましたが、最近の政府の発表も信頼できないので困ったものです。早く収束をしてくれると良いのですが。




2020年3月28日 (土)

「白いイチゴ」。おまけに「マスク」の話。

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先日いつものお店屋さんをウロついていたら、なんじゃこりゃ!と見つけたのが「白いイチゴ」。

普通のイチゴより高かったものの買ってきて、カミサンに「白いイチゴ見たことある」と聞いてビックリするかと思ったら、あっさり「見たことあるよ」・・・味気ないヒト(多分、私には内緒で食べたな?)。


味は甘みが少ないみたいでしたが、調べてみると種類も結構あるようで、種類によっても甘さが違うのかな?普通のイチゴも同じ品種といっても生産者によって甘みが違います。身近なお店に”白いイチゴ”が無い方は通販にもありました。是非、ご試食を。


右はカミサンの誕生日に買ってきたケーキ(悪口をいつも書いてますが、本当は愛しております。この場をお借りして)(^.^)。大きいのは食べきれないので、カットしたものを買ってきました。古人曰く「ショートケーキには
赤いイチゴが良く似合う」。

(おまけです)


東京という地方では、依然としてティッシュペーパー、トイレットペーパーが店になく、皆さん焦っているみたいですが、こちらには数は少ないとはいえ揃っていて、焦って買う人は一人もいないみたいでした。


今日、納屋をあせっていたら、下のようなマスクが出てきました。以前、スプレーのペンキを使ったとき買ってきた時の塗装用のマスク。着けてみたら普通のマスクより使いやすく、呼吸も苦しくなく、眼鏡も曇らず超便利。

ただ、使用限度15時間となっていましたが、この中にガーゼなどを入れて使えばもっと長時間できるのかな?という事で、ホームセンターに行ってみたら、皆さん考えることは一緒なのか売り切れでした。ただ、もっとゴツイ防塵用マスクは置いてありました。あれなら、コロナにも花粉症用にも完璧でしょうが、着けて歩くのは恥ずかしい、という感じ。


Amazonを見ていたら、これより少しゴツク、黒色もありましたが内部にフィルターを着けられるようになっていて「再生可能なダスト」となっているので、何回か使えるようです。


マスクがいつ入手できるのか分からない状態なので、来年にも備えて一つ持っていようかと思っています。このマスクでまだ心配な方は「防毒マスク」も入手できます。


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2020年3月26日 (木)

栗原玉葉の墓を訪ねて

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以前、栗原玉葉について多少触れたことがあります→こちらをクリック。詳しくはWikipediaで→こちらをクリック

吾妻町(現雲仙市吾妻町)の方と話をしていると、玉葉に関する話をよく聞くことがあり、墓地が吾妻町の、なんとか墓地の一番上にあり、横に蛙石というのがあり、風の日には口から風がはいり音を出す、という話を聞いていたのですが一度は行ってみたいと思いながらも、場所が分からずということだったのですが・・・


私の「一畳のきまぐれ資料館」に、玉葉の口絵を描いた雑誌等を並べていたら、吾妻町の文化協会の方が三名ほど見えられ、玉葉さんの事を話していたら、墓の場所が分かり出かけてみました。


そのおり文化協会の機関誌を3部ほどいただき、これに墓の事も詳しく書いてありました。なお、墓は東京の谷中墓地にもあったそうですが、「墓碑は無縁墓地として撤去されてしまったという。」(栗原玉葉・五味俊晶編~下の本になります)ということです。栗原玉葉は生涯独身でした。


玉葉の墓は新しいようで、建立の年を調べようとしましたが、一段高いところにあり、上にあがるのもチョットと(気の弱い私)いう事もあり、後ろからと思ったら藪で入れず確かめられませんでした。ヒョッとしたら改修したものか?


この玉葉の墓の横にひときわ目立つ大きな石のうえに、蛙の焼き物が置いてあり、玉葉さんの墓より目立ちます。「蛙石」と思っていたので、蛙に似た石があるのかと思ったいたので、ビックリしました。


この蛙の焼き物を作ったのは玉葉のお兄さん「栗原源治」。広島の高等師範学校教授だったそうで、日本画、油絵等の作品も吾妻町に残っており、一度日本画を拝見しましたが力強い作品でした。


蛙石からみた玉葉の墓、逆から見た蛙石。


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この蛙さん、実は奥様の遺骨を納めた墓だそうです。以下は、「文協 あずま」にMさんが寄稿されているのを抜粋します。

この奥さんの遺骨を納めた焼物の墓は、大きな石の上の台座の上に建っています。その墓碑銘には、奥さんが琴を弾いていると、その音に河鹿(蛙)が誘われて出てきたという由来が記されています。銘の一部を読んでみると 明け暮れに四琴の音 誘う河津 居て と刻まれています。開いた蛙の口から風が入ると鳴くのだと云われています。


という事だそうです。


なお「墓碑銘」と書いてあるので、銘板がはめ込まれているのかと、何回か岩の回りを回ってみても見当たらず、あきらめたころ、ヒョッと蛙さんを見たら、お腹の所に書いてありました。Mさんが紹介された銘は前半の部分で、あと後半があるのですが、残念ながら高いところにあり、写真を撮ってきましたが、読み取れませんでした。


なお、岩の下の方に小さな標柱があり「平成6年1月吉日改修工事」と彫ってあったので、ヒョッとしたら玉葉さんの墓石も、その時改修したのかな?


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今回は吾妻町文化協会の方のお話が参考になり、ここを借りてお礼申し上げます。また、吾妻町文化協会の機関誌「文協 あづま」と、「栗原玉葉・五味俊晶編」の本にお世話になりました。詳しく知りたい方は「栗原玉葉」をお読みください。

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下は「第三回帝展入選作(大正10年)・清姫物語」。絵葉書になったもので、現在消息不明だそうです。絵葉書はあちらこちらのネットオークッションで見かけられます。興味のある方は探してみてください。

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2020年3月24日 (火)

「世界一美味しい手抜きごはん」★はらぺこグリズリー著~二品ほど作ってみたら

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子どもが小さいときは、結構手が込んだ料理をしていました。今やカミサンと二人なので、カミサンがいないときは、コンビニ弁当か手抜き料理をしています。

本屋さんに行ったら、上のようなハデハデな本が並んでいて、私にピッタリなので買って来て、二品ほど作って見ました。


一品目が「伝説の卵かけご飯(改)」。以前にも「ふわふわ!卵かけご飯」のことを紹介しました(→こちらをクリック)。だもんで、どちらが美味しいか比べようかと・・・


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材料⚫温かいご飯・・150g⚫卵・・1個。
調味料⚫醤油・・小さじ1⚫砂糖・・小さじ1/2⚫和風だし素・・ひとつまみ

カミサンガ健康志向なので、砂糖はさとうきびの砂糖


卵は白身と黄身に分けます。右のように卵を半分に割って、左右に何回か移していくと、きれいに分かれます。


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調味料と卵の白身を入れ「箸を使って1分30秒全力で混ぜます」(かなり疲れました。歳だから)。あとはご飯にかけ黄身をのせて、かきまじぇる(東京の方言では「かき混ぜる」。長崎の標準語では「かきまじぇる」)だけ。

お味は、先に紹介した卵かけご飯が初めての経験で、意表をつき感動していたためか、今回の卵かけご飯は、大体検討がついていたので、まあまあこんなもんであろうと想像通りでした。


ただ、最初に紹介した卵かけご飯は、しっかりと白身を泡立てないとならないので大変です。時間があるときは前者を、時間が無いときは今日紹介した方をと使い分けたが良いかと・・・


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二品目が「身近な素材だけで作れる超本格!麻婆豆腐」。

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・材料(二人分)⚫ひき肉・・100g⚫豆腐・・一丁⚫長ねぎ・・1/2(長ねぎは自家製)
・調味料(いささか面倒くさく)⚫にんにくチューブ・・3㎝⚫みりん・・大さじ1⚫味噌・・小さじ2⚫醤油・・小さじ2⚫ケチャップ・・小さじ2⚫ラー油・・小さじ1⚫和風だしの素・・小さじ1/2⚫水・・100ml
・水溶き片栗粉⚫片栗粉・・小さじ2、水・・小さじ2
・炒め用⚫ごま油・・大さじ1

調味料は、料理をしながらいちいち入れるのが面倒なので、最初から混ぜ合わせました。豆腐はキッチンペーバーで拭き、水気をきる。となっていますが、水はしっかり切った方がいいので、まな板を少し傾け、大きめの皿をのせ水切りをしました。「手抜きごはん」なので、キッチンペーパーで拭くだけが正解か?


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ごま油を引き、ひき肉、長ねぎを中火で炒め、ひき肉の色が変わったら、豆腐と調味料を加え、そっと混ぜる。最後に水溶きかたくり粉を入れ、軽くかき混ぜて完成。かたくり粉は、同じ所に、いっぺんに入れると、そこだけが固まりますから、グルッと回して入れてください。

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お味ですね。「手抜きごはん」にしては、結構なお味でした。辛いのがお好きな方は、ラー油を多めに。

共稼ぎが多い世の中、コンビニの弁当、インスタント・レトルト食品もやむをえないでしょうが、できるだけ家庭料理をと考えると、この「手抜きごはん」は役に立つと思います。


「マヨ醤油塩昆布うどん」は冷凍うどんをレンチン。塩昆布、マヨネーズ、醤油、ごま油と混ぜるだけです。今度、作ってみようかと思っております。



2020年3月21日 (土)

今日の橘公園・橘神社

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今日は天気が良かったので、橘神社・橘公園コースをウォーキング。

神社を通りかかったら、太鼓が鳴っているので覗いてみたら、子ども連れの3人家族の方がお祓いを受けていました。帰りがけ見ると、別の子ども連れの方がお祓い中。見るとほかにも2,3家族の子ども連れの方が順番を待っていて、七五三でも無いのに、おかしいなと思いましたが、コロナウィルスとか、不景気のお祓いなのかな?


やっと、ぼんぼりが取り付けられ花祭りの気分、まだ、酒盛りの風景は見られませんが・・・


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左が、開花宣言用の基準木。まだ桜は咲いていませんが、最近暖かい日が続いているので、もう少しでしょう。橋の下の桜、毎年ライトアップして見事です。一番の見所の桜。

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とは言っても、早熟な桜が二本ばかり。

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出店はボチボチ建っていました。本来なら三連休中、営業をしているのですが、今年はどれくらいの出店があるのか、ちょっと心配。

「一期一会」がキャッチフレーズの「横田石油店」。私の行きつけのお店です。店に犬がいますが、立派な血統書付きのお犬様です。社長には血統書が付いていないので、お犬様の方が偉い!顔を見れば、その差歴然。


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軍神橋。以前書いたように、橋には表と裏があります。この橋にも名前が彫ってありますが、片方が漢字、もう片方が平仮名です。

雨にも風にも負けず立っている橘中佐の銅像。「この、おっちゃん、誰?」などとは言わないように。


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島原半島の市町は合併をし、3市になりましたが、以前は1市16町で、島原市と南高来郡16町でした。現在は合併し島原市、雲仙市、南島原市になりました。

16町のときは、「郡民体育大会」がありました。神社裏に弓道場がありましたが、残念ながら今では弓道部も解散してしまい、人影は見られません。コンクリートの台は射場で、千々石で郡民体育大会が行われたとき作られました。私も出場しましたが、まったく当たりませんでした。


弓道場の地面がボコボコになっていますが、イノシシが荒らした跡です。私の家の近くにも出没します。田舎だから(-_-)。

 
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相撲場。ウォーミングアップ用の土俵と試合用の土俵、二面があります。

以前は、「花祭り」というと、柔道、剣道、弓道、相撲もあり、各町より選手が集まって賑わったのですが、現在は無くなりました。今は文化協会が踊り、カラオケ等の演芸を披露しています。今年はどうなるのかナ。


中学校を通っていたら掲示版に「折原みと」さんの「かわっていくこと」が書いてありました。シンプルでいいですね。「自分の足跡が/道になっていく/さあ進め!」は学校の先生が付け加えたものでしょう。折原みとさんは漫画家で小説家だそうです。私たちの時代、友人がビートルズのレコードを学校に持って行ったら「お前は不良か!」と言われ、取り上げられました。いまの、子どもは良いな。生まれるのが、60年ばかり早すぎた。


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ということで、30分程度のウォーキングをしてきましたが、コロナウィルスがどうなるか、まだまだ未知数ですが、不安な気持ちを持っていても、暗くなるばかりなので「明日がある、明日がある、明日があるさ」の気持ちで、前向きに生きていきましょう(^o^)。



2020年3月19日 (木)

千々石の「観櫻火宴」も中止になりました・・・(・_・、)

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毎年3月最後の土曜日に開催される「観櫻火宴」。

昨日、打合会があったらしく、コロナウィルスのため中止になりました。一年間準備をして、目前に中止になるとは、関係者の方には残念な事だったと思います。なお、橘神社でおこなわれる元服式だけは実施されるようです。


昨日、病院に行ったら、いつも20~30人いる待合室が、私一人でした。お店屋さんも、あちらこちらで聞いたら、売り上げがまったく落ちているそうで、いつまで続くぬかるみぞ、という感じになってきました。


橘神社の桜もボチボチ咲き始める時期なのですが、なにやら寂しい花見になりそうです。屋台もどうなるかというところでしょう。


あちらこちらポスターも貼ってあるのですが、見るにつけ空しい感じがします。

とはいっても、来年はまた盛大な火祭り「観桜火宴」が見られることを期待しつつ「弥栄!弥栄!!」。

一番上の写真は一昨年の写真です。せめて、写真だけでも楽しんでください。

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クヨクヨしても始まらないので「明日がある、明日がある、明日があるさ」の気持ちで頑張りましょう。



2020年3月17日 (火)

「綴る女 評伝・宮尾登美子」★林真理子著~宮尾登美子さんの思い出

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映画「鬼龍院花子の生涯」。伝説の女優、夏目雅子さんの「なめたらあかんぜよ!」のセリフは一世を風靡しました。
元々は小説で作者は宮尾登美子さん。

実は短いながらも宮尾登美子さんのところに出入りしたことがあり、林真理子さんの本を読むにつけ思い出があったので・・・

この本の、147頁の最後の二行目から次の頁の最初から二行目のわずかな四行の事なのですが。

学校を卒業して就職を決めるとき、本が好きだから出版社にでもと考えたのですが、その前に印刷、本作りの現場からと思い印刷会社に入りました。


先輩について色々な会社を回りました。その一つに、この本に書いてある「第一生命住宅(編集部注・現在の総合住宅」があり、宮尾登美子さんは「ここで嘱託の広報研修主任となりPR誌を作る。」という事をやっておられました。


このPR誌、「サンルーム」だったか「さんるーむ」だったか?先輩が担当でしたが、もう一つ宮尾登美子さんの出世作になった、自費出版の「櫂」を担当していました。しばらくして私が「サンルーム」を担当し、先輩が引き続き「櫂」担当。

というようなことで、先輩と一緒に宮尾登美子さんのところに出入りしていました。

確か中二階のこぢんまりした部屋で、「広報研修主任」とは書いてありますが、一人きっりで原稿書き、レイアウト等をされいて、閑な折には先輩と二人でサボりがてら遊びに行っていました。


林真理子さんの本に出てくる話、置屋の娘だったこと、満州に行って苦労して引き上げたこと、その他、訪問販売で参考書を売って歩いたこと等も伺いました。

出世作「櫂」を書く以前、女流新人賞をとり、高知新聞にも連載をされ郷土では有名であったものの、それっきりで、上京してもあまり評判にもならず、自費出版で「櫂」を書きます。普通、原稿を受け取り、初校のゲラ刷りを渡し、校正をしてもらい、それを印刷会社で直し、二校(多くても三校)を渡し、それで校了し印刷にかかるのですが、これが、確か5,6校までいったと思います。

今は文字を直すのはPCでするので簡単ですが、昔は活字を組んでいたので、最初の頁に一行挿入すると最後の頁まで活字を移動させなくてはいけないので、大幅な直しは大変でした。工場からは、カンベンしてよ、の声が漏れていました。まさに、石に字を書くという感じでした。「櫂」は500部の自費出版でしたが、当時「櫂」という字は活字にはなく、木で作字して、本の中に「櫂」という字があると、多少、多きめの字になったような気がします。


この「櫂」が太宰治賞を取り、その後、東宝から舞台劇にしたいという事で、若尾文子主演で評判になり、あれよあれよという間に有名作家になりました。もちろん、この頃には第一生命住宅はやめていました。


「櫂」が受賞した当時の事を、筑摩書房の高橋忠行氏は「清楚で、八千草薫か、奈良岡朋子か、っていう感じの美人でした。」と書いています。が、私が出入りしたときは、普通のオバチャンという感じでした。もっとも私が20代前半、宮尾登美子さんが40代半で、私の審美眼にも問題もあるのですが、そう感じたのかもしれませんm(_ _)m。「清楚で」とは書いてありますが、良く「校正は、まだ!」と電話で叱られたものでした。


とにかく、賞を取ってからは、あれよあれよという出世で、TVに出演されているときは、和服を着こなし、あの凜々しい姿にはビックリしました。なにせ、事務服の姿しか見たことが無いので。


もちろん努力もありますが、人が運命の波に乗ったときは、すごいものだと思ったものでした。


今から考えると、サインの一枚でも貰っていれば良かったと思うのですが・・・やめられる前、先輩と二人、とんかつ屋でご馳走になりました。

森真理子さんの本を読みながら、いろいろ思い出しながら、ダラダラとかいてみました。良い思い出でした。




2020年3月15日 (日)

「そろばんの工夫」~日本人の知恵

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以前「そろばん」のことについて書きました→こちらをクリック

上が二つ玉、下が五つ玉のそろばんのことでした。某日、NHKの「そろばん侍」を見ていたら、このそろばんが出ていました。さすがNHKさん、よく調べていますね。皆さん、ほとんど気がつかなかったと思いますが、「些細なことが気になるのが、僕の悪い癖」。

過日、中国のそろばんを手に入れたので比べてみました。

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中国のそろばんは丸い玉、日本のそろばんは先が尖っています。

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左は間違いなく中国製。右は日本製の安政五年のそろばん。

中国の算盤が日本に伝えられたものだそうです。クリック→日本珠算連盟「日本のそろばん」

さて、使ってみて、というより、見ただけでもどちらが使いやすいかは分かると思います。一応使って見ましたが、中国製はとてもじゃないが使いにくい。


中国の算盤が日本に入って、使いやすいように改良をされたものだと推察されます。


そろばんに限っていえば、中国はそろばんができてから今日まで全然変わっていません。日本人はそれを取り入れ、使いやすく改良をした。ここに、日本人の知恵を見る思いがします。


日本人はものまねが上手い、という意見もありますが、何百年と変わらないものを使っているより、工夫して使いやすくした者が知恵者だと思うのですが。


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2020年3月12日 (木)

「初アイス」の日

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ここ2,3日暑かったので、アイスでも食べようかとコンビニに入ってみたら、久しぶりの「雪見だい福」(「雪見だいふく」ではありません。以前ブログに詳しく書いています→こちらをクリック)、しかも2個。もちろん2個買って来ました。

その他、初めて見たのがあったので、ついでに買って来ました。写真の皿に乗っているのはアイスでは無く、焼き芋を冷凍したもの。多少便秘気味なので、焼き芋を買って来て冷凍したもの。食べるときはレンチンします。


「雪見だいふく」の「パンケーキ」版。3月2日に発売の新製品。中にカナダ産のメープルソースが入っています。外はもちろんモチモチのおもちです。上の蓋を開けると裏に


皆様へ

雪見だいふくもちもちパンケーキを食べてくださり、ありがとうございます。(中略)
なにかと新しい事が始まる時期、ワクワクしたり不安になったりすることが多いですよね。そんな時にほんの少し背中を押してもらえると、すごく心強い。雪見だいふくはどんな時も皆さまに寄り添える存在になれたらといいなと思います。

との言葉が書かれていました。ところで、雪見だいふくのトレードマークの兎さんが書いてないので、少し寂しいのですが・・・蓋の裏には描いてありましたが、表にも欲しかったな(-_-)。


「おいしさそのまま牛乳バー」。「搾乳から3日以内の牛乳をアイスクリームにしました。」とのことで、セブンイレブン限定だそうです。作っているのが「シャトレーゼ」さんとのことです。確かに、搾りたての牛乳という感じで、おいしゅうございました。


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「・・・すぎ~」の所が同じなので同じ会社かなと思ったら、「ガリガリ君」の赤城乳業さんでした。赤城乳業の商品情報に載ってなかったので調べたら、こちらもセブンイレブン限定品でした。

「すっぱすぎ~」の下に「やりすぎレモンバー」とかいてあり、注意書きに「本製品は、酸味の刺激が非常に強い製品となっております。酸味の刺激に弱い方や小さいお子様には、十分ご注意下ださい。」と書いてありましたが、わ~、というほどは、酸っぱくはなく、私にとっては爽やかなレモン味でした。「酸味の刺激に弱い方」には「すっぱすぎ~。」なのかもしれませんが。


「タピりすぎ~。」はもちろん「タピオカ」入りの「やりすぎタピオカミルクティー味バー」。タピオカがたくさん入っています。説明が面白く。


「本製品は、ブラックタピオカを多く混ぜ込んだ製品となっております。色・形状ともにSNS映えは期待できませんのでご注意ください。」との事で、写真をとったら本当に「SNS映え」しませんね。他の製品もそうだけど・・・


という事で、今日は今年初めての「初アイス」の日でした。もちろん全部食べました。おかげで晩御飯は食べられませんでした。また、血糖値が上がるな~


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2020年3月10日 (火)

「軽自動車」を買ってみたら!

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左が今まで使っていた、VWのUP!。右がこの度購入した、日産DAYS。

最初買った車がスカイライン(中古)、バイオレット(中古)、三台ばかり中古の軽。ここまではクーラー無し。一生に一度はと奮発してVWのゴルフ(3代目・故障多し)、カローラフィルダー、そして写真のVW UP!。じゃじゃ馬娘で慣れるまでは大変でしたが、慣れてしまえば面白いクルマで、一番記憶に残るクルマでした。


7年ばかり乗り8万キロ。車検の時期になり、今回は車検代が少しかかるかな?と思い、買い換えを決意し、多分最後のクルマになるかなと思い、思い切ってベンツを買おうかと思ったら、カミサンから「アンタは軽でいいの」とのご神託で、軽に変更。


行きつけのガソリンスタンドの社長に聞いたら、「ウチのカミサン日産のDAYSに乗っているけど良いスょ」という事でディラーに行って見たら、思ったよりデッカい。一応、ホンダ、スズキなども考慮しましたが、ここらあたりで走っているのはN-ONE、スズキ、ダイハツが意外と多く、特にN-ONEは多く、私、へそ曲がりで、DAYSはあまり見かけないので、DAYSに決定。


あと、こちら坂道が多くターボが欲しかったのですが、価格がNMより高くどうしようかと思っていたら、65歳以上でクルマを買う方には、踏み違い防止等の機能があるクルマを購入するときは軽で七万円、普通車なら十万円の補助が付くとか、あと値引きでNMとターボの差額の半分くらいはなるのでターボに決定。


で、先週の木曜日に納車。昔は軽というと金が無いとか、町内のチョイ乗りとか言う感じでした。DAYSの一応の機能については知っていたのですが、乗ってみると超便利。


鍵はポケットから出さなくてもドアの取っ手に触れるだけで開くし、クーラーはオートもあるし、なんと、電話もハンズフリーでかけられるし、ワンセグは見られるし、ライトもオートでハイビーム、ロービームの切り替えはしてくれるし、アラウンドビューモニター、バックカメラはバックの時超便利(歳を取ってくると、感覚が鈍ります)とまあ、いたり尽くせりで、昔の軽しか知らないので、ビックリしました。ただ、車体の鉄板が薄いので、これ多少不満でしたが、まあ、軽だから・・・


特に面白かったのが、スマホを使ってリモートで扉のロックができること。


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人によっては、玄関の扉閉めたかしら?ということで、2,3回見に行く方もおられますが、これならクルマの扉、離れた所で心配になったらロックできますネ。

以上の装置はクルマのグレード、オプションで違いはあります。普通乗用車、高級自動車にはこれ以上の装備がありますが、数十年ぶりに乗った軽ですが、驚くべき進歩でした。なお、詳しくはYouTube等をご覧下さい。



 

2020年3月 7日 (土)

雲仙市小浜町にあった「肥前温泉災記」について

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3月1日まで、南島原市と西南学院大学博物館連携特別展が開催されたときのチラシです。

寛永14年(1637)の島原一揆、寛政4年(1792)眉山が崩壊し津波が起こった島原大変の貴重な資料が展示され、また、この一揆、災害に伴う慰霊碑が各所に建てられていますが、その拓本も展示されていました。


今日は、このチラシに使われた絵についてです。


この絵は「肥前温泉災記」に載っている絵です。下の絵がチラシに使われているのが分かると思います。実はこの絵は色がついているのですが・・・


チラシには「『肥前温泉災記』肥前島原松平文庫蔵」となっていますが、この資料、実は小浜町(現雲仙市小浜町)にあった古文書です。これが、島原の松平文庫に所蔵された経過がほとんど知られていないので、一応記録にしておきます。


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この経過については、右の小冊子「肥前温泉災記の解説」に書かれています。なお。この小冊子には左の「肥前温泉災記」の読み下し文も付いていています。書いたのは、元小浜教育長(町村合併のため、小浜町最後の教育長になります)のT氏。

詳しく書けば長くなるので、概略を書いてみます。氏名はイニシャルのみにしてます。


T氏(以下T氏と標記)が教育長の昭和50年代後半、町内のKという食堂の経営者A氏がT氏を訪れ「肥前温泉災記」を持ってこられたそうです。T氏は小浜町の文化財だから大切にするようにと、一部コピーをされそうです(多分この頃、カラーコピーが役場に無かったのか、白黒のコピーです)。


その後、平成3年、雲仙の普賢岳に噴煙が上った頃、島原市長の代理として、島原市教育委員会社会教育係長K氏がA氏宅を訪れ、「お宅に保存されている『肥前温泉災記』は、島原市にとって重要な文化財です。是非、譲って下さいませんか」と言うことで、A氏が無償で提供されたそうです。


T氏は話を聞いて「私は『しまった。』と悔しがりました。私はA氏家の家宝として手放されないと思ったので当てがはずれてしまいました。」と書かれています。


その後、A氏の所には、当時の島原市長鐘ヶ江管一氏の感謝状と記念品が贈られたそうです。
というような経過で、現在は島原図書館の二階にある松平文庫に所蔵されています。

なお「肥前温泉災記」の最後には次のように書かれています。

天保庚子(注:天保11年・1840)年春日借覧大原氏所蔵之書
謄写 三月四十五校原本謬誤多矣他日得善本校正 濱貞彛(?)
絵図 勝之助写

となっているので、この他に「善本」が別にあることが分かります。

なお、絵図の「勝之助」については、T氏が調べられたらしく「尾崎勝之助 千八百五年~定江戸詰 十三石二人扶持」と書かれています。

Img_20200307_0004  Img_20200307_0005  

T氏は十年過ぎてから、松平文庫を訪れ「肥前温泉災記」を手に取ってみられたそうです。難しくて読めなかったそうですが、瑞穂町の郷土史家T先生を訪れた時、辞書などを紹介され、それから2年をかけ、右の「肥前温泉災記の解説」を書かれたそうです。読んでみて、大変な仕事だったことが分かります。

島原市がこの本の存在をどうして知ったのかは不明ですが、この古文書が残っていれば、雲仙市の貴重な資料になっていだろうと思えば残念な事です。



2020年3月 5日 (木)

「杉下右京の紅茶」(相棒)& 新・紅茶の入れ方

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最近「相棒」を続けて見ています。多少、都合の良い筋立てがあるのが気になりますが、それはそれで・・・

で、見ていると、右京さん、高いところから紅茶カップに紅茶を入れる、という独特な紅茶の入れ方が気になり、あと、時々、カップをスプーンでかき回すところがあるので、砂糖かミルクか、はたまた両方入れているのか、なんとなく気になり第一話から見てみました。とにかく、「些細なことが気になるのが、私の悪い癖」だから。


博学な右京さんだから、紅茶の入れ方、これが本式かと思い、日本紅茶協会のホームページを見たら、このような入れ方は紹介されて無く、ごく普通の入れ方でした→日本紅茶協会はこちらをクリック


ということは、この入れ方は右京さん独特の入れ方だと思われます。


たしか、第二話だったか三話ですね。紅茶を入れるシーン。普通の入れ方でした。そのあと、何やら入れていますが、手に持っているのはミルクピッチャーです。


ということで、右京さんはミルクティーを飲んでいたことが分かります。なお、この後そのまま飲んでいますから、砂糖は入れておりませんでした。

なお、右京さん、時々置いてあるポットから紅茶を入れるシーンがありますが、これって、どう見ても冷えた紅茶なので、右京さんって本当の紅茶好きなのかと疑われます。

なお、「相棒」はまだ全部見ていないので、なにか訳があるのかもしれませんが。

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さて、今日のネットを見ているとTwitterに投稿されたミルクティーの入れ方が紹介されていて、イギリス人も飲んだとたん「何これうっま・・・いといえないこともない・・・お前・・・何者だ・・・?」と言われたそうです。

なにせ、イギリス人といえば紅茶の入れ方にはうるさく、ミルクティーは紅茶を先に入れるのか、ミルクを先に入れるのかの論争が真面目に何年も続いた国です。そのイギリス人が驚く入れ方です。


用意するのは水、マグカップ、ティーバッグ、牛乳、タイマー。


最初にカップにティーバッグを入れ、お湯をカップ半分くらいまで入れて30秒蒸らす。


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その後、ミルクを好きなだけ入れる。それを、そのまま電子レンジに入れる(ティーバッグがホッチキスが止めてあったら外しておく)。1分30秒チンする(何Wにするかは書いてありません。私の場合は500Wで試してみました)。それで、できあがり。

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さっそく飲んでみましたが、残念ながら、私、イギリスに行ったことも無ければ、イギリスの方からミルクティーを入れて貰ったことも無いので、本場の味なのかどうかは分かりませんでした(^_^;)。一度お試しを・・・



2020年3月 3日 (火)

「『手塚治虫AI、それは可能か、不可能か。」★「『TEZUKA2020』プロジェクト」~モーニングNo13・2020

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人間対AIのチェスは人間が負けるようになりました。
人間対AIの将棋は人間が負けるようになりました。
人間対AIの囲碁は人間が負けるようになりました。
もっとも、AIの手筋が見えてくれば、また、巻き返しという事も考えられますが。

美空ひばりの映像をAIが作成し、評判を呼びました。もっとも、賛否両論あるようですが。

今回は、手塚治の漫画をAIが描けるか、という試みです。最初に目的などが3ページに渡って書いてあり。



手塚治が漫画を書き続けていたら、どんな漫画を描いているのだろうかということで・・・


キオクシア(旧社名 東芝メモリー)による「TEZUKA2020」。人工知能(AI)技術を使って手塚治虫の新作漫画を生み出すプロジェクトだそうです。

手塚眞さんも参加しているらしく、「ストーリーやキャラクター、コマ割りなどから構成される『漫画』というものを分解して、一つずつAIに教えようと考えた」そうです。「ダメ元で挑戦」とも書いてあります。

説明の所に、人間とAIの関係など書いてありますが、最後の方に「AIはツールでしかないので、全てAIに任せるのはナンセンス。だが人間の使い方次第で、面白い共創関係が作れる」とも書いてあります。

物語の題は「ぱいどん」。時代は2030年。個人情報が管理され、犯罪も事故も無く激減、全てがスムーズかつ合理的なデジタル社会。その中、監視の目をかいくぐるように暮らす一人の青年、「ぱいどん」。その前に、「父を捜して欲しいのです!」という母と娘の二人・・・・

という具合に話は進みますが、絵は手塚治虫そのままで、多分、この物語だったら登場人物はこのように描いただろうな、と思わせます。しっかりと話は進みますが、まだ、一回目で話の筋が見えないので続いて読んでみようかと思っています。





2020年3月 1日 (日)

「いつか来た道、思い出す」~トイレットペーバー騒動

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ウチの近くにドラッグストアーが2軒。昨日通りかかったら、開店前だというのに並んでいる人がいて、おや?大売り出しかな?と思っていたら、今日も並んでいました。もう一軒はまだ長蛇の列。

ほか、ストアーなども見たら、駐車場が一杯。気づいたら、マスク、トイレットパーパーを買う人ですね。もちろん、コンビニもマスク、トイレットペーパー、ティッシュ、紙おむつ、要するに紙に関する物はすべて売り切れか品薄。


多分、マスクは紙のような感じで、政府関係のアホ(失礼、政府関係の方)がマスクを1万枚とか、8万枚作ると発言していたので、紙が無くなるとの誤解から、トイレットペーパーを始め紙関係の品物を買い占め、品薄になったと思うのですが。


さて、この行列をみて思い出したのが昭和48年の「トイレットペーパー騒動」。詳しくは→こちらをクリック 


昭和48年というと今から47年前(1973)。ざっと半世紀前。私がちょうど就職して一年目。埼玉県春日部市の端っこの田舎にアパート住まいをしていた頃。オイルショックが起こり、それに伴い、物資不足の噂が流れ、紙も不足するとかでトイレットペーパーの買い占めが始まり騒動が起こりました。現在と同じ状態で「いつか来た道」ですね。


私が買い物行っていたストアーでも、アッという間に売れ切れ。この時、ベンチャービジネスの社長が「私はトイレットペーパーは買いに行かない。どうせ無くなるなら、無くなった状態に早く慣れた者が生き残れる」という言葉を聞いていたので、私は並んで買いませんでした。当時は水洗便所ではないので、いざとなったら新聞紙で拭いたら良いと思っていました(昔は新聞紙、年寄りの方に聞いたら、その又昔は藁、縄で拭いていました、そうです、マジ)。


私のアパートは水洗便所ではないので、クソを拭くのに今より紙がいりますが、そう買ってもいなかったのですが無くなったという事はありませんでした。Wikipediaには、翌1974年(昭和49年)「3月になると騒動は収束、在庫量も水準に回復した」と書いてありますが、私が住んでいる所では騒動が収束したのはもっと早かった記憶があります。


当時はネットなども無く、新聞、TV、噂等で騒動になったと思いますが、今回はネット情報があり拡散するのが早いので、やっかいなことです。


ネットでは、ウィルスが熱に弱いからお湯を飲めば良いとか、回復して再発した人は死んでしまう等々、ネットで流れているようですが、デマには惑わされないように。また、新聞、TVでも行列している様子を流し、これも不安感を煽っているので、これこそ自粛して貰いたいと
思います。

なお、紙関係の業界で呼びかけていますが、マスクの材料は不織布で紙とは関係ないので、マスクの増産とトイレットペーパー等は関係ありません。


とは言っても、実際、お店の棚にトイレットペーパー等が無いのは不安になるもの。ですが、しばらくしたら元の通りなります。もしならなかったら、それは政府の責任です。



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