「天守閣はありません」~KTN・【ローマへ渡った天正少年~千々石ミゲルの選んだ道】
1月2日、KTN(テレビ長崎)で天正少年遺欧使節を扱った放映がありました。特に「千々石ミゲル」に焦点をあて「ローマへ渡った天正少年~千々石ミゲルの選んだ道」という番組でした。
多分、昨年「千々石ミゲルの墓所」とみられる土地が発掘調査をされ、遺物、骨などが見つかり、新聞、テレビなどで大きく紹介をされたからだと思われます。千々石町の隣町の方が、千々石ミゲルなんて知らない、といわれる現在、このような形で放映されたことは、喜ばしい事でした。また、内容も分かりやすく、天正少年遺欧使節の入門とも言えるものでした。
ただですね、上の映像が流れたとき、二人の女性が次のように話をしていました。
「着いた、ここが釜蓋城(かまぶたじょう)だ」
「ここで千々石ミゲルが生まれたのか」
「城って聞いたから立派な建物かと想像していたけれど、残っているのは、これだけなんだ」
「うん、これは、今、復元して展望台になっているんだけど、この釜蓋城は建てられてから8年で落城したんだって」
この釜蓋城、天守閣があるような城ではありません。あの時代、天守閣を持った城といえば、島原半島では日野江城、原城くらいでしょう。島原城はまだ後世の城です。
釜蓋城といっても、当時としては山城だったと思われます。
長崎県で城郭調査をしましたが、この釜蓋城は上の方がグラウンドになっていたためか、調査がされませんでした。調査があれば、どのような規模のものか分かったと思いますが、残念な所でした。
さて、二人の会話の中で「復元して展望台になっているんだけど」のセリフがありますが、「復元」とは「もとにかえすこと。元の位置・形態に戻すこと。」(広辞苑)であり、もともと無かったものを復元できるわけはありません。
KTNが何を根拠に台本を書いたのか分かりませんが、テレビ放送で多くの人が見ているので、ここに天守閣を持った城があったと誤解される恐れがあり、もっと調べて欲しかったと残念な思いでした。
もっとも、天守閣を模した展望台はグラウンドができたとき建てられたものですが、この様なところに「天守閣」とおぼしき展望台を建てたのが、問題なのですが・・・
皆様も釜蓋城に天守閣があったとは思われないように。
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