「大日本長崎道之尾私立大遊園」はあったのか?なかったのか?
(写真はクリックすると拡大します。多分。)
左は「大日本長崎道之尾私立大遊園」の絵図。右は絵図に付いていた「一大遊園設立に就き御披露(以下「御披露」と略)」の小冊子とそれを入れた袋。
「御披露」には、造営の目的などが書いてあり・・・旧漢字ですが新漢字で書きます。
・・・今より八九年前日本軍艦軍人数百名運動の為弊舎へ御来臨の折珍しき好地なれど惜しい哉庭園の場所狭しと仰せ聞けら候が某(それがし)に取って発念の初機にて熟々愚行致候・・・・」てなことで一念発起、庭園を造ろう、ということになるらしいのですが・・・
後ろに「施設遊園 萬象園約款」というのがあり、12条から成り立っていますが・・
第一条 長崎県西彼杵郡長與村(注:長与村)字道ノ尾施設遊園ヲ完全二成就シ及ビ維持スルノ補助トシテ義援金ヲ募集シ其ノ義捐ヲ為シタル紳士ヲ本園ノ会員ト為シ優遇スルモノトスル。
文面からすると、公園を完成するために義捐金を集め、賛同する方は会員として優遇するという事になります。なお、後の条項も読むと会員に対する優遇措置について書いてあります。
さて、この遊園については平成6年3月31日発行の「長与町郷土誌 上巻」に「かっての名勝地『道の尾公園と温泉旅館、萬象園』」という事で載せてあり、要点だけ書くと
「道の尾温泉前」停留所すぐ近くの道の尾温泉浴場から「東側のま近なところに小高い丘があるが、ここがかっての『道の尾公園』と呼ばれ一般に親しまれたところである。また、そのふもとに「萬象園」という立派な庭園を備えた料亭兼温泉旅館があった。」
萬象園を建てたのは「吉田吉平」氏。吉田氏は古くから語り継がれた温泉鉱泉を探し求め、明治初年に発見。翌2年に「萬象園」を創業したそうです。
これが有名になり、訪れる客が相次いだそうですが、道幅も狭いため、個人出費で腰弁当で道路の拡張に采配をふるったそうです。吉田氏はアイディアマンで、庭園畳20枚ほどの”日本地図”を作り、鉄道の小旗を立て、模型の汽車を作らせ、これが好評で大繁盛。明治時代という事を考えれば、うなずけるところです。なお、ロシア入港のロシア人将校の姿も見られたそうです。
「御披露」に書いてある「日本軍艦軍人数百名」と書いてあるのはこの頃だと推察されますが、「御披露」に書いてあるように「場所が狭い」といわれたので、と思われますが、「明治23年頃から『道の尾公園』の造成に着手」です。「披露」の発行が明治25年12月になっているので、途中から義捐金を募ったことが分かります。
5年後に完成し、にぎわったそうですが、公園の広さが約三万平方メートル、東京ドームの建築面積が46,755㎡、グラウンドが13,000㎡という事を考えると、明治時代、個人が作った遊園だったことを考えると、いかに広かったが分かります。
ただ、第2次大戦中、萬象園は三菱の寮となり、戦後、公園も荒れ旅館も廃業。公園跡には忠霊碑、温泉碑などが淋しく残っているそうです。
吉田氏が見つけた鉱泉は、この地に温泉浴場があり利用されているそうです。
なお、「ながよふるさとカルタ」に「道ノ尾の 温泉王は 吉兵衛さん」というのがあり、説明に・・・
今から百年以上も昔の明治二年、道ノ尾に吉田吉平という人がいて、この人が温泉を掘り当てました。何年かすると、鉄道が通るようになり、道ノ尾にも駅ができました。でも、まだ思うようにお客さんが集まりません。なぜなら、駅から温泉まで八百メートルもあり、馬車などが通るような道が出来ていなかったからです。そこで、吉平さんは、お金をだして道路を造りました。そして、道の王様と呼ばれるようになりました。
さて、本当に上のような壮大な遊園があったのかどうかは疑問ですが、鉱泉を掘り当て、広い敷地に遊園を作った男がいたことは事実でしょう。写真を探しましたが、残念ながらでした。体調が良ければ行ってはみたいのですが・・・
以下、余談ですが、この図が長崎市立図書館にあるそうです。フェースブックに「微かに明治14年と読めます」と書いてありますが、正確には「明治廿四年十月十六日印刷」が正解です。
また、某ブログに、雲仙を描いた吉田初三郎とくらべ、「『大日本長崎道之尾私立大遊園』図がいかに稚拙でかつ誇大な妄想図であるかが分かります」と書いてありますが、上に書いたことを考えれば一概に「稚拙」で「誇大」で「妄想図」でないことが分かります。多分、調べずに書いたのでしょうが、ネットではこのような無責任な記事が多く、困ります。「ネットの情報要注意」ですネ。自分でちゃんと調べて裏付けを取りましょう。
(参考:「大日本長崎道之尾私立大遊園」「一大遊園設立に就き御披露」「長与郷土史 上巻」「長与町ホームページ:ながよふるさと『かるた』」)
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