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2020年1月 3日 (金)

陶器製鳥居「宮地嶽・天満宮神社」そして「諌早神社」幻の陶器製鳥居~長崎市・諫早市

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長崎市八幡町にある「宮地嶽八幡神社」。ここに「陶器製鳥居」があります。二ノ鳥居が「陶器製鳥居」。
説明版は下の通りですが、クリックすると拡大します。

私がこの鳥居に興味を持ったのは、以前、諌早神社の肥前鳥居の事を書いたとき、小澤さんという方からコメントをいただき、諌早神社の鳥居につき本を紹介していただき、このコメントの中に「諌早神社にあった陶器製(甕器)鳥居が」と書いてあったので、マジ~と思ってネットで調べたら、佐賀県の「陶山神社」「松原神社」とここ長崎市の「宮地八幡神社」の事が書いてあったからです。他にも2,3情報がありましたが、これは該当するところが見当たりませんでした。


「宮地嶽神社・天満神社」の鳥居は「文化庁 登録有形文化財 景観重要建造物」「長崎市 景観重要建造物」「長崎県まちづくり景観資産」に登録されています。


佐賀県の「陶山神社」の鳥居は「明治21年 奉納」とあるそうです。


「松原神社」は多分「佐嘉神社」神社の敷内社みたいです。現地案内版によると「明治23年庚寅10月」「製造 岩屋久吉」「角物細工人 鐘ヶ江長作」「丸物細工人 峰熊一」となっているそうです。


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見事な唐草模様です。

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作られたのが明治21年。製作者が「製造人 岩尾久吉」「角物細工人 金ヶ江長作」「丸物細工人 峰熊一」。書いたもので無く焼き込んであります。佐賀の「松原神社」は「明治23年」ですから、こちらの方が先に作られた事が分かります。
「金ヶ江」「鐘ヶ江」の違いはありますが、他の二名は同じなので、同じ職人さんが作ったのでしょう。

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触るなチューのにと書いてあるのに、見ていたら皆さん触っていました。おかげでキズが入ってました、ということは無いでしょうが・・・

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神社です。拝殿(後ろに本殿があります)と案内版。案内版はクリックすると拡大します。八幡神社は昔「大覚院」と言っていたのを、明治の神仏混交廃止により「八幡神社」に改称したそうです。「相殿の宮地嶽神社は明治11年(1878年)福岡県宗像郡宮地嶽神社の分霊が奉祠されたものである。」と書いてありますから、ネットあたりでは「宮地嶽神社」と書いてありますが、「八幡神社・宮地嶽神社」が正解とは思うのですが、あまり細かいことは言わないで・・・

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とはいえ、「八幡神社」「宮地嶽神社」が並列で書かれていました。
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外に、境内社が色々と祀られていました。

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狛犬さん、形から見てかなり古いみたいで、なんとなく犬さんみたいでカワユイ。流行の💓ストーンで真ん中の矢が良いですね。ハートを射止めるですね。グッドジョブ。

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おじいさんがいたので、聞いてみたらこのあたりも随分と変わって、昔は神社の向こう側はシイの木などがあり、よく遊んだそうです。また、原爆が落ちたときは、家の柱などは残ったものの、壁などは崩れ落ちたそうです。原爆の中心地とは一山隔てていますが。鳥居もよく残ったものだと思います。

「宮地嶽・天満神社」の鳥居は素晴らしいもので、長崎も、もっとPRしても良いのではないかと思いました。とにかく、調べた範囲では日本に3基しかない鳥居です。是非、皆さんにも見てもらいたいものです。撫でないように・・・


さて、諌早にあった陶器製の鳥居です。小澤さんから紹介された「鳥居考」(津村勇著)に下のように書いてありました。


「長崎縣・縣社諌早神社の境内には左圖(注:下の写真)の如く、『大正八年當村内崎左衛門寄進、細工人品川利夫』」と書かれています。なお、小澤さんによれば「この鳥居、諌早街道にあった小松亀山焼製なのか山口牟礼焼製なのか議論があるところです・・・」と書かれてあって、かなり郷土史を勉強されている方と思われます。


この場を借りて、お礼を申し上げます。


さて、私の手持ちの本「鳥居の研究」(根岸榮隆著)にも諌早神社、松原神社の鳥居のことが書いてあり・・・


「記録によると、昔江戸に陶器の鳥居もあつたそうであるが、普及性が無かったものと見えて遺物はない。現在では長崎縣諌早神社に大正八年に造ったのがあり、佐賀の松原神社にも小型のがある。にしても、残念ながら大したものとは云えない・・・」


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とはいえ、この鳥居、諌早水害で流失しまい今はありませんが、残っていて欲しかったと思います




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コメント

いつも楽しく拝見させていただいています。
ついでですが、根岸榮隆著「鳥居」(アルス文化叢書)に諫早神社の二の鳥居と三の鳥居(肥前鳥居)、件の陶器鳥居の鮮明な写真がついています。
その写真の横に、山口牟礼で焼成とあります。津村勇の鳥居考では 大正八年当村内崎伊左衛門寄進 となっていて、「当村」ということはやはり諫早村だと考えます。また、小松亀山焼を調べておられた諫早史談会の織田先生に聞いたところ、小松亀山焼きは明治末期に内田家が事業を引き継いでいて、土管や甕を作っていて、内田家に聞きに行った時に自分とこで作った旨当主が語っておられたとのこと。また内田家の裏茶臼山で窯業が行われていたのですが、ここの山頂に陶器製鳥居の扁額「西郷神」が無造作に置いてあります。
以上のことより、諫早神社の陶器製鳥居は諫早の小松(内田)亀山焼きだと考えます。本当は蛍光X線検査で、成分分析をしたいのですが、いずれ諫早神社宮司にお願いしてみたいなあと思います。
因みに内田家が明治末期に小松亀山焼きの土管製造会社を引き継いだのが、「内田伊左衛門」で鳥居考は「崎」と「田」を間違ったのではないかと思います。
FYI

またもや、情報の提供ありがとうございます。
根岸榮隆著「鳥居」。やっと手に入れました。これなら、諌早神社にあった鳥居、よく分かります。感謝です。
また、陶器製の鳥居、よく調べられたと思います。蛍光X線の件、実施できたら面白いようですね。
なお。「扁額『西郷神』」が気になります。西郷というと西郷氏のことが頭にあり、関係あるのか無いのか、なにか気になるところです。


>小澤さん
>
>いつも楽しく拝見させていただいています。
>ついでですが、根岸榮隆著「鳥居」(アルス文化叢書)に諫早神社の二の鳥居と三の鳥居(肥前鳥居)、件の陶器鳥居の鮮明な写真がついています。
>その写真の横に、山口牟礼で焼成とあります。津村勇の鳥居考では 大正八年当村内崎伊左衛門寄進 となっていて、「当村」ということはやはり諫早村だと考えます。また、小松亀山焼を調べておられた諫早史談会の織田先生に聞いたところ、小松亀山焼きは明治末期に内田家が事業を引き継いでいて、土管や甕を作っていて、内田家に聞きに行った時に自分とこで作った旨当主が語っておられたとのこと。また内田家の裏茶臼山で窯業が行われていたのですが、ここの山頂に陶器製鳥居の扁額「西郷神」が無造作に置いてあります。
>以上のことより、諫早神社の陶器製鳥居は諫早の小松(内田)亀山焼きだと考えます。本当は蛍光X線検査で、成分分析をしたいのですが、いずれ諫早神社宮司にお願いしてみたいなあと思います。
>因みに内田家が明治末期に小松亀山焼きの土管製造会社を引き継いだのが、「内田伊左衛門」で鳥居考は「崎」と「田」を間違ったのではないかと思います。
>FYI

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