雲仙鉄道~「1号機関車の正体」
今日は「鉄道の日」ということで、地元を走っていた「雲仙鉄道」の機関車について。
以前にも書きましたが、鉄道で小浜まで来るには、諫早駅で島原鉄道に乗り換え、愛野駅で雲仙鉄道に乗り換えるという不便なもので、昭和2年に小浜鉄道が開業した年、島原鉄道、雲仙鉄道、小浜鉄道が諌早~小浜の直通運転を開始します(昭和7年まで)。
さて、明治5年に新橋~横浜に日本で初めての鉄道が開業します。この日が10月14日です。この日走った汽車が日本での第1号機関車になります。この汽車は使用成績が悪かったためか、改造をされ、あちらこちらと回され、廃車寸前のところを島原鉄道に譲渡されます。
上の写真は雲仙鉄道の昔の駅の所に記念碑が設置してあり、そこに焼き付けてある写真です。写真をよく見ると「1」という字がみえます。島原~小浜間が直通になったのでその時期、日本での第1号機関車が雲仙鉄道も走っていたのではということで、ネットなどに書いてあるのを見かけます。
前に書いたように島原鉄道から刊行された「島原鉄道百年のあゆみ」のなかに「・・・温泉鉄道の車両が諌早~小浜間の直通運転を開始」とあるので、残念ながらということでした。
ところが、ネットオークションをみていると昭和10年発行「鐵道趣味 秋季特別大號 10月號」という雑誌にまったく同じ写真が載っていて、雑誌を写真で撮ってあるので、説明の字が分かりにくいところもあるのですが下記のとおりです。
「雲仙鐵道」
No1機関車牽引の上り愛野村行混合列車(ここのところ読みにくく・・)が千々岩(注:ルビにてちぢわ)を出発、雲仙を背景にした千々岩彎(?)則ひの線路をやって来ます。
雲仙鐵道の蒸気機関車は1日1往復しか運転されずガソリン・カーばかりです。
No1機関車はNo2機関車と共に0-6-0形の𦾔省有1040形式のものであります。1040形式と云へば日本鐵道が明治27年大宮工場において6輌(No₈.401~406)製造したもので、現在も、割然と其の銘板が取り付けられております。
(撮影者は読めませんでした)
この「1040形式」をヒントにWikipediaを調べると、「国鉄1100形蒸気機関車」の所に「1040形」のことが下記のように書いてありました。製造は大宮工場で6台作られたそうです。
1040→中日実業公司桃沖鉱山(1916年)
1041→中越鉄道7(1919年)→鉄道省1041(1920年)→小浜鉄道(雲仙鉄道)2→明治鉄業庶務鉄業所1(1962年廃車)
1042→中日実業公司桃沖鉱山(1916年)
1043→中越鉄道8(1919年)→鉄道省1043(1920年)→小浜鉄道(温泉鉄道)1(1938年廃車)
1044→養老鉄道(1919年)
1045→簸上鉄道4(1919年)→鉄道省1045(1934年)→金名鉄道4→北陸鉄道A301
なお、ブログの「鉄道好きクラケーン一枚の図面から」には当時の雲仙鉄道の2号機関車の写真も載せてありますのでご覧下さい。
こちらを→クリック
ということで、この記念碑の写真は国鉄の大宮工場で作られた「1043」で、小浜鉄道(温泉鉄道)の1号機関車である事がはっきりし、日本の第1号機関車ではないと・・・残念ながら、やはり幻の第1号機関車でした。
廃線になりたる跡の虫しぐれ sugikan
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