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2019年3月20日 (水)

幻の「稚児落としの滝」~雲仙市雲仙

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地元では有名な「稚児落しの滝」です。雲仙~千々石に下りるところにありますが、近年大規模な道路工事が行われ、危険箇所という事で立ち入り禁止になっています。いまや、幻の滝です。

「稚児落とし」については、3説ほどあり。


雲仙は修験道者の修行の場所として有名であり、別所と札の原に合わせて1000もの僧坊があったと言われています。もっとも、一人で暮らし修行する小さな僧坊も多かったと思いますが。


で、ある日、片方の稚児がもう一つの場所のお稚児さんが飼っている「白雀」を貸せと、もちろん断りますが、喧嘩になり、誤って白雀が死んでしまい、大騒動。子供の喧嘩に大人が出るというにのに似ていますが・・・これに、別所と札の原の僧が出て来て大騒乱。寺に放火する者などもおり刀、槍などを持ちだして、大殺傷事件。


これを聞いた、当時島原半島を治めていた有馬氏、兵を派遣し原因は稚児にあったということで、全坊の稚児を集めて、滝の上から稚児を突き落として殺した、ということで「稚児落としの滝」。


もう一説は、このころキリシタンが口之津に入港。島原半島を治めていた有馬氏は洗礼を受け、キリシタンになり、雲仙の僧もキリスト教に影響を受ける者もおり、この僧と仏教を守ろうとする僧の争いだという説もあり。


上の両者混合の説もあります。


もう一説は裏話として語られてはいたのですが、杉村廣太氏の「温泉(うんぜん)岳を繞(めぐ)りて」に次のようにはっきりと書いてあります。大正13年の本です。


「・・・或時別所の坊さんと札の原の坊さんとの間に、稚児に関する一種の恋愛問題から争いが出来て、法衣の上に甲冑を掛け、数珠の手に剣戟を持って仏徒にあるまじき大闘争をやった所から、国主有馬候が家臣を派し鎮定したが、その時禍根を断つためにと、闘争の原因になった稚児共を、この滝布に突落して殺したというので、それから此名が付けられたのである。」


以上、誠にザックリ紹介ですが、書けばきりがないのでご了承を。


さて、この本の作者の方は事情通らしく、雲仙岳の所に「田代原(たしろばる)」というところがあり、そこについて・・・


「・・・この田代原は、長崎県の新しい計画で、池の原(現雲仙ゴルフ場)より更に大規模のゴルフ場をつくろうというので、選定された場所である。・・」とあり、この話を聞のは初めてで、調べる必要があるような・・・


上の写真ですが、人物が写っています。外人です。雲仙には沢山の外国客がきており、以前書いたように、雲仙に向かう汽車の乗換駅「愛野駅」では、駅長さんは英語が喋れないと務まれなかったそうです。また、昭和初めの県議会でも、雲仙のホテルは外人向けだけではなく、日本人向けの宿泊施設を作ったらどうかとの質問も出ています。(以前書いたかな?)


さて、道路が拡張され雲仙まで行くのに随分便利になりました。しかし、そのため「稚児落としの滝」は見られなくなり、「幻の滝」になりました。便利になるのが良いのか、そのために、歴史を秘めた史跡を無くしても良いのか・・・どちらでしょう?





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