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2019年3月

2019年3月24日 (日)

「橘公園(神社)」、桜はまだかいな?


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早熟な桜は咲いています・・・が・・・

下は「開花基準木」。昨年までは標記が立っていたのですが、一応、基準木として。

数えてみると、数十ばかりの花が咲いていたので、勝手に「開花宣言」をします。

橋の下の桜は、開花したらライトアップするのですが、まだですね。早い方は、花見をしていましたが。


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下が宴会場🍺ですが?まだまだ開花していません。もっとも最近暖かいので、あっという間に満開になるかも。

「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや」という和歌もあったような・・・

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出店(でみせ)は準備は出来ているようですが、商売を始めたところ、まだのところいろいろと。
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千々石名物の「じゃがちゃん」。今年は、ネコが注目を集めましたが、茶碗にもネコさんが。

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中学校の掲示版。卒業式が先日あったためか、「絆」の詩。

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ウチのカミサンと私、「絆」がボロボロで切れそうなんですが・・・・どうしましょう💧・・・

2019年3月20日 (水)

幻の「稚児落としの滝」~雲仙市雲仙

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地元では有名な「稚児落しの滝」です。雲仙~千々石に下りるところにありますが、近年大規模な道路工事が行われ、危険箇所という事で立ち入り禁止になっています。いまや、幻の滝です。

「稚児落とし」については、3説ほどあり。


雲仙は修験道者の修行の場所として有名であり、別所と札の原に合わせて1000もの僧坊があったと言われています。もっとも、一人で暮らし修行する小さな僧坊も多かったと思いますが。


で、ある日、片方の稚児がもう一つの場所のお稚児さんが飼っている「白雀」を貸せと、もちろん断りますが、喧嘩になり、誤って白雀が死んでしまい、大騒動。子供の喧嘩に大人が出るというにのに似ていますが・・・これに、別所と札の原の僧が出て来て大騒乱。寺に放火する者などもおり刀、槍などを持ちだして、大殺傷事件。


これを聞いた、当時島原半島を治めていた有馬氏、兵を派遣し原因は稚児にあったということで、全坊の稚児を集めて、滝の上から稚児を突き落として殺した、ということで「稚児落としの滝」。


もう一説は、このころキリシタンが口之津に入港。島原半島を治めていた有馬氏は洗礼を受け、キリシタンになり、雲仙の僧もキリスト教に影響を受ける者もおり、この僧と仏教を守ろうとする僧の争いだという説もあり。


上の両者混合の説もあります。


もう一説は裏話として語られてはいたのですが、杉村廣太氏の「温泉(うんぜん)岳を繞(めぐ)りて」に次のようにはっきりと書いてあります。大正13年の本です。


「・・・或時別所の坊さんと札の原の坊さんとの間に、稚児に関する一種の恋愛問題から争いが出来て、法衣の上に甲冑を掛け、数珠の手に剣戟を持って仏徒にあるまじき大闘争をやった所から、国主有馬候が家臣を派し鎮定したが、その時禍根を断つためにと、闘争の原因になった稚児共を、この滝布に突落して殺したというので、それから此名が付けられたのである。」


以上、誠にザックリ紹介ですが、書けばきりがないのでご了承を。


さて、この本の作者の方は事情通らしく、雲仙岳の所に「田代原(たしろばる)」というところがあり、そこについて・・・


「・・・この田代原は、長崎県の新しい計画で、池の原(現雲仙ゴルフ場)より更に大規模のゴルフ場をつくろうというので、選定された場所である。・・」とあり、この話を聞のは初めてで、調べる必要があるような・・・


上の写真ですが、人物が写っています。外人です。雲仙には沢山の外国客がきており、以前書いたように、雲仙に向かう汽車の乗換駅「愛野駅」では、駅長さんは英語が喋れないと務まれなかったそうです。また、昭和初めの県議会でも、雲仙のホテルは外人向けだけではなく、日本人向けの宿泊施設を作ったらどうかとの質問も出ています。(以前書いたかな?)


さて、道路が拡張され雲仙まで行くのに随分便利になりました。しかし、そのため「稚児落としの滝」は見られなくなり、「幻の滝」になりました。便利になるのが良いのか、そのために、歴史を秘めた史跡を無くしても良いのか・・・どちらでしょう?





テストです

ココログの記事をアップできないので、テスト中です。

2019年3月16日 (土)

集い処「えんがわ」さんをお借りして~雲仙市千々石町

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「集い処・えんがわ」です。上の写真は、紹介のリーフレットからお借りしましたが、古民家です。(以前にも紹介しましたが・・・)

古民家と言えば、「古い」という意識がありますが、天井が高く、使われている木材もがっしりし、畳も昔の広いものを使っており、居るだけで、なんとなく落ち着きます。

「集い処・えんがわ」は農産物の生産、加工、販売をしている(株)マル二さんが、この古民家を借り、作業場として使っていますが、大広間が空いており、地域の人が集う所として利用してもらえないかと、町おこしのため開所したところです。

今日いって見たら、つまみ細工だったかな?を作っていました。

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(株)マルニさんでは、野菜を煮たものを真空パックにして、ここでも直販しています。料理が面倒くさいのは、献立を考える事、そして、野菜の皮をむいたり、刻んだり下ごしらえをすること。これが、なければ料理は意外と楽しいのですが・・・で、(株)マルニさんの野菜を使うと、下作りの手間が一手間省けます。

私も料理をするので、2,3種類買って使って見たら、とても便利。

で、私、収集癖があり、ここ数年、千々石に関するもの、また、古文書等々収集したものがあるので、しかるべき所に寄贈しようか思い(もうボチボチ歳なので・・・)当局さんに相談したらは、あまり関心がないらしく、それならどこかに展示できないかと思って、”えんがわ”さんに相談したら、気持ちよく、「いいですよ」と返事をもらったので一畳ばかりのスペースをお借りして、展示ケースを作って置かせてもらうことにしました。

最初は、千々石、小浜、雲仙等の明治、大正、戦前の絵はがきを持っていたので、とりあえず解説と一緒に並べることにしましたが、多分、4月からになりますが、その前触れとして、絵はがきを10枚ほど拡大して並べました。気軽にご覧に来て下さい。

ところで、写真の後ろの欄間。大工さんと一緒に置き場などを見てもらったのですが、欄間を見た途端「この欄間良いですね」と。今頃はこのような欄間を作る方は少なくなったそうです。これも、見もの一つです。

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さて、一回目は千々石を中心とした絵はがき・写真等の展示ですが、2回目は「大江戸大捜査」を考えています。中身は・・・・・・ですが、楽しみに。

夫婦げんかしたときなど、ここへ来てゆっくり休んで、気を落ち着けるのも良いかも。何しろ、田舎には気のきいた喫茶店などなく、ゆったりするところがありませんから。ですね。

「えんがわ」は千々石郵便局からすぐの所です。



2019年3月13日 (水)

お父さんは、かわいそう。

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お父さん、かわいそう。いよいよ、捨てられるんですか?

おかあさんに気をつかい、むすめの成長に気をつかい、グレないように、悪い虫がつかないように注意して、挙げ句の果ては、「パパうざい」といわれ・・・本当にかわいそう。

そのうえ、「旦那が何を言っているかわからない」と言われ、子供は小学校のときから、お母さんの「取扱説明書」を読み、お母さんの機嫌をうかがいつつ・・・

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本は買いましたが、なにが書いてあるのか怖いので、まだ読んではいませんが・・・わたしも、ボチボチ断捨離されるのかな (^^;) ・・・・



2019年3月 7日 (木)

「プール」があったげな~国立雲仙公園

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雲仙のプールです。

雲仙にはテニスコート、ゴルフ場等々がありますが、絵はがき、写真集を集めているうち、「雲仙プール」という絵はがきがあり、「雲仙」といえば「雲仙」しかなく、プールというのは初めてで、一応場所を探してみました。もちろん、現在は影も形もありません。

下は、テニスコートと児童公園。児童公園もよく場所が分かりません。


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テニスコートはまだまだ元気。テニスコート前、現在「新湯ポンプ中継所」。昔、弓道場があったそうです。

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ゴルフ場ですが、「東洋一のゴルフ場」。良く見ると、牛さんが寝ていたり、馬さんが草を食べたりしています。なんと、のんびりしたことか!表には昭和7年のスタンプが押されていました。

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さて、「雲仙プール」ですが、観光パンフレット、旅館の案内地図を調べると、大体「別所」の付近だと思われるのですが、ピンポイントでは分かりませせん。

で、地元のことは地元の人へと。詳しい人に聞いたら、現在の別所ダムにあったそうで、自分も泳いでいたということでしたが、どちらかというと外人向けのプールだったそうです。

ここは、修験道者が修行をしたところで、300坊があったという所で、「加持川」が流れていました。「加持祈祷」の「加持」ですから、仏教と関係していた所だということがわかります。

この加持川の水を利用してプールが作られたと思われます。なお、この横の所、外人向けのバンガローなどがあったそうです。

なお、加持川をせき止め、1961年にダム作りに着工、1970年に完成をしています。当然、プールはダムの底です。


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上の写真に似ている所から撮りましたが、上の写真はこのダムの底から撮っているので、風景としては多少違っています。

なお、ダムの水が干上がったときには、かすかに見えることがあるそうです。何十年かに一回ということだそうですが・・・


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この別所ダム、「おしどりの池」という別名があり、昔はおしどりをよく見かけたのですが、最近は、あまり見かけなくなりました。ひょっとしたら、離婚したのかな?


2019年3月 4日 (月)

変わる風景~千々石海岸

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上は千々石海岸の写真。赤丸印は「福石様」。絵はがきですが、使用されていないため、年代ははっきりしませんが、家の屋根は、べらり(標準語で全部)茅葺きです。

これ、どこらあたりかなと思い、地元の知人に聞いたら、あそこじゃない、と言うことで、あそこへ行ってみたら、ピンポイントでは分からず、ここら辺だろうと思って撮った写真が下。

赤丸印が「福石様」向こう側の海岸は大体同じですが、手前の海岸は道路ができ、公園ができ、防波堤ができ、こんなにも違ってきたのかと思いました。

昔が良かったとは思いませんが、なんとなく寂しい思いでした。

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思えば、私のカミサンも昔はあんなに可愛かったのに、今では、すっかり変わってしまいましたm(_ _)m・・・今でも、それなりには可愛いのですが・・・・(この部分失言につき、全部抹消します。)

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