「寺山修司 青春書簡ー恩師・中野トクへの75通」~九条今日子監修・小菅麻紀子編著
「寺山修司 青春書簡」が出版されたのが、2005年12月10日。
寺山修司を知ったのは、高校生の時。それから、随分の本を読みました。
カミサンから本が邪魔といわれて、随分処理をしたのですが、寺山修司の本だけは一冊も処理できませんでした。
表紙は寺山修司が野原に腹ばいになっているところ。
・方言かなし菫に語り及ぶとき
・車輪繕う地のたんぽゝに頬つけて
最近は方言が流行しているようですが、昔は東北の方は方言に屈折した思いがあるのか
ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
と歌ったのは石川啄木。
裏表紙は寺山修司が線路を走っていますが
「ロンググッドバイ」
地があつい鉄道ならば
走り抜けてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう
同じ時代の誰かが
地を穿つさびしいひびきを後にして
私はクリフォード・ブラウンの旅行案内の最後のページをめくる男だ
合言葉は A列車でいこう だ
そうだ A列車でいこう
それがだめだったら走って行こう
(以下、長いので省略)
A列車と言えば、ゲームとか旅行会社が使っているようですが、元来はジャズのスタンダードナンバーのひとつです→詳しくはこちらをクリック
ただ、昔、聞いた話では、黒人奴隷をカナダに逃がすため「地下鉄道」という名の組織があり、そのルートを隠語で「A列車」といっていたと言うことだったのですが・・
裏表紙、寺山修司が走っている姿と、「そうだ A列車で行こう それがだめだったら走って行こうよ」という詩をよむと、そちらのほうがピッタリだと思うのですが・・・
さて、本に載っている「恩師・中野トク」さん。直接の教え子では無く、中野先生の教え子、広瀬隆平氏が「寺山はあまり幸福ではないから、先生に会ったら少しは幸福になれるかもしれない」ということで二人を紹介したそうです。
当時は、公共図書館も無く、中野先生が自分の自宅を、放課後の生徒に解放していたそうです。家には色々な本があり、生徒たちは各々好きな本を読んでいたそうです。
寺山修司が中野先生に宛てた書簡は、高校二年生の昭和28年から昭和38年までの75通になるそうですが、この本は寺山修司の手紙をそのまま写しています。決して上手な字とはいえませんが、寺山修司の作品を思い出しながら読むと、納得できる「字」でした。
書簡の内容は、作品とは違った面も見られ、また、作品の理解に役にたつかもしれません。
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