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2019年2月

2019年2月28日 (木)

「マジ?」~モービルオイルCMと橘中佐の微妙な関係

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1973年(昭和48年)1月号の「SNOOPY」です。この年に生まれた方は46歳になります。多分。

この雑誌、私は読んだことがないのですが、他に調べ物をしていると、ひょんな事に気がつき・・・・

最後の所に「CM SONG CARD」というこのがあり、上の段が「モービル石油・コマーシャルソング」の「気楽に行こう」(マイク真木作詞・作曲・歌)。まあ、ここまでは良いのですが、なぜか下の段の歌・・・

「軍神橘中佐」(鍵谷徳三郎作詞・安田俊高作曲)が載っており。

あなたですよ、若者向けの雑誌、しかも昭和48年発行。それに、橘中佐の「遼陽城頭夜は闌けて 有明月の影すごく・・・・」と戦時中の歌を載せて、誰が歌うんですか?しかも、全国向けの雑誌ですよ。

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次のページをあけたら、この歌19番まで載っていました。本当はまだ長いのですが。

で、赤の四角の所読んだら、よく分かりました。そのまま書いてみます。


モービル石油のCMは、ユニークなモップスの鈴木博三(注:鈴木ひろみつ・2007年3月、60歳没)と”軍神橘中佐”の歌で決まっています。
今、若い人たちの話題を呼んでいるこの歌、CMを撮る際、”気軽に行こうよ”の前に、何か歌を流そうかいナンテいってたら、鈴木博三クンが、この歌を歌いはじめたんだって。そくざに、それていこうー!って決まったそう。
この歌は、このあと下の巻13番と続く、長~い歌です。(原田英子)


だったんですって。


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で、このCMは大ヒットしたので、テレビで良く見ていたのですが、橘中佐入りのCMは記憶がなく、YouTubeあたりにないか調べたら残念でした。

ネットであちらこちら調べると、意外と”橘中佐”入りのCMを覚えている方が多く、某ブログでこの歌をYouTubeに投稿した方がおられたみたいですが、再生したら、下の画面。誠に残念でした。

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削除された原因は色々と推察されますが、橘中佐の生誕地に住んでいる人間としては、橘中佐の歌入りの「気楽に行こう」。聞きたかったな~。

どなたか、ネットあたりで流しているのを知っている方、お知らせをm(_ _)m。



2019年2月25日 (月)

「羅漢寺の猿石(?)」~南島原市有家町湯川内

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有家町湯河内に「羅漢寺跡」というところがあります。

「有家町郷土誌」と「有家町内における文化財の調査」によると多少違いがあるのですが、はっきりしないところがあるので、ザックリ書いてみます。

数十年前聞いた話では、この道々に、上にあるような石造物点々とがあり、それを集めてここに祀ったとか。

「羅漢寺」と書いてありますが、
「有家町内における文化財の調査」では、このあたりに、密教寺院があったらしく、この一帯を「寺山」「寺屋敷」といい、出水で流されたらしく、その道場に安置されていた彫仏が発見されたそうです。

その、概要を聞いた北九州市の某お寺の住職が「石造物を羅漢と早呑み込みし、羅漢寺云々の語句を使用したことにはじまり、一部の土地の人々は、これを羅漢像と言い伝えたことに、間違いを引き起こした遠因があったのであり。」と言うことで、ここに「羅漢寺」というお寺があったのではありません。

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どう見ても、羅漢さんにはみえません。

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石像の実測図ですが、確かに羅漢さんではありません。

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     (「有家町内における文化財の調査」より)

この報告書の副題が「ー資料よりみた倭、韓交流史に対する提言の試みー」なっており、この事についても書いてありますが、長いので、いつものように省略。

この石造物は現在「猿石」といい、有家町の各地に点在していますが。「・・・・麓の村人たちが、キノサン参りと称して、豊穣を希求する登山参道の古道を探れば(かって登った古老による)蒲河から須川あたりの旧入江港を基点として、山川ー堀切ー湯河内を経て鮎帰滝に出、(中略)西北高岩山の裙に出、(中略)ここより高岩山に登り参詣するが、古代舟人にとっても、巨石崇拝、或いは航海の指標として尊崇されたことは、現地からみて、認めざるを得ない条件を持ち、仏教の文化がこれと結びついたことも、けだし当然である。」とあります。

少し古い絵葉書からですが、下が高岩山です。

雲仙といえば、昔は修道験者の修行の場所として有名でした。この修道験者の道標として、猿石が置かれたのではないかとの話もあります。

まだまだ、解明はなされてないようですが、多分、これだ、という結論は出そうもないのですが・・・

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羅漢寺跡に行くには、雲仙から島原に下る途中に俵石展望所があり、そこから有家に下る道があり、途中に「鮎帰の滝」の看板がありますから、そちらの道に入り、途中、滝に行く道がありますが、それを無視し直線します。で、途中、小さな分かれ道があります、それも無視して、まっすぐ進みます。そうすると、上の写真の所にでます。

なお、道が狭いです。舗装はしてありますが、リーンカーン・コンチネンタルなどの車は避けた方が良いでしょう。ベンツなどの高級車も避けたが良いと思います。運転のヘタな方、狭い道を運転すると、息苦しくなる方も避けた方が良いと思います。

なお、羅漢寺あとから、上の国道に抜けるそうですが、地元の方にきいたら、Uターンしたほうがベターだと言うことでした。Uターンする場所は、すぐ先にあります。

しかし、この苔むした石造物、いつまで見ても飽きませんでした。


参考書・「有家町郷土誌」「有家町の文化財報告 有家町における文化財の分布調査 ー資料よりみた倭、韓交流史に対する提言の試みー」より

2019年2月23日 (土)

「緋寒桜の郷まつり」~雲仙市国見町神代小路歴史文化公園

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今年も、鍋島邸を中心にして「緋寒桜の郷まつり」が始まりました。というより、私が知らない間に、2月17日から始まったみたいです。一番のイベントが24日(明日)になるようです。まつりは3月3日まであるようです。

鍋島邸に入る、長屋門。両脇は「切石亀甲積」の石垣。「亀甲」というとすぐに「亀甲●り」を思い出すのですが・・・


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正面玄関ですが、確か去年までは閉まっていたような・・・。お殿様しか使われない玄関です。

右の写真、丸印の石の所に水が溜まると緋寒桜が写って良い撮影ポイントなのですが、水でぬらすと石が傷むとか。で、ガラスを敷けばと三年前に言ったのですが・・・

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外の庭も良く手入れがされて、目を楽しませてくれます。

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一般人が入る玄関です。昨年までは「撮影禁止」と書かれていたのですが、少し緩和されたのかと思ったら、奥の方は撮影禁止。

ちょうど、蓄音機を使ったコンサート、初めての試みだったかな?

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こちら赤丸の所の柱ですが、一本の木をつかっています。もちろん根元と先の方では大きさが違い、下の窓の部分は微妙に高さが違い、ここは大工さんの腕の見せ所、とはガイドさんの話でした。

ガラスから見える庭っていうのもいいですね。

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イベントの日程など書いてありましたが、こちら、クリックすると読める程度には拡大できます。

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入り口でいただいたパンフレット、大体このような感じの「鍋島邸」です

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明日が一番のイベントなので、是非お越しのほどをm(_ _)m。


2019年2月21日 (木)

「寺山修司 青春書簡ー恩師・中野トクへの75通」~九条今日子監修・小菅麻紀子編著

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「寺山修司 青春書簡」が出版されたのが、2005年12月10日。

寺山修司を知ったのは、高校生の時。それから、随分の本を読みました。

カミサンから本が邪魔といわれて、随分処理をしたのですが、寺山修司の本だけは一冊も処理できませんでした。

表紙は寺山修司が野原に腹ばいになっているところ。


・方言かなし菫に語り及ぶとき
・車輪繕う地のたんぽゝに頬つけて


最近は方言が流行しているようですが、昔は東北の方は方言に屈折した思いがあるのか


ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく


と歌ったのは石川啄木。


裏表紙は寺山修司が線路を走っていますが


「ロンググッドバイ」

地があつい鉄道ならば
走り抜けてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう
同じ時代の誰かが
地を穿つさびしいひびきを後にして
私はクリフォード・ブラウンの旅行案内の最後のページをめくる男だ
合言葉は A列車でいこう だ
そうだ A列車でいこう
それがだめだったら走って行こう
(以下、長いので省略)


A列車と言えば、ゲームとか旅行会社が使っているようですが、元来はジャズのスタンダードナンバーのひとつです→詳しくはこちらをクリック

ただ、昔、聞いた話では、黒人奴隷をカナダに逃がすため「地下鉄道」という名の組織があり、そのルートを隠語で「A列車」といっていたと言うことだったのですが・・

裏表紙、寺山修司が走っている姿と、「そうだ A列車で行こう それがだめだったら走って行こうよ」という詩をよむと、そちらのほうがピッタリだと思うのですが・・・

さて、本に載っている「恩師・中野トク」さん。直接の教え子では無く、中野先生の教え子、広瀬隆平氏が「寺山はあまり幸福ではないから、先生に会ったら少しは幸福になれるかもしれない」ということで二人を紹介したそうです。

当時は、公共図書館も無く、中野先生が自分の自宅を、放課後の生徒に解放していたそうです。家には色々な本があり、生徒たちは各々好きな本を読んでいたそうです。

寺山修司が中野先生に宛てた書簡は、高校二年生の昭和28年から昭和38年までの75通になるそうですが、この本は寺山修司の手紙をそのまま写しています。決して上手な字とはいえませんが、寺山修司の作品を思い出しながら読むと、納得できる「字」でした。

書簡の内容は、作品とは違った面も見られ、また、作品の理解に役にたつかもしれません。



2019年2月19日 (火)

今年最大の「スパームーン」

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今日散歩していると、お近くの人に出会い「今日はスーパームーン」だよ、と言われました。

もう何回もブログにだしているので、どうしようかと思っていたら、先日「のび太の月面探査記」を紹介したばかりなので、ヒョッとした、のび太やドラえもんが見えないかなと思って写真を撮ってきました。

正確には、20日の0時54分が丁度満月なのだそうですが、まあ、そんな堅いことは言わないで・・・今日は空の状態が非常に悪く、多少雲がかかった状態でしたが、なんとか撮ってみました。

で、これ右のクレーターのところ、見えるんですね。ドラえもんやのび太くんたち。
見えないですか?それは、あなたの心が世俗の常識にまみれているからで、私のように純粋な心を持った人には見えるはずです。

さて、今回のスーパームーンは今年最大のスーパームーンだそうです。

9月14日の最小の満月と、今回の満月の大きさの違いがネットの「tenki.jp」に載っていたので興味のある方はごらんください。随分違います→こちらをクリック

つくづく見ていると、こんな大きなものが宙に浮かんでいるなんて、まさに神秘的ですね。



2019年2月17日 (日)

「のび太の月面探査記」~★原作・藤子・F・不二雄★著・辻村深月

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ドラえもんの本が書店に並んでいて、セロファン紙で包んであるので、てっきりマンガかと思って買ってきて、セロファン紙をあけると、なんと、ベラり、活字。


おかしいなと思って帯の裏側を見ると「『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の脚本を手掛けた辻村深月が、自ら書き下ろし小説化」という事でした。なんとなく、納得したようなしないような。なお、本の方は、今日、行きつけの本屋さんでは売り切れていました。

なお、作者の辻村深月氏は「章タイトルをすべて『ドラえもん』のひみつ道具にした『凍りのくじら』」があるそうですが、私、残念ながら、辻村深月氏の本を読んだことがないのですが、「ドラえもん」がよほでお好きなのでしょう。本の帯の裏側に、作者が「ドラえもん」をいかに好きだったかも書いてあります。

さて、小説の出だしは、月面探査機ナヨタケのカメラに映った白い影。

謎の影ですが、のび太は月にいるものといえば「ウサギ」だと言いますが、もちろん皆にはバカにされます。

で、のび太とドラえもんは月に行き、「あのクレーターにウサギ王国を作ろう!」というわけですが、もちろん、ドラえもんの秘密道具が活躍します。

話変わって、某日、ルカという何となく冷たいような、でも、勉強はできる、体育は万能という、なんとなく不思議なルカという転校生がきますが、実はルカは・・・・と
いう事で話は、大きく展開してくるのですが・・・・


私としても、1800円+税という事で、大枚払って買ったので、これ以上は書きません。興味のあるかたは、ご自分で買ってお楽しみください。たまには、このような冒険小説も良いですよ。

なお、この映画は「3月1日にロードショー」という事で、読んでから映画を見るか、映画を見て本を読むか、映画はみない小説も読まないか、悩みますね。私は既に読んだので・・・映画は見るかどうかの問題ですが・・・・




2019年2月12日 (火)

パインティールファームさんの「育てるチーズ」~雲仙市

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パインティールファームさんに行ったのは一年ぶり。ご夫婦二人+αの少人数で、牛のお世話、チーズ作りと忙しく、土曜日と日曜日しか開店をしていないので、なかなか行けませんでした。

先週の火曜日の長崎新聞を読むと、パインティールファームさんで作っている「育てるチース」が第五十回県特産品新作(県主催)で最優秀賞を取られたとかで、どんなんかなと思って、行って見ました。

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相変わらず、みなさんお元気ですね。

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入ったところに、商品が並んでいて一番左の上の方に「育てるチーズ」が置いてありました。

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お店に行ったのが11時15分頃ですが、11時開店にもかかわらず結構なお客さん。

右の写真、多分「プレミアムピザ」だと思いますが、大きなチーズを削って左のお皿にかけていましたが、あまり美味しそうなので、注文したお客さんに「写真いいっすか」と、歳とったら図々しくなるものなるもので、それでも「どうぞ」。


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さて、用事があったので「育てるチーズ」と他2点ほど買ったら、保冷バックに入れてもらえました。

いよいよ「育てるチーズ」の箱を開けると、右のようにチーズが入ったパック。

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なんと、白いお肌でしょう。ウチのカミサンのお肌と比べれば・・・

で、後はふたを箱の下に敷いて、チーズの入ったパックをそのまま箱に入れ、蓋を閉めるだけ。

あとは、下に溜まった乳清を捨て、チーズを上下にひっくり返す、この時期はフレッシュな味だ楽しめます、と。

10日ほどで熟成が進み少し酸味とコクがでる、と。ここで、塩水でチーズをまるごと優しく洗いペーパータオルで水分を拭きます。3日に一度行うのがベストだそうです。

20日目、さらに熟成が進み、まったりとした口あたりに変化するそうです。

お店屋さんで買えば早いのですが、野菜にしたって自分が作ったものが一番美味しい。

ウチはまだ2日目でどう変わるか楽しみです。まさに「育てる」楽しみですね。

なお、箱の横には「大切に育ててください。」「のびのびと育ててください。」「たのしく育ててください。」「おいしく育ててください。」と書いてありました。なんとなく、子供を育てるのと一緒ですね。

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製品については、通販もしているようで、「パインティールファーム」で検索してください。


2019年2月 9日 (土)

挑戦!「ぬか漬け」!!

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2年ほど前だったか、友達んちに行ったら、上のようなぬか漬け桶がありました。

もともと碁盤屋さんで、碁盤作りだけでは生活ができないとかで、ぬか漬けの桶を作ったとか。

ネットで注文しようかと思ったら、「只今、製造中止しております」。

それから1年、なにげにネットを見ると、注文を受け付けているではありませんか。樽は超特大、特大、大、中とあり、ウチは2人暮らしだから一番小さい中を注文。

しばらくしたら、メールが来て「2ヶ月ほどお待ちください」。

着いたのが、一月下旬。ぬかは付いているものの、これは足しぬかで、ぬか床を作るのも、捨て野菜などを入れて作るので面倒くさく、時間がかかるので、ネットで捜したら、京都の料亭で発売している、発酵済み熟成ぬか床(少々お高くはありましたが)を購入。これなら購入して即使えます。

用意がととのったので早速漬けましたが、ここで大間違い。浅漬けは、漬けるものを深く、ではなく、浅い所に漬けるものだと思っていました。本当にバカな私。

もっとも、以前、料理学校の先生と話をしていると、「落としぶたをして下さい」と言ったら、持ってたふたを床に落とした生徒がいたとか。それに比べれば、私の方が、まだましでしょう。

と、最初の日は人参、昆布、ゆで卵が美味しいとかで漬けてみました。はやり、ぬかが良いせいか、私の漬け方が良いせいか、どれも美味しく、特に半熟卵はベリーグーでした。

次の日は、大根、カブ、シイタケ(焼いて食しました)、昆布、ミニトマトを試しましたが、ミニトマトは漬け方が足りなかったのか、塩ずりした方がいいかなと。

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で、次の日が大根、カブ、エリンギ、ウズラの卵、アボガド、昆布、芽キャベツですね。

巻キャベツは漬け方が足りず、アボガド、ウズラの卵は良いお味でした。もちろん旬の大根、カブも良いお味でした。ウズラの卵は酒の肴にピッタリみたい。私は酒は飲みませんが・・・・

エリンギは、近所にキノコ屋さんの工場があるので、買って来ましたが歯ごたえが面白く、というところでした。なお、エリンギは腹の弱い人は生食は避けてくれと、キノコ屋さんの張り紙に書いてありましたので注意して下さい。

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キュウリ、ナスも考えたのですが、旬のものをと思っていたので、これは夏のお楽しみ。

この次漬けるものですね、もちろんカミサンですよ。

漬け桶は「松川碁盤点」でググるとヒットするかと思います。なお、漬け桶は、霧島杉で作っているので、自然に水が蒸発し、面倒くさい水抜きはしないで良いそうです。



2019年2月 7日 (木)

千々石に寄港した客船。

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上の写真も下の写真も、千々石海岸から撮ったものです。

上の写真は海岸付近の「福石様」の所です。船が写っていますが、漁船で無いことは分かると思います。このころ、千々石では写真に見るとおり小舟ばかりでした。

この船は茂木航路の客船です。

下の写真は小浜方面を撮った写真ですが、同じように船が見えますが、これも、小舟にしては大きく、煙が見えます。これも、客船です。

昔、千々石、小浜、雲仙に遊びに訪れた方が多く(外人さんも)、千々石では「千々石ホテル」を利用し、小浜、雲仙方面にも行ってたとか。

さて、本当に千々石に客船が寄港していたかというと、下は長崎新聞社(現在の長崎新聞社とは関係ありません)明治42年発刊の「温泉(うんぜん)小浜案内記」~中川観秀著です。

赤い線の所「千々石」とあり、寄港地を見ると「千々石→唐比→有喜→江の浦→茂木」となっています。

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なお、下図は昭和2年雲仙岳後援會(長崎縣廳内)より発刊の「雲仙」。これを見れば、茂木から直接小浜に行く航路、茂木から橘湾沿いの各地に寄港していることが分かります。

大正15年発刊「雲仙小濱風光記」(関善太郎著)には、陸路、海路、複数書いてありますが、千々石関係は・・・

三角際崎→天草島5,6ヵ所→茂木港において陸路長崎より来たれる客を乗せ→江の浦→有喜→唐比→千々石→小浜、と書いてあります。

多分、汽船会社、時代によって寄港地が違っているのかとも思いますが・・・・

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さて、千々石に客船を停める桟橋があったかというと、現在、海が埋め立てられて分かりませんが、漁船を停める所はたくさんあったとか。

なお、茂木から千々石へ汽船に乗って嫁入りした、おばあちゃんがいるとかで、現在、聞き取りにいってもらっています。

下は、茂木港ですが、ちゃんと客船が停められる桟橋があります。

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下は、小浜港ですが桟橋はありません。
客船と、丸印の所には階段が見えます。小浜では、沖に客船を停め小舟でお客さんを運んでいたそうです。なお、階段の上の建物が、船の待合室かと思われます。

千々石も小浜と同じく、沖に客船を停め、小舟でお客さんを運んだものと思われます。

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2019年2月 4日 (月)

「荒飛甚太夫」とは何者か?~千々石町温泉神社力石について

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千々石町「温泉神社(旧四面宮)」にある「力石」です。

以前は彫られた字も、もう少しはっきりしていたのですが、「力石」と中央に彫られた文字以外は摩耗しています。

がですね、ちゃんと調べた方がおり、四日市大学健康科学研究室、高橋愼助氏(2009年現在)の「九州・沖縄の力石」(他、全国の力石についての著作有り)の雲仙市のなかに

(2)温泉神社・千々石巳
①「奉納 力石 目方三百四十斤 東京相撲 荒飛甚大夫 明治十六年三月九日」  66㎝×37㎝×32㎝

となっています。

「千々石町郷土誌」には、「怪力無比『荒飛』」の話として、概略書くと。

時代不明。
子供の頃から、力持ち。皆にすすめられ江戸(東京)に上がり相撲取りに。グングン位も上がり、このままでは横綱大関を倒すのも、もうすぐだろうと噂に上がるようになり、これを聞いた横綱が無法者を雇って殺そうとしたところ、これを耳にした横綱宅の女中が、可愛そうに思って荒飛に知らせたそうです。

荒飛は怒り悲しみ、こんなつまらない世界にいても仕様が無いと千々石に帰って百姓になったそうです。

ある日、曲がりの浜から石を一つ持ち帰りお四面さん(現温泉神社)の前に置き、青年たちに持ち上げさせたが、誰一人持ち上げる者はいなかったそうです。
で、「この石はなお、お四面さんの社前にある。」ということで、上の写真の力石です。ということです。

この「荒飛」がどういう人物なのか興味があり、ベースボールマガジン社の「大相撲人物大辞典」(大相撲三百年のなかで、それぞれの時代の幕の内の力士のデーターが書いてあります)。これを読むと荒飛という力士が2名書いてあり、1名は

出身 千葉県市川市湊周辺
生年月日 安永八年
初土俵 寛政十年三月場所 幕内付出
入幕 寛政十年三月場所 幕内付出
最終場所 文化四年二月場所 

となっていますが、初場所がいきなり前頭付出ですから、実力はあったと見られたのでしょうが、その後の成績はあまりパッとしませんが、「荒飛の四股名は伊勢ノ海部屋の出世名として、代々受け継がれた」そうです。

もう一人の「荒飛甚太夫」は下のとおりです。

出身は栃木県、所属部屋は伊勢の海部屋。前の荒飛と一緒の部屋ですから、出世名を継いだわけですが、成績はパッとしません。

さて、こちらの荒飛は、初土俵が明治七年十二月場所、十両昇進が明治十五年、入幕が明治十七年。最終場所が明治十八年ですが、この年脱走。「これという戦歴もなく平凡な者であった」。「十八年の京都相撲で内幕であるが、その後は消息不明」ということです。

力石に彫ってあるのが明治十六年、明治十六年はまだ荒飛は東京相撲にいます。

考えるに、同時代には同じ四股名を持った力士は無く、例えば、「白鵬」という四股名を持った力士は二人は居ません。と考えれば、明治16年には「荒飛」の四股名を持った力士は一名しかいないということです。

ということは、出身地が違い、横綱が殺そうと思うほど強くは無く、と言うことですが、「荒飛」とはこの力士ではなかったかと思うのですが。

で、なぜ、この「荒飛」が力石を奉納したのかが謎ですが、かなり高齢の方に聞いたところ、昔、巡業があったというで、多分こちらにも回ってきたのではないかと思われます。

なお、千々石で無くとも、時代は違いますが、隣町の小浜町は玉垣額之助という有名な力士を生んだところであり、小浜に大相撲が巡業したことは十分に考えられ、その折り、有名であった千々石の「温泉神社(旧四面宮)」に力石を奉納したとも考えられるところです。

ただ、大相撲の巡業の記録は全くないので、手がかりが無いのですが、下の「荒飛甚太夫」の記録と照らし合わせればピッタリだと思うのですが・・・・

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       (ベースマガジン社刊「大相撲人物大辞典」より

2019年2月 1日 (金)

「平成最後のポテトチップス」

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「降る雪や明治は遠くなりにけり」という俳句がありますが、昭和も段々遠くなってきたみたいです。

最近は何でも「平成最後の・・・・」と枕を付けて言うことが多くなってきたようです。こちらは「湖池屋」さんの「平成最後のポテトチップス」・「賞味期限 平成31年4月31日」と書いてると、あ~、平成も4月31日までか、と寂しさを感じます。

つい先頃「平成」になったと思ったら、平成に生まれた方も、早い人は30歳を迎えています。


「ゆとり教育」。「2,000円札」ありましたね、ほとんど使われなかったけれど。「センター試験」また、試験方法が変わるそうですが。消費税「3%→5%→8%」そしてもうすぐ10%。どこまで上がるんでしょう。「バブル経済」良かったですね。あの頃が一番良かった時代かな。

普通はテレビなど見ながら、ポテトチップスをボリボリ食べるのですが、今日はパッケージを見
ながら、いろんな事を考えて食べました。

本当にいろんな事があったな、真知ちゃん、洋子さん、亜衣さん、芳香ちゃん、佐智さん、旬子さん・・・みんな元気にしてるかな。

裏側を見たら、丸印のところ、「製造工場では特定原材料中、卵、えび、かにを含む製品を生産しています。本品で使用している青のり、あおさは、えびやかにが混ざる漁法で採取しています。」だって。食品会社は気を遣っていますね。それだけ、アレルギーなどを持った人、特に子どもが多くなっているからでしょうが、こんなところにも時代の変化を感じます。




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