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2019年1月

2019年1月30日 (水)

「涼を求めて冬の滝」~諫早市高来町轟の滝

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長崎では有名な「轟(とどろき)の滝」です。

夏、暑かったので、涼みに行こうかと思ったら、高来町のお兄ちゃんから、「夏休みは、人が多いから、止めた方がいいっすョ。夏休み明けがいいっすッ」といわれ、夏休みが終わったので行って見ました。

案内所はもちろん誰もいません。お茶屋さんも「営業中」だけど、誰もいません。もっとも、冬の寒い日、朝早く、誰も来ないのに開けているわけ無いっすョね。

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滝までの道は完備。ただ、帰りは上ってくるのを考えると、しんどい。木の間に滝の音と一緒に見える姿は風情がありますね。

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吉井勇さんが来られたのか、所々に短歌が。右の木の割れ目が気になりますね~。誰もいないから、といっても撫でたり触ったりのセクハラはしませんでした。

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気になる2枚の看板。
「水温が低いので、遊泳される際は十分にご注意ください。」
「”滝つぼ”では絶対に泳がないでください。 諫早市」
さて、泳いで良いのか悪いのか。こんな寒い日は泳ぐ気にはなりませんが・・・もっとも、私、泳げませんが・・・

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「耳なり岩」。気になりますね。歳で耳なりがしているのに、この上。
滝の近くまで歩道があって。

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道の最後のところ、なにやら足形があって、ここに立つと、左の赤丸印の岩の壁から滝の音が反響して、これは、素晴らしい音でした。思わす、時間を忘れ聞き惚れました。ここ、絶対に行くべきですね。

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他にも、滝はあるのですが、膝を痛めているので、この日は残念ながら、ここで引き返しました。

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滝に行く道のところにある「名水」の汲み場。

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見ていたら、入れ替わり立ち替わり、水汲みの人、多いですね。
ポリタンク10個ほど汲んでいたので、聞いたら長崎からだと。で、以前から尿結石があり、いろんな水を飲んだところ、ここの水を飲み始めたら、結石が出なくなったとのこと。

誰にでも効くのか、この方だけに合ったのかは分かりませんが・・・試してみたい方は、自己責任で・・・

私の方は、ペットボトルしか持ってなかったので、一応、入れて飲んだら思ったより暖かく、柔らかい感じの水でした。家に帰ってコーヒーに使ったら、なかなかのお味でした。

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ということで、この日は、滝に居たのはわたし一人で、大自然を一人占め。
ひとりぼっちで、寂しかったといえば寂しかった。こんどは、誰かと二人で・・・・



2019年1月28日 (月)

「長崎ランタンフェスティバル」準備中~長崎市

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今日は真面目に歴史博物館まで資料をあせりに行きましたが、予定時間が2時間オーバー。次の予定があって・・・慌てましたが・・・

銀行にも用事があって町に行くと、はやランタンフェスティバルの準備。2月5日からですから、追い込み中ですね。

ということで、中央会場のみなと公園までは遠かったので、車を止めてある、駐車場付近の中央公園と中島川沿いを。駆け足で。

中央公園、動物さんがズラリと並んでいましたが、ウチの町のイノシシさんとお猿さんも連れてくれば良かったかな、と。

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これはカワユイ小僧さんですが、武術使いですね。喧嘩すれば、私が負けるでしょうが。

この公園、汽車が置いてあったのですが、老朽化のために撤去するといってましたが、看板だけはありました・・・諌早公園と島原の霊丘公園の蒸気機関車は無事ですが・・・・

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眼鏡橋付近です。これで、灯りがともれば本当にきれいなのですが。

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このお姉ちゃん、何を悩んでいるんでしょう?今年は、兎年だったかな?

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大股開きですね。女性だったら覗きこんだらセクハラでしょうが、男性だったのでのぞき込んだら、金●ではなく、電球がぶらさがっていました。

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浜町。こちらも祭りの準備。
知っているお店が段々少なくなっていました。ドラッグストアが増えています。買い物のお客さんには便利でしょうが、なんとなく、長崎らしさの風情が無くなっているのを感じます。聞こえる会話は外国語が多いし。東京みたいですね。


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一応、ランタンフェスティバルのチラシを貼っておきますので、ご参考に。

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2019年1月25日 (金)

「傑作!広告コピー516」~メガミックス編

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俳句、和歌、詩、コピー。
短いながらも、長編小説にも負けず、人生、世相を感じます。以前、別の本を紹介しましたが、今回も少々ご紹介を。

■いいおばあさんになりたい。

孫をもって、いいおじいちゃんとは何か考えましたが、良い爺とは頑固者だと思います。
最近は、切れる爺さんが多くなってきたようですが、「切れると」、「頑固」とは違いますね。
「いいおばあさん」のことは、爺さんには分かりません。

■女だって女房が欲しい。
■日本のお母さんは、いつか倒れると思う。

カミサンが、10日ほど留守しました。その間、掃除、洗濯、調理、風呂入れなど大変でした。つくづく、主婦の大変さを自覚しました。

■キスというものを、ここしばらく、していない。
■キスがなかったらつまんない。

このキスは、高校生の小鳥のようなキスが良いな。大人の激しいのでなく・・・・

■アタマのキレイなひと。
■ヘタなカツラをつけるなら、ハゲのままでいい。

そとがキレイか、なかがキレイな方が良いか、悩みますね。

■私の主食は、レタスと恋とカンビールね。

これ、以前にも紹介した覚えがあるのですが、何回読んでも良い文句だと思います。

■酒でしか女を口説けない男にはなるなよ。ベイビィ。

酒飲んで口説いたことはありますが、全敗。口説くときは、真面目に。

■スカートも哲学書も、めくるのは十代だった。

いわれれば、確かに・・・

■うるさそうな女に会ったので酒はジンにした。
■あまり、話たくないので酒はジンにした。

この場合、ジンはストレートですね、カクテルでは無く。絶対的に。私はバーボンにしますが・・・

■こんにちは、まっすぐの不良でございます。矢沢永吉。

私たちの時代は、石原裕次郎、赤城圭一郎でした。憧れましたが、真面目なサラリーマンになりました。というより、真面目なサラリーマンにしか、なれませんでした。

■ぼくが、一生に会える、ひとにぎりの人の中に、あなたがいました。

と思って結婚したんですが・・・・

■カワイイだけじゃだめなのよ。きちんと仕事もしないとね。

当たり前でしょう、「甘えるなよ」。可愛い子にはモテなかった男の独り言でした。

■入りたい会社、あります。やりたい仕事、ありません。
■職人は”人”です。会社員の”員”て何ですか。
■あなたが今辞めた会社は、あなたが入りたかった会社です。

就活、就活といいますが、なんの為に働くのか良く考えましょう。

■鎌倉時代より室町時代より江戸時代より、高校時代です。

鎌倉時代より室町時代より江戸時代より、高齢化社会時代です。

■「忙しいなら無理して帰らなくていいよ。」は、ほとんどの場合、嘘です。
■大人の気持ちが、子供にわかって、たまるか。

分かっているようで、分からない。分からないようで、分かっている。親子って難しい。

■「やっぱり、人妻はいいなあ」。そういうあなたの奥さんも人妻です。

ならば、口説いてみるか。ふられるの覚悟で。

まだまだご紹介したいコピーがありますが、あとは本をお求め下さい。損はしない一冊です。



2019年1月22日 (火)

ローソン「悪魔のパン」[悪魔のトースト」VS長崎西高「びわとみかんのカステラロールケーキ」「キリシぱん」

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下は今日の長崎新聞です。

ローソンがベーカリーやスイーツのアイディアを募集し、長崎西高生が優秀作品に選ばれたそうです。


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作品は「キリシぱん」と「びわとみかんのカステラロールケーキ」。

「きりしパン」は長崎県の世界遺産の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産がある五島にちなんだもので、かんころもち、長崎産のみかん、五島灘の塩を使った生地をグレープコーチングしたもの。

で、なんで「キリシぱん」にしたのか暫し考えたら、「キリシタン」と「キリシぱん」のオヤジギャグですね。多分。

「びわとみかんのカステラロールケーキ」は、生産量全国一位の「びわ」と、五位の「みかん」を使ったもので、回りをカステラ風生地で囲んであります。

買いながら、ヒョッとみると噂の「悪魔のトースト」と「悪魔のパン」があるではないですか。前に「悪魔のおにぎり」を紹介しましたが、今や売れ行きトップだとか。で、思わず買っちゃいました。なんとなく、二匹目のドジョウを狙った感じもあるのですが・・・・

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「悪魔のパン」は「天かす・あおさ・天つゆ入りソースパン」。「かつお節香る!!」と書いてありますが、確かに包みを開けると、かつお節の香りがしました。

「悪魔のトースト」は「たっぷりチーズのシュガートースト」と書いてあり、「天かす・青のり・天つゆはあくまで入っておりません!!」の注意書き。


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2,3日前、特定健診で「痩せなさい」と言われましたが、食してみなくては比較ができないので食べてみました。反省しながらも・・・完食。

下は、包みの後ろにかいてある「長崎県立長崎西高等学校」の皆さんと、商品の紹介です。


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食べてみたら「悪魔のパン」「悪魔のトースト」は大人の味。長崎西校の生徒の作品は「青春の味」がしました。なにしろ、長崎西校には片思いの女の子がいましたから。久しぶりにあの日の頃を思い出しました。

2019年1月19日 (土)

「ウォーキングシューズ」の新調&足の測定について

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昨日、特定健診に行ってきました。

予定通り「太りすぎ」。体重オーバー14.6㎏。脂肪オーバー18,5㎏。

最後に美人のお医者さん(多分、マスクを付けていましたが・・・雰囲気的に・・・)の診断、ご指導。


「太りすぎですね。間食してますか?」
「しています。」
「どんなものを間食していますか?」
「チョコレートにケーキに饅頭にポテトチップにアイスクリームに・・・」
「全部止めましょう。代わりに、ミカンなどの果物なら良いでしょう。で、運動をして下さい。」
「酒も止めた、タバコも止めた、パチンコ、競艇は嫌い、楽しみが無いんですよ。」
「不●でもしたらいいでしょう」ということで、お医者さんの勧め従って今年は不●に務めることにして・・・・ということは、さておいて、確かに脂肪が多くて死亡しちゃなんにもなんないなと思い、家にあった、チョコレート、饅頭、アイス、ポテトチップス、キャラメル、ケーキを全部廃棄。

で、もう一つ「運動は毎日30分くらい、あまり一生懸命すると飽きますから。」ということで、一念発起して「ウオーキングシューズ」を購入に。

で、一番困るのが靴選びで、商品が沢山並んでいるので、どれにしようとウロウロすることが多く。と思っていたら、「足のサイズ測ります」との宣伝があり、試してみたら、上のチャート図。

意外なことに、左右の足の寸法が違い、左が249.1㎜、右が235.9㎜ですから、1㎝以上の違い。同じ日に生まれたのに、なんで違うんでしょう?ということで、左は左の寸法の靴、右は右の寸法の靴と2足買わなければいけないのですが、店員さん曰く「まあ、大きい方に合わせれば良いでしょう」。

あと、以前、ソールを作ったことがあるので、これも作ろうかと思ったら、かかとの傾斜角度がそんなにひどくないので、良いでしょうと。私が店主なら「作った方が良いでしょう」と売りつけるんですが・・・・

ということで、私、親指が巻き爪になっており、お医者さんから余り窮屈な靴は履かないように言われているので、その旨告げたら、何足かチョイスしてもらいました。

以前、安い●国製の靴で走ったら一発で腰を痛めた経験があるので、多少、お高い靴を求めました。先ほど履いて30分ほど歩いて来ましたが、なかなか調子が良いですね。古人曰く「靴と女房は新しい方が良い」。まったく、その通りだと実感をしました。

靴をお求めの時は、足の測定を試してはいかが。

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2019年1月17日 (木)

「天を射る★原作・西萩弓枝:漫画・飛松良輔」~三十三間堂通し矢

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先々週号より「ビッグコミック・スピリッツ」に連載になった「天を射る」。

主人公は星野勘左衛門。で、「通し矢は、”江戸時代のオリンピック”」と説明してあれば、三十三間堂の通し矢しのこと。

以前、下の平田弘史著「弓道士魂」を紹介しましたが、これも主人公は星野勘左衛門。

ということは、同じような物語になりますが「天を射る」はまだ2回目。今後どう展開するかはまだ分かりませんが、楽しみです。

余談ながら、下の平田弘史氏の漫画の方、装幀をみたら、大友克洋氏でした。

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三十三間堂には行ったことが無いので、古い絵はがきです。

この端から端まで矢を通します。長さ約121m。この距離を通すのはそう難しいことで無く、正月にも女性の方が和服で競技をしているTV放送がありました。

江戸時代の通し矢はこの縁側でするもので、上には庇があり、矢を遠く飛ばそうと思うと上を向ける必要があり、上に向けすぎると庇に当たってしまいます。
三十三間を通そうと思えば、かなりの強弓が必要になります。

記録によると、最初通したのが51本、各藩がこぞって挑戦しますが、最後に残ったのが尾張藩と紀州藩。最終的には紀州藩の和佐大八郎。射た矢が13,053本、そのうち8,133本を通しています。一昼夜、24時間をかけます。

13,053本を射るとなると、費用は莫大なものになり、失敗すると藩の名折れにもなり、切腹する者もあります。「江戸のオリンピック」などと、のん気なものではありません。

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下は、Wikipediaから拝借した図ですが、いかに、ものものしく行われたかが分かると思います。

Wikipedia
   (浮繪和國景跡京都三拾三軒之図 画:哥川豊春)

三十三間堂の通し矢の詳しくはWikipediaをご覧下さい→こちらをクリック




2019年1月14日 (月)

「『駕立場』の絵はがき、なんか変?」~解決編

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昨年、12月8日「『駕立場』の絵はがき、なんか変」ということで書きました。

12月8日のブログは→こちらをクリック 

要約すれば、昔は「温泉(うんぜん)」という表記が多く使われていたのですが、昭和9年に国立公園になったおり「雲仙(うんぜん)」が使われるようになりました。

「長崎新聞」は明治22年「長崎新報」として創刊、その後名前を変えますが、「長崎新聞」の名前を使ったのが昭和20年。ここのところ、長崎新聞のホームページは簡略化して書いてありますが、Wikipediaが詳しいので、→こちらをクリック

上の絵はがきでは 赤丸印の旗、右側に「長崎新聞主催」、上の方には、「温泉(うんぜん)」の字が読み取れます多分「温泉(うんぜん)嶽」だと思われます。下の方には「登山會」。

で、ここで疑問が出てきたわけで、文字使いに慎重な新聞社なら、年代を考えると「温泉」ではなく、当然「雲仙」(「長崎新聞」を名乗った昭和20年には、「雲仙」と表記されたわけですから)を使わなければいけないわけで、なぜ?「温泉」を使ったのか、と悩んだのですが、ここで下のようなコメントをいただきました。

この絵葉書は、なかなか貴重だと思います。この絵葉書は、明治42年に長崎新聞社が雲仙登山をした際の風景と思います。長崎新聞社は、この時の登山の様子を『温泉小浜案内記 : 登山紀念』という本にまとめています。
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001602655-00
その際の写真があったとは、オドロキです!

ということで、下にURLが書いてあったのでクリックしてみたら「国立国会図書館サーチ」のページでそこから、「温泉小浜案内記・登山紀念」をプリントアウトして読んだら、小浜、雲仙までの交通案内、観光案内が書いてあり、当時の様子が良く分かります。

ほかに、旅館案内、その他商店の案内が書いてあり、日本語、英語、ロシア語と3部に分かれてありました。多分、別々の本だと思いますが、実物が見られないので定かではありません。

ところで、本を見ていると、一番上の絵ハガキと同じ写真があり、他にも数枚、他の絵はがきで見た写真があるので、多分、長崎新聞から絵はがきとして出したものと思います。

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さて、この案内書、後ろの奥付を見ると初版が「明治42年」ということは、長崎新聞はこの頃、明治22年に「長崎新報」、明治43年に「長崎日日新報社」、明治44年に「長崎日日新聞」と改題しています。なお、案内書の中にはちゃんと「長崎新聞」の名前の宣伝が入っています。

ヒョッとしたら、一時的に名前を変えたかな、とは思ったのですが、その記録はまったくありません。

結局、悩んだ末、聞いた方が早いなと。長崎新聞社に電話したら、カワユイ女の子が(声は、顔は分かりませんが)出て、昔の話なので、分からないのか、2回ほど話して結局「総務課」に繋ぎます。だと。結局3回同じ話をすることになりましたが・・・


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担当者も詳しく分からないのか調べてみますということで、しばらくして返事の電話があり、「長崎新聞は明治38年1月から昭和10年8月までありましたが、本社とは関係の無い会社です」と言うことでした。

私は猜疑心が強く、ねちっこい性格なので確認はできないかと思っていたら、ふと「長崎事典」を思い出し、「歴史編」を調べたら以下のように書いてありました。

長崎新聞(ながさきしんぶん)

明治38年(1905)1月18日創刊。中川観秀、中川平兵衛、岩永八之丞、前田多三郎ら。現長崎新聞とは関係ない。憲政同志会系。昭和10年(1935)廃刊。

ということで、現長崎新聞社総務課の方の話と同じで、この案内書が明治42年発行ですから、この頃は「雲仙」は「温泉」と言っていたので、旗に書いてある「長崎新聞主催」「温泉」というのは、至極当たり前の事だと言うことで、一件落着。

と思っていたら、もう一つ「長崎新聞」というのがあり、下記の通りです。

長崎新聞(ながさきしんぶん)
明治6年(1873)1月、本木昌造が松田源五郎、西道仙、池原日南などの学識経験者を同士として発行。・・・同年11月廃刊。次に本木昌造と交友の厚かった本田実が明治8年(1875)に同題号で復刊した。・・・明治9年(1876)1月、「西海新聞」に改題した。

ということで、「長崎新聞」という題字は、明治6年の本木昌造発行、明治38年の憲政同志会系の長崎新聞、現長崎新聞と3回、別々の関係ない会社で発行されたという事です。

これにて、一件落着。です。

なお、本のコピーは「国立国会図書館デジタルコレクション」から。
また、情報をいただきました、「
 ncc1701b」さんには感謝です。ありがとうございました。


2019年1月11日 (金)

「鏡開」~千々石町橘神社

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橘神社、7日が「七草がゆ」今日が「鏡開」になります。

「鏡開」は、山本健吉「最新俳句歳時記(新年)」によれば・・・


「正月11日、鏡餅を卸(おろ)して食べること、武家では具足開と言い、具足に供えた鏡餅を割り、女子は鏡台に供えた鏡餅を割った。刃物で切ることを忌み手や槌で割りかく。」

となっていますが、「切る」「割る」は縁起が悪いので、「運が開ける」などの目出度い「開」を使ったという話もあります。

下の写真は神社の総代さん方で、餅焼きの番です。

今日は平日にも関わらず、参拝の方がボチボチと。本殿の横で餅を焼いているので、参拝の方に、餅を食べていただきました。


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やはり、お餅は炭火で。電子レンジでチン、トースターで焼くのは風情がありませんね。昔は、火鉢にあたりながら、餅がふくれるのを楽しみながら、食べたものでしたが・・・

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「二度づけ禁止」などと野暮なことは言いません。気が済むまで何度でもおつけください。醤油は地元の「ヤマト醤油」。

ということで、昼飯の分まで食べて来ました。また、来年を楽しみにしています。

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その後、久しぶりに森山町のため池を通りかかったら、なにか作ってあるので、なんだろうと、良く見ると・・・

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今年は亥年ですね。ちなみにこちらでは「猪」が多く、中学校の近くの人家がある畑まで荒らされ、あちらこちら出没をしています。山道はぐるりと柵に囲まれていますが・・・

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近所の有志で、何か楽しいものを、ということで作り始めたそうですが、こんなのも良いですね。


2019年1月 7日 (月)

「七草粥」の振る舞い~千々石町橘神社

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今日は各神社で七草粥の振る舞いがあったようです。

橘神社では300食の振る舞い。少ないようですが、千々石町の人口は4614人(平成27年)です。

長崎の諏訪神社では、ニュースによると1000食の振る舞いだったそうですが、長崎市の人口は416556人(2018年)ですから、どちらが気前が良いかは一目瞭然。

10時から振る舞いで、少し早く行ったら関係者のお払い。その後すぐに、振る舞い。

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七草の実物があるのは良いですね。最近の子どもは七草の名前も分からず、「草」と言ってっていましたから。

押し花が飾られて雰囲気が満点。橘神社は意外と梅が多く、多分、神社の梅の実を漬けたものでしょう。お粥にぴったり。もちろん、無農薬の梅です。多分。

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食いっぱぐれがないように少し早めに行きましたが、この後ひっきりなしに人が来ていたようでした。

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今年は橘神社の人出が例年より多かったそうです。相変わらずの絵馬。やはり、時期的に入学祈願、そして、家族の病気快癒祈願が多いみたいでした。
おみくじ。私は「恋愛成就」と出ました。

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次は、1月11日、10時から鏡開きの振る舞い。ガスとか、トースターとか、電子レンジでチンと違って、たき火の熾火で焼きますから味が全然違います。いつだったか、マイ醤油を持って来ていた方がいましたが・・・

1月20日、朝6時から軍神橋の下の川で大寒禊ぎ。写真の好きな方はお越しください。

1月27日が大門松の解体で、やっと日常の神社に戻ります。




2019年1月 6日 (日)

「鬼火」~雲仙市千々石町

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「左義長」「三毬杖」「どんど」「どんど焼き」「どんど正月」「さいと小屋」「若火」と全国的にいろいろな呼び名があるようですが、こちらでは「鬼火」「オネビ」が普通の呼び方。

小正月の火祭り行事。子ども会行事でやっていました。正月のしめ縄などを持って来て焼きます。

地域によっては、大がかりにするところもあるようですが、こちらは、つつましやかに・・・・

こどもは、習字の紙などを燃やすと字が上手くなるとか。尻を温めたり、熾火で焼いた餅を食べると無病息災といわれています。

ところが、子どもがいないんですね。少子化か出てこないのかは分かりませんが、ご覧のとおり大人ばかりでした。昨年は一人いたのですが・・・

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昔はあちらこちらで煙が上がり、「鬼火」をやっているのが分かったのですが、近年は、ほとんど「鬼火」をしているところは無い状態になりました。

もう一ヵ所のところですが、多分、町内で2ヵ所だけみたいでした。こちらは子どもがいましたが、里帰りで帰郷していた方の子どもが多いみたい。

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で、その途中「欠けた」の声。何のことかと思ったら、ちょうど部分日食の日でした。残念ながら、「鬼火」の煙で隠れて見えませんでした、

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明日は橘神社で七草粥の振る舞い(300食)、朝の10時からになりますが、早めに行きましょう。



2019年1月 3日 (木)

私の「四社参り」

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長崎では「三社参り」「三社詣」という言葉があり、三つの神社にお参りをすることですが、これ、地方によっては無い地方もあり、様々みたいです。

今年は、私、四つの神社を回ったので「四社参り」になります。

最初はなんと言っても、地元の産土神「天満宮」。千々石ミゲルの父、千々石大和守が龍造寺に滅ぼされたとき平和を願い、この地に「天満宮」を作るように願い、後年作られたとか。

で、12月31日に集まって初詣をしようと、お声がかかってので行ってみました。そしたら、差し入れに牡蠣を10㎏。食べた、食べた。一年分食べました。

そのうち、年を越したのでお参りをして一時半で解散。

今日行って見たら、正月でお参りをする人もいるので、開けはなされていました。拝殿の奥にあるのが、ご本尊が祀ってある本殿。中まで入れるのですが、恐れ多いので、遠くから。


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次がもちろん「村の鎮守」の「温泉神社」。昔は「四面宮」。神仏分離のおり、明治二年に「四面宮」から「温泉神社」へ名前を変更。

本社が雲仙の「温泉神社」。支社が、ここと吾妻町、有家町、諌早。吾妻町、有家町は「温泉神社」を名乗っていますが、諌早は「諌早神社」になっています。

本来なら、村(町)の氏神さまで、昔は全戸、氏子だったのですが、現在は段々少なくなっているとか。

氏子を抜けながら、厄払い、七五三などには良く利用をしていますが、大切にして貰いたいものです。


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今年は「茅の輪」が大きいとの小さいのが作ってありました。大人用と子供用かな?元日はそれなりに、初詣の人が多かったのですが、今日3日にはガランとしていました。

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長崎に用事があったので、1月2日に「諏訪神社」に寄ってみましたが、階段を登るのはさすが歳のせいかキツかった、というより、よろめきながら登りました。

右の写真「長坂」ですが、ここまでは意外に初詣の方が少なかったのですが・・・・

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山門を通った途端、この人出。結局拝殿まで行き着くのに30分

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なんとかかんとかを付けてますね。私も持っていますが・・・

お賽銭箱の中、ほとんど小銭。千円札がボチボチ。一万円札を捜しましたがありませんでした。私は、大きいお札を持ってなかったので、ご縁があるように5円を・・・・


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諏訪神社のすぐ近くの「動物園」。小さい頃、良くいきましたが、ロハです。
中身を大村市と分散する県立図書館、改装します。浪人の頃はよく利用しました。最も昼寝ばかりですが・・・特に夏は冷房があって良い気持ちで睡眠をむさぼりました。


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最後が私のウォーキングコースにある、橘神社。3日ですが、結構な人出。昨年、雨漏りがしているので屋根を張り替えています。

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日本一の大門松のせいか、初詣の方が増えています。車の多いこと.駐車場が狭いので出入りが大変です。近くに千々石支所があるので、そちらに駐めたが良いとは思うのですが・・・

良いカメラをぶら下げていると、スマホの写真をよく頼まれます。アベックさんか若い女性の方が多く、若い女性の場合は、少し笑い話をしながら「LINE交換しない?」。結局、全部断られました。

昔は、赤丸印の場所まで出店があったのですが、今年は片側だけになっていました。少し寂しい感じ。


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橘神社のご本尊、橘中佐の銅像。いつか書きましたが若い女性「このオジちゃん、だい(誰の方言)」。

昔は右の写真のように、上山というところにあったのですが、戦後色々あって現在のところに移設されました。

この上山、山頭火の日記を読むと、ここを訪れています。


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今後の予定が書いてありますから、貼っておきます。ただ、千々石は時間的に緩いところがあるので、時間どおりにいくとは限りません。

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帰りがけの中学校の掲示版。いつも読んでいます。多分、学生が選び、自分たちで書いているようなのですが、よく読むと心に沁みます。

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さて、今年は人出が多い神社、全く少ない神社に初詣に行きましたが、初詣は小さい神社が良いですね。

人出が多く、神様が何万人に願い事を頼まれても限界がありますよ。

今日は天満宮に行ったら誰もいないので、神様とゆっくり話をしました。近年、体調が悪いのでなんとかして欲しい、年金生活が苦しいので一億円に当たりたい、一生に一回●倫とやらをしてみたい、カミサンと仲良くしたい等々お願いをしたら、神様「よっしゃ」と胸を叩かれたので、今年は最高の年になると思います。以上は実話です。

行くなら、小さい神社で神様にじっくりとお願いを。



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