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2018年2月11日 - 2018年2月17日

2018年2月16日 (金)

「巻き爪の治療」その後&その他の事

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昨日は、バレンタインデー。私もこの歳でも、多少あちらこちらからいただき物をしたのですが、家に帰ったら、いつもの悪友がきていて、勝手に食い散らし、ガチャガチャ。

今日は、以前書いたように、巻き爪のテープを使った治療が上手くいかなかったので、ワイヤーで引っ張っていたのですが、爪が割れワイヤーがとれてしまったので、つけかえに病院まで。

話を聞くと、爪が割れやすい体質だとかで、これがだめなら別の方法を考えましょうと・・・

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左が治療前、完全に巻いています。右が治療3週間目。巻いていたのが、開いている様子が分かると思います。まったく痛みはありません。多少、違和感はあります。巻き爪の方の参考までに。皆さんも、あまり深爪はしないように。

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少し見づらい写真ばかり並べましたが、今日はでなく、今日もですね、カミサンが行方不明なので、一人で外食へ。久しぶりに唐比(からこ)の「COZY」さんへ。

いつもは、まぜまぜご飯プレートを頼むのですが、今日は、目先をかえて、あたたかスープとオープンサンドプレートを。

サラダと、野菜スープと、野菜たっぷりのオープンサンドで、右を見ても、左を見ても、真ん中を見ても、野菜だらけで、明日のウ○チが楽しみです。多少○秘気味なので・・・余計な話ですが、お野菜の葉物の値段、高いですね。買いに行ったら、びっくりしました。

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天井が高いのは良いですね。気分まで晴れ晴れしてきます。外を見れば、ボチボチ梅のツボミもふくらみ始め・・・

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お客さんも、結構一杯で、皆さん、アベックばかりで、恋しちゃならない、妻帯者、やけのやんぱち石投げた。と、昔の歌を思い出しました。皆様も、不倫問題で週刊文春に載らないように注意しませう。



2018年2月15日 (木)

分かりやすい「原城の図」

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島原方面に観光来られた方は、島原・天草の乱の舞台、原城に寄られた事とと思います。

ただ、行ってみても、大阪城とか島原城とか、他のお城みたいに天守閣も、大手門もなく、掲示板はあっても、どこがここやら、といった経験を持った方がおられると思います。

上は、当時の幕府と一揆方の陣図です。

で、朝日百科「歴史を読みなおす15 城と合戦★長篠の戦いと島原の乱」(朝日新聞社刊)という本を読んでると、下のような図がありました。あくまで、現地と上の陣図などを参考にした、イメージ図でしょうが、これがあると、「今ここだよ」、「向こうに見えている丘がここ」と簡単に説明で知ると思います。

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図の中には場所の名前が書いてありませんが、右下のところ、細かいところは省いてありますが、大まかな場所の名前が書いてあり、これは視覚的に訴えるのに、便利な図でした。

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いろんな名所で、図面が描いてある所がありますが、ほとんどが平面図で、地元の方ならすぐ分かるのですが、始めて行ったところは分かりにくく、立体的な看板があったら、イメージ的に便利だなと思った次第です。

ただ、あくまでイメージイラストなので、一番上の陣図と比べれば、上の図の方が、歴史的重みがあるとは思いましたが・・・・・



2018年2月14日 (水)

「純忠(すみただ)」★日本で最初にキリシタン大名になった男~清涼院流水

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作者は「清涼院流水」。かっこいい名前。

本屋さんに寄ったら置いてありました。キリシタンについて勉強すると、ズブズブになってしまうので、なるだけ避けたいのですが、島原半島は、昔、有馬家が収めていて、純忠は関係があるので、つい、買ってしましました。

純忠は大村の領主ですが、現在の南島原市北有馬町にある日野江(ひのえ)城主・有馬晴純入道仙岩の二男。長男は、晴信(のちキリシタンに転教)。

純忠は、大村城主・大村純前の所へ養子になりますが、純前には又八郎という実子がいて、これが純前の跡を次ぐべき所、肥前武雄の領主・後藤純前へ養子に送り込まれ、後藤貴明と名乗り、しつこく純忠を攻めつづめけます。これが、この本の一つの主題になります。

あと、家臣の反抗、佐賀の龍造寺、大友宗麟、当時、伊佐早(現諫早)の西郷氏等との争い、和合等々で話が続きます。

さて、ここでポルトガルから、キリシタン(面倒なので、キリシタンには巡察師とか宣教師とか祭司とか神父とか修道士とか同宿とかあるので、キリシタンで統一します)が良港を求め、横瀬浦に来ますが、大村郷村記、横瀬浦村には

「横瀬村往古の儀詳ならず、永禄五壬戌年、南蠻の商船始めて橫瀨浦に入津す、依って町屋を建、交易を始む、夫より五ヶ年の間此浦に来たる・・・」

となっており、同時に来たキリシタンと出会い、自らもキリシタンになります。が、同時に伊勢信仰をも持っていました。

さて、キリシタン大名は、当初、貿易により利益、又、鉄砲を特に欲したらしく、有馬晴信と龍造寺の戦いの時、巡察師ヴァリャーノは晴信のため、鉄砲の弾丸の材料の鉛、硝酸などを用意しています(フロイス「日本史」)。他の大名も、利益の為に入信したようで、キリシタンは自殺を禁じられていたので、斬首された小西行長、徳川家康による国外追放令を受け、マニラに行った高山右近、転教を拒んで行方不明になったと言われる結城弥平次などのキシタン大名は、まれだといえます。

さて、純忠はどうかというと、最初は利益を求め、後、領内の寺社は全部破壊をし、長崎(昔は大村領・寒村でした)を提供します。イエズス会本部は長崎県庁です。のち、奉行所西役所、海軍伝習所になります。なお、長崎は天領になります。

純忠の跡継ぎ喜前は最初キリシタンなるも、禁教令のため、法華宗に転教し、純忠が寺院を焼き尽くし、教会を建てますが、その教会を全部破壊しています。

さて、こうして戦いに明け暮れた純忠ですが、墓所がハッキリしておりません。大村家の墓所は現在は「本経寺」ですが、「大村郷村記」にも記載はありますが、松田毅一著「大村純忠伝」では結論を下のように書いています。

「確かなことは喜前は一六〇三年(慶長八年)から明らかに棄教者として振る舞い、一六〇五年(慶長一〇年)にはイエズス会を追放し、一六〇八年(慶長一三年)に本経寺を落成せしめたのであって、(注:純忠の遺骸はそれまで、法性寺、草場寺にあったと「大村郷村記」にあるそうです)純忠の遺骸は、その後五十六年を経て、本経寺に移されることとなった。当時既にキリシタン宗門は邪教として排斥されていたし、爾来二世紀に亘る迫害を思うならば、純忠の遺骸が鄭重に取り扱われるはずがなく、今日、大村家の廟として併記されるにとどまっていることは当然のことと言うべきであろう。
本経寺の過去帳には『天正十五丁亥五月十八日(四月十七日の誤)十八代純忠公円通院殿前戸部待即理仙日融大居士』とある。」

と言うことですが、小説の方は、遠藤周作の「沈黙」みたいに深刻ではないので、気楽に読めます。


(参考:引用文・「大村郷村記~藤野保編」、「大村純忠殿~松田毅一著」。「キリシタン伝来の地と神社と信仰~久保田和則著」、「長崎史の実像~外山幹夫著」、「大村市史」)




2018年2月11日 (日)

「広辞苑」VS「『広辞苑』の罠★水野靖夫著」&その他

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「広辞苑」の第七版になります。発行は、「2018年1月12日」。感想を、と思ったのですが、この厚さ。読み終わるまで今日までかかりました happy01

以前買ったのが第三版、で、もうそろそろ買い直そうかと思い、買いました(前のはろくすっぽ使いませんでしたが、最近、古文書関係で必要なので)。

三冊分冊になったのもありましたが、値段の関係から、こちらの方をチョイスしました、が、年寄りには重い。といっても、最近スマホで安直に調べていますが、やはり辞書で調べると、調べたい字の隣に思わぬ言葉があったりして、面白く、やはり言葉は辞書で調べるのが一番。最近、学校でもタブレットを使うようですが、どうなのかな?

以前、「明解さんの謎」、「辞書になった男」、「明解物語」、「船を編む」、「裏読み・深読み・国語辞書」などを読み、辞書作りの大変さ、面白さを知り、本屋さんに行ってみると、「『広辞苑』の罠」というのが置いてあり、思わず衝動買いで、読んで見たら、なんか変。「明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず周辺アジア諸国とも近代的な国際関係を樹立仕ようとした。・・・・・『広辞苑』には『征韓論』『征韓論論争』に見出しは見当たらず、『征韓論政変』が載っている。・・・」

と、本の見出しを見たら、「第一章 日本と朝鮮との近代関係」、「第二章 日本とシナとの近代関係史」、「第三章 日本とロシア・ソ連との近代関係史」・・・・・と、「広辞苑」の解説を借りて、史観を書いたもの。

右があれば左があり、上があれば下がありと、私は是々非々の立場をとっておりますが、この本を読むなら、いろいろな「史観論」を書いた本を読んだ方がましだな、と思いました。なお、この本、発行日が「2013年12月10日」です。

〈おことわり〉のところを読んだら、「各項目の囲みは、『広辞苑』の最新版である第六版の見出し語とその解説である。」と書いてありますが、最新版は第七版で、本を書くなら「第七版」のを書くべきでしょう。多分、第七版が評判になっているので、売れ残り(2013年に第一版しか出ていません)の便乗発売でしょう。私みたいに、早とちりする人間がいるから。

なお、小さいことを書きますが、「『ソウル』というのは戦後の呼称である。『江戸』を『東京』と呼ぶであろうか。」と書いてありますが、「ソウル」は通称です。正確には、「ソウル特別市」。ですから、「『ソウル特別市、通称ソウル』というのは・・・」と書かないと、間違いになります。途中で、この本読むのは止めました。時間の無駄。

話変わって、昔、銀座の会社に勤務していた頃、外人さんに道を聞かれることが多く、英語は全然だめなので(九州語は薩摩語以外はペラペラに喋れます)できるだけ目をそらして歩いていました(猿と一緒ですね、出会ったら目を合わせないように)。

あの頃は「ソニービル」が世界的に有名で、聞かれるのは、「ソニービル」、「帝国ホテル」、「郵便局」。これくらいなら分かるので、むこうですよ、と教えていましたが、他の所を聞かれると言葉が全然分からないので、「あっち」。どうせ、二度と会うこともないし。

下は、明治5年の「西洋画引節用集」。「禮ノ部」は「『れ』のところになります」。「れ」のあとが「そ」になっていますが、語順は「いろは」の順。

「ウヲッチ」は「袂(たもと)時計」。「懐中時計」ではありません。これから、「袂時計」といいませう。

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こうやって見ていくと、絵など入ってあきませんね。

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表紙を開けたところ、「洋婦人幼稚教育之図」と書いてありますが、私には、これで十分。


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