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2018年1月28日 - 2018年2月3日

2018年2月 3日 (土)

「乃木大将少年時代家庭の景」

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お父さんが、子どもを叱って、お母さんもそれを聞いている図。

少年は、「乃木希典」。今頃、こんな風景は見られなくなりました。できれば、わたしも、やってみたいのですが、うちは家内が説教をして、愚息子と愚私が黙ってきいているわけですが・・・

乃木希典については私も、司馬遼太郎「坂の上の雲」しか読んで無く、乃木希典は無能扱いをされていました。これには賛否両論あり、司馬遼太郎と言えば、「竜馬(司馬遼太郎では『龍馬』ではなく『竜馬』)が行く」があまりにも有名なため、その影響か、乃木希典は無能だという評価が信じられているようです。

これは、「司馬遼太郎史観」に影響されたもので、これには、福田恆存等々の反論があります。詳しくは→こちらをクリック

なお、「乃木坂」も乃木希典にちなんだもので、「乃木坂46」も、ソニー・ミュージックエンタテイメントのある、「SEM乃木坂ビル」の名前にちなんでいます。ですから、乃木希典と乃木坂46も密接な関係があります。

上の写真ですが、父親は長州藩支藩長府藩馬周り八十石ですから、まあまあの収入でしょう。さて、写真を見て、鴨居に弓がと陣笠が置いてありますから、弓方ですね。

お父さんの右の方には刀が置いてありますが、えらく長刀ですね。
後ろの、長持ちには、鎧、兜かな?脇差しまで差していますが、「昔の父は強かった」。見習いたいものですが・・・あこがれる写真ではありますが、乃木希典少年時代、このような写真を撮るわけでも無く、多分、銅版画では無いかと思います。なお、発行は、東京中央区乃木會です。

乃木希典は明治天皇が亡くなられた後をおって、妻とともに自決をしています。ですから、上の写真の少年は享年64歳で亡くなっています。


(参考・文引用:Wikipedia)


2018年2月 1日 (木)

「柳川屋」~斎藤茂吉、泊まりし旅館


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最近は、小浜(長崎の小浜で、隣町)で調べる事があり、数日間通っていますが、「小浜町史談」に、斎藤茂吉が来たことのエピソードが書いてあったので、要約してご紹介を。

斎藤茂吉は、大正6年から、官立長崎医学専門学校(現長崎大学医学部)に精神科教授として勤務しています。

大正9年に喉の病気にかかり、赤彦のすすめにより雲仙へ転地療養をしています。赤彦は翌日、用事のために東京に帰ります。

この道に立ちてぞ思ふ赤彦は はや山越しになりつらぬか    茂吉

8月14日、雲仙が肌寒くなったので、長崎に帰り、30日、佐賀県の唐津に行き、9月30日古湯温泉(雲仙)に移っています。

10月3日長崎に帰った茂吉は諏訪神社の祭り「くんち」の騒がしさをのがれ、11月西浦上木場郷に移りますが、ランプと料理の粗末さから、15日に、小浜の柳川旅館に5日滞在をしています。上の写真です。

初日、お手伝いさんをよび、夜具を太陽にあてさせたそうですが、さすが、お医者さんらしい潔癖さ。

茂吉は、お手伝いさんにポチ(心づけ)を渡したところ、ほかのお手伝いさんからもお礼をいわれ、調べたところ、ポチはお手伝いさん、みんなで分けるということで、茂吉は前に渡したポチを取り返し、それに幾倍の金額を改めて渡したそうですが、その時のお手伝いさん、「たいそうヨカ先生じゃたばってん、変っちょらすところがあったですね。」と言ったそうです。

小浜、雲仙(当時は「温泉」と書いて「うんぜん」と呼んでいましたが)には、外国客が多くかったそうです。

ひょろ高き外人ひとり時の間に われを追い越す口笛吹きつゝ    茂吉

さて、茂吉は散歩帰り浴衣の片肌抜きで歩いて小浜警察所(当時は、旧道の商店街)を通っていると、外国人が多く来ているので、みっともないので、道を通らないよう注意されたそうですが、巡査は新聞で茂吉を知っており、署長に報告。茂吉は受付に一円を1枚おいて、外に出ると、諸肌脱いで旅館に帰ったそうです。

当時の、軽犯罪法は片肌脱ぎで街路を歩くと50銭の罰金、両肌(もろはだ)のときは、一円の罰金、ですから、茂吉は罰金の前払いをしたということです。

茂吉は大正3年に結婚し(養子)になっていますが、夫婦仲は悪く、恐妻家でしたから、遠く離れた長崎で、羽を伸ばしたかったのだ思います(ウチに似ているので、気持ちはよく分かります)。

ここに来て落日(いりひ)を見るを常とせり 海の落日も忘れざるべし    茂吉

上の歌の石碑は、小浜町支所の近く「夕日の広場」に設置されています。少し歩いたところに、ロハの足湯がありますので、是非お越しください。

(※柳川屋は現在の伊勢屋旅館にあたるようです。文は「小浜町史談」より要略しました)

2018年1月31日 (水)

「えが ない えほん」~B・J・ノヴァク著・おおとも たけし訳&「なんとかかんとかムーン」

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「えが ない えほん」ですね。本屋さんで見かけましたが、本当に絵がありませんでした。

「えが ない えほん」と言いますが、世の中には、あなたがいない私、黒模様のないパンダ、太陽のないお空、海水のない海、お金が入っていないサイフ、首の無いキリン、金魚のない水槽、ガソリンが入ってない車、教科書のない学校(これ、いいな)、明日の無い私(歳をとったら分かります)、といろいろあります。

本屋さんでは、みみっちくもビニールカバーがしっかりかぶせてせってあって、立ち読みできまません。

好奇心の強い私なので、買ってきました。ところで、この本を読む、お約束ですね。

「この ほんの ルールをせつめいします かかれている ことばは ぜんぶ こえに だして よむこと なにが あっても それが きまり やくそくね ということは こんな ことばでも・・・・」。と言うことで、大きな声を出して読んでください。試しに、黙読したら、くそ面白くも無かった。声を出して読むこと、絶対ですね。

なお、裏表紙に注意書きが書いてあって。


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と言うことで、「注意!」をよく読んで、自己責任で買ってください。もし面白くなかったら、それは、アナタの読み方がヘタな証拠です。

今日は、「なんとかかんとかムーン」だと言うことで、カメラを構えておりましたが、雲が出てどうにもはっきりしない。で、粘ってみたら、少し欠けた感じ。


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少しづつ欠け始めたかな、と思ったら分厚い雲。で、後はまったくでした。一応、工事用の扇風機をかけてはみたのですが、ムダなことはムダなこと。ついに断念をいたしました
 
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2018年1月29日 (月)

「本能寺の変 431年目の真実」~明智健三郎著

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多分、「明智」という名は珍しいと思います。「明智」という名を聞いたとたん、「あれ、あの人の子孫?」と言われるかもしれません。

一番左の本は、5,6年前に買ったもので、そのまま積んで置いたもの、右の2冊は最近、それを漫画化したもので、買ってきましたが、意外と面白いですね。残念ながら、まだ、2巻目しかでていませんが。

作者は、「明智光秀残党狩りの手を逃れた秀光の子、於雀丸(おづまる)の子孫」だそうです。

本にも書いてあるように、洋画家、内田青虹が明智一族の子孫と伝承されているそうですが、内田氏がこのことを知ったのは昭和49年、「父親の葬儀の後、親戚一同が集まった席だ。伯父が『他言無用のこと』と前置きして、初めて嫡男以外の身内に明かしたのだそうだ。二男だった内田氏の父親も、このことは知らずに他界された。」というように、他人には知られたくなかった事でしょう。

明智光秀の本能寺の原因として、怨恨説、野望説、恐怖心説、理想相違説、室町幕府再興説、朝廷説、四国説、イエズス会説、徳川家康黒幕説、豊臣秀吉黒幕説等々ありますが、説明しきれないので、Wikipediaの「明智光秀」で探して読んでください。NHK大河ドラマ小説「女城主直虎」にも.
少し出てきたと思います。

作者は、信長公記、多聞院日記、ルイスフロイス日本史、イエスズ会日本年報、太閤記、天正記、徳川実記等々、新旧100冊以上の本を精査し、矛盾点などを指摘しながら、真相に迫っていきます。本能寺の変の真相は何だったのか、黒幕は誰か?

本の方も読みましたが、最近は目がかすみ活字が読みにくく、記憶力が弱くなって人物などは頭に入らないため、マンガの方で楽しんでします。第3巻の発売が待ち遠しい。



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