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2018年8月26日 - 2018年9月1日

2018年9月 1日 (土)

「本を二冊ばかり」~「宿命★原雄一著」「孤霊の檻★廣嶋玲子作」

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■「宿命」

「宿命」は1995年3月30日に起こった、國松警察長官狙撃事件を扱ったもの。

この事件は時効を迎え、犯人については諸説あり、以前、鹿島圭介著「警察長官を撃った男」を紹介しました。

犯人の一人として疑われたのが、オウム真理教に入信していた警察官。公安部はこの警察官を犯人として固執します。

それに対し、別の事件で逮捕された、中村泰(ひろし・当時74才)を容疑者として追うのが、警視庁、愛知県警、大阪府警の三都道府県の捜査一課。

作者の原氏は、実際に中村容疑者の尋問を行い、拳銃の入手先を洗うためアメリカまで捜査に行っています。

公安部と刑事部の対立、時によって協力。上層部の異動による方針の変更。中村容疑者の尋問の駆け引き。迫力があります。

この事件については、数冊の本、TVで取り上げられていますが、今回、9月2日にNHKでドキュメンタリーとして、9月8日にドラマとして放送されます。

読んでから見るか、見てから読むか、どちらにしますか?

■「孤霊の檻」

本の表紙を見た途端、え!こんなのが小学生の読書感想文の指定図書と思いましたが、「読書感想文」ではなく「読書感想画」でした。

私たちの小学校の時は、このような本、多分、指定図書にはならなかったでしょう。

「読書感想文」については、読んだ本の感想文を書かせるのは、子どもの負担になり、読書離れの原因になるのではないか、ということで、下火になっています。

本の内容については、募集要項に書いてあるので引用すると

「冨と権力をほしいままにする阿豪家。その繁栄は、屋敷にとらわれた『孤霊あぐりこ』の力に支えられていた。あぐりこの怒りをおさえるため阿豪家にやってきた少女、千代。解放されることをせつに願うあぐりこと、あぐりこに同情する千代。心を通わせた二人は、阿豪家からの脱出計画を企てる。厳重な阿豪家の警戒をかいくぐり、追っ手を振り切り、二人は美しい故郷の森に帰ることができるのか・・・。妖しくもせつない少女たちの物語。」

という事なのですが、小学生向きの本かと思ったら、これが意外と面白く、一気読みしました。最近の子どもの読む本と、私たち世代が読んだ本の違いがよく分かりました。

ただ、募集要項の「読んだ本のどんな点に感動したか、作画の動機または作画に当たっての工夫、苦心したことなどを原稿用紙200字程度にまとめて作品の裏面に貼って下さい。」ですね。

無理して、動機だの工夫だの苦心だの書かせると、読書感想文の二の舞になるのではないかと思うのですが、もっと子どもの感性に任せて良いのではないかと感じました。
要するに「面白かったから」で良いと思います。



2018年8月30日 (木)

「鶴森稲荷神社」~諫早市

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「鶴森稲荷神社」といっても、知らない方が多いと思います。

上の写真、黄色の矢印が高城神社、その横に、ひっそり佇んでいる赤色の矢印が「鶴森稲荷神社」。といっても、高城神社鳥居のすぐ横に鶴森神社の鳥居もあります。

ここをくぐって少し行ったところに神社の参道があります。

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が、ですね。入るとき、本来「鶴森稲荷大明神」の額束が読めるように付けられているのですが、逆に付けられ読めません。

右の写真矢印が社殿ですが、お参りして帰るときに、この「鶴森稲荷大明神」の名前を読むことができ、普通の神社とは額束の付け方が逆。


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多少、疑問は持ったものの、私が興味を持ったのは、古い鳥居。鳥居の彫られた文字を読むのも面白く、上は文政十三(1830年)は、はっきり読めますが、その下の文字良く見て、指で彫られたところをなぞっていくと「星合」の文字。

その下にも文字が彫られていましたが、残念ながら良く読めませんでした。

で、この「星合」とは、なんぞやということで、星が合うと云えば星の衝突かと思ったのですが、俳句をやっていたおかげで、あ~あれかと思い出しました。

星と星が合うと云えば、牽牛と織女の星が合う、七夕、七月七日の事ですね。ですから、文政十三年星合は、文政十三年七月七日のことになります。


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ところで、神社の位置について、昔の古地図をみると、黄色の矢印が本明川から引いた用水路、青の丸印が現在、神社があるところ。大体です。

資料館に大きな古地図があり、これに地名等が書いてあり、赤丸に「稲荷社」とあり、昔の神社と今の神社とは用水路をはさんで右と左。これ、悩みました。

と思っていたら、飛んで火に入る宮司さんがちょうど来られたので、聞いてみたら、昔の稲荷神社は、今の諫早公園の芝生広場の所に建っていて(諌早家の地所になります)、高城神社(明治十五年建立・以前紹介をしました)と共に建っていたところ、昭和三十二年の諌早水害で両方とも流され、それを両神社とも現在位置に移設したそうです。


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さて、諌早は佐賀藩の跡継ぎ争いに巻き込まれ、諌早は蓮池派に加担をし敗れます。

諌早一揆(諌早騒動の表現もあり)が起こり、佐賀まで一揆が押しかけるところ、途中で諌早家家老に止められますが、その後、犠牲者も多く出しています。

前後しますが、諌早は佐賀藩のお家騒動で破れたため、所領地一万石召し上げ(以前にも2回所領地を上地)、本藩請役家老を罷免、なお、時の領主、諌早家八代茂行は蟄居になります。

茂行公は庶民の苦しい生活を思いながらも、蟄居のため動きが取れず、代わりに家臣を方々の神社仏閣に遣わし祈願をさせたそうです。

さらに、(社)青年会議所から出版した「諌早一揆」、この中に、右下の絵に「さらに屋敷内に小祠を建て、犠牲となった者たちの霊を祭り、一筋に返地の叶うことを待ちわびられた。」ということですが、「敷地内に小祠を建て」というところを見れば、これが「森鶴神社」ではないかと思われます。


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さて、この神社横に小さな石祠があり、これが茂行公が建立した祠ですが、真ん中の一番上に梵語、その下に「稲荷大明神」の文字。

右に「奉願諌早前領主愚生藤原茂行敬立」(愚生は茂行公の引退後の号、男性が書簡文等で自分をへりくだっていう語だそうです)。

左には「開
眼祈願導師前荘厳寺法印宥?」。荘厳寺は前に書いた通り、神仏混淆時代、現諫早神社(旧四面宮)の内にあったお寺です。

裏側には「干時宝暦四星次甲戊菊月吉日」。「干時」は「時に」、「宝暦四(1754年)」は「甲(きのえ)戊」の年。「菊月は旧暦9月(10月との説もあり)」。

ところで「星次」が分かんない。某名門国立大学の大学院で古文書を学んだ人に聞きましたが、分かりませんでした。


諫早家の墓所、天佑時です。墓石は全部左側のように立派なものですが、ただ茂行公の墓だけが他の領主の墓とは違って、ごく普通の形です。佐賀藩の命令なのか、本人の意思なのかは、はっきり分かりません。


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「鶴森稲荷神社」は、高城神社に隠れているように建っており、諌早の歴史書にもほとんど載って無いのですが、歴史的にも由緒があり、高城神社にお寄りの時は是非お参りを。

忘れていました、鳥居の額束が逆になっているのは、本来の神社は向こう(諫早公園)の方にあったことを忘れないように示しているとの、宮司さんの話でした。

なお、この神社の名前がなぜ「森鶴」なのかは、あちらこちら聞いたのですが、はっきりしたことは分かりませんでした。これだけ、謎が残りました。

(参考・文引用)
「諫早歴史物語~諫早史談会」「諫早を歩く~山口八郎著」「諫早史談~田中為一著」「諌江百話~諌早史談会二十五周年記念刊行委員会・昭和堂印刷設立四十周年記念実行委員会編集・刊行」「諌早郷土館 解説シート(歴史編)」




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