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2018年12月 8日 (土)

「駕立場」の絵はがき、なんか変?

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小浜町から雲仙に至る途中「駕立場」があります。

「おばま 史跡巡り観光ガイド」によると、「健保3年(1213)有馬経澄から貴純、そして晴信、直純までの有馬時代399年と、その後に移封された松平氏等藩主が小浜に来る途中の休息所であったと言われている。・・・・藩主の休息所だったということよりも、むしろ明治時代の登山時のチェアーかごの休息所であったことであろう。」と書いてありますが、地理的に見て、多分後者の方でしょう。

なお、「チェアーかご」は下のようなものですが、小浜~雲仙までかついで登るのは大変ですよ。

Img_20181208_0001_2

       (「2005年 小浜町80周年記念誌」より)


現在の「駕立場」風景ですが、車の休息所になっていますが、昔はお茶屋さんがあったそうです。

左の写真の赤丸印のところ、右の写真のように「駕立場」のバス停と案内版が立ててあります。

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多分、上の写真、皆さんがくつろいでいるところが、左のあたりだと思われます。右の道は多分「笹之辻」に通じるかと思われます。

以前、昔の道を辿った方によると、小浜温泉→道前→鬢串→笹之辻→駕立場までは細い道を行けたそうです。

右の写真は、雲仙方面を見た写真ですが、植林が茂り、昔の面影はありません。

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        (青の矢印は現在の車の道路)

さて、ここで気になったのが、後ろの旗。

縦に「長崎新聞主催」。上の方が「温」の字と来れば後は「泉」。その後は「岳」か「山」かでしょう。下の方は「登山會」。

で、以前書いたとおり、普通、雲仙は昔は「温泉(うんぜん)」と言われていました。「雲仙」の表記もありますが(温州ミカンは「うんしゅうミカン」ともよび「温泉」が「うんぜん」と読んでも不思議はないのですが)・・・一般的に「温泉」が「雲仙」に変わったのが、昭和9年、「温泉公園」から「国立雲仙公園」に変わったときになります(もっとも、現在も文化庁管轄、特別名勝として「温泉岳(うんぜんだけ)の名前は残っています。地図にも記載してあります)。

話変わって、長崎新聞は明治22年(1889)に「長崎新報」として発足、色々あって昭和20年(1945)に「長崎新聞」へ、ところが戦後、昭和21年(1946)に「長崎日日新聞」「長崎民友新聞」「佐世保時事新聞」「新島原新聞」に解体。

昭和34年(1959)に新長崎民友新聞社と合併して、「長崎新聞社」が発足、同年「長崎新聞」に改題となります。詳しくは→こちらをクリック

ですから、「長崎新聞」と名乗ったのは、昭和20年と昭和34年以降と言うことになります。

雲仙を目指して登るといえば、普通、雲仙岳の一番高い普賢岳(現在は平成新山が一番高い山になりました)を目指すのが普通です。「登山會」といえば、当然普賢岳登山でしょう。

先ほどから書いているように、普通「雲仙」というようになったのが、昭和9年。
「長崎新聞」の名前が用いられたのが、昭和20年、昭和34年になります。ですから、この旗は「雲仙」と書かなければならないのですが・・・・まさか、天下の大新聞(長崎では)が、雲仙の名称が数十年前に変わったのに「雲仙」を「温泉」と書くはずはないのですが、この旗には????でした。

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この絵はがきの写真に「小濱大黒天商店」と書いてあります。

下の地図は貴重な資料で、今は無い旅館なども記載されており、観光協会発行になっているので、聞きに行ったら初めて見たという事でした。

で、小浜生まれ、小浜育ちの高齢者の方に尋ねたら、昭和20年後半から昭和30年前半だろうと言うことでしたが、 お目当ての「小濱大黒天商会」は残念ながら、ありませんでした。もし、現存していたら聞きにいこうと思っていたのですが。

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コメント

はじめまして。
この絵葉書は、なかなか貴重だと思います。この絵葉書は、明治42年に長崎新聞社が雲仙登山をした際の風景と思います。長崎新聞社は、この時の登山の様子を『温泉小浜案内記 : 登山紀念』という本にまとめています。
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001602655-00
その際の写真があったとは、オドロキです!

j情報ありがとうございました。
国立国会図書館のデジタルライブラリーで読んで見ました。
で、長崎新聞の事が気になっていたので、調べたら面白い事が分かりました。
まだまとめて無いので、後日、記事にしたいと思います。
おかげで、この絵はがきの?分かりました。ありがとうございました。

なお、「雲仙」と「温泉」の表記は、こちらをご覧ください。
 http://ncc1305e.blog111.fc2.com/blog-entry-1546.html
文献では大正期から「雲仙」表記が確認でき、昭和9年時点では既に「温泉」表記は古くなっていたのだと思っています。

実は、このことは書けばきりが無いのですが、以前私も3回にほど書いております。
この頃は、まだ分からないことが多かったのですが・・・
himahima1.cocolog-nifty.com/in/2015/06/post-7dc3.html
私の手元にある「雲仙小濱風光記」(関善太郎著・大正15年発行)には、前書きに、「温泉(うんぜん)岳」は「おんせん岳」「をんせん岳」と呼び、温泉を書して、「うんぜん」と呼び、三者交錯するので、「誤りを避けんが為め時に温泉に変ふるに雲仙なる文字を以てしたり。
と書いてあり、この頃は、「雲仙」「温泉(うんぜん)」の文字は、その著者の判断によるものだと思われます。
なお、「雲仙公園ビジター運営協議会」(協力が、観光省雲仙自然保護官・雲仙観光協会・小浜温泉観光協会)」から発刊された「湯けむりの記憶」が一番正確に書かれていますが、「大正11年 温泉(雲仙)に『火山研究所』創立」「同 温泉(雲仙)間に定期バス運行」「大正12年 温泉(雲仙)衣笠山に気象観測所建設」「昭和2年 大阪毎日新聞・東京日々新聞両者共催の『日本八景』ハガキ投票で雲仙が山岳部門一位に選出された」(決定通知書では「温泉岳」になっています。)
「昭和3年 温泉(雲仙)郵便局が周年取扱局になる」「4月 昨年倒壊した温泉尋常小学校校舎を改築」「昭和8年 『温泉(雲仙)大弓道場』・・・・が開場」まだありますが・・・
この「温泉(うんぜん)」の文字が現れ無くなったのが、昭和9年以降。国立公園になった以降です。国立公園は以前の県立公園です。
即ち、昭和9年までは「雲仙」「温泉(うんぜん)」が混在していることが分かります。
思うに、旅館関係、観光関係、案内書を書いたのは紛らわしいので「雲仙」」を好み、一般の住民は「温泉(うんぜん)」でもかまわなかったのでは無いかと思われます。 

「雲仙小濱風光記」をお持ちですか!では、ぜひこちらもご覧ください。
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/947752
上記の初版版です。内容はそれほど大きく違ってなかったと思うのですが、大きく違うのが広告。この時代ともなると、広告にも多くの情報が含まれていて、なかなか面白いですよ!

情報ありがとうございました。
確かに昔の雑誌の宣伝って面白いですね。宣伝だけ時代別に並べると面白いと思うのですが・・・・
ほかにも、雲仙関係の本を数冊読みましたが、中身より宣伝の方が面白いみたいですね。
なお、長崎市にお住まいなら、文化歴史博物館に行くと、ロシア人が書いた(ロシア語ばかりですが)雲仙、小浜の紹介の本があり、ホテルなどの宣伝、写真なども良くのせてあり面白い物でした。
なお、雲仙の「お山の情報館」にも色々と面白い資料があるので、一度お訪ねを。
また、旧「長崎衛生研究」からでている「長崎県温泉誌」は雲仙、小浜の歴史についてもよく書いてあり、雲仙、小浜の事を知るのに最適の書です。これは、ネットで公開されていますので、興味があるようなら是非ご一読を。https://www.pref.nagasaki.jp/bunrui/kenseijoho/koho/info/onsen/の「温泉誌」で見れると思います。

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