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2018年12月21日 (金)

「高札」の取扱について

Img_20181221_0001_2

昨年7月30日に、この高札「『キリシタン禁制』の高札」と言うことで、書きました。

昨日、M村の庄屋日記を読んでいると、(私は他人が読んでいるのを聞くだけですが・・・・)

「出火」の時にどうするか書いてあり


一 出火ノ折者(は)御高札場郷蔵(年貢米の一時保管倉)付近辺堅ク相守(あいまもり)其余ハ庄屋元へ懸付(かけつけ)火防き可申候・・・

と言うことで、一番先に守るのは、高札と郷蔵であり、高札がいかに大事にされていたかが分かります。

この高札は正徳元年ですから307年前になりますが、字があまりにも新しく、このことについては以前書きましたが、
「江戸時代のお触れ(藤井穰治著)」によると

高札は「・・・・年号の変わるたびに高札が書き改められ(中略)また文字の見えないものは書き改めることを命じることによって、キリシタン高札は大名領内にも幕府・公儀の高札として定着した。」と書いてあり、書き直されたことも大いにあるわけです。

このことについては、島原藩飛び地領が豊前豊後国境にあり、島原半島では三万八千石、飛び地領で二万七千六百石、合わせて六万五千九百石余りになります。

この、飛び地領の橋津組大庄屋・本多政辰により政務のため編纂された「執睨録」に高札について以下の文章が見られました。


●御高札御墨入願之事

 (略)

「右村々御高札場、風受強、其上木陰二御座候故、打雨ニ文字薄相成、難相分御座候間、何卒御墨入被成下候様出申候、此段相叶候様、宜被仰上可被下候、以上。」と言うことで、御代官宛に橋津左源太(庄屋)から願い出が出ています。

要するに、高札が雨風等にさらされ、文字が薄くなり、見やすいように墨入れをして良いかということを、奉行の許可をもらう願いです。

これらを読むと、高札がいかに大切だったものかということがよく分かります。現代の自治会の掲示版とはダンチですね。


参考:
「M村庄屋日記」「江戸時代のお触れ(藤井穰治)」「執睨録(別府大学附属博物館)」






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