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2018年12月

2018年12月31日 (月)

「チコっと冒険 First」~チコちゃんに叱られる

Chiko

今年、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」で流行語大賞をとったチコちゃん。

私、小さいときは、勉強はできず、気は利かず、毎日先生から叱られたものですが、この歳になると、向こうが気をつかうのかドジを踏んでも、叱られることもなく、なんとなく寂しい毎日です(別段Mっ気はありませんが)。

ところが、なにげにNHKを見ていると、可愛い女の子の「
ボーっと生きてんじゃねーよ!」とNHKらしからぬ声が聞こえ、はっとしました。本当にいままで、「ボーっと生きてきた」、私。心より反省をいたしました。

ということで、本が出ているということで(こちらの本屋さんには置いてありません、なにせ田舎だから)お取り寄せをしました。

5つの部分からなっていて、「チコっとプライベート」「チコっとガーリー」「チコっとジャーニー」「チコっと変身」「チコっとじゃねよ!100の質問」。

チコちゃんのTVでは見られない、かわゆい姿がみられます。「
チコっとジャーニー」では、チコちゃんの趣味がよく分かりますね。大人が一人で読んでも良し、子どもと読んでも良し。楽しい本です。

さて、キヨエちゃんの姿は載っていますが、「岡村~」の姿が見られません。
読んでいくと
「チコっとじゃねよ!100の質問」のなかにチョッコとでてきます。

Q:無人島にひとつ持って行くなら?
A:岡村

Q:1日だけ誰かと入れ替わるなら誰になって何をしたい?
A:岡村になって結婚。

と、いろいろな質問の答えが面白いですね。

さて、先ほどNHK紅白歌合戦に少しばかり出て来ましたが、本番が楽しみです。

あと少しで、今年も終わりますが「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られないよう、来年はしっかり生きていきましょう。




2018年12月26日 (水)

私としたことが

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この年の暮れ。ドジをしました。

朝から、座ろうと思っていたら、靴下が少し分厚かったせいか、フローリングの床で滑り横にあったゴミ箱の角にゴツン。

痛みは、そうなっかたものの、耳たぶから血が出ているようなので、カミサンに見せたら(昔、看護師さん)キズが深そうだから、すぐに病院へ行けだって。

で、すぐに医者にいったら、耳たぶが随分切れていて、もうすぐで、千切れていたかもしれないだって。急いで、麻酔の注射して縫ってもらいました。生まれて初めて縫ったので、緊張しました・・・

体育の成績は小学校から3ばかりでしたが(筆記があったので・・)、あれは、走ったり、飛んだりのテストで、体のバランスのテストは無く、体のバランスには自信があったのですが、はやり歳ですね。自信は吹っ飛びました。足、膝もかなり弱っていますね。

なお、縫った痛みは少々あるものの思ったよりも軽いものでした。

年末に向け大掃除など忙しい中、特に高齢の方は昔の体力などを過信して、無理されないように。もっとも、私はこれを口実に大掃除は全部パスするつもりですが・・「耳が痛くて動けない!」

少し余談になります、「下町ロケット・最終回」、高視聴率をとったみたいですが、あれ、最終回でなく、お正月の特別編が本当の最終回になります。逆転に次ぐ逆転です。早く知りたい方は本をお読み下さい。

2018年12月23日 (日)

上塩浜「クリスマス・イルミネーション」&橘神社「大門松竣工式」~雲仙市千々石町

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いつも私たちの目を楽しませてくれる、上塩浜の皆さんのキャンドル・イルミネーションです。

もうボチボチかなと思っていたのですが、朝から少し雨で、どうかなと思って行ってみたら準備中。

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5時点灯で、まだ明るかったので6時くらいに行ったらいつも通りの、きれいな風景。

この灯り、電気ではなく、一つ一つ手でローソクに火をともしたもの。電気とは違って暖かさが感じられます。

ちゃんと昼の人形さんも飾ってあります。

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ソリに乗って記念写真、というより、私が無理に頼んで乗ってもらいましたが・・・・

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近くにはテントが張ってあって、右はバザー、左はお接待。

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寒い中、地域の方での接待ですが、私も豚汁をいただきました。寒い中で暖かい豚汁はありがたいですね。自治会の皆さんの暖かい心が身に沁みます。

ローソクの点灯は明日までですから、お早めにお二人でお越しください。ひとりでは、さみしい。

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さて、昨日書きましたが、今日、橘樹神社の大門松の完成竣工式。ですが、あいにく雨がパラパラ。

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行ってみたら、テントを張ってその中で神事。宮司さんは橘中佐のご子孫です。

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この後、千々石中学校吹奏部による御神楽が予定されていたのですが、地面が濡れていて残念ながら中止。

肥前千々石鉄砲隊も火縄銃でなので心配をしたのですが・・・

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轟音とともに、一斉射撃。空砲ですが・・・・もちろん

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公園内ではボチボチと出店の準備。

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みんなで「弥栄」ということで、正月は皆様も是非お越しを。

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2018年12月22日 (土)

いよいよ正月「橘神社大門松」完成★「観櫻火宴」のお知らせ

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先月23日から始まった「大門松」作り、今日が仕上げで例年通りの見事な完成でした。

2000年から始まり、今年で19年目になります。来年が、成人式です。

鳥居前で「弥栄(いやさか)」と拳をあげているのが、実行委員会の皆さん。休日返上での作業でした。今年も、お疲れさまでした。正月にふさわしい、大門松です。

最近は県外からも、大鳥居の作り方を研修に来ておられます。

明日が「大門松竣工祭」で、午前8時~13時までが総仕上げ、竣工祭が13時30分、肥前千々石鉄砲隊の演舞が14時からです。

明日の天気予報が思わしくなく、心配なのですが・・・・


さて、来年の事を言うと鬼が笑うと言いますが、今日、「日本一の松明武者行列」の実行委員長さんから、2019年の「観櫻火宴」のチラシができたので、いただきました。

日程は、来年の3月30日(土)になります。

今回のチラシの絵柄がガラッと変わっていて、外人雇用なんとかかんとか法ができたせいか、外国人の可愛いお嬢さんの武者姿。これも、意外とインパクトがあって良いですね。

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2018年12月21日 (金)

「高札」の取扱について

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昨年7月30日に、この高札「『キリシタン禁制』の高札」と言うことで、書きました。

昨日、M村の庄屋日記を読んでいると、(私は他人が読んでいるのを聞くだけですが・・・・)

「出火」の時にどうするか書いてあり


一 出火ノ折者(は)御高札場郷蔵(年貢米の一時保管倉)付近辺堅ク相守(あいまもり)其余ハ庄屋元へ懸付(かけつけ)火防き可申候・・・

と言うことで、一番先に守るのは、高札と郷蔵であり、高札がいかに大事にされていたかが分かります。

この高札は正徳元年ですから307年前になりますが、字があまりにも新しく、このことについては以前書きましたが、
「江戸時代のお触れ(藤井穰治著)」によると

高札は「・・・・年号の変わるたびに高札が書き改められ(中略)また文字の見えないものは書き改めることを命じることによって、キリシタン高札は大名領内にも幕府・公儀の高札として定着した。」と書いてあり、書き直されたことも大いにあるわけです。

このことについては、島原藩飛び地領が豊前豊後国境にあり、島原半島では三万八千石、飛び地領で二万七千六百石、合わせて六万五千九百石余りになります。

この、飛び地領の橋津組大庄屋・本多政辰により政務のため編纂された「執睨録」に高札について以下の文章が見られました。


●御高札御墨入願之事

 (略)

「右村々御高札場、風受強、其上木陰二御座候故、打雨ニ文字薄相成、難相分御座候間、何卒御墨入被成下候様出申候、此段相叶候様、宜被仰上可被下候、以上。」と言うことで、御代官宛に橋津左源太(庄屋)から願い出が出ています。

要するに、高札が雨風等にさらされ、文字が薄くなり、見やすいように墨入れをして良いかということを、奉行の許可をもらう願いです。

これらを読むと、高札がいかに大切だったものかということがよく分かります。現代の自治会の掲示版とはダンチですね。


参考:
「M村庄屋日記」「江戸時代のお触れ(藤井穰治)」「執睨録(別府大学附属博物館)」






2018年12月16日 (日)

2年ぶりの「雪見だい『福』」

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2016年12月9日と2016年12月26日に「雪見だい福」の事を書きました。

「雪見だいふく」ではなく「雪見だい『福』」です。

詳しくは→12月9日   12月26日    を参照して下さい。

それ以降、気になってコンビニに行くたび、アイス売り場をのぞいていたのですが、昨年は見つかりませんでした。

で、今日、のぞいてみると、あるではありませんか。しかも、2コ。で、買って来ました。

下は、普通の「雪見だいふく」。デザインも少し違っているのが分かるかと思います。とくに、右上。あれ?以前は普通のウサギさんだったのですが、「大黒天」かな?「福禄寿」かな?頭だけをとると「大福」になりますが・・・なんとなく、サンタさんのような気もしますが・・・

この「福」がついているのを見つけると、福が舞い込むとか。普通の「雪見だいふく」。「雪見だい福」との違いが分かると思います。

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「雪見だいふく」は2コ入っていますが、ロッテさんで「一個ちょうだい」と言われたときに、「あげる」か「あげないか」アンケートをしたら、「あげる派」が77,422表、「あげない派」が32,949票だったそうです。

私ですか?「雪見だいふく」だったら「あげます」。「雪見だい『福』」だったら「あげません。

悲しみは分け合って、幸せは独り占め。


2018年12月13日 (木)

「府中三億円事件を計画実行したのは私です。」★白田著

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あまり悪口を書かない私ですが、今日は少々辛口で・・・・

三億円事件と言えば、戦後最大の話題の事件になります。時効はとっくに過ぎましたが、数年に一度はこの事件に関し本が出ていたのですが、と言うより、出尽くしたと言っても良いかもしれません。

ですから、この小説に対し、「事実を良く知っている」という感想もあるようですが、これだけ本が出ていれば、内部事情も良く分かるはずです。

さて、この本「『小説家になろう』で1位の話題作、緊急出版」、となっており、「小説家になろうーみんなの小説家投稿サイト」での話題小説であったようです(現在は削除しているそうですが)。

「BLOGOS」で、本人にコンタクトをとり、メールでやりとりをしたようですが、細かいことはよく分かりません。→こちらを参照

読んで見て、薄い文章です。ディテールがほとんど分かりません。
ただ一ヵ所、当時はセクト間の争いが派手で、二つのセクトが議論するところがあります。ここのところは、当時、あの時代を生きてきた人間にしか分からないと思います。

・・・・三神会長(女性・カリスマ的リーダー)は続けます。
「では平田氏、ひとつだけお聞きしてもよろしいでしょうか」
「・・・何だ?」
「先ほどから度々口にされる革命という言葉ですが・・・・・・、では革命とは?」
「決まっているだろう。現状の腐った政治体制をぶっ潰す事だ」
「違います。革命とは関係性の逆転です」

共感できたところは、ここだけでした。

さて、これが事実かどうか?簡単です。私、一時、印刷会社に勤めていて出版会社に出入りしたので、本を読むときは最後の奥付の作者とか出版社とか出版日付などもチェックする癖があるのですが、この本の奥付の最後のところ、こう書いてあります。


「この作品は、フィクションです。」しかも、小さな字で。
「この作品は、ノンフィクションです。」とはどこも書いてありません。

この言葉を作者が書いたものであれば作者に「あれ、嘘じゃ無い」と言われたとき、「『この作品はフィックションです。』と書いているでしょう」と言い訳ができるわけです。

もし、出版社のポプラ社が書いたものなら、同様に「あれ、嘘じゃないか」と言われたとき、「だから『この作品は、フィクションです。』と書いてあるでしょう」と言い訳ができるわけです。実に巧妙な罠です。

読後感としては「三億円事件」をダシにした、恋愛小説です。それもヘタな。看板に偽りあり。です。

2018年12月12日 (水)

「私は武士の娘です!」

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「美女」という言葉がピッタリ。なんと、女性のオーラが溢れていることか!

オジサマ族、オバサマ族の方は良くご存じのことだと思います。特に、オジサマ族はグラビア、写真集、映画などを見ながら、オカズにしてお世話になったことと思います(私もですが)。

今やNHK朝ドラ「まんぷく」のなかで「私は武士の娘です!」でコミカルな演技をしている松坂慶子さんです。

生まれは1952年。上の写真は1980年の写真ですから、28歳。一番良いときですね。

今や、下の写真のようになりましたが、やはり昔の面影は多少残っています。

若いときは、きわどい演技もしていたのですが、私のブログは上品が売り物なので、載せません。当時の写真集はまだ持っていますが・・・


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松坂慶子さんがどんな凄い女優だったのかは→こちらをクリック

一番上の写真は1980年8月(昭和55年)号の「PLAYBOY(日本版)」より。
下の写真は、朝ドラ「まんぷく」より。

2018年12月 8日 (土)

「駕立場」の絵はがき、なんか変?

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小浜町から雲仙に至る途中「駕立場」があります。

「おばま 史跡巡り観光ガイド」によると、「健保3年(1213)有馬経澄から貴純、そして晴信、直純までの有馬時代399年と、その後に移封された松平氏等藩主が小浜に来る途中の休息所であったと言われている。・・・・藩主の休息所だったということよりも、むしろ明治時代の登山時のチェアーかごの休息所であったことであろう。」と書いてありますが、地理的に見て、多分後者の方でしょう。

なお、「チェアーかご」は下のようなものですが、小浜~雲仙までかついで登るのは大変ですよ。

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       (「2005年 小浜町80周年記念誌」より)


現在の「駕立場」風景ですが、車の休息所になっていますが、昔はお茶屋さんがあったそうです。

左の写真の赤丸印のところ、右の写真のように「駕立場」のバス停と案内版が立ててあります。

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多分、上の写真、皆さんがくつろいでいるところが、左のあたりだと思われます。右の道は多分「笹之辻」に通じるかと思われます。

以前、昔の道を辿った方によると、小浜温泉→道前→鬢串→笹之辻→駕立場までは細い道を行けたそうです。

右の写真は、雲仙方面を見た写真ですが、植林が茂り、昔の面影はありません。

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        (青の矢印は現在の車の道路)

さて、ここで気になったのが、後ろの旗。

縦に「長崎新聞主催」。上の方が「温」の字と来れば後は「泉」。その後は「岳」か「山」かでしょう。下の方は「登山會」。

で、以前書いたとおり、普通、雲仙は昔は「温泉(うんぜん)」と言われていました。「雲仙」の表記もありますが(温州ミカンは「うんしゅうミカン」ともよび「温泉」が「うんぜん」と読んでも不思議はないのですが)・・・一般的に「温泉」が「雲仙」に変わったのが、昭和9年、「温泉公園」から「国立雲仙公園」に変わったときになります(もっとも、現在も文化庁管轄、特別名勝として「温泉岳(うんぜんだけ)の名前は残っています。地図にも記載してあります)。

話変わって、長崎新聞は明治22年(1889)に「長崎新報」として発足、色々あって昭和20年(1945)に「長崎新聞」へ、ところが戦後、昭和21年(1946)に「長崎日日新聞」「長崎民友新聞」「佐世保時事新聞」「新島原新聞」に解体。

昭和34年(1959)に新長崎民友新聞社と合併して、「長崎新聞社」が発足、同年「長崎新聞」に改題となります。詳しくは→こちらをクリック

ですから、「長崎新聞」と名乗ったのは、昭和20年と昭和34年以降と言うことになります。

雲仙を目指して登るといえば、普通、雲仙岳の一番高い普賢岳(現在は平成新山が一番高い山になりました)を目指すのが普通です。「登山會」といえば、当然普賢岳登山でしょう。

先ほどから書いているように、普通「雲仙」というようになったのが、昭和9年。
「長崎新聞」の名前が用いられたのが、昭和20年、昭和34年になります。ですから、この旗は「雲仙」と書かなければならないのですが・・・・まさか、天下の大新聞(長崎では)が、雲仙の名称が数十年前に変わったのに「雲仙」を「温泉」と書くはずはないのですが、この旗には????でした。

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この絵はがきの写真に「小濱大黒天商店」と書いてあります。

下の地図は貴重な資料で、今は無い旅館なども記載されており、観光協会発行になっているので、聞きに行ったら初めて見たという事でした。

で、小浜生まれ、小浜育ちの高齢者の方に尋ねたら、昭和20年後半から昭和30年前半だろうと言うことでしたが、 お目当ての「小濱大黒天商会」は残念ながら、ありませんでした。もし、現存していたら聞きにいこうと思っていたのですが。

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2018年12月 5日 (水)

「せかいで さいしょの ポテトチップス」~アン・ルノー著★フェリシタ・サラ絵★千葉茂樹訳

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今や日本国民というより、全世界の人の好きなスナック菓子「ポテトチップス」。

最初にポテトチップスを作ったのは、誰でしょう?
え~知らない!「ぼーっと生きてるんじゃねーよ!」とチコちゃんから叱られますよ。

「日本人ならず世界中で、パリパリとポテトチップスを食べながら、テレビなりゲームをしているのに、なんとポテトチップスが、世界で最初に作られた事情を知らない人が多いことか」

ということで、絵本をご覧下さい。ただし、「これからあじわっていただくのは、ほんとうにあったできごとに、ちょっとスパイスをきかせたおはなしです。」と書いてあります。

ジョージ・クラムさんは料理好きで、「グラムのレストラン」を始め、大繁盛。そこに、フィルパート・P・ホースフェザーズという紳士が料理を頼みますが、頼んだのが「ポテトだけ」。

クラムさんはポテト料理を作りますが、
フィルパート・P・ホースフェザーズさんは気に入らず、3回も作り直します。

で、やっと、
フィルパート・P・ホースフェザーズも満足できるものができたわけです・・・これが・・・なのです。

さて、後書きの「著者のことば」によればポテトチップスを作ったのが、クラムさんが最初では無かったようなのですが、その新メニューを求めて、大勢の人が押しかけるようになったそうで、数年後には「サトガ・チップス」と呼ばれるようになったそうです。

なお、1891年12月27日付けのニューヨーク・トリビューン紙には「ジョージの幅広い顧客のなかには、大富豪もいれば、農民も政治家も、工場の社長も労働者もいてだれもが列をなしておしかける」と書かれているそうです。

ということで、ポテトチップスでも食べながら、絵本をお読み下さい。
なお、ポテトチップスはお皿に盛って食べてください。絵本を読むと分かります。

私見ですが、ポテトチップスは、自分でポテトを薄く切って油で揚げたのが一番美味しいと思うのですが・・・・湿気るのが早いのが欠点ですが・・・



2018年12月 2日 (日)

「ゴルゴサーティーン」ではありません、「ムンクの叫び」ではありません。

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「ゴルゴサーティン」ではありません。「ゴルゴサーディン」です。
入れ物は左のようにゴルゴ13愛用の自動小銃「M16」を思わせる入れ物。開けると、上の写真のように3コのゴルゴ13が描かれたパッケージに、「サーディン」が入っています。「サーティン」ではなく「サーディン」です。「オイルサーディン」の事です。

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缶詰を取り去ると「ゴルゴサーディン」の鋭い目がアナタを見つめています。

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ビッグコミックの12月10日号ですが、「ゴルゴ13」が連載50周年を迎えたそうで、そのために「キングオスカー×ゴルゴ13」のコラボパッケージと言うことで、「ゴルゴサーディン」が登場したそうです。なんとなく、オヤジギャグみたいですが・・・
詳しくは→こちらをクリック


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こちらは「ムンクの叫び」ではなく、「ムーチョの叫び」です。「ムーチョ」と言えば「カラムーチョ」で有名な湖池屋のポテトチップス。こちらが表。

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こちらが裏側。

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左右の横から見たところですが「ムンク展」が気になりますね。

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箱の中にポストカードが入っていて、10月27日~1月20日まで、東京都美術館で「ムンク展」が開催されていて、「ムンク展ー共鳴する魂の叫び」公式コラボレーション商品だそうです。「ムーチョの叫びカラムーチョ ホットチリ味」「ムーチョの叫び すっぱムーチョ さっぱり梅味」が入っています。


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一箱に6つの小袋が入っています。

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上の二つの商品については、雲仙市では手に入りません。十数軒、コンビニとストアーを回りましたが、ありません。東京の40年前の元彼女から送ってもらいました。

お店屋さんを回っていると下のような本がありました。「週刊文春」ですが、赤丸印のところ「ローソン限定」と書いてあります。


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現在、週刊誌の売り上げが落ちているそうです。これも、ローソンさんと週刊文春さんとの戦略かな。中身は、おじさん向けの昔懐かし写真、記事が主でした。



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