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2018年8月13日 (月)

「諫早神社」の旧肥前鳥居~長崎県諫早市

Dsc_0960

上が現在の諫早神社、丸印が鳥居になります。神社に多くある明神鳥居。

この鳥居が以前は肥前鳥居で、諫早水害の時、倒壊をしたそうです。この昔の鳥居の写真を捜していたのですが、やっと捜しあて、いつも見ていた「ふるさとの思い出 写真集 明治・大正・昭和 諫早~諫早史談会編集」にありました。

諌早神社の鳥居があまりにも小さく写っていたので、気づきませんでした。
この鳥居については、「諌早街道を訪ねて~山崎諭著」に「昭和32年の水禍のため、最古といわれた鳥居を流失し・・・」また、「諌早市史~昭和33年刊」にも「・・・同型が西郷村(現雲仙市瑞穂町)の熊野神社(注:西郷八幡神社の誤り)に一基現存する。箱崎八幡宮の鳥居と共に、九州でも古い時代に属する鳥居である」とあります。

西郷八幡神社の肥前鳥居は、「雲仙市の文化財」には載せてありますが、この貴重な鳥居は市の文化財に指定はしてありません。

 

Img_20180801_0002

 

諫早神社の旧鳥居と比べれば、まったくの同型だということがわかると思います。

 

Photo_2

さて、以前にも紹介をしましたが、左が諫早公園の愛宕神社の鳥居ですが、「愛宕山の肥前鳥居」として、市の指定有形文化財になっています。

なお、鳥居の上側がふくれあがっているように見えますが、昔、鳥居の上に石を投げ上げると、良いことがあるという話があり、それで投げ上げて重なった石です(私も小さい頃やりました)。

諫早には昔3基ほどあったそうですが、諫早水害で倒壊し、いまはこの一基しか残っていないそうです。

右が国見町の熊野神社の鳥居。で、こうしてみると笠木(鳥居の一番上の部分)と島木(笠木の下の部分)が一体化しているのがわかると思います。肥前鳥居の一つの特徴です。

私見としては、熊野神社の鳥居も肥前鳥居だと思うのですが、連絡はしておきましたが、行政側は調査もなにもしていないみたいで、なんとも残念ですね。

 

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コメント

諫早神社の鳥居の写真を探していたと書かれてますが、根岸栄隆著 アルス文化叢書34 鳥居 55ページにドアップで肥前鳥居が載っています。ついでに一の鳥居(本の中では二の鳥居と記載)のアップも載っており、ブログで載せられている写真と合わせると諫早神社の3基の鳥居のアップが揃います。因みに非常に珍しい(多分全国でここだけ)諫早神社にあった陶器製(甕器)鳥居の写真が津村勇 鳥居考 172ページと上記の63ページにあり、これも諫早大水害で流出しています。この鳥居、諫早新道にあった小松亀山焼製なのか山口牟礼焼成なのか議論があるところです…

因みに、歴史関係ではブログ大変面白く拝見させていただいています。

情報ありがとうございます。

一の鳥居の写真につきましては、諌早図書館の本をあせっていたら見つけました。本の種類は違いますが・・・

諌早神社の陶器製の鳥居、珍しいですね。こちらで調べたら、根岸榮隆氏の「鳥居の研究」にスケッチ風に載っておりました。「現在では長崎縣諌早神社に大正八年に造ったものがあり・・・」とありますが、本の発刊が昭和18年なので、水害前の本ですね。

なお、ネットで調べると陶器製の鳥居は、長崎市八幡町「宮地嶽八幡神社」、佐賀の有田町「陶山神社」、佐賀の「松原神社」、愛知の「瀬戸神社」にあるそうです。

「宮地嶽八幡神社」は明治21年有田で造られ奉納されたものだそうです。
製造人が岩尾久吉、角物細工が鐘ヶ江長作、丸物細工が峰熊一。

「松原神社」は明治23年奉納、有田町、新村、大山村、二里村、全部佐賀県になります。
製造が岩尾久吉、角物細工が金ヶ江長作、丸物細工が峰熊一。

同じ人物ですね。「鐘ヶ江」「金ヶ江」は同一人物だと思います。
時代的にも大体同じですね。

陶山神社は明治27年奉納。こちらは「国指定文化財」だそうです。製作者は不明。
愛知の「瀬戸神社」は見つけることができませんでした。

諌早の方は、郷土関係の本を調べましたが、載っていませんでした。もう少し、調べて見たいと思います。

また、何か情報がありましたら、ご連絡をm(_ _)m。

陶器製鳥居ですが、
長崎宮地嶽神社、佐嘉陶山神社、松原神社は磁器製鳥居です。
愛知瀬戸神社は瀬戸焼き、諫早神社の鳥居は、瓶製です。
津村勇の「鳥居考」P172に「大正8年3月当村内崎伊左衛門寄進、細工人品川利夫」
とあり、当村ということは諫早村と考えます。諫早村の茶臼山(新道)に小松亀山焼というのがかつてあり、内田亀山焼として存続、大正年間に瓶製の壺や土管、鍾馗像等々を作られています。茶臼山には、現在も瓶製の鳥居扁額があります。多分この内田亀山焼の技術で諫早神社の陶器製鳥居は作られたのではないかと思います。諫早神社には陶器製鳥居の扁額が今も残っています。因みに「鳥居考」の「内崎伊左衛門」は「内田伊左衛門」ではないかと。
この鳥居が残っていたら、国内で唯一の瓶製鳥居だったかと。諫早神社宮司さんも残念がっておられました。
参考まで

小澤様

再度コメントいただきましてありがとうございました。
紹介のありました本につきましては、入手して確認をいたしました。
宮地嶽八幡神社の鳥居も見てきました。
なお、先日諌早神社へ行った折、宮司さんに鳥居の位置、昔、神社内にあった荘厳寺などの話しも伺ってきました。
情報、ありがとうございました。新しい情報がありましたら、またコメントをm(_ _)m。
なお、別記事にて紹介をしております→http://himahima1.cocolog-nifty.com/in/2020/01/post-19975a.html?cid=143075873#comment-143075873

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